好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2011年11月

 
市場は、どこでも活気があるが、汚い。
 
お肉や魚をさばいたにおいと、石鹸や果物チーズの香りが混ざり合って独特のにおいがする。
 
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 大きなマンゴやパパイヤ・スイカが積み上げられている。
今日が最後の夕食になるので、デザートにと添乗員さんが、パパイヤを買ってくれた。
 
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市場にはこんな人もいます。アコーディオン弾きのおじさん。
 
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籠が崩れたら、埋まってしまいそうです。絶妙な積み方。
 
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自家製のヤギのチーズ
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乾燥ジャガイモ。インカの人々の命綱。乾燥の技術があったから、食料に困らなかったという
 
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こちらは、珍しいジャガイモ達です。
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公園には、ジャガランタノ花が咲いていました。旅が始まったころは、まだ咲いていなかったのですが・・・。
 
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 これで観光のほうは終わり。空港へと向かう。ドライバーにチップを渡す場面を見ていたら、ちゃんと訳を話して5ドルしか渡しませんでした。
 
 でも彼、別にがっかりした様子もなかった気がする。
 
スクレを11:15分の飛行機で、ラパスへ向かう。ラパスは、首都としては世界で一番高所に位置している。
標高3650mに位置し、周りをイリマニなどの山々に囲まれた、すり鉢状の盆地である。
 
 飛び立って、しばらくすると飛行機の中から、雪を抱いた山々が見えた。水たまりのように湖がある。
 
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空港に到着です。1時間ちょっとのフライトでした。
 
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ラパスは、2回目の訪問です。なつかしい気持がわいてきた。
以前工事中だったターミナルも、きれいになっています。
 
すごい勢いで人口は増えているようだ。人口の半分は、インディヘナの人々である。
都会に人口が集中しているのだろう。相変わらずの無秩序は車の数。
 
町に入る前に、街の様子を高いところから見下ろす。そう言えば前回もここで写真を撮ったなあとおもう。当時より明らかにビルの数が増えている。
 
山の斜面までびっしりと家が立ち並んでいる。ここでは、貧しい人が高いところに住み、お金持ちが低いところに住んでいます。
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すり鉢の底に降りてきました。
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無秩序な交通を少しでも良くするために、シマウマ運動というのが行われているそうだ。耳で聞いた時にはなんの事かわからなかったが、翌朝判明。横断歩道の横線をシマウマの模様になぞらえ、そこを渡るようによいう運動ですって!
 
 ホテルにチェックイン。私は、今日の観光で回るところは、前回行っているので、博物館か美術館に行きたいと申し出た。現地ガイドが、閉まっているかもしれないからとわざわざ見に行ってくれた。結果、今日は月曜日なのでやはり閉まっているとのこと。残念!
 
 このガイドさん、マスクをしている。南米でマスク???さては、福島のニュースで、日本人を怖がったのかと勘繰ってしまった、南米でマスクなんて考えられないからだ。
 
 実際は、喉をやられてしまい、ここは空気が悪いのでこれ以上悪くしないために、マスク着用となったようだ。ラパス市内は、すり鉢状の底にたまった、汚い排気ガスに汚れた空気が充満しているから、のどが痛くなるのだ。
 
 ロビーに、ビジネススーツを着た、知的な女性がいた。何やら添乗員と話をしている。彼女は、こちらのエージェントでポトシでの不手際のお詫びに来たのだという。
 
 マスクといい、お詫びといい、時代を感じてしまった。
 
 その結果、明日の昼食は、自由食になっていたのだが、旅行社が負担してくれるという。ラッキー!
 
 観光に出かけます。まずは旧市街から。
 
 スペイン時代の雰囲気がよく残っている地域です。
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時間が戻ったのかと思ってしまいます。ここではゆっくり時間が流れている。
 
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ここから、歩いてカテドラルや国会議事堂のあるムリリョ広場に向かいます。
ここには、独立戦争で活躍したムリリョの銅像が建っており、市民の憩いの場となっている。
 

久しぶりのベトナム、ずいぶん騒がしくなったなあという感じでした。
 
ということは、発展しているということで、ホーチミンの相変わらずのバイクの数!!!!
 
