好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2016年12月


 今日は、早起きしました。
道路に出ると、昨日とは車線が違っている。?????
 那覇市では、朝の混雑時間市内に入ってくる車が圧倒的に多くなる時間帯だけ、車線の変更が行われる道路が有ったのだ。
 知っていればいいけれど、知らないといきなり車線が無くなってしまうなんてことになるかも・・・・。

 もちろん表示はあるのですが、見落とすことも有るし。

 片側2車線が、朝の時間帯、出る車の車線が1車線になり入ってくる方が、3車線になるのだ。

 昨日は、日曜日だったので規制が行われていなかったんですね!

 高速に乗って、許田というところで降ります。そして、道の駅によって水族館の入場券を買った。館外で買う方が安いのだ。ローソンやファミマなどでも買えますが、道の駅が一番安いとネットに書いてあった。
 確かに250円ほど安かったです。

 水族館は、8時半には開館する。これってものすごく早いですよね。駐車場も一番近い場所に入れることができた。平日は、マイカーが少ないのだろうか・・・。

 8年前にここに来た目的は、人口のひれをつけたイルカに会うためだった。無くなってしまった尾びれの代わりに人口の尾びれを装着し元気に泳いでいる姿を見て、本当にうれしかったのだが、その子はもういません。
 死んでしまったのだ。そしてイルカ達の住まいは、今改修の真っ最中でした。

 大水族館。心なしかくすんだ気がする。でも大きな魚が泳ぐ姿って本当にいいですよね。周りの雑音がスーと消えて、自分と水槽の中の魚だけになってしまえる。

 
イメージ 1



イメージ 2


 この大水槽を、のぞけるというのでエレベーターで行ってみました。
いるいる、水面が光って見えにくいのですが、この角度でジンベエザメやマンタを見るのは初めてです。

イメージ 3


 そして今回一番興味を持ったのがこれ!
メガマウスです。まさか本物を見られるとは思わんかった。左右で標本の仕方も変えていて、わかりやすかったです。

 
イメージ 4



イメージ 5


 公園内には、建物博物館もあり、沖縄の伝統的な建物が移築復元されているのだが、こちらはほとんどの人が訪ねて来ない。

 
イメージ 6



イメージ 7


 地域、住む人によって建物の形態は違っている。

イメージ 8


 
イメージ 9


 総合案内所近くの階段から伊江島が見えました。

イメージ 10


 ビーチへも行けます。

イメージ 11


 4時間ほど滞在して、移動。古宇利大橋を渡って島にゆきオーシャンタワーの上から橋を見てみようと思っていた。

 橋の袂から

イメージ 12


 これがオーシャンタワーです。結構な入場料がかかりました。展望台の有る建物にはゴルフと時に乗る電気カートで移動する。

 
イメージ 13

 中は貝の博物館になっている。

 展望台から見た橋。この日は曇り空で残念!

 
イメージ 14


 帰りは、どうしても彼に嘉手納基地を見てほしかったので下道を走った。基地は、道の駅の目の前にあるのでよく見えるのだ。この日も立派なカメラを担いだ航空ファンで賑わっていた。

 下道を通っていると、いかに沖縄が基地に囲まれているかと実感できる。嘉手納の次が普天間である。
この日も2機のオスプレイがとんでいるのが確認できた。

 問題の墜落は、翌日のことでした。
夜のテレビでは、機体に大きな荷物を吊下げて民家の上を飛んでゆくオスプレイの姿が中継されており、その近くに住む住人が「これが落ちたらと思うと・・・」と答えている映像が何度か流れていたのだが、それが翌日には現実のこととなったのだ。
 落ちたのは、民家の上ではなかったのがさいわいだった。

 那覇滞在も明日までだ。明日は、のんびりと市内の端っこを歩いてみようと思っている。
日本国内でも、1週間くらい同じ所に居ると見えてくるものもあるのだなあと感じました。

 


 斎場御嶽は、ガイドさんによる見学を申し込みました。定時ガイドなので1人300円です。
約1時間ほどをかけて回ります。

 斎場御嶽(せーふぁうたき)は、南西諸島に広く分布している御嶽の中でも、琉球王国最高の聖地であり、琉球開闢伝説にもあらわれる。

 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つに登録されている。

 
イメージ 1


 沖縄を知る上では、この聖地を理解することが欠かせない。
御嶽の中には、6つの神域が有り、中でも大庫裡、寄満、三庫裡は、首里城内にも同じ名前の部屋が有り、深いかかわりがある。

