好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2017年06月


 そういえば、メサヴェルデはコロラド州にありました。
でナンバープレートも、4つ目になります。最もこの後は再びユタ州へと移動していくのですが・・・。

 
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 山を下ると、風景が一変します。

 
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 4時、唯一4つの州が交差する地点フォーコーナーズに到着。ここも、最近急に観光客が増えてきて記念写真を撮るのは、1人3枚に制限されていました。
 これも、写真好きでいつまでも交代してくれない彼の国に起因するらしい・・・・。

 で、添乗員さんとガイドさんの2人が我々のカメラを預かって、コンベアーよろしくシャッターを押して行きます。私も、今回の旅で唯一、シャッターを押してもらった。

 4つの州とは、アリゾナ

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 ユタ

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 ニューメキシコ 

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とコロラドなのだが、何故かコロラドの旗は無かった。これは、この辺りを居住区にしている先住民族のナバホの旗です。

 
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 お土産屋さんもすべてナバホで、白人は住むことができません。結婚、もしくは特殊な職業の方は別ですが、ナバホネーションとなっており、アリゾナ北東部、モニュメントバレー、ニューメキシコ、ユタ州にまたがり、
 面積としては、日本の東北6県に相当し、約30万人のナバホの人々が暮らしている。
 
 ここは、アメリカの土地ではなく半独立国として認められている。大統領がおり、独自の法、国旗、国歌、教育が存在する。またモニュメントバレーの中では、お酒も手に入りません。

 
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 ここで、やはり少数派のアーミッシュの方達とも出会いました。外に出かける時は、車でもいいようです。

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 さあ、モニュメントバレーを目指そう。映画やテレビ、コマーシャルなどで使われることが多く、ととても有名なので国立公園だと思っていたのだが、ナバホ・トライバル・パークなのだという。「ナバホ種族公園」というわけだ。

 バレーが近づいてくるとフクロウ岩や、エルキャピタンが見えて来た。
めをこらすと・・・

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 ナバホという名前は、「涸れ谷の耕作地」を意味する。562の部族の内、一番人口が多い。アパッチ族とは言葉も似ているが、元々はアジア系のモンゴロイドである。我々と同様蒙古斑があるそうです。
 母系社会で、人口はあまり多くなく、統一したアイデンティティがなく部族それぞれが独自の共同体を作りアメリカ中に移動していった。
 羊の放牧や織物などは女性の仕事であり、男性はトウモロコシ挽きや略奪が仕事であった。

 白人によりもたらされた天然痘で、1000万人の人口がわずか20万人まで減少した時期があったという。

 1864年、アメリカとの戦争に敗れたナバホ族は、500㎞東の強制収容所へと歩かされた。総勢8500人の内200人以上が途中で亡くなった。
 強制収容所で労働を強いられ、4年が経過したところでナバホの酋長の嘆願が届き、先祖代々の土地へ帰ることができた。これがナバホのロングウオークである。

 アメリカ国籍を与えられた後は、軍にも徴用されアメリカ兵として戦った。彼らの言葉は暗号として用いられたがこれは日本に対しての暗号であった。 

 夕方6時頃ロッジに到着だ。グルーディング・スロッジは、唯一白人が経営するホテルである。1921年、ハリー・グルーディング夫妻がここに来てインディアンに土地を分けてもらい交易所を始めた。1928年にロッジが完成。その後、ナバホの間にも不況の影響が出始めた1930年代、ハリーは、積極的に映画のロケ地として
招致をする。ジョン・フォード監督は、ここを気に入り数々の名作を作る。長期滞在の為、ここに専用の小屋を建ててもらって住んでおり、それは今も残っていて博物館として公開されている。

 グルーディン・グロッジ本館。

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 我々のロッジ。2つの寝室があった。

 
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 ロッジからの眺め。右から、ビッグインディアン、キャッスルビュート、ペアーラビット、駅馬車、王座に座る王、ブリガム・トウームと続く。

