再建されたやぶそばで、せいろ食べてきました。大勢の人並んでいましたが、予約してくれていたので、我々はすぐテーブルにつけました。お銚子、練り味噌もいただきます。緑というか翡翠色のお蕎麦は、やはり美味しかったです。
2015年01月
高足ガニ食べに伊豆へ ③
アロエセンターまでやって来た。アロエの花がたくさん咲いている。こういう花だったんだ!食用に適するもの適さないものなどが有るという。
風は一向にやむ気配なし。気温が高いのでその割には寒くない。途中の堂が島で昼食を兼ねた休憩が入った。海の近くまで行ったのだが、吹き飛ばされそうな恐怖を感じるほどでした。
天窓洞という物が有るらしい。天然記念物とあるので行ってみました。なるほど・・・・。天気が穏やかな日は観光船がこの穴の中を通り過ぎる様子が見えるらしいのだが、この日は強風のため欠航でした。
こうしてのぞきこめるのは確かに珍しいよねえ。
西海岸からは、富士もきれいに見えるはずなのだが、この日はあいにくぼんやりとしか見えず、きれいに見えて来た頃には、バスの中でした。残念!
海に白波が立っています。
三島までやって来た。お正月も過ぎて境内は人出はあまりない。
三島大社。3度目かなあ!
唐門と本殿。本殿は、三島社流造り様式。
有名なキンモクセイの大木。樹齢は、1200年以上は有るらしい。支えが痛々しい気もするが、巨木の持つオーラは感じられます。咲いている時期には一度も来た事が無いが、さぞかし良いにおいが境内に漂うのだろう。
天然記念物に指定されています。
ここには鹿もいました。気がつかなかったわあ!
シカせんべいを参拝者からもらえるせいかどの子も太り気味だ。
ここが最後の観光で、後は名古屋に帰るだけです。幸い渋滞にも会わず予定より30分ほど早く帰ってきました。
くさやのひものの焼いていあるのを買ってきたのでワインでいただきます。くさや等マンションで焼いたら大顰蹙だろうが便利なものが有ります。相方は、食べないのだ( 一一)
高足ガニ食べに伊豆へ ②
5時半に起きて朝風呂に入る。まだ真っ暗で、露天風呂に入っても景色が判らないのが残念( 一一)
今日はものすごく風が強い。ヤシの木も45度くらい風で傾いている。
下田の町に出て、1時間くらい散策をする。ここは、松崎程ではないがナマコ壁が残っているので何となく情緒が感じられます。
海岸の方に歩いて行くと、ペリー達がやって来た場所に出る。
銅像もありました。後ろの山が寝姿山だ。
下田市のマンホールは、船をかたどったものでした。
他にも、絵タイルが道にはめ込まれていた。唐人お吉だろうか・・・。
街の中に入って行くと、朝の9時から営業している銭湯が・・・、船員さん達が漁から帰って来て暖まる為に早くから開いているのかな?
いかにもレトロな銭湯から先に進んでいくと、うあはりレトロな看板が沢山並んでいるお店が有った。のぞいてみると酒蔵の様です。
右に回って海に出ると、こんなものが目に飛び込んできた。今でも使われているか?初めて見ました。ざっと汚れを流して街なかに戻る様工夫したのだろうか・・・。
この辺りは、干物横町となっていて、干物が干されていました。ここで干物ではなくて、自家製の塩辛を買いました。
さらに進んで、お菓子屋さんに入ります。チラシに有った金目もなかを2つ買う。伊豆はどこへ行っても、金目、金目です。個人的には、煮つけかしゃぶしゃぶが好きなんだな(^O^)
喫茶店の一角に欠乏所とある。一体なんだろうと書いてあるものを読むと、寄港した船のたりなくなった水や食料などを供給した場所だという。なるほど!
