好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2014年02月

 
 朝起きてすぐにカーテンを引いてみた。窓のすぐ下には競技用のプールが見えている。
どうやら体育館のようです。
 
 左手に方向にメキシコ湾が広がっている。カリブ海は見たことがあったのだが、メキシコ湾を見るのは初めてである。
 ユカタン半島の東側に位置している。今日はユカタン半島を横断するようなルートでチェチェンイッツアまで向かうのだ。
 
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 朝ごはん前に朝の歴史地区をちょっとだけ散歩してこようかな。
海とは反対方向に歩く。
 
 まだ完全にはあけきっていないのでなんとなく暗い。海の門のある広場。
 
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 これが海の門です。ここをくぐると旧市街だ。
 
 
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 誰もいないソカロ。
 
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 カテドラル。早いので信者では無くて修道女さん達が集まっていました。
 
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 観光客用のバスが無造作に置いてある。左の建物は昨日ライトアップされて黄色に見えていた。
本当はこんな色だったんだ。
 
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 もう少し通りを歩いて行ってみる。ごみも落ちていないしあまりにきれいなので驚きである。
 
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 戻ってきて要塞の壁に沿ってすこし歩いてみる。
 
 
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 ホテルを出発して2時間ちょっと走ってウシュマルに到着だ。
森の中にあるチェチェンイッツアと並び称されるマヤ文明を代表する遺跡である。
 
 7世紀ころに都が置かれ雨の神チャックをツォyく進行していたのでいたるところにチャック像が彫られている。
 
 というのも大地がカルストになっているので河川が全くない、降る雨だけが頼りだったのだ。
 
 遺跡入っていくといきなり魔法使いのピラミッドが我々を迎えてくれる。女性のスカートのようにも見えるとても優美な感じのする神殿だ。
 
 真ん中の穴は調査のための穴だという。
 
 
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 高さ36mの小判型の形をした神殿だ。内部には4つの神殿が隠されており、その中の1つから「ウシュマルの女王」と名付けられた蛇の口から人の顔が出ている石の彫り物が発見された。
 
 小人が一夜のうちに造り上げたという伝説から「魔法使い」という名で呼ばれている。
実際は、8から11世紀にかけ300年かけて5つの神殿を順番に造り上げていったものだ。
 
 
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 118段の階段はのぼりたいという誘惑にかられるが、残念ながらここは登れません。
 
 
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 のんびりと犬が・・・まるでこの神殿を守っているようにも見える。(^^♪
 
 
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 神殿後方西側に回り込んで行く。
 
ピラミッドが複雑な作りをしているのがよくわかる。これだけ形のそろった石を集めるのだけでも大変な気がしてしまう。
 
 
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 西側の階段を上ったところにある神殿。彫刻を施した石をくみあわせてある。複雑精巧でプウク様式と呼ばれるマヤ独特のものだ。
 
 
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 急な階段のわきには、雨の神チャックがずらっと並んでいるのが見られる。
 
 
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 圧倒されるほどのエネルギーを感じてしまう。
ここはまだ入り口なのに・・・・。

 
 
 カラクルムは最盛期には近隣のベリーズの勢力を支援してして、ティカルを破りこの地方の覇権を握ったというが、その後復活したティカルに敗れてしまう。その間約130年ほどの事であった。
 
 石段のステップの幅が、まちまちなのでのぼりにくい。
 
 
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 背後には、下からは全く見えなかった1号建築物が見える。
 
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 ピラミッドの淵を歩いて1号の下まで向かう。
 
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 1号から2号を見たところ。
 
 
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しばらくこの素晴らしい景色を堪能する。ジャングルのという海に浮かぶ小島のようだ。
 
 
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 右方向にも大きな神殿があるようだ。
 
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 大満足の景色。降りてきたらシチメンチョウの出迎えを受けました。(^^♪
 
