好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2011年07月

トリニティカレッジは、アイルランド最古の大学である。

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数々の著名人を輩出している。オスカーワイルドも此処の学生であった。

1592年にエリザベス1世によって創設された。
ここを訪れたのは、有名な「ケルズの書」があるからだ。正門を抜けると中庭にでる。その中庭の右の方にオールドライブラリーがある。
カレッジの図書館は、日本の国会図書館の様に法定納本図書館であり、イングランド・イギリスで発行された本の納品が義務付けられている。
蔵書数約300万冊で8つの図書館に分かれている。その中のオールドライブラリーは最も古い建物で、1712年に建てられた。「ケルズの書は」此処におさめられているのだ。

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図書館の2階は、ロングルームと呼ばれる長さ25mの部屋で、両側に並んだ書庫にびっしりと本が並んでいる様子は、壮観である。だれでも許可をとれば閲覧できるのですって!本好きにはたまらないかも・・・。

他にも医学関係の実験道具や、プロフェッサーの彫像、アイルランド最古のハープ等が展示されている。

「ケルズの書」とは、豪華な装飾が施された4つの福音書の事である。アイルランド最高の宝の一つと言われている。製作者は、9世紀、ヴァイキングの襲来でケルズへ逃げてきた修道僧だ。ラテン語で書かれた4つの福音書をもとにケルズ修道院で制作された。

紙ではなく皮に、鉱物で金や様々な鮮やかな色を施している。模様は、ケルト特有の渦巻き模様や人、動物等が描かれ、文字は肉太で丸みを帯びており、アイルランドで4・5世紀に使われたアンシャル文字が使用されている。

インクは、はるか中東から運ばれてきたものが使用された。

暗い部屋に展示されているのだが、これを見るのが一苦労である。皆のぞきこんでじっくりとみたい。そうなると席取りゲームのようになってしまうのだ。展示されているのは、ほんの一部分だけなのだが、その豪華さはよくわかった。

続いて歩いて国立博物館向かう。

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博物館の隣がレンスターハウスと呼ばれる上院と下院のある建物だ。

国立博物館は、1880年トーマスディーンの設計で創立された。ちなみに入場料は無料である。
紀元前2000年~現代に足るまでの様々な工芸品や出土品が展示されている。

特徴のある天井が美しい。
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展示品の一部です。
タラのブローチと呼ばれるもの。日本でいえば国宝ですって!

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こちらもブローチです。とがった先は武器にもなったそうです。
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金製品の数々
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銀製品、これは攻めてきたヴァイキング?
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びっくりしたのはミイラがあった事です。とてもリアルでちょっと気分が悪くなる程です。これは。薬を用いて作ったものではなくて自然にできたものだそうです。泥炭地は、空気を含んでいないので保存には良いそうです。
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土の間に、埋もれていたので皆ペチャンコです。
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ドアの飾りでしょうか。人の顔がとてもユニーク。

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午後からは自由行動です。まずは腹ごしらえということで目に付いたカフェに入り、ベーグルサンドで腹ごしらえ。ずっと団体行動だったので、ちょっと嬉しい。やはり一人は気楽だ。

アイルランド国立美術館は、フェルメールを所蔵している事で有名だ。作品は以前日本に来た時に見ているのだが、所蔵している美術館で見たいと思っていた。所がところがである。ここはただ今改装中なので日本に貸し出しているのだ。出発前に承知していたのだが、やはり行ってみる事にした。雰囲気だけでも味わいたいと思ったのだ。

でも、半分ほどの展示スペースしかないので、消化不良の気分です。
ピカソ・ゴッホ・ドガ・セザンヌ等もありましたが、嬉しかったのはカラバッジョに会えた事です。こんな所で彼に会えるなんて(^^♪

時間がある様であまりない。夕食はパブで皆と一緒の最後の食事をする事になっている。2時間ほどしかないのであまり遠くには行けそうもない。本当は対岸の市立美術館にも行ってみたかったのだが、閉館時間を考えると少々厳しい。

