好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2008年03月

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 今日はいよいよユーフラテス川を見ることが出来る。

 歴史で、耳にたこができるほど馴染んでしまっている河だが、もちろん見るのは初めてである。

 途中ルサファという遺跡に立ち寄った。

 ここまで来ると観光客など誰もいない。我々だけである。見渡す限り、砂・砂・砂!
 遺跡の半分くらいが埋もれてしまっている。

 まだ発掘も殆ど進んでいないとのことだ。

 東西南北500mくらいの広さの遺跡で、もともとはローマのディオクレアヌス帝が、ペルシアに対する前線基地として建設したものだが、その後ローマのセルギウスがジュピター神を信仰しなかった為迫害されてここにこの場所で殉教死した。

 彼をしたう人びとがここに集まるようになり、ここは巡礼地として大いに栄えるようになって発展したとの事。

 今はただ廃墟と化しているが、城壁に囲まれた広大な土地は当時の姿を想像できる。

 ユーフラテス河から、導水路によって水を引き込んでいたので、砂漠の中に有りながら水は潤沢にあったようだ・今でも巨大な貯水槽がいくつも残っている。

 写真の、画は教会の復元図です。かなり想像をたくましくしないと・・・(笑)

 期待していなかった、このルサファの遺跡、私はとても気に入った。

 お昼は、レストランで名物のなまずの丸焼きをいただいた。なまずだけでなく、野菜も(トマト・きゅうり・ピーマン・にんじん・・・馬では無いぞ)デザートも(オレンジ・りんご・バナナ)みなまんまるのままテーブルの上にどんとおいていくんだもの・・・笑ってしまった。

 デーレ・ゾーレ博物館も、時間外であったが、渡す物を渡してあけてもらった。ここには、明日行くマリやドゥラエアロポリスの出土品が展示されていた。

 さて、いよいよユーフラテスに沈む夕日を見に行くのだが、残念ながら砂嵐なのか、太陽が出ているのかいないのかさえもはっきりしない。きれいな夕日は見られそうに無い。(>_<)

 橋を渡っていくと言うので行ってみると、あいにくの工事中で足場がすこぶる悪い。

 日本なら、絶対通行止めになるような感じなのだが、真ん中に穴をあけたまま平然と通行人を通している。何でもアッラーの神の思し召しで、落ちるも落ちないもインシャラーと言った所か・・・。

 なんて思っていたら自分がこけた!!!!!

 むき出しになっていた鉄筋に、ひっかかったのだ。河ばかりに気をとられていたのですっかり足元がお留守になっていたのだ。

 おもいっきり、前へべたっ!という感じでこけた。こけた時にとっさにカメラを持っている手を上げたのがいけなかったのか、足への衝撃はすごくて、いまだに完治していない(ーー;)

 残りの8日間、足を引きずるようにして歩いて回る羽目になったのだった。

 今回いつもよりしんどく感じたのは多分これが原因だと思う。

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 今日は、アレッポ市内の観光である。

 朝、ホテルのあたりを散歩してみるも、住宅地のど真ん中とあって何もおもしろい事はなし。

 ここで、第二のハプニング!

 ダマスカスで合流したばかりの女性が、帰国しなければならなくなったのだ。
 入院中の身内の方がなくなったのだそうである。昨日の夜から、ガイドと添乗員は現地の会社とチケットの手配であれこれ忙しかったようだ。朝になってもまだ、チケットが手配できず、彼女は一応チェックアウトして、市内観光は同行することになった。

 最初に向かったのは、アレッポ城である。市街地の丘の上にそびえたつ様に建っているこのお城は、かなり異様な感じがする。

 お堀がめぐらしてあるので、階段状になった橋を渡って入っていくのだが、こういう形態のものは初めてだ。昔は馬で、お城の奥の方まで乗り付けたのだそうである。馬の滑り止めがしっかり残っていた。

 お城の中には、宮殿の他に、モスクやハマム・地下牢・貯水槽などが残っている。中でもハマムはとても興味をそそられた。ドーム状の天井には、明かりとりの穴があいているのだが、そこから入って来る光が、ハマム内の水分に反応して虹のように、きらきらと輝くのを楽しんだのだそうだ。


 戦争や仕事で疲れた体を、ここで女性をはべらせて(?)虹色に輝く光に、一時心を和ませたのだろうか?

