好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2018年02月


 プロ野球のキャンプを見るついでに

 浦添市。うらそえと濁らないのです。知りませんでした。

 中央に市章。周りに3か所象徴でもある太陽マークがある。
 
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 宜野座村。
とても凝ったものです。

 県の無形文化財に指定されているチョンダラーという芸能と村のマーク、旗、琉球松がデザインされている。
 
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  これどこだか分んないんですよね・・。似たものはたくさんあるのですが市章がちがうんです。


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 北谷市

 町の花、フィリソシンカとヤシ。上の方に町章でしょうか。私には、花の名前は初めて聞きました。

 
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 同じく汚水だが、デザインが違う。波が大きく花の数も多い。
 
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 こちらは、町章をデザイン化したマスコットキャラが登場している。カラーになり、きれいです。

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以前紹介したエッグフルーツ。中々柔らかくならず、家まで持ち帰り、待つこと20日余り、食べてみました。

果物というよりは、南瓜かなあ。

個人的には、好きな味ですが、もう一度買うかと言われれば、もういいかな。


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 絶滅危惧種と聞けば、やはり会ってみたい。
自然界でしか会えないものもあれば、保護されていてそこに行けば会えるものもいる。

 トキやツシマヤマネコ、丹頂などだ。

 ヤンバルクイナも、保護されている個体がいると知って、この目で見たくなった。

 で沖縄滞在中に行って来ました。

 生息地は、沖縄県の北部で、存在は地元の人にはなじみが有ったが、正式に発見されたのは1981年の事だ。

 飛べない鳥で、大きさは、鶏よりはかなり小さいが、全長35センチくらいだ。

 近年は交通事故で、数を減らしているらしく、あちこちに交通事故注意と看板や負傷しているのを見かけたら電話してほしいという看板が設置してある。

 公開されているのは、たったの1羽。これは佐渡のトキセンターなどとは大きく違う。

 名前は、キョンキョンでメス。とても他人とは思えない名前である。

 
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 ガラスケースの中は、落ち葉が敷き詰められていて快適そうだ。寝床は、八丈で見てきたヘゴの木。
落ちたことが有るそうで、滑り止めが巻いてありました。

 係りの女性によると、過保護なので・・・・。

 でも野生の動物にしては、人間に対してストレスが溜まらないタイプなのだという。これは珍しいそうだ。公開できているのもそういう性格に寄るのだそうだ。

 
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 沖縄北部地方は、全く植生が南の方とは違うし、東シナ海側は風も強い。気温は低く、森はうっそうとしていた。
 サクラは北から咲き始め、もう散ってしまっている木も有った。

 本島最北端の辺戸岬。

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 カルスト台地です。

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 東側の断崖。

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 途中までは、自動車道が有るので思ったより近かった。


 今日は猫の日らしい。

 で、

 私ものっかってみました・・・・。


 沖縄の猫は、ひとなつこい。そして、地域で面倒を見ていて耳が桜の花びらにカットされている猫も多くみられる。
いじめられていないせいか、まず逃げない。


 牧志市場の近くのお店で・・・。
沖縄では有名な猫で、マスコミにも何度も登場しているという。

 そのみいちゃん店長。

 
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 副店長さん。保護猫です。

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 北部の国頭村のカフェで出会ったニャンコ。
 
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 そして、これは帰りの飛行機の翼です。イリオモテヤマネコでしょう。
本物に会える確率は、限りなくゼロなので・・・。

 
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 スタッフの見送りを受けて下船します。

 彼らは、我々と入れ替わりのお客を乗せてまた航海に出るようだ。

 講座の先生や、日本から同行してくれたカメラマン・板前さんは私達と一緒に帰国します。
帰りの便も、往路と同様航空会社が別れていますが、さらに2つのコースが増えている。