で、当てもなくぶらぶらすることにした。

今日から夏休みだというので賑やかな歩行者通りのグラフトンストリートに向かう。
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そのまま、リフィ川の方向に歩いてゆき、テンプル通りのはずれから、市庁舎に行ってみる。
此処は一階のホールのみだれでも入れるのだ。
1779年、王立両替所として建設されたものだ。1798年の反乱では、政府軍の兵舎および拷問部屋として使われたという。
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コリント式の柱と綺麗な壁画が特徴。1852年にダブリン市の物となった。

すぐ裏手には、ダブリン城があるようなのでそちらに行ってみます。 










聖パトリック大聖堂は、アイルランドで最大の教会だ。この場所では、450年頃守護聖人パトリックがキリスト教への改宗者の洗礼を行っていたと考えられる。

かっては木造の礼拝堂だったものが、1191年、現在の石造りの大聖堂に建て替えたとされる。クライストチャーチが英国国教会と関係を深くしていったのにたいし、こちらは民衆の教会として存在してきた。

現在大聖堂は、アイルランドのプロテスタントの教会のひとつになっているから事がややこしい。見学していると、カトリックの教会の様な気がしてきてしまう。

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1320年~1520年にかけては、アイルランド最初の大学としても使用された。ガリバー旅行記で有名なスウィフトは、18世紀教会の司祭長を務めた。頑固者として知れ渡ったという。

聖堂内には、スウィフトと彼の永遠の恋人であるステラのお墓もあります。

2度の大戦イギリス旗や慰霊碑もあり、先日エリザベス女王が訪問の折にもここを訪れたという。
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またアイルランドで一番古いパイプオルガンと聖歌隊を有しています。
たくさんの旗の奥にパイプオルガンがあり、この旗の下で聖歌隊が歌います。
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この古めかしいドアは、1492年にキルディア卿とオーモンド卿が争った時、教会に逃げ込んだオーモンド卿に対し、和解の為にキルディア側が空けたとされる。ここに手を突っ込んで双方は握手をして和解に応じたとされる。
ここから生まれた慣用句が、chance your arm なのですって!
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ビールで有名なギネスは、60年代にこの聖堂の修復のために莫大なお金を寄付しています。

この後バスは、フェニックス公園を目指します。公園は、市の北西に広がるヨーロッパで最大の敷地面積を誇る。日比谷公園の45倍と言われてもピンときませんが・・・・。

公園内には、1978年にパウロ2世が野外ミサを行ったという十字架や、ホワイトハウス、MGMのモデルになったライオンの居た動物園やモニュメントなどがある。


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こちらはアメリカ大使の公邸
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巨大な十字架、ポルトガルやリオにもありますが・・・。
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アイルランドにもホワイトハウスがありました。
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バスは、公園の外に出て、主な通りを車の中から見せてくれます。
ギネスの工場、リフィ川に面した所にある。
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川にかかっている橋はほんとに皆かたちも工法も違う。渡ってみたーい!
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こちらは中央郵便局。イオニア式の玄関が印象的である。1815年、フランシス・ジョンストンのデザインによって建設された。1916年のイースター蜂起の際には、アイルランド義勇軍の司令部がおかれた。ここで、「共和国宣言」が読み上げられたのだが、蜂起は鎮圧され主な人物達は、処刑されてしまった。

優雅な建物はそんな歴史を感じさせない
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再び川を渡り、アイルランド銀行を右手に見ながら通りを進んでいく。
アイルランド銀行は、1729年から10年間アイルランド自治議会の議事堂として建設され、1800年に大英帝国に併合されるまで使われた。
アイルランド議会は、英国議会と統一されると自ら閉会した。その後、アイルランド銀行が4万ポンドで買収して、1801年に本店としてオープンした。
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正面玄関側に窓が一つもない。これは、議員達が外の様子に気をとられないようにとの事らしい。外国人でも、預金が無くても中に入れます(^O^)

アイルランドの最高学府、トリニティ・カレッジに入ります。
1592年にエリザベス1世によって創設されたアイルランド最古の大学です。







ダブリンは、もともとケルトの小さな町だったが8世紀末にヴァイキングがリフィ川から攻めて来て、破壊してしまい、ここをダブリン(黒い水)と名付けたのが始まりだ。

そのリフィ川河口
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海賊船ではないでしょうが・・・
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イングランド王ヘンリー2世が此処を占拠したのが12世紀後半のことである。王は、この町を起点にしてアイルランドにおける勢力を拡大してゆき16世紀には、街は城壁を超えて拡大する。
そして、18席後半になると大英帝国第2の都市として発展した。

