好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2007年04月

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 ガイドの、高橋さんという方は、日本の方で九州出身だという。炭鉱で暮らしていたのだが、斜陽になってきたため、思い切って家族でこちらに移住したのだという。そのとき彼は、14歳。それから45年今は安定した暮らしを手に入れられたが、ずいぶん苦労をされたそうだ。移住なんてずーっと昔の話だと思っていたが、目の前で実際に体験された人の話を聞くと、そんなに昔のことではなかったんだと思う。
 彼は、暮らしていくためにピューマをしとめたり、ワニを取ったりしてその毛皮を売ったりしたそうだ。そのときに負った怪我の傷跡が、今も生々しく右手に残っていた。
 初めて、日本に里帰りをする時、もうワシントン条約があり、トランク一杯に詰めた毛皮は、見つかれば没収というところだったが、税関の人はまっすぐ彼の目を見て、「初めての里帰りですか。ご苦労様でした」とこえをかけたのだそうだ。トランクについては、何も言われなかったとか・・・。私は、案外税関の人は、怪しいなあと思っても敢えて開けてくれとは言わなかったんでは、と思うのだが・・・。

 早起きして、ミニ動物園にいってみた。鳥やサルに混じって、1頭だけピューマがいた。やはり、猫科の動物はかっこいいなあ!

 観光のスタートは、市場からだ。マナウスが、ゴム景気で、沸いていたころパリのレアール市場を模して作られたのだそうで、今も外観はそのまま残っている。お金儲けにためにやってきたもののやはり母国が懐かしかったのだろうねえ。
 中には、昨日食べたピラルクの切り身や、干物も売られていた。お土産コーナーの方で、コーヒーを買う。今回は、各国でコーヒーを買って来ているのだ。

 お次は、アマゾナス劇場だ。ここは、ドームがブラジル国旗を模して作られている。ピンク色の外観の変わった雰囲気の建物である。が、中に入ると、ミニオペラ座といった本格的なホールである。
これ1つとっても、この地がゴムによって栄えたか良くわかる。創建は、1896年、鉄柱はイギリス・大理石はイタリア・イスはオーストリア・シャンデリアと天井がはパリから、という風に当時の一流のものをヨーロッパから取り寄せて作られたのだという。けれども、ハードはできたもののオペラ歌手といったソフト部門の供給には苦労をしたとか、破格の出演料を払ってヨーロッパから呼び寄せたのだそうだ。
 この日は、たまたまオーケストラが練習をしていたので、音響も確かめることができた。
近くにある、カテドラルやサンセバスチャン広場を散策してバスに戻った。

 バスは、日本人が始めて移住したという地の中にある、自然博物館へと進んできた。ここは、日本人が経営している博物館で、魚や昆虫の剥製が系統立てて展示されている。ピラルクが2匹悠々とはいかないが、狭い水槽の中で泳いでいた。でもかっこいいなあ!大きな魚が泳いでいるのを見ていると、気分がゆったりしてきて、スーッとする。
 生きていたら、きっと高値で売買されるのだろうなあなんて、カブトムシを見ながら思ってしまった。

 このあとは、空港に向かうのだ。今日の昼食は、機内食となっているのだが、今までの例からしてたいしたものは出されないだろうから、ホテルの朝食の時パンか果物をちょっと余分に持ってきてくださいと、添乗員から言われている。

 空港にいって見ないとわからない、南米のエアー会社。本当に恐怖だ。
うまくいけば、今日の夜には、リオデジャネイロにつけるのだが・・・・。

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 今日もホテルを、5時過ぎには出た。周りはまだ真っ暗だ。着いた空港は、ブラジル側のイグアス空港だ。こちらは、イグアスの玄関らしくきれいだ。

