好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2015年11月


 マダガスカルでは、家畜以外で人間と暮らしている犬や猫はあまりいない。
特に猫は、ほとんど見かけませんでした。

 アンダヴァドカのイタリア人オーナーが飼っていた猫。人懐こくて可愛かった。

 
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 じっと見ていたらにゃあと言われた。見ないでかな・・・

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 なんか哀愁があります。

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 もう一匹いました。この子はあまり姿を現さない。

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 この子は、お昼を食べたサラリーベイの猫。おとなしく我々が食べ終わるのを待っていました。なんと抱かせてくれた!(^^♪

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 ムルンダヴァの猫。野良猫だが、小さくて生きて行けるのか心配だ。

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 みんな幸せだといいな。


 何という鳥かわからないものも・・・。バオバブに止まっています。

 
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 ツインギーの森で。

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 鶏かっこいい。

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 カモなのか、ニワトリなのか、七面鳥の仲間かわからない。飼われているようです。水かきがあるのだが・・・。

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 大きな蛾。
 
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 これも蛾、大きくはない。綺麗です。

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 変な虫で全体が、白いひも状のもので覆われている、捕まえようとすると素早く逃げる。

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 植物も、ほとんど名前がわかりません。

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 こでまりだそうです。

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 多肉植物でしょうか? 

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 この木は毒があるので、魚を獲るのに使われる。花はないと思っていたら、ありました。

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 サボテンでしょうか?

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 乾燥したところに咲いている。

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 植物も不思議がいっぱいです。


 朝食の後、有志で連れ立って近所を散策。お土産屋さんをのぞきます。今まで買い物をするのは空港だけだったので、買い物したくてみんなの財布のひもはゆるい。
 両替したお金は、出国ブースでは使えないというので、これが最後のチャンスになります。

 1万円ほど両替したのだが、昼夜飲んでも使いきれない。こんなことならもう少し少なく両替をするのだったと後悔しても遅いです。それに、1万円以下は受け付けてくれなかったんだよな・・・。

 中国人の爆買いとは桁が違いますが、それでも皆さんたくさん買い、両手に袋をもってホテルに戻ったのでした。

   木彫りやさん。自分で作ったものを売っています。仲間の1人が、結構大きな木彫りの絵を購入したのですが、本人よりも奥さんの方がうれしそうで、おまけが多かったですよ。結構高かったからでしょうか・・。
 
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 日本の合掌作りにも似ている伝統的な建物のホテル。

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 みんなと別れ1人で漁村の方まで行ってみました。「こんにちわ!」と結構な人が声をかけてきてくれて驚いた。
学校が目についたのでのぞいていたら中から先生が声をかけてくれた。いろいろ話してくれるのだが、フランス語なので何もわからない。教科書とか子供のノートなどみせてくれました。

 いろいろ紙に書いてくれたので、後でガイドさんに訳してもらったら自分の家族と自分の名前と生年月日と住所、電話番号でした。「でも手紙は届かないよ」ときっぱり言われてしまった。

 お邪魔したお礼に何か差し上げたいと思ったのだが、散歩の途中で何もない。ポケットを探ると飴玉が数個袋に入っていた。それを渡すと、名簿のようなものを指さし「子供たちは20人もいるのよ」と本当に切なそうに言ったのでした。私はこの時、彼女の言葉がフランス語にもかかわらず理解ができた。

 「ごめんなさい。思い出にあなたの写真を撮らせてくださいね」
 こういう時に私は、どうしたらよかったのだろうか。
ハグをしてホテルに戻ってきたのだが、しばらく考え込んでしまった。

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 その先生です。

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  飛行機は、自由席でした。一番最後に乗ったので席は一番前になってしまった。
見下ろすと棚田が見える。

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 アンタナナリブの空港もこれが最後です。荷物をもって隣の国際線ビルに移動する。
現地旅行社のスタッフが来ていて今回の数々のトラブルを謝罪されました・・・。でもあなたたちのせいではないよね。

 ところがここに来てまだハプニングが!何故か、突然全員の荷物をチェックイン前に検査するという。慌てて鍵を探す。何十人もいるのだから大混乱だ。世話になったガイドさんにもゆっくりお礼が言えませんでした。チェックインした後、戻れなくなったのだ。

 漸く全員のチェックが済み、出国のスタンプを押してもらい1つしかない部屋でゲートの開くのを待っていた。
ところがいつまでたっても案内が無い。ほかの便は次々と飛び立っていくのに・・・。

