そういえば、メサヴェルデはコロラド州にありました。
でナンバープレートも、4つ目になります。最もこの後は再びユタ州へと移動していくのですが・・・。
山を下ると、風景が一変します。
4時、唯一4つの州が交差する地点フォーコーナーズに到着。ここも、最近急に観光客が増えてきて記念写真を撮るのは、1人3枚に制限されていました。
これも、写真好きでいつまでも交代してくれない彼の国に起因するらしい・・・・。
で、添乗員さんとガイドさんの2人が我々のカメラを預かって、コンベアーよろしくシャッターを押して行きます。私も、今回の旅で唯一、シャッターを押してもらった。
4つの州とは、アリゾナ
ユタ
ニューメキシコ
とコロラドなのだが、何故かコロラドの旗は無かった。これは、この辺りを居住区にしている先住民族のナバホの旗です。
お土産屋さんもすべてナバホで、白人は住むことができません。結婚、もしくは特殊な職業の方は別ですが、ナバホネーションとなっており、アリゾナ北東部、モニュメントバレー、ニューメキシコ、ユタ州にまたがり、
面積としては、日本の東北6県に相当し、約30万人のナバホの人々が暮らしている。
ここは、アメリカの土地ではなく半独立国として認められている。大統領がおり、独自の法、国旗、国歌、教育が存在する。またモニュメントバレーの中では、お酒も手に入りません。
ここで、やはり少数派のアーミッシュの方達とも出会いました。外に出かける時は、車でもいいようです。
さあ、モニュメントバレーを目指そう。映画やテレビ、コマーシャルなどで使われることが多く、ととても有名なので国立公園だと思っていたのだが、ナバホ・トライバル・パークなのだという。「ナバホ種族公園」というわけだ。
バレーが近づいてくるとフクロウ岩や、エルキャピタンが見えて来た。
めをこらすと・・・
ナバホという名前は、「涸れ谷の耕作地」を意味する。562の部族の内、一番人口が多い。アパッチ族とは言葉も似ているが、元々はアジア系のモンゴロイドである。我々と同様蒙古斑があるそうです。
母系社会で、人口はあまり多くなく、統一したアイデンティティがなく部族それぞれが独自の共同体を作りアメリカ中に移動していった。
羊の放牧や織物などは女性の仕事であり、男性はトウモロコシ挽きや略奪が仕事であった。
白人によりもたらされた天然痘で、1000万人の人口がわずか20万人まで減少した時期があったという。
1864年、アメリカとの戦争に敗れたナバホ族は、500㎞東の強制収容所へと歩かされた。総勢8500人の内200人以上が途中で亡くなった。
強制収容所で労働を強いられ、4年が経過したところでナバホの酋長の嘆願が届き、先祖代々の土地へ帰ることができた。これがナバホのロングウオークである。
アメリカ国籍を与えられた後は、軍にも徴用されアメリカ兵として戦った。彼らの言葉は暗号として用いられたがこれは日本に対しての暗号であった。
夕方6時頃ロッジに到着だ。グルーディング・スロッジは、唯一白人が経営するホテルである。1921年、ハリー・グルーディング夫妻がここに来てインディアンに土地を分けてもらい交易所を始めた。1928年にロッジが完成。その後、ナバホの間にも不況の影響が出始めた1930年代、ハリーは、積極的に映画のロケ地として
招致をする。ジョン・フォード監督は、ここを気に入り数々の名作を作る。長期滞在の為、ここに専用の小屋を建ててもらって住んでおり、それは今も残っていて博物館として公開されている。
グルーディン・グロッジ本館。
我々のロッジ。2つの寝室があった。
ロッジからの眺め。右から、ビッグインディアン、キャッスルビュート、ペアーラビット、駅馬車、王座に座る王、ブリガム・トウームと続く。
ビッグインディアンは私にはウサギにしか見えません。
食事の為、レストランへ移動します。
メサ(このように平らになっているもの)とライダー。横の長さより縦が長いと、ビュートと呼ぶ。
博物館前のメモリアル
博物館。
2人で並んで・・・。
やがて、岩山が真っ赤に染まり
満月の支配下になった。