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 ビッグインディアンは私にはウサギにしか見えません。

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 食事の為、レストランへ移動します。
メサ(このように平らになっているもの)とライダー。横の長さより縦が長いと、ビュートと呼ぶ。


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 博物館前のメモリアル

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 博物館。

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 2人で並んで・・・。

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 やがて、岩山が真っ赤に染まり

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 満月の支配下になった。

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 モアブの町を少し散歩してみる。
 あらためてこの町が、赤茶けた崖に囲まれた乾燥した大地にあることがわかる。

 最近は、ホテルが次々とできているという。というのも国立公園の中には、宿泊施設が建設できないからだ。
増え続ける観光客に対応するには、近くの町を利用するしかないのだろう。

 我々のホテルもそうしたものの1つで新しく使い勝手の良い施設だった。「ここで連泊したいよね」なんて・・・。
町の中も、こじんまりとはしているものの、しゃれたレストランやお土産屋さんがあり、夜は賑わっていたのだが、早朝はしんとしていて人々の往来もない。

 夜になれば人々が集まってくるのだろう。

 
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 ここは何屋さんなのかしら?

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 8時ホテルを出発。5つ目の国立公園メサヴェルデを目指す。
車内で、資料を見ながらガイドさんの話を聞く。
 
 
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 違った岩石を集めて砕いて作る砂絵の写真。これが砂だなんて!

 
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 途中ガソリンスタンドでトイレ休憩。
自販機の使い方に戸惑う。後払いなんですって。そういえば、空港内の自販機も後払いだった気がする。カップに入れてそのままなんてことはないのだろうか?

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 バスは、しばらくは平地を走っていたが、そのうちどんどん勾配が急になってきた。
個人的にはこの景色すごく好きです。いつまでも見ていていたい。

 
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 看板が設置してある場所でストップです。ここまで約3時間かかった。

 
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 メサヴェルデ国立公園は、1906年に国立公園に制定されたが、唯一自然のものではない。また、1978年には世界文化遺産にも登録された。今回のツアーでは、世界遺産はここだけである。

 スペイン語で、「緑の大地」という意味だというから、昔はもっと青々としていたのかもしれない。
先住民族、あるいはそのまた祖先が定住していた遺跡がそのまま残っている。

 遺跡は、確認されているだけでも100を超え、崖上、竪穴、岩窟住居と年代によって彼らは住み変て行った。有史以前の先住民族に関しては、定説はないが有力な説としては、ベーリング海峡を渡ってきた古代民族が狩猟をしながらアメリカを南下して点在していった際の一部であり、そのまま南下して南米にたどり着いた人々は高度な文明を造り上げたというものだ。

 この周辺においては、1900年前、アナサジという民族がバラバラに住み始め、主に農耕を営み、5世紀から9世紀頃には部落が形成されている。
 
 日干し煉瓦の壁を使った建物の区画整理が始まり、集会場や祈りの場を備えた本格的な集落へと発展していった。

 当時は、畑も住居も崖の上にあったのだが、何らかの理由で、人々はがけ下に暮らす様になり、自分たちにしかわからないステップを使い崖の上と下を行き来していた。
 
 展望台に向かい、スプルース・ツリー・ハウスを見る。ここは本来道を下って住居そばまで行けることになっていたのだが、崖崩れのため行けなくなってしまい、上から眺めるだけになってしまった。残念、無念!

 114の部屋と8つのキバと呼ばれる祭壇があり、西暦1200年頃から1270年頃に建設された新しいものだという。

  
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 崖は、こんな感じでどこから降りたのか見当がつかない。

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 これなど押しつぶされているようにしか見えません。

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  博物館も併設されている。

 元々は崖上でこんな感じで暮らしていたらしい。

 
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 使用していた道具。これらは、どこでも同じような感じですよね。

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 本物の砂絵。これは色が少ないが・・・。粒の1つ1つをどうやって固定するのだろうか?


