好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2013年10月

 
 この日はとても天気が良かったので、遠く大阪の高層ビル群までが見通せた。
そした足元には、大和盆地が広がっている。
 
 万葉集でも同じ美濃大和三山も見える。ふもとから見た事はあるが、見下ろすのは初めての経験だ。
思ったより小さい。
 
 煙が上がっているのは、脱穀したモミを燃やしているからである。
 
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 二の門の後を通った。城内を出たことになる。すこし歩くとどこかで見たような石像がお出迎え。
飛鳥ではとても有名な猿石である。同じものがここにもあったのだ。
 
 
 
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 台風で荒らされてしまったこんな道をひたすら歩く。
 
 
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 こんな山の中にも寺は有ります。
周りには人家がなく、山の手入れもなされていない。山の持ち主はここには住んでいないので、委託された管理人が手入れを行っているそうですが、広すぎて手が回らなく、とりあえず人の通る道を確保したと言ったところだそうです。
 最近すぐに川が氾濫するのは、山が荒れているのも原因だと実感する。
 
 藩主植村氏の菩提寺だそうです。以前は住職のいない寺だったそうですが、現在はおられるとのこと。
 
 
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寺への入口。もともとは、植村家政の邸宅があったところに、1689年創建された。
 
 
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一の門も過ぎ、里まで降りてきた。この土の壁の家は、火薬庫でした。
 
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 途中の看板に在りし日の高取城を再現したCGの写真がありました。こうして見ると大きなお城だったんだとわかる。
 
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 現在の町長さんのお宅の長屋門です。このあたりからは土佐街道の面影が残っている家がところどころに残っている。また、町も、街道を保存しようと頑張っているようだ。
 
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この街道沿いの家は、とても大きな家が多い。お金持ちが多かったようで、その面影が随所に見られます。
 
 立派な屋根瓦と、漆喰の彫り物。こちらは鶴ですが、反対側には亀があります。
 
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 鯛に恵比寿に、鶴に亀。めでたづくしです。
 
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 昔からの街道を歩くのはとても楽しいことだ。
 
 

 
 高取城は、城内と郭内の分けられる。
城内は、二の門より内側をさし約10000平方メートル、周囲約3km。城郭は、約60000平方メートル、周囲約30kmもあり、山城としては日本一だと資料にはある。
 
 3層の天守、子天守を擁し、27の櫓、33の門、土塀2900m、石垣3600m、橋梁9、堀切5か所とあるが、現在楼閣などはことごとく消滅してしまったが、石塁などは残っている。
 
 このような高い場所で、水はどうしていたのか気になる。質問してみたらちゃんと井戸があったそうです。
 
 ふもとの城下町とともに、明治まで続いた山城としては極めて珍しく、貴重な遺構である。
 
 進むにつれて城の石垣がはっきりとその役目をあらわにしてくる。
 
 
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 鍵の手になっています。
 
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 石垣の上の大木を見ると、建物がなくなってからの年月を推し量ることができる。
 
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 天守残っているのも素敵だけれど、個人的には石垣だけのほうが好みだ。想像力をかき立たせてくれるもの。
 
 13多門櫓を過ぎると本丸も間近です。
 
 
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 こんな看板がたっていました。
 
 
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 15多門櫓をくぐっていくと本丸の石垣が見える。
 
 
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 本丸石垣。結構角度があり、下から見上げると迫力満点である。
 
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 この石垣を回り込むように歩いて本丸に向かう。
 
 天守閣広場です。ここで小休止。バスの中で食べないでとっておいたお弁当をここでいただきました。大和の山々を一望できます。
 
 
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 帰り道は、大手門口から帰ります。この道は台風で傷んでいるうえに、急でしかも距離がある。翌日筋肉痛になってしまった。普段使っていない筋肉がいかに多いか思い知らされた・
 
 千早門、宇陀門、松の門、矢場門と通り、国見櫓の有った場所まで下ってきた。
 
 
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 ちょっと横道に入ります。
 
 
 
 
 

 
 高取城って聞いたこと有りますか?私は、聞いたことが無くて、「日本3大山城」というキャッチフレーズに誘われて今回歩いてきました。
 
 3大山城とは、「岩村城」「備中高梁の松山城」そして「大和の高取城」を指すらしい。
 
 たまたま他の2つの城には、行ったことがあったので、ちょっと興味がわいたのだった。
 
 ツアーの面々は、いつもとはちょっと様子が違う。遠くは東京・横浜からの参加者もいるという。
男女比率も男性の方が多く、普段とはトイレ事情がちがいました。
 
 実は、申し込んだときにはすでに満席でキャンセル待ちをかけていたのだ。城好きって多いんですね。スタンプ帳もあり、100個押せるようになっているらしい。これも初めて知りました。
 