 心配していたストは、回避されたらしいのだが、定刻どおりにテイク・オフとはいかず、遅れて出発。マナウスまでは、直行便はないのでサンパウロ経由である。
 機体の写真を立っていたら、注意されている人がいた。「あ!ここはまずいんだ」と思って、早々にカメラをしまう。全員揃ったと思ったら、添乗員があわててもどっていってしまった。又戻ってきて、「Sさんが写真を撮っているのを注意されたのに、反対に係員を押したのですよね。怒って飛行機に乗せないといっているんです。これから交渉しますけれど、最悪皆様方だけで行って頂く事になるかもしれません」「なにーーーー」大体このSさんという人、今までも単独行動が目立ち、何となく回りの顰蹙を買っていたのよね。で、彼に同情はないのだけれど、添乗員無しでいくのは、いやだなー・・・・。
 5分ほどして、2人で戻ってきた。「向こうの警察に出頭するということで、許してもらいました。空港について、ポリスがいたら出頭しなければならないかも、まあたぶん連絡しないと思うので大丈夫だとは思うんですけどね」ということ、一件落着となった。
 ところが、Sさんお詫びも言わないのよね。なんか大人じゃないなあ、点数又下がるよ!

 乗り換えのサンパウロの空港のややこしいこと、おまけに乗り場が2回も変わるというおまけまでついてくる。アナウンスも、ポルトガル語で言われるので、英語のアナウンスも周りがうるさくていまいち聞き取れないし、結局我々のチケットを見ていたいおじさんが親切に教えてくれて、一同ぞろぞろと大移動だ。本当に、飛行機関係はここでは鬼門である。

 結局、マナウスには1時間遅れくらいで、つくことができた。これくらいはここでは定刻というのだろうな。Sさんも、ポリスに連れて行かれなくて済みました。

 早速バスに乗って、アマゾンクルーズを始める港へと向かう。港とはいっても、「何処が?」といってところで、メルヘンチックな船に乗り込むのも、脇に渡した板を上っていくという感じだ。
 まず船は、アマゾンとネグロ川の合流地点をめざす。この2本の川は、何故か交じり合わなくて、はっきり色の違いがわかるのだという。なるほど、見てびっくり。本当に混ざっていない、ブラックコーヒーとカフェオレといった感じだ。何故交じり合わないかというのは、水質・水温・流れの速度の違いなどからきているらしい。
 ここからは、船に1時間ほど揺られていく。着いたところが今日の昼食のレストランだった。ここでは、名物の、巨大魚ピラルクを色々な料理方法で調理されたものを食した。淡白でどれもおいしかったのだが、個人的には香草と一緒に煮たものが気に入った。
 デザートに、完熟マンゴーとパイナップルをいただいたのだが、人生今までに中で一番おいしかった。うーん、満腹じゃ!
 さてこの後は、小船に別れて乗り込みアマゾン川の支流へと入っていく。そして、楽しみなピラニア釣りも体験することになっている。
 ジャングルというと思い浮かべるような、大木が茂っている間を船は進んでいく。どこかで、鳥の甲高い鳴き声なども聞こえてくる。他の動物には残念ながらあえなかったが、気分は探検隊だ。

 ピラニアは、目がとても悪い代わりに音には敏感だという。なので、小魚がおぼれているような音を、水面をたたいてだし、勘違いして寄ってきた魚を、牛の肉で釣るのだ。
最初に、現地の人が見本を示してくれる。さあ、それを見たあと、いよいよ一人で挑戦だ。当たりを感じてからの引き上げのタイミングがコツがいる。何度も失敗をした後、やっとうまく引き上げることに成功した!「うーん、めちゃういれしいわあ」
 結果、3匹釣れました。思ったより楽しかったよ。一旦、レストランに戻って、全員の成果を披露した。20匹以上有ったのでは・・・。
 これは、後でから揚げにして皆でいただきました。骨がちょっと気になるけれど、淡白でビールに良くあいましたよ。
 