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 リュウゼツラン。白い部分を針の代わりにしたらしい。確かに固いことは固いが・・・・。

 
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 もう1つの住居跡がこれ。ツアーのみで近づくことができるが人気があるので、すぐに埋まってしまうそうです。
クリフ・パレス

 
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 ここは、217の部屋が有り4階建ての高さに相当する建物がある。人口は数千人がいたのではないかと思われる。

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 階段も見える。

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 想像図

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 うーん参加したかった!うらやましいです。

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 この辺りの風景はこんな感じです。遺跡から顔を右に回すと・・・。

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 来た時と同じ道を下って山を降ります。雪山が見えている。

 
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 お墓参りに行く途中立ち寄ったサービスエリアで食してみました。

 看板に惹かれて食べてみたのですが、やはり普通のタコ焼きの方が何倍か美味しい気がします。


 
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 大きめのおにぎりのようだ。

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 アメリカ国立公園の旅をちょっと中断して、土曜日に行ってきた静岡県の2つの山城を紹介したいと思います。

 どちらも静岡県にあり、北条氏の居城である小田原城を護る役割があった。

 三島市にある山中城跡は、箱根旧街道が城の中を横切る構造になっている。標高580mの地にあり、戦国時代末期の1560年代に北条氏康によって築かれた。

 1589年、豊臣秀吉と不仲になった北条氏政は、急遽小田原攻めに備えて堀の整備や増築を行った。
しかし、増築が未完成の内に、1590年3月29日、4万の豊臣方の総攻撃を受けわずか4000の北条側は、わずか半日で落城したという。

 現在、時の城主や豊臣方の武将の墓が、同じ境内に眠っています。

 落城した後、そのまま廃城となったので、400年前の北条特有の城郭遺構がそのまま残っている、山城はとても珍しいそうです。

 箱根旧街道

 
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 三の丸と二の丸の間にある池。2つあり、上の池は、箱井戸で人間が使い、下の池は田尻の池と呼ばれ馬用の飲み水として使用された。

 ちょうど美しい赤白の睡蓮が咲き乱れていました。赤の方が箱井戸です。

 
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 ここから上は急に狭くなっていて、開けたところにあるのが二の丸だ。

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 二の丸のさらに奥にあるのが、西の丸だ。

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 さらに先に進んでいくと、富士山が見える。この日はあいにくぼんやりとしか見えず残念!

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 空気の澄んでいる日には、駿河湾も左手に見ることができる。目を足もとにやるとお目当ての障子掘りを見ることができる。この堀は北条の特徴がよく表れていて障子のさんの様に見えるところからそう呼ばれるようになった。
 
 
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 西の丸の対面にあるのが西櫓で双方の間には橋が架けられていた。

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 その西櫓を囲むようにして畝掘りが造られている。

 
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 杉木立の中を歩いてゆくと北の丸に行ける。

 
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 復元された架け橋。

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 想像していたよりも狭い天守櫓のあった場所。

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 時間の関係で、反対側の岱先出丸は駆け足で回る。
続いてバスは、最近世界遺産に登録された反射炉で有名な韮山へと向かう。
 反射炉はスルーして、我々は韮山城跡に登る。

 現在は敷地の一部が韮山高校が立っている。

 韮山城は、北条早雲が築いた城で、富士を望む丘の上にある。1493年、ここに城を築いた早雲は、伊豆を制し、小田原城を奪い関東へ勢力を伸ばして行く。

 早雲の死後、2代目氏綱は、小田原に本拠地を移し、韮山城は支城となった。

 しかし、山中城同様、1590年の3月、秀吉の小田原攻めでは、44000人の軍勢に囲まれた。迎えるこちらの軍勢は、4000人にも満たなかったが、なんと3か月も持ちこたえたのであった。

 そして家康の仲介で開城となり、1601年廃城となった。

 権現くるわ

 
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 急な崖の上にある二の丸。

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 二の丸

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 本丸へと続く道。

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 本丸からの眺め。当時はこの辺りは湿地帯で有った。

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 さらにもう少し歩いていくと、武器庫や食糧庫があった。食料は、領民からの差し入れもあったようだ。北条氏は、領民をとても大事にしたいたという。
 また井戸は、丘の中腹にあったという。