 
 今は三重県方面は鬼門です。お伊勢さんのせん宮でいつも混んでいるからだ。この日も1時間ほどかかって渋滞を抜けることとなった。
 
 目的地に着いたのは、4時間ほど後のこと。隣の隣の県だというのにとても遠かった。
 
 土地勘がないのでよく理解できていないのだが最寄駅は壺阪山駅となっている。壺阪寺の
名前だけは知っていたのだが、ここにあったとは・・・。
 
 今日は時間の関係で立ち寄らずに、上から眺めるだけです。残念!
 
創建703年。西国6番札所とある。3重の塔は室町期のもので本堂とともに重要文化財に指定されている。
 
 
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 山道を登っていく。左手の建物は壺阪寺の塔。
 
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 最初に足を止めたのは、壺阪寺の奥の院。「5百羅漢」だ。親に会いたくなったらここに来れば会えると言われるほど、岩肌にたくさんの仏さまが彫られている。中には彫が薄くなってしまっているものもある。
 
 こちらは近年の新しい仏様達。
 
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 前回の台風でこのあたりは被害をこうむり山道がかなり荒れてしまったという。この日も修理が終わりかけの山道を歩いて行った。勾配が急なので、降った雨が一気に里に駆け下りていったのだろう。
 
 ここからさらに登っていくと。
 
 
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  天女のように見える。
 
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 やっと高取城の入り口部分にやってきました。ここからが城内です。
 
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 高取山の標高は、583mなので標高差390mあるという。南北朝時代、豪族の越智氏が築城した。
以来幕末まで続いた。
 
 1585年、豊臣秀長の命により本田氏が修復をおこなった。以後、譜代大名の植村氏の居城となる。
 
 
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 さあいよいよ城に入っていきます。
 

 
 お茶を飲んだ茶店も、京都にあった酒屋さんを移築したものだ。
隣にある建物は、安田銀行会津支店です。
 
 分厚いしっくい壁がまるで蔵の中のようだ。
 
 
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 レンガ通りのつきあたりにある建物が、明治村の村長室のある東山梨郡役所です。
 
 ここでは、村民になるための登記もできますよ。村長席に座ってしばし気分を味わう(^^♪
 
 
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 この大きな建物は、小学校の講堂だ。アーチをつけた外回りがモダンな感じを受ける。
大阪府南河内郡千早赤坂村からとある。村の小学校にしてはずいぶん立派です。
 
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 エントランス部分も外観も堂々としていてとても目立つこの建物は、三重県の県庁舎だった。洋風建築によく見られるコの字の形をしている。
 
 ここも重要文化財とある。村内の建物のうち10棟が文化財の指定を受けているのだ。
 
 
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 あと30分ほどで、閉館になってしまうのだが、まだ1丁目を見ていない。自然と速足になってしまう。
お召し列車・・・天皇、皇后両陛下分が展示されている。
 
 牛肉店の前を通り過ぎて聖ヨハネ教会へと急ぐ。昼時には、牛肉屋さんで牛なべを食べることができます。
 
 聖ヨハネ教会です。内部は山小屋のような雰囲気だ。礼拝堂は階段を上がって2階にある。
 
 
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 振り返るとヨハネ教会の尖塔が見えます。この風景私のお気に入りの一つです。
 
 
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 西郷従道邸。
東京の目黒にありました。この建物を見ていると、軍服に身を包んだ明治の軍人さんを連想してしまう。その背後には、髪を結いあげたワイヤー入りの膨らんだドレス姿の女性達もいるのだ。
 
 
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 鴎外と漱石の巨頭が住んだ文京区の住宅にたどり着いたところで、ホタルの光が流れ始めた。
職員の方が、雨戸を閉めています。
 
 つくりものの猫が漱石の家の縁側に座っていました。
「吾輩は猫である。名前はまだない」なんて・・・。
 
 
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 犬山市に戻ってきたころには、薄暗くなっていました。おなかもさびしくなってきたので、古い呉服問屋を改装したレストランで夕食を頂き家に帰ってきた。
 
 ワインが心地よいな(*^_^*)

 
 建物の所在地には番地がつけられています。ちなみに呉服座は、4丁目49番だ。
大阪府池田市にあったものを移転したもので、1892年建築。
 国の重要文化財に指定されています。
 
