好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2015年02月


 キレニア城は、海のそばまで城壁が作られた城だ。
9世紀、最初に造られた頃の城壁は今よりもっと内側に有ったのだが、2度3度と拡大して行き現在の位置になったという。

 跳ね橋を渡って城内に入ります。

 
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 濠が有った部分は、今は駐車場になっているようです。

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 この門が、2度目の増築の時の門。内部にもう1つ門が有ります。

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 ビザンチン時代の礼拝堂。床にはモザイク、壁には壁画が描かれていたという。キプロス王国の時代は此処は城外だった。今は、青天井のような状態です。

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 ここが一番内側の城壁。城壁の上は歩けるようになっています。後で歩いてみよう。

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 この中庭は、周辺に住む人々の避難場所でもあった。地下牢獄や王宮、食堂などが残っています。
近くの海で引きあげられた沈没船が展示されている博物館が有るので入ってみます。

 1965年、沖合で引きあげられたBC300年頃のギリシャの貨物船だという。
沢山のアンフォラのうち400にはロードス島の刻印、10のアンフォラにはサモス島の刻印が有りました。中には、9000粒のアーモンドの実が有り、炭素検査でBC288年頃ではないかと確認されたという。

 
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 材質は、アレッポ松で長さ15m未満、幅4,5mくらい4人乗りだったらしい。
想像図はこんなんでした。

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 当時の航路の想像図。こういう物を見ていると昔の事が浮かんでくるような気がしてほんと楽しいです。

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 一番内側の城壁か中庭を見下ろした所。

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 反対に町の方を見ると・・・・。

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 城壁の上を海に向かって歩いていきます。

 ベネチア時代(15、6世紀)の城壁の上です。最初にみた礼拝堂のドームが見えている。

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 これで北側の観光は終わりです。帰りも同じ道を通りパスポートのチェックを受けました。

 菜の花の向こうに白いアパート群が見えている。何も使われていない土地は、ギリシャ人達の土地なのだろうか・・・。色々決まりが有って、勝手に開発できないそうだ。

 
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 宣伝のために山肌に描かれた北キプロスの国旗。夜にはライトアップされ、ニコシアの町からも見えます。

 
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 夕方近く、ダヴィンチレースで有名なレフカラ村に着いた。夏には大勢の人で賑わうそうだが、この日は我々だけでした。お店も閉まる寸前でした。

 ともかく寒い!

 麻の布地に綿糸で透かし刺繍を施したもの、幾何学模様で模様が細かいほど高価になる。
かつてレオナルド・ダ・ヴィンチがここを訪れた時にミラノの教会に寄贈するレースを買い求めた事で有名になった。

 
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 制作している所。このお店にはNHKも取材に来たとかで、とても自慢そうに話してくれました。

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 寒いのでストーブのそばが心地いいのだが、せっかくなので歩いてみようかな・・・・。
レース屋さん店構え。

 
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 村役場。

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 お土産屋さんと小路。

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 この日、パフォスのホテルに着いたのはかなり遅くなってしまった。大きなホテルで本来はゆっくり過ごす為のリゾートホテルなのだが、我々は明日にはもう移動です。
 海に面しているのらしいのだが、暗くて何も分からない。(>_<)



 英語読みだと、キレニアで現地語だとギルネは、北の中心都市だ。晴れているとトルコ本土が見えるというのだが・・・。

 高台に建つベッラパイス修道院にやってきました。ベッラは、「美しい」パイスは、「平和」素敵な名前なのだが。

 修道院へ向かう道。猫が多い。

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 1187年、エルサレムが陥落すると聖地から逃れて来た修道士たちがこの辺りに住みついた。13世紀になると、リュジニャン王朝が正式に修道院を建設。現在の様に、「ベッラパイス」と改名されたのは、ベネチア時代の事で壁画も描かれた。

 しかし、トルコの支配下になるとカトリックからキプロス正教に変わり、修道院は閉鎖したが。教会堂は、イギリスの統治下時も使い続けられたが、1974年のトルコ侵攻によりギリシャ系の住民達は、南に逃げ、残された教会や住宅は、トルコ系の人々に占領された。

 修道院達の食堂は、イギリス軍の病院として使われた事もあったようです。今は、催し物などに利用されているようだ。


 
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 教会は、13世紀のゴシック様式で正面入り口には聖母が描かれている。

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 中に入ると、イコノスタシスが残されていました。

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  修道院時代の名残、この部分で修道院とつながっていたという。


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 回廊の天井も抜け落ちている所もある。

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 回廊から2階に登る階段が残っている。かつては、2階に僧坊が有ったのだ。