 スタッフの話によると、機長の許しが出ないので機内に案内が出ないのだという。まさか機体不備で飛び立たないなんてことになったらどうしよう。ともかくバンコクまでは行きたいな。
 
 1時間以上遅れて登場したのだが、何故かなかなか飛び立たない。バンコクでの乗り継ぎ時間が1時間を切ってしまった。着陸してセキュリティを受けてチケットを発見してもらわねばならないので、かなり厳しくなってきた。

 8時間のフライトの後、バンコクについて機外へでたら、案内係の女性が待っていてくれた。成田行きの人全員彼女の後からついてゆきます。
 トランスファーカウンターの人もてきぱきとこなしてくれて、「仕事はこうでなくっちゃ。」と、かの国とのあまりの差に感激です。

 急いでゲートまで向かったのだが、何故か成田便も遅れて搭乗開始でした。使用機体のエアバス380には初めて乗ります。しかも席が一番後ろでリクライニングができるのでラッキー!トイレもたくさんあるし、いい感じで成田まで戻ってくることができた。

 国内線に乗り継ぐため移動。ところがこの国内線、遅れに遅れて、1時間も遅く名古屋に着いたのだった。
本当に最後の最後まで、歯車が合わない旅になってしまった。でも、あと2か月もしたら「ああ、あの旅は、大変だったけれど、楽しかったなあ。」と絶対なってしまうから旅って不思議です。

 お金の写真ばかりでどうかなと思ったのですが、デザインが面白いので紹介してみたかった。

1万アリアリは、道路を作る重機と道路。1000の方は、エリマキキツネザルです。

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 1000アリアリの裏は、特産のサイザルアサ。

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 これはバオバブの木

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 主食である稲の棚田。

 
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 名産の籠を編んでいる女性。
 
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  100アリアリは、ツインギーと旅人の木。

 
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 いかがでしょうか?偉人よりも判りやすくていいような気がします。
 


 8時半頃、ホテルを出発。まずはマナンブル川を渡らねばならない。
この日は、渡しがいなくて少し待つ。

 やって来たのは、船を2艘つなげただけのものだ。大丈夫?

 
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 接岸して、渡り板が架けられた。


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 本当にハラハラする乗船光景だ。
  

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 対岸に着く。こんなところにも人々は住んでいるのだ。流されてもいいように家は簡素なものだ。
 

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 同じベロの町でも前回とは違うレストランでお昼です。こちらは暑いのですが、落ち着いて食事ができた。
その後、チリビヒナ川に向かい、渡しに乗って対岸まで向かう。

 ところが、大きなタンクがいてこれがなかなか登れない。この車がどいてくれないと我々は上陸ができません。何度も試みるがうまくいかない。そのうちにどこからともなくブルが現れた。これで引っ張ろうというわけだ。
 簡単に行くと思われたのだが、砂地にめり込んでしまっているので、案外手間取る。
何度もやり直して1時間以上もかかってしまった。その間我々はいかだの上でじっと待っているのだが、ともかく暑い・・・。

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 3時少し前ようやく出発。大きなバオバブは、村のシンボルです。ここで写真ストップしました。


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 これらはカラフルなお墓。故人の好きだったものが描かれているそうです。愛情が感じられて何だかうれしい。

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 雨が少し降ると、全く空気が違って見える。埃が無くなってクリアな感じがするのだ。
バオバブもなんだか生き生きと見えるから不思議。

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 バオバブは、本当にモデルとして存在感がある。どんな場面でも素敵に見えてしまうのだ。

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 暗くなってから、バオバブカフェに到着。なんだか懐かしい気がしてしまう。居心地がいいのだ。蚊がいなかったら最高なんだけどな。

    これはバオバブの実を割ったものです。添乗員さんが買ってくれたものを皆で少しづついただきました。おいしいかって?答えは微妙・・・です。

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 明日の朝は比較的ゆっくりの出発だ。近くを歩いてみようかな。


 今日は、楽しみにしていたツインギーのハイキングに向かう。

 朝食は、違うホテルの人はいないのでとても寂しかった。彼らとは途中で合流します。

 ロッジからの景色。

 
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 ベクパカのにぎやかな通りを抜けて行く。

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 途中で、専門ガイドさんもピックアップ。雨が降ったと見え、道がぬかるんでいてすべる。雨季の近いことを示している空だ。降りませんように・・・。

