この日はとても天気が良かったので、遠く大阪の高層ビル群までが見通せた。
そした足元には、大和盆地が広がっている。
万葉集でも同じ美濃大和三山も見える。ふもとから見た事はあるが、見下ろすのは初めての経験だ。
思ったより小さい。
煙が上がっているのは、脱穀したモミを燃やしているからである。
二の門の後を通った。城内を出たことになる。すこし歩くとどこかで見たような石像がお出迎え。
飛鳥ではとても有名な猿石である。同じものがここにもあったのだ。
台風で荒らされてしまったこんな道をひたすら歩く。
こんな山の中にも寺は有ります。
周りには人家がなく、山の手入れもなされていない。山の持ち主はここには住んでいないので、委託された管理人が手入れを行っているそうですが、広すぎて手が回らなく、とりあえず人の通る道を確保したと言ったところだそうです。
最近すぐに川が氾濫するのは、山が荒れているのも原因だと実感する。
藩主植村氏の菩提寺だそうです。以前は住職のいない寺だったそうですが、現在はおられるとのこと。
寺への入口。もともとは、植村家政の邸宅があったところに、1689年創建された。
一の門も過ぎ、里まで降りてきた。この土の壁の家は、火薬庫でした。
途中の看板に在りし日の高取城を再現したCGの写真がありました。こうして見ると大きなお城だったんだとわかる。
現在の町長さんのお宅の長屋門です。このあたりからは土佐街道の面影が残っている家がところどころに残っている。また、町も、街道を保存しようと頑張っているようだ。
この街道沿いの家は、とても大きな家が多い。お金持ちが多かったようで、その面影が随所に見られます。
立派な屋根瓦と、漆喰の彫り物。こちらは鶴ですが、反対側には亀があります。
鯛に恵比寿に、鶴に亀。めでたづくしです。
昔からの街道を歩くのはとても楽しいことだ。