好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2009年09月

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 シャウレイ行きのバスは、かなりおんぼろだ。

 地元の人が利用しているバスといった感じだ。ユーロ・エコ両ラインのバスも走っているのだが、エコの方は金曜は運休・ユーロの方は時間が合わなかったんだよね(>_<)

 でも、定刻より早く着いたからまあいいか。日本と違ってこのあたりは誠にアバウトである。


 予約したホテルまでは、歩きで15分ほど。小さな街なので、探すのにちょっと苦労した。高いホテルだったら、一般のホテルサイトから予約できるのだが、安くて駅に近いホテルというと、ないんだよね。

 結局、市のホームページから予約しました。

 やっと着いたホテルは、こじんまりしたものだったが、悪くはなかったよ。


 この街にやってきた目的は、十字架の丘へ行きたかったからだ。リトアニアは、十字架制作で世界遺産の無形遺産に登録されているくらい、十字架制作の伝統がある。異民族の支配下において、十字架は心の支えとなったいた面もあるようだ。

 で、わざわざ大回りをしてやってきたというわけ。明日のホテルの朝食は、土曜日で開始が遅い。できるなら今日のうちに行っておきたい。


 バスの時刻をターミナルに着いた時に見ておいた。それによると、15時40分のバスがある。16時位に向こうに着いたとして、ぎりぎり帰りのバスがある時間に戻ってくることができそうだ。

 
 ターミナルの横には、大きなショッピングセンターが併設されていて、そこのATMで両替を済ませる。そして、窓口で切符を買おうとしたら、「中で買って頂戴」とのこと。長距離のみの販売みたいだ。
それでも、帰りのバスに時刻表をくれて、案内はしてくれました。

 バスは思ったより混んでいる。降りるバス停を運転手さんに教えてくれるように頼んでおく。


 20分くらいで、目指すバス停につき、お礼を言って下車。降りたのはいいが、何にもない。どちらに向かっていいのやらさっぱりわからない。一緒に降りた地元の女性が、たち去ろうとするのを呼びとめて、教えてもらう。

 炎天下の中、30分以上、畑の真ん中の一本道を歩く。

 不安になり始めたころ、ようやくそれらしきものが見えてきた。これは帰りの歩きの時間もたっぷり見ておかないとやばいな。時間より早くバスが来たら、アウトじゃん(;一_一)


 一言で言って、その数に圧倒されます。リトアニアは、「十字架の国」とも呼ばれることがあるが、納得してしまう。

 大小さまざま。形も様々。芸術的なものから、お土産品まで、その数は、リトアニアの生者の数より多いそうだ。

 しかし、ここは墓地ではない。よって死体は埋められていないのだ。最初の十字架は、1831年のロシアに対する蜂起の後、死刑や流刑にあった人々のために建てられたようだ。

 それ以来此処は、抑圧された民族・宗教の象徴として扱われてきた。ソ連時代、この丘に近づくことは禁じられた。KGBによって何度もブルトーザーで壊され、焼き払われた。
 しかし、その都度人々は、こっそりと新たな十字架を建てて抵抗した。


 水没させようとか、丘そのものをなくしてしまおうという計画もあったようだが、肝心の当局の人間も、入り色な理由を付けて、手をつけることを嫌ったという。

 近年、移民として外地に行った人々がここに戻ってきて、ここに十字架を建てるといったこともあり、ますますその数は増えているという。


 丘の上に登ったり、ぐるっと回り込んでみたり、十字架に書かれた文章を読んだりしながら、歩を進めていく。「ほんと、感動もんだね・・・」


 いつまでもここにいるわけにはいかない。帰りのバスがなくなってしまったら、ヒッチハイクしかないじゃん。

 来た道を今度は、引き返していく。それにしても暑い。


 やっとバス停に着いた。20分前だ。いくらなんでもこれなら間に合うだろう。バス停といっても、屋根も何もないので、持っていた日傘をさす。

 見逃さないように、進行方向と反対側をじっと見つめていると、1台のワゴン車が止まった。「うん?なんだ?」見ると、乗り合いバスのようだ。


 「シャウレイ?」と聞くと、「そうだ」という。ラッキー。1日に、1・2便という乗り合いバスに遭遇するとは・・・。料金は、普通のバスと同じだ。ただしどこでも降りることができる。