 1時間40分ほど走り、スタート地点までやって来た。ハイキング中はトイレができないのでここで済ませます。
 そして足場の悪いところもあるので、ハーネスを装着しなければならない。私は、初めての経験です。
ガイドさんに手伝ってもらって何とか完了。これを付けたまま歩くのだ。

 スタートしてしばらくは、草原地帯を歩く。
昔、海だったことを表すこんなものをたくさん見かけた。

 
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 そして樹林帯を抜けると、本格的に岩場を歩いて登ってゆく。足が短いので格闘すること2時間くらいだろうか。ようやくてっぺんに到着できた。
 暑くて暑くて汗が噴き出してくる。

 
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 久々の達成感!見渡す限りとがった岩山が続いている。ツインギーとは、尖った岩という意味である。
面積約15万7000ヘクタールの国立公園は、国内最大規模である。
 この類を見ないカルスト台地は、何百万年もかけて形成された。海底が隆起して陸地となり、堆積していたサンゴや海藻、などの海中生物の死骸が石灰岩となった。気候の変化により、浸食さた。、水が石灰岩を溶かし渓谷や洞窟を作り、強風が通り抜ける場所では風がさらに岩を削りとんがってゆきツインギーが生まれた。

よって、 ここに来るまでにも洞窟や鍾乳洞、狭い岩の隙間を通るなど大変でした。地面を這うような場所も・・・。太っている人はお腹がじゃまをします。

 マダガスカルに最初にやって来た部族の1つヴァヅインバ族は、この洞窟に住んでいた。

 
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 第2展望台は、修理中なので通過。

 でもつり橋は渡りますよ。こういうの大好き!一番最初に渡りました(^^)/

 
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 帰りもいわばを抜け、樹林帯を抜け、最後の草原までやって来た。帰りは動物にも遭遇できた。

 ジカッコウ。大型の鳥です。

 
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 こちらはトカゲ。暑くないの?

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 ハーネスを外すとほっとする。木陰に移動してお昼になったのだが、のどの乾きそうなゆで卵やパンなのであまり食べたくない。ビールが飲みたいよう。
 
 大きな豆?と大木の綿の木。栽培している綿の木は普通ですがこれはものすごい大木でした。はじけて地面に落ちて風に乗ってふわふわと飛んでいく。
 
 ここは、植物もダイナミックである。

 
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 途中で雨が降ってきた。スコールのような感じですぐに止んだが、降られなくて本当によかった。降られたら登れないそうです。おかげで3号車がハマってしまい、かなり待つことになった。
 でも自力で脱出できてよかったな。

 ホテルに戻り、停電タイムなので部屋に戻っても暑いだけ。そこでビールです。

 のどに沁みわたり美味しいことこの上ない。しばらくここで女子会です。

 今晩の夕食は、全員がそろいました。違うホテルに泊まっていた人たちも、我々がハイキングに行っている間に荷物を運んでくれたようです。

 お詫びの印にと、責任者からドリンクサービスがあった。いつもより、もう一杯余分に飲めました。
明日は、再び2本の川を越えてムルンダヴァに戻ります。
 
 明後日にはもう戻らなければならない。いつもなら戻りたくない気になるが、今回はそういうセンチメンタルな気持ちになれない。

 


 今から100年以上前、大仏鉄道はありました。

 当時の鉄道会社「関西(かんせい)鉄道」の加茂と奈良を結ぶ9.9kmという路線の愛称です。

 明治31年4月に開業し、東大寺大仏殿の最寄り駅として終着駅の大仏駅は大いににぎわったそうです。

  翌年5月に大仏駅から奈良駅へ乗り入れると、拠点は奈良駅へと移っていった。
しかもこの鉄道は、とても急こう配の険しい路線だったためにしばしば登れないことが有ったようです。

 そんな中、明治40年、加茂から木津駅を経て奈良へ至る平坦なルートが開通すると、急な難所のある大仏鉄道は休止となってしまい、同年11月に廃線となってしまったのです。
 
 営業期間が短く資料も少ない大仏鉄道は、幻の大仏鉄道と呼ばれているとか・・・。

 そんなわけで、この路線の後を巡るウオーキングに参加してきました。
当時の技術の高さを垣間見ることができたり、初冬の田舎道はなかなかでした。


 観音寺橋台  真ん中上部の飛び出た様に見える石の上に線路が引かれていた。この時代にコンクリートを使って石が積み上げられている。
 
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 鹿背山橋台、和式の石積みと洋風の石積みの違いがよくわかる。