 今回は障子堀という言葉に反応して参加したのですが、城はやはり面白いです。


 ビジターセンターで、公園の看板を撮影する。アーチーズは、看板がここにしかないという。

 
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 建物の背後は、こんな複雑な岩山になっていて、これを見ただけでもこの地の成り立ちの要素が入り組んでいることがわかる。
 私は、何度も説明されてもパンフを読んでもすっきりと頭に入って来なくて困ってしまった。
想像ができないのだ(+_+)

 わかりにくい文章があったら私が自分で理解できていないためです。ごめんなさい・・・。

 
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 一見不毛の地に見えるこの台地にも、インディアン達は何千年にもわたって住んでいる。ネイティブ以外の探検家たちがやって来たのは鉱物を探してのことだった。

 雨はほとんど降らないが、動物が暮らし、野の花も咲く。公園内の地形は絶えず変化しており、人間を含めたここに生きている生物すべては、変化に適応していかねばならない。

 現在も新しいアーチが形成されるとともに、古いアーチは崩れて行っている。ここには2000を越えるアーチがあるが、1970年以降42ものアーチが崩れている。

 バスの中から、スリーゴシップスが見えた。3が好きなのは、人類共通なのか?

 
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 微妙なバランスで立っているバランスロックに停車。高さ39m、3500トンあるそうだ。どうやって計るのだ?

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 小さなトレイルがあるので行ってみます。

 隣の岩もかなりおおきい。手のようにも見えなくはない・・・。

 
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 遠方の連山には雪が残っている。

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 公園内のウィンドウセクションと呼ばれる地域に到着。ここからは少し歩く。
アーチがすでに見えている。

 
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 アーチの形成は、約3億年前にもさかのぼる。新大陸の時代この辺りは、海の浅瀬の部分であり、堆積物がどんどんたまり海が小さくなっていた。また、海水の蒸発によって取り残された塩の層が最大1500mもできたという。
 その上に、13層にも及ぶ岩盤が覆いかぶさり、圧力をかけてゆく。そして約1億年前頃になると、圧力に耐えきれなくなった塩の層は、岩の薄い部分に移動して行き、その薄い部分を下から持ち上げる格好になった。その時のはずみでできた亀裂が、水・風・氷によって浸食されてアーチが出来上がったという。

 遮るものが何もないので、あ・つ・い!

 
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 タレットアーチ。

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 こちらは鼻眼鏡のようにも見える、北の窓・南の窓と呼ばれているアーチ。

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 アーチの下に向かいます。

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 この後は少し歩いて、ダブルアーチに向かう。

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 レイダース、失われたアークで撮影に使用されたらしい。

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 登ることもできるので、少し行ってみよう。

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 ここから先ほど行ったウィンドウズセクションを眺める。


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 バスの中は冷房が効いていてほっとする。

 今日のホテルは、モアブという町にある。自由食の日なのでスーパに立ち寄り、調達する。

 
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 私は、折角なので外に出て食事をしてみたいなと、添乗員さん達と一緒に中華レストランに出かけた。
相手をしてくれたのはタイの人でした。
 どこのくにでも、サービス業は、出稼ぎの人が担っているんだろうか?


 ユタ州のナンバープレート。これは古いもので、現在の物は、アーチーズ国立公園が描かれているが、撮りそこなってしまったようだ。

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 昼間は、気温の上がるソルトレイクシティも朝は爽やかだ。
部屋の空調が効かず、外の方が快適なので散歩に出てみた。

 確かめたいことが1つあった。昨日、ガイド氏は、モルモン教の話に触れたとき、「よって、この街には、ホームレスはいません」といっていたからだ。

 結論から言うと、ホームレスはいました。短い散歩の時間でもお二人ほど見かけた。「やぱりいるじゃん!」と少しほっとした私。

 本当にきれいな町でした。道路ぞいの花壇には、水が自動的に供給されるシステムになっていた。農業でもそうだが、こんなに乾燥した地で、どうしてこんなに潤沢な水が供給されているのだろう?
 