高層ビルも数多く建っていて、年数を感じました。
 
空港もきれいになって・・・驚きです。
 
何より驚いたのは、観光客が多いことでした。
韓国人・中国人が多かったかな。
 
以前は、植民地時代の支配国、フランスが多いということでしたが。
 
落ち着いたらまた写真などアップしたいと思います。
 

 
明日から、超短いですがベトナムに行ってきます。
本当は、バリに行くつもりで、予約も入れていたのだが、アセアン会議がバリで開催されるというので、
キャンセルを食らってしまったのだ。
 
せっかく相方が誘ってくれたのに・・・・急きょあちこちに連絡を入れベトナムに落ち着いたというわけです。
 
ベトナムは、かなり前に一度行ったことがあるのですが、すっかり好きになった国の一つで、その時に訪れられなかったハロン湾も、今回は行きます。
 
でも私の方が、休みが取れなくて超短いものになってしまった。
 
休みの期間が決まっていたそこにはめ込もうと思うと、かなりきついものがある。
 
帰りは、23日です。
 
今書いている旅行記もちょっとお休みです。

 
素晴らしい天気だ。
これはもう朝の散歩にぴったりではないか。  
 
明るい中で、ホテルのパティオをあらためてみると、本当に素敵だ。
表の雰囲気からは想像もつかないほど開放的だ。
 
入口を狭くそっけなくしてあるのは、防犯上の理由だろうか?
 
ホテル外観
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 重いドアをかけて中に入ると、フロントがあります。格天井がいかにもといった感じです。
 
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素晴らしいパティオ
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屋上からの眺めも中々です。いすやテーブルが置いてあるので、ここでお酒でも飲めたら最高だったなあと、やはり残念でした。
 
隣が大学なので、これらの屋根は大学のものです。音楽科があるのか、早朝から楽器の音が聞こえていました。早朝練習かしら?
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スクレの町は、とても教会が多い。そのせいか町全体に落ち着いた雰囲気が感じられる。
反面近代ボリビアの歴史が始まった場所でもあるのだ。
 
1825年、スペインからの独立宣言の調印が行われたのだ。
そして1839年、首都に制定された。なので白い壁の官公庁の建物も目立つ。
 
初代大統領の名前にちなみスクレと名付けられたこの町は、1900年代に中枢機関がラパスに移るまで、ボリビアの政治の中心だった。
 
ここで、クーデターも何度となく起こっているのは、そういう背景もあるのかもしれない。
 
この町が開かれたのは、ポトシに銀山が発見されてからの事だ。銀を管理するためにスペイン人によって造られたラ・プラタ市が前身だ。この町の過ごしやすさもあいまって、徐々にここに重要な機関がおかれるようになって行った。
 
銀でもうけたお金で贅を尽くして造り上げた建築物は、今も輝きを放っている。壁を白くぬるのが、町の条例で義務付けられているので、歩いていると本当にまぶしい!
 
 朝の散歩で・・・ホテルの近所です
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ホテルと同じ名前のメルセー教会、祭壇の美しさはボリビア一番といわれているが、まだ開いていない。
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こんな気の利いた壁も、偶然犬が座っていました。
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 チェックアウトするも、今日もバスは遅刻です。
観光のあとは、飛行機でラパスに向かう予定なのでそうのんびりとは待っていられません。
 
 そこで添乗員、「歩いて回りましょう」
そして、歩きながらこんなことを話してくれました。「いつもいつも遅れてくる。今日は、10ドル渡すチップを半分の5ドルにして渡します。そして、遅れてこなかったら、ちゃんと全部もらえるのよ。と言うつもりです」と・・・。
 
 いい考えだとは思うのですが、果たして効き目があるのでしょうか?こちらの人は多分チップ満額よりも。自分のペースで動くことを優先すると思うからだ。彼らにとってそれが幸せだから!
 経済発展するためには、マイナスだろうけれど、彼らの幸せがそこに無いのだとしたら、チップが減らせれても多分・・・・・。
 
 中心である5月25日広場に向かいます。
カテドラル。堂々とした建物だ。1580年から1633年までかかって造られたそうです。金・銀の箔でできた祭壇があり、そこにダイヤモンドをはじめとする宝石の衣装を着たマリアが収められているとか・・・時間の都合で外観のみ。うーん残念!
 