 場内の真ん中を走る通路を登りきった所からは、アレッポ市内が一望できる。

 アレッポ博物館には、マリ王国の遺跡から出土された女神の像や、エブラ遺跡からの出土された商業記録の記された粘土板、地中海に面した王国のウガリットからの出土品などが展示されていた。

 ウガリットの王様は、その粘土板にこんなことも記していた。

 「ここから西にとても栄えているマリという国があるらしい。私も、そこに行ってみたいものだ」と・・。

 昼食は、アルメニア人街でいただいた。独特の形をしたしたトルコ時代の家々があちらこちらに残っている。

 アレッポのスークは世界最古ともいわれている。屋根が石でできているのも特徴的である。

 ここでのお目当ては、アレッポ石鹸・・・。クレオパトラやゼノビア女王も愛用したといわれるオリーブ石鹸はぜひ試してみなくてはならない。

 迷子になるので、絶対個人行動はとってはいけないときつーくいわれているので、男性人にはきのどくではあるが・・・。

 私は2個買ったのだが、中には20個以上買われたいた方も!1個2ドル也。質の悪いのは1ドルでした。

 最高級のものは日本で、桐の箱に入って1万円以上するのだって!

 この間も、添乗員は帰国し無ければならなくなった彼女のチケット取りに余念が無く、暇ができると携帯で話していた。

 その甲斐があってか、3時頃にやっとトルコエアーのチケットを確保。今日中にタクシーでダマスカスに戻り、ホテルで少し休息した後、日本に向けて飛びたてる事になったようだ。

 何故知っているかと言うと、案内のイヤホンガイドをしたまましゃべっているので、皆聞こえてしまうのだ(笑)

 お疲れ様でした。

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 抜けるような青空である。

 朝の散歩に行く。ホテルの前に貴重なレバノン杉が植えてあるというので、見ていく。レバノンでも2000本位しか残っていないという(植林したものは除く)

 国境を再び越えてシリアに入り、十字軍の要塞であったクラックデシュバリエへと向かう。レバノンは、この3国の中では一番キリスト教徒が多いそうで、かのレバノン紛争もイスラム対キリスト教の主導権争いだという。バスの右側にはモスクが並び、左側には教会が並んでいるという村に入った時、ガイドさが「ここはまさに道を挟んで戦争が行われた所です」と言っていた。

 この中東の地は、有史以来石油が出る前から常に紛争や侵略や舞台となっているわけだが、こうして自分がその現場に立つと、不思議な感じを受ける。


 クラックデシュバリエは、地中海から攻めてきた十字軍が、山脈が切れるここしか無いというとても重要な地に、占領した後築き上げた要塞である。

 高いやまのうえに作られているので、要塞の上からはきれいに地中海までもがみえた。ここから、30kmも行かないで、海に出られるのだから、この地が攻めるも守るもとても大事な所だったことが良くわかった。

 昼食はここの中にあるレストランでとる。

 午後からは、内部の見学を済ませエブラへの遺跡とバスは向かう。

 途中巨大な水車のあることで有名なハマを通って行くので、せっかくだから見学していきましょうと言うことに・・・。

 バスから降りると、いきなり異臭が・・・・。

 今の時期極端に水が減っているので、水の循環がうまくいってい無いらしく悪臭は、水車のある辺りから来ていた。

 そばまで行くとその巨大さが良くわかる。ちょうど子供達の遠足とぶつかったようで、歓声があちこちで聞こえてくる。

 エブラに着いた時には、日が沈んだ後だった。もう30分もすればすっかり暗くなってしまうに違いない。遺跡の管理は、お土産を売っているおじさんがやっているようなので、おじさんに袖の下を渡したようである。

 ここまでやって来る日本人ツアーは、このS社だけ、反対にドイツ人は殆どのツアーがここを訪れるのだそうだ。何となくわかるなあ!

 実際何も無い・・。発掘も殆ど進んでいない状態である。図書館のあったところは白い土できれいに塗られている。ここは大規模な火災に有ったと言うが、貴重な粘土板は残った。

 この地を有名にしたのは、エブラ文書と言う楔形文字の刻まれた古文書が17000枚も見つかったからである。この文書は旧訳聖書の記述をうらづける貴重なものだったという。

 暗い中で、月や星の灯りのもと遺跡見学というのは、初めての体験でした。

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 家の近くに甘味やさんなのに何となくあやしいというか、不思議な雰囲気のお店がある。

 気にはなっていたのだけれど、敷居高かったんだよね・・・。

 で、今日のお昼ご飯外で食べようということになって、いつも行くところをのぞいたんだけれど、
 何故か何処のお店も満席(>_<)

 「どうしよう」とうろついていたら、その店が目に入った。

 「確かランチもやっていたよね・・・」

 彼は、日替わりを私は、ぜんざいを頼んだ。

 最初に出てきたのは、お盆に載った上品な砂糖でできた和菓子と桜湯・・・しかも桜湯の入っている茶碗には金つぎまで施してあった!

