好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2018年03月


 朝食を食べていたら、ホテルのオーナーか従業員の子供かわからないが、やって来てずっとこちらを見ている。
少し前の日本の子供のようだ。

 
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 ホテル前の通り。

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 今日は、午前中サガダという村へ行き、ハンギング・コフィンや織物を見て、ボントックに戻ってくる。博物館を見学し、お昼をいただくと長い移動が始まる。

 途中で、世界遺産のバナウェイの棚田をカメラに納め、ホテルのあるソラノの町には夕方到着の予定である。

 ハンギング・コフィンてなあに?と思っていたのだが、山岳民族イグロットの人々独特の埋葬方法だという。

 まずは遠くから、崖につるされたお棺を見る。
どうやってつるのかしら?クレーンなどないし・・・・。

 写真の真ん中あたりにお棺が見える。

 今ではクリスチャンがほとんどとというむらだが、以前は自然崇拝が行われて来た。
このような所につるさげるのは、天国に近いということ、土葬による腐敗を嫌ったこと、首狩り族による頭部の持ち去りを避けたことなどによる。
 
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 このような埋葬をされるのは自然死による大人だけだ。それにしてはお棺が小さいのは、ご遺体を丸めるからだ。

 
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 無くなると、ご遺体を座らせ、蔓などで体を胎児の形にして固定する。そして、布に包みしばらく放置する。腐敗集を防ぐためいぶしたりもする。
 そしてお棺に納め吊るしたり洞窟に安置したりするのだ。

 道路際の奥まったところにも、置かれていた。手前の見覚えのある木は、八丈で見たヘゴの木である。

 
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 バスから降りて、沢山のお棺が安置されているルシアン洞窟に向かう。

 半洞窟の様な場所の壁にそって沢山のお棺が有りました。

 
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 イグロット族の伝統的な織物を作る工房。糸などはよそから持ってきて、織るのだけをここで行うそうだ。

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 とちゅう、棚田のきれいな場所で写真ストップ。バスから降りると足元に男性が寝転んでいてびっくり。でも、起きないのにはもっと驚いた。

 
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 ルソン島の中央部は山ばかりで平地がない。耕作地はこのように棚になっている所がほとんどだ。平地のように、1年に3回も米が獲れるということはなく、1度だけの収穫だ。今がちょうど田植えの時期になろうとしていました。

 
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 ボントックに戻り、博物館へと向かう。館内は撮影禁止である。
首狩り族が首を切り落とす道具なども展示されていた。首狩りが行われなくなったのはそれほど昔のことではないようでびっくり。

 博物館。
 
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 山岳部族の方達。今はこういう感じではない。
カリンガ・イフガオ族など・・・。

 
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 アクセサリー。土産物屋さんでレプリカが売られていました。

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 近くには小学校や、幼稚園も有ります。

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 給食は無いので、お昼には家に帰る。生徒が多すぎて、2部に別れて勉強するところもあるという。
子供の居ない日本にはうらやましい話である。
 セブ島のガイドさんが、日本に来て一番驚いたのは子供がいないことだったという。「将来どうするのよ」と言われてしまった。

 
 お昼をいただき、ソラノへと向かう。

 途中トイレ休憩を挟む。

 鳥の足を焼いたものが売られていた。臭いは香ばしいが・・・。

 
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 3時頃、世界遺産のゴルディリェーラの棚田が見下ろせるスポットにとまった。
ここの景観は、天国への階段とも呼ばれ棚田の規模としては世界最大で、あちこちに点在している。

 バナウェイの田を覆う石垣や畦などつなぎ合わせると、地球を半周する2万キロにも及ぶそうだ。

  しかし、村民の村離れ等で荒れてしまい、一時は危機遺産リストに登録されたことも有るそうだ。

 
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 機械が入らないので、手で植えます。


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 この建物は、伝統的なつくり方でたてられている。今はほとんど見られなくなってしまった。

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 明日、もう一度棚田を見学するために戻って来ます。

 ホテルのあるソラノの町は、この地方の中心的な町で、車のとおりもはげしい。昨日の鶏に続いて今夜は、車と犬の鳴き声に悩まされそうだ。フィリピンの田舎は本当に犬が多い。放し飼いにされているので、やたらと目につくし、吠えるのだ。