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隣の豪華な建物は、裁判所。
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 今回ボリビア各地で見かけた集会です。ここではテントが張ってある。アマゾンに道路をつくることに対して反対しています。大アマゾンは、上流がの一部がボリビアにあります。
 
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独立の調印が制定された自由の家
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やっと出勤してきたミニバスに乗って(今日は路線では無かった。ドライバーも若いです)、見晴らしのいいラ・レコレーター修道院へ向かう。
ここから町が一望できるそうです。
 
 確かによく見えます。
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スクレは坂も多いのです。
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町に戻って、市場に行きます。

 
 市場は休みですが、屋台で賑わっていました。
市場の建物
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この裏手に、バロック建築の傑作といわれる教会、サン・ロレンソ教会がある。屋根の十字架と5体の聖人像が特徴です。1728年創建、44年まで使われたがその後なぜか閉鎖。今でも司祭様はいらっしゃらないのでは?
 
 でも見事な彫刻です。電線がどうやっても入ってしまうのが残念!(>_<)
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個人の邸宅。見事なバロック彫刻です。
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昼食はホテルです。
シェフが交通規制で来られないとかで、女性が1人奮闘していました。
 
このときはまさか夕食もここで食べることになるとは、想像していませんでした。ポトシを出られなくても、外に出かけると思っていたので・・・ここのレストランは、よくないのです。
 
 2時までは、部屋を使っていいとはいうので、少しのんびりと部屋で過ごします。
 
 2時になったところで、ロビーに移動です。私は、街歩きに出かけることにしたのですが、みなさんは歩くとつらいのでここで、待機しているという。
 
 ならばということで、地図を片手に今回初めての、単独街歩きです。
羽根が生えたように身軽に歩ける。
 
 どこへ行ってもだれにも遠慮いらないのだもの・・・(^^♪
 
サント・ドミンゴ教会
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壁の飾りや色がいかにもスペイン
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猫の看板に目が行く
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この街の象徴鉱脈のある山
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サン・べルナルド教会
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休日の午後、みんなのんびりと
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小さな広場
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ベンチに腰掛けていたら話しかけてくれた、目も見えなくなってきたし、耳も聞こえなくなってきたと、・・・・
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街歩きの時見つけた、雨水管のふた。かわいいのでとってみました。
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ふんいきのある通り
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 ホテルにいったん戻る。車の状況を確かめるために一度戻ってくださいと言われていたからだ。
ロビーでは、本読んでる人、眠っている人、それぞれなのだが、なぜか険悪な雰囲気がする・・・・。
 
 部屋を使わしてくれるように交渉してほしい人達と、お金のかかることはかってにできない添乗員の間で、ひと悶着あったようだ。
 
 全員というわけではなく、2・3人だけのようだが・・・・。
確かに椅子に座ってじっと本を読んでいるのもつらいだろうし、かといって街を歩けばしんどいし・・・。
 
出発のめどは全然ついていないし・・・
 
 私は、時間をつぶしてきたので、全然まだ退屈はしていないが、それでも、見通しがつかないのはちょっとね。
 
インターネットがただで使えて、日本のサイトにもつながるので、1時間ほどそうやって遊ぶ。
 
そうこうしているうちに、ますます皆のイライラが大きくなっていく。
そこで添乗員、「私と一緒に出かけませんか?」といってきた。
が、誰も手を上げない。「私は一緒に行ってもいいですが」と私。
 
 結局、出かけたのは、私と添乗員のほかには、2人だけでした。
すこしぶらぶらして、ホテルに戻る。
 
 広くはない旧市街のこと、何度もあるいたので、すっかり覚えてしまいました(^^♪
 
交通規制解除の予定である6時になったが、変化なし。
 
「みなさん、夕食もこちらで食べていただくことにしました。スクレについたらすぐお休みいただけるように、そうしたいと思います」
 
 ところが1時間たっても一向に、用意ができない。
そもそもシェフが、出てこられないのだから、さっさと用意しろというのも無理がある。
 
空腹・退屈・見通しのつかないことなどが重なって、皆の疲れはピークです。
 
やっと夕食が始まり、急いでも解除にならないからワインを飲もうと頼んだ。いっぱしのメニューブックを持ってきたのに、注文すると「これもない。これも駄目」という。最初から、そう言えばいいのにねえ・・・。
 
