好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2012年06月

 
 シュテファン・チェル・マレ大通りを、広場と反対側に進んで行くと、市庁舎・国会といった建物があります。
 
 
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 こちらは、国会。国旗がはためいています。
 
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 通りを挟んで反対側には勝利の門があります。
これは、ロシアとトルコの戦争の際ロシアが勝利したのを記念して造られた。それほど大きなものではないです。
 
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 キシニョウ大聖堂に向かいます。モルドバ正教の教会です。1836年創建。外はシンプルですが、中は金ぴかです。
鐘楼が独立して建てられています。この鐘は、オスマントルコ帝国から解放されたとき、トルコ軍が置いていった大砲を鋳造したものだそうです。
 
 手前が鐘楼です。
 
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 大聖堂
 
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    中に入ります。
 
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    まぶしい・・・・
 
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 朝も散歩したシュテファン公園に向かいます。右手に剣、左手に十字架を掲げたシュテファン・チェル・マレ公の銅像がある。彼は、オスマンとの戦いに3度も勝利して、モルドバを統一した。
 
 
 
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バスに乗って、ワイナリーに向かいます。途中、戦争で亡くなった人のための永遠の火が燃えている広場で途中下車。
 
 衛兵たちが、守っていました。
 
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 ワイナリーにつきました。ここはもともと石灰石の採掘場でした。広大な坑道を利用してワインの貯蔵庫にしたのだ。気温は、15度くらいなので暖かい恰好をと言われた。
 
 オブジェのワインの噴水が目を引く。
 
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    ワイナリー・・・「ミレスティ・ミチ」
 
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 中は、あまりに広大なので専用の車に乗り換えて見学していく。
中に入り、しばらく進むと水の音がしてきました。
 
 たくさんの水がわいています。さわってみたが、それほど冷たさは感じなかった。
 
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    さらに進んで行くと、世界一だというボトルコレクションがある貯蔵庫に着いた。
   ギネスに、認定されています。
 
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 こちらが認定証
 
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 仕切りの一つ一つには、このようなパネルが取り付けてある。
収穫の年・ボトルに詰めた年が記されています。履歴書といったところですか。87年収穫で2000年ボトルに詰めたというわけです。
 
 
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迷路のようになっているところもある。イギリスのエリザベス女王もお得意様で、毎年購入されるそうです。ここの場所で、何点か試飲するのです。
 
 
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   見学が終わった後は、場所を変えて試飲をします。
 
 
 
 
 

 
 ホテルの周りは、味もそっけもない建物が並んでいる。
それでもめげずに散歩に出かけた。
 
 ホテルの前の通りは、8月31日通りという名がついている。
とちゅうでシュテファン公園に入り、キシニョウいちばんの大通りであるシュテファン通りに出た。
 
 右に行けば勝利の門に行くのだが、ここは左折をする。
 
崩れたままほおって置かれている建物が目に着く。ヨーロッパでも貧しい国というのは本当のようだ。
多分経済的な余裕がないのでそのままにしてあるのではないだろうか?
 
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 オペラ座も、普通の建物で優雅さもきらびやかさもない。
 
 
  前方教会の屋根らしきものが見えてきた。
 やっと、興味を持てそうな建物に出会えたかんじだ。
 
  近寄って見ると新しそうに見える。
 
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 中に入ってみます。ブルーを基調とした壁がとても鮮やかだ。朝のお祈りをしている人は誰もいなく、女性が2人おしゃべりに夢中になっていた。ちらっとわれわれのほうを見る。
 
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 ここのほかには 興味をひかれるのはなさそうなのでいったんホテルに戻ってきた。
 
 8時半、バスはホテルを出発。聖ティロン大聖堂へ向かう。
 
 それほど大きな教会には思えないが、敷地の中にはいくつかの建物があるようだ。
ルーマニア正教をの教会だという。
 
 門
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 残念なことに聖堂はただ今修復中だ。青い屋根が美しいのに・・・・
 