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 わずかに虹が…地中海も見えるには見えるが、いまいち天気がよろしくない。

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 作業室か参事会室、柱はローマ遺跡から持ち込んだものだ。こればかりでなく、遺跡から運んだものは他にもいくつかあった。

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 今日のお昼は、港に面したレストランです。今日もワインは無料で提供されました。

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 道路に泊っていた車のナンバー。南はユーロ共通のものだったが、こちらはこんな感じ。

 
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 ここでの金持ちは、トルコ人なので、この車の持ち主もトルコ人かもしれません。
何故かイギリス国教会も有りました。添乗員さんは、「ここにイギリス国教会を残して置く理由が無いので、絶対にスパイ活動の拠点だ」といっていました。何度もここを訪れている添乗員さんの言う事は、案外当たっていたりして・・・・。

 
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 午後には、キレニア城を訪れます。

 


 目覚めて窓を空けると小雨が降っている。眼下はバスターミナルのようだ。今日は、ニコシアを少し観光した後、北キプロスへと向かう予定になっている。美しい地中海を見たいものである・・・・。

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 小雨の中、少しだけホテルの近くを歩いてみました。

3つの門のうちのパフォス門のあたりだと思うのですが、工事中の様です。

 
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 教会が有ったのでのぞいてみます。ミサの最中のようだ。静かに退席・・・。
看板を見ると、時間や曜日によって、ギリシャ語、英語でミサが行われているようだ。

 
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 8時55分、あらためてホテルを出発。最初は、ファマグスタ門の見学だ。
16世紀、トルコの攻撃に対し、ここを納めていたベネチアが城壁を建設、周囲5kmに11の砲台と3つの門、キレニア門、パフォス門、そしてファマグスタ門を作った。しかし、1570年トルコ軍が侵攻して来て、40日間の包囲戦の結果、住民2万人の犠牲を出し陥落した。

 朝散歩の時みたパフォス門もそのうちの1つだ。

 
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 今は、イベントなどでつかわれているようです。この日もスタッフの人が何かの準備をしていた。

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 旧市街の東側のこの辺りは、学校や教会、図書館などが有り落ち着いた雰囲気がする。
バスが止まった向かいにあった大使館は、ベネズエラかな・・・。
 いかめしい門などない。

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 通りを挟んで、斜め向かいにあるのが立派な外観の大首教宮殿である。これは、1961年イギリスからの独立を果たした初代大統領となったマカリオス3世大首教が建設したものだ。キコス修道院にある巨大な像は、当初ここに有ったのだが、あまりにも巨大で問題だというので移された。
 隣には、キプロスで一番古い高校のパンシプリアン高校が有る。

 
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 当時彼が乗っていたキャでラックもガラスの建物に保存されていた。大統領となった彼は、ギリシャ併合派から独立派へと転向して行き、1974年に賛成派によるクーデターや暗殺未遂事件が起こった。

 
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 聖ヨハネ教会です。1662年、ニキフォロス大司教により作られた。トルコ時代だったので、小さく地味な建物となった。
 18世紀、キプロス大主教座大聖堂となり、キプロス正教の総本山になった。内部には、ぎっしりとフレスコ画が描かれている。お約束の「キリストの生涯」「最後の審判」「エッサイの木」等。

 付属の建物、旧大司教宮殿、修道院等は、独立まで使われていた。

 
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 奥には、ビザンチン美術館も有ります。マカリオス大司教のコレクション、トロードス山脈の教会のイコン、そして分断された時住民がようやく持ち出したイコン、北の占領地域に有った教会から持ち出され売られそして、買い戻されたバラバラになったフレスコ画やモザイクなどだ展示されていました。

 美術的に見たらもっと素晴らしいものは、他にも有るのでしょうが、北に住んでいた住民たちが、自分達のイコンを持ち出している写真と共に目の前のイコンを見ていると涙が出そうになってきます。

 そして、白黒の教会の写真には、壁一面のフレスコ画が、床にはモザイク画が写されているのですが、カラーになった現在の教会にははぎ取られた跡しか残っていない。

 買い戻された、フレスコ画やモザイクは、美術館にはあるのだけれど、教会には戻されていない・・・・。歴史の残酷さをこういう所でも感じる事が出来ます。

 紹介したいのですが、残念ながら内部撮影は禁止になっています。

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 バスに戻り、北とのチェックポイントに向かいます。車両登録をして緩衝地帯に入っていく。バスは、いつもの保険が北では効力が無いので、半日でもわざわざ掛け直すそうです。