 イグアスとウユニ塩湖の向かうチームが有るからだ。それぞれ追加料金を払って寄り道をして帰る。

 私は、幸いどちらも訪問済みでしたのでパス・・・。

 大勢が一度に向かうと混乱するので、回る場所の順番を調整しているようで、我々のグループは、最初に世界最南端を走る列車に乗るという。

 別名「世界の果て号」といい、1909年の開業し、ウシュアイアにあった刑務所の人員移動や木材運搬を行った。
 この過酷な地で、囚人たちは、材木を切りだす任務を担った。軌道は、600mmで25kmの営業距離、最盛期には町まで伸びていたというが、現在は約7kmの営業となっている。
 しかし、1949年のフエゴ島の噴火により被害を受け、1952年一旦廃業された。

 その後、1994年「世界最南端の列車」として営業を再開、軌道500mm、非電化路線として最後の約7km区間を、蒸気もしくはディーゼルで動いている。

 列車大好き人間なので、かねてから乗ってみたいと思ってたのでテンション上がります。

 中心地を抜けると住宅地に変わる。

 
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 その名も「世界の果て駅」ですって。

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 中に入ります。

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 我々の列車は、チャーターなのでほかの乗客はいません。
出発前の短い時間を楽しむ。

 機関車は、3種類ほどあるようだ。

 これは、L・D・ポルタ号。1994年製造とある。

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 こちらが我々ののるH・R・スビエタ号だ。2006年の10月運行の一番新しい列車だという。

 
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 駅に展示してあるこれや、ウシュアイアの博物館にあったものは、もっと古い。

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 この建物は、指令室かしら?

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マーク。

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 客席はかなり小さく狭い。4人掛けになっているがそれは、小さな我々でもちと苦しいくらいだ。

 こんな感じで、ゆっくり走っていく。アナウンスは、日本語。

 
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 途中で一か所止まる。「マカレナの滝」駅だ。この辺りには先住民が住んでいたようです。
車掌がホイッスルを吹くまでは、降りていても大丈夫。

 
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ここでは囚人服を着たスタッフが出迎えてくれた。

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 滝を見に行きましたが、滝という程のものではなくてがっかり。
上から見下ろすと

 
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ここからさきは、世界的にも貴重な森に入っていくのだ。
国立公園との境界を越えて、進んでゆく。
 手前はピポ川。
 
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 公墓樹木という説明。囚人たちが切り倒した大木の切り株が延々と続く。見ていると空恐ろしくさえなってくる。ほとんど燃料として燃やされたのだ。

 
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 ここは、有機生物とミネラルが密集してできた泥炭地帯でもある。それはフエゴ特有のものでもあるらしい。

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 しばらくすると、今度は森の中に入って行き土も赤くなった。
あ!馬だ。

 
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 終点の国立公園駅で、先に行って待っていてくれたバスに乗り換え公園内を少し見て回ります。

 我々も通ったビーグル水道をみる。
看板

 
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 これは世界最南端にあるポスト。投函もできますが、すごい人でかなり時間を費やし、回るはずだった所がカットされた。興味のないものには、ちょっと残念でした。

 
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 バスの中で見た、チケットに描かれている鳥。名前も聞いたのだが…うーん思い出せません。

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 これは国道3号線の終点を表したもの。
アラスカからの距離が描いてある。ビーグル水道のもっとも北にあるラパタイア湾から近いところにありました。

 
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 アンデスの山々に囲まれたラパタイア湾。遠くには、チリの山々も見えていたりする。

 ビーグル水道の真ん中に国境があるようです。そもそも地図を見るとフエゴ島自体が、チリとアルゼンチンに別れているのだ。しかもその境界線は、直線になっている。湾は、長い間両国間の領土問題になっていたが、1984年にアルゼンチン領ということで決着がついた。

 
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 これで本当にすべての観光がおわり、ウシュアイアの空港へと向かう。

 ここはスムーズにいったのだが、ブエノスアイレスでものすごく時間がかかった。ユナイテッドのチェックインに長蛇の列。南米から、アメリカに入る時には必ず幾つかの質問にこたえなければならない。