 でも今夜は、ぬるいながらもお湯が出てほっと一息つけた。

 ここは連泊なので・・・。


 歩いていて、こんなん見つけました。

 ここの桜は、このお爺さんたちが咲かせたのかも・・・・。



 
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  散り始めどころか落花盛んとなった桜。

 もう少しゆっくりしてほしいなと思いつつ、今日は少し遠出をして、片道1時間ほどの豊川市まで行って来ました。

 豊川市って、お稲荷さんしか行ったことが無かったのだが、桜も素晴らしかった。


 まずは、自衛隊や市役所近くの桜のトンネルから・・・・。

 見たとき思わず「わああ!」と声が出てしまいました。



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 ここを抜けてもまだまだ桜並木は途絶えません。
自衛隊の駐屯地前の道を佐奈川へと進む。

 菜の花の黄色と桜のピンク。大勢の人がお弁当を広げていた。

 
 
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 開運橋から、下流にも上流にも桜はあるのだが、私達は、上流を目指しました。

 
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 枝が重たそうだ。昨年と比べると、花の密集度が低い気もするが、それでも木によってはこんなに見事な花をつけている。

 
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 枝が垂れ下がってきていて、片岸だけでもトンネルのようになっている。


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 春休みになったので、学生の姿もたくさん見られた。インスタ映えを狙っているのかな・・・。

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 この桜は、少し離れた場所に1本だけ植えられていた。大木の様相を持っていて、風格がある。

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 道路側は、枝を払うのか枝が伸びていない。

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 菜の花も主役だ。

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 この通りは、椿の花が生垣に仕立てられていて見事です。
例年なら、椿が終わってから桜なのだろうが・・・。

 
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 この日の気温は、25度を超えたとか。暑いはずです。


 フィリピンの旅をちょっと休みまして、花見の話を・・・・。

 時期もので、しかも今年は足が速い。あっという間に行ってしまいそうなので、捕まえそこ無いように頑張っています。

 とはいっても、毎年どこかに有名な桜をみるために遠出をしているのですが
今年は、行けそうもない。

 なので、地元の電車を使って、近場をぐるっと回ってみました。

 まずは、我が家の標準木、御用水の桜。いつ見てもきれいです。満開にはなっいなかったが、今日あたりは満開ではないだろうか・・・。


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 続いて、一宮の町を流れる大江川の緑道。
駅から歩いて15分ほどです。

 知名度があまりないのか、見物人は、あまりいない。ここ、期間を区切ってバーベキューーができるのだ。街の真ん中で、バーベキュー出来るなんて今時珍しい。

 トイレも完備されているし、穴場かなあ。


 
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 再び電車に乗って、笠松競馬場の最寄り駅である笠松で下車。電車の中からもきれいに見えていた奈良津堤に向かう。徒歩3分ほどかな・・・。

 ただし車の通りが激しく、少々怖い。

 屋台が、1軒出ていましたが、見物人は2組だけ・・・。

 
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 笠松まで戻り、電車で岐阜まで向かう。岐阜で乗り換え、各務原市民公園前で降りる。
駅から1分も歩かないうちに、美しいサクラが目に飛び込んできた。

 ここは有名なのか、沢山の人で賑わっていた。
新境川とういうのは、放水路らしい。洪水調整の為の川の両岸に沢山のソメイヨシノが植えられている。場所によっては、遊歩道も有るので川のすぐそばまで降りることができる。

 また、JRと名鉄の両方の列車が、桜をバックに何本も通過するので、列車好きにはたまらないかも・・・。
私は、タイミングが合わず残念!

 近くの公園の桜やモクレンもきれいで、お弁当を広げる人の姿も多い。


 
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 時計を見れば、3時を回っている。布団を干しっぱなしにしてきたことを思い出した。
雨の心配はないが、日の当たっているうちに帰りたい。

 家までは、1時間ちょっと、買い物をして、5時前には到着できた。

 お布団軽くなっていましたあ!