 最後には、どちらにもデザートとしてアイスクリームかコーヒーがついてきた。

 アイスは、自家製の桜アイスだったよ。

 メニュー自体は良くできていて、不思議でもなんでもなかったのだが、

 店員さんが全員(厨房の中の人は普通のお上さんだった)、おかまちゃんだった!!!!!

 ちょっとはげたひと、頭をちょんまげ風に結った小太りの人、スレンダーな一見女性と間違えてしまいそうな人の3人、おまけにお客の中の1人のおじさんも明らかにあちらの人とわかる言葉使い・・・

 なんだか期待通りで嬉しくなってしまった。

 やはりお店がかもし出していた雰囲気は・・・・。

 写真は、レバノンのお菓子です。

 このようにきれいに飾られていた。1個ではなくてキロ単位で買います。

 私達は朝の散歩の時に立ち寄ったお店で、2つばかり試食させてもらったのだけれど、ナッツがふんだんに使ってあって、超甘いけれどおいしかった。

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 ダマスカスの空港は、とても小さい。ビザは団体を現地で取得ということなので、幼稚園生みたいに皆おとなしく待っていた。

 他の日本人グループは、どんどん終わりさっさとイミグレを出ていくのに何故か我々だけはいつまで経っても許可が下りない。

 添乗員の曰く「この人、いつもの人では無いんで要領が悪くてすみませんねえ」、この添乗員リビアの人から結婚を申し込まれたというくらいのアラブ通である。よってイスラエルの添乗は一度もしたことがなく添乗の9割はアラブ諸国なのだそうだ・・・。

 後でわかったことなのだが、レバノンに行くので全員のパスポートのコピーを出せといってきたらしい。今までに一度もそんな要求をされたことが無いというところを見るとガイドの押しの弱さが露呈したというのが正しい見方かな・・・。

 ダマスカスから合流した1名を入れて早速国境までバスに乗り込んだ。ところが、手配されたバスがサロンカーだった。のったことが有る人ならわかると思うが、サロンカーは長距離移動には向かない。酔ってしまうからだ。第一危険だ。ぶんぶん飛ばすのだから・・・。

 今日は仕方が無いので、再度シリアに入国する時には、バスを変えて置くようにとガイドにリクエストをしておく。

 レバノンの国境でバスを乗り換えトイレも済ませた。

 緩衝地帯を走っていると不思議な光景に出会った。人が住んでいるのだ。だいたい緩衝地帯は、耕作地は有るが人家は無いのが普通である。レバノンは昔はシリアの一部だったので、こういう不思議なことがおきるのか知らん?

 入国にすっかり手間取ってしまったので、先にパールベックに向かうことになった。

 パールベックは、中東3大遺跡の1つである。バスはアンチレバノン山脈とレバノン山脈の間のベカン高原を走っているようである。レバノン山脈の西側には地中海が広がっている。

 スキーもできるということで、頂は真っ白!中東で雪山が有るなんて夢にも思わなかった。認識不足(ーー;)

 遺跡の見学の前にまず腹ごしらえをということで、この地の川で取れたますのグリルが出された。アラブの人々の調理法には、焼くというのが無いのでへたくそらしく、毎回1人くらいは生焼けの人がいるのだそうだ。期待にたがわず、今回も1人いたよ(*^_^*)

 レストランのまん前には遺跡が広がり、転じて目を上げれば遠くには雪をかぶった山々が連なり、申し分の無い風景を見ながらの食事となった。


 
 この地には、ギリシア人が先に都市を建設したのだが、のちにローマ人の植民地となった。ローマ人は、200年以上かけてジュピター・バッカスといった巨大な神殿をここに建設した。のちに地震によって倒壊してしまったが、彼らの確かな建築技術には舌を巻いてしまう。