街には、今でもそのころのジョージア朝の建物が多く存在している。
ドアの色が違うのは、自分の家を間違えないためらしい。これらの建物は皆文化財の扱いである。
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中でも特に美しいこのドアは、レースのドアとしてとても有名だという。
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これはがっこう
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もっとも古い建物ばかりではなく、奇抜なものもかなり多くみられる。
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リフィ川の北を南北に入っている大きな通り、オコンネル通りのモニュメントもそんな奇抜なもののひとつかもしれない。

光の尖塔とよばれる
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19世紀後半から独立運動が盛んになり、1922年に独立して以来ダブリンは首都として発展してきた。新しさと古さとが混在した街という印象を受けた。

街には、800件を超えるパブがあるとされ、ストリートではパフォーマンスが繰り広げられる。
街のあちこちにレンタサイクルが設置されており、登録すればだれでも、どこでも乗り捨て可能である。
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テンプルバーと呼ばれる地域のパブ。テンプルさんがこの辺りの土地を所有してい たのでその名がついた
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今では若者の集う先進的な地域として、またアートの発信地区として注目されている。

石畳の続く美しい通り、近くには古めかしい大学や銀行・教会等がある。
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街の紹介は、一旦中止して観光に出発します。
最初に訪れたのは、聖パトリック大聖堂です。






義父の所へ行く前に、市立美術館で開催されている、レンブラント展に行ってきました。

版画もたくさんあり、レンブラントの素晴らしさを堪能できる作品も多かったのですが、日本の展覧会場は制約が多くて何時も不満です。

海外等の美術館は、仕切りもなくガラスに入っていないものもあったり、自由度が高く、作品のすぐそばまで近寄って、舐める様にみる事が出来、小さな版画の作品も堪能できるのですが・・・・・。


借りて来ているせいもあるのだとは思うのですが、8cm四方の小品等を離れて観賞しろという方が無理だと思う。
今日も、何度か注意されてしまった!


「でも見えないんですけど・・・」
「近寄っていただいてもいいのですが、お手が触れたり、メガネがあたったりすると・・・」
「手を後ろに組んでいますし、眼鏡も外します」

すると今度は、
「移動なさいます時は、離れてから移動して下さい」

やれやれです。

高い入場券、混雑する会場、注文の多い見張り番。

疲れます。でも見たいのだから仕方が無い・・・・・。


大聖堂は、ほぼ遺跡の中央にある。大聖堂というがそれほどの大きさがあるとは思えない。此処もやはり木でできていた天井は抜け落ちてしまっている。


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かつて、床には藁が敷かれていたという。初期石積み教会の代表的な建物である。
7世紀には建てられていたが、12世紀になってからアイリッシュ・ロマネスク様式に大改造された。

特徴もはっきり見て取れます。
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おびただしい墓石やケルト十字の中に聖ケヴィンの十字架と呼ばれる初期ケルト十字架がある。
十字架と太陽を合わせるとこんなかたちになる。まだ穴が開いていない。
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石に触るとほんのり暖かい・・・。

墓地の中に遺跡があるのか、遺跡の中に墓地があるのか・・・・
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十字架も様々です。
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大聖堂の南側にあるのが聖ケヴィンの教会。特徴的な急こう配の屋根とそこから突き出ている円塔もすべて、石積みで造られている。
これもロマネスク様式が入ってくる前のアイルランド初期教会建築である。
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中にも入れさせていただきました。2重構造になっており、外から見ると三角の屋根なのに内部は、半円になっている。階段で上下がつながっている。天井の石と石の間には、セメント代わりの砂・石灰の粉・牛の血・馬の毛を混ぜ込んだものが詰められている。

聖ケヴィンは此処で、祈りと瞑想の日々を送ったいう。

2つの湖のうちロウアーレイクまで足を伸ばしてみました。
離れた対岸から見るとこんな感じに見えます。


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墓地にいると落ち着く私は、ここもかなりお気に入りになりました。

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夕方6時過ぎ首都ダブリンの町に戻ってきました。ホテルは、リフィ川沿いなのだが中心地からは結構離れている。

スーツケースを自分で運べば良かったのだが、ちょっとだけ外に出てこようと思ったのが間違いのもとだった。

外出から戻ってもまだ荷物が届いていない。同室の彼女の物は。もう届いているというのに・・・・。
同じフロアにあるのかと探してみたがない!!!!

