好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2009年05月

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 ブハラ観光

 写真上から

   カラーンミナレットとカラーン・モスク  カラーン・モスク  ミル・アラブ・メドレセ

   アーケードのある通り   バザール・タキ  マゴキ・アッタリ・モスク  ラビ・ハウズ

   ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ  修理中でした  シュークリーム売りの女性

   白い桑の実 


 今日は、ブハラの観光だけです。

 「聖なるブハラ」あるいは、サンスクリット語で「僧院」を意味するブハラは、中央アジアだけではなく、イスラム世界全体の文化的中心地として栄えた。

 その姿から、「他の地では、光は天井からさし、地を照らす。ブハラでは、光は地からさし、天を照らす」といわれるほどだった。

 黄金期は、9世紀にはじまる。優秀な宗教者・科学者・神学生そして商人達が、各地から集まってきた。メルブやサマルカンドといったオアシス都市を結ぶ交易都市としても繁栄。生活基盤も整えられた。

 しかし、12世紀になると、かのチンギスハーンによって、壊滅状態にされてしまう。彼は、モスクに集まった人々の前で、コーランを蹴散らして、威容を誇ったという。

 その後、16世紀に入ってから再びよみがえる。多くのメドレセやモスクが建造された。シルクロードの面影の残っているブハラの町並みは、このころに完成したものだ。

 そして今日までほとんど変化していないとのこと。

 カラーンミナレットは、チンギスハーンの攻撃にも、大地震にも生き残ったこの地の生き証人である。上部に特徴的な飾りが見られる。

 ミナレットをはさむように、カラーン・モスクと、神学校であるミル・アラブ・メドレセがたっている。

 モスクには、208の柱があり、208の丸屋根がある。中庭には大きな桑の木が植わっている。

 バザール・タキは、ドームで覆われたバザールである。16世紀のものだ。交差点バザールというように中で大通りが交差している。スザニなどを売る土産物屋がたくさん入っている。

 マゴキ・アッタリ・モスクは、1936年に土の中から発見されたモスクだ。だれが埋めたかというと、チンギスハーンですって。何回も焼失、破壊、建築されたという。

 ちかくには、両替市場があり、ユダヤ人が両替を営んでいたという。ここにはロシアの銀行もあったのだが、火事で焼けてしまった。現在修復中である。

 ラビ・ハウズは、池の周りという意味。池を取り囲むように大きな桑の木が何本もある。最初ガイドから、3人くらいで囲まなければならないほどの大きさがあります」と言われた時は、「うっそー!」と思ったのだが、本当だった。日本の桑とは種類が違うらしく、実も白いものである。
 食べてみるとほのかに甘く、案外いけました。

 他にもこの池の周りには、いろいろな物がある。ご利益があるという布袋様みたいな像や、触ると幸せになれるという馬の像など。休日を楽しむ人々であふれていました。

 ナディールモスクは、16・7世紀の建造。正面入り口の上部には、鶏と人間の顔をした太陽のモザイクがある。もともとは、キャラバンサライとして作られたのだが、ハーンがこれを見て「素晴らしいメドレセ」と言ったので、怒りを買うのを恐れたナディールは、急遽メドレセとして使うことした。

 偶像崇拝を教義違反とするイスラムにしても、ハーンの威力の前には無力だったということかな。

 現在は修復中で、足場の上では職人さんが作業をしていた。



 この後いったんホテルに戻り、近くのレストランで昼食。少し休んでから午後の観光に出発です。

  