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  かわいらしい小さなお堂です。
 
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 もうひとつ、心ひかれる小さな建物。井戸です。モルドバは本当に井戸が多いです。
 
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 ここには冬の教会もあります。それほど冷えるということか。密閉性が高い造りになっている。
 
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 中にも、入れていただけました。
 
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 天井部分のフレスコ画
 
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 なんてきれいな人(?)なんだろう!吸い込まれそうだ。
 
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 ここから歩いて5分ほどのところに、シュテンファン・チェル・マレ大通りに面して、解放広場がある。
 オベリスク状の記念碑が建っている。
 
 
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 広場の周りには、ソ連時代の大きな建物が建っている。
 
 
 
 

 
 半分を過ぎたところで、食べ物を少し紹介します。
 
実際に食べたものばかりではなく、びっくりしたもの、情報として撮影したものもあります。
 
 キエフのお惣菜屋さんで見たもの・・・われわれには食欲がわかない代物です。でも活きザメ売っているからこんなもの平気かも・・・。
 
 
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 こちらも同じお店で売ってたケーキ・・・ハリネズミ?おいしそうには思えません。
 
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 ミンスクのレストランの昼食・・・・スープとメインディッシュ
 
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 クリームソースです。
 
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  紅茶のぽっと、素朴でかわいい。
 
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  ガーリックトースト
 
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 シチューの入ったパン・・ボリュームがあるので食べきれません。
 
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 ロールキャベツみたいなもの・・・中身はお米です。外側のキャベツはおいしいです。
ウクライナのテルノピルのレストランで。
 
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 チェルノフツィのレストラン、ドイツ風でした。カリフラワーが美味。
 
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 オデッサの日本食レストランで・・・刺身
 
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 これがメインだというのでびっくり!焼きうどんでした。茶碗蒸しも出ました。
 
 
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 こちらは、バフチサライのレストランでの昼食・・・アラブ風でした。煮込みうどんですがニンニクがめちゃくちゃ入っている。
 
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 チャパティの中にチーズをはさみ焼いた感じです。とてもおいしい。ワインに合いそうなのに、悲しい事にここはイスラムレストランなのでアルコールはありませんでした。
 
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 平たく言えば水餃子です。ネパールのモモにも似ているかな。羊の肉がつかわれている。
 
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 これは、デザートに出たお菓子です。ナッツ類をお砂糖で固めたもの。みなには、とっても評判が良かったけれど、私には甘すぎて・・・
 
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 ヤルタ郊外・・・ツバメの巣城が見えるレストランで。おなじみのボルシチ
 
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ポークピカタですが、向こうの呼び方は忘れてしまいました。
 
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寿司レストランのメニュー。巻物が多い。値段にゼロをつけると日本のお金に換算できます。
ウクライナは、ブームかも・・・。
 
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 毎日食べていたものに、きゅうりとトマトのサラダがあります。今が旬だとか毎回出てきました。

 
 レストランです。
 
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 今晩の夕食は、おべんとうですって!安い旅行社を選ぶとお弁当が多くなります。(>_<)
 
坂道を下って駅舎の前を通過します。ちょっと素敵な駅です。オーストリア・ハンガリー時代に建設されたものだそうです。止まってくれないのでバスの中からの撮影になってしまった。
 
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 何本もの線路が入って来ています。
 
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 プルート川を渡ります。そしてドニエストル川と並行するような形で南下していきます。
 
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 いよいよ3カ国目モルドバに入国します。いつものようにバスの中での手続きが淡々と進みます。
なんと1時間もかからないですべてが終わり無事入国できました。
 
 景色もずいぶん変わります。南にかなり下がっているので緑も濃いし、果物の畑が出てきた。家畜の放牧もおこなわれているようだし・・・。何より全体の起伏が大きくなり、山も見えてきました。
 
 
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 モルドバは、今までの2国がスラブ系民族だったのに対して、ラテン系の人が多いのだそうです。
ワインが有名な国で、大半が丘陵地帯だ。よって主な産業は、農業です。
 