 結局ほとんどのワインがそろってないのだ。このやり取りを見ていたガイドは、「これはヤバい」と思ったのか。自分用にに持っていて、まだ未開封だったワインを提供してくれたのだった。
 
 「サービスです。」
 
とはいうものの、翌朝、チップとして、ちゃんとお礼は致しましたが。
 
 9時ころになってようやく、交通の規制が取れたと連絡が入った。
 
やれやれやっと脱出できる!(^^)!
 
 昨日の路線バスに乗ってスクレの町に向かう。
 
スクレは、ボリビアの憲法上の首都である。標高もぐっと低くなり2900mほどである。
 
 真っ暗やみの中を走ること、2時間余り。
何とか日付の変わらないうちにホテルに到着できたのだった。
 このホテルの素敵なこと。ポトシとは大違いです。大金持ちの邸宅をホテルに改装したとかで、雰囲気はあるしきれいだし、ここでゆっくりしたかったなあと心から思ったのでした。
 本当に長い長い1日でした。脱出できてよかったな。

 
ボリビアの国は、独特の雰囲気がある。
道行く女性が、民族衣装を着ている人が多いせいかもしれない。
 
若い女性の2人連れ。三つ編みにした髪とおしりのボンボンが可愛い。
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こちらの2人連れは親子だそうです。
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見事な髪の女性です
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この日、唯一われわれを受け入れてくれたサンタ・テレサ修道院に着きました。
 
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 ガイドの女性の説明で、中を見学していきます。
17世紀の面影が残っていて、ポトシの町が鉱山でさかえていたころを反映して大きな外観である。
中庭も当時は4つあったというが、現在では2つのみ。
 
 教会・食堂・個室・図書館など細かく見ていく。こんなにじっくり修道院を見学したのは初めてです。
スペインのお金持ちの二女や三女の方々がここ入れられた。そういうお金持ちの援助でたいそう栄えたそうだ。
 
 当時は、お金持ちの子女が修道院に入ることは当たり前であったようだ。でもいったんはいってしまうと、面会は叶わず、窓越し、金網越しでしか会えなかったという。
 
 中庭のひとつ
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食堂
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個室。当時の様子が再現されています
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ここで亡くなった修道女たちは、ここに埋められました。足元に何体も埋まっているのかと思うとちょっと足がすくみます。
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教会です。格天井が美しい。スペインの古い教会もこういう感じですよね。
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選挙の投票所になっているのは、学校のようです。興味があったので、「入れますか」とガイドに聞くと、「大丈夫」という。
じゃあということで中に入って行くと、お巡りさんや投票に来た人をチェックする係りの人などがいる。念のためお巡りさんに写真を撮っていいかと聞くと、投票の様子を撮らなければいいという。
 
 投票箱のある部屋の入り口部分に紙が貼ってあり、そこに自分の名前があるか確かめるのだという。
 
投票所の入り口
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中に入ると・・・投票の順番を待つ人たち
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裁判官の選挙だが、現大統領派とアンチ大統領派に別れての争いだという。後日結果を聞いたら、アンチの勝利で終わったそうです。ガイドも本当は、選挙に行かなければいけないのですが、仕事なのでいけません。そういう場合は、お役所に出向いて許可をもらうのだそうです。
 
広場に戻ってきました。先ほどよりは人出が増えているみたいだ。
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 籠の中のものは売り物です。
 
ここからすぐのところにポトシを代表する教会がある。サンフランシスコ教会といい、ここの屋上からの眺めはとてもいいそうだが、こちらも今日は休みではいれません。
 
堂々たる建物を外から見学します。
 
 教会の鐘楼
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教会正面
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16世紀の創建で、18世紀初めに修復された。花崗岩で造られた建物の上に煉瓦のドームがのっている。
これは、側面ですがねじねじの柱が見事です。
こうしたねじねじバロックも、当時よくつかわれた様式のようです。
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 この後は市場の方へ向かいます。
 