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 マリィ~国境~再びウズベキスタン・ブハラ

 今日は国境越えの一日なので、写真NGの所が多く記録がありません。

 これまでに出会った人々の写真を載せてみました。上から順に、

 2両だけの列車  おもちゃ屋さんです  カザフスタンの女性  岩絵博物館で出会った子供達

 水汲みに来た男の人 ドライバーの捕まえたカメ 土産物屋

 ヒワのお年寄り ヒワイチャンカラの子供達 イチャンカラのつながれた羊 


 あいにくの雨の朝だった。これまでは、天気に恵まれていたのだが…きょうは歩いて国境を越えなければいけないのに、この雨だとちょっとつらいなあ。やみますように・・・。

 8時ホテル出発。

 2時間ほど過ぎたところで、最初のトイレストップ。今日は青空トイレではなくて、雨空トイレでした。

 国境近くの街トルクメンアバードのレストランでお昼御飯を頂く。この街は、ロシアの雰囲気がとても感じられるところでした。

 だんだん国境が近づいてくると、トラックの数が増えてくる。国境地帯に入ると、カメラを構えることは禁止である。アムダリヤ川に架かる浮橋を、歩いて渡る。こんなに大きな川にかかっている浮橋は初めてなので、ちょっと緊張しながら渡る。段差もあるし、所どころ穴があいているので、慎重にならざるを得ないのだ。その横をトラックや乗用車が追い抜いていく。

 20分ほどで渡りきり、再びバスに乗って審査場まで向かう。

 しばらくトイレにも行けなくなるというので、緩衝地帯でトイレストップだ。

 14時40分、出国審査場に着く。ここでガイドさんとはお別れである。思ったより空いていたので、あっけないほどスムーズに出国となった。

 ここから、1・5kmの道を、歩いてウズベキスタンの入国審査場まで向かわなければならないのだ。
荷物は小さいとはいえ、暑い中や雨の降った中の移動は大変であるが、幸いなことにあれほど降っていた雨もすっかりやんでくれている。ラッキー!

 まだつきは落ちていないようである(*^_^*)

 やっと、ウズベクに到着。今までと同様、税関申告書に有り金の額を記入する。

  「うーん、だいぶ減っているわ。大丈夫かなあ」ちょっと心細くなる。お土産とかはなにもかっていないけれど、連日連夜の酒盛りがきいているかも・・・。

 1日にすれば、わずかでも長旅だと、効いてくるよね。

 入国する人はほとんどいなくて、ここでも思ったよりスムーズに済ませることができた。

 「すませた人から順に、ゲートの向こうへ行ってください。そこでバスが待っていると思います」

 ところが、迎えのバスがいない!

 どうやら、もう少し時間がかかると踏んでゆっくりしているようだ。「えー!いないじゃん」

 仲間の人としゃべっているうちに、向こうからバスが近付いてきた。そして、中から懐かしい顔が。

 「お帰りなさい!」「ただいまあ!」「遅かったじゃないですか・・・(笑)」「きれいにあらっていたんですよ」相変わらず、謝らないやつである(^-^)

 でも、しゃべるスピードは格段にゆっくりになっているし、キレることも少なくなっていたよ。ただ、マイクをつけたままの鼻歌は、最後まで治らなかったけれどねえ・・・。

 みんなが、揃ったところでブハラに向けて出発だ。

 1時間ちょっとで、ホテルに到着。

 夕食は、ホテルのレストランでいただく。いつものように、飲み仲間4人が最後まで残った。そのうちに、盲目の方が、案内されて入って来た。何でも、今日はその人が関係したパーティがあるという。

「 うるさくなりますが、申し訳ありません。」 とのこと。

 「ぜんぜんきにしませーん!」 

 しばらくは、その盲目の人が歌っていたのだが、そのうちダンスが始まったようだった。

 そして、一緒に踊ってくれないかと誘われる。誘われたら断らないのがモットーなので、輪の中に入って踊ることに。

 今日は、疲れることもなく最後までテンポについて行けたよ。一日中、バスに乗っていたから、あまりくたびれていなかったせいかな。

 飲んで歌って踊って、いい一日でした。

 おやすみなさーい!!