 
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 ツアーに参加すると、客席・舞台・舞台下の仕掛けなどを見て回れます。
 
客席は、桟敷席のようなもの地自由席があり、人気のある演目などかかかると自由席はぎゅうぎゅう詰めだったそうです。
 マス席は1マスごとの売り出しなので、マスの中には何人入ってもOKだとか。
 
 
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 この日は、アトラクションとして独楽回しが行われていたのでしばし見ていきます。(^O^)
愉快な口上とともに芸を披露していく。
 
 
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 この美しい建物は郵便局です。ここから実際に郵便物を出すこともできる。
三重県は、伊勢市にあった宇治山田郵便局。こちらも重要文化財指定になっている。
 
 
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 玄関のところには、しめ縄がかけられている。これは伊勢地方の風習です。置かれているポストも黒である。
 
 鉄道寮新橋工場の中には、珍しいものがある。菊の御紋のついた平削盤だ。1878年生の国産の機会だ。今でもちゃんと動きます。明治政府直轄の工場で製造されたので御紋が付いているようだ。
 
 
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 こちらは日本赤十字社中央病院病棟だ。昔の映画やドラマの舞台に出てきそうな雰囲気。
 
 
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 芝川又衛門邸。兵庫県西宮市にあったのだが、阪神大震災の被害を受け、こちらに解体移築されてきた。最初の建築年は、1911年となっている。
 
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 内部は随所に趣向が施されており、見学していて楽しい。ここもツアーガイドで中を見ることができます。
 
 ハートがお好きだったのか、あちらこちらにこの形をあしらったものがある。
 
 
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 こちらは浴槽の天井。縁起がいいと言われるトンボをあしらってある。
 
 
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 2階和室の天井。違った様式の網代を組み合わせてこしらえてある。
 
 
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 階段部分。和なのに洋風建築のらせん階段のようだ。
 
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この2階ホールの壁は、金色に輝いている。これを復元するのはとても苦労したそうです。ボランティアさんも参加して壁を塗ったとか・・・。
 
 
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スミレの花のステンドグラス。子供の絵のようだとあまり評判がよくなかったようですとガイド氏・・・。
 
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派手ではないけれど、とても丁寧に造られたお家だなと思った。震災で被害を受けたけれど、落ち着く先があって本当によかった。
 
近くには、幸田露伴の住宅とか西園寺公望別邸などもあります。
 
続いてやってきたのは、北里研究所本館だ。
北里柴三郎に関したものが常設展示されている。
 
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さすがに疲れてきた。広大な敷地はゆっくり見ていると1日では回りきるのが難しい。
おまけの抹茶券でちょっと休憩しよう。
 
お茶屋さんはレンガ通りにあるのでそちらに移動します。
 
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ここら辺で残り3分の1くらいか・・・。京都にあった中井酒造店がお茶屋さんとして使われていました。
抹茶と栗きんとんで一休みします。
 
 

 
 個人的に思っている事だが、この地方で海外からやってきたお客様に案内するところは、と聞かれたら「徳川美術館と明治村」と答える。
 
 で、今回は久しぶりにその大好きな明治村を歩いてきた。広大な敷地内には、重要文化財に指定された建物もいくつか点在しており、古い時代の建物を見ながら散策できるようになっている。
 乗り物は、京都市電や蒸気機関車を移転したものがあります。それらにもちゃんと乗車できます。
街角にたっているお巡りさんは、いかめしいひげをたくわえた明治のお巡りさんです。
 
 こういう場所なので、映画やテレビドラマのロケ地にもよくつかわれるので歩いていると、あれどこかで?なんて事もあるかも・・・・。
 
 名鉄のチケットを買うと列車・バスの乗車券、村内バスの乗車券、それに入場券がついてくるお値打ちなものがある。これには抹茶とお菓子を食べることができるという特典もありました。
 
 
 村内にはラストランや食堂もあるが、今日はお弁当を持って行きました。
 
 まずは村の一番奥まった場所にある帝国ホテルの正面部分を移築したものから見ていきます。
 
 大震災にも耐えたという。ライト氏の設計によるレンガと大谷石をふんだんに使った建物だ。石を積み木細工のように組み合わせている。
 
 中にカフェがあるのでお茶もいただけます。
 
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 そこから左手に進んで行くと内閣文庫、川崎銀行本店がある。
 
 ここにある建物は当初は明治期のものだけだったのだが、今では大正のものも多くある。
 
 
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 川崎銀行本店。東京の中央区にあったもの。
屋上が展望台になっている。
 