 ここでの最高神職は、「聞得大君」(きこえおおきみ)と呼ばれた神女で、国王の姉妹など主に王族の女性が任命された。
 初代から15代(1875)まで、琉球王国の神事を担った。

 その聞得大君が最高神職に就任する儀式が、御新下りで、首里において儀式を終え斎場御嶽に入り、二日間にわたり数々の儀式を行った。

 御門口。
御嶽内に入る参道の入り口です。右側に見えている四角い石は香炉で、御嶽内に有る6つの拝所の分身であるといわれている。このように御嶽内のものは、それなりに意味が有るので、動かしたり触ったりしてはいけません。

 
イメージ 2


 石灰石の参道なので、すべる事。雨降りにはかなりやばそうだ。最初に現れる拝所が、大庫裡(ウフグーイ)と呼ばれている。大広間とか一番座という意味がある。
 祈りをされている方がいたので、写真は遠慮しました。

 さらに進んでいくと、寄満(ユインチ)と呼ばれている拝所がある。ユインチとは、台所を意味しますが、ここで料理をしたわけではなくて、世界中から交易品の集まる「豊穣の満ち満ちた場所」と解釈されている。

 
イメージ 3


 少し戻って、左に曲がると2つの壺が置いてある。これは、シキヨダユルとアマダユルと呼ばれるもので上の2本の鍾乳石から滴り落ちる聖水を受けるためのものだ。
 この聖水も拝みの対象です。

イメージ 4


 この背後の岩山の奥にある部分が三庫裡(サングーイ)と呼ばれる拝所です。

 
イメージ 5


 サングーイに入り、右側の岩の上がチョウノハナと呼ばれる拝所。ここに狭い部分にはいくつかの拝所が有るのだ。

 
イメージ 6


 15もの香炉が置かれている。これは、15代までの聞得大君を表している。

イメージ 7


 ここにあるもう一つの拝所がここだ。
久高島に向かって祈る場である。

 
イメージ 8


 久高島とは、琉球王国時代から今に至るまで数々の神事が行われてきた神の島である。知念半島の約5km先に位置していて、琉球開闢の祖アマキヨが天から降りてきた場所であり、五穀発祥の地でもある。

 久高島

イメージ 9


 興味深い話を聞き、12月というのにカキ氷をいただき、中城城に向かった。
中城城も世界遺産の1つである。

イメージ 10


 ペリー総督がここを訪れて、石積みの美しさを称賛したという。「へえペリーって、沖縄にも来ていたのか」と自分の知識不足を感じます。

 
 中城城は、ざっと一,ニ,三の郭と、南,北,西の6つに別れている。
正門からではなくて裏門から入る。

 ペリーも驚いたという石積みは、野面積み、布積み(豆腐積み)、あいかた積み(亀甲乱れ積み)があり、本土より古くから石積みの技術が発達していたという。
 確かに隙間なきびっしりと摘まれた石垣は、芸術品です。

 あいかた積みの三の郭。

 
イメージ 11


 裏門。ペリーはこれをエジプト式と評したという。重厚で美しいアーチ。

イメージ 12


 裏門をくぐってすぐんところっが北の郭。大井戸などが有ります。
そこを抜けて階段を登ると西の郭は、長さが120mもあり兵馬の訓練をしたという。
 手前の階段を登ると、ニの郭に出る。
芝生が綺麗だ。ここの城壁の上は歩くことができる。

 
イメージ 13

 一の郭から二の郭を見たところ。

イメージ 14

 
 一の郭は、最も広い場所で正殿があった。廃藩置県後は、中城村役場があったが、沖縄戦で焼失してしまった。

 
イメージ 15


 さらに、奥に進むと南の郭がある。ここは霊域で、聖地久高島への遥拝所、雨乞いの御嶽など城内には、8つの拝所があり今も拝む人はたくさんいます。

 
イメージ 16



イメージ 17


 これが正門

イメージ 18


 この時点で、4時くらいになっていた。今日は、もう1つ勝連城跡を訪ねたいと思っているので少々焦った。入場券売り場が、4時半には閉まってしまうと思ったからなのだ。
 ところが、ここは入場料はなく、よってチケット売り場も無かったのでした。

 太陽は、かなり傾いていたが、暗くなる前に何とか来られてよかった。
ここも世界遺産なのだが・・・・。

 
イメージ 19

 
 登って行きます。一番高いところが一の郭で郭階段を登って行く。郭階段とは、城内に攻め入った敵が一気に侵入できないように徐々に狭くなってゆく構造になっている。

 
イメージ 20


 ここからの眺め。石垣の厚みがどのくらいかよくわかると思います。沢山のばら石が詰められている。

イメージ 21

 
 