 

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 マリィ滞在

 写真上から

  踏切で待っていたらこんなかわいい列車が通過した  制服を着た女子高生も 博物館

  ロータリー  政府関係の建物  学校帰り  レストランの庭に  民族舞踊の踊り子

  美人が多いです 男性もいます
  

 市内に戻ってまず昼食。その後、1時間くらい休憩をとるためにホテルへ戻った。私達も新しい部屋へと移った。

 今度はちゃんとツインの部屋でした。ひょっとして今日も1人部屋だといいなあと思っていたのだけれど、これは甘い考えでした(>_<)

 休憩をとった後は、博物館に向かう。ここもやはり専門のガイドがいて案内をしてくれた。メルブ遺跡の話や、出土品、民族衣装、生活道具など、細かに案内してくれてとても楽しかった。一番、心ひかれたのは、展示物ではなくてガイドさんそのものでした。

 細身の美しい人なのに、笑うとやはり金歯がのぞく。大きな声で笑い、話す。こちらの人にしてはとてもストレートな表情を持った人でした。

 
 今晩の夕食は、民族舞踊つきだった。民家風な場所で、お客は我々だけ。男女10人くらいが、民族衣装を身にまとい、激しい動きの踊りを見せてくれる。

 中でも女性はとてもきれいなのでうっとりと眺めてしまった。

 最後の方は一緒にダンスをしたのだが、こちらはもうワインを飲んでいるので、ちょっと動くと酔いが回ってくる・・・。(*^^)v

 曲のテンポも早いので、もつれる足はついてい行くのがやっとでした!

 でも楽しかったよう。

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 メルブ観光

  城壁内で飼われているラクダ  大キズカラ キズカラの内部  小キズカラ

小キズカラ見た大キズカラ  明日は馬のお祭りなんですって  スルタン・サンジャール廟

  修複前の姿 サンジャール廟の内部


 メルブは、マリィから30kmの所にある。1999年に世界遺産に登録された。

 シルクロードきっての大オアシス都市として、中央アジアとペルシャを結ぶ重要な中継地点として栄えた。特に、セルジュク時代に首都となってからの発展は目覚ましく、「高貴なるメルブ」と呼ばれ、イスラム世界屈指の都となる。

 しかしここもやはり、1221年のモンゴルの襲撃によって、ことごとく破壊され、アッというまに歴史のなかに埋もれてしまうことになる。

 イスラム世界を旅していていつも思うのだが、モンゴルというのは、ことごとくの都市を征服したのだなということ。アレクサンダーの東征、モンゴルの西側の制圧・・・、どちらもダイナミックなものだ。

 そのたびに生活を変えざるを得なかった被征服者の人々は、戸惑っただろうなあ。

 此処メルブは、「さまよえる街」と呼ばれる。それは、ほかの都市のように、新しいものを同じ土地に建てるのではなく、新しい街を隣接して造っていったからだ。そのため、ここでは5つの異なった時代の街を見ることができる。

 エルクカラ・グヤウルカラ・スルタンカラ(もっとも大規模)など。

 これから向かうキズカラは、6世紀のもので、大小2つの城跡が並んで残っている。キズ・カラとは、「乙女の城」といった意味らしい。セルジュクのスルタンたちは、ここで奴隷の娘たちをはべらせ、パーティを開いていたという。

 大キズカラの内部は、それでも多少当時の様子が推測できるが、小キズカラの方は単なる土に塊のようになってしまっている。

 それでも、ここに立ち、向かいの大キズカラを眺めていると、やはり昔の人々の生活に思いが行く。

 
 バスに乗って、スルタン・カラに向かう途中、懸命に馬の手入れをしている人々に出会った。聞けば明日は、馬の祭りがあるとかで、手入れに余念がなかった。馬が大好きなんですって。

 スルタン・カラは、セルジュク時代に作られたもので、経済の発展と共に、学問の地としても発展した。図書館も8つもあったと、記されている。

 この中心地に、セルジュク朝の最盛期のスルタンが眠る、サンジャール廟がある。1140年にたてられたあと、モンゴル軍の襲撃にも、地震にも耐え抜いてきたというから、当時の建築水準のたかさをものがたっている。

