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 ダマスカスの空港は、とても小さい。ビザは団体を現地で取得ということなので、幼稚園生みたいに皆おとなしく待っていた。

 他の日本人グループは、どんどん終わりさっさとイミグレを出ていくのに何故か我々だけはいつまで経っても許可が下りない。

 添乗員の曰く「この人、いつもの人では無いんで要領が悪くてすみませんねえ」、この添乗員リビアの人から結婚を申し込まれたというくらいのアラブ通である。よってイスラエルの添乗は一度もしたことがなく添乗の9割はアラブ諸国なのだそうだ・・・。

 後でわかったことなのだが、レバノンに行くので全員のパスポートのコピーを出せといってきたらしい。今までに一度もそんな要求をされたことが無いというところを見るとガイドの押しの弱さが露呈したというのが正しい見方かな・・・。

 ダマスカスから合流した1名を入れて早速国境までバスに乗り込んだ。ところが、手配されたバスがサロンカーだった。のったことが有る人ならわかると思うが、サロンカーは長距離移動には向かない。酔ってしまうからだ。第一危険だ。ぶんぶん飛ばすのだから・・・。

 今日は仕方が無いので、再度シリアに入国する時には、バスを変えて置くようにとガイドにリクエストをしておく。

 レバノンの国境でバスを乗り換えトイレも済ませた。

 緩衝地帯を走っていると不思議な光景に出会った。人が住んでいるのだ。だいたい緩衝地帯は、耕作地は有るが人家は無いのが普通である。レバノンは昔はシリアの一部だったので、こういう不思議なことがおきるのか知らん?

 入国にすっかり手間取ってしまったので、先にパールベックに向かうことになった。

 パールベックは、中東3大遺跡の1つである。バスはアンチレバノン山脈とレバノン山脈の間のベカン高原を走っているようである。レバノン山脈の西側には地中海が広がっている。

 スキーもできるということで、頂は真っ白!中東で雪山が有るなんて夢にも思わなかった。認識不足(ーー;)

 遺跡の見学の前にまず腹ごしらえをということで、この地の川で取れたますのグリルが出された。アラブの人々の調理法には、焼くというのが無いのでへたくそらしく、毎回1人くらいは生焼けの人がいるのだそうだ。期待にたがわず、今回も1人いたよ(*^_^*)

 レストランのまん前には遺跡が広がり、転じて目を上げれば遠くには雪をかぶった山々が連なり、申し分の無い風景を見ながらの食事となった。


 
 この地には、ギリシア人が先に都市を建設したのだが、のちにローマ人の植民地となった。ローマ人は、200年以上かけてジュピター・バッカスといった巨大な神殿をここに建設した。のちに地震によって倒壊してしまったが、彼らの確かな建築技術には舌を巻いてしまう。

 木製のクレーンを使って、巨石をもち上げたとされるが、なかには800tもあるものもあるらしい。

 私はこの神殿を見たとき「パンテノンよりすごい!」と思った。

 この遺跡の近くには石切場もある。

 この後バスは、次の観光地であるアンジャル遺跡へとむかった。アンジャルは、ウマイヤ朝の遺跡である。東西南北に伸びる道路を中心に街が作られ、城壁のよって囲まれていた。道の交わる所には、テトラピロンが作られている。

 殆ど壊れてしまっているが、宮殿のアーチは比較的きれいに残っている。

 ここの売店で売っているワインがおいしいというので、早速買いに行ったのだが、商売っ気が無いというのか仕入れをしていなくて、残念でした。

 添乗員曰く「前回買い占めてしまいましたからねえ・・・」


 買い占めるなよ!(笑)