イメージ 22


 すぐ下の郭。屋敷の礎石が残っている。礎石のある屋敷は時代的には珍しいのだという。

イメージ 23


 勝連城の外側の石積み。曲線の美しい事。

 
イメージ 24


 さあ、さっき上から見えた橋を渡ろうか!最近沖縄は、色々な橋がかかりちょっとした名所になっているのだ。

 渡り切る前に太陽が沈み始めた。橋の手前の海の駅で車を止める。

 
イメージ 25

 
 
イメージ 26


 那覇に戻ってきたのは、途中で渋滞もあり8時近かった。
明日は、中部の美ら海水族館を目指す。
 ネットで調べたところ、月曜日はそれほどの混雑はないとの事だったのだが・・・。




 


 今日は、レンタカーを借りて南部の方に行ってみることにした。
1泊2日なので明日の夜の7時までに返却をすればいい。
 駐車場は、宿泊しているのでかかりません。
空いている所に停めておいてくれればいいと言われた。

 9時頃に出発して、那覇市に隣接する豊見城市にある「旧海軍司令部壕」に向かった。
空港からも近く、我々のホテルからでも30分ほどで到着です。

 市街地を一望できる小高い丘の上にあり、琉球王朝時代には船の入港を知らせるのろしを上げていた場所だ。

 昭和19年、日本海軍設営隊によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったという。
蒲鉾型に掘りぬいた横穴をコンクリートで固め、米軍の艦砲射撃に耐えて、持久戦にするための地下陣地で、4000人余の兵士が、収容されていた。
 戦後、放置されていたが1970年3月、300mが復元された。

 最初に、資料室で武器や軍服など、壕から発掘された遺品や家族への手紙などと沖縄線の経過を記した写真や文章などを見て行きます。

 一言でいうとみているうちに切なくなってきます。米軍の艦砲射撃が嵐のように降ってきたという。そんな中に死を覚悟した責任者の「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」という文章が残されていた。

 修学旅行らしき、一団がやって来たものの説明を受けるのでもなく、集合時間だけを告げられて後は自由時間になった。すると生徒たちは、誰もこの展示物を見ず、あっという間にいなくなってしまった。
 時間の制約もあるのだろうから、丁寧に全部を見て行くのは難しいのだろう。大人になって、何かの機会に頭の片隅に残っていればいいなあと思った。

 壕への入り口。105段、30mほど下ってゆくといくつかの通路が有ります。

 
イメージ 1


 壕内の見取り図ですが・・・。ぼけていた。ごめんなさい。大まかな様子を感じてください。

イメージ 2


 これをつるはしで掘り進んだのだ。気が遠くなる。今の北朝鮮を連想してしまった。

 
イメージ 3


 これは信号室。

 
イメージ 4


 作戦室。漆喰で塗られている。

 
イメージ 5


 
イメージ 6


 幕僚室。壁の穴は、幕僚が手りゅう弾で最期を遂げた時の跡です。

イメージ 7


 こちらが、司令官室。

イメージ 8


 
イメージ 9


 
イメージ 10


 この部屋には、玉砕近い6月頃には立錐の余地もないほどで、兵士たちは立ったまま睡眠や休息をとったという。

 
イメージ 11


 外に出てくると、真っ青な空が広がっていた。当時の兵士達は戦争が終わり、この青い空をどんなきもちでみあげたのだろうか?
 眩しくて目を開けられなかったかも、それともずっと下を向いていたのだろうか・・・。

 
イメージ 12

 
 市街地

イメージ 13


 さらに南下して、平和祈念公園にやって来ました。ここは、私が来たかった場所だ。
沖縄戦の激戦地摩文仁の丘にあるこの公園は、平和を祈って念じる公園である。2度と戦争を行わないための・・・。

 沖縄戦で亡くなったすべての人々の名前が刻まれた平和の礎。今もその名前は増え続けている。
ここでは名前の検索ができるようになっています。せっかくなので、今我々の住んでいる場所から出征した同じ苗字の方のお参りをしていくことにしました。


イメージ 16


 沖縄戦では、200,656の戦没者がおり、そのうち日本側は188,136名。米軍側は、12,520名とある。軍人軍属で沖縄県以外の人は、何と65,908名もいるのだ。

 
イメージ 14

 
 外国の方々の名前もあります。今駐留しているアメリカ軍の中にも戦争で身内を亡くされている方もおられるかもしれません。

 
イメージ 15


 位置を記したオブジェでしょうか?

