好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2016年03月


 イスラエルの写真が整理できるまで新しく加わったコレクションを紹介します。

 まずは合併して恵那市になった岩村町と明知町。


  岩村城は石垣しか残っていないけれど・・・・
 
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 明知町。紅葉と何でしょうか?
 
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 恵那市。


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 出国した日にベルギーのテロや日本人男性の拘束などがあり、テルアビブ入国に関し、添乗員が別室に連れていかれ4時間も徴収を受けるというハプニングがありました。

 が、他はいたって普通でした。ただ戦争・紛争・テロが本当に身近に存在している国だということを様々な面で勉強しました。

 いい悪いはともかく平和と水は降ってくると思っている日本人は、やはりぼけているのだなあと思った。
反面、イスラエル人はしたたかさと柔軟さしぶとさを持った国民なのだなと思った。

 ガイドさんも日本人ですが、30年以上イスラエルとかかわっていまはいったり来たりの生活をしている人で、しかもクリスチャンでしたので聖書の場面の説明がスムーズでとてもよかったです。

 またニャンコもたくさんいて、びっくり。エコ好きアラブ人もたくさん住んでいるからでしょうか?

 花も綺麗に咲いていましたが、ポピーはちょっと盛りを過ぎていた感じでした。


 トルコ航空がバットマンとタイアップしていて行きの機内でこんなものが配られました。
メニュー表とアメニティです。

 
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 書き終わらないかなと思っていたが、何とかクリアできてよかった。

 というのは明日の夜には、またトルコ航空でイスラエルに行ってきます。
でも今回は乗り継ぎ時間がないので前回のサービスには関係ないですが・・・・。

 明日の夜、出国してイスタンブール経由でテルアビブに向かい、今回はあっという間の帰国で、
30日の夜に関空に着きます。

 パスポートの書き換えの年まで待っていたら訪問するのが遅くなり、シナイ山には行けなくなってしまった。
ツアー自体も以前と比べるとずいぶん少なく、選ぶ余地がない。やはりシリアの影響でしょうか。

 帰国してすぐにパスポートの更新をしなければなりません。4月の15日までに次の旅行のためにビザを取得するため必要になるからです。

 開花宣言した桜だが、今年の桜は長持ちタイプだそうで多分待っていてくれると思うのだが・・・。
 
 では、行ってきます!


 今回の旅では、ほとんど猫には会えなかった。
たまに見かけてもすぐに姿を消してしまい、なかなか被写体になってくれない。

 海岸線の旅が多かったのでそこに暮らしていれば見つけることはできるのでしょうが・・・・。

 
   コートジボワールのグラン・バッサムで 

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 ガーナの猫。
 
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 このニャンコは、イスタンブールのホテルの前でちょこんと座っていました。触っても逃げません。
トルコは、とても猫の多い国だったことを思い出した。

 
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 イスタンブールには、朝の8時40分到着。バスにて建物に向かう。
いつもならそのまま建物内に入れるのだが、少し前にトルコ国内でテロがあったので警戒が厳しくなっていた。

 バスから降りる前にパスポートを提示。そして建物に入ってすぐに再びパスポートチェック。
我々や、欧米人はそにまま進めたが、アフリカンはその場で、手荷物オープンチェックをさせられた。

 日本への帰国便は、今日の夜中の1時過ぎなのでものすごく待ち時間がある。一旦入国してトルコ航空のトランジットサービスを受ける。
 往路でも利用したのだが、その時は空港近くのホテルだった。今回は長いので、街に出たいねと皆で話し合っていた。でもこんな時勢なので1人で出かけるのは控えてくださと添乗員さんからいわれていて、街中までどういう方法で行こうかなどと話し合っていたのだ。

 ところがこの日、航空会社から提示されたホテルは旧市街のスルタンアフメット地区の4つ星ホテルでした。
そこまではシャトルバスで送ってくれるので、それだけでも得をした気分なのに、昼食も夕食もサービスでつくというのだ。どちらもとてもおいしかった!(*^^*)こんなにサービスしていいのー。

 ホテルのレストランからの眺め

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 昼食を食べた後市内観光ツアーが10ユーロ割引であるという。誰もがイスタンブールは初めてではないので、これに乗っかることにした。

 1時半ホテル出発港まで向かった。船なら一番安全だろう。

 久々のイスタンブール。懐かしさで胸がいっぱいになる。1人でトルコをバックパッカーで回ったのはもう16年以上前になる。お金がなかったので日本人の奥さんがやっている民宿に泊まったのだった。
 このへんあるきまわったよなあ・・・。
 

