好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2008年06月

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 昼食が終った後は、夕食までは自由行動ということで、ホテルへ戻る人・残ってこのまま散策する人に別れた。

 私はもちろんこのまま残ることにした。居残り組みのH・T・M夫妻とご一緒に、クルーズに出ることにしたので、ガイドさんに料金の交渉をしてもらった。

 1人10ユーロで、1時間・・かなりでかい船なので我々5人だけでは申し訳ないような気になる。

 途中でチトーさんがいたという家、チトーハウスなどを見学しながら、ぐるっとまわる。

 船の上から見るとオフリドのまちは、ひょうたん島のようにも見える。

 戻ってきた後は、オールドバザールの方に歩いていく。途中日本にいったこともあるという自称格闘家が声を掛けてきた。真相はわからないが・・・・。

 この後は私だけ路地探索に出掛けた。道を登っていくと美しい声がしたので、のぞいてみると教会で歌の練習をしていた。しばし聞きながら休憩。

 路地を歩いているとあちらこちらから猫が現れる。この街は絶対猫が多いなと持っていたのだけれど予想通りなどで嬉しくなってしまう。

 人様の庭みたいな通りを行ったりきたり・・こういう坂の多い街って大好きだ。
坂と港と路地と教会・・・何だか尾道みたいだな。あそこは港が海で、教会の代わりにお寺だけれど・・・。

 疲れたら、湖畔で休んだりして1人を楽しむ。

 国立博物館の開く時間になったので、行ってみたのだが国立という割には何も収蔵品が無くてがっかり。家の造りは、真ん中に階段があり左右対称の面白いつくりではあったのだが・・・。

 出てきた所で、先ほど別れた人やホテルからもどってきた人達にであう。これから彼らは博物館に行くというので、私は夕食までの時間再びオールドバザールを歩くことにしよう。

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 今日は終日オフリド観光の日である。

 例によって早起きして、湖の周辺を散策。釣り人の釣果などを見たりする。静かな湖畔はとても気持ちがいい。

 バスにて、市街まで運んでもらい旧市街の散策となった。今まで訪れてきたどの街よりも賑わっている。さすが世界遺産でマケドニア屈指の観光地である。

 行き交う人々も何となくおしゃれな感じがする。

 この街は、マケドニア王国・ビザンチン帝国・ブルガリア王国・セルビア王国などの支配下に置かれ、6・7世紀頃のスラブ人の流入によりスラブ文化圏におけるキリスト教文化の拠点として栄えた。
 そののちオスマントルコの配下になり500年にわたって支配を受けたのだという。

 湖岸に出て、広場から道なりに進んでいくとどんどん雰囲気が変ってくる。道は狭まっていき、建物もトルコ風のものが現れてきた。

 最初に訪れたのは、聖ソフィア教会である。オスマンの時代にフレスコ画は塗りつぶされてしまったのだそうだ。

 この教会を出て、坂道を更に登っていくと、小さな教会にたどり着いた。聖クレメント(聖マリア教会)である。ここはフレスコ画がきれいに残っており、マリアの一生や聖書のシーン等が描かれている。 隣接しているイコン博物館では、様々なイコンが見ることが出来る。イコンと一口に言うが色々なものがあるのだなあと、驚く。

 もと来た道を少し戻り、サミュエル要塞を目指して長い坂道を上がっていく。

 この要塞は、マケドニアで最も保存状態が良いそうだ。城壁の上に登ると、背後にオフリド湖をひかえたオフリドの街がとてもきれいに見えた。

 下っていく途中、新しく建設された聖クレメント教会や発掘現場などを見ながら湖畔近くまで降りていくといきなり視界が広がった。

 其処には絵葉書などでも良く見る、聖ヨハネ・カネオ教会のかわいらしい姿があった。本当に絵葉書とおんなじだ・・・などと陳腐なことを思ってしまった。

 ここで休んでいると、なにやらガイドさんに話しかけてきたおじさん・・・。どうやらボートで、湖を横切って次の場所へ行かないかと、行っているらしいのだ。

 ここから昼食場所までは、あるいてもそんなに距離があるわけではないのだが、値段も全員で10ユーロとかなり安いので、利用してみようということに!