 
イメージ 17


 平和祈念資料館。2階が常設展で1階は企画展。満州国関連、シベリアに抑留された方々関連のものが展示してありました。

 
イメージ 18


 明るくてまるでホテルの様な造りです。展望台に行ってみました。
広大な園内には、園内バスが走っています。

イメージ 19


 
イメージ 20

 
 この後は、斎場御嶽に向かいます。途中で食事をと思ったのだが、何もなくてコンビニでお弁当を食べる。
でも、御嶽のチケット売り場にはレストランもあるし、他にも可愛いカフェなどもあったのでここまで我慢すればよかったなあと思った。
 行き当たりばったりで動いていると、こういう事もあります。

 御嶽と反対側には、知念岬もありきれいな景色も見られます。


 今日もゆいレールの1日乗車券を使ってみました。
まず、儀保まで行って末吉公園を目指すのだが、なかなか行き着けない。

 後で知ったのだが、市立病院からの方がわかりやすかったようだ。

 迷い込んだ丘のあちこちにも、御嶽はあります。沖縄は本当に祈りが近い。
ご先祖様、自然界のもろもろの神、家にいる火の神様など祈る対象物はたくさんある。

 
イメージ 1


 末吉公園の近くには、昔の馬の訓練場が残っていたり、末吉宮などもある。でもたどり着けなくて、墓場をうろついてしまった。
 お墓が好きな私には、よかったのですが相方はハブが怖いと言って機嫌が悪い。
夜行性だから大丈夫だよと言っても、さっさと先に行ってしまう。

 沖縄のお墓は、ともかくでかい。そして人々の暮らしに近いところにあるのだ。沖縄の人は我々よりずっと死というものに対して、暗いイメージが無いのだと思う。

 洗骨の儀式は今も残っているのかわかりませんが、自分の身内の骨を洗って改めて納骨をして、墓の前で宴会などをする。

 でもそんな沖縄のお墓も、無縁仏が増えているようで市役所の警告文がたてられているものや、草に埋まってしまいそうなもの目立つ。

 下の写真のお墓は新しくつくられたようです。
 
イメージ 2


 
イメージ 3


 末吉宮へ行く道。まるでジャングルのようだ。石灰岩台地のせいかガマもたくさんあり、沖縄戦の時、隠れる場所は結構あったのだろうなあと推測できる。

 
イメージ 4


 末吉宮の建つ石垣。石段上るべからずとありました。

イメージ 5


 
イメージ 6


 参道を下ってゆくと、発掘現場が有りました。何か新しい発見が出るかもしれません。

イメージ 7


 末吉公園は、市民の憩いの場といった感じで、犬を散歩させたりランニングをしたりする人の姿が目立った。
我々はここから歩いて金城町へ向かう。石畳が少し残っているからだ。

 再び首里城の坂道を通ってゆく。

 まずはアカギの大木をみる。ここは、御嶽にもなっています。

 
イメージ 8


 
イメージ 9


 石畳のある坂道。ここは少しも変ってなかった。訪れる人も無く良い雰囲気です。

 
イメージ 10


 ここを下ってゆくと無料の休憩所が有ります。昔の民家を再現した建物です。

イメージ 11


 隣には水源が有り、今も水が湧いていました。

イメージ 12


 
イメージ 13


 この辺りはたくさんの水源が有ったようだが、今は枯れてしまったものもある。

 
イメージ 14


 
イメージ 15


 再びゆいレールに乗って、中心街に戻って来た。
ここからふらふら、市立図書館を探しながら歩いた。

 懐かしい感じのする商店。

イメージ 16



イメージ 17


 図書館は、ものすごく古かった。新聞を読もうと思ったのだが、鎖で閲覧台に結びつけてあるので立ったまま読まなければならず、ずっと歩いてきた身には少々つらかった。

 翌日は、1日那覇基地にいました。


 ジェットスターのチケットがあまりに安かったので、12月7日から14日まで相方と久しぶりに沖縄本土に行って来ました。
実は名古屋は、真ん中に位置しているからなのか国内向けの格安エアーがあまり就航していないのだ。