 
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 高層ビルが増えているのとトラムが綺麗になっているのが何だかうれしい。女性達のファッションもとても自由に感じられる。

 この街はやはり素敵だ。エキゾチックで食べ物がおいしくて猫がたくさんいて人々は親切だし。

 
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 アジア側

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 ルメリ・ヒサル。あの時は、ここに来たかったのに来られなかったんだよななんて思出でも。1453年のコンスタンチノープル戦に備えてわずか4か月で作り上げたといわれる。

 
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 以前はなかったロープウェイができていました。そこからの眺め。

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 ロープウェイの下にはものすごくたくさんのお墓がありました。お墓を上から見るのは初めてです。

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 夜中定刻通りに離陸。観光客が減っていると聞いたが機内はガラガラでした。トランジットサービスも申し分なかったし、こんなにすいていて1人で4席使えて、トルコ航空バンザーイという感じだ。

 成田に到着しても家に帰る交通手段がなかったので、成田に泊まり翌朝セントレアに帰ったのだが、成田セントレア間も追加料金なかったな。

 ほとんど知らなかった奴隷の歴史を少しでも知ることができて良かったと思えた旅でした。


 私達がお昼ごはんを食べているころ学校の午前の部が終わって子供達が帰って来ました。
宗教上の問題からか、ここの人達もこの後訪ねたガンヴィエの人達も、写真に撮られることを嫌がる人が結構いました。それは子供でも同じで、気をつけねばいけません。

 
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 玉ねぎの産地らしく沢山のむらさき玉ねぎが売られていました。お昼ごんにもいただきましたが、生ではなくて普通の玉ねぎのように炒めたり煮込んで食べるようでした。

 
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 船着場のあるところまでやって来ました。コトヌーの近郊ノコウエ湖の上に住むアイゾ人の水上集落があり、ガンヴィエで、「アフリカのベネチア」などど呼ばれている。約45000人ほどが暮らしています。

 1717年頃から奴隷になるのを恐れて水上に逃げ込み暮らし始めたという。漁業で生計を立ており、
学校、警察、銀行、モスクなどすべてが水上にある。観光客のためのホテルの以前は有ったらしいが・・・。

 船をチャーターしてぐるっと回ってきます。

 
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 沢山の船がこちらに向かってきます。漁船・乗合船・貨物船など。小さなころから船を操っているので、歩くように船を動かすことができる。

 
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 丸木舟に大きな帽子は独特な雰囲気がします

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 このヤシで囲まれた部分は養殖場です。見張り小屋もあります。

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 船のタクシーとすれ違いました。

 
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 船に乗ったままおしゃべりしている女性達。道での立ち話でなくて、水の上の座り話でしょうか(*^^*)

 
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 船の中で昼寝でしょうか。

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 網を投げた瞬間。漁の仕方はいろいろあるようです。網や釣り仕掛けに籠等々。

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 集落が見えてきました。

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 建築用材も船で運ぶ。砂の重さで沈んでしまいそうだ。

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 水路を進んでいきます。

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 子供達が網を使っていた。遊びながら本格的に使えるようになっていくのだろう。

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 モスクが見えます。

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 飲み水は、井戸があるので、そこまで水を求めて船で向かいます。もちろん購入することも。
 (わずかですが土の部分のあります)
 水を運んでいる子供。

 
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煮炊きはプロパンか薪を使う。

 大量の薪

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 これは密輸船。ナイジェリアからガソリンを運んで来たところ。

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 帆を布でなくて廃物利用で、袋を切ったものを使っている。考えたねえ。

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 何かを真剣にしている子供。我々の船が近づいても顔をあげることなく作業に没頭していました。

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 これで観光は終わりだ。ベナン第一の経済都市コトヌーに向かう。コトヌーは、過酷な刑務所があることで知られていて、刑務所で裁判を待っている間になくなってしまう人が続出という程、たくさんの人が収監されている。ちなみにコトヌーとは、フォン語で「死の川の河口」という意味です。
 コトヌーには、各国の大使館もあり国際線もでている。往路と同じように三角航路なので、一旦飛び立った機体はコートジボワールのアビジャンに降り立ち、あらためてイスタンブールに向かうのだ。

 体中汗だくだ。着替えたいので、ホテルの部屋を借りることにした。以前は空港で着替えたりしたのだが、禁止令が出てしまったので、1人10ユーロを出してホテルを借りることにしたのだ。
 ついでにこのホテルで夕食もいただきます。

 空調も全然効いていない暑い部屋に通された。とりあえずエアコンを入れたいところだが、リモコンがないのだ。ホテルの人間に言うと持ってきてくれた。そのままスイッチを入れて置いてくのかなと思ったら、何と持ち帰ってしまった。置いておいてほしいと頼んだのが聞き入れてくれんかった。多分盗難を恐れているのだろう。
 そんなことしないのに・・・・。