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 もう冬の感じがしていました。

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 梶ヶ谷隧道。通り抜けられます。レンガが美しい。この上を線路が走っていた。

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 当時はレンガが赤く見えていたので赤橋とよばれた。天の部分は木材で修理がされています。
 
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 これは給水塔だそうです。この辺りの名産が筍なのでそれをイメージしているそうです。

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 最後は、大仏駅の跡があった場所。

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 歩いた距離16km近かった。


 ツインギーのあるべマラハ国立公園の玄関口ベクパカへ移動します。
途中2本の橋のない川を越えていかなければなりません。

 宿泊したバオバブカフェ

 
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 7時半、出発。途中までは昨日と同じ道です。
 朝の風景はどこも忙しい。市場に行くひと、学校に向かう子供達、タクシーに人力車等々混とんとしている。

 朝のバオバブの並木道で車を止めて写真を撮ります。空気がちがう。

 
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 新芽が出ている木もある。

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 牛の世話をする子ら。

 
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 このようにばたっと倒れるという感じでバオバブが横たわっています。根っこが張っていないのでとても弱い。

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 生活必需品のまきを担いで歩く人。

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 村を抜けると道路の両側にはこのような光景が続く。焼き畑の結果です。焼いてほったらかし・・・。

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 最初の川、チリビヒナ川に着きました。運が悪いと私がいないことが有りその場合はこの炎天下で、1時間以上も待たなければならない。この日はついていてすぐに乗れました。

 物資も人もトラックもすべてこれにのせて渡ります。まっすぐに渡るのではなくて斜めに対岸に向かって行く。なので50分ほどもかかってしまう。

 
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 日を遮るところが無いので我々は窓を開け車に乗ったままだ。いかだの乗り降りが落っこちそうで怖かった。こちらの日と離れているのは半脱輪でも平気で乗ってゆく。

 手前に見えている鉄の板を渡って乗ります。乗ってからもコニカダの上で方向転換なんかして整列していく。

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 離岸です。エンジン音が響く。

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 漂流しているように見える。この川の色!

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 渡り切ったベロのという町でご飯を頂く。冷房もなく道路とのまともな仕切りもないので埃も一緒に食べます。子供たちが、じっとこちらを見て手を出してくる。きりがないので見て見ぬふりをするのだが、落ち着かないこと甚だしい。

 再びこのような光景の中を走っていく。工事を行っているところもあり3か月前よりは道がよくなっているとガイドさんは言う。

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 再び走りもう一つ川マナンブル川までやって来た。この川を渡れば目的地だ。
この川は、アンタナナリブの西から流れ出し800kmもの長さがある。人々はこの川の恩恵を受けるので「人に恵みを与える」という意味が付けられた。

 ここは比較的川幅が狭いので時間が短くてわたれる。
機械も導入されていました。

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 でもやはり乗せる時はこんな感じで怖い。

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 到着。砂地の斜面を登るのは大変だ。

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 登り切ったところで後続の車を待っていたら、アンダヴァドカの巨大バオバブを見に行くときにお世話になったドライバーさんと再会した。彼はチュレアールから車でここまでやって来ていた。外国の人はのんびりと車で回る人が多いと聞いたがそれにしても距離がある。

 ここでは人間はこれで渡る。

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 さあホテルへ行こう。汗と埃で体がべとべとです。シャワー浴びたい!

 ホテル「オルンプ・デュ・べマラハ」ロッジがいくつか並んでいてプールもある。
石が敷いてあるのはぬかるみ防止です。
 
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 一見素敵でしょ。ところがこの後大問題が・・・。
予約をしておいたのにも関わらずここもロッジが足りないという。で、くじ引きでアパートメント形式の部屋に泊まる人を決めた。

 私はロッジになったので、そのままロッジに向かった。お湯の出る時間や電気が着く時間は決まっているというが、この日はすでにお湯の出る時間を過ぎていた。

 で、さっそくシャワーを出してみたが、なんだか水が出てこない。トイレも行きたかったので入る。こちらはながれた。ところがである、手を洗っていたら途中から全然水が出てこなくなってしまった。
 これではどうしようもない。

 添乗員が回ってくるのを待ち、水が出ないことを伝える。けれどもちっとも誰もやってこない。
外の方で仲間の声がしたので出てみるとどの部屋もシャワーが使えないという。でもトイレは大丈夫らしい。