 近いとちょっとの時間でも行けるのがいいですよね。


 バギオから、山道に入り21kmほど走ったところに、ひっそりと日本人慰霊碑が建てられていた。

 昭和47年に建てられたもので、日本軍が歩いていった道のわきにひっそりとある。

 地元の人の反感を買わないようにと十字架の形にしたのだという。


 
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 56km地点には、ハイエストポイントと書かれ田標識が有り、7400フィートとあった。約2255mである。
展望台も有り、そこからの眺めだ。

 
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 小さなお店が有り、そこの子供。

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 さすがに寒く、身が縮む。

ビニールがかぶせてあるのは、霜よけだろうか?それにしてもこんな場所で、畑を開くのは相当の時間と労力がかかっただろうなあと感心する。

 最近は、フィリピンは主食のお米が足らず、タイから輸入しているそうだ。過酷な農業を嫌って、若者が戻らなくなってきていて、田んぼや畑が荒れてきているという。

 
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 へばりつくように、小さな集落が見える。

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 休憩が終わり走り出したものの、やはり棚田のきれいな場所で再びストップとなった。

山、丸ごと開墾してあるので平らな所がどこにもない・・・・。


 
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  綺麗な緑は何が植わっているのだろうか?トラックで運ばれている白菜、キャベツ、玉ねぎ、ジャガイモ、等はよく見かけたのだが・・・。

 
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 この後は、ずーっと降りてゆきます。突然湧いて来た雲か霧がものすごく近く感じる。

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 結局ボントックに着いたのは、暗くなり始める前の夕方6時ちょっと過ぎだった。

 ここのホテルは、今回の中では一番設備が悪く、ベッドの上にはペラペラのシーツが有るだけ毛布もない。、隙間だらけの窓で、蚊の飛ぶ音がしている。部屋の裏で、にわとりがかわれているらしく、夜中じゅうコケコッコーとうるさい事!

 慌てて蚊取り線香を焚き、水シャワーでも昨日も頭を洗っていなかったので、震えながら浴びる。
明日が今日よりいいとは保証がないもの・・・。

 寝る時には、首元にマフラーを巻いて、カーディガンを着て何とかしのぐ。ここは、少し下がって標高900mくらいらしい。隙間がなければ多分もう少し暖かいのだろうが・・・。

 寒いなあと思いつつもちゃんと眠りにつき、朝方一段とうるさくなった鶏の声で目が覚めた。

 食事は悪くなく、夕食も朝食もおいしくいただきました。
  


 バギオは、年間を通じて涼しく、最高気温も26度くらいなので、暮らしやすいし、カラッとした気候で観光地としても人気がある。

 次々と家が建てられ、松の木が伐採され、昔とはかなり感じが変わってしまったという。

 平地が少ないので斜面にびっしり家が並んでいて、南米のラパスなどを思い浮かべる。

 体を悪くしたら、どうやって買い物などに行くのかしらと思ってしまう。

 
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 市民の足は、ジプニーと呼ばれるバスみたいな乗り物だ。これは、アメリカ時代に使われていたジープとトラックの荷台を改良したような乗り物で、エンジンは日本のいすゞが人気があるそうだ。

 坂道が多いので、パワーがいる。後ろから乗って、後ろから降りる。

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 またこの辺りは良質の野菜が取れることでも有名なのだという。
ホテルの前には、いちご売りが来ていて、ガイドさんがごちそうしてくれましたが、酸っぱかった。

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 バギオ市の人口は、約26万人くらいだg、今日は日曜日なので周辺の人々もかなり集まってきている感じだ。
まずは、市民ならず国民の精神的な支えであるバギオ大聖堂を目指す。

 
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 マイクを使ってミサを行うのですが、入り切れない人々が外にいて、1度では終わらず繰り返し行われる。

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 言葉も英語と、フィリピノ語で行われている。

 この花はお供えするもので、国の花となっているサンパギーダで、ジャスミンに似たいい香りがする。

 
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 途中、日本人慰霊碑がありました。こういう慰霊碑は、色々な場所にあり、この地でいかに多くの戦争犠牲者が出たかを物語っている。敵国のものでありながら、設置を阻まないフィリピンの方々のやさしさにも感謝である。