 ターミナルまで戻ってきて、明日のビュリニス行きのバスの時間を確かめる。街中もみたいので早いものはだめだ。6時台と12時のしかない。列車も1本のみが、昼間運行しているだけという。


 ショッピングセンターで、パンとチーズのみ買ってホテルに戻ってきました。ワインは、リーガから持ってきたものがあるもんね・・。

 シャワーを浴びるうち、冷蔵庫の中で少し冷やしておこう。


 今日もよく歩いたな。

最初の写真・・・こんな道を延々と歩く。

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 天気予報を見ようと、テレビを入れたのだが、どこもやっていなくて・・・。

 日本のテレビだと、うるさいくらいに天気予報をするのにね。

 あまり気候に変化のない国では必要性がないのか、それとも国民が必要としていないのか・・・

 フィンでは見られなかった、ロシア語の放送がとても多い。


 チェックアウトは、12時なのでそれまでに、昨日行けなかった所を見ておかなくちゃ。

 まずは、大聖堂から。広場では、トランペット吹きのおじさんが、悲しげな音を響かせている。
 13世紀後半から、18世紀の後半に渡り、何度も増改築を重ねてきたために、ロマネスクからバロックまでと、さまざまな様式で造られている。

 教会の名声を高めているのが、パイプオルガンと美しいステンドグラスである。

 パイプオルガンは、18世紀に造られたものだが、フレームは16世紀以来のものを、保存して再利用してある。エコなんて声高に言わなくても、ちゃんと昔の人は再利用していたんだ。

 パイプの数は、6700本以上、長いものは10mにも達するんだって。昨日のコンサートにも素晴らしい音色を披露したに違いない。

 隣接して、勝手の修道院の回廊があり、博物館のようになっている。

 
 今日はあまり地図を見なくても歩けるようになっている。頭の中に地図が入ってきた証拠だ。


 新市街と旧市街の境目を流れている運河を超えたあたりに、自由記念碑がたっている。
これは、1935年にラトビアが独立した時に建てられたものだ。高さ51m。

 ソ連時代にも壊されることはなかったが、近づくだけで反体制とみなされ、シベリア送りと噂された様だ。実際のシベリアに行った人がいるのかは・・・?

 現在も衛兵の交代が行われ、幸運にもその様子が見られた。でも終わった後さっさとジープに乗り込む姿まで、見ると、なんだかありがたみが薄れるような((>_<)


 ここからラトビア大学の前の大通りを経て、鉄道駅に向かった。たくさんのショップもあり、とても便利に作られているのだが、少々いり込んでいるので、ホームにはいる道を探すのに迷う。


 最後は、中央市場に行こう!部屋からも丸屋根が見えていた巨大市場だ。
行ってみると改めて、大きさにびっくりしてしまう。今は、キノコの収穫時期が始まったと見え、今採ってきたばかりだと思われるものが、かごに入って売られていました。こちらの人は毒キノコも食べるというくらいに(もちろんドク抜きはします)キノコ好きだ。


 場外・場内と別れていて、ありとあらゆるものが売られているようだ。酢漬け・はちみつなどの陳列が新鮮だ。よほど、買っていこうかなと思ったのだが、ワインが1本入っているので、これ以上重くなることを考えると・・・やめよう!


 これでリーガの観光は終わり。とても素敵な街だったなあ。


 チェックアウトして、バスターミナルに向かう。また、例の地下道を渡らなければならない。スロープに沿って慎重にね。
 悪戦苦闘していたら、後ろからやってきた男性が助けてくれました。お礼を言ったらびっくりした顔を・・・。たぶん、後ろからやってきたので、外国人だとは思わなかったのだろうね(*^_^*)


 ターミナルの中のカフェで、コーヒーを飲み、お昼用にとパンを2個ほど買いました。残金は、300円。残しておいても仕方がないので何かを買おうと思うのだが、金額が半端なのでなぜか買えない。

 結局日本まで持ち帰ることになりました。(;一_一)


 11時55分時間通りに、4カ国目のリトアニアを目指してバスは、出発した。

 「さよなら、リーがの街」ちょっと、センチメンタルになってしまいました。


下から5枚めの、ガラスビルが鉄道駅。中央駅と標してあります。

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 ブラックヘッドの会館は、リーガ誕生800年を記念して、2000年に再建されたものだ。