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 猿などもいるそうですが、この日は姿を見ることができませんでした。
同じように来た道を30分かけて歩き、バンに1時間ちょっとゆられてバスまで戻ってきた。
 
 ここから今夜のホテルのあるカンペチェまでは、250kmもあります。運転手さんは先にお弁当を食べたようで我々も走る車の中でお弁当を頂きました。
 
 城塞都市カンペチェに着いた時にはすっかり暗くなっていた。暗い街の中を散策しながらレストランに向かう。
 1999年旧市街が世界遺産に指定されている。アンティグアの街になんとなく似ているなあ・・・。
 
 海に面していて、スペインが最初に作った要塞都市だ。1540年スペイン軍が攻めてきて征服されてしまう。マヤ人の都だったが、貿易港へと大変身させられる。
 
 それと同時に海賊の襲撃が旅かなさるようになったので1686年~18年もの歳月をかけて街を囲む要塞が造られた。
 
 陸の門から入り海の門に向かって歩いて行きます。
暗くて様子がわからない。明日の朝早起きしてもう一度歩いてみよう。
 
 これは陸の門。ここから街に入ります。
 
 
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 地元の人達が集まって何やら話していました。「オラー!」
 
 
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 ここでも・・・。もうちょっと明るい場所に移動すればいいのになんて・・
 
 
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 こんなに暗くては手元の料理が見えないだろうに・・・。なんて余計な事を思ってしまう。
 
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 ソカロまでやってきた。ライトアップされたカテドラルが美しい。
 
 
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 この建物の後ろに要塞の壁があるのだが見えない。
そこに海の門があり、港へとつながっている。我々のホテルも海のすぐそばにあるはずなのだが暗くてこの日はなんだかわかりませんでした。
 
 
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 レストランに入り、海鮮づくしの夕ご飯を頂きます。おいしいが量が多すぎて食べきれない。
 
明るいうちにこの町に着きたかったなあ・・・。なんて思ったのでした。
 明日は絶対早起きするぞー!
 
 
 

 
 夜中の3時のモーニングノックで起こされました。でももう目は覚めていたのだが・・・・。
真っ暗な中バスはホテルを出発した。
 
 これから300km以上走ってカラクルム遺跡に向かうのだ。マヤ最大の遺跡と言われながらまだほとんど調査がなされていないという。
 よって訪れる人もほとんどなく添乗員さんいわく「多分私達だけ」とのこと。
 
 ユカタン半島南部の古典期に近隣のグアテマラやベリーズに栄えたものと同様の都市国家の1つである。
 カラクルムからは、グアテマラ国境まではさほど遠くはないそうです。
 
 長い間注目される事も無く、遺跡のほとんどがジャングルの海の中に埋もれてしまっている。
 
 バスの中で日の出を見、明るくなったころ国道沿いのレストランにに立ち寄った。ここを逃すとこの先めぼしいお店は無いそうで、ここで朝食とトイレ歯磨きなどを行いました。
 暖かなトルティーヤにトースト、作りたてのオムレツとコーヒーそれに果物までついた贅沢な朝ごはんでした。お昼にいただくお弁当もここで作ってもらいバスに積み込みます。
 
 ここからさらにバスは走り、カラクルム遺跡の入り口の集落に到着したのが9時半ころ。ここからは大型バスでは行くことができないので、バン2台に分乗して向かった。
 
 
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 ローカルガイドの女性もここから乗り込んだ。途中までは舗装がしてあったのだが、そのうち舗装は途切れてしまった。でもそれほどの悪路では無いのが救いです。
 
 1時間ちょっと走って今度こそ遺跡の入り口に着いた。小さな博物館でトイレを借りてさらに徒歩で30分ほどジャングルの中を歩く。
 
 苔むした道を進んで行くとやっと崩れかけたような石積みが見えてきた。到着です!
うーん長かったあああああ。
 
 
 
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 ステラもありますが、解読できない。
 
 人が歩かないので、道も苔むして緑色になっている。
 
 
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 神殿の前にいくつかのステラがある7号建築物。
 
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 7号建築物の前は中央広場だそうです。
のぼってみます。
 