 ホテルには、船で向かうのだという。ホテル専用の桟橋があると聞いたので、どんな立派なものかと思っていたら、ぼろぼろだったので笑えてしまった。
  このホテルには、ミニ動物園があるので、明日出発前に見てみよう。
  

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 午後からは、アルゼンチンに入国して、違う角度からのイグアスの観光を楽しむ。
何度も、イミグレのチェックを受けるのは無駄だと思うのだが、アルゼンチン側のみこういう仕組みになっているようだ。

 「悪魔ののど笛」を真上から見るためには、トロッコ列車に乗っていかなければならない。待っていると、かわいらしい列車がやってきたので、それに乗り込む。
 終点駅から、片道30分もかからないくらいの遊歩道を、歩くと「悪魔ののど笛」の真上に出る。
圧倒的な迫力の前に、言葉が出てこない。皆寡黙になっている。この名前の由来は、ここから下に落ちるとばらばらになってしまい、まるで悪魔に食べられてしまうようなので、この名がついたのだという。実際には、ここから飛び込む人はいないそうなのだが・・・。大自然の迫力を目の当たりにすると、人は死のうなんて考えなくなってしまうのかも・・・。
 ひたすら滝だけを見て、時間を過ごす。どれだけ見ていても、飽きないから不思議だ。添乗員が、最後まで残っていた私を促したので、しぶしぶ後にする。

 帰りは、途中駅で下車して、他の滝を見て歩く。眼下には、果敢に滝つぼにアタックしている船の姿も見られる。私もやりたいなあーと思いながら、そこはツアーなので・・・・。
 昨日順調についていたら、時間があったのに・・・なんて。

 滝には様々な名前がついているが、それらはここで働いていた森林警察や、植物学者の名前だそうだ。

 最後は、3国国境地点へと向かった。パラナ川とイグアスの滝が流れ込む合流地点が、パラグアイ・アルゼンチン・ブラジルの3国が交わる地点になっているのだ。アルゼンチン側に立っているので、対岸にはパラグアイとブラジルの国を見ることになる。川の真ん中が、国境というわけではなくて、一番深いところが国境となるのだそうだ。

 ホテルに戻ってきたころには、ちょうど見事な夕焼けだったので、展望塔に登ってみた。見事な、夕日が滝の向こう側に沈んでいった。

 明日は、アマゾンへ行くのだが、聞いたところによると、ブラジル軍隊の管制官が、待遇改善を要求して、昨日からストライキをしているのだという。終息に向かうとは思うのだが、そればかりは明日になってみなければわからないという。
 「エー!又飛行機のトラブルなの。もう勘弁してよねえ!」

 神様仏様、どうか明日のストライキは行われませんように!

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 快晴!今日は、昨日の分も楽しむぞー!!!

 ホテルは、国立公園の中にあって、昔は国の建物だったのを、民間のホテルが買い上げてホテルとして開業したのだそうだ。ダイアナ妃も泊まったという。外観は、教会のようで色もピンク色と中々素敵な感じだった。何しろ昨夜は、真っ暗で何も見えなかったのだから・・・。
 木々が育ちすぎて、今は客室からは滝が望めなくなってしまったのだが、昔は旧舘に泊まると、部屋から滝が望めたのだそうだ。

 それでも、足を一歩進めると、目の前に滝が顔を出しているという抜群のロケーションである。
ここに宿泊すると、国立公園が開園する前に、滝の展望台まで散歩できるので、ゆっくり見られるというメリットがある。

 私達もその恩恵にあずかって、8時ころから遊歩道を歩き始めた。歩いているのは、私達と他の宿泊客2・3人というまさに独り占めという感じだ。
 見たこともない蝶がでむかえてくれるし、そらには、コンドルが悠々と飛び目を楽しませてくれる。
少しでも滝が見えると、もううれしくて仕方がない。

 滝の、雄大さは圧倒的にアルゼンチン側からの方が、感じられるのだが。ブラジル側からの良い点は、滝の全貌が見渡せることだ。イグアスは、全長4km滝の数大小合わせて300、落差80m、1億2000万年前には、もうできていたといわれている。