 とはいっても、写真でもわかるように修復される前は、ボロボロだったようだ。高いとろろにこういった建築物には珍しく小さな窓が切ってある。これには、悲しい恋物語があるのだが、長くなるので割愛。

 此処の見学が終わったあと、いったん街に戻る。

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 マリィ~メルブ遺跡

  写真上から

   部屋から見た風景 いたるところにこういった掲示物が  まりいの一般的なアパート

民族衣装の女子高生に囲まれてしまった  エルクカラ  上から見ると 復元図

   白く見えるのは塩です  ティムリド・アイヴァンズ(2人のイマームの廟) 


 今日は、楽しみにしていたメルブ遺跡に向かいます。出発までは、恒例の朝の散歩。

 相変わらず、大きな建物と、大統領の顔写真ばかりが目につく。


 9時、ホテル出発。40分ほどで遺跡の入り口に到着。チケットを買っていたら、地元の女子高生に取り囲まれてしまった。次から次へと、記念写真の納まる。ある男性諸氏の言葉「こんなにもてたのは生涯で初めてだった!(^^)!」とのこと。


 バスに乗って、遺跡の中でも一番古いエルク・カラへと向かう。

 紀元前6世紀頃の城壁が残っている。ドーナッツ状の城壁が、火山の噴火口のように残っている。足元は赤土なので、滑って登るのに苦労する。雨が降っていたら絶対に登れないなと思う。

 遺跡の上に建って下をのぞくと、なんとも不思議な光景だと改めて感じる。白い塩の吹いた大地が遠くまで続いている。かなたには、キズカラやイマームの廟などが望める。

 この城壁の真ん中に、行政に関係した人が住み、その周りに一般の人が住んでいたようである。

 降りて再びバスにのり、隣接するグヤウル・カラの方に行ってみる。ここは、紀元前3世紀ころから人が住み始めた。アレクサンドロス帝国が分裂して生まれたセレウコス朝時代から、パルティア帝国・ササン朝時代まで使われた。ササン朝時代には、ゾロアスター教をはじめ、キリスト教・仏教などざまざまな宗教が栄えたという。

 カラ内の仏舎利跡を見た。此処メルブは、仏教遺跡が西に伝わっていったことがわかる地としても知られている。

 キズカラに向かう前に氷室の跡を見学。何と氷を使った貯蔵庫まで考えられていたとしってびっくり。
氷は、どこから?川に張った氷らしいです。

 周りには、またまたお墓が出てきました。ここも最近まで一般の墓地として使われていたのかなあ?

 続いて、イスラム教がこの地に入ってきたときのイマーム2人の廟の有るティムリド・アイヴァンズへと向かう。イスラム教が入ってきたのは、7世紀になってからだという。建物自体は、15世紀のもので2つの廟が仲良く並んで立っている。

 さあ、いよいよキズカラへと向かいます。わくわくしてしまう!

 ベランダのプランターに、ゴーヤの種をまいた。

 場所も日の当たり方も、土も水やりもすべて条件は一緒なのに、なぜか発芽状態が違ってくる。


 早くに芽を出して、もう大きくなっているもの、やっと芽を出したもの、種の頭がようやく見えてきたもの、と様々なんだな・・・。

 なんか、じっと見ていたら、人間に似ているような気がしてきた。

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 やっと乗り込んだマリィ行きの飛行機だが、なぜか離陸の時間になっても、飛びたつ気配がない。