 
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 こんな景色が見えた。あそこまで行くのだ。うーん楽しみ・・・。
 
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 次に現れたのが6号建築物。階段の幅が広くて美しいシルエットだ。
 
 
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 さらに奥の方に苔の道を進んで行きます。
 
 
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 石積みと樹木が一体化してしまっている。このような建築物がいくつか見える。
 
 
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 色のない世界にあったので誰かがいたずらしたのかと思ったのですが、これは自然のものだそうです。
 
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 カラクルムで最も大きな神殿2号神殿です。
 
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 実はこれ複合神殿でここからは見えないが、後方さらに高いところに1号神殿があります。カラクルムとはお、隣り合った2つの丘というような意味で、2つの神殿が隣接しているところから名づけられた。
 どこの遺跡も研究者の都合で名前が付いているのだなあと思う。
 
 
 

 
 宮殿も違う角度から見るとずいぶん低く見える。傾斜地になっているのか?
 
 
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 ガイド氏いわく、「この水路はマヤの時代に彫られたもの」という水路をこえていくと、ピラミッドがそれほど広くはない広場を囲むようにして建っている。
 
 
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 これらは、十字グループといわれるエリアでパカル王の息子チャン・バールム王によって建設された。太陽の神殿、葉の十字架の神殿、十字架の神殿などがある。
 
 中でも一番大きいのが十字架の神殿だ。
 
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 十字架の神殿から見て左手に葉の十字架の神殿、右手に太陽の神殿が位置している。
 
 葉の十字架の神殿から見たところ。
 
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 それぞれ最上階の部屋にはレリーフが残っているのだが、私には何が描かれているのか判明しがたい。
 
 
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 葉の十字架の神殿。入り口は疑似アーチ、左右の窓はトウモロコシの葉と人間の首を表しているそうだ。
 
 
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 太陽の神殿。内部の絵盾と槍からなる神が彫刻されたいたところからこう呼ばれる。屋根の飾りが比較的きれいに残っている。
 
 
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 ピラミッドの上から見る景色はどこでも美しい。気持ちが晴れやかになる。
 
 
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 上から見ると何となく偉くなったような気持ちになってしまうからふしぎだ。
 
 
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 北にも建物群があるのだがそちらは今回は遠くから見ただけでした。
 
 パレンケのホテルによる前に地元のスーパーでお買い物だ。今回は移動は多いのでスーパーに寄れるのはここだけということで、お土産をたくさん買い込んでいる人もいたが、私は旅の途中だったので辛いスナック菓子と日本では手に入らないだろうチリソースを買いました。
 
 明日の出発はなんと朝の4時だという。これでは明日というより今晩の延長だね。
 

 
 ここには、紀元前から人が住みついていたとされているが、パカル王とその息子が統治した7世紀ころから急速に成長し最盛期を迎えた。
 
 しかし繁栄は長く続かず9世紀ころから、段階的に放棄され10世紀末、トルテカ人と思われる異民族が侵入した時には、すでに廃墟状態だった思われる。
 
 1746年の宣教師によって知られる。発見時には飾り屋根がまだ残っており、壁に施された色彩も残っていたようだ。しかしその後訪れたスペイン調査団の略奪や失火により多くのものが失われた。
 
 しかし、いまだ多くの建造物は修復発掘されていない。車輪も金属器も持たなかった人々が、どのようにして巨大なピラミッドを築き、そしてその後放置に至ったのかは解明されていないのだ。
 
 これは、1993年に発見された「赤の女王の墓」がある13号神殿だ。
 
 
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 私も中に入ってみました。赤が鮮やかな石室。
 
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 その隣の碑文の神殿はのぼることを許されていません。
675年に着工されパカル王の死後692年に息子のチャン王によって完成した高さ23mの神殿だ。
最上部に600以上の碑文が刻まれた石板があったことからこう呼ばれるようになった。
 