今は喫茶店になっています。
バスに戻り、半島の先端を廻って松崎から堂ガ島の方に向かいます。
高足ガニ食べに伊豆へ ①
以前からカニ好きの相方が食べたいといっていた高足ガニを食らうツアーに行ってきました。
丸ごと1匹が1人づつついているというので少々高いかなと思ったのだが、申し込んでみた。
毎回人気が有るツアーとかでバスは満席!何と45人での出発となりました。
天気も良くて、バスは
順調に進み新東名に入りました。途中休憩したサービスエリアでは、紙うさぎさんのコーナーを楽しみ、車窓からは富士の雄大な姿に心うきうきです。
沼津でお昼ご飯の為休憩が入る。夜の為にお昼は軽くおそばをいただきました。魚のおいしい市場でおそばというのもなかなかですよ。市場の人達がやってくるお店だそうです。
昔、沼津の御用邸に来た時にもここでお昼をいただいたのだが、その時は閑散としていて、ゆっくりとシラス丼をいただく事が出来たのでが、年月を経てすっかり様変わりをして、どこのお店も混んでいてすんなりとはいただけない(>_<)テレビの影響って本当にすごいわあ・・・。
ここから高原部分にバスは入って行き、常連の滝でひと休み。昔は滝の下まで行く事が出来た気がするのですが・・・。柵のこちらからながめる。
天城トンネルを超え再び海沿いの道を下田を目指して走る。昨年は、3月頃に伊豆を訪れたその時はもう河津桜は終わりかけだったのに、さすがに一月ではまだつぼみも硬いようだ。中々うまくいきません。
代わりに野水仙の群生を見る事が出来ました。バスを降りたとたんにいいにおいがふわっと風に乗ってきた。
爪木崎の水仙です。
そしてお楽しみの高足ガニは、地元の割烹でいただきます。なのでホテルは、温泉を楽しむだけだ。
高足ガニは、ちょっと変わっています。大きいものは足を広げると3mにもなるという。深海に住んで世界最大の現生節足動物である。伊豆の辺りにしかいないので、食べる為にはここに来るしかない。時間がたってさめると味が落ちて行くという。カニの仲間では、古い類で生きた化石とも言われるらしい。化石種は、四種報告されているが、現生種では一種だけである。
ゆでるのではなくて蒸したものをいただく。今日食べるのは、大きさからいうと小学生くらいかなという事でした。
カニを食べると皆寡黙になる・・・・。相方は蟹が大好きなのでとても上手に食べてゆくが、それほどでもない私はなかなか進まない。酢やカニみそをつけていただきます。
彼曰く、「カニはやはりズワイが甘くておいしい。これは大きいがちょっと大味だなあ」との事です。私は、あまりカニのにおいがきつくないなあと思いましたが・・・。食べ物の好みはそれぞれで、ツアーの中には、昨年に続いて参加という方もいらっしゃいました。
他にも鍋や、金目の煮つけ、刺身等てんこ盛りでおいしかったです。温泉にも入り、暖かい南伊豆でリフレッシュできました。
明日は、西伊豆を回って戻ってきます。朝風呂に入るぞー!
雪の東福寺
途中下車、長引きましたが再開です。
さてどこへ行こうかと、沿線沿いにあるのは伏見稲荷か東福寺かな。
伏見稲荷は、2人とも何度か訪れているし、混んでいるのでパスして、相方がまだ一度も行った事が無いという東福寺に向かった。私は、半年ぶりの再訪という事になる。
雪は、八幡市に比べると格段に多い気がする。滑らないように慎重に歩いて行く。
本堂では、僧侶達が集まっていた。静粛な緊張感が漂っている。普段は、閉まっている扉も今日は開いていて中の様子が良くわかる。
三門も雪をかぶっていつもとは様子が違う。
こちらは、経蔵。
せっかくだから、通天橋を渡り開山堂にも行ってみる事にした。季節ではないので、訪れる人もまばらです。
下道から見上げた通天橋。
赤に白い雪のコントラストが美しい愛染堂。
開山堂の庭に入り振り返った所。通天橋に続く回廊の屋根が参拝者の足元を守っている。
目を正面に向ければこんな感じでした。
開山堂の楼閣伝衣閣がとてもきれいに見える。何となくありがたみが増しているように見えるのは多分雪のせいだ。
池にも氷が張っていました。最近つららとか霜柱ってみなくなったよね。でも氷は、時々見ます。
