サンタ・クララに人々が集まってくるのは、ゲバラの霊廟があるからだ。

 彼は、キューバの革命が成功したのちも、国際的な革命闘争に参加するためにコンゴなどに向かう。
そののち、一旦ラテンアメリカに戻り、変装をしてボリビアに渡った。

 1967年、ボリビア政府軍との闘争のでつかまり、10月9日銃殺された。39歳であった。
没後20年の記念に1987年ゲバラの銅像と、同じく戦闘で亡くなった38人の慰霊を込めて38の石を安置した霊廟が、革命の勝利の突破口となったこのサンタ・クララに建てられた。

 その後、1997年にボリビアでゲバラの遺骨が発見され、カストロの手でこの地に納められた。

 博物館もあり、彼の子供のころからの写真や身につけていたもの、変装した写真などを見ることができる。

 霊廟に入るための行列ができている。すべての荷物帽子も持ち込みはできないので日差しが身に応えます。

 漸く順番が回って来て中に入る。クーラーが効いていて別天地の様です。最初に犠牲になった方々の写真が展示してある霊廟を見て、博物館に向かった。

 そしてカメラを手にもう一度記念碑に向かう。外側は撮影OKなのだ。

 
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 台座の文字は、彼の名言「常に勝利に向かって」と書かれている。

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 この後向かったレストランは、時間が決まっている。ここに観光に来たバスは、皆ここで食べるのではないかと思うくらいの人だ。
 順番が来るまでここでも30分ほど待たされた。

 
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 昼食の後は、革命の成功へのきっかけとなった装甲車襲撃の場所に向かいます。

 モニュメントが残されていた。1958年12月29日、ゲバラ指揮する革命軍はここで、バティスタ政権の装甲車を襲撃し多くの武器を奪った。
 この結果バティスタは亡命を決意し、ドミニカへと逃れ、
1959年1月1日革命軍が勝利を果たしたのだった。

 
 
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 線路がすぐ横にある。ここを走っていた列車を転覆させたのだ。

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 地元の人が、人民ペソを手に近づいてきます。ゲバラの肖像画が描かれているので買ってほしいという。
 仲間の1人が購入されたので、お願いして写真を撮らせていただきました。

 
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 これで今日の観光は終わりだ。北西に向かって大西洋に面したキューバ最大のリゾート地バラデロに向かいます。バラデロでは2泊なのでトラブルのないホテルでありますように・・・・。

 途中の休憩場所にかわいらしい列車が保存してありました。砂糖を運んだのでしょうか?

 
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 ふと遠くに目を向けると、サトウキビ畑の手前を馬と男性が・・・・。いいなあこんな光景。

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 ホテルはともかくでかい!敷地内に2つのホテルが建っていて、宿泊客はどちらの施設を使っても構わない。海もすぐで立地的には申し分ない。

 ここでも腕にリストバンドをはめてもらいます。

 庭に点在しているコテージが我々の部屋だ。鍵を開けてはいると何とダブルベッドだ。我々は女性2人で相部屋になったというだけの関係だ。
 できるならツインがいい。で、添乗員さんに変えてもらえるよう手配したのだが、この日のホテル側の部屋の割り当ては何かが変だった。

 1人部屋の人が3っつのベッドがある、けれどもカギが壊れていて外に出られなくなった。要は1人参加の人が複数のベッドで、カップルのものが1つのベッドという具合なのだ。

 添乗員さんは、これらをホテル側に伝えたり、1人部屋の人と2人組の人の部屋を交換してもらったりするも、なかなか部屋が決まらない。
 夕食のバイキングは、9時までに入って欲しいというので取りあえずレストランに向かいその間に解決ができていればいいなあということになった。

 部屋は変えてもらえて、スーツケースもちゃんと置かれていたのだが、ここで再び問題発生!キッチンの排水が全く効いていなくて、蛇口の水があふれて水浸しになってしまった。

 幸いメゾネットタイプだったので、2階の居住部分には被害が無かったので、明日までこのままにしておこうという結論になった。

 明日は、午後からは自由時間だ。

 なんか今日も変な疲労感が・・・