 
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 碑文には、マヤ文字で2世紀に渡る王家の歴史が書かれており、研究の重要な資料となった。
最上階の建物は5つにわかれており、中央の部屋にその石板があった。
 ここで出土したものは、メキシコシティの博物館のマヤの部屋に展示されていた。
 
 博物館の展示、パカル王の墓も再現されている。ヒスイの仮面をつけていた。彼はここの神殿の地下に眠っていたのだ。
 
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広場の中心に立っている大きな建物が宮殿だ。もっとも立派な建物だったので王様の住む場所だろうと推測しこう呼ばれている。
 最初の部分は、7世紀ころのもの。その後120年ほどかけて増築された。マヤの他の遺跡では見られないものが高さ15mの4階建ての塔だ。
 
 
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 塔の壁は、東西南北を示しているので、天体観測に使われたのだはないかと、「天体観測所」と呼ばれている。この塔から見ると冬至には太陽が碑文の神殿の方向に沈むのだそうだ。
 
 
 
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 階段を登りきると中庭がある。4つの中庭はそれぞれがマヤアーチの天井を持ったアーケードや地下通路でつながっている。
 建築当時は、水洗トイレやスチームバスもあったという!
 
  
 
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 マヤアーチの回廊
 
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 もう一つの中庭
 
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 ここから見た碑文の神殿。
 
 
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 中庭の一つに残されているレリーフ。ガイド氏は、エジプト人だと嘘とも本気ともいえないような説明をしてくれました。(^^♪着ているものが似ているというのだが・・・
 
 
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 E棟の通路には、双頭のジャガーの椅子に座り母親から王冠を受けるパカル王のレリーフが残っている。彼は12歳で母親から王位を継承し68年間統治し、パレンケは大いに栄えた。
 
 言われてもどれがどれやらよくわかりません。( 一一)言われてみれば・・・というところか。
 
 
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 この奥さらに奥まったところにも神殿はあります。宮殿から回り込むようにして進んで行く。
 
 
 

 
 昨晩は遅くにホテルの到着したので周りの様子が全然わからなかった。
すこしだけ歩いてみたが、交通量も多く歴史的な雰囲気も無く早々に引き揚げてきた。
 
 タバスコ州の州都でもありオメルカ文明に触れるための拠点である。
 
 ここから130kmほど離れたところにオルメカ文明の中心地だったラベンダ遺跡がある。その遺跡からの出土したものを展示しているのが、ラベンダ遺跡公園である。
 本来なら我々もここを訪れて見学するはずだたtのだが、残念ながら修復のため閉鎖中との連絡があり、急きょ同じようにオルメカの出土品を展示してある人類地方博物館に行くことになった。
 
 この日の天気は、初めての雨に会いました。とはいってもおしめりといった感じで傘をさすほどでもないのだが・・・。
 
 それでもやはり雨は嫌なので博物館にいる間にやんでほしいと願う。
 
 オルメカ時代は、紀元前1200年~400年にかけて栄えた。
ここからの出土品から推測して宇宙人説を唱える人々もいるくらいちょっと不思議なものがあるらしいのだが、学者でも研究家でもない身にはよくわからない。
 
 
 例えばこれ・・・。謎の人物像で伝説のケツアルコアトルの容貌に似ているというのだ。
あごひげで長いロ―プを持ち、腰紐を結んだ西洋人風の男の記述に似ていると言えばそんな気もするが・・・。
 
 
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 そして、巨石。どこからラベンダまでどのようにして運んだのだろうか?
 
