好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2018年01月


 ウシュアイアまでのエアーは、チャーター機なので荷物の重量制限が定期便に比べて緩い。
従来国内線は、預け荷物の重量制限が16kgと厳しいが今回は20kgに設定されている。

 昨晩の内に、それぞれの手荷物と預け荷物の重量を計り、スーツケースは、深夜ホテルの部屋の前に出しておくように指示をされていた。

 現地のクアーク社のスタッフが、運んでくれて、直接、船の部屋まで届けてくれるシステムになっていた。
つまり我々は、手荷物だけでチェックインもなしに、セキュリティゲートに向かえばいいようになっているのだ。

 ウシュアイアについても荷物をピックアップすることも無くそのまま観光に向かえるので、とても合理的に動けた。チャーター機ならではだろう。

 ホテルからのブエノスアイレスの様子

イメージ 1


 国内線とはいえ、大国アルゼンチンは広いのだ。3時間以上もかかる。

 13時半、ウシュアイアに到着。夏でも、最南端の町なのでそれなりに寒く、気温13度ほどしかない。

 
イメージ 2



イメージ 3

 
 空港の建物。

イメージ 4


 バスに乗って、ウシュアイアの港のある中心地まで向かう。

イメージ 5


 乗船開始時間は、16時半頃になるのでそれまでの時間を自由に過ごす。

 町の中心は、港に向かって緩やかな坂道になっている。

 
イメージ 6


 奥に見えている船が我々ののるオーシャン・ダイヤモンド号である。

イメージ 7


 さっそくペンギンが出迎えてくれた。

 
イメージ 8



イメージ 9


 お土産屋さんの集まっている通り。今しか買うチャンスがないというので、みな必死である。新婚さん、会社に休暇を貰ってきたもの、家族に留守を託してきた人など、沢山のお土産を買いこむ。

イメージ 10


 私は、絵はがきを3枚買って記念にしました。
船内で、投函するつもりです。

 
 ウシュアイアは、南米最南端に位置するので「世界の果て」などと呼ばれる。ビーグル水道とマルティアル山脈の間に位置する人口7万人ほどの街だ。
 果てであったので、監獄が置かれ囚人達は、極寒の地で過酷な作業を行った。

 海軍の基地も置かれており、かのフォークランド島も近く、地元の人は、島をさして「ここは、イギリス」と皮肉を込めた言い方をしていた。

イメージ 13

 
イメージ 12


 また、南極クルーズの拠点なので季節である夏の時期は、毎日それを目的とした船が寄港している。

 まずは、「世界の果て博物館」に向かう。ここは無料でした。

イメージ 11


 成り立ち、生息する動物の剥製、昔の人々の暮らしなどが展示されている。

 この寒い地で、冬でも彼らは裸で過ごし、毛皮をまとっていただけのようだ。

 
イメージ 14


 網走監獄博物館の様な、「元監獄と船舶博物館」。

 
イメージ 15


 
イメージ 16


イメージ 17

 ここに置かれている、古い列車は当時フエゴ鉄道を走っていたものだという。鉄の車輪で、牛が引いていたようだ。

イメージ 18


 寒いとはいえ夏なので、花もたくさん咲いている。

イメージ 19


イメージ 20


 不思議な形をした山々。

イメージ 21


 海軍の船でしょうか?変わった形をしている。

イメージ 22


 4時15分に再びバスに乗る。歩いても5分ほどなんだが、乗船口にはそろってバスで向かうらしい。
いよいよクルーズの始まりです。
 
 


 自分がまさか南極へ行ける日が来るなんて思ってもみなかった。

憧れではあるが、たぶん行けないだろうなあと思っていたのだが、旅先で知り合った人と話しているうちに、その気になり、値段も高額だったが勢いで申し込んでしまったのが、2017年の4月のことだった。

