好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2013年07月

 
 25番目北観音山。
1353年創建、屋根が付けられたのは1833年とある。
 巡行時には、柳の枝を指して回るのだそうです。後方に枝が見える。観音懺法によるものだというが・・・。
 
 
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 欄干の縁に施されている唐獅子の金具の精巧さは、この山を一層華麗に見せているという。
 
 
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黒主山。歌人大伴黒主が、桜の花を仰ぎ見ている場面。ご神体は、寛政元年の作。
 
 
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 黒主山と北観音が並んでいるところ
 
 
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 昼食の予約時間が迫ってきた。あと少し見物したらホテルに戻ろう。おなかもそろそろすいてきた。
 
動きのある浄妙山。
 
 三井寺の僧浄妙と一来法師の奮戦の一瞬をとらえている。人形の着ている鎧は、室町時代の作で、重要文化財に指定されている。
 
 
 
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 28番。 役の行者が一言主神を使って葛城と大峰の間に石橋をかけたという伝承場面。
 
 
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 それほど期待していなかった昼食だったが、ミニフルコースで、中々でした。飲まないつもりでしたが、ワインを注文してしまった(^^♪
 
 おなかも満腹になったところで、これ又お酒の神様でしられる松尾大社に参宮する。
 
大きな門をくぐると奉納された酒樽がずらっと並んでいた。
 
 
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 正式参拝のため本殿に向かいます。人生初の正式参拝です。
ここはカメラはNGです。
 
 総勢30人まとめておこないました。
 
 このあとは、お神酒を少しいただいて参集殿に向かう。ここで琵琶の弾き語りを聞くのだ。
 
 演目は、「平家物語」祇園精舎のの部分と、「耳なし芳一」です。
 
 演者はきれいな女性です。以前山口の赤間神宮に行った折、耳なし芳一の墓があったことなどを思い出しながら聞いた。
 
 お寺などで語るときには、こうした法衣を身につけるそうです。
 
 
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 せっかくですから、昭和を代表する作庭家「重森三玲」が手掛けた庭のひとつ「蓬莱の庭」も拝見させていただきます。
 
 残念なことに彼は、完成を見届けることができず、長男がその遺志をついで完成させた。
 
 蓬莱の庭。
 
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 これですべての予定は終わり。帰路に着きます。幸い渋滞にも会わず、予定の時間より早くに到着できたのでした。


 今まで通りすぎて行った山や鉾。ずらっと並ぶとやはり壮観です。

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 13番目 月鉾 
破風かえる股の彫刻は、左甚五郎作と伝えられている。4本柱の金具も山鉾の中でも最高のものという素晴らしい細工が施してある。


 
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 月鉾の音頭取りと前懸。前懸は、インド絨毯の優れたもの。

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 孟宗山。病身の母の為に孟宗が雪の中でタケノコを掘り当てたという姿を現している。


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 続いてやってきた四条傘鉾は、古い鉾の形態である傘鉾の一つだ。傘の上には、御幣と若松を飾る。

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 霰天神山の担い手達

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 昭和28年再興された菊水鉾。

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18番、芦刈山。ご神体の古衣装は天正銘の小袖で重要文化財ですって!

胴懸は、ご存じ尾形光琳の原図です。

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 唐の詩人白楽天が、仏法の大意を問うている場面の白楽天山


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わが子をさらわれて1人でと草を刈る翁の姿をあらわしたとくさ山と続きます。

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 放下鉾は、真木の中ほどに放下僧を祭っているのでこの名がついた。

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曳き手と岩戸山。天照大神の岩戸隠れの神話による。

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 屋根の上の人形は、イザナギの尊です。

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 ひときわ目立つ船の形をした船鉾。

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 船鉾と北観音山が並んで

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 この頃になると、かなりくたびれて来た。木の下で休んでいたら、スイスから震災のボランティアに来ているという女性がいました。きょうは、日本の友人と祭りに来たそうです。祭りのうちわと帽子、進行表を記念に差し上げました。

 2年過ぎた今でも、海外からボランティアにやって来て下さる。感謝です。


 






 少し遅くなってしまいましたが、17日に祇園祭真っただ中の京都へ山鉾巡行を見に行ってきました。

祇園祭の宵山や山鉾巡行は以前から見てみたいなと思っていたのですが、交通機関や暑さ人混みの事を考えると中々足が向かなかったのだが、観覧席がついて、ホテルでの食事もついて、松尾神社で琵琶の弾き語りも聞けるというツアーを見つけた。

 琵琶の弾き語りも一度体験してみたかったので、「これはもう行くしかないなと」申し込んだのだった。

 ツアー会社は、JR東海バスで、観光ツアー会社としては後発だが、豪華なトイレつきで、しかもゆったり座席なので参加人数も他社と比べると10人ほど少なく設定がしてある。