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 これらの人物像は頭に何かを巻いているように見えるし、メキシコの先住民はモンゴロイドと聞いていたがこの口ビルの厚さは、どう見てもモンゴロイドには見えない。
 
 
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 これなどは、ゴーグルをはめているようにも見える。
 
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 私にはどうやっても猿とウサギに見えてしまう・
 
 
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 他にも色々不思議なものを見学するが。造形的には興味深いものがある。どれもエネルギッシュなのだ。
 
 午後の訪れるパレンケの遺跡も宇宙人が到来した場所などと唱える人々もいるところだ。
 
 遺跡の観光の前にローカル色あふれるレストランでお昼を頂きます。
 
 
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  パレンケの駐車場あたりには、お土産を売ろうと現地の人々が必死の様子で迫ってくる。心やさしいおじ様達は、ちゃんと何かしら購入されるが、女性は・・・・。
 
  彼らが売っているのはこういったもの。誕生日に関係したものだ。
 
 
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 民族衣装に身を包んでいます。
 
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 パレンケは、パカル王が統治した7世紀に栄えたマヤ古典後期を代表する遺跡である。
800年もの間、ジャングルに眠っていたが、18世紀スペイン人宣教師によって報告され、その後マヤの歴史的な碑文や王の地下墳墓などが発見された。パカル王の墓が発見されたのは、1952年の事である。それは碑文の神殿の地下で神殿上部の床石を持ちあげると地下室への階段が現れたという。
3年もかけて掘り進み殉死者を発見さらに奥の方から王の墳墓が出現した。
 
 この墳墓が発見されるまでは、マヤのピラミッドは墓では無くて、「神殿の台座」という考え方が一般的であった。
 またパレンケの王達は天文学にも秀でていたとされ、王の石棺のふたに描かれたレリーフを見るとマヤの神官が宇宙船を操縦しているように見えるところから、彼らが宇宙人だったという説が生まれた。
 こういう説が出るほど彼らは高度な観測技術を持ち、正確な暦を操っていたのだ。
 
 うっそうとしたジャングルが広がっているなか、整備された小道を進んで行きます。ここはターミネーターやターザンのロケ地にも使われたという。
 
 
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 ぱっと視界が広がる。正面に宮殿がありその右手に墳墓の有った碑文の神殿、骸骨の神殿、新電13がいっぺんに目に飛び込んできた。
 
 
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 鮮やかな緑が心に残った。以前訪れたティカルやコパンを思い出す。
 
 これが骸骨の神殿。骸骨のレリーフがあることからこう呼ばれている。
 
 
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  もともとは赤と青で彩色されていたという。ウサギの骸骨だというが・・・。博物館で見た出土品の中に猿とウサギに似たものがあったなあ・・・。月にはウサギが住んでいるというからなどたわいのない事を連想してしまう。宇宙人説に感化されてきたかしら?(*^_^*)
 
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 ガイド氏の持っていた写真集を見ると、整備される前はこんな感じだった。
 
 
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 パレンケの建物は、500棟以上あるとされているが発掘、修復されているのはほんのわずかだという。
 
 
 
 

 
 2つの鐘楼を持つカテドラルはとても大きな建築物だ。
1575年に建設が始まり1649年に完成した、メキシコを代表する教会だという。
 
 
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 真ん中に聖歌隊席がありそれを取り囲むように回廊があるという今までに見てきたカテドラルと同様の造りである。
 
 
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 立派なオルガン。夕暮れ時になると演奏され広大な聖堂内におごそかな旋律が行き渡るという。
 
 
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 光が差し込んでフレスコ画が美しく輝いている。
 
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 カテドラルを出て、ゆっくり歩いて行く。砂糖菓子の家までやってきました。お菓子を作っているのかと思っていたらそうでは無くて外観がクリームのデコレーションのように見えるところからこう呼ばれているのだという。
 
 確かにウェデイングケーキのデコレーションのようだ。
 
 
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 18世紀に副王の迎賓館として建てられた。赤い壁にロココ調の内装がとても豪華な雰囲気を出している。
 
 入ってすぐは、吹き抜けの中庭になっている。お約束の噴水もちゃんとあります。
 
 
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 再現されたキッチン。かまどのところに十字架が描いてるのはおまじない?
日本などでは、火ぶせの神様の札をはるけれど・・・。
 