 
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 展示してあるのは、建物だけでなく橋や機関車産業機械といったものまで幅広い。
 
これは、隅田川にかかっていた大橋である。
 
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 銀行よりさらに奥まったところにある木造の小さな建物は教会でした。弾圧を恐れてはた目からは教会とは見えない。
 
 大明寺聖パウロ教会堂キリスト信仰の盛んな島長崎の伊王島のものでした。
 
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 ここは中も素晴らしかったです。
 
 
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 こちらは、金沢監獄中央看守所と監房。金沢市からの移転。内部は網走監獄とほとんど同じです。
 
 
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 このかわいらしい建物は、宮崎駿さんの世界を連想してしまう。
新潟県上越市高田の小熊写真館です。2階がスタジオになっていました。
 
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 一段高い場所に建っている大きな建物は、酒蔵。地元愛知県刈谷市の菊の世酒蔵。今でも中に入ると麹の香りが残っていました。
 
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 酒蔵の前方に広がっている池は入鹿池。国内最大級の農業用ため池です。
 
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 聖ザビエル天主堂に入ります。午後からの光が天主堂内部に美しいモザイク模様を造り上げていました。京都市中京区にあったものです。
 
 
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 国の重要文化財に指定されている呉服座までやってきました。この辺で3分の1を回ったところかな。
ツアー付きで内部を見られるというのでそれを待つ間隣の床屋を見てこよう。東京都文京区にあったもので、石川啄木の下宿先だったという。
 
 
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 隣には、小泉八雲ゆかりの家があり、駄菓子屋さんになっています。
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 先週の土曜日豊田市に行ってきました。
ちょうど挙母祭りがおこなわれていて、ラッキーでした。
 
 駅を降りたら、山車がちょうど目の前に・・・。
 
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 歩道橋の下をくぐるときは
 
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 いただいたパンフレットによると、挙母神社の例大祭として1624年ころから五穀豊穣を祈り行われてきたとある。
 8輌の山車が街の中を回ります。
 
 お宮に入るのは明日のことで、今日は街の中を曳き回すだけだそうです。
 
 尾張や三河はこうした山車の多いところでもあり、各地で年間を通して祭りがおこなわれている。
 
 今日は名古屋でも祭りがおこなわれていて多分山車が公開されていると思う。
 
  参加者は子供や女性が大半を占めていて、男衆は屋根の上と山車の前後の力のいる部分だけのようだ。なので、勇壮というよりはなんとなくのんびりとした感じが漂う。
 
 祭りに気をとられていたが、今日ここに来た目的は、豊田市美術館なのだ。
 
  反重力展を体験しに来たのだ。
 
 
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 参加する展覧会ということだが、・・・・・。
 
 美術館の池を使った霧の彫刻という作品。これも作品なのだそうだ(^O^)
 
 
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 さて街に戻ってきて、本格的に祭りを見る。山車の後をくっついて歩いて行くのも楽しい。
 
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 屋根の上から紙吹雪を散らすのだがこれがとってもきれい。
 
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 知らなかったのだが、この豊田市は以前は挙母という名前だったそうだ。それをあの自動車メーカーの名前をとって豊田市としたのだという。
 
 名前を変えて成功したよい例だと思う。世界に通じる名前だものね・・・。
 
 なので神社も城も皆挙母というもともとの名前が付いているのだ。
 
 
 景気つけのラッパの音色が勇ましく響く。また山車が動く時には拍子木の音が合図となっている。
 
 
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 角を回ろうとしているところです。木製の車輪をうまく回して・・・。
 
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 うまく回り路地に入っていきます。電話線が目の前にある。
 
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 この日は、雨は何とか降らなかったのだが、翌日の本祭りは雨降りだった。
 
晴れていれば花火もあがったのだが、どうなったのだろうか?
 
 訪れた先でこうした祭りに出会うとなんだかとても得した気持ちになれる。


 今回は、本当にネコに出会う事がなかった。

 あまり飼っていないのか、飼っていても外に出ていないのか、たまたま見かけなかったのか・・・・。

 犬は沢山見かけたのだが・・・・。寒さに弱い猫は、北欧向きではないのだろうか?


 マルメで 

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 オスロのアーケシュフース城で

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 今回唯一の生きている猫。ヴィーゲラン公園で・・・・。最初は遠くに居たのだが呼びかけるとわざわざやって来てくれた。そして抱っこもさせてくれました。(^-^)


 
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