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 今日は、4つ目の国立公園キャニオンランズ国立公園にまずは向かいます。

 崖肌に、緑青がみられる。変化する岩肌や崖を見るのも楽しみの1つである。手前のラインは、貨物鉄道です。

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 固そうな岩肌。青く光って見える。

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 午後から向かう、アーチーズ国立公園とキャニオンランズの間には、南北に国道191号線が走っているが、この道路沿いに巨大な断層が走っている。
 この2つの公園は、コロラド台地の北東部に位置しており、同じコロラド台地に有るグランドキャニオンが100歳くらいだとすると、こちらはまだ30歳にも満たない台地なのだそうだ。
 
 国道をそれると、いかにもといった景色になってきた。

 チョコレートをかけたような岩。

 
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 お約束の看板。

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 この公園は、他の公園と比べると訪れる人は少ないが、だんだん注目されてきているようだ。


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 外の気温は、かなり上がってきており、本来なら景色の良い場所でお弁当を食べるはずだったのだが、私バスの中でいただくことにしました。

 さあ、お腹もいっぱいになったので外に出ようかな・・・。

 グランドビューポイントからの眺め。柵などないので慎重にのぞき込む。

 
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 キャニオンランズ周辺は、約1500万年前頃コロラド台地の隆起と共に急激に持ち上がり、もともと海抜ゼロだったのに1500mまで持ち上がった。同時に、それまで緩やかに流れていた川が勢いよく浸食を始め、砂岩や泥など浸食されやすい地層だったこの地域は、急激に崩れ一瞬(地質学上)のうちに急峻な渓谷が出来上がった。
 
 
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 何を話しているのかな(*^^*)

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 この後は近くにある、デッドホースポイント州立公園にも足を延ばした。
コロラド川が、180度曲がる流れによって形成された。600m近い落差を感じることができる。
 
 昔、カウボーイ達が野生馬を捕獲に来た時に、野生馬の群れをここに追い込んだ。そして良質の野生馬だけを持ち帰り、残りの馬はここに置き去りにした。残された馬たちは、元の荒野に戻れるようにと開けた柵を何故か出ようとせず、コロラド川の水を前にしながら脱水症状で絶滅したという。それが名前の由来となった。

 
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 反対側の遊歩道を歩いてゆくと、こんな光景も見られます。
塩田だそうです。なんてシュール!なんという青!

 
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 音の無い世界です。

 これらの岩山も、長い歴史の後には崩れ去ってしまうのでしょうか・・・。

 
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 バスは、アーチーズに向かって走ります。


 イエローストーンを後にして、1時間も走ると美しいティートン連山とジャクソンレイクが見えてくる。

 合衆国には、現在59の国立公園があるが、中でもグランドティートンは一番美しい公園と言われている。
アメリカンロッキーの中でも、急峻な山なみの麓には、7つの湖が点在し、曲がりくねったスネークリバーがゆったりと流れ、針葉樹林の森が続いている。

 映画「シェーン」の舞台となったことでも知られており、青空をバックに湖に映り込む連山の姿を目の当たりにすると、思わず息を飲んでしまう美しさだ。

 1929年に国立公園に制定された。

 
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 氷河湖のジャクソンレイクと連山。

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 ビジターセンターの裏手に回ると・・・。

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 ロッキー山脈が隆起した時に、火山活動が起こり、約60㎞程南北に渡り西側が2kmもずれる巨大断層が出来上がった。
 後に氷河期を経て浸食されU字渓谷ができ、運ばれた堆積物が長い年月をかけてせき止めジャクソンレイクができた。

 アメリカでは、広大な国土ゆえか、このように標高差2000mもの壁が目の前に立ちはだかるといった光景はあまり見られないそうだ。

 移動して、パンフレットの写真と同じ光景が見られるという、スネークリバー展望台へと向かう。

 
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 移動中も進行方向の左側にはずーっとティートンの山なみが見えていた。
どれだけ眺めていても、見飽きるということが無い。