 悪魔ののど笛を、正面から望めるというポイントに近づいていくと、滝の音が聞こえてきた。橋が滝のすぐそばまでかけられていて、本当に水しぶきが飛んでくる。

 その圧倒的な大きさにしばし、唖然・・・。

 滝の中にイワツバメが飛び込んでいくのが、横から見ていると良くわかる。「良くこんな滝の中に・・」と感心してしまう。

 ここから一気にエレベーターで地上に上がると、バスが待っていた。それに乗り込み、今度は世界最大のイタイプーダムへと向かった。1966年、建設が決まり、1977年着工、1984年に送電を開始した。工事期間30年の間に町の人口は、9倍に膨れ上がったというからさぞかしダム景気に町は沸いたのだろう。1991年に、全18基のタービンが完成した。すべてが電気ののために作られたこのダムの総電力供給量は、1260万KW、これはイグアスの滝の落ちるエネルギーの40倍だという。
 アルゼンチン・ブラジル・パラグアイの3国にまたがって作られており、パラグアイはブラジルからの借金を電力の供給で返しているのだという。この借金を返し終わった後には、すべての電力を輸出できるわけで、中東のクウェートのように、大金持ちの国になるのではないかといわれているのだそうだ。
 広すぎて、歩いて回るわけには行かないので、バスで巡回していく。途中、1ッ箇所で見学の為下車ができる。

 この見学の後、イタリアンレストランで昼食となった。ブラジル風イタリアンということだったが、テーブルの上にはいくつもの料理がのった子皿が並べられて、中々おいしかった。

 この後一旦、ブラジルを出国して、アルゼンチン側へと向かう。

 最後の写真は、ホテルの前でうろついていたアナグマです。

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 市内観光も終わり、いざ空港へ!

 ここは団体チェックインはだめだというので、一人づつ並んでチェックインを受けました。
渡された、ボーディングパスは、まるでレシートだ。なくしてしまいそうだよー。

 外を見ると、雨に加えて風まで出てきている。この時点で、少し飛行機は遅れてくるようですとの情報歯がいってきた。大体において、南米のこの辺りでは、エアーは、3角形の運行をしているところが多いのだ。3都市を結んで運行しているので、一旦遅れだすとその遅れは拡大していくのみで、取り戻すことは無理。おまけに、遅れてやってく乗客やら何やらで、定刻通りに出発することなんてないのだそうだ。

 ゲートのある待合室に、入って出発ゲートを確認。ふと、目をイスの方に向けたら、先に飛び立っているはずの、旅とものツアーの人達がうんざりした格好で、寝そべっていた。彼らは、我々よりも一足も二足もホテルを先に出発したはずではないか!いやーな予感が(ーー;)

 このあと、飛行機は遅れに遅れて、いつ飛び立つのかわからないような状態になってきた。ちんたらと、乗客は、はけているところを見ると、イグアス行きが大幅に遅れているように思える。

 機内食での昼食ということになっていたので、お腹は空いてくるし、やることはないしで、温厚なツアーの人達にも、怒りの影が・・・。
 添乗員は、そんな雰囲気を感じているのだろう。色々駆けずり回ってくれて、チキンと飲み物を差し入れてくれたのだが、皆お義理で口に運ぶものの、疲労と怒りの気持ちを紛らわすことはできない。
 本当なら今頃は、イグアスで・・・なんて仕方のないことを考えてしまう。

 そのとき、空港内に異様な音が響き渡った!!!あまりに、待たされるので、慣れている現地の人達の怒りもついに爆発したのだ。床を踏み鳴らして、係員に詰め寄っているのだ。ちょっと聞くだけだと、誰かを歓迎しているようにも聞こえるほどの、騒ぎとなってきた。この調子では、飛び立たないかもしれないなんてこともあるかもしれない。それだけは避けたいなあ!