 
 
 

 
 選挙のため交通規制が敷かれているので、朝から静かです。
走っている車は、警察の車か許可証を掲げた車のみです。
 
 この許可証を掲げた車というのは、どうも選挙に来る人を乗せてきている車のようです。
 
 今日の予定は、午前中は、この坂の町をゆっくり歩いて観光するそうです。といっても全部閉まってしまっているので、外観を見るだけということ。唯一無理を言って開けてもらった修道院だけは、入場観光するそうですが・・・・。
 
 お昼にいったんホテルに戻り、昼食。お店も開いていないのでホテルで食べるという。
 
 この後、2時までは部屋を使っていいそうですが、2時になったらロビーに出てきてくださいという。荷物は、朝ごはんの後集めて、ロッカーに入れておくという。
 
 昼食の後は、自由行動ですが、何時に車が動いていいという許可が出るのかわからないそうです。
予定では、18時に解除ということになっているのだが、それはまあ無理で、20時なら上出来ということ。
 
 ここはゆっくり街歩きができると割り切るより仕方がないです。
 
 窓を開けたら部屋の外はこんなでした。昨日は、寝るだけでしたものね。
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ホテルの前の通り、コロニアル様式の建物。
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 選挙見回りしているお巡りさん、きさくです。
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 ポトシは、大銀鉱脈が見つかってから繁栄がはじまった。16世紀に開かれた鉱山は、スペイン人は夢を食らい続け、インディヘナの人々はその夢をかなえるという図式の歴史がある。
 
 街は、そんな植民地時代の様子がそのまま色濃く残っている。
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 街の背後にそびえる山で働く鉱山労働者の大半は、インディヘナであり、全体の人口は11万人ほどだ。
 
銀が、発見されて以来スペイン人達は、銀の採掘のみに血道をあげ、銀鉱脈が尽きると同時に立ち去り、後には枯れ果てた街だけが残された。
 
 しかし、20世紀初頭、ふたたび地下資源が発見され、街は昔の活気がもどってきたという。
ポトシの街は、富の山・・・セロ・リコの名前を取り戻したのだ。
 
 良き時代面影を残す銀行
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 街の中心は、2つの広場である。11月10日広場と8月6日広場だ。
広場の周りには、さまざまな人々が集まって来ているようだ。
 
 商店や市場は閉まっているが、屋台は営業している。
写真を撮ってもいいと聞いたら、満面の笑みを返してくれた小学生。
 
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 売り子の女性
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8月6日広場
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11月10日広場
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旧国立造幣局。1572年に建設された。スペインで流通していた銀貨の多くはここで造られたという。本来なら中に入れるのだが・・・。街の一角を全部占めるほどの大きな建物です。当時、銀が、いかに大量に産出されたかを物語っているようだ。
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変わった形のヘススの塔、1707年建造。
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見事なバロック様式の教会、ポトシ市内には見事なバロックの教会がいくつか残っています。
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旧市街
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 長い長い1日の始まりは、こうしたのんびりしたものでした。
 

 
 元祖塩のホテルのプラヤブランカホテルの前には、こんなものが立っています。訪れた人たちが置いていったものでしょうか?
 
 日本の旗を探してみましたが、ありませんでした。(+_+)
 
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 ここでちょっとカメラを使って遊んでみました。
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 子供にかえったようで楽しいです!
 
 これは塩目と呼ばれる、穴から塩がぽこぽこ噴き出しているところです。
 
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 塩湖の観光の最後は、塩の採掘現場です。
三角の山がいくつも並んでいる。この作業はとてもきついそうです。
 
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 水面に空の青が移り込みとてもきれい。
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ウユニ塩湖の地図。青くなっていますがこの部分はみな塩です。
 
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 ポトシの町に行く前にガソリンを入れるという。
町まで向かい、その間我々は、市場をちょっとだけ見ることに・・・・。
けれども、皆ともかく写真は嫌だというのでなかなか撮れない。
 
 こんなものまで売っているのといった感じの、道路端のお店です。ごみの山のようですがそうではありません。
 
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鼻水たらした男の子
 
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おみやげやさん
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 ガソリンが満タンになったところで、ポトシに向けていざ出発。
 
ここでも不思議な光景に出合います。川底の白いのは・・・塩ではないというのですが・・・ボーラックスかしら?
 