 15世紀から、1942年ドイツ軍によって破壊されるまで、数百年かけて築き上げた個性的な建物は、ほぼ完全に再現されている。

 豪華な外観の中でも特に目立つのが、大時計だ。言い伝えによると、当時この時計を作った職人は2度と同じものが作れないようにと、目をくりぬかれたという。

 時計の下には、ハンザ同盟の都市リーガ・ハンブルグ・リューベック・ブレーメンの紋章が浮き彫りにされている。

 未婚の貿易商人達の交友の場であったブラックヘッドのメンバー達は、此処の大ホールでコンサートやダンスパーティなどが盛大に行なったという。


 向かいの市庁舎も再建されたものだ。


 会館のカフェで、一休み。エスプレッソが胃袋に染みる。


 広場から、右手に進んでいくと、聖ヨハネ教会・聖ペテロ教会と2つの教会がある。ペテロの方には、高い塔があり登ることができる。この塔は、何度も火災にあい、その都度建て直されてきた。現在のものは、第2次大戦後に改修されたものだ。


 聖ヨハネ教会は、13世紀創設、その後16世紀に再建されたゴシック様式の建物である。

 中世、生きた人間を壁の中に塗り込めると災いをさけることができるといわれ、この教会でも2人の修道士が志願して壁に埋められた。19世紀半ば、修復のときこの話に基づき壁を叩いてみると、空洞が見つかり、彼らは発見されたという。外観にある十字架型の穴は、のちに彼らを記念して造られたんですって!


 ここから、ヤーニスの中庭を抜けて、左手に進んでいくと、リーヴ広場に出る。このあたりにもユーゲントシュティール様式の家が残っている。


 大・小のギルド会館のうち、小の方は、見学ができる。外観からは想像もできないほどの豪華な造りで、当時彼らの羽振りが良かったことがうかがわれる。


 斜め向かいの建物の屋根には2匹の猫が、背中あわせにのっている。ここにも伝説が残っている。この家の持ち主は、ギルドに加わりたいと願ったのだが、ラトビア人という理由で断られた。怒った彼は、ギルド会館にお尻を向けた猫を屋根に造ったのだという。もちろんギルドは激怒したが、「私の猫は規則など持っていないのだから、どうするまおうと勝手だ」と言ったのだという。
その後ギルド会館が、コンサートホールに代わると、音楽に誘われて猫は向きを変えたんだとさ・・・。


 今日はこの辺で、終わりにしよう・・・。


 ショッピングセンターに入り、パンやサラダチーズを手にいれ、残りはアルコールだけ。

 ワインは飲みたいが、フルボトルしかない。店員に聞くと、シャンパンなら小さいものもあるというが。(>_<)

 ここでフルを買ってしまうと、ボトルを持っての移動となる。それも重いしなあ・・・。

 でも結局ワインの誘惑に勝てず、フルボトルを購入。ボトルを持っての移動となりました(*^^)v


 明日の午前中は、今日見られなかったところを見て、お昼頃のバスで移動を予定。

 ターミナルの、インフォで明日のバスの時間を調べてもらう。金曜日はなぜか本数があまりなくて、11:55分のバスで、シャウレイに向かうことにした。


ピンボケの、鶏の写真は、聖ペテロ教会の塔の一番上に取り付けられていたものです。新しいものと替えたので、下に降りてきました。

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 オペラハウスのところから、トラムに乗車。中でチケットを買う。運転手さんから買うと、少々割高になる。

 トラムの7番に乗って終点まで行き下車。


 このあたりは高級住宅地のようで、中国大使館をはじめとするいくつかの大使館の建物が、ある。

 リーガは、ユーゲントシュティール様式の建物の宝庫だ。西欧でのアールヌーボーの運動がおこったと同様、この地でも新しい建築様式が誕生している。

 その時期がリーガにおける建築ブームと重なった為、たくさん建てられたようだ。アルベルタ通りあたりには、かたまって残っているというので、行ってみることにしたのだ。

 確かにたくさんの建物が残っており、本家のそれよりはるかに派手である。おもな建築家は、エイゼンシュテインだ。人の顔や動物をかたどったものが多い。

 それにしてもこの彫刻の見事な事。青・赤といった色の使い方もとても新鮮だ。


 中のひとつ、12番地にある建物は、中を一部公開していた。さっそく入ってみる。
入るとすぐ、らせん状のきれいな階段が目に飛び込んできた。ここは後期ロマン主義の様式で建てられている。壁・家具といったものも、植物をモチーフにしたものが多いようだ。