 更に試練の時は続き、やっとゲート案内の表示板に我々の乗る機のゲート番号が現れた。
なんと、20時過ぎだという!
 でも、これでイグアスにいけるのかと思うと、何となくほっとする。添乗員の説明によると、我々の飛行機が最後の出発で、この後の便の人建ちは、ブエノスに泊まることになったのだそうだ!

 機体が離陸したのが、21時過ぎイグアスの空港に着いたのが22時50分だった!なんと、予定より、8時間以上も遅れたことになる。セキュリティを通ってから、10時間ぶりに地上に降り立った。

 ところが、イグアスの空港は想像していたのと違って、えらく小さい・・・。「???」こたえは、イグアスには2つ空港があって、メインなのは、ブラジル側、ここは、アルゼンチン側の空港なのだった。道理で、出国手続きしなかったわけだよ。
 迎えに来たバスは、ぼろぼろで「えー!」というようなものだったのだが、このバスはすぐに降りることになった。何でも、アルゼンチンのバスを使用しなければならない規則になっているのだそうだ。めんどうなことであるなあ。
 といううわけで、うんざりしながらイミグレをすぎたところで、バスを乗り換えた。出国・入国手続きが代表で済んだのは良かった。係官の気分では、一人づつという事もあるらしいから、これ以上ご難続きはごめんである。

 やっとのことで、ホテルに到着。このホテルは、目の前がイグアスの滝という絶好のロケーションに有るのだが、真っ暗で何も見えない。
 それでも、ホテル側の用意してくれた夕食はとてもおいしく、ゆっくり味わえないのはとても残念だった。もう日付は、超えてしまっているのだから、食欲も失せてしまうのは無理もないことだよね。
  部屋に、はいって眠りについたのは、2時近かったと思うなあ!

 今日もお疲れ様でした。

 真ん中の写真は、ブエノスの会員制の釣りクラブの建物ですって!きれいでしょ。

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 起きて外を見たら、あいにくの雨降り。

 昨日できなかった市内観光に出発である。
 バスの中から、コロン劇場が見えた。今は、修理中なので美しい姿とはいかず、残念!
この劇場は、世界3大劇場の一つである。後の2つは、パリのオペラ座とミラノのスカラ座だ。
こんな南米の地に、・・・と思ってしまった。地下3階まであり、ここで大道具・小道具、衣装まですべて作られるのだそうだ。
 5月広場に面したカテドラルに入る。ミサ中だったので、静かに静かに・・・。この広場の周りには、元の市庁舎や、ピンクハウスと呼ばれる大統領官邸などもある。ホワイトハウスをもじって、ピンクハウスと呼ばれるのだが、本当にピンク色をしている。これは、昔この辺りが森だったころ虫除けに、牛の血と石灰を混ぜたものを塗ったので、こう呼ばれるようになったのだという。

 雨にぼんやりと、街灯が浮かんでいるところなど、ヨーロッパそのものである。

 バスは、ボカ地区というところに進んでいく。ここには、ボカサッカースタジアムがあり、ここでマラドーナが活躍していたのだそうだ。

 次に向かった、カミニート地区は、アルゼンチンタンゴ発祥の地である。そして、イタリア移民が最初に上陸した港が有る所でもある。移民達は、船のペンキの残りで建物を塗ったので、とてもカラフルな街並みになったと言うことだ。
 酒場の似合う街だ。母を尋ねて3000里のマルコも、ここに上陸したんだって!

