以前から頭の片隅に気になっている場所がある。
「孫文記念館」だ。
 
 とはいってもそこだけを目当てに訪れるほどの事も無い。
 
 でなかなか行けずに何年も過ぎてしまっていた。神戸には、地震の前も後も何度か訪れているのに・・・・。
 記念館のある場所は、神戸より明石市に近いのだ。
 
 ところが14日予定していたバスツアーが、人数が集まらずキャンセルになってしまい、ぽっかりと時間が空いてしまったのだ。
 で、ここと他の場所も訪れてみようといくつか候補をあげてみる。逸翁美術館、王子動物園、明石市、西宮市、芦屋、尼崎などの沿線の街など・・・・。
 
 芦屋は何度か行っているのでパス。明石、池田はちょっと遠い。
結局西宮、動物園、神戸空港、スカイビルの宮中庭園のうちから時間と相談して行けそうなところをい訪れることにして、高速バスで梅田まで向かった。
 
 新神戸まで新幹線で行けば早いのだが料金が高い。一番安い高速バスが梅田行きだったのだ。
 
 バスターミナルは、スカイビルにあるので宮中庭園に夜景を見る場合土地勘もできるし・・・。
 
 スカイビルから、新しくなった大阪駅までは10分くらいかなあ。関西空港に行くときは通り過ぎるだけなので、新しくなってからは初めて訪れた。
 
 まずは、快速で目指す舞子まで向かう。舞子までは45分ほどかかり、到着した時には既にお昼になっていた。
 
 兵庫県立都市公園として整備が進み見違えるようになっている。
明石大橋は、阪神淡路大震災後の1998年に完成している。着工は1988年とあるから震災に遭遇しているのだが、工事のやり直しをすることも無く手直しは必要だったものの、無事完成のこぎつけた。
 
 ずいぶん前に、この駅から高速バスに乗って淡路島に渡った事は有るのだが、その時はまだ公園の整備は進んでいなかった。
 
 駅を降りると目の前に橋が見える。こうして下から橋をみるとすごい迫力で、人間て本当に何でも作ってしまうんだなあと感心してしまう。
 
 
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 瀬戸内海は、船の往来の多いところなので大きさがいろいろの船がひっきりなしに通過している。
 
 舞子海上プロムナードからは、橋の下を実際に歩くことができるという。高いところ大好きなので早速入場してみます。
 
 エレベーターで一気に8階まで上る。透明なガラスからは海がのぞける。
 
 
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 橋を渡るのは車だけでなく、水道やいくつかのケーブルも渡っているのだ。
点検道が見える。
 
 
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 橋の下を猛スピードで通過する船。
 
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 これから訪れる孫文記念館を上から見たところ。6角形の建物は移情閣といい重要文化財に指定されている。
 記念館の左後方にある建物は、旧武藤山治邸でこちらも1907年に建てられたものをこちらに復元移築したものだ。こちらは、登録有形文化財である。
 
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  せっかくだから橋の科学館の見学もしてみよう。お客は私1人だけでした。
これがつり橋のロープを引っ張っているアンカーの模型。
 
 
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 橋の長さ3911m、中央支間長は1991mで世界一です。無人のカメらを自分で動かして今の様子を見ることができる。
 
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 孫文記念館までやってきました。建物は、神戸の中国人実業家呉錦堂の別荘が前身で、1915年別荘の東側に「移情閣」が建てられた。
 革命か孫文とこの別荘「松海別荘」のかかわりは、孫文が神戸に来た時の歓迎会の会場になった時に始まる。
 その後、1983年兵庫県に譲渡され、孫文生誕の日に「孫文中山記念館」として公開に至った。
橋の建設に伴い解体移転してここに至った。
 
 
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 中には、写真や書などの展示と呉錦堂に関するものなどがある。
 
 天井。龍の彫り物がある。周りを額に入ったいくつもの書が取り囲んでいるが1つも読めない(+_+)
 
 
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 2階に通じる階段。大正時代の雰囲気満載です。
 
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 型押の壁紙。当時のものを復元しました。
 
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 2階の天井。同じようにみえるがこちらはボタンの花と鳳凰の彫刻になっている。
 
 
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 これは、孫文と宋慶齢の結婚式の時に夫人が着用した衣装だ。
 
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 明石大橋と記念館。このころになると空があやしくなってきた。寒い。
 
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 雨宿りを兼ねて旧武藤邸に駆け込んだ。あわてていたので外観をカメラにおさめそこなってしまい、これはパンフレットの写真です。
 
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 1907年建設の木造2階建ての洋館だ。円形バルコニー、スレートぶきの屋根が特徴。
別荘のあとは、鐘紡に寄贈され会社の福利厚生施設として利用されてきた。
 ここもやはり明石大橋建設の関係で移設されたが、兵庫県への寄贈をきっかけにここへ移転復元された。
 
 入ってみましょう。