 昨年の熊野の花火大会で初めて使ってみてとてもよかったのだ。

 今回のツアーには、最近珍しくなったバスガイドさんも同行してくれました。とはいっても、京都までは2時間もあれば着いてしまうし、名所旧跡の案内というよりは、楽しい話を聞かせてもらったという感じでした。


 事故渋滞の情報もあったのだが、ルートを変更して順調に進み予定通り京都に到着したのが、10時半頃だった。

 ホテルの駐車場から観覧席の有る御池通りまで15分ほど歩く。一時ほどの厚さではないもののやはりかなり暑くなって来た。

 観覧席は、階段状になっていないので後ろになるとちょっと見難い。しかも傘をさしてはだめだという。


この炎天下、帽子だけではかなりきついものがあります。うちわ、機能飲料を凍らせたものがセットになっていてそれぞれに配られた。

 待っていると中々やって来ないもので、暑さだけが身に応える。

 祇園祭の始まりは、869年だというから1140年以上も続いている事になる。7月1日に祭り入り、途中様々な行事を行い、7月31日を持って終了となる。

 山鉾巡行は、祭りの中日辺りに当たり、祭りのクライマックスともいえる。
巡行の順番はくじで決めるが、先頭を切るのは長刀ぼこと決まっている。

 この鉾には、生稚児さんが乗っていて、注連縄切り落とし結界をきる。それを合図に巡行が始まるのだ。

 以前はどの鉾にも生稚児さんが乗っていたというが、今は長刀鉾以外人形になっている。


 遠くの方に、鉾のとんがった屋根が見えて来た、それはだんだん大きくなってきてやがて目の前に・・・。

 真ん中に居る白い顔の男の子が生稚児さんです。人の頭の間からの必死にカメラを向けるもボケまくりです。

 
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 屋根方さん。電線などの障害を調整するそうです。人数は4人。


 
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 祇園祭は、町方の力を誇示する場でもあった。前懸・胴懸・見送りには趣向を凝らした豪華な織物が用いられている。ペルシャやインド朝鮮などの絨毯が目を引く。

 鉾の後ろに付けられている織物が見送りといわれる。

 長刀ぼこの胴懸ト見送り。

 
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 全部で、鉾と山あわせて33番あります。次にやってきたのは、郭巨山。
続いて自ら四天王寺建立のための用材を求め山に入った聖徳太子を祀る太子山。


 
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 これは、保昌山。和泉式部の為に紅梅をた折って来た保昌の姿を表している・


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 函谷鉾。
中国の孟嘗君が、家来の鶏の鳴き声によって函谷関を開けさせて脱出できたという故事による。
前懸は、旧約聖書創世記の場面を描いた16世紀の毛毯で重要文化財に指定されている。

 日本の神社の祭りの山車に聖書の場面が出てくるとは驚きでした。


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鉾にはそれぞれの部分に名前があります。
赤い部分は、あみ隠し、真木に取り付けたれた膨らんでいる部分が角幡、そのまた上にあるのが榊で、
真木は和縄で巻かれている。


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 山伏山、昔八坂の塔が傾いた時に法力によって直したという。


 
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 裃姿の大人の中に可愛らしいお稚児さんの姿がありました。

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 綾傘鉾は、山鉾の中でも非常に古い形態を残している傘鉾の一つである。
傘に付ける垂り(さがり)は、人間国宝森口華弘氏の友禅「四季の花」と、町の有志寄贈の綴錦「飛天の図」がある。

 
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 順調に進んでいたのだが、途中で全然進まなくなった。風も無い中、じっと動かない絵を見ているのはとても辛く、隣の暑い国台湾から来たお客さん達でさえ1人、2人と消えていく。せっかく購入した席だが、暑さには勝てなくて、皆後ろの街路樹の下に避難するという有様になってしまった。

 私も、街路樹の下出の見物に変更です。立っているつらさよりも暑さの方がこたえるのだ(>_<)


 後で知ったのだが、鉾がカーブを回る時にはとても大変なのだ。割り竹を車輪の下に敷いて、人力で滑らせてゆくのだから時間がかかる。

 高山祭の屋台の様にぐるっと回るというわけにはいかないらしい。そのあたりの駆け引きも又おもしろいらしいのだが・・・・。引き回しをじっくり見るのは、さらに忍耐が必要で暑い(熱い)道路の上でじっと待っていなければならないのだから、よほどの人でないと耐えられないと思います。