 バスの中から外を見ていると、やたらと井戸が目に付く。休憩に寄ったガソリンスタンドの裏手にも井戸があり、近所の人が水を汲みに来ていました。私も汲んで少し飲んでみたのですが、鉄分が多くておいしくなかった。
 
 面積は九州より小さく、人口は、400万に満たない。首都は今我々が目指しているキシニョウである。宗教は、ルーマニアにとは古くから親交があるので、ルーマニア正教・ロシア正教・ユダヤ教など 。
 
 言語は、モルドバ語だが、ロシア語もつかわれる。モルドバ語はきわめてルーマニア語に近いといいます。
 
 国境から、キシニョウまでは270kmほどだ。途中で車を止めて夕食のボックスを頂きました。
レストランに入る時間も節約したおかげで、9時過ぎにはホテルに着くことができました。
 
 天井のやたらと高いホテルだ。官庁街にあるらしく隣はユニセフのビルです。
 
 モルドバの国旗・・・ルーマニアの国旗にモルドバの国章をあしらったもの。
 
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 ナンバープレート2種
 
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 街は、 戦争で焼けてしまったので、現在は碁盤の目のように整備されている。ざっと見た限りでは、
ソ連式のばかでかいビルが立ち並び、あまりおもしろそうな感じがしない。
 
  楽しみは、ワイナリー!
 
 
 
 

 
今日は、電力系の会社の株主総会が開かれている。
 
私も地元の中電のひと株株主なので出席してきました。
 
いつもメイン会場に入れるのに今日は、遅れたせいか、出席者が多かったせいかモニターを見ながらの参加となりました。
 
 もっと荒れるかなと思っていたが静かでした。
 
印象に残った言葉は、株主の1人が「最近の中電は、秘密主義になって来ている」と言ったことでした。
 
 

 
 薄暗くて一瞬目がついていかない。
 
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   祈る人
 
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 とても心が落ち着く教会でした。ふたたびバスに乗って移動です。
 
こちらはアルメニア教会。シンプルです。
 
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 リヴィウの野外博物館にあったような、木造の教会。こちらは現役です。残念ながら車窓からの見学です。
 
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 到着です。世界遺産に指定されたばかりのチェルノフツィ大学です。あまりの迫力にびっくり!
もともとは、教会だったようです。1875年大学になった。
 
  コの字のように建物が配置されていて、左右は対称のように見えますが微妙に違う。
屋根の模様がウィーンのシュテファン寺院を思い出させます。
 
 
 正面向かって左側の建物群
 
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   中央の建物
 
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 向かって右側の建物
 
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  卒業式を終えたばかりの学生たちでしょうか、満面の笑みです。
 
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 建物の中に入ります。
 
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 2階の廊下
 
 
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 見学できた部屋は3つです。大ホールは、特別な行事に使う部屋で赤の間は、会議などができる様になっています。
 
 大ホールの天井と赤の間の天井、どちらも凝っていました。
 
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  大学の前には、関係者の住まいだったという建物が木々の中にひっそりと建っていました。
 
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 いろいろな大学のキャンパスを見学しましたが、ここが美しさでは一番です。
 
腹ごしらえをして、モルドバに向かいます。
 
 今日の夜は、お弁当なので、お昼をしっかり食べておかねば・・・。
 
 
 

 
 坂道が多く道幅も狭く、車も止める場所もないので、歩いての観光です。
 
朝の散歩で行ったところをもう一度なぞって行く。
 
 車窓から
 
 朝のこの時間だと皆の格好が厚着です。
 
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 劇場を見て市庁舎広場までやってきた。風船のオブジェはサッカー関係のもの。
 
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 素晴らしい建物が近くにあります。散歩のときにも気がついたのですが・・・これを見るとこの街が繁栄していた時代が推測できる。
 