 たくさんの見事な建築物を見て満腹になってしまったきがする。

 次に向かったのは、国立美術館。ここ外観もすぐれものです。収蔵品は、ラトビアの作家を年代順に展示されている。

 美術館のある公園を横切っていき、運河を渡るとそこはもう旧市街だ。


 この街で唯一残っている城壁を見ながら、スウェーデン門・ラトビア国会・聖ヤコブ教会・3人兄弟と呼ばれる建物を見ながら、マザー・ピルス通りを歩いていくと、リーが城に出る。


 最初は、軍事目的の城だったものが、ポーランド・スウェーデン・帝政ロシアと支配者がかわっていくうちに、建物も改築を重ね。宮殿のような形になってきた。

 最初のラトビアの大統領官邸にもなった。現在は、一部歴史博物館と海外美術館に使われ、残された部分は、再び大統領官邸として使われている。


 入場して、のんびり作品を見ていたら、中国人と思われる人々が何人も、大きな声をたてながら、中を走っていく。とてもあわてているようだ。
中国の方は、普段でもこういうことが多いので、心中迷惑だとは思いつつ気にも留めなかった。

 企画展示部分までやってきて、先ほどの大騒ぎの原因がわかった。


 今まさに、中国の貨幣展と銘打った展示会が、開場するところだったのだ。

 テレビクルー・中国大使館員・ラトビアの政府関係者・招待客などが、会場に集まっていた。スピーチが行われ、テレビカメラが回っている中を、ただ1人無関係の私・・・。

 今展示されたばかりの中国の貨幣の移り変わりを見て歩いていく。

 横の部屋では、これから始まる立食パーティのための簡単な料理やお酒飲みものが用意されている。


 「美術館で飲食しないでください」という注意書きがあるのに・・・こういう場合はいいのかな?

 なんだか今回は本当にいろいろな場面に出くわす。

 もう作品をじっくり見て歩くといった雰囲気ではなくなってしまったよう!(>_<)


写真最初の方が、ユーゲントシュティールの家の内部。

 7枚めの茶色の建物が国会議事堂。

 8枚めの三人兄弟の家は、一般住宅としては最も古いそうです。中に入ると当時の一般住宅の様子がちょっとだけわかります。それぞれに時代によって違う形がよくわかる。  

 耳はダンボ、目は絵画に・・・。(笑)中国の人から記念の小さなメダルもらいましたよ。

 
 リーが大聖堂まできて入場しようとしたら、今日はこれから貸切でコンサートなので入れないという。
明日来ることにした。

 大聖堂を回りこみようにした歩いていくと市庁舎広場にでる。


 このあたりが観光の中心地かな。市庁舎の反対側には、見事なブラックヘッドの会館が立っている。
リーガを代表する建物だが、実はこれは忠実に近年再建されたものだ。

 とはいっても見事な、サファードでレリーフの美しさや大時計の見事な細工に思わずカメラを向けてしまう。しばし見物だ。


 一階のショップで入場券を買い中に入っていきます。

 

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 昨日買っておいたパンで、簡単な朝食を部屋で済ませ、すぐ前のバスターミナルに向かった。

 ところが、バスの出発時間を過ぎても、いっこうにバスは来ない。


 最初はのんびりと構えていたが、だんだん不安になってきた。これまで乗り物は、順調に時間通りに動いていたのになあ(>_<)


 ユーロラインのバスは、出発がロシアのサンクトぺテルスブルグだ。長距離を走ってくるので多少の遅れは出るだろうが・・・それにしても。

 先ほど先発したエコラインのバスは、ガラガラだったのに・・・あちらに乗ればよかったかなあ。

 などと、考えてしまう。こんなことならホテルで、朝食をとれたかもしらないなあ(+_+)


 遅れること40分、やっとバスの姿が。

 やれやれこれでやっと乗れるわ。と思ったのだが、乗務員の仕事の遅い事。長距離だったから遅れたのではなくて絶対こいつのせいだ!!!