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ポトシまではかなり距離があるのでどうしても途中でトイレ休憩がひつようだ。
ところがなかなかやれそうな場所がないのだ。
 
車を止めるスぺースがなかったり、人家があったり、かといってトイレを借りれるようなお店は一軒もない。
 
で、普通なら停まらないようなところで、無理無理済ませることになった。
 
私も、崖を降りて行き、よさそうなところでしゃがもうと思ったら、藪の向こうからひょいっとお爺さんが顔をだした。
思わず「ぎゃあ・・・す、すみません」下げかけた、ジーンズをあわてて元に戻し今来た崖を一目散に登って行きます。
 
 ああ驚いた。そう思いよく見れば畑らしきものがつくってあるではないか・・・。
人の畑のそばで・・・・・ごめんなさい。
 
 でも他の人は、ちゃんと済ませることができたのですって!
 
私は、すんでないよう・・・・(+_+)
 
添乗員が、ガイドに「彼女は済ませてないので、彼女がストップと言ったら止めてね」と頼んでくれる。
ガイドは、私の顔を見ながら満面の笑顔で「OK。オーケー。」なんだか恥ずかしい・・・。
 
 羊飼いの女性。いったいどこから来てどこへむかうのか・・・?
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 そんなこんなで、ポトシに向けて再び出発です。
 
ポトシは、鉱山で有名なまちで、アルゼンチンのウマワカとつながっていることを以前ここでもちょっと書きました。
世界最高所の都市だそうで、標高4070mに位置している。そこまで登って行くのだからまだまだ時間はかかると思われる。
 
 日はどんどん傾いていく。くらくなってしまわないうちにどこかで用をすませておきたいところですが、ちょうどいい場所というものはなかなか見つからないものです。
 
 景色を見るというより、トイレに向いている地形を探すのに懸命になっている私。
それでも、無事何とか終えることができて、ほっとした。
 
 峠が近くなってきたころに、夕焼けが・・・
山の夕焼けです。
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 ポトシの街が見えてきた。鉱山の山の形に灯りがついている。それらは、なんだかとても温かく見える。
ほんと、ここまで長かったあ!
 
 でもここから、ホテルに行く道はまだ遠い。おまけにドライバーは初めて。ガイドも道をうろ覚えで、一方通行の町の中を何度も行ったり来たりする事になってしまい、たどり着いた時には、9時近くになっていました。
 
 ドライバー達は、この後休まないでウユニまで戻るという。気をつけて帰ってね。
 
 荷物を受け取ったらすぐ、外に夕食に出かけます。ホテルの前の道は、せまいのでバスは入ってこれない。
広い通りまで、登って行く。
 
 標高が高いせいか、皆の足取りと息使いがしんどそうだ。私・・・それがなんともないのです。
 
 バスを見てびっくり!手配ができなかったのか、路線バスである。しかも中年女性の車掌まで付いているではないか(^O^)
 ボリビアでは、公共の交通機関を民間がやっているところが多いのだが、こういう場合にも使われるとは。
以外が、楽しい(^^♪
 
 レストランは、土曜の夜だというのに誰もいなくて私達だけです。
 
 メニューを見て好きなものを頼んでいいというのだが、メニューを見てもなんだか分からない。
それにややこしいものを頼むと、それでなくてもゆっくりなのが、ますますゆっくりになりそうな気がして、恐ろしいのだ。
 
 無難にパスタとかピザとかチーズの盛り合わせを頼む。ステーキとお魚を頼んだ方も・・・。
 
でもどれもたっぷりの量なので食べきれない。つつんでもらってお持ち帰りします。バスの運転手さんのお土産にしてもらいます・彼らは、ご飯をまだ食べていないと聞いたからだ。
 
 遅くなってしまった。
明日は、選挙で足止めなので、どうなるか予測がつきません。
 
 
 

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