 この後も巡行はゆっくりゆっくり進んで行きます。

 次にやって来たのは、からくりで動くカマキリが楽しい蟷螂山だ。山鉾としては唯一のからくりだそうです。


 
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 前懸・胴懸・見送りはすべて友禅作家羽田登喜男氏によるものです。

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 9番目。鶏鉾。屋根の下から垂がっているのは、天水引と呼ばれるもの。稚児人形を囲むように囃子方が乗り込んでいる。

 
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 鶏鉾の名前は、中国堯の時代に天下が良く治まり訴訟用の太鼓も様が無くなり、鶏が巣を作ってしまったという故事によるものだ。

 見送りは、有名な毛毯で近年の調査によるとトロイの皇子ヘクトールが妻子に別れを告げる場面であるという。これは、16世紀にベルギーで製作されたものを、江戸初期に輸入したものと考えられている。

 
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 10番、油天神山。油小路通りにあるのでこう呼ばれる。胴懸左右とも日本画家前田青邨原画による。


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 次は、伯牙山。蝶型の角金具は珍しいらしいのですが、私のカメラではちょっと無理がありました。


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 此処までで3分の一が通過して行ったのだが、時間の経過と共に気温も上昇して行く。
ツアーの中には、一足先にホテルに戻る人も出て来た。

 占出山。前懸と胴懸は、日本三景を描いたものだ。


 
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 続く・



 
 1週間くらいの間に、いろいろ有りました。
 
 まず、我が家がと言ってもマンションなのだが、リフォームに入りました。
住みながらリフォームなのだが、これが案外大変です。
 
 全面リフォームでは無いので、家具移動も最低にしてベランダに出してビニールシートをかぶせ、のこりは空いている部屋に運んでおけばいいやと思っていたのだが・・・
 
 当日やってきたお兄さん、養生シートを床に張る事から始まり、関係ない部屋なのでとそのままに置いておいた観葉植物や、クロス張りをしない場所の壁一面に飾ってある大量の額縁も全部移動してほしいというのだ。
 
 「え!どうしてですか?」「大工が入るとおがくずがかかるのです。壁一面養生しますので・・・・」
「あのう、こんなにたくさんの額を動かすのは正直いやです。この上からかぶせてもらえませんか?」
 
 「シートがうまく壁にくっつかないんですよ。ピンでとめれば大丈夫なのですが。もちろん穴のあいた所は、あとでふさぎますけど・・・・」
 
 「うーん。壁に穴のあくのは嫌だが、この額をはずして掛け直すのはもっと嫌だ。新品の壁では無いし、まあいいか!」
 
「あっ。それでお願いします。穴あいてももあとで直してくれるんですよね」
 
 問題は、我が家の植物だ。伸びてきた葉っぱを切ったり茎を短くするのが、なんとなくかわいそうでできない。で、枯れるまで伸びっぱなしにしているものだから、伸びた茎が絡んでパズルのようになってしまっている。それをほどいている時間はないので、ぐるっと縄のように丸めて台所に運び込んだ。
 
 他にもこまごましたもの全部シートを描けるという。台所のカウンターもふさがれ、子窓もふさがれ、なんとなく息苦しくなってきた。
 
 終わるまでこの状態なのねええ・・・。
 
 でも大工さんが入って、このシートの意味がわかりました。大工仕事ってともかく汚れる。大工さんが帰った後、部屋中おがくずが積もっているんですもの。
 
 家をるすにできない(どうしましょう?と聞かれたり、暑いので冷たいものだしたり、必要な材料を運んできたりあるのだ)ので、寝室の中にこもっている始末です。
 
 昨日は、お葬式ができてしまったので、リフォームは、休みにしてもらいお葬式に父の実家まで行ってきた。
相方は仕事だったので、高速道路を運転していくのは自信がないので、朝7時発の高速バスで行くことにした。
 
 
 夜8時頃帰ってきたら、家のすぐ近くで6件も家が燃えるという火事があって消防の大出動があった。
けれども地元の商店街は、例年通り七夕祭りで大にぎわい。
 
 左耳に、救急と消防の音、右耳で、阿波踊りと鳴子踊りのけたたましい音を聞きながらビニールシートの部屋の中。
 
 実は、24日の日にも、
通りを2本ほど挟んだマンションで、硫化水素で一家心中を図った家があり、たくさんの消防や、警察車両がやって来るという事があったばかりだったのだ。
 
 マンションの住民は避難し、立ち入りが禁止となったのだが、直線距離で100mもない我が家は、間に建っている建物が微妙に邪魔で、目の前で何が起こっているのかわからない。
 