 
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 大統領が夏の暑さから逃れ執務を行うための場所として、1908年に建てられた「ザ・マンション」。一般人は遠くから建物を眺めるだけですが・・・。

 
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 続いて、人気の観光地マインズ・ビューパークにやって来ました。子供連れで賑わっている。

 通りには、お土産屋さんや食べ物屋さんが軒を連ねている。

 カラフルなほうきもお土産です。

 
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 修道院が作るむらさきイモのジャム「ウベジャム」は人気の一品だ。
紙に欲しいものの番号を書いて、ここで差しだし買います。

 
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 ビューポイント。ここから見える山のあるあたりでは、昔金・銀・銅の鉱山が有ったそうです。

 

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 スルメに焼きモロコシとまるで北海道のようだ。

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 これはトーフ。おやつに食べるようです。

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 これらは観光客です。色々な衣装を貸し出している。


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 ちょっと早めのお昼をいただいた後は、山道を140kmほど移動だ。約6時間ほどの時間がかかるという。


 ビガンは、歴史都市として、1999年世界文化遺産に登録された。

 マニラから、400㎞北にあり、16世紀からスペインによる統治下で貿易・商業の拠点として栄えた。

 このような都市は、マニラなどの他の都市にも存在したが、太平洋戦争で無くなってしまい、ここビガンだけが奇跡的に残った。

 スペイン時代に築かれた街並は、中国・メキシコ・スペインの影響を受けたユニークなものだ。

 まずは、カレッサという馬車に乗って、町をざっと巡る。


 
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 目線が少しだけ高くなりました。

 フィリピンでは、バスケットが子供達に人気があるという。アメリカ時代の置き土産だろうか?

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 これは、町で一番古い鐘楼だそうです。

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  古い建物が並ぶ通りに入って来ました。


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 お昼のレストランは、この一角にあるのでそこで下車。お昼をいただき、そのあと自由時間になりそれぞれ街歩きを楽しんだ。

 
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 一休み。

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 色々な建物が並んでいる。あちこちで修復が行われていた。

 
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 ニンニクはこの地方の特産。他には、ヤシなどのワインやたばこ、魚醤なども多く生産されている。

 日本のものよりかなり小粒です。

 
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 庇の下の模様が素敵。

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 馬車に乗った近くの公園。学生たちがのんびりと話をしていました。フィリピンは、若年層の割合がとても多い。人口は、1億100万人くらいだが、15歳以下が30%以上あり、きれいなピラミッド型になっているという。

 
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 セブンイレブンも、街並を意識して派手な色遣いを避けているようだ。滞在中、セブン以外のコンビニは見かけませんでした。


 
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 ビガン大聖堂。

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 ビガンから少し行ったところのサンタ・マリアには、午前中に訪れたパオアイ教会とおなじく、バロック様式の教会群として世界遺産に登録されているアスンシオン教会が有るので立ち寄りました。

 やはり側面に耐震用の控え壁が有る。

 
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壁にはマリア様の絵がかいてありました。

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 聖堂内に入ります。うんシンプルだ。

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  教会の横からまっすぐ延びている道
行ってみたいが、時間がない。

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 ここからが長かった。ホテルのあるバギオの町までは、約4時間かかりました。バギオは、標高も高くかなり冷える。おまけに水シャワーしか出ず、風邪をひくと思い今日は無し。

 ベッドに掛かってるのは、ぺらっとした掛物で、冷え込みが激しいこの地では、寒いだろう。パジャマも2枚持ってくるのは面倒だったので、薄いし、ヒートテックの下着を着て、カイロを貼って寝ました。

 







 フィリピンは暑いというイメージがあるが、北の方に行くとそれほどでもなく意外な感じを受ける。
エアコンもいれることなく朝を迎えた。

 昨日は真っ暗で何もわからなかったが、窓を開けるとかなり緑の多い広いホテルでした。
いたるところに中国語表記が有るので、多分中国資本に買収されたのだろう。

 元々は、イメルダ婦人が気に入って使っていたという。


 
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 海まですぐなので、朝食前に行ってみたのだが、整備されていないので汚く荒れていて残念。乗馬やゴルフ場もあるようだ。

