好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2011年06月

 
昨日は、旅友とランチでした。
 
女ばかり5人で、食事をしながら楽しい時間を過ごせました。
 
今日から、2週間ほど留守にします。
 
ネットで見るとアイルランドは今年は寒いそうで、最低気温はまだひとけたを指しています。
 
天気もあまり芳しくなさそうで・・・
 
では、行ってきます。
帰ってきたらまた旅行記アップしますのでよろしくお願いします(^^♪

チェックアウトして、荷物を預けてから、歩いて1分の駅まで向かう。
 
観光案内所で、虹の松原への行き方を聞く。
 
市内循環バスに乗り10分ほどで、シーサイドホテルというバス停で降りると、そこが松原の西の端っこに当たる。初代藩主が慶長年間に植樹したもので約100万本のクロマツは、潮風を防いでいる。
 
 全部を歩きとおすことは、しんどいのですこしだけ歩いてみたが、誰もいない松林の中というのは案外恐ろしく早々と引きかえす。
 
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ここから城までは、600mほどの距離である。
舞鶴橋から見た唐津城はとても優美である。
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唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩広高が、1602年から7年の歳月を費やして完成させた。
別名舞鶴城。現代の城閣は、昭和41年に観光施設として完成したものである。
 
城からは、玄界灘が一望できる。
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参拝すると、宝くじが当たることで有名な宝当神社は、城下から出ている船ですぐである。
 
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天守に入ったところで、ゆるキャラで人気の出ている、からわんくんの出迎えを受けた。かわいいな!
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城を降りて海沿いの石垣の散歩道を進んで行くと、旧高取邸に行ける。
この屋敷は絶対に見逃せない。
 
約2300坪という広大な敷地に、大きな2棟の建物が建っている。それは、居室棟と大広間棟と呼ばれ、大正・明治期に建てられた。
 
和風を基調としながらも、そこそこに意匠を凝らしたつくりが見られ、輸入の製品もたくさん使われている。光の遊びをふんだんに取り入れてあり、そこに居るものをゆったりとさせてくれる。
 
見事な杉戸絵は、1人の画家によるものだという。
 
大広間棟には、何と能舞台もしつらえてあるのだが、今は使われることがないという。なんだかもったいない話であるが・・・・。
 
内部は、撮影禁止なので、外観の写真しかないのが残念であります。
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唯一の洋間、これ実は木造です。
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大広間棟外観
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 母屋の周りには、使用人のふろや家族のふろ食糧庫・貯蔵庫・土蔵などがあり、何とワインセラーまであったのには驚き。中身はみなからでしたが・・・(>_<)
 
手前の黄色の壁の建物がお風呂です。
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いいものを見させていただいたなと足取りも軽い。
 
次に向かったのは、河村美術館だ。
全然知らなかったのだが、青木繁の作品が18点もあるのだ。青木は九州出身なのでその縁で収集したのだろうか。
 
続いて、唐津っ子の心のふるさと、唐津くんちの曳山を展示してある曳き山展示場に、入った。
写真などでよく見る鯛の曳山が目に飛び込んでくる。
 
くんちは、毎年11月の3・4日の行われ、市中を曳山が競い合いながら引き回される。
くんちは、重さ2~4トン。一閑張工法で作られていて、完成までには2年ほどようするという。
全部で14基あり、曳き台にて曳かれていく。
 
  源義経
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この後は、大名小路から、旧唐津銀行に向かいます。
 
あの有名な建築家、辰野金吾は、ここ唐津藩の出身だという。その縁で、唐津銀行の設計を同級生から頼まれるのだが、当時金吾は「東京駅」の設計工事の真っ最中であったため、愛弟子の田中実にここの設計を委ねた。
 
 田中は、師匠の故郷であることをかんがみ、建築全体のデザインには「辰野式」を採用した。
 
平成22年に修復を終え、公開されるようになった。
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一階は、営業のためのスペースで、カウンターや金庫室などがあり、吹き抜けになっている。
階段室から2階に上がると、マントルピースのある部屋があり、展示室になっている。
 