 それから、9月に代金の残りを払うまでの半年ほど、だんだん心配になって来た。

 かのドレーク海峡は、揺れるのでは、寒がりの私にとっては無謀ではないだろうか、船旅はしたことないしなあ等々。

 普段の旅では、全然何も考えないのに、時間がありすぎるので余分なこと考えてしまう。

 
 読売旅行の記念の航海だったらしく、値段が例年より低く設定されていたらしく、しかもブエノスアイレスからチャーター機でウシュアイアまでいけるらしい。

 説明会に一度も出られなかったので、細かい情報は知らないまま、パンフレットを読んだだけで、当日になった。

 成田から、はアメリカン・デルタ・ユナイテッド・エミレーツの4班に分かれて、ブエノスアイレスに向かい、ブエノのホテルで合流することになっていた。

 総勢何と150名以上、これだけいると船も飛行機も貸し切れるらしい・・・・。


 私は、ユナイテッドだったんで、ヒューストンまでの飛行時間は12時間ほどかかった。しかも空港で8時間以上の待ち時間があった。

 機内で知り合った女性とラウンジに向かいそこで、沢山おしゃべりして時間をつぶした。
ヒューストンは、10年以上前に立ち寄って以来だ。

 
イメージ 1


 現地時間の22時過ぎにようやくブエノスアイレスに向かって離陸した。飛行時間は11時間くらいかなあ・・。

 ブエノスアイレスは、夏なので空港を出た途端熱気が入ってくる。慌ててきていたものを2枚ほど脱ぎ捨てた。


 まずは、市内のレストランに向かって、昼食をいただきます。エミレーツ利用以外の人々が続々と集まって来て、日本人の貸し切り状態になってしまった。

 
イメージ 2


 メニューはもちろんステーキでした。

 レストランのある地域は、以前は倉庫街だった所だが、開発が進みおしゃれな地域に変貌したところだ。


 
イメージ 3


 ブエノスアイレスは、これで3回目の訪問、アルゼンチンは、4回目だが多分これが最後になるだろうな。

 この後は市内の簡単な観光をすませてホテルに向かう。


 国技ともいえるサッカー場のすぐそばのマンションの壁には、タンゴとサッカー選手の絵が描かれている。

 
イメージ 4


 タンゴ発祥の地と言われるカミニート地区にやって来ました。以前来た時は、シーズンオフだったのか、こんなに混んでいなかった気がする。
 

 
イメージ 5


 壁のカラフルなペイントがここの特徴である。

 
イメージ 6


 カミニートのあるボカ地区は、古い港が有り、ヨーロッパからの移民たちはここに上陸した。又、船乗りや男性労働者が多く集まっており、そんな男たちを目当てに酒場やバーが多く集まり、彼らを誘惑するためにタンゴが生まれたとも・・・・。
 
 
イメージ 7


 
イメージ 8


 カミニートとは、小路と言った意味です。その名の通り、沢山の小路が有る。

イメージ 9


 洗濯物も、アートなのだという。

イメージ 10


 
イメージ 11


 ボカ地区はとても危険な場所なので、これ以上はいってはいけませんと言われた。

イメージ 12


 再びバスに乗って、5月広場に向かう。
大聖堂や、大統領の住まいであるピンクハウスが有ります。

 
イメージ 13


 ホワイトハウスに対してピンクハウスと呼ばれている。

イメージ 14


 建物の向こうに見えているのが、前回のブエノの旅で紹介したオベリスクだ。

イメージ 15


 ここは初めて訪れたエビータの眠っている墓地だ。

 
イメージ 16


 墓地と言ってもそんじょそこらの墓地とは規模が違う。まるで、ヨーロッパな街を歩いているような錯覚に陥る。お墓好きには、たまらない!

 記念写真もとりたくなってしまう。

イメージ 17


 ステンドグラスを使ったお墓もあります。

イメージ 18


 こちらは、アールヌーボー様式です。

イメージ 19


 ガラス張りになっていて、中がのぞけるものもある。見えなくても対外同じ様になっているらしい。

イメージ 20


 これがエビータのお墓です。いつもお花が絶えません。

イメージ 21


 見事な彫刻です。お金の無い人はここには、来られない。

イメージ 22


 公園の様です。

イメージ 23


 この後ホテルに向かい、夕食をいただき今日が終わった。明日は、ウシュアイアに向かいいよいよ乗船です。


 南極ツアーの集合時間まで、5時間ほどあったので、今回もその空いた時間を利用して、成田山へ行って来ました。

 成田山へは、以前にやはり空き時間を利用して行ったことが有るのだが、今回は10年以上経っての再訪となった。

 まだ1月の内だったので、沢山の人がお参りに訪ねておられた。


 参道も、綺麗になり、ずいぶん雰囲気が違うなあと思ったが、お寺が近づくにつれて鰻屋さんの立ち並ぶ以前と変わらぬ風景が残っていた。


 
イメージ 1


 綺麗になった通りには、コンクリート製の干支が並んでいるのだが、中でも目についたのがこのウサギ。どなたかが大きな耳が冷たくないようにとつけてあげたんだろうか・・・・。