 木製のクレーンを使って、巨石をもち上げたとされるが、なかには800tもあるものもあるらしい。

 私はこの神殿を見たとき「パンテノンよりすごい!」と思った。

 この遺跡の近くには石切場もある。

 この後バスは、次の観光地であるアンジャル遺跡へとむかった。アンジャルは、ウマイヤ朝の遺跡である。東西南北に伸びる道路を中心に街が作られ、城壁のよって囲まれていた。道の交わる所には、テトラピロンが作られている。

 殆ど壊れてしまっているが、宮殿のアーチは比較的きれいに残っている。

 ここの売店で売っているワインがおいしいというので、早速買いに行ったのだが、商売っ気が無いというのか仕入れをしていなくて、残念でした。

 添乗員曰く「前回買い占めてしまいましたからねえ・・・」


 買い占めるなよ!(笑)

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 ツアーは関空からの出発なので、久しぶりに大阪の友達に会おうと早めに家を出た。

 13じ頃大阪に到着、昼食を一緒にとることにする。聞けばこの時期でもふぐが食べられるという。しかもランチ時なのにコースがあるという。

 さすが本場は違うね。案内された店は新地の飲み屋街のど真ん中。着いたのが2時少し前だったせいかお客は我々だけであった。からあげ・てっさ・ちり・ぞうすいデザートと着いて3500円なり!

 4時間くらい話して、新阪急前からリムジンに乗って空港に着いたのが8時くらいだった。

 EK-317便は、23時15分発なのでかなり早い時間なのだが、エミレーツは羽田からのお客はそちらでチェックインしてしまうので、早めに並ばないと良い席が取れないのだそうだ。

 10時間以上のフライトで、真ん中の狭い席では疲れてしまうから・・・というのが早めの集合となったわけだ。

 カウンターが開くまでに並んだのでブリーフイングの様子が見られて面白かった。あれってお客の前でわざわざやるんだねえ!

 私は2番目だったせいか16Jという、ビジネスのすぐ後ろの、とてもよい席が当たってラッキーだった\(^o^)/

 みなが「エミレーツは良いよ」というので期待していたのだが、映画は確かに充実していたけれど、食事は思ったほどよくなかった。

 もっともファーストクラスとビジネスは他のエアーより格段いいなあと思った。ドバイからの帰りの便はファーストクラスが満席で、やむなくビジネスに回ったお客もいたそうだ。さすが石油の出る国は違うね!

 ドバイに着き、そのままトランジットコースに向かい、チェックを受けたのだが、日本人の多いのにはびっくりしてしまった。

 ツアー会社も6社くらいが入り乱れていたよ。

 ダマスカス着、現地時間で9時前だった。

 さあ旅の始まりです。

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 いつも旅から帰った後も、時差ぼけとかお腹の調子とか全然変調をきたしたことが無いのだが、
今回はどうも、様子が違う。

 昨日はともかく仕事に行かねばと、気が張っていたせいか、気がつかなかったのだが、今日はバイトも休みのせいで気がゆるんだのか、朝から眠っています・・・。

 おまけに連日の飲酒のたたりかお腹の調子が全く良くないのだ!

 まあ、13日間連続してワインを飲んだくれていたのだから、胃のほうもくたびれてしまったのかもね。

 イスラム圏なので税金がかかっていて決して安い訳ではないのだけれど、トラブルが多かったので添乗員がサービスをしてくれたのが、飲みすぎた原因か?

 全くわれながら意地汚い話である(>_<)

 写真は、前菜にあたるものか・・・メデといって必ず食事の時に出てくるものです。種類は色々有るのだけれど、これをホムズというチャパティみたいなものをスプーン代わりにして食べるのだ。

 フォークやスプーンだと何回も口に入れた物を繰り返し使うので不浄な物になってしまうのだそうだ。我々からするとようわからん話では有るが。

 レンズマメをペースト状にしたものが個人的には好きだったな。

 

 

 昨日の9時過ぎに無事帰ってきました。

 そのまま今日は、
仕事に突入で、今やっとPCに向かっています。

 個人的にはいろんな面できついたびになってしまったよ・・・。

 まだ写真も何にも整理していないのだけれど、おいおい書いていきますのでよろしくね。

 スーツケースも先程届きました。
ワインが割れていないか心配だったけれど、
こちらのほうは無事だったので、一安心!

 税金が高いので、飲み代も今までで一番かかってしまった(>_<)

 毎日飲んだくれていました。

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