 ここで私は、手書きの水彩画を1枚買いました。街をぶらついていて、ぷらっと立ち寄ったお店で、其処のご主人が、日本びいきな人だったので、話が弾んで記念に購入したのだ。
 
 この辺りから雨脚は、どんどん強くなり、とても散策をするという雰囲気でなないので、バスの中から街を見て歩くだけになってしまった。

 そしてこの雨がとんでもない事態をもたらすことになってしまった。

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 今日は、移動日。午後にブエノスアイレスでの市内観光が予定されているが、どうなることやら。

 リコンファームしておいても、こちらのエアーは簡単にWブッキングをしてしまうというので、8:30発の飛行機なのだが、ホテルを出たのは5:45だった。

 空港は、市内より更に高いところにある。4000m超えていると思う。

 ところがついた時点でもう、遅れが出ていることが判明!こんなことならホテルを出る前に、問いあわせてくれればいいのに・・・なんて。思う

 国際空港といっても、小さなもので免税店なってものはない。小さなショップが少しあるだけなので、時間の潰しようがないのだ。薄ら寒いので、待っているうちに耳がキーンといい始めた。一瞬だけ全く回りの声が聞こえなくなってしまった。でもしばらくしたら、おさまってので、気にもし無かったのだが、帰国してから、こんな事になるとは夢にも思わなかった!

 やっと、セキュリティチェックを受け中に入る事ができたのはいいが、今度は坐る場所がない。どの飛行機も、軒並み遅れているので乗客があふれているのだ。


 おまけに、工事中とあって、ブルーシートを張っただけの待合室は寒くて仕方がない。

 遅れること、1時間半以上、なんと空港に4時間以上もカンヅメになっていたというわけだ。ところが試練はこれでは終らなかった。この便は、サンタクルス行きなので、其処で乗り換えなければならない。
 サンタクルスに着いて其処で出国手続きをするというわけである。ところが大幅に出発便が遅れたので、乗り継ぎは大丈夫かなと思って心配していたのだが、乗り継ぎ便もちゃんと遅れて到着したので間に合った、というよりもかえって待たされたくらいだ。一体こちらの、エアーはどうなっているのだろう。観光で、潤っていこうと思ったら、まずこの状態を改善しないと事はうまく進まないだろうなあと、つくづく思った。
 サンタクルスは、ラパスと比べるとかなり暑い。飛行機を降りた途端、空気がむっとする。でも、これでもう高地からは解放されたわけだ。

 結局ブエノスアイレスに着いたのは、6時近かった。やはり、観光はキャンセルで明日の自由時間は、飛んでいってしまった。
 ブエノスは、南米のパリといわれていて、白人が人口の殆どを占めていると聞く。街並みも、ヨーロッパそのものである。移住してきたヨーロッパの人達が、自分立ちの町並みをそのまま再現して住んだのでこのように、なったのだそうだ。イギリス・フランス・イタリア・スペインそれぞれのお国振りが感じられる街なのだそうだ。

 100m以上ある、広い道路が走っていて、片側9車線で世界で一番広い道路なのだそうだ。
オベリスク・噴水・銅像などが緑地帯に作ってあった。
 しばらく、ネオンを見ていなかったので、きらきらとネオンに輝く街を見ているだけで、なんだか大都会に戻ってきたような気がした。正直どこかでほっとした気分も・・・・。

 ホテルは、近代的できれいなところだったが、ゆっくりする間も無く、タンゴショーへと出発だ。先に食事をとった後、隣の建物に移動してそこで、ショーを楽しむのだという。今日の、夕食にはワインもボトルでサービスされ、おまけに飲み放題である。赤と白両方を比較してみたのだが、個人的にはあっさりしすぎているような・・・。まあ個人の好みの問題なのだが。アルゼンチンは、牧畜が盛んな国なので、おいしいお肉も食べられたようだ。私はお肉は苦手なのでパスして、グラタンをいただいたのだが、これもとてもおいしかった。

 タンゴショーは、歌あり・楽器あり・ダンスありでとても楽しめた。80歳をすぎた女性ボーカルには、その人の人生が歌の中からあふれてくるようで、人間はちゃんと生きていると、こういう風に年を取れるのだなあとしみじみ思った。

