旧市街に入る手前のスミス山には、島に残るわずかな古代遺跡の1つがある。規模は大きくなく、馬蹄形の古代スタジアム、古代劇場、アポロン神殿が残っているくらいです。

 アポロン神殿
 
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 破風の下の部分

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 復元された珍しい四角形の古代劇場

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 スタジアム

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 ロドスタウンまでやって来ました。島の北部に位置していて島の中心地である。紀元前4世紀頃築かれたが、今のような姿になったのはヨハネ騎士団の時代だ。
 1522年以降は、トルコ人の支配が20世紀初頭まで続く。1908年反旗を翻したものの第一次世界大戦が勃発し、イタリアの支配下に置かれるようになった。
 第2次大戦中にはイギリスの軍の侵攻もありドデカ二サ諸島がギリシャに返還されたのは、第2次大戦終結後のことだ。

 城壁は、14世紀に建設され長さ約5kmにも及ぶ。夏になると、城壁ツアーが開催されるとのこと。

 
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 堀に架かった橋の上で少年がアコーディオンをひいていた。

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 ここから入ります。アンボイス門。

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 この辺りには、似顔絵かきや大道芸人達が集まってくるそうですが、この日はそれほどでもなかった。
木陰が気持ちのいいこと!

 
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 大砲が覗いている。当時もこうして侵入者を撃退したのだろうか。

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 これから入場しようとしている騎士団長の館の外壁。14世紀に建てられ、たびたび地震や戦火で破壊されたが、イタリア人によって修復された。砦といった感じで地下には、食糧貯蔵庫もあるそうです。

 
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 聖ヨハネ騎士団だが、ロドス出身ではなく、エルサレムから移住してきた。ヨーロッパの騎士団と違い彼等の歴史は苦難に満ちたものだった。彼らの祖先は医療関係者で、エルサレムに1408年に建てられた聖ヨハネ病院を維持、発展させるために活動を開始したのが始まりらしい。
 慈善を目的として発足したのだが、第一次十字軍がやってくるころには軍事的な宗教騎士団となっていた。
その後、イスラム軍に追われるようにしてキプロス・ロドスへと退いていく。
 1308年にはロドス島全体を支配し、16世紀初頭まで、病院(今の博物館)を建てて慈善運動を進める傍ら、交易で繁栄してゆく。
 しかし、1522年、侵攻してきたトルコ軍に敗れ、わずかに生き残った騎士団の放浪が始まったのだ。結局、1530年マルタに落ち着き、ナポレオンに占領されるまでキリスト教のためにイスラム軍とたたかったのだ。
 マルタにおける騎士団のことは、マルタとキプロスで紹介しました。
 
 敗れ去ったもののロドスの旧市街の中世の街並みは、ほとんど彼らが残していったものである。

 騎士団長の宮殿の中庭。

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 この大階段を上って2階へと進みます。

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 ムッソリーニが一時別荘として使用したこともあるという宮殿には、ローマ時代のモザイクが敷かれており、家具も16世紀から17世紀の西洋家具がコレクションされています。

 ラオコーン像

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 おなじみのモザイク。

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同じ題材が好まれたことがよくわかります。

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シャンデリアも素晴らしいものがたくさんありましたが、個人的にこれが一番好きです。

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 この家具は、当時のままだそうです。

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 大きくはないですが教会もあります。その教会の大理石の窓がとてもすてきでした。薄くへいで嵌めてあるので光が透けて入ってくる。模様が浮き上がり柔らかな感じでした。

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 外に出ると太陽の光がわっと攻めてくる気がします。眩しいよう。