帰りは、伏見街道から帰ろうと中門をくぐったところで、「雪舟庭園」という文字が目に飛び込んできた。「雪舟ってあの雪舟だよねえ?」相方も庭に興味が有る人なので入ってみる事にしました。
お抹茶付きの入場券を購入する。
どれほどの庭かとわくわくしていたのだが、この日は雪。庭も雪が覆っていて何が何だかわけが判らないことになっているではないか!「えー、これなに?」
お寺の名前は、芬陀院といい臨済宗東福寺派に属する寺である。創建は鎌倉後期で一条家の菩提寺として今日に至る。
雪舟作の庭園を伝える事から雪舟寺の名でも親しまれているという。
寺の南側の庭がそれで、「鶴亀の庭」と呼ばれ、様式は、禅院式枯山水、1460年~68年頃の作で京都でも最古のものの一つとされているというのですが・・・・・。
亀も鶴も良くわかりません。
運ばれてきたお抹茶をいただきながらただただ白い庭を眺める。時々屋根から滑り落ちる雪の音が境内に響き渡る。
東の庭と茶室の図南亭。
図南亭の丸窓から見た庭を見た所。
こういう風情のある景色を見ると日本人である事を再認識します。
雪は、新幹線だけでなく道路にも影響を及ぼし、名神や東名阪も通行止めになりました。
自由席は、大阪を出た所ですでに満席になっており、名古屋までの1時間余りを立ちっぱなしで過ごしました。普段なら30分ほどで到着なのだが、この日は1日中雪の影響で徐行運転だったのでした。
パソコン帰ってきました
入院していたパソコンですが、何故か入院したとたん2日に渡って観察し続けたものの、一度もダウンする事も無く働き続けたとか・・・。
修理の係りの人から電話が有り、今回はどこが悪いか判らないのでこのままお返ししますと返事が有りました。往復の運送料などすべて今回は無料で結構ですとのこと、しかしいつだめになるかわからないし、部品の在庫が切れたらアウトなのでそろそろ買い替えも頭に入れておいてくださいとのことでした。
で、さっそく昨日Y電機に行き、新しいパソコンを購入する事にしました。今使っているのが元気なうちにデータなど共有しておこうと思ったからです。新しいのは、今のより軽くて小さいのにしたのですが、容量は5倍にもなりました。
今のは当時としては最高品質の機種だったという事、だから1度も不具合が無く使い続けられたのだと言われました。
事情を話すと、立ち上がりが遅くなってきたらそろそろ新しいのを考えた方がいいのかもしれませんねえという事でした。以前はすぐに立ちあがって来ていた今のものは、最近は立ち上がりも遅く、次のページに行くのも何だかスムーズにいかなくなってきている。
パソコンのいない間さびしくてさびしくて・・・(笑)不便だし・・・
で、新しいものを買って、いざ支払いという段になってカードが通らない。今まで一度もこんな事無かったし、直前に支払ったレストランではスムーズに行けたのに・・・・。
仕方が無いので、内金をいれて後でとりに来る事にしました。でも今月は半ばでまだそんなに使っていないのに・・・・
誰かが使ったのだろうかと、カード会社に電話をして尋ねました。私が知らなかっただけなのかもしれませんが、引き落としが終わるまでは、前月の支払いと今現在進行中の使用金額が合算されるんです!私のカードの場合、13日が引き落とし日なのでその日が終わるまでは前月分プラス今月分となりその合計金額が限度額となるのだという。知らなかったので、前月いろいろ買って結構な支払いになっていたのだ。そこにパソコンの購入金額が足されると一気に限度額を超えてしまいカードを使用できなかったという事でした!
恥ずかしかったけれど、いい勉強になりました。これって常識なのかしら?私だけが知らなかったことなのかな?
15日に取りに行くのですが、この日は引き落としが終わった後なのでカードはちゃんと使えます(^O^)
新年早々(+_+)
何と、パソコンが、壊れてしまいました。しかも、部品の生産が終了していて、在庫があれば、修理可能といわれました。突然のことでバックアップがしてないものもあり、あわてました。見積りによると、三万ちょっとかかりそうです。初詣は何だったのかなーーーーー!