 そのうちに、搭乗券のチェックが始まった。何事かと思っているのだが、アナウンスもない。

 何も知らされないまま、搭乗券の半券を回収していく。

 「何でしょうか?」と尋ねると、ガイド氏「どうも違う便の乗客が乗っているようなので、チェックするみたいです」

 「えー!そんなの有りですか!」

 ところが、半券をチェックしたところ、どうやら該当する乗客はいなかったと見え、誰も降りることはなかった。この間一切の説明はなしである。

 やっとのことで飛び立ち、45分ほどのフライトで、マリィの空港に着いた。

 荷物は少ないので、ピックアップも簡単に済んだ。バスにてレストランに向かう。時間も遅いので先に食事をとるようだ。

 今日のメニューは、シャシリクがメインだ。ビーフ・ポーク・ラムのミックスである。後はスープと、サラダ、デザートが付いていた。

 9過ぎにようやくホテルに到着。キーを受け取り、部屋に向かった。ところがである。部屋がツインではなく、Wなのだ。あわてて、フロントに報告に向かった。

 そこには先客が・・・。どうやら、この日予定外の宿泊だったので、ツイン使用の人達の部屋が間違って手配されたようなのだ。空いている部屋がなく、最悪添乗員とガイドはロビーで休むことになりそうな雰囲気だ・・・。

 長い間交渉した結果、何とか今晩だけという約束で1人1人にWの部屋を、ということで落ち着いた。

 明日は、刊行から帰ったあとに正規の部屋に変わることで何とか、決着がついた。

 これは、私的には思いがけないプレゼントだった!(^^)!

 相部屋のはずが、ひとりでWの部屋を使えることになったのだから、けがの功名といったところだ。

 新しく頂いた部屋に入った私、思わず万歳しちゃいました!

 旅の真ん中で、ゆっくりと部屋を使うことができて、正直ホッとしました。

 
 写真は、マリィのショッピングセンター・部屋から見えたモスク2枚・マリィの空港・シャシリクを焼いているところです。


 

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 ニサ遺跡~アシハバード市内観光

  写真上から 

  ニサ遺跡全体 城壁の跡 王の間 と 想像図 トルクメンバシイ・モスク 衛兵  

  故ニヤゾフ大統領廟  政府関係の建物  麦の形の農業省  新しいアパート群  塔みたいな建物

  ともかく建物が派手です 世界最大の国旗掲揚  スタジアム 国立博物館 農耕集落遺跡アナウ
  
  


 ニサ遺跡は、2007年に世界遺産登録されている。ニサは、紀元前3世紀から紀元3世紀ころ栄えたパルティア王国の首都である。王宮のあった内城とそれをとり囲むように作られた商業地域に分かれており、それぞれ旧ニサ・新ニサと呼ばれている。見学したのは、旧ニサの方だ。今は、単なる緑の丘のようになってしまった城壁だが、もともとは変形な5角形の形をしていた。

 中には、ワイン貯蔵庫や山の水を引いた池の跡もある。最初は、「王の間」の見学だ。柱が特徴的だ。2階構造になっていたようだ。他には、「ゾロアスター教寺院」「メインの入り口跡」といった建物跡を見ていく。干しレンガ造りなので、溶けてしまわないように泥で固めてある。

 この日は本当に寒かったので、見学が終わったころにはトイレに行きたくなってしまった。ここにはあいにくトイレはない。遺跡の真ん中で青空トイレというのも抵抗があるので、次の昼食レストランまで我慢することにした。

 途中、故ニヤゾフ大統領の故郷である、グプチャ村にたてられた中央アジア最大のモスクトルクメンバシイ・ルーヒー・モスクで写真ストップ。白と金色を基調としたとてもきれいなモスクである。

 4本のミナレットを持ち、高さ91m(独立年の1991)ドームの下の窓は48(大地震が起きた1948)をあらわしているという。

 撮影が終わって、いざ出発となったのだが、どうしたことかエンジンがかからない。すぐになおるかと思っていたのだが、これが案外難しそうなのだ。

 そのうちトイレの我慢が難しい状態になってきた。ここは道路端である・・・。(>_<)

 バスは、なおりそうもないので代わりのバスをこちらにさしむけたという。後1時間はかかるとの情報が入る。

 「あのー、モスクのトイレを借りれないでしょうか?」

 本当は、ここは入場場所にはなっていなかったのだが、急きょ交渉して中のトイレを使わせてくれるよう頼んでみることに。

 ガイドさんに続いて、入口に歩いて行った。交渉の結果あっさりOKが出た。中の見学もしてもかまわないという。ただし写真はだめだそうです。

 「よかったあ!!!」トイレのある地下に行くと、暖房も聞いているし、清潔だし、何よりトイレの数に驚かされる。いったいいくつあるんだろう?