 今回は、1人2980円で行けるというので申し込んでみた。座席を指定したり、超過荷物を追加したりしたので結果的に1人当たり5千円近くになってしまったが・・・・。

 私は、沖縄は3度目だが8年ぶりの訪問です。相方は、初沖縄本土なので彼の行きたいところにスケジュールを合わせた。

 ホテルは、ウイークリーマンションの様な台所の付いているものを予約し、お昼以外は自炊することにした。

 
イメージ 1


 Wi-Fiも使えるし、洗濯もできるし、スーパーもゆいレールも近くてなかなか暮らしやすかった。
市役所、国際通り、バスセンターも10分も歩かないで行けた。 
 レンタカー会社も経営しており、レンタカーも安く借りられることがわかったので、途中で1泊2日で借りて遠出もしました。

 到着したその日に、マヨネーズや醤油などの小さな調味料とラップなどを買った。食器やフライパン、鍋はついていました。

 そして国際通りに出て、初日の夕ご飯は飲み屋さんにむかった。そこで名物料理を頼み私だけ泡盛をいただきました。彼は下戸なのだ・・・・。

 開けて2日目、ともかく首里城を見たいという。国際通りを歩き牧志の市場まで行ったところで、お昼になってしまった。

 
イメージ 2


 急ぐことも無いのでここでお昼にした。国際通りは、修学旅行の学生さんと韓国人で一杯です。
那覇は、何故か韓国人が多いのだ。対馬でも圧倒的に韓国の方が多かったが、ここでも目立つのは韓国の方だ。
 8年前に来た時には、外国の方はあまりいなくてほとんどが日本人だったのだが・・・。
今は日本の方々は、沖縄の本土ではなくて島の方へ旅行される方が増えているのかもしれない。

 文化の違う沖縄で、中国語、韓国語、英語の表記で書かれた看板を見ると一瞬ここがどこだかわからなくなる。
 レンタカーを借りる韓国の方も多いようで、工事中の道路標識も韓国語の表記がちゃんとある。

 ゆいレールの1日券を買ってモノレールに乗って終点まで行く。駅名は首里だが、首里城までは結構歩きます。

 円覚寺という名前のお寺の跡。円覚寺というと鎌倉の寺が思い浮かぶが沖縄にもあったのだ。

 円覚寺総門と放生橋

 
イメージ 3


 近くにある円鑑池と弁財天堂。

 
イメージ 4


首里城の赤い建物群を見上げながら、緩やかな坂道を上って行く。

イメージ 5


 この石垣は、石灰岩だ。隙間なくキッチリと並べられている。
 
 歓会門から入ります。

 
イメージ 6


 続いて漏刻門。

イメージ 7


 
イメージ 8


  
イメージ 9


 入場券を買って建物の中に入ります。
ここでも高校生たちは、様々なポーズで記念撮影に余念がない。楽しそうでいいなあ!

 正殿とお庭。

 
イメージ 10


 お庭にも御嶽はある。首里森御嶽と記してあった。
敷地内は、大きく分けると生活の場、政治の場、祈りの場の3つに別れている。
 生活の場は、正殿の東側にあり、国王とその親族、そこに使える女性が暮らす男子禁制の場でした。
表が男子が仕切る政治の場、内が女性が仕切るというのは江戸時代のお城の仕組みと一緒だ。

 
イメージ 11


 1時間くらいかけてゆっくりと中を見て歩く。
 
 これは書院から見た庭の石垣です。やはり石灰岩を用いている。

イメージ 12


 正殿内は、3階ありますが公開されているのは2階と1階部分だ。
どちらにも御差床と呼ばれる王座が有るが、2階の方が豪華でした。

 
イメージ 13

 
 玉御冠のレプリカ。

イメージ 14


 この後は、守礼の門をくぐって玉陵へ向かいました。首里城が混んでいるのにこちらは誰もいない・・・。
玉陵は、たまうどぅんと呼ぶ。1501年、時の尚真王が父の遺骨を改葬するために築いたものだ。

 墓室は、3つに別れていて真ん中が、洗骨前の遺骸を安置した部屋だ。

 向かって右、創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には限られた家族が葬られたという。
ここも沖縄戦で大きな被害を受けたが、1974年から3年余りをかけて修復工事が行われた。

  庭にはサンゴの欠片などが敷き詰められている。

 
イメージ 15

 
 東西の屋根には、雄雌の獅子が飾られている。
私は、ここの獅子が大好きです。
 こちらは雌。愛おしそうに子供をなめているのだという。

 
イメージ 16


 今日はここまでで帰ります。沖縄でも5時半には太陽が沈み始めます。スーパーで今夜のおかずと、明日の朝ご飯を買って帰るのだ。
 沖縄産のマグロの中トロが安かったのでそれをメインにしました。

 


 那覇市のマンホールがあまりに普通でがっかりしていたら、首里の近くでこんなものを見かけた。
車に踏まれてぼやけてはいるが、沖縄絣か花織りだろうか

 
イメージ 1



 同じく那覇市内で、見つけた。模様はありきたりのものだが、書かれている文字が我々の住んでいる所では見かけない。北海道にも同じようなものがあるのだろうか?