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吹き抜け部分
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ここまで、休憩も取らないで歩いてきたので、さすがに少々疲れてきた。
が、もうひと踏ん張り。
 
最後は、近松寺だ。といっても何も知識はなく、地図に記されていたので行ってみるといったところか。
観覧料は無料で、本堂の後ろには、舞鶴園という、庭がある。これは、豊臣秀吉に随行した曽呂利新座衛門が、唐津湾の風景を写して造園したと伝えれれている。
 
京都のお寺のような感じです。
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びっくりしたのは、近松門左衛門のお墓があったことだ。
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 近松って大阪生まれだと思っていた(>_<)
 
唐津は思いのほか深く楽しかった。
ここでやっと、お昼をいただく。佐賀牛のカレーです。
 
帰りは、JRと地下鉄を乗り継いで、福岡空港から帰るのだ。
 
1時間すこしで、空港に着いたのだが、機体の到着が遅れているとかで出発時間が遅れるとある。
早く家に帰りたいのだが、仕方がない。
 
当初は、10分ほどの遅延の予定だったのが結局30分遅れの搭乗となってしまった。
しかもだ、あわて者が1人いた。彼は、お粗末にも自分の頭をトランクの収納部分にぶっつけたのだ。案外強く打ったのか少し血が出ていた。
 
心配した地上職員やアテンダントは、世話をする。名古屋への最終便は、この後なので、上空で気圧の変化で出血がひどくなってもまずいということになり、急きょ彼は降機ということになった。
手荷物だけならよかったのだが、預け荷物があったから厄介である。いったん積み込んだ手荷物の中から探し出すということになったので、ますます遅れることとなってしまったのだ(+_+)
 
そんなこんなで、大幅に遅れての離陸となったのだ。
 
中部に着いてから、私は走ったよう!連絡の列車の運行間隔がこの時間はかなりあるのだ。この列車を逃すと30分は待たねばならない。
 
走れ!走れ!
 
幸い荷物はないので身軽なものだ。でも息は切れた・・・・。
 
切符は、ともかく1区間を買う。後で精算すればいいのだもの・・・。
 
おかげで何とか間に合いました!(^^)!あー、よかった。
 
 
 
 
 
 

 
いやー本当に軍艦のように見えるわ!
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もともとこの島は、一番高いところのみの草木のない小さな島だったのだが、周りを6回にもわたって埋め立て、護岸堤防の拡張を繰り返した。結果今のような形になったのですって!
 島の本当に名前は、端島という。南北やく480m。東西160mの小さな島だが、最盛期の人口密度は東京のそれの9倍もあったという。
 島の形が軍艦「土佐」に似ているところから、軍艦島と呼ばれるようになった。
実際に戦争中、石炭の積み出しを行っていた接岸した船が、米軍の魚雷を受けたという。
 
このようにして、一艘づつが時間を決めて上陸します。上陸時間は1時間ほどで、見学場所も決められていて、そこから他には立ち入り禁止です。
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この島は三菱の経営でしたので、学校も三菱社立で1893年に建てられましたが、その後町立になりました。
病院・映画館・体育館・公園・プール・パチンコホールなどもあり、外の島からやってきた行商の人々が、食料を売っていたという。お昼ころにはすべて売り切ったそうです。
 
旧小中学校。
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各建物は、エレベーターがなかったので、こうした連絡通路で結ばれていました。
 
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電気は、当初自家発電でしたが、後に隣の高島から海底ケーブルで送電されるようになった。
今も、切れたケーブルを見ることができる。
 
水も、当初は海水を蒸留していたが、後には給水船によってはこばれ貯水槽に蓄えられ、1952年になるとこれも海底送水管によって対岸から送られるようになった。
 
灯台と貯水槽・・・灯台は、島に住人がいなくなってからつくられたそうです。住人がいる間は、照明がついているので必要がなかったそうです。
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 花形産業だけに、給料も待遇もよく近代的な生活を送っていたようです。
 
1916年に建てられたアパートは、日本で最初の鉄筋コンクリートの建物で7階建て。高層住宅と言われたそうです。
 今は、
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幹部社員のアパートは、島の一番高いところに建てられ、当時は珍しかった水洗トイレがあったという。
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緑がないので、屋上庭園を造ったり、壁を緑に塗ったりもしたという。
 