 その後にようやくチェックインができる。

 チェックインが終わってからも、まだまだ油断はできない。

 出国にものすごく手間がかかるのだ。どうしてこれほど時間がかかるのかわからないのだが、ともかくずらっと並ぶ。

 それでも、私は早い方だったのだが、ツアーの中には、待たされているうちに気分が悪くなってしまった人もいたらしい。多分船のダメージが残っていたのかも・・・。

 ヒューストンまで10時間ちょっと、ヒューストンから成田まで14時間ちょっと。やはり遠いわあ!
でもこれで、アルゼンチンはもう訪ねることも無いと思う。

 
    南極は、本当にきれいでした。

 
 
 




 手すりにつかまっていないと、うまく歩けないほど揺れていたのが、揺れなくなった。
どうやらドレークを抜けたらしい。

 図書館に行って本を読もうとしても、下を向いていると酔うのではと何だか心配になって来て、写真の入ったものばかりを見ていたのだ。

 明日には下船なのだと思うと、なんだか寂しい。

 朝食の後、全員集合で下船説明が有った。下船は。乗船の時と同じくバス単位で行われるということや、船内チップのことや、スーツケースの出し方、などの細かな話があった。

 支払いがすまないと、パスポートは返してもらえない仕組みになっている。

 その後は、講座、お昼を挟んで2つの講座と続き、旅のスライドを見せてもらい楽しかった日々をもう一度反芻します。

 これは講座の時に触らせてもらった鯨のひげだ。

 
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 行程をスライドで確認しました。

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 航海距離は、3256kmになる見込み、総燃料は、ディーゼルで92トン、アデリーペンギン誰が数えたのか240006羽、ゼンツーペンギン126002羽、ひげペンギンは、4188羽、ザトウクジラ10頭、ミンククジラ3頭、シャチ9頭、ゾウアザラシ2頭、豹アザラシ7頭、カニクイアザラシ37頭、ウェッデルアザラシ11頭、他にもオットセイや沢山の鳥たち、などと説明を受けた。

 夕方近くに陸地が見えて来た。

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 ここまで来れば安心なのか船長主催のさよならカクテルパーティが開催された。
安全な航海ありがとうございました。

 深夜近くにウシュアイアの港の沖合に停泊したようでした。

 
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 目覚めたら、もう入港して桟橋に横付けされていました。

 朝のウシュアイア

 
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 この後は、朝食をいただき、スーツケースを運んでもらい、フエゴ島の観光に向かいます。


 南極から帰国して、3日後。相方の希望で沖縄に行くことになっていた。

 普段は、私1人で動いているので、たまには恩返しと、エアのチケットやウィクリーマンションの手配などは、出国する前に済ませてあった。

 昨年は、12月だったので暖かかったのだが、今年は例年になく寒くて沖縄といえども、連日20度には届かない日が続いた。

 今は、どこでもWi-Fiが使えるので、メールも確定申告の作成もどこでもできる。今回もパソコンを持ち込んでいた。

 観光目的ではなかったのだが、ちょうどプロ野球のキャンプシーズンになっていたので、連日回っていました。

で、

 那覇市は、ジャイアンツの3軍。後ほど1軍と合流するらしい。施設は一番立派です。

 
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 ヤクルトは、浦添市。上空を戦闘機が飛んでゆく。この日はオスプレイも見られた。

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 松坂も見たいねと・・・・。中日ドラゴンズの北谷町へ行きます。近くにアメリカンヴィレッジが有る。軍病院前というのが最寄りのバス停です。

 
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 松坂さん

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 次の日は、ベイスターズ。宜野湾市です。

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 キャンプは、人もお金も呼ぶのだとわかる。どの自治体も懸命です。

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 日ハムは、遠かった。国頭村です1軍は、海外なので観客はほとんどなし。
おまけに北部なので寒い。

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 さすが熱狂的ファンの多い阪神は、宜野座です。

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 それぞれの事情もあり、基地事情も分かり、なかなかのものです。
途中で、辺野古の埋め立て地も見てきました。もちろん遠望ですが、工事の様子や、テレビでよく見る工事しゃりょうの出入り口とか、警備の様子がよくわかった。
 北部の太平洋側の道路は、そういうところが多かった。

 那覇だけにいると、それほど感じないのだが、北の方に行くと基地の存在をすごく感じる。

 

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