イメージ 2


 懐かしい感じの参道。

イメージ 3


 沢山の人々が集まってきていました。

 山門をくぐると、縁起物の飾りを売るお店が出ていた。

 
イメージ 4


 本堂。本尊は、不動明王だ。楽しい旅になるようにお祈りをした。


イメージ 5


 脇にあるのが三重塔。1712年創建の重要文化財の建物だ。

イメージ 6


 前回は奥の院まで行けなかったので、今回は足を延ばしてみました。

 やはり、重要文化財の額堂。

 
イメージ 7


 
イメージ 8


 近くにあるのが、1701年創建の光明堂で、大日如来・不動明王・愛染明王が安置されている。建物の背後には、奥の院の洞窟が有り、毎年祇園会に開帳されるらしい。

 
イメージ 9


 さらに進んでくと、平和の大塔がある。1階には様々な寺に関係した品物が展示されていて、興味深かった。
さらに階段を進むと、本尊などが安置されている場所にいける。

 
イメージ 10


 本堂に向かって左手にあるのが本来の本堂だった釈迦堂で、建物周りが見事な木彫で囲まれている。それらを鑑賞しながらぐるっと一周する。

 
イメージ 11


 五百羅漢
 
イメージ 12


 
イメージ 13


  釈迦堂の前には、1対のお大きな灯籠が有る。

イメージ 14


 近くには、出世稲荷も有るので、帰りはそちらの道を通って駅に向かう。

 時計を見ると、ちょうどいい時間になったので空港まで戻ります。

今、名古屋に戻ってきました。

心配していたけれど、天気に恵まれて南極を満喫出来ました!


イメージ 1




イメージ 2



蒼い氷は、人を惹き付けます。

ようやく、成田市のマンホールゲット出来ました。


まずは、シンプルなものから。


イメージ 1



成田市の木である梅がデザインされている。



イメージ 2



同じデザインだが、中央のマークが市章になっている。



イメージ 3





そして、市庁舎落成記念のマンホール。
何々記念て、初めてです。


イメージ 4

明日から、南極に行ってきます。寒がりの私、本当は、かなりドキドキなのだ。厚着も、限度あるし、顔や耳も吹きさらし?勢いで申込んだけれど、船旅も初めてだし、チャーターなので、人数も多くて、4便に別れて、ブエノスアイレスに向かい、そこからは、チャーター機でウシュアイアにいき、ようやく乗船となります。

ドレーク海峡は、かなり揺れるだろうし。
どうなることやら.......!


 八丈では、残念ながら特徴のある蓋は、見つけられませんでした。

 これは、制水弁ですが町章が入っています。

 字をそのまま鳥の形にすることで、躍進八丈を表しているそうです。


イメージ 1


 モーリタニアでは、1匹も見かけることが無くてがっかり。

 セネガルのサンルイやダカールでも見かけず、ようやく最初の猫に出会ったのは、ガンビアに入ったフェリー乗り場でした。

 フェリー乗り場で

イメージ 1


 バンジュールのホテル、早朝に・・・。
触らせてくれません。

イメージ 2


 再びセネガルに戻り、ゴレ島へ渡ったらたくさんの猫が・・・。さすが島です。この調子で行くと猫島になってしまうかも。

 ゴレ島のニャンコは、逃げません。いじめられていないからでしょう。つかず離れずといったかんじかな。

 船が着くとどこからともなく

イメージ 3


 皆尻尾が立派だ。

イメージ 4


 彼らのお目当てはこれ、カフェのお兄さんのゴミ出しです。

イメージ 5

 落ちないでよー

イメージ 6


 私にも、のぞかせてよ。
 
イメージ 7


 こちらは孤高の人です。いや孤高の猫です。

イメージ 8


 2匹で

イメージ 9


 白のお出まし。

イメージ 10


 キジトラが多いようだ。カメラ目線がすごい。

イメージ 11


 こちらは睨んでいます。尻尾が、棒のようだ。

イメージ 12


 このこも、カメラ目線ばっちりです。

イメージ 13


 全然人を嫌がりません。膝に乗ったりする。まだまだ甘えん坊だ。

イメージ 14


 この場所は、寝るのにピッタリなのかな?

イメージ 15


 起こしてしまった。

イメージ 16


 こちらは日差しを避けているのでしょうか。お腹に赤ちゃんがいるようだ。

イメージ 17


 午後からは、カーボヴェルデに向かいました。
プライアで

 
イメージ 18

 
 翌朝、ホテルにはたくさんの猫がいました。

イメージ 19



イメージ 20



イメージ 21


 お客さんにご飯を貰うことも多いのか、ドアの前で待っているこもいたとか、私の部屋の前には来てくれなかった。

 タラファルのレストランで。沢山お魚をもらえました。

イメージ 22


 ビーチの近くで、毛がセンター分けになっている。

イメージ 23


 再びダカールに戻って来て。変わった彫刻のあるレストランの猫。

イメージ 24


 以上です。

 たくさんの猫に会えて幸せでした!

このページのトップヘ