違う階も探してみたがやはりない(+_+)

最後の最後になってトラブル発生か!ともかくレストランに向かい添乗員に荷物が届いていない事を告げた。
彼もかなり驚いた様子で、「僕が探しますから、ともかくお食事をしていてください」

と言われても何となく気になって、せっかくのワインも何となく美味しくない。おまけに今日は計画停電の日なので、ホテルの電気が明日の朝5時まで使えないという。

まさかこんな所で計画停電に出くわすとは思わなかった(>_<)

40分も過ぎた頃だろうか、「ありましたー!」と、元気な声が。

聞けば違う部屋に入っていたのですって。一つ一つあたってくれたみたいです。ともかく良かった。
「さあ、飲みなおすぞう!」

夜中にトイレに行って、水を流そうとしたのだが、・・・電気が無いと水道も働かないのよね。

リフイ川にかかる橋です。
ダブリンは、先鋭的な建築物が多くて歩いてビルを見ているだけでもかなり楽しいです。
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ガラスビル?
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バスは、今までのアイルランドの風景とは違い穏やかな田園風景の中を走って行きます。

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穏やかな光景に、のんびりとした気持ちになります。


ウィックロウ渓谷を見渡せる所で小休止。この辺りの丘というか山は、8月になるとヒースの花が咲き乱れピンク色に染まるのだそうです。
今の時期は、まだまだこんな感じです。
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この後すぐに昼食の予定だったのに、ちっともレストランに到着しない。後で添乗員に聞いたら、運転手さんが道を間違えて大回りになってしまったらしいのだ。

結局お昼にありつけたのは、2時近かった。

渓谷を流れているアボンモア川とアボンペック川の合流地点がある。ここで、トーマス・ムーアが、1807年に「the meeting of the waters」を書いたという。

「アボカの美しい谷よ!最愛の友と緑陰に抱かれてこの上なく静かに憩う。
ここでは、冷たい世の嵐が吹きすさぶこともない。
せせらぎのようにわが心は平和にひたる」・・・と。碑があります。

カトリックとプロテスタントの争い、ジャガイモ飢饉等、苦しい時代を生きた彼にとってここでのひと時は癒しになったと思われる。

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突然車窓の外にランドタワーが飛び込んできました。

グレンダーロッホのタワーでしょうか。
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まるで絵本の様な光景です。

グレンダーロッホは、2つの湖を持つ大きな渓谷の中にある。
かつて「7つの教会の町」と呼ばれた初期教会跡がひっそりと残っているのだ。

6世紀に聖ケヴィンが、ここで修業したのが始まりとされ、アイルランドにおける初期キリスト教の聖地として発展した。

9世紀には、ヨーロッパ各地からも僧や学者が集まり繁栄した。ヴァイキング襲来にもあったが、森林に守られ破壊を免れたというが、ノルマン人がやって来たり、イギリスの支配が確立すると、急速に衰退してしまう。

それでも庶民の信仰に支えられ、完全な廃墟とはならず今でも聖地として知られている。

案内は専門のガイドさんがしてくれます。

変わった作りの石の門から中に入って行く。
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石積みの2重の門である。平らな自然石を積み上げたもので大変古い様式持つ教会集落の門である
もともとは、2階建てで2階には鍵番の修道僧が住んだ。

入り口部分には、聖域を示す十字架が彫られている。
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ここでひときわ目立つのがランドタワーである。10世紀のもので高さは、やく30m。入口は地上3、5mの所にぽかんと穴があいている。造りとしてはただ石を積み上げただけの物で、先に行くにつれて細lくなっている。
地震のない国だからこそ残っているのだろう。
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タワーの周りにはたくさんの十字架や墓石が建っている。

ここから墓石の間の小道を進んでいくと、大聖堂に行ける。






午前中の市内観光は、ガイドについて徒歩で回る事に・・・。

抜群の天気です!