 「どうしてこういうメンテナンスができていない部屋を提供するんだろうね。」とか、「多分もうだめだよ。満室だから使っていない部屋を回したんだから」などと話しているうちに夕食の時間になってしまった。

 結局汗と埃のままでレストランに向かった。すると、アパートメント組の人たちがやって来た。「そっちはどう?」と聞くと、「ホテルを移ったの」という。「え~なんでですか?」「部屋に入ったらかび臭くて湿っぽかったのね。こんな部屋なのか嫌だなあと思いながらもがまんしなくちゃ」と思ったそうです。ところが、1組のご夫婦が猛然と抗議をしたのだそうです。それはすごい剣幕で見ている方もハラハラするほどだったとか・・・。

 で結局ご夫婦の意見が通り、今まで違うホテルを探していたとのこと。夕食はここで食べるが朝食はあちらだとか・・・。どおりで我々のことなんかほおって置かれるわけよね。

 でも水が出ないのは困る。お湯は出なくてもいいけれど、何とかしてほしいと訴える。どうしても出なかったらトイレを流す水と顔を洗う水を大きなバケツに組んでおいてほしいと伝えた。

 我々が食事をしている間に彼は奔走しなければならない。彼が悪いわけでもないのに気の毒だが、仕事なのでここは頑張ってもらうよりほかはない。
 
 結局私の部屋だけお湯は出なかった。でも水は出るようになったのでいいとしよう。「明日、ほかの部屋が空いたら移りますか」と聞かれたが、暑いところでもあるので水シャワーでも平気だ。「荷物を作り直すのが面倒なのでここでいいです」と。

 もう寝るしか仕方がないです。停電の時間だし・・・おやすみなさーい。あー疲れた。


 展覧会に続いて24日の日、京都へもみじと美味しいもの食べに行ってきました。
でもモミジの方は・・・・。

 冷え込みが無いので色が鮮やかにならずに枯れてしまう木が多いそうです。
銀杏並木はきれいでしたが、確かに嵐山や葉っぱがもう落ちていたし、山々の色も曇天のせいもあるかもしれませんが綺麗では、有りませんでした。

 とはいっても、世界の京!観光客はとても多くて、どこもたくさんの人ででした。
連休明けだからいいだろうという考えは甘く、渋滞で予定より帰りも1時間以上遅くなってしまいました。

 まずは、床もみじで有名な実相院へ。洛北なのでインター降りてから時間がかかった。
例年なら真っ赤なモミジが床に映り込んで綺麗なのですが・・・・。
 写真は堂内は一切禁止なので残念な床もみじも見てもらえません。( 一一)

 実相院は天台宗の門跡寺院である。現在は不動明王を本尊としています。建物は、旧御所の客殿だそうです。ふすまや障壁画は狩野派の絵が描かれています。現存する数少ない女院御所とありました。

 庭と石庭は撮影OKでした。


 
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 百万遍通りまで戻って、食事処梁山泊に向かいます。ここの御主人は料理人の修行をしたことがないのですが、おいしいものが食べたい、おいしい酒が飲みたいと旅をして、様々なうまいものに巡り合えた。

 とにかくうまいものが食べたくて力のある料理を考えた。そこで一番の食事は何かと考え、「食いて」にたどり着いたそうです。
 食い上手と一緒なら何を食べてもおいしいだろう!そうして自分の生家にお店を開いたそうです。

 確かに素材に力があるので、シンプルな料理なのですが美味しい!

 
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 カウンターもあります。

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 お料理も一部紹介してみます。
 
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 これカマスです。干物しか食べたことが無かったのですが、肉厚でびっくり。

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 お腹も心も満腹になったところで天竜寺塔頭の宝厳院の獅子吼の庭を見に行きます。

 嵐山はすごい人です。半分は外国人のような気がする・・・・。

 臨済宗天龍寺派。1461年創建、当時は広大な寺院であったが応仁の乱で焼失。変遷を経てこの地に移転再構された。

 獅子吼の庭は、回遊式庭園で、庭園内を散策しながら人生の真理、正道を感じられるようになってるそうです。

 
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 人生を思わせる苦海を表している。

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 宝厳院垣と呼ばれる垣根

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 こちらは豊丸垣

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  作庭当時からの碧岩。
 
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 苔が鮮やかでした。

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 庭の名前にもなった獅子岩。

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 訪ねるのが、去年は早すぎたし今年はちょっと遅かったようです。なかなかうまくいきません。

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