 鉄条網に沿って走って行く。

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 緩衝地帯には菜の花が沢山咲いていた。

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 トルコによって占領された時ギリシア系の人々は、南に逃げてゆきその人々の棲んでいた家や土地はそのままになってしまった。そこは、今も活用されることなく荒れ果てている土地も多いし、ゴーストタウンになっている村や町もあるそうです。占領しても勝手にかつてのギリシア人の土地を使う事が出来ないそうなのだ。(この辺りよくわからないのですが・・・)
 ガイドのおじいさんも、北から逃げて来たそうで、都市がこちらに残っているそうです。
ここからは北のガイドも同情します。彼女は、「ここもギリシア人の土地。ここも!ここも!」といっている。

 並んだアパートの屋根には雨水を溜めておくタンクが並んでいる。水はとても貴重なのだ。 

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 経済的に、トルコにすべてをおんぶしている。トルコを介してしか船も飛行機も貿易が出来ないのだ。
最近はこちらでも、中国人の不動産投資が増えて来ているそうです。また世界から。留学生を受入れる事に力を入れているそうだ。永住は、世界の国々から認められなくても、大学在学期間だけなら住んでもいいよということらしい。まあ旅行者みたいな扱いなのかなあ?
 あれやこれやと手を使い外貨の獲得に工夫を始めているのだろう。

 キレニア山脈を越えて海側の都市キレニアに入りました。

 


 ここはトルコが侵攻占領した地なので、街もイスラム的です。
まずは、1572年に建設されたというブユクハーンにやってきました。隊商宿として使われていた時には。68室10店舗あったという。

 礼拝堂・沐浴場等もあります。イギリスじだいには、なんと刑務所として使われていたのだそうだ。現在は、カフェやお土産屋さんになっています。

 
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ここにもたくさんの猫がいて、自由気ままに暮らしています。建物の中の女の子が可愛い。

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 ここを抜けて、スレイミーヤ・モスクに向かいます。
古い建物が残っています。

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 モスクの2つの尖塔が見えてきました。尖塔が2つ、国旗も2つ。

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 モスクを囲むようにして、カフェやショップが有ります。

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 これは何?

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 イスラムの人々の好む色青が美しい建物。

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 スレイミーヤモスクもしくは、セリミエジャミイは、13世紀に聖ソフィア聖堂として建設された。1489年にベネチアの支配下にはいるまでここでキプロス王の戴冠式が行われたという由緒ある教会だった。しかし、1571年トルコ支配のもと、「アヤソフィアモスク」となり、1954年に現在の名称となった。

 
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 中に入ってみます。外側の印象とは違います。説教台やミフラブがみられる。

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 隣接するようにして建っている教会が、旧キプロス正教聖ニコライ教会だが、トルコ時代は絹市場としてとして使用されていた。現在は、普通の市場になっています。

 
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 北キプロスは、貿易などの経済面でもトルコを介してしか世界と貿易が出来ない。近年、外貨稼ぎのためか観光に力を入れていて、立派なパンフレットが施設には沢山置いて有りました。

 EUに、トルコが加盟できない理由にもこの北の占領が続いているということが挙げられている。今は何となく落ち着いてはいるが・・・・・。

 北の色々な場面で、トルコ国旗が翻っているのを見るのは個人的に複雑な感情が湧いてきました。

 再びチェックポイントを通り、ホテルにむかった。夜の食事の時、レストランからライトアップされたセリミエジャミイモスクが奇麗に見えていました。

 
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 明日は、違うルートから北キプロスへ向かいます。宿泊することはできないので戻ってきますが・・・。


 2004年、キプロスはEUに加盟し、バブルが到来した。首都ニコシアも賑わったが、ギリシャが破たんすると、キプロスの経済も失速し、あちこちで空き店舗や空きオフィスがめだつようになったという。
 その後、ロシアが避寒地などにりようしたりして少し持ち直したが、ロシアにも陰りが出て来て再び沈みかけているらしい。中国の進出は今のところそう目立ってはいないが、不動産などの投資が増えてきているようだ。

 キプロスには、日本の大使館も無く、増して北キプロスでパスポートなどをなくすと、トルコの日本大使館まで出向かなければならなくなり、とても面倒なのでくれぐれも気をつけてくださいねと念押しされてしまった。

 旧市街はこのような形をした城壁に囲まれているが、現在は南北に分断された形だ。

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 バスは、城壁の中には入れないので歩いて観光します。
細い路地や、賑やかな通りの有るライキ・イトニア地区へと進んでいく。