ノア川沿いの風景
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最初に訪れたのは、聖カニス大聖堂。
堂々たる建物です。1285年建立。建築に着手したのは1202年の事だから実に83年物月日を要した事になる。キルケニーと街の名前の語源は、聖カニスの教会を表すゲール語である。
そういった事からも、大聖堂はこの街を代表する歴史的建築物だと言えるだろう。

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寄り添うように建っているランドタワーは、大聖堂よりも古く、9世紀にはすでにこの地にあったようだ。見張り・敵からのシェルター、鐘楼の役割を兼ねていたとされる。アイルランドで登る事のできる塔の一つである。

敷地内にはたくさんの墓碑もあります。
中に入ります。目を引くのは天井の木材の木組みである。

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装飾の美しいバトラー夫妻のお墓。並んで眠っているそうです。
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ちなみにあのアメリカ大統領のオバマ氏の母方の祖先のお墓も大聖堂内にあり、彼は就任後に此処を訪れたそうです。そして夜にはパブでギネスビールを楽しんだという。

ステンドグラスの美しさも目を引きます。


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ここで一旦外に出て、あのランドタワーに登ります。
結構急で、最後の方は梯子状態になっている。でも眺望は素晴らしいです。

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大聖堂の屋根もこんな風にみえます。
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次は、キルケニー城に向かいます。
この城は、12世紀に建てられバトラー家の居城として使われた。17世紀と19世紀に改築された。もともとはノルマン様式だったらしいが、度重なる改築によってさまざまな様式が混在している。装飾は、主にビクトリア朝の感じです。広いギャラリーもあり、バトラー家代々の家族の肖像が飾られている。

残念ながら内部は撮影禁止なので、外観だけです。
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敷地内は、公園になっており家族連れで賑わっています。

此処でバスに乗り、移動開始。
最初の出発地ダブリンを目指します。









夕食までの時間は、2時間程。最初に向かったのは、デザインセンターという所。

此処は、アイルランド各地から集められた工芸品や民芸品が展示即売されている。建物も1780年に建てられたキルケニー城の厩だったもので、1965年以降デザインセンターとして使われるようになった。


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私は此処で、2枚マフラーを買いました。2本で何と8ユーロです。作家物としてはかなり値打ちだと思う。

続いて、メインストリートを進んでいきます。

キルケニーは、中世アイルランドの中心都市だったので、今でも中世的な雰囲気が残っている。
キルケニー城や修道院、歴史的建築物はどれも保存状態がよく、様々な逸話が残っている。


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どのお店もおしゃれで歩いているだけで楽しい。

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街のはずれにあるドミニコ修道院。ブラック・アビー
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ブラック・アビーという名前の由来は、ドミニコ派の修道士達がきていた黒い衣装からきているという説が有力。
1325年に建設されたが、1543年に閉鎖され、その後は法廷として使われたことも。現在は修復されてカトリックの教会になっている。

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男性が1人祈りをささげていました。お祈りの邪魔をしないよう静かに静かに・・・。
入口付近には石棺と思われるものが無造作に、並んでいた。
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元の通りに戻り歩いているとポストが目に入った。書いたままになっていたはがきを投かん。ちなみにこの日に投函したものは、4日ほどで届きました。びっくりです。
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こんな素敵な分かれ道に出会うとどちらに行こうか迷ってしまう。結局左に・・。
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選んだ道は、パブの多い通りです。
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その中に目立つ建物が・・・。アリス・キテラーの館という。14世紀の建物。
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伝説によれば、キテラーはノルマン系の金貸しの娘として生まれた。彼女は、お金持ちの男と結婚してはその夫に死なれるという事を4回も繰り返す。そしてそのたびに、財産を増やしていき、周囲のねたみを買う。
結果、「彼女の夫は、彼女の魔法の秘薬によって殺された」とされ、魔女裁判にかけられることとなる。
死刑宣告を受けるも、彼女はイングランドに逃げたが、代わりにメイドがアイルランド初の火あぶりの刑に処せられてしまったのでした。

今はパブとして営業されています。
彼女はこんな顔だったのでしょうか?
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