夕方6時半近くになってようやく今夜のホテルに着きました。
雨は、何とか止んでいますが・・・。
明日の観光を変更してこのままシギショアラの旧市街へ行くという。というのも夕食のレストランが旧市街にあるからだ。ついでに済ませて明日の朝は、ゆっくりということらしい。
シギショアラの町は、日本でいえば小京都といったところか。城壁に囲まれた小さな町である。
現在も中世の面影が残っている。
1191年、ザクセン人が入植した事に始まる。ドイツ名をシェースブルグといい、繁栄時の15,6世紀には、15のギルドを持つ城砦都市であった。
ドイツ系移民が多かったことは、ドイツ語学校や建築物の表示にもうかがえる。
細い坂道を登って行く。
屋根付き歩道のようだ。
登りきった所にある広場に建っている時計台。14世紀、商工自治都市になった事を記念して造られたからくり時計だ。現在も動いており、時間ごとに人形が動く。
左手に見えている黄色の建物は、ヴラド・ドラクルが、1431年から4年間幽閉されていた家である。また、ドラキュラのモデルになった息子の生家でもある。ドラクラ(=ドラキュラ)は、「ドラクル公の子」という意味。またドラクルとは、「竜」ノドラゴンと同じ意味である。店看板は、竜をあしらったものです。
30分もあれば一回りできるほど旧市街は小さい。
ドイツ人の町らしい雰囲気が残っています。
広場もこじんまりしている。第2次大戦後大勢のドイツ系住民は、追放、移住を余儀なくされたが、シギショアラでも半数程度いたドイツ系住民は、少数派になってしまったという。
さらに、ベルリンの壁が崩壊された以降は、ドイツ系ザクセン人は、こぞってドイツへ移住して行ったという。
2011年、現在シギショアラのザクセン人は全体の1,5%程になってしまい、空き家をどうするかが問題になっているという。
おもしろい看板を見つけました。
門はいくつかあり、これは仕立て屋の塔と呼ばれる門です。他にも、靴職人・毛皮職人・肉屋の塔何て名前がついた塔が幾つかある。
これは、山上教会と学校に行く為の屋根付き階段です。ビエルタンにあったものと同じつくりだ。
こういうものをみると、どうしても行ってみたくなる。
ぼけた写真ですが・・・・。
山上教会は、閉まっていた。ここは、かつてザクセン人達が通った教会だ。この隣にあるのは、ドイツ語学校です。
狭い路地も魅力的だ。
レストランに入ります。2階、3階部分は幾つかの部屋に別れている。別の日本人ツアーの方たちに出会いました。バラ祭りに合わせて来ているツアーが多いようだ。
レストランの壁には、串刺し公の絵が・・・。
メニューの名前も、ドラキュラのミンチ、ドラキュラの心臓、ドラキュラの舌などと刺激的な名前がついているが、トマトソースが基本のお肉料理でした。
上が、ミンチで下が心臓です。舌は、折りたたんだクレープでした。
食事メニューは後でまとめて紹介したいと思っていますが・・・。
明日は、ドラキュラのお話のモデルとなった串刺し公の居城であった、ブラン城へ行きます。