 やっと荷物を積み終わり、乗客も席につき「さあ出発だ」と思ったら、彼氏、おもむろにたばこをふかし始めたではないか。これでまた遅れるな。

 
 走り始めたバスは、走っている間中ホーンが鳴り続けている。信号で停車した時だけ音が止まる。でも乗客は誰も、気にしていないようだ。最初は、このバスは整備不良なのかと思った私だったが、どうやらこれは居眠り防止のホーンなのではないかと気がついた。でも、あまり役に立つとは思えないが・・・。

 音は慣れてしまうもの。


 途中で、何箇所かとまる。最初のストップはヴアルガという街だ。この街は、ラトビアとエストニアにまたがる街だ。国境の町ではなくて、街の真ん中に国境があるのだ。ラトビアでは、ヴァルカとなる。

 この街の分割と統合には歴史がある。1920年になり、ともにロシアからの独立を狙っていたエストニア・ラトビア間で争いがおこり、戦争直前までいったらしいが。英国の特使らの仲裁でそれは免れた。

 街の真ん中を流れる小川によって、境界が引かれた。

 その後、ソ連のもとに統一されたのだが、バルト3国の独立によって、またまた分断されることになってしまった。

 今は、EU加盟によって、国境の検査はなくなってしまい、バスに乗っていると、「えどこが国教だったの!」と思うくらいだ。私は地図をしっかり見ていたのでかろうじて、国境を感じることができたのですが・・・。


 一応パスポートも、おなかから出しておいたのに・・やはり要りませんでした。


 リーがのバスステーションに着いた。リーがの街は、大きな街だ。バルト3国の中では、一歩抜きんでている感じがする。街はおしゃれで、洗練されており、西欧の雰囲気が一番感じられる。


 13世紀初頭に歴史に登場し、末にはハンザ同盟に加盟。帝政ロシア時代には、ヨーロッパへの窓口として、発展した。

 新市街には、ユーゲントシュティール様式の優雅な建物が次々と建てられ、バルトのパリとまで呼ばれるようになる。

 ソ連時代には、一時荒廃したのだが、近年修復を終えた街並みは、再び人々を惹きつけているようだ。

 私の楽しみの一つも、ここでユーゲントシュティールの建築群を見ることだ。


 ホテルは、すぐ目の前なのだがその前に現地通貨を手に入れなければ。ここには、1泊2日だけの滞在なので、ATMにて、キャッシングした。

 ATMの機械の前で待っている時に、現地のおじさんがやってきた。彼は機械を使おうとするのだが、最新式の器機だったため、どうしてもうまくいかない。

 ああいうものはどこでも似たリ寄ったりなので、旅行者の私が教えてあげ、代わりにやってあげるというおまけがついてしまいました。


 こう、書くとなんだか危ない気がしますが、全然そんな雰囲気はありませんよ。ATMが多すぎて誰も足を止めません・・。


 この日も、チェックインの時間よりかなり前だったのだけれど、大丈夫でした。此処の部屋も、値段と立地の割には、格安感がありよかったです。


 さあ、新市街まで出かけようか。

一足先に、ユーゲントティール様式の建物をどうぞ。

 1枚目はホテルの部屋です。

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 早々に塔から降りてきてしまったよう。もう少しいたかったのに・・・。

 教会の中では、パイプオルガンの演奏もおこなわれているというのに、なんともさえない話だ。



 教会の斜め向かいくらいに、小さな博物館がある。19世紀のタルトウ市民の博物館となっている。
 行ってみると、開館しているのかいないのか・・・まったく普通の民家だ。

 思い切って中に入っていくと、女性が出てきた。「やってますか?」うなずく。

 ここは、19世紀半ばの裕福なドイツ系市民の生活が再現されているんですって。品のいい家具に交じって、なぜかインコが一羽。これも展示品なのかしら?