早ければ、一週間で出来るそうですが。
早ければ、一週間で出来るそうですが。
石清水八幡宮と飛行神社へ
2日、雪で高速道路や新幹線に影響が出ている中、京都へ行ってきました。
行くのを延期しようかとも思ったのですが、天気予報を見て大丈夫かなと出かける事に・・・。
名古屋駅で、すでに20分ほど下り新幹線に影響が出ていてダイヤ通りに動いていません、なので乗変をかけて1つ前ののぞみにしました。
いつもなら30分余りで京都へ到着なのですが、行きの為の徐行で40分ほど遅れが出てしまいました。
新幹線からの眺め、雪国です。
目指す飛行神社は、八幡市にあるので京都で奈良線に乗り換えて東福寺まで行き、其処で京阪に再び乗り換え八幡市まで行きます。
南下して行くので、雪の量も減って行き目的地に着いた時には地面には行きは残っていませんでした。太陽も出て来て背中もぽかぽかだ。
まずは、石清水八幡宮へ向かいます。駅前から出ている男山ケーブルに乗ればあっという間に山頂へ。
歩いて5分ほどで、八幡宮に到着です。案内板にエジソン記念碑とあるのが目に留まる。
「うん?なんでエジソン????」
説明書きを読んで納得。かの発明王が使用した電球のフィラメントに使われた竹はここ男山周辺の竹だったのです。
天候のせいか思ったほど混んでいません。
南総門から入ります。
石清水八幡宮は、宇佐・筥崎宮と共に日本3代八幡宮の1つです。又宮中の四方拝で遙拝される神社の1つだという。祭神は、応神天皇など・・・。
本殿には、大きな矢が立てられていた。こういう物初めて見ました。
少し並んだだけでお賽銭を無事箱の中に投げ入れる事が出来ました。
楼門部分を見上げるとこんな感じ。
国家鎮護をねがって1150年以上の間鎮座しているのだ。
灯ろうが美しい。本殿を廻ってお参りして行くのが正式だそうで。我々も・・・・。
幾つかの摂社が有ります。運勢試しにおみくじを買う。私は、小吉で、相方は「平」。平って何?書いてある事は、小吉とほぼ同じでした。
ここからは、ケーブルではなくて裏参道を降りてゆく。雪が所々残っていて階段を降りるのが少々恐い。
織りきった所には、屋台が並んでいる。遁宮や高良神社をみてから屋台でお昼をいただく。鯛焼き・ベーコン鯛焼き・お好み焼きをほおばります。あったまるね!
風情のある橋を渡って八幡の町の中に入る。
目的の飛行神社はここから5分もかかりませんでした。
神社といってもそこはコンクリートのビルでした。
二宮忠八は、子供のころから物理や化学に秀でていて、「忠八凧」と呼ばれる独創的な凧を作り人々の感心を集めた。
その後カラスの姿に興味を持ち「飛行機」発明の足がかりとなった。そして、研究を重ね「カラス型飛行機」や「玉虫型飛行機」等を発明した。
ようやく資金も整い、人力飛行機の完成に努力していたが1903年、ライト兄弟が飛行に成功の報を聞き、無念の涙を流したという。そして、今さら作っても欧米追従の飛行機という評価しか受けないだろうと制作を断念した。
飛行機時代へと移るに従い犠牲者も多く出るようになり、その霊を慰める為に1915年、自邸に私財で飛行神社を創建し、自ら神職として航空事業の安全と発展を祈願したのが始まりだ。
実は、日本のロケットの打ち上げの責任者の1人がこの神社に打ち上げの前に必ずお参りに来るというニュースを聞き、訪れてみたいと思っていたのだ。
境内には、引き上げられたゼロ戦のエンジンが有ります。曲がったプロペラが痛々しい。
資料館もあるので、見学します。飛行機・ロケットの模型やカラス型飛行機・玉虫型飛行機の模型など興味深く見てゆきます。写真はNGでした。
帰りに拝殿の天井を見るとトビウオのステンドグラスが、嵌めこまれていました。資料館にもトビウオのスケッチが有ったのですが、飛ぶものになら何にでも関心が有ったのでしょうね。
駅に戻って、京阪乗ります。時間が少しあるので、途中下車してみようかな・・・・。