しかし、時代が移るに従ってエネルギーの主役は、石油に移っていき出炭量も人口も徐々に減少していった。そして、1974年1月に閉山となったのだった。
 
階段は、竪坑に向かう階段です。男達は、この階段を上って竪坑桟橋に向かったという。
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事務所とお風呂のあった建物・・・戻ってきた男達は、お風呂に直行したそうです。
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貯炭場とベルトコンベアーの残骸
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島民は、わずか3カ月のうちにこの島を出ていかなければならなかったので、まさにとるものもとりあえずといった感じだったらしい。テレビや家具も持っていかないでそのままになっている部屋もあるそうです。
 
この炭鉱は、閉山鉱としては唯一黒字であったので、給料も退職金も満額払われたという。当時としてはかなりの大金を手にできたことは、再出発の助けになったと思われる。
 
 ガイドさんは、この島の出身者で、彼の話を聞いていると、自分の故郷を捨てざるを得なかった寂しさ、そして故郷がどんどん朽ちてしまっていく寂しさ、が伝わってきて思わず涙が溢れそうになりました。
 
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そして、今も故郷に戻ることができない、原発で避難している人々の気持ちを想像しました。本当に彼らが、故郷を捨てなければならないということに、ならないことを心から祈ります。
 
人が住まなくなると、自然はすごい勢いで、そこをもとの姿に戻そうとするのだなと・・・・。
 
 かっては全然緑のなかった島にも、今は緑が覆い尽くそうとしている場所も
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いま、端島は、世界遺産の暫定リストに掲載された「九州・山口の近代化産業遺産群の」構成資産の一つとして登録されました。
ガイドさんは、「登録されることが目的では無くて、残すための手段です」
この小さな島の行く末を、見届けたいとおっしゃっていました。人が作り上げた島が、人間がいなくなった後どのようにして自然に戻っていくのか見届けたいと・・・・。
 
なんだか心の中に、一つ宿題をもらったような気持ちで、長崎の街に戻ってきました。
 
 ホテルに戻り、荷物を受け取り、バスターミナルから唐津に向けて出発です。
高速を通るので案外早く着きます。到着予定は5時半でしたが、途中渋滞にはまり少々遅れることになってしまった。
 
佐賀県に入ると、窓の外の風景が変わります。麦畑が目立つようになり、収穫の時期を迎えていました。
そう言えば今の時期を麦秋というんだよな、なんて。
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 6時ころ、唐津市内に着きました。
ホテルは、JRの駅の南側なので、バスターミナルからは歩かねばならない。
とはいっても10分ほどですけどね。
 
名物のイカのハンバーガーを食べたかったのですが、売り切れていました(>_<)
今晩は、何を飲もうか!

 
 県立美術館の辺りは、開発が進んでとても素敵な空間になっている。
 
港と空、緑と水辺が一体になるように設計されているのだ。
 
すっきりとシンプルで開放感があるので、散歩していてもとても気持ちがよい。
 
美術館は、運河をはさんで2棟に別れており、連絡橋のところがカフェになっている。
 
屋上庭園や、運河ギャラリーは誰でも行くことができる。
 
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運河ギャラリー
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長崎港・・・水辺の森公園から見た
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美術館・・・スペイン美術のコレクションが特色
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出島ワーフ・・飲食店などが入っている
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 そろそろ集合時間です。
 
事務所に向かい、上陸に関する宣誓書にサインをしていよいよ出港です。
 
この船で向かいます。
往復一時間ほど、上陸時間も1時間ほどです。
波が荒いと上陸できません。その場合は、周遊コースに変更になります。
 
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産業の構成資産の150トンクレーン
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三菱造船所を脇に見て新しい橋を潜り抜けていきます
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マリア像と教会も
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医王島の教会
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あらためて長崎におけるキリスト教の信仰の深さを感じます。
 
長崎県は、海底炭鉱の多かったところでもあります。
この高島もその一つです。今は、住む人もいなくなって風前のともしびのようですが、最盛期には学校もありましたしたくさんのアパートもありました。風力発電とは、なんとも皮肉な話です。
 
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磯釣り公園があります。
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この島も何時か無人になってしまうのでしょうか?
 