イメージ 2


 基地内で・・・。桜マークです。

 
イメージ 3


 今は合併して、南城市となってしまった知念村のマンホール。
雨水も汚水も同じデザインでした。

 花は、知念村の花だった鉄砲ユリ。海に浮かんでいるのは、太陽と久高島。真ん中の模様は知念村の紋章だった。
 
イメージ 4



 沖縄に滞在していた時に偶然航空祭が催されると知った。
2日間にわたって基地の一部が解放されるという。

 那覇の基地は小牧と同様、自衛隊と民間機が隣り合っている。いい機会なのでどんな具合なのか見てみようと思った。

 当日、最寄りの駅はすいている。本土の航空祭だと最寄りの駅からは延々と列が続いているのだが、ともかくすいている。
 それは基地の中に入っても同じで、列を作ったのはF15の操縦席に座るときくらいだった。トイレも屋台も普通に使える。

 お客さんは、小さな子供連れが目立ち、何とものんびりとして雰囲気だ。

 
イメージ 1


 展示品は、陸自や海自も参加していて、救助品などは自分でしょってみたりもできて中々興味深いものが多かった。パラシュートや、潜水用のボンベなどもしょわせてもらった。
 
 ブルーインパルスも、出張してきていて、午後から民間機の離発着の合間を縫って演技を見せてくれた。
同方向で高度が違うとはいえちょっとドキドキしてしまう。

 
イメージ 2


 この日は土曜日で、夜まで解放されていてこれも珍しいなあと思った。

イメージ 3


 これと同型の消防車が福島の原発の事故の時に出動したそうです。

イメージ 4


 この大型のバケツも火災の消化に用いられた。どうやって持ち運ぶのか聞いたらたたんで運ぶのだという。こんな固そうなものもたためるのだとびっくりした。
 
 
イメージ 5


 
イメージ 6


 折り畳みのできるアンテナ。デモンストレーションしてくれました。開閉に2分くらいでしょうか?2台がセットになって動くそうです。
 
イメージ 7



イメージ 8


 これは、攻撃するときのレーダーだそうです。私はタンクかと思ってしまった。

イメージ 9


 そのレーダーで捕らえたものをこれで攻撃するそうです。

イメージ 10


 この辺りは説明されても、わかるようなわからないような・・・・。

 民間機も・・・・。

 ANAとJAL。

 
イメージ 11



イメージ 12


 哨戒機。羽を伸ばして飛び着陸して羽をたたむという一連の様子を見せてくれた。

イメージ 13


 
イメージ 14


 月曜日には、この基地からスクランブル発信が有ったので、航空祭の最中だったらどういうことになったのだろうかと考えてしまった。

 F15の操縦席、1時間以上待ちました。

イメージ 15


 
 


 実は、1週間ほど沖縄にいました。
オスプレイの墜落時、中国機へのスクランブルの時にも沖縄でした。

 沖縄ヘは8年ぶりでしたが、暖かいというより暑くて汗かきましたよ。
地域猫の姿もあちこち見かけました

 この目がたまらない。首里城の近くで・・・・
 
イメージ 1


 やはり首里の近くで。このこは触っても全然逃げませんでした。

イメージ 2


 牧志の市場の近くで、にらみ合って、別れた2匹。

イメージ 3


 その様子を見ていた猫。われ関せずです。

イメージ 4


 
イメージ 5


 この猫は、近寄って来て撫でてとねだりました。

イメージ 6


 図書館のそばの公園にはD51が展示してありました。その線路の所にも猫が・・・・
悪人面ですなあ!

 
イメージ 7

 
 知念岬で。暖かいのでのびのびです。

 
イメージ 8


 那覇の波の上神社の近くの公園で。去勢か避妊かどちらかを施してあるようで、みんな耳に印がしてあるようです。

 やはり、撫でて攻撃が激しかった。可愛がられているのだろう。

 
イメージ 9



イメージ 10


 どのこも尻尾がぴんと長くて立派です。


このページのトップヘ