 ブーゲンビリアが綺麗。

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 今日は、午前中は観光で午後からは、バギオまでの移動となる。大型では山道が走りにくいというので、マイクロバスなので、少々揺れる。

 8時にホテルを出発、20分ほどでスペイン時代に創建されその後修理をされたという、北イロコス州最古の教会の1つと言われている聖ウイリアム大聖堂に到着した。

 フィリピンが、スペインに支配されていた事も不勉強で知りませんでした。
少し歴史を繰ってみると、14,5世紀は、イスラム教が伝わり、フィリピンにおいて初のイスラム王国であるスールー王国が支配していた。

 1521年、ポルトガルのマゼランがセブ島に上陸した。そして、セブの領主をキリスト教に改宗させ、フィリピン最初のキリスト教徒になった。

 そして、周囲の島々の人々にも改宗を迫るも、マクタン島の領主ラプラプに殺されてしまう。

 マゼランによって、フィリピンの存在を知ったスペインは、次々と遠征隊を送るのだが、失敗。第6次遠征隊のミゲルが1565年ようやく、フィリピン制服とキリスト教による統一を果たし、その後約333年間植民地となる。

 19世紀後半になると、リサール達のプロパガンダ運動が起こり、独立の機運が高まっていく。
そのころ、アジアに拠点を求めていたアメリカは、フィリピンへと向かいマニラ艦隊を全滅させ、カリブのプエルトリコを手に入れた。これが米西戦争だ。

 その後、1898年、アメリカの後ろ盾のもと、アギナルド将軍はどくりつを宣言し、同年12月パリの講和条約によりアメリカの統治が始まった。

 米比戦争が1899年に起こったが、アメリカの統治は、48年間続いた。フィリピン人が英語をしゃべれるのは、この時代を経験したからだという。

 1935年、独立準備政府が発足。

 1941年、太平洋戦争が始まると、今度は日本軍がやって来た。1942年、軍政が開始される。

 3年間による日本の侵略が終わり、1947年ようやく独立を果たした。


 綺麗に修復された聖ウイリアム大聖堂。フィリピンでは、カトリックが国民の8割以上を占めます。


 
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 教会の前の馬車は、結婚式ではなくてお葬式用のものです。


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 9時、北のマラカニアン宮殿と呼ばれている1970年から80年まで別荘として使われていたという屋敷に移動する。

 フィリピンを旅していると、いろいろな場所で、イメルダ婦人お気に入りの場所とか、マルコス大統領の別荘だったと耳にします。

 1階が、石造りで2階が木造というのは、フィリピンの代表的な立て方だという。

 
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 建物の背後には、パオアイ湖が広がっています。

 1階部分から見て行きます。ダイニング、子供部屋、書斎などが有る。

 
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 何とゲバラとカストロの写真が有った。スペインに征服されていたという点では、両国は同じだ。

 
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 2階は、夫妻の寝室などのプライベート部分と涼しげなホールがある。

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 世界遺産の1つ、「フィリピンバロック様式の教会群」で登録されている教会の1つ、パオアイ教会までやって来ました。この時間になると、さすがに日差しがきつい。

 サンゴとレンガでできていて、1694年に着工され1710年に完成した。サン・アウグスティン教会ともよばれる。

 特徴的なのは、建物をぐるりと取り囲んでいる24個のバットレスと呼ばれる控え壁だ。これは、耐震の為だという。

 
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 花のレリーフがいいよね。

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 グルグル模様が彫られている。

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 崩れているが、側面に階段があるのも特徴的だ。


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 中に入ります。屋根部分は、崩れ落ちたのでトタンで修復してある。

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 ふつうはステンドグラスは開かないし、窓もないのが一般的だが、暑い国ではそうもいかない。
十字架になっているわ。

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 白いブーゲンビリアが咲き誇ってました。

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 ここから、2時間程はしり、町全体が世界遺産に登録されているビガンという素敵なまちについた。

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