本当に軍艦のような島が前方に見えてきました。
無事上陸できるでしょうか・・・。
 

 
今回、長崎を訪れようと思ったきっかけは軍艦島に行ってみようと思ったからだ。
 
2年ほど前から上陸できるようになり、ツアーもいくつかできた。
 
かっては時代の最先端事業であった炭鉱は、新エネルギーで台頭により、表舞台から消えざるを得なくなってしまう。
 
 その最先端のエネルギーのはずだった原子力が、今回の震災ではとてつもない負担をわれわれに課してきた。時の移ろいというもののむなしさを考えてしまった。
 
 そういうこともあり自分の目で、かっての炭鉱の島の朽ちていく様子、そして自分の故郷を捨てなければならなかった人々の気持ちを、少しでも感じることができたらいいなと思ったのだ。
 
 集合時間までの時間を、出島や、新しい県立美術館、水辺の森公園などを見て歩くことにして、ホテルを後にした。荷物はもちろん預かってもらいますが・・・。
 
 出島の当たりも、開発が進みいくつかの建物が再現されていた。以前はミニチュアがあっただけだった気がするのだが・・・。
 
 8時半から開いているのだが、さすがにまだ人の姿はほとんどない。
 
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 掃除の人たちは、丁寧に丁寧に磨いてくれているおかげで、どこもかしこもピカピカである。
普通は埃っぽいのになあと感心してしまう。
 
 カピタン部屋とある建物はとても大きく、奇麗である。入り口もちょっと変わっている。
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 阿蘭陀商館長の事務所や住居として使用されていた出島で最も大きい部屋だ。接待にも使われていたそうで、それらのおもてなしの様子なども再現されている。
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復元されたから紙や照明器具もすばらしいです。
 
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海に向かって開いている部屋
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出島の神学校とミニ出島
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旧長崎内外クラブ
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オランダ船の船長や商館員の部屋。一般船員は、船で寝泊まりしていたらしいです。
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1636年、江戸幕府はキリスト教の布教を禁じるために、長崎の有力な町人に命じて15000平米の人口島を築き、そこにポルトガル人を収容したのが出島の始まりだ。
 
鎖国令によって、ポルトガル人の来航が禁止されると、いったんはここは無人の島となったが、平戸のおらんだ商館が出島に移転してきて以来、218年もの長きにわたり西洋に向けた唯一の窓口としての役割を果たしてきた。
 
まだ少し時間だあるようなので、県立美術館のある公園のほうへ行ってみよう。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
マイレージが期限切れになりそうなので、1人で九州へ行ってきました。
 
8時10分中部を離陸した飛行機は、9時35分には長崎空港に到着した。
 
大急ぎでバス乗り場に向かい、連絡の良い便に乗り継げた。
 
市内までは、45分ほどの時間だ。
 
予約しておいたホテルのすぐそばに泊まるので、フロントに立ち寄り、荷物だけ預かってもらった。
 
波止場へ行って驚いてしまった!「きれいー・・・。」
そう、開発によってすっかりきれいになってしまっているのだ。
 
思えば長崎は、学生時代に訪れただけだものね。長崎県にはその後訪れる機会もあったのだが、長崎市内には今度が久しぶりの訪問だったのだ。
 
ショッピングセンターの裏手にあるターミナルに向かう。
 
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 福江には、フェリーとジェットフォイルが就航しているが、時間の節約のためジェットでむかう。
じそく80km以上もスピードが出るので、90分もかからないで着くことができる。
 
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こんな船も停泊しています。
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座席は指定制だが、かなりの空席が目立つ。
 
11時半に出港した船は、12時50分頃に福江のターミナルに入港した。
真新しい感じのするターミナルである。
 
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 実は、何も下調べをしないでやって来てしまった(>_<)
島だからそれほどの事もないだろうと勝手に思い込んでしまっていたからなのだが、それは大きな間違いで、ここを効率よく回るにはレンタカーが必需品であった。
 