 スーツケースを開けて、さあシャワーをというところで今度は停電になってしまったのだ。何ということだ!!!
 真っ暗闇ではシャワーも使えない。
 ホテルなら自家発電があるのではと思っていたら、まもなく電気復活。
ところがまたすぐに切れてしまった。今度はうんともすんとも言わない。体中から汗が噴き出すし、裸になっているので外に行くこともできず、バスタオルを巻いたままの格好で待つことしばし。

 けれど結局この後電気が完全に復活することはなかった。自家発電の発電機はメンテしていないので爆発してしまい、街中の停電なのでどうにもならないというのだ。

 結局扉を半開きにして、懐中電灯を頼りにシャワーを浴び着替えたのでした。
髪も洗うも乾かせず、汗も引かずほこりまみれの洋服を着替えることができたのみだった。最後の最後で停電の洗礼を受けるとは思わなかったわ・・・。

 この後屋上で夕食を食べたのだが、風が吹き抜けてとても涼しかった。こんな事ならもっと早く屋上で涼めばよかったなあ。

 そんなこんなでしたが、飛行機は無事飛び立ち、アビジャン経由でイスタンブールに向かったのでした。

 明日はおまけのイスタンブール観光です。


 流れ星ホテル。一見良さげでしょ?

 
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 午前中は、ブードゥー発祥の地ウィダに向かいます。

 途中で見かけました。ベナンは、タレントで大使のゾマホンさんのお国で、彼は母国にいくつもの学校を建てています。ビートたけしさんたちの寄付で建てられたたけし学校もあり継続的に活動をしておられます。
 この建物が何なのかはわかりませんが、日本とは関わり合いのあるお国だと思います。

 
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 聖なる森の入り口。

 
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 日本の神社にもいる狛犬の様です。阿吽ではなくて、座っているものと立っているものでした。

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 進んでいくと奇妙な形をした神様がたくさん出てきます。

  一本足。

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 2つの顔を持っています。
 
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 蛇はありがたい動物の様です。永遠を表す。

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 本当の聖域は、この門の後ろからで信者以外は入れません。
左手の輪っかになっているのは、「永遠を象徴する神ダン」です。

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 この木は、聖なる木です。フォン族のパッセ王は、亡くなる時に木に姿を変えたのだそうです。
コインをあげてお祈りすると願いが叶います。外国のお金はだめだということでした。(+_+)

 
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 ここで日本人の女性に出会いました。お隣のナイジェリアでフランス人の夫と暮らしているとの事。彼女は、こんな所に観光に来る日本人がいることに驚き、我々はこんなところに住んでいる日本人がいることに驚いた。

 移動して奴隷貿易が行われた海に行きます。
それは奴隷街道と呼ばれ、2度とここに戻ってくることができない一方通行の道でした。

 忘却の木と呼ばれた木のあった場所。今は記念碑がたっているだけです。
女性は7回、男性は9回、木の周りを回ると過去の記憶をすべて忘れる事ができるといわれた。
 そうやって集められていった。

 
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 現在の街道はこんな感じになっている。

 何かの看板でしょうか?

 
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  聖なる森にもいた1本足の網様。

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 これは何の絵なのでしょうか?何のためにかかれているのかもよくわからない・・・。

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 広場に出ました。大木の下で女性が涼んでいました。神様もいます。
この木は、帰郷の木といいます。
 木の周りを3階回れば、アメリカ大陸に行く船に乗っても魂はベナンの地にたどり着くといわれたそうです。

 
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  ゾマイという窓のない部屋に人々は閉じ込められて3~7日待たされます。その間になくなったり弱ったりしたものが埋められた場所。今は記念碑がたっていました。

 ズンボチ記念碑

 
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 記念碑の塀の横には男女の奴隷の像が、当時の格好をして置かれている。これでは生きている方が不思議な気がします。

 
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 奴隷街道の終点は「不帰の門」。1995年に建てられたものです。道は無くなり、砂浜が続いている。
かつてはこの海岸からたくさんの人たちが小舟に乗せられ、沖に停泊している大型船に乗り換えさせられて、アメリカ大陸やカリブ諸国に連れていかれた。

 
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 門には、当時の連行の様子が描かれています。

 
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 門の後ろには昨日見てきたブードゥ-の神官の姿がありました。

 
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 この後はお昼をいただき、水上集落ガンヴィエに向かいます。


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 動画も紹介します。ブレていますが悪しからず。


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