参道を登ってゆきます。半円形のこの建物には、20体ものアルゴス王の記念碑が飾られていたという。
進んでいくと曲がり角にへそが置いてある。ここを右手に登ってゆく。
アテネ人の宝庫と呼ばれる建物。20世紀の初頭に復元されたものだ。
ド-リア式の柱が美しいこの建物は、紀元前5世紀にアテネが先勝を祝い戦利品で建てたと言われていて、周りの壁にはアポロン神への献辞が彫りこまれている。
復元想像図と上から見たところ。
左手に博物館で見たナクソス人のスフィンクスが置かれていた場所を見ながら進んでいくとアテネ人の柱廊と呼ばれる場所がある。元々は、7本の円柱が屋根を支えていたが残っているのは3本だけです。ここに、サラミス島の海戦でペルシアに圧勝した時の戦利品が並べられていたらしい。
90度回るとアポロン神殿に向かう階段がある。
長さ60m、幅23m、38本のドリア式列柱が前室、内室、外室を取り囲んでいる。内室にはアポロン像が立っており、前室の地下にあるオンファロスの上で神託が行われた。
遺跡は、柱と土台部分しか残っていないが、紀元前370年頃のものだといわれている。
神託を受ける祈願者は、テロノと呼ばれた祈願料を払うとアポロンの祭壇に近づくことが許される。そして、ヤギやイノシシといった生贄をささげる。
カスタリアの泉で身を清めた巫女は「大地のへそ、オンファロス」に身を屈める。
神託は、地下中央の岩の裂け目の上の三脚台の上に座った巫女が、月桂樹の葉をかみながら予言を待つ。
やがて霊気を帯びた蒸気が立ち込め、それを吸った巫女失神状態になりながら予言を口走る。
その言葉を巫女の横にいた神官が記録して依頼者に伝えたという。
最初巫女は、若い女性だったのだが、後には50歳以上の女性が選ばれるようになったというが、神殿も火災や戦乱に何度も破壊されているので確実なところはわかっていないようだ。
ここから入っていったのだろうか?
神殿の近くにある柱。この上にも何か彫刻が置かれていたのだろう。
神殿の脇を通ってさらに登っていくと劇場に出る。
紀元前4世紀、岩盤を削って造られたもので、観客5000人を収容できた。ギリシャ内でも保存所帯がいいものの一つです。
デルフィでは、「ピュティア祭」と呼ばれるオリンピックと同様4年に一度開かれる競技大会が開催されていた。音楽、文芸の神アポロンにちなんで詩、演劇、演説、音楽がこの劇場で開催されていましたが、やがて陸上競技、戦車競走なども盛んになっていった。
こうしてデルフィは、文化、体育を通じて都市間の交流の場となっていった。
さらに登っていくと競技場がありました。
昼食の後には、アテナ・プロナイアン神域もたずねました。円形の建物を20本の柱が取り囲んでいるトロスは、紀元前380年に建てられたといわれているが、目的と用途はわかっていません。
アポロンの聖域を参詣する人たちはまずここに立ち寄り、カスタリアの泉に身を清めに行ったといわれている。
この後は、アテネに向かってバスは走る。その距離200km。