 アルゼンチンタンゴは、普段TVなどで見るものとは少し違っていたが、あれは競技用にアレンジされたもので、このショーのようなものが本来のものかもしれない。詳しくないので、ここでせつめいできないのだが。

 多いに楽しんで、昼間の飛行機のトラブルを解消できたようだった。ホテルに戻ったのは、日付が変わっていた。そうそう時差があるので、ここで時計は1時間ボリビアより進めなければ行けないのだ。

 今日は殆ど移動のみだったので、中の2枚以外は、ラパスの写真です。

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 朝食前に、散歩に出掛けた。坂を上って、古い植民地時代の建物が、今は博物館美術館として開放されているという、その名も美術館どおりへと向かった。

 通勤時間帯なので、車で狭い通りはぎっしりである。ただ横断は狭いのですぐに渡れる。

 目指した通りは、きれいにペイントされていて、其処だけ見ているとスペインのようだ。石畳が続いていて、雰囲気の有る通りに仕上がっている。ここは自由時間にもう一度、来てみよう!

 下って、サンフランシスコ教会へいく。この教会は、スペインの植民地化が始まってすぐに建てられたもので、壮大な建物だ。中に入ってみると、お祈りをささげている人々もあちらこちらに・・・。
 この教会の前の広場には、物売りや靴磨きがたくさんいて、もっともラパスらしい雰囲気を味わえるところなのだそうだ。教会の後ろには、山のほうに向かってびっしりと建物が隙ま無く並んでいるのが見える。教会横の急な坂に挑戦して上がってみたのだが、狭いうえに車が数珠繋ぎで、くたびれてしまう。
それでなくても酸素が少ないせいか、集中力が欠けているような気がするの出そうそうに退散してしまった。

 市内観光は、ムリリョ広場から始まった。この広場は、独立戦争の立役者であるムリリョの銅像が真ん中にあるのでこう呼ばれているのだろう。広場を中心にして、イタリアルネサンス様式の大統領官邸、ネオクラシック様式のカテドラル、他にも外務省・県庁・国会議事堂などといった主要な建物が集まっている。カテドラルの横には、衛兵に守られてサンタクルス大統領の、廟もあった。
 市内を一望できるキリキリ峠に立ち寄った後、普通の人達の買い物をするという市場に連れて行ってもらった。買い物をしないでいるので、怒られた人も居たそうだが。ここで、岩塩と香辛料などの買い物をした。干しジャガイモなんていう、変わった食材もあった。
 バスは、この後新市街へと向かう。新市街に入ると、街の様子は一変して、ヨーロッパのような感じになって来た。通りの真ん中は緑地帯になっているし、道幅もかなり広く、きれいなビルに囲まれている。

 日本大使館の近くにある日本食レストランで、昼食となった。その名も、「ニュートーキョー」である。ここはガイドのお兄さんが経営しているのだそうだ。
出されたものも、おひたし・漬物・味噌汁・てんぷら・焼き魚といった定食メニューだった。デザートは、お汁粉、でも一番おいしかったのは、温かい日本茶だった。

 最後は、奇岩のあるという月の谷という、なんだかよくわからないところに連れて行かれた。
宇宙飛行士が月の風景に似ているといったので、こう名づけられたのだそうだが、個人的には趣味ではなかった・・かな。

 自由時間に、美術館と博物館へ行く。美術館はスペイン時代の建物をそのまま使っている。中庭がとてもきれいだ。博物館で、インディオたちの羽飾りを見た。冠・乗り物の装飾・おもちゃ・衣服あらゆるものが羽で作られており、同じ大きさの羽を集めるだけでも、相当の労力がかかったと思われ、感激してしまった。きれいに染色されているので、色の褪色を防ぐ為に極端に灯りがおとされていて、写真にきれいに収められなかったのは、少し残念だ。でも、ラパスに来てよかったと思ったのは、羽飾りを見た瞬間だった。

 
 

 

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