 見所が点在しているのだ・・・。観光案内所で、地図をもらってともかくおなかを満たそうと港の外に向かった。
港の前には、小さな食堂が2軒ほどあった。そのうちの一軒に入り、名物の五島うどんを注文した。
 
 地図を見ながら「ハテどうしたものか・・・。古い教会に行くには、徒歩では絶対に無理である。タクシーもチャーターして回らないと無理だろうし・・・」
 教会は、あちこちで見ているので今回はパスして、歩いて回れる範囲を見て歩くことにした。一晩泊まれば、よかったなあなどと後悔してしまった。
 
 海の中にあるのは、昔の灯台か。地図を見ると、常灯鼻とある。
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 市街地を進んで行くと、お城の堀が残っている。門から中に入る。
建物は何も残っておらず、石垣のみが往時の面影を残している。城跡には、観光歴史資料館や図書館、高校などがあるようだ。
 
 
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 中に入るのは後にすることにしてさらに進んで行くとこんな地名が目に飛び込んできた。
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地図にも、武家屋敷通りとあり、昔の街並みが残されているようなので、行ってみることにした。
 
電線がなかったらもっと素敵なのにね・・・大きな石で作った石垣の上に、小さな石垣を重ねて並べた珍しい作りの石垣が並んでいる。
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 港の方向へ引き返しながら、国指定名勝になっているという石田城・五島氏庭園・心字が池に入ってみる。
入場料500円なり。
 
 
 建物は、かなり傷みが激しく今は住んでいないように見える。池は心の字をかたどってつくられたので、この名がつけられたという。水連がとてもきれいに咲き誇っていた。
 大きなクスノキは、樹齢800年以上といわれるもので、パワースポットとしても有名らしい。
 
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福江城は、地元では石田城と呼ばれているようで、街の真ん中に黒船の来航に備えて、第30代藩主の時に、15年の歳月・述べ5万人の動員によって、文久3年(1863)完成した。
 
かっては、日本を守るという使命を担った海城として有名であった。
 
 南の庭らしく、南方系のビロウやソテツなどの植物が植えられている
 
 すぐ近くにある歴史資料館に入って、五島のことを少しお勉強(*^_^*)
 
遣唐使船の南路の最後の寄港地だったとか、弘法大師も立ち寄ったとかはここで初めて知りました。
 
五島は、世界遺産入りを目指しているとかで、古い教会の資料なども展示されていた。
目を引いたのは、へトマト祭りに使うオオわらじで、3m近くもあろうか・・・。
 
バラモン凧は目にも鮮やかである。
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 歴史資料館も図書館もお城のような造り堂々としたものです。
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 帰りの便の時間が近づいてきた。港に戻ってお土産屋さんでも見ていこうか。
 
かんころ餅を買い、イカの練り物を使った串を今晩の酒の肴にかいました。
 
後は、長崎に戻ってワインを買ってからホテルに向かおう。

 
バスで、長崎から唐津に移動している途中、トイレ休憩に立ち寄ったパーキングエリアで・・・
 
最近は、街中では見かけなくなってしまいました。
 
子供のころはそれでも、タクシーの営業所とか、田舎の駅のホームの屋根などで見かけることができたのですが・・・。
 
 ツバメたちはどこで巣作りをしているのかなあと思っていたら、まだまだ余裕のある人たちもいらっしゃるんですね。なんだか嬉しくなってしまいました。
 
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今回の旅でも、猫に会えました。
 
もうかなりむかし・・・やはり長崎を旅した時にも、たくさんの猫達に出会った。
 
港のあるまちにはやはり猫が似合う(^O^)
 
人々の猫との距離感もほどよいようだ・・・。
 
ここにのせた猫も、飼い猫ではないのだけれど、寄ってくる以上は面倒を見ているといった猫達です。
 
なので近づいても逃げません(^^♪
 
 
福江の後藤邸で見かけました。
奥さんによると、「家の中には絶対に入ってこないのよ」
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こちらも
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眠たそう・・・
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この子は、唐津城の入り口のところで会いました。
遊んでやると、こんなポーズに・・・。
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