 すると、添乗員さんが「そういうことなら会社で負担します」と、行ってくれた。ラッキー嬉しいな。

 ボートは小さなものだが、湖畔を渡ってくる風は充分気持ちよく、得した気持ちになってしまった。

 昼食場所までは、本当にボートを降りてすぐだった。

 今日のメニューは、メインがここで獲れたマスと鯉だったのだが、その大きさにびっくり。輪切りにしてあるのだが、直径15Cm位はゆうにありそうだ。聞けば10年物だそうである。

 臭みが無くて案外おいしかった。今日も昼間っからワインをいただく。

 午後の観光があやしくなりませんように(*^_^*)

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 早起きして、「百の窓を持つ町」の路地を歩く。思ったとおり、わくわくするような小路が続いている。時々仕事に出掛ける住人らしき人に会う。こんな何でも無いところを歩いている東洋人が珍しいのか、ものめずらしげな視線を投げかけられる。

 川の向こう側からこちら側に戻ってきて、モスクをぼんやりと眺めていたら、鍵束を持ったおじさんがやってきた。そして鍵を開けて中に入るように勧めてくれた。お金を持っていなかったので「I have no money」といったのだが、意に介する風もなく勝手に入っていく。

 そして私が眺め終わると、次の建物へと案内してくれる。悪いなあと思いながらも、勧められるままに建物の中を見学。

 帰り際には、お金を持っていなかったので仲良くなる手段のためいつも持ち歩いているタバコを差し出したら、中から3本抜いて手にした。(イスラム圏に行く時はいつもタバコ用意して行きます)

 おじさん寄付できなくてごめんね!

 今日は、エルバッサンというアルバニア第3の都市を見学したあといよいよ国境を越えてマケドニアへと入って行くのだ。わくわくする。

 エルバッサンは、紀元前から交通の要所として栄えた町である。ハマ無を見学したあと城壁の中へと入っていく。キングモスクはモスクというもののミナレットがない。何故なのかと思っていたら、地震で倒れてしまいそのまま再建されることなく今に至っているのだという。
 他にも、共産時代に壊されてしまったモスクも多いとかでこの国では、ミナレットの無いモスクは珍しく無いのだということだ。

 アルバニアで最初の学校(今は養護学校になっていた)を見学した後、バスに揺られて国境の町ポグラデッツへ、途中オフリド湖の美しい姿が眼下に現れてきた。

 その湖畔のレストランで昼食となった。オフリド湖で獲れたマスのグリル。ここでアルバニアのお金を使い切ってしまう。

 アルバニア出国緩衝地帯を進みマケドニアで入国チェック、以前のシリア旅行のときとは違って、すべてバスにのったままで済んだ。隣国との関係の差がこういったところでわかるなあ。

 マケドニア入国した所で、ガイドさんが乗り込んできた。若い女性だ。

 ここでの最初の観光は、聖ナウム修道院だ。修道院に続く道には、露店が並んでいる。修道院の庭には、何羽もの孔雀が放し飼いにされていた。孔雀は、キリスト教では、再生を象徴しているのだそうだ。中に1羽だけ白い孔雀がいて彼女に逢えたら良い事があると言われたが残念ながら姿を見ることは出来なかった。

 修道院の内部は、フレスコ画なので写真はNGである。オフリド湖に面して立っているので、庭に立っていると涼やかな風が吹いてくるのがうれしい。

 今日のホテルは、オフリド湖半に面したロケーション抜群の地にある。ロビーでイスラエル人の観光客が多かったのは、今イスラエルでマケドニアキャンペーンを行っているせいかなあ?

 夕食の時、何と誕生祝をしてもらった!!!(^^♪

 すっかり忘れていたのだが、今日11日は私の誕生日だったのだ。もう1人6月生まれの人がいらしたので、その方との合同誕生日ということで、シャンパンとケーキをプレゼントしてもらいました。

 旅先での誕生日って何となく嬉しいな♪

 オフリド湖は、3分の1がアルバニア領、3分の2がマケドニア領で、飲料に出来る湖としては世界最大の湖なのだそうだ。もちろん泳げますよ・・・。

 教会の形って、正教でも様々でややこしいわあ・・・。

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 今日からは再び内陸部へと向かう。

 最初に訪れたのは、アポロニア遺跡である。
アポロニアは、最初イタリア人が登場しBC6世紀頃ギリシア人の植民地となったという。貿易で繁栄していたが、3世紀頃の地震によって壊滅したという。