 
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 ちらっとインディアンのテイピーが見える。

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 新約聖書に出てくる「変貌の山」にちなんだという「トランスフィギュレーション礼拝堂」に到着した。
ここの礼拝堂から見る、ティトンが素晴らしいという。

 結婚式でしょうか、人々が集まってました。

 
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 中に入ると、祭壇のむこうに・・・・・

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 素朴なステンドグラスも。

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 教会の裏手に回ると、逆さティートンが見られます。

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 国立公園の拠点の街ジャクソンを走り抜ける。

 エルクの角で作ったアーチが、公園のゲートに設置してあった。

 
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 こんな愉快なものも・・・・。

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 元々は毛皮商人がこの町に入ったのが始まりだが、最近はアメリカ屈指のスキーリゾートの場として有名なのだという。

 ワイオミングに別れを告げて、ユタ州に入った。ユタ州は、国立公園が多いのだ。また、ソルトレイクシティは、冬季オリンピックが開催されたことでも知られている。
 1896年に、45番目の州として認められた。

 ユタ州の州都でもあり、モルモン教の本山がある。周辺の人口を含めると約115万人ほどの街である。ガイド氏によれば、治安もよく、街もきれいで、教育水準も高いのだという。

 市の名前の由来となったグレイト・ソルトレイクは、塩湖で海水より塩分が濃い。

 トラムが、走っていました。

 
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せっかくだからと、モルモン教のソルトレイクテンプルに案内してくれました。
誰でも入っていいようだ。まずは、綺麗なトイレを借りる。

 モルモン教は、キリスト教の一派であるが、それを巡ってはしばし混乱があったようである。現在では、ユタ州の約70%がモルモン教を信仰しているそうだ。
 
 バスから降りると熱気が襲ってくる。暑い!

 テンプル内は、 花壇も手入れが行き届いている。

 
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 大きすぎて全部が収まらない。

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 ここでも結婚式が行われていた。結婚式の様子は、何ら普通に見えた。

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 ここは冷房が効いていて快適です。日本に布教に行ったことがあるという女性と少し話をした。外国へ布教に行くのは義務なのだという。

 
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 今夜はこの街にお泊りです。ホテルにチェックインするも、何故か部屋が暑い。クラーが効いていないような気がする。添乗員に確かめると、故障で、回復は、明後日だという。土日は、安息日で働かないのだろう・・・。

 眠れるかしらと案じたが、全然平気で眠りに着いたようでした。

 今日の夕食は、鉄板焼きの店で「紅花」。味はそれほどではないが、パフォーマンスとしては楽しめた気がする。日本酒も置いてあり、アメリカ風日本の雰囲気がしています。(*^-^*)


 ミッドウェイ・カイザーのボードウオークは、1周約30分ほど。

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 ここでの見どころは、直径約113メートルもある、巨大なプリズム温泉である。太陽の光を受けて様々な色に変化する。

 
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 砂漠の風紋のようだ。

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 縁が、レインボウ色に・・・。

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 そして混沌・・・。

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 プリズムショーを見た後は、ロッジ近くのイエローストーンレイクのウェストサムに向かう。
巨大なカルデラの中にある小さなカルデラで、レイクを北側から見ると親指のように見えるところからこう呼ばれている。

 湖の向こう側には、雪の連山がくっきりと見えています。湖の面積は、琵琶湖の約半分で海岸線は、約170kmにも及ぶ。
 過去において、太平洋、北極海にも繋がっていたという古い歴史を持ち、現在はメキシコ湾にそそいでいる。
 平均深度は、42m、水温は低く泳ぐには適さない。


 
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 水の中や縁に温泉の噴き出していた穴を見ることができる。

 
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 温泉は、湖に向かって流れだしているので、何となく適温になっているような気がしてくる・

 ここでもやはり、温泉の色は深くて美しい。

 
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 展望台。

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 これでイエローストーンの観光は終わりです。明日は、グランドティートン国立公園へと移動します。

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