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 遠目で見ると描いてあるように思えるのだがタイルです。
 
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 植物の葉をかたどったレリーフ
 
 
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 お金持ちがいないと文化は育たないというのは本当だと思う。
 
 この彫刻は、劇場で演技をした演者達がもらった花束をここまで来て棄てて行ったということを表している。それほどたくさんの花束だったのだろう。多分、ウイーンとかからも演者を呼んでいたのだろう。
 
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 ここから反対側にまっすぐ進んで行くと歩行者専用道路がある。きれいに整備されています。
 
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 通りから入って行くと中庭のある住居部分。天井にはきれいな模様が残っているところも。
 
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 聖霊大聖堂を目指して歩く。
 
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 卒業式だったのか着飾った子供達にあいました。
 
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 大聖堂の屋根の部分が見えてきました。ピンク色です!
 
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 大聖堂の壁の色と同じピンク色の花が咲いていました。
 
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 あまりの鮮やかさにびっくりです。背面から見たところです。
 
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 正面に回ります。
 
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 中にも入ってみましょう。
 
 

 
 今日も元気で早起きです。早速朝食の前に2人で街の散策に出かけます。
チェルノフツィは、ロシア語の読み方である。ウクライナ語だと少し違う。チェルニウツィとなるのだ。
 
 黒い町といった意味らしい。標高248m、プルト川の上流に位置する。砦が築かれ黒土で塗られていたのでこう呼ばれるようになった。
 
 1259年、モンゴル軍によって街は破壊される。その後、ハプスブルク君主国の占領下に入り、州都となった。そのせいか建物ははやりヨーロッパ的である。
 
 ハプスブルク家の後は、ルーマニアに譲渡。第2次大戦開始後はソビエトに占領された。
しかし1941年、ナチスドイツが再び進行してきて占領する。
 
 1944年、再びソビエトに組み込まれる。そしてソ連崩壊後ウクライナ共和国として独立を果たす。
 
 市庁舎
 
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市庁舎をはさむ格好で2つの通りが並行しているのだが、どちらもきれいな建物が並んでいる。
 
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  こんな古いトローリーバスが・・・よく走るよねえ
 
 
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 坂を登って行きます。
 
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 登りきったところにある公園が勝利の広場だと思います。文字が読めないので・・・(*^_^*)
 
実は、地図も何もなくてただ足の向くまま歩いているのだ。連れは、かなり不安がるが、私は地理的な事には自身がある。でも、ウクライナ文字もロシア文字も全く分からないので、どこにいるかは、想像なのです。
 
 
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 そろそろ戻らないと朝食を食べ損ねてしまいます。
 
 この建物も素敵ね。
 
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 レンガなのかタイルなのか。模様が美しい。
 
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 なんの建物なのかさっぱり分からないが、ウクライナ国旗が立っているところを見ると政府系の建物なのでしょう。正面に回るとライオン像がありました。
 ウクライナの人ってほんとライオン好きですねえ。(^O^)
 
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 この街には、たくさんのユダヤ人が住んでいたそうです。1930年にルーマニアが調査したところ、30%近く住んでいたようだ。ルーマニア人、ドイツ人より多く住んでいたことになる。
 
 しかし、大戦前は50000人いたとされるユダヤ人だったが、3分の一も残らなかった。
街は、パレスチナにユダヤ人を帰還させる拠点となった。
  1991年、ソ連崩壊後、多くのユダヤ人はイスラエルやアメリカに移住したそうです。
今では、ユダヤ人は1%もいないという。
 
 かつて、シナゴークだったところは今は映画館になっています。
場所は、このあたりなのです。
 
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 劇場の前には公園があります。早朝から人々が集まって話をしている。
 
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劇場、窓にはアールヌーボー様式が取り入れられている。
 
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この近くの建物で、1908年、イディッシュ語会議が開かれた。そのことを記したプレートのようですが・・・読めません。
 
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会場となった建物は素晴らしいです。
 
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1時間ちょっと歩いてホテルに戻ってきました。
おなかすいた。
 

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