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 古い感じが素敵なお昼のレストランに到着だ。イギリスのパブの様な雰囲気もある。英国支配の時代もあり、今でもイギリスの領土が残っている。地形的に軍事基地として、とても重要なのでイギリスは、自国の領土を残したまま独立をさせた。よって、今でもそこはイギリスの軍事基地である。道路を走っているとイギリスの標識が現れるので、我々にもはっきりとわかりました。

 
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 昼食後は、少しだけこの辺りを散策して北キプロス領に進みます。

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 これはイギリス統治時代のポスト。今でも使っているそうです。

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 季節なのかオレンジが沢山実っているのだが、このように地面に落ちてしまっている。

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 一番賑やかな通りリドラ通りをどんどん進んでいくと北へのチェックポイントが有る。

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 南側のゲートのそばにこんなモニュメントが有るのだが、どういうものか説明されたのだが忘れてしまった。モニュメントの奥人がいる辺りが、チェックポイントです。

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 トルコの旗が見えてきました。北側に入ります。本来は、この辺も写真はダメなはずですが、何も言われません。

 北キプロスは、正式名称は北キプロス・トルコ共和国といい、これを国と認めているのは、トルコだけです。キプロス共和国の面積は、四国の半分ほどで、北は鳥取県と同じくらいだそうです。こちら側は、トルコとアナジくリラが通貨ですが、ユーロも普通に使えるとの事。

 
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 北側のチェックポイントにやってきました。ここではパスポートを見せて、小さな用紙に必要事項を記入しスタンプを押してもらいます。帰りはこの紙を見せて再びスタンプを押してもらうのでなくさないように・・・。

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 うーん、街の雰囲気が全く違う。物価がとても安いので、南側の人々も買い物や食事に訪れるそうです。

  
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 今回の目的地は、地中海に有る日本と同じ島国のマルタとキプロスです。
両国間は、飛行機で3時間ほど掛かります。キプロスは、トルコや中東に近く、マルタの方はイタリアに近い。どちらも交易・交通・防衛の中継点として重要な位置にある。

 日本からは直行便は無いので、今回はエミレーツでドバイまで行きそこから乗り換えてキプロスのラルナカを目指します。
 キプロスの首都は、内陸部にあるニコシアなのだがキプロス紛争の際に町が南北に別れてしまい、飛行場のあった所は北に属してしまったので、新たに大急ぎで沿岸部のラルナカに作ったのだ。
 よってニコシアには、首都でありながら国際飛行場がありません。

 夜の10時、ほぼ満席の状態でドバイに向けて離陸。ドバイからは、本来ならまっすぐ北上してシリア上空を飛べば近いのだが、今は戦争中で上空を飛ぶことはあり得ない。
 よってシナイ半島の上空を迂回して行くので少々時間がかかる。それにプラスして、離陸も大幅に遅れたのでラルナカに着いた時には予定時間を大きく過ぎていて、博物館の閉館時間が迫っているというのでせわしなくバスに乗り込む。

 ニコシアは、人口約35万人でそのうち5万人が北トルコ側に暮らしています。南の正式名称は、キプロス共和国である。現地名レフコシャは、BC3世紀に街を再建したプトレマイオスの息子レフコスの由来する。

 考古学博物館は、他にはだれも居なくて我々だけ。おじさん達は、さっさと帰りたいので、我々の後から鍵を持ってついてきます。

 
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 ここの展示物の中で特徴的なものを少し紹介します。認められている最古の集落はBC8200 年くらいだという。

 BC3000年くらいのポモスの偶像と呼ばれる両手を広げた十字架型の女性の偶像。お守りとして使われていたようだ。

 
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 これは、コインのデザインにも使われています。他にも、子供の粘土細工の様なものもあります。

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 フェニキア人や他民族の侵入、ペルシャへの併合と続きそれらの影響を受けて行く。

 これは何だか子供番組に出てくる怪獣のようだ(^O^)

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 板状のテラコッタに目鼻が書いてある。これもお守りなのかしら?どれも稚拙だが生き生きとしている


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 何に使ったのかわからない容器もあるが・・・・。

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 馬と車輪と弓を持った人間が描かれた壺。

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まるで、ピカソだ!