 このあたりは、半分朽ち果てたような建物が続く。でも、ちゃんと住んでいるんだよねー。


 歩行者通りの、おしゃれなお店やカフェが続く。リュートゥリ通りだ。



 大学まで戻ってきた。ここは一般人も入れると聞いている。ちょっと敷居が高いが思い切って入ってみる。中に入ったものの、どこに行っていいのかわからない。

 受付があったので、見学できる場所を聞く。美術館とアウラガ解放されているようだ。


 どちらも受け付けは、美術館だというので、奥の方に入ってゆく。

 美術館の受付で、「アウラを見たい」

 入場料を払うと、ちょっと待ってという。ほどなく、1人の女性が現れた。彼女が案内してくれるという。

 彼女のあとからついていく。正直面倒だなあと彼女の背中が物語っている。

 東の果てからやってきた、女性たった1人のために、わざわざ鍵を借りて、案内しなければならないのだから・・・・。


 アウラは、式典会場でクラシックなとても豪華なホールだ。ここで卒業式などの行事をおこなう。
 演壇にも立ってみて、えらい人の目線をちょっと体験。

 大学の正門前には、学際たちがたむろしていて、たばこを吸ったりおしゃべりをしたりしている。本当に優秀なの?と思えるような格好をした人も・・・。それにしても底抜けに陽気だなあ。

 
 大学前の道を歩いていくと、市庁舎の裏手に出る。これで1周したことになる。



 傾いた建物といわれる、タルトウ美術館。このあたりは地盤が軟弱なので、どの建物も多少は沈んでいるらしいが、ここのは大丈夫かと思うほどはっきり見てわかる。地震がないから放置しておけるのだろうね。


 まだ時間があるので、歩いてエストニア国立博物館に向かった。これは思ったより遠くて、たどり着いた時には、疲れてしまった。

 中にカフェがあったので、チケット購入の前にここでコーヒーとキッシュで一休み。

 元気の出たところで、ゆっくり見て回った。期待していなかったのだが、ここは面白かった。
見学者も2・3人なので邪魔されずに見て歩けるし、エストニアの民族衣装の類はコレクションも豊富で、布大好き人間の私は、見ていて楽しくて仕方がない。


 帰りは、大学図書館の横を通り、市場を訪ね、エマユギ川までやってきた。


 川を見ながら、ゆっくりとこの街の雰囲気を楽しむ。

 明日は、3カ国目の国ラトビアへ向かう。

 朝も早いし、スーパーで買い物でもして帰るとするか・・・。

 明日のチケットを購入しておいた方がいいかな。ユーロラインだと、混んでいるかもしれないし。


 バスターミナルに向かい、ユーロラインのオフイスでチケットを購入。ユーロとかエコラインの2社は、窓口では売っていなくて、それぞれのオフィスでチケットを購入しなければなりません。

 

 少し前から、誰もいないのにトイレの水が流れるようになった。

 ジャーっと音がする。

 何でかなあ?と思っていたら、ポタポタという音がするのに気がついた。


 何のことはない・・・。


 タンクの水が、部品の不具合によって下の部分に流れているようなのだ。

 当然タンクの水は少なくなってゆき、ジャーっと水を補給する音が聞こえていたというわけだ。


 昨日あたりからそのスピードが速まってきている。

 修理しなくては、水道代にも影響が出ていそうな感じだ。

 ここは、器用な相方の出番である。

 業者に頼むと、5000円くらいとられるんだよね。

 あいつなら、部品代だけでやってくれるもの!(^^)!

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 朝8時半、エストニアの精神的首都ともいわれるタルトウへ向けて出発。

 タリンからのバスの本数は結構たくさんあるが、この日のバスは、少々古くて乗りごと地が悪く、2時間以上のっているのがちょっとしんどかった。

 11時バスターミナル到着。予約しておいたホテルは、此処からすぐのはずだが・・・。


 ありました!ターミナルのまん前という願ってもない立地にあった。

 チェックインの時間までにはまだ早いのだが、たぶん大丈夫と踏んで中に入っていく。

 明日の朝は、早いので食事はいらないといったのだが、値引きはなし。あわてるのも嫌なので、精算も済ませておいた。

 部屋は案外広く、ターミナルの様子が一目瞭然・・・手に取るようにわかる。ここなら5分前に飛び出していけば間に合いそうだ。

 トランクも開かないまま、ガイドブック片手に部屋を出る。ホテルの周りには、デパートやショッピングセンターがたくさんあり、今晩の食事調達には苦労をしなくて済みそうである。