 その後は、キリスト教の布教の地点として歴史に記される事となる。

 ちょうど、遠足の子供達と一緒になり、彼らにとっては東洋から来た我々は、遺跡見学よりも興味を惹かれたらしく、ずーっと注目の的となった。

 他にも、TVクルーの一向と一緒になり、彼らの取材も受けることにも・・・。

 広い敷地のなか神殿跡・フォーラムの跡などを見学して回る。
 修道院の見学が終った後は、お楽しみの昼食となったのだが、提供された肉の量が半端でなく
誰1人完食できなかった。
 
 そのかわり、デザートとして出されたさくらんぼは日本のものと全く変わりなく、おいしくいただく。


 バスが走っていると、半円形のコンクリート造りの不思議な建造物がいくつも目につく。きけば、ソ連時代攻撃された時の避難壕と賭して造られたものだという。
  
 せっかくなのでその中のひとつの立ち寄ることに・・・。

 それは結構大きなもので、そばに居合わせた農家のおじさんの畑の中には、大小合わせて8個あるのだそうだ。ソ連時代は、土地は国家に徴収され後返還されたものの、トーチかはそのままに残っているのだという。

 バルカンの複雑な歴史のいっぺんを垣間見たような気がした。

 2時間ほど走って、ベラットの町に到着。

 ここは強固な3重の城壁に囲まれた地で、べりグラート(白い町)とよばれていた。城壁が白いからかな・・・。

 城壁内には、かって42もの教会があったのだという。その中を、進んでいく。壊れたミナレットやモスク跡、そしてイコン画家オヌフリの描いたイコンが残っている教会を見学。ここは、今はイコン博物館となっている。案内の女性の「フォトはだめだけれど、ピクチャならいいわ」という言葉に皆いっせいにカメラのシャッターを押す。私も1枚だけ撮らせてもらった。

 イコン描かれたキリストやマリアが、とても写実的でまるで絵画のように生き生きと描かれていたのが印象的であった。

 下に降りて来て、「千の窓を持つ町」といわれる家並みを眺める。あるほど魅力的だ!
明日の早朝散歩はこの路地を歩くことにしよう。

 ついでに橋を渡って向こう側にも行ってみよう!

 夕食は、屋上のレストランできれいな景色を見ながらいただいた。ワインのおいしいこと・・・。

 一番下の写真のおじさんが、トーチカのある畑の持ち主です。
 
 

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 早朝、いつものように街を散歩、街の中をきれいな水路が流れているのの意外な感じを受けた。

 そのそばの公園では、テント生活をしている人々がいた。

 移動日に当たるのでチェックインした後、ティラスの市内観光。

 最初は、昨日も訪れたスカンデルベグ広場にある、エザムベイモスクにはいる。

 今まで訪れた国のモスクは、女性のお祈り場所が外にあったり、入り口が別々であったりしていたのだが、今回の訪れたモスクは、女性用のお祈り場所は、1階に張り出したテラスみたいな部分でするようになっていた。

 指導者から話を聞かせてもらったあとは、徒歩で国会議事堂や時計塔などを見て17世紀に造られた石橋でバスに再び乗車。何でもこの石橋の辺りからこの街が発展して行ったのだそうだ。

 ガイドの好意でこの街1番の高さを誇るビルに昇り、街の大きさを実感する。高い建物はほとんどなく、横に広がっている感じを受けた。

 昼食は、宿泊地でもあるアドリア海に面し貿易などで大いに栄えたデュレスの街でとる。

 一旦チェックインした後、再び街の中の散策となる。ローマ時代の浴場、フォーラム、ビザンチン時代のの城壁や、イタリアとの貿易が多かったのかその名もヴェネチア塔などを見て回った。

 この塔は、見張りも置かれていたが、灯台の役目も果たしたのかもしれない。

 それにしてもアドリア海の穏やかなこと!

 夕食の時自己紹介を行った。一番年長者は81歳の男性で、私を除くと一番若い人でも66歳というかなり高い年齢層の面々である。
 それに比例して、知識も旅行歴も皆さん豊富で、英語も堪能だし、訪問国も100カ国以上なんて当たり前といった感じでびっくりしてしまった。

 戦争のことや、民族宗教、経済など色々なことを旅の間に教えてもらうこととなった。

 夕食をとって外に出てみると、ちょうど太陽が沈む時間になっていたので、皆で海岸に出て太陽が沈んでいくのを見物。

 夕日ってどうしてこんなに美しいのだろう!!!