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釉薬を使って絵を描き焼かれたリュトン。今焼かれた様な生々しさを感じる。

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 おびただしい数のテラコッタ。1929年に約2000体も見つかったという。この場所は、健康祈祷所だったかも・・・。手にしているのが自分の臓器というテラコッタもある。

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 銅が産出され、その交易も盛んだった。インゴットや分銅も見つかっている。計測の様子・・・。

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こちらは、角の有る神の青銅像。

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ペルシャ風のライオンとスフィンクスも有ります。

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 細かな細工が施された杖のトップ。象牙の方は用途は判らないのですが、ともかくきれいだ。

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パンツをはいている様にも見えますが・・・・。

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 金は産出されなかったので輸入されていました。

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 この後は、旧市街に向かいレストランでのお食事です。何が出るのかな・・・

岐阜県には、刀鍛冶で有名な関市がありそれらの技術を公開している伝承館が有ります。

以前出雲に行って玉鋼を作る工程を見学した事が有り、一度でいいから刀鍛冶の鍛錬を見たいと思っていた。

 もちろん時間のかかる全行程を見ることは不可能なのだが、その雰囲気だけ味わってみたいと思っていた。
 
 今日見学したのは、折り返し鍛錬の部分だ。鋼を何枚か平たくして塊にしたものを、1200度から1300度に熱して、上から大槌でたたい折り返していくというものだ。その時不純物が火花となって散るのが傍から見ていると美しい。

 鍛錬場には、神棚が有ります。

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 大きなふいごで温度をどんどん上げていきます。これは引いても、押しても空気を送り込む仕組みになっています。

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 充分に熱した鋼を取り出し、最初は2人で叩きます。

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 何度か叩いた後再び炭の中に入れて熱していく。そしてもう一度取り出し、今度は3人で叩きます。

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 本当はこの後も作業は続くのだが、公開されたのは此処までで、この後は本物の日本刀を持たせてもらいました。美術品の扱いになるのですって。

 槌も持たせてもらい、鋼を叩かせてもらいました。女性では振りかぶる事などはとてもできない重さでした。

 

 
 初めて羽田に降りた。テレビなどでは、もっと賑やかそうにそして広く見えたのだが、実際に来てみるとそうでもない。でも成田よりは、お店などはしゃれている気がする・・・。

 屋上に向かい、しばらく飛行機や景色を楽しむ。ここからもスカイツリーが見えるんだね。

 
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 京急に乗り、泉岳寺を目指す。忠臣蔵の志士達のお墓が有る事で有名だが、まだ訪れた事は無い。
駅からは歩いても5分くらいでした。
 この辺りは、大使館や学校、宮家等もあり、歴史を感じさせる雰囲気がする。

 門の扁額の文字も右から左へ書いてある。

 
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 境内はそれほど広くなくて、ここはやはりお墓の方が有名なようです。左手に進んでいくと忠臣蔵にちなんだものが出てきます。

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 川上音二郎建立の文字が見える。
首洗い井戸とはちょっと気味が悪い・・・。


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 ここからさらに進んでいくとお墓が並んでいます。線香が売られていて、いい香りが漂っている。

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 ここには、志士の他に浅野長矩公夫妻のお墓もありました。

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こちらは、志士達のお墓です。同じ大きさの墓石が並んでいるのですが、1つだけ大石主税良のものだけは別扱いです。

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海外でも、日本でもお墓を好んで訪ねている気がするな・・・・。物言わぬ人達の所に来ると何だか落ち着く気がする。

 せっかくなので住宅街の中の小道を散歩してみた。以外にも井戸が残っています。まだ使えるのかしら?

 
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  地下鉄で1駅移動して白金台で下車。畠山記念館を訪れます。ここはお茶に関係したもののコレクションで有名です。広い庭の奥に建物が有りました。

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 お茶席も複数あるようです。冬の今はお庭もさびしいのですが、芽吹きの頃にはさぞかし素敵なのだろうなあ。

 
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 コレクションを見せていただき東京駅に移動して、5月からはしばらく休館になってしまうブリジストン美術館へ入る。中へ入ると、沢山の人で賑わっている。ロッカーの空きがほとんどない。

 ここを訪れたのは久しぶりなのだが、こんなに良いコレクションを持っていたのだなと改めて思いました。
 さすがに、お腹がすいたので次つぎと新しいお店が出来ている東京駅の地下で山形のそばを食べる。本当に山形のそばはうまい!大好き!

 ここでやっとバスで成田へ移動するのだが、中国人の団体と一緒になってしまい席があるか少々不安になる。このバス安くて予約もいらないのでとても便利なのだ。中国人は、そのあたりもちゃんと調べているのだなあと感心する。まあ乗れなくても30分待てば次のに乗れるからいいかと列の最後尾につく。

 出国前にほぼ1日遊んだ感じだ。これからは、成田に直接行くのではなくて、東京で色々なものを見てから出国というのもいいなあと思ったのでした。

 


   

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