 消防の指示している声も音が割れてしまい聞き取れない。「火災ではありません」という声だけはかろうじて聞こえた。
 
 野次馬となって見に行くのは著と面倒だし、嫌なので、窓からずっと様子を見ていた。梯子車が出動して、ベランダから何かを運び出している。暗闇の中に懐中電灯の灯りが揺れている。
後からしったのだが、これは御遺体だったのだ・・・。
 
 いつまでたっても、消防の赤色灯は消えず、結局まんじりともできなかったのだ。
翌朝のテレビのニュースで真相を知り、「そうだったのか」と納得したのだった。
 
 
 
 

 
 足に毛の生えた鶏初めて見ました。
 
堂々としていてかっこよく、庭を闊歩していました。
 
 
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 カップルかなと・・・。
 

 
 6月2日プロディフのホテルでの夕食。
今こちらでは、日本のかにかまが人気らしい。こちらでの呼び方は、「スリミ」ですって。
 
 こうして出されると、中々おしゃれに見える。タルタルソースをつけていただきます。
 
 
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 6月3日 プロディフのレストランでの昼食  ろうそくの灯りの中でした。
 
 ほうれんそうのスープ
 
 
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 メインは、カヴァルマという肉と野菜のトマト煮込みです
 
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 デザートは、アップルパイでした。
 
 
 夕食は、ソフィアのホテルです。
 
 
 リンゴとニンジンサラダ
 
 
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 チキングリル。この付け合わせのシイタケが本当においしくて、隣のおさらの渡しより大きなたシイタケがうらやましかった(^O^)
 
 
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 最終日のお昼は、リラの僧院の近くの渓谷沿いのレストランです。
 
 豆のスープ。こちらの人は本当に豆をよく食べます。豆好きの私にとっては本当にうれしい。
白いんげんが沈んでいます。
 
 
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 メインのますのグリル。渓谷には川が流れていてそこで養殖したものです。
ブルガリア人が手で触るのは、チキンと魚と女性だけだそうです。
 
 とてもおいしかった。
 
 
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 デザートはクレープでした。
 
 
 夕食は、ホテルでいただきます。最終日の夕食は全員そろっていただくことができた。
 
 
 名物のショプスカサラダ。白いのはチーズです。きゅうりの上に雪山の様にかかっている。
 
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 メインは、ムサカ。
ひき肉、ジャガイモ、トマトなどをオーブンで焼きます。
 
 
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 デザートは、ライスプディングでした。
 
 ルーマニアもブルガリアも割と味覚が似ているのかどれもおいしくいただけました。

 
 今回は、案外たくさんの猫にあえました。とはいっても、ルーマニアでは全然会えなくてブルガリアの国の猫ばかりです。
 
 ヴァルナのホテルの近くで見掛けた野良の子猫。足が悪くてよたよたと歩いていた。このままでは多分大きくなれないだろうと、気にはなったがどうすることもできない。
 
 小さな女の子が、やってきて母親と猫の事で話をしているようだった。もらわれて行ったならうれしいのだが・・・。
 
 
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 周りが海だらけのネセバルの猫。我々の足元で終わるのを待っているところです。
 
 
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 これもバルナの猫。公園でまったりと・・・。
 
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 足元によってきた猫。よく見ると眼の色が左右で違います。金目、銀目のこはなぜか白猫が多い気がする。
 
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 ベリコタルノヴォでは、たくさんの猫にあえました。猫が多い町は住みやすいといいますが・・・
 
 
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坂の教会のそばのお宅では、野良も通い猫も飼い猫もごっちゃになっていました。
 
 
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 あなただあれ?なんて聞かれた気がする。最近猫と話ができる気がする。とはいっても言葉を理解できるのではなくて、猫の無きまねをすると必ず返事が来るのだ。しかも振り返る、寄って来るといった事も多くなってきている。猫好き以外の人には、「あほ!」と言われそうだが・・・。
 
 
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 目がばっちりあってしまった。
 
 
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猫って、車の下を何故好むのかしら?
 
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この子は、ここが定位置なんでしょうね。お店屋さんの看板猫です。
 
 
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 プロディフの猫。朝の散歩のときに出会った。
 
 
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 ローマ劇場の一番上にいた猫の一家。お母さん猫と子猫が6匹位います。私が見ていたら競技場の管理人の人が抱かせてくれました。どうやら地域猫のように飼われているようです。
 
 
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 まだまだおっぱいが欲しいようでした。
 
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 最初1匹だけだと思っていたらぞろぞろ増えてびっくりです。
 
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母猫。私の変な猫語が気になるようで・・・
 
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 次もたくさんの猫にあえますように。

 
 リラの僧院に向かう途中コウノトリの村を通りました。
その名の通り、あちこちでたくさんの巣を見かけました。
 
 
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来年もここにやって来るのだろうな。

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