 最初の写真の建物が国会議事堂で、掲げられた旗が国旗です。

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 本格的な観光の前に、ホテル近くを散歩してみる。

 アルバニアはホテル事情が良く無いと思っていたのに、案外良くてびっくりだ。個人で出かける時は、ケチっているのでツアーのホテルはとても上等に感じてしまう。

 アルバニアは、コソボの独立問題でアメリカが後押ししているというので、対米感情が良いという。そのせいか星条旗があちらこちらで翻っているのを見かけた。

 大アルバニア構想というものもあるらしい。この辺りのことはとても複雑で、簡単な問題ではないようであるが・・・。民族・宗教問題を抜きにしては、このバルカンを語ることは出来ないのだろうなあ。

 バスで博物館に行く予定だったのだが、調子が悪いというので歩いて行くことになった。15分ほどの距離である。

 アルバニアの英雄スカンデルベグの銅像がある広場の一角に、巨大な壁画のある建物が博物館である。こういう巨大な建築物を見ると、この国が共産圏だったということを改めて感じてしまう。

 この後は、バスに乗ってクルヤへ向かった。ここは標高600mほどの山間の町である。オスマントルコに対抗して独立を求め、他のアルバニア諸侯と戦ったスカンデルベグのの拠点となった地である。彼はここに要塞を築いた。

 石畳の趣のある通りの両側には、土産物屋や骨董屋・レストランなどが並んでいる。その中のひとつで昼食をとる。旅先ということで昼だというのにワインをいただいた。この日から帰国まで休肝日無しでワインを飲み続けることになってしまった!!!

 おいしいのよねー(^^♪

 ほろ酔い加減で、午後の観光地アドリア海に面した猟師町のデュレスへ向かう。この町は、明日の宿泊地でもあるのだが、博物館が月曜休刊ということで、差し替えとなったのだ。

 博物館の学芸員のフランス語→ガイドの英語→添乗員という順番で説明を聞いていく。印象に残ったのが、女性の骸骨の舌の部分にのっていたコインである。天国へ行く時に必要なのだそうだ。日本でも三途の川を渡る時に閻魔様にお金を渡すという。洋の東西宗教の違いを超えて同じ様なことを考えるのだなと何だか嬉しくなってしまった。

 ここから歩いてすぐの所にあるローマ時代の劇場跡を見学して、ティラナの街に戻ってきた。

 夕食は街中のレストランで撮ったのだが、同じテーブルに坐っていても、自己紹介が終っていないのでまだ手探り状態の会話・・・かな。

 写真の民族衣装は、骨董屋の店先にあったものです。最後のモザイク画は、ローマ劇場の地下部分に残されていたもの、きれいでしょ。
 

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前泊したホテルの送迎車で空港まで送ってもらう。

 11時のOSにてウィーンへと旅立った。

 最初の訪問国アルバニアへは、日本から飛行機が飛んでいないのでウィーンで乗換えとなる。

 待ち時間何と6時間あまり・・・やっとのことで、アルバニアへの首都ティラナのマザーテレサ国際空港に到着となった。

 ホテルへチェックインしたのは、日付が変った24時過ぎであった。

 長ーい1日であった。

 今回は、アルバニア・マケドニア・ボスニアヘルツェゴビナ・モンテネグロ・クロアチア・セルビアとバリカン半島の西の国々を回る。

 バルカンは、ヨーロッパの火薬庫といわれ、戦争の耐えない地である。といっても、私はバルカンという響きに何となくあこがれて参加したのでほとんど知識も無い。

 マザーテレサが、アルバニア人の両親から生まれたマケドニア出身だということも今回初めて知った。

 明日から始まる旅は歴史・民族・宗教どれをとっても、「へえー!」の連続であった。

 不確かな記述が出てきても、笑って指摘してくださいねえ。

 写真は、ティラナ市内の建物とマザーテレサ像です。

 地図も添えてみました。縁どった所が今回訪れた所です。

 ティラナの街の建物がカラフルなのは、共産時代の反動だそうで、当時の市長さんの提案でこうなったのだそうです。巨大な壁画は、博物館の壁を飾っていました。

 今日無事、バルカンから帰ってきました。

 思ったより暑くて・・・・。

 明日からぼちぼちと、旅行日記かいていこうと思っています。

 

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