 ここの収容人数は、2万人とのことだから相当の数があるに違いない。すっきりしたところで中に入らせてもらう。お祈りしている人の邪魔にならないようにね。

 巨大なカーペットは、建物が出来上がったのち、ここで織り上げたという。トルクメニスタンには5枚の大きなカーペットがあり、そのうちの3枚は、ここと、絨毯博物館、後で行くはずの国立博物館で見ることができるという。


 モスクに描かれている文字は普通はアラビア語だが、ここではトルクメニスタンの言葉が書かれている。

 隣の霊廟も序だからと見学させてもらうことに。ただ荷物は全部外の階段に置いて行けという。
衛兵たちが見張っているから、泥棒の心配はないとだろうからと、皆階段の上に荷物を置いて中に入った。この霊廟には、ニヤゾフ大統領の他、父・母・兄弟の墓がある。

 まるで、神を祭ってあるようだ。神格化が激しいなあと感じる。

 故障とトイレの拝借のおかげで思わぬところが見学できてよかったのだが、この後のスケジュールがすっかりタイトになってしまった。

 なにはともあれ、新しいバスに乗り込んで昼食レストランに出発。

 大急ぎでお昼を済ませ、国立博物館へと向かう。新しく開けた地には、立派な大きな建物の連続である。旧市街地の方の建物は、ロシア時代のものが多いのでなんとなく落ち着いている雰囲気があるのだが、このあたりは政府関係の建物や新しくできたホテル群・アパート群の建物は、威圧的な感じを受ける。こんなにトルクメニスタンがお金持ちの国だとは、あらためて驚いたわ。

 国立博物館の前にも大きなものがあった。世界最大という国旗掲揚塔だ。国旗も最大かもね。トルクメの国旗は、とても美しい。深い緑色の地に、5つの州を現した星。横の方に垂直の赤い帯には、伝統的な絨毯の模様が5つ描かれている。


 博物館は、専門のガイドでないとだめだという。彼女を待っているうちに、どんどん時間が過ぎていき、ただでさえ押しているのに、またまた見学時間が削られてしまうことに・・(+_+)

 ともかく、聞いているふりをして、どんどん先を見て歩くことにした。修理中のところが多くて、全部を見られないのは残念だった。5大絨毯は、天井からつってあったのだけれど、重さはどれくらいあるんだろう?天井大丈夫?なんて、思ってしまった。


 最後は、アナウ遺跡に向かったのだが、ここはもう5分ほどしか滞在時間がとれませんでした。アナウは、15世紀あたりに歴史に登場した城塞都市国家だ。美しいジェマーレッディンモスクがあったのだが、1948年の地震で倒壊してしまい、今はがれきになってしまっている。

 ここはまた、1904年にアメリカの考古学者によって世界最古の農耕集落があったとことがわかった。新石器時代から人類が定住していた形跡があるそうだ。緑の草地が広がっているだけの何の変哲もない土地からは、そういったことを想像するのはかなり難しいな。


 これで今日の観光はすべて終わった。大急ぎで空港に向かう。マリィ行きの飛行機の出発時までにはそう時間はないのだ。

 空港では、ガイドさんが代表してチェックイン。チケットを受け取り、大急ぎで出発ゲートへと向かう。といっても待合室は、1つなのだが・・・。

 ここの空港も新しくできたばかりで、足元の大理石が滑ること!こんな所で転んでしまったら恥ずかしいよね。
 ゲートでは、係の女性が大声で。「マリィ!マリィ!」叫んでいる。どうやら我々のグループが最後のようである。せかされるように乗り込んだ。

 「やれやれ、間に合ったよう」ところが災難はまだありました。

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