高取城って聞いたこと有りますか?私は、聞いたことが無くて、「日本3大山城」というキャッチフレーズに誘われて今回歩いてきました。
 
 3大山城とは、「岩村城」「備中高梁の松山城」そして「大和の高取城」を指すらしい。
 
 たまたま他の2つの城には、行ったことがあったので、ちょっと興味がわいたのだった。
 
 ツアーの面々は、いつもとはちょっと様子が違う。遠くは東京・横浜からの参加者もいるという。
男女比率も男性の方が多く、普段とはトイレ事情がちがいました。
 
 実は、申し込んだときにはすでに満席でキャンセル待ちをかけていたのだ。城好きって多いんですね。スタンプ帳もあり、100個押せるようになっているらしい。これも初めて知りました。
 
 
 今は三重県方面は鬼門です。お伊勢さんのせん宮でいつも混んでいるからだ。この日も1時間ほどかかって渋滞を抜けることとなった。
 
 目的地に着いたのは、4時間ほど後のこと。隣の隣の県だというのにとても遠かった。
 
 土地勘がないのでよく理解できていないのだが最寄駅は壺阪山駅となっている。壺阪寺の
名前だけは知っていたのだが、ここにあったとは・・・。
 
 今日は時間の関係で立ち寄らずに、上から眺めるだけです。残念!
 
創建703年。西国6番札所とある。3重の塔は室町期のもので本堂とともに重要文化財に指定されている。
 
 
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 山道を登っていく。左手の建物は壺阪寺の塔。
 
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 最初に足を止めたのは、壺阪寺の奥の院。「5百羅漢」だ。親に会いたくなったらここに来れば会えると言われるほど、岩肌にたくさんの仏さまが彫られている。中には彫が薄くなってしまっているものもある。
 
 こちらは近年の新しい仏様達。
 
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 前回の台風でこのあたりは被害をこうむり山道がかなり荒れてしまったという。この日も修理が終わりかけの山道を歩いて行った。勾配が急なので、降った雨が一気に里に駆け下りていったのだろう。
 
 ここからさらに登っていくと。
 
 
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  天女のように見える。
 
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 やっと高取城の入り口部分にやってきました。ここからが城内です。
 
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 高取山の標高は、583mなので標高差390mあるという。南北朝時代、豪族の越智氏が築城した。
以来幕末まで続いた。
 
 1585年、豊臣秀長の命により本田氏が修復をおこなった。以後、譜代大名の植村氏の居城となる。
 
 
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 さあいよいよ城に入っていきます。