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 豪華な個人礼拝堂まである。
 
 
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 ここはざっと見ただけでタラべラ焼きの工房に向かう。
 
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 上薬のかかっていない素焼きや乾燥している最中の陶器が並んでいるのでちょっと緊張する。壊したら大変だ。
 
 絵付け師
 
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 焼き物や民芸品を売るお土産屋さんやエルバリアン市場をのぞいてみました。
 
 
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  変わったつくりの教会。黒と黄色のコントラストがきれい。
 
 
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 メキシコシティを9時半の飛行機に乗ってピジャエルモッサまで移動しなければならない。ここからシティまでは2時間くらいかかる。
 
 いままで全然鉄道を見なかったのだが、ここに来てやっと駅を見ることができた。
メキシコでは列車は効率の悪い乗り物で、渋滞にあおうとも車の方が早くつくので、地下鉄や近郊電車以外はほとんど利用されないと聞いた。というのも最短距離でつないでいなくてとても大周りなのだという。列車が使われるのはほとんどが貨物だけなのだそうだ。
 
 
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 メキシコの空港でのチェックインは今までどこの空港よりも簡単だった。予約番号も便名もパスポートもなにもいらない。機会に自分の名前と行き先を打ち込むだけでOKなのだ。
 
 出てきたチケットを持って荷物を預ければそれでお終わりだ。
日本でも国内線は、何もしないでそのまま保安検査場に行けるけれど、外国人はどうなのだろう?
 
 夕食は空港ホテルのレストランでいただき、9時半、ピジャエルモッサ人に向けて離陸した。
 
 1時間半ほどのフライトで到着する。降りたとたんに湿気を感じる。ここは標高80mで海にも近い。
 明日からは、寒さのことを考えなくてもいいのだ(*^_^*)
 

 
 街は碁盤の目のようになっているので迷うことはない。
ヨーロッパのように建物の角にアベニューの名前と番地が書いてある。
 
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 市内には多くのカトリックの教会があり、それらの建物も美しく装飾されている。
ここにはパサージもありました。支配者たちは、あくまでもヨーロッパの街並みのようにというのにこだわったのでしょうか・・・。
 
 
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 通りで目立つのは美しいタイルの建物だ。
これはその中でのひときわ目立っている。
 
 
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 プエブラは、もともと先住民による陶器が生産されていた。それらにスペインのマヨルカ島から伝わった技術や中国の技術が加わり鮮やかな色を使ったタラべラ焼きが誕生した。
 タイルの家が多いのもそうした焼き物の技術があるからかもしれない。
 
 アールデコ様式の建物も。
 
 
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 コロニアル様式の建物がそれらをうまくまとめている感じがする。
この美しいケーキのデコレーションのような建物は教会です。
 
 
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 教会の向かいのホテルの屋上に特別に入れてもらいました。
とても古いホテルで、素敵です。
 
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屋上から見る景色は地面からのものとはまた違います。
向かいの白い教会を上から見るとこんな感じです。
 
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 後で訪問する予定のカテドラルを上から見ると、複雑な形をしている事がよくわかる。
 
 
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  双子の火山。ポポカテペトルとイスタシワトルが教会のバックに見えている。
 
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 こうして見ると教会だらけというのがよくわかる。一方を写しただけでドームや尖塔がこれほどあるのだもの。
 
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 お昼のレストランに入ります。中庭にはチャイナと呼ばれるインド人の女性の焼き物が据えられている。
当時はインドも東南アジアもすべてチャイナと呼ばれていたのだという。
 
 
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 レストランのハウスワインを頂きました。なんとお代わりのサービスがありうれしかった。
普段は昼間はお酒を頂かないのですが、旅に出た時は特別。(*^_^*)
 
 
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 少々酔っても自分で地図を見なくてもいいからね。1人旅だと昼間のお酒は控えますが・・・。
 
 

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