 
 目指すは、インフォの有るラエコヤ広場である。あちらこちらの地元出身の彫刻家の作品が、置いてある。大学の街といわれるだけに、若い人の姿が多く見られる。

 タルトウは、タリンが商業の街であるのに対し、頭脳と魂はここにあると、いわれている。大学の歴史は、400年に及び今も多くの人材を輩出している。

 11世紀には交易の中心が築かれ、その後ハンザ同盟に加盟、商業都市として栄えたのだが、スウェーデンがここに大学を創設してからは、学問の街として名をはせる様になった。


 1920年、ロシアからの独立を果たしたエストニアは、この街で条約を結び新しい歩みを始めたのだ。

 街の中心はこれから行くラエコヤひろばで、ここから南が新市街、北が旧市街と考えてよさそうだ。


 広場の背後には、トーメの丘が控えている。この丘は、要塞のであると同時に神聖な場所でもあった。

 通りで2分されていて、悪魔の橋・天使の橋と呼ばれる2つの橋で結ばれている。

 ここには大聖堂や、解剖博物館・旧天文台・大学の歴史博物館、そしてたくさんのモニュメントがある。

 
 ラエコヤ広場は、18世紀の大火で焼失したあとに建てられた、石造りの3階建ての建物の囲まれている。象徴である市庁舎は、1789年に建てられ、現在も使用されている。

 一階にはインフォがあるのだ。広場の真ん中には、キスの噴水と呼ばれる噴水があり、傘をさした恋人がキスをしている姿が印象的である。

 インフォで、地図をもらって、モデルルートの4時間というのを選んで、観光の開始だ。

 丘を取り囲むように歩き、小さな道を登っていくと丘の上に出た。

 旧天文台の建物が現れる。タルトウ大学の天文台で、世界最大の屈折望遠鏡(当時)があった。ドイツの天文学者シュトルーヴェは、ここで業績を残したそうだ。

 世界遺産に登録されている「シュトルーヴェの測地弧」は、この天文台が最初の測量点となったそうで、記念碑も建てられている。読んでも私には何のことかさっぱりわからずでしたが・・・。


 少し歩くと解剖劇場の半円状の建物が現れる。劇場という名前だが、人体解剖の実習をしたところだ。こういう劇場のような建物で行ったところを見ると、解剖は見せものだったのかしら?

 怖いのでここは、パス!

 さらに進んでいくと天使の橋が現れた。名前はロマンチックだが、普通の橋だ。億手に見える悪魔の橋が黒いのに対してこちらは白く塗られている。
 天使の橋に女性・悪魔の橋に男性が並んで歌を歌う伝統があるとか・・。

天使の橋の向こうには、半分壊れてしまった大聖堂の姿が・・・隣にある古めかしい建物は、大学の歴史博物館だ。

 13世紀の建設が始まった大聖堂は、15世紀に完成。16世紀の宗教改革以降廃墟となってしまったが、19世紀初頭大学の図書館となり、現在は歴史博物館となっている。

 塔の部分は、屋根が抜け落ちたままになっている。

丘を下り大学前の道を進んでいくと、聖ヨハネ教会がある。ここは14世紀にリューベックの職人たちによって作られたんですって、北ドイツの雰囲気があります。

 素焼きのぞ像が1000位徐もあったそうだが、度重なる戦争によって大きな被害を受けたという。
今はコピーが、飾られているが素朴で見ているとなんだかほんわかしてくる。

 塔に登るには料金がいるのだが、せっかくだから登ってみることにした。


 登っている途中、水の音が聞こえた。「え?なんで?」一番上まで行って正体がわかりました。
そこにいたのは1人の男性。彼の仕事は、登ってきた人の監視なのだろうが、トイレに行きたくなった。

 でも太っているので上り下りがしんどい。幸い誰もいないし、エーイここでやっちまえ!

 そこえ、私が登ってきてしまったというわけだ。足元にはまだ湯気の出ていそうな彼の産物が・・・・。


 日本語で思いきり言ってやりました。「信じられない。こんなところでするなんて。マナー違反じゃん!」ほんとは現地語がしゃべれたらよかったんですが。

 早々に降りてきてしまいました。
 

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