好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2022年07月

 
 壇ノ浦で入水しなかったと信じられている安徳天皇のお墓も残されています。

  ひっそりとした入り口。学校の近くに有る。
墓所入り口

 天皇と重臣たちのお墓が並んでありました。
安徳帝墓所。

 帝は、村の娘と結婚したのだが、遺言で同じ墓所ではなくて離れた場所に安置されている。
奥さんのお墓。竹島石でできています。
奥さんお墓


 島の中を歩いていると、時々こうした石を見かける。大きなものもあれば、40㎝位のものもある。これは噴火の時に飛んで来た火山弾 の表面が冷えてこうなったものらしい。
火山団


  午後は、牧場の有る西側の比較的平らな部分に行ってみる。
  飛行場は、昭和48年に、ヤマハの関連会社が、ホテルとともに開設したが、昭和58年経営不振からどちらも閉鎖されてしまう。その後、平成6年に、村が飛行場を取得し、日本初の村営飛行場としてスタートした。現在は、鹿児島空港からのチャーター便として予約のみで運行されている。

  こじんまりとした建物。
飛行場の待合室

  滑走路は、600mです。この日は、牧場の方が、草刈りをされていました。
セスナきが予約制で飛ぶ

  硫黄島の孔雀は、このリゾート施設で飼われていたものが、野生化したもので、白孔雀もいて、見ると幸せになれるとか・・・。この日も探してみましたが、発見できず。

  引き返し、もう1つの伝説の主人公である俊寛のかつての住居に神社をたてて、俊寛堂としたものを見に行く。

  最近誰も通っていないのではと思われるほど竹が伸びてきている村道を進む。竹島ほどではないが、硫黄島も結構な竹の生え方である。

  俊寛堂への道。ちょっと素敵です。
俊寛堂へ

  雨が降れば、もう少し苔がふかふかになるという。

  10分ほどで到着。
俊寛堂

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 同じ道をさらに北に進んでいくと、カルデラの端っこにあたる平家城展望台がある。壇ノ浦の戦いに敗れ落ちのびた平家が、折っての源氏を監視するために建てた城の跡だと伝わっている。天気の良い日には、開聞岳が見えるというが・・・・。
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 ここには、中村勘九郎さんが演じた俊寛像が有ります。
海を見る俊寛


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  硫黄岳の北側をみる。
目の前が硫黄岳
硫黄の塊が見える

  海をのぞくと何とも不思議な世界が広がっていました。
穴の浜温泉

  海岸線には、穴の浜温泉が湧きだしており、干潮になれば温泉を探し、入ることももできるそうです。
カルデラの北の縁

 ここは又ウミガメたちが良く集まってくる場所でもあり、上から見ていたも、結構な数のウミガメの姿を見ることができた。
ウミガメが何頭も泳いでいた


  この日は、我々もうまくいけば、海から湧いている温泉に入る予定でした。

  そこが、此処ウータン温泉です。
道なき道を降りてゆく


  藪をかき分けて海岸線まで降りて行ったのですが、波が荒い。いつもなら潮の引く時間になっても、いっこうに噴出している場所が見えて来ない。40分ほど、石ころなどを探しながら待ってみたが断念!
ウータン温泉が湧いているはずなのだが

  もう1つの坂本温泉に行ってみることにした。ここも海中から湧き出ている温泉で、以前は、賑わっていたそうだが、台風で壊れてしまい修理がなされていないので荒れ放題になっていました。
  道中は、流された竹がいっぱい。
竹が流出していた

  以前は、画面の上の壁下あたりで入浴していたというが、現在は、したの海水が入ってきている右上部分辺りがなんとなく暖かいといった感じでした。フナ虫が大量にいて、歩いて行くと一斉に逃げて行くのはかなり気持ちが悪い。
使われていない坂本温泉

 足湯をしただけで、ギブアップ。昨日行った東温泉にもう一度むかったものの、こちらもかなり波の様子が良くない。少し入っただけで、戻ることになりました。

  


 3つの島の真ん中に位置し、観光案内所なども有るので、何となく賑やかな感じがする。 今日から夏休みになり、ラジオ体操に出かける子供らとであったりする。

 住民が住んでいるのは、港近くのごく限られた地域なので、考えないで歩いても元に戻ってこられる。

  硫黄島学園。
硫黄島学園

  立派な校舎と運動場。教育は、村の人達の希望である。
校舎

  学校の裏手には、墓地が有るが、ずいぶん荒れていた。島を出てそれっきりの人も多いのだろうか。
島のお墓、竹島石

  島には、孔雀がたくさんいて、よく遭遇する。早朝から鳴いていて、最初は猫の鳴き声かと思った。
再びの孔雀

  こちらの孔雀は、長い尻尾の羽根がないが、この時期のオスもないものが多いので、頭の飾りで見分けるそうだ。
雄と思われるが長い羽根はない

 
 熊野神社。1177年、京都鹿ケ谷荘にて、俊寛は打倒平家を企てたとされ、島流しにあう。その島が硫黄島という説もあり、ともに流された平判官康頼と丹波少将成経が、硫黄島でも熊野詣でができるようにと建てたといわれています。
熊野神社の鳥居


熊野神社本殿


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  島には、ユネスコの無形文化財に登録されているメンドンという踊りが伝わっているが、その際につける面がしまってあった。
メンドンに使われる面

  あの赤い色の港をもう一度見てみる。温泉の出ている辺りは、暖かいそうです。
港いっそう赤い

  石垣のある家。
港近くの家

  宿に戻り、ガイドさんと一緒に出発。まずは黒木御所跡にむかった。
  歴史では、安徳天皇は、壇ノ浦で入水死されたことになっているが、実は硫黄島に渡って生き延びたという説が有り、その折に天皇が住んでいた場所が黒木御所である。この周囲に、家臣達も住んでいたとされる。
黒木御所跡

  中は冷房が効いていて、助かった。展示されているものは、それほど多くはないが、天皇の子孫の方の写真なども残っていました。

  パネル。島には、飛行場も有るんだね!
硫黄島には飛行場が有ります

  7300年前にカルデラ噴火がおこり、島を縦断する断崖が形成された。右上四角の付箋から左下の突き出た岬の付箋まで走る斜めの線で、そこがカルデラの縁。その後、5300年ほど前から、活火山である硫黄岳が新しく成長を始めた。右手の木の無い山が硫黄岳。硫黄岳の山頂や山腹には、多数の噴気孔が有り、多くの硫黄がみられるようになった。山の左手中央辺りで採掘されていた。
 俊寛の物語にも当時の人々が硫黄を採掘して成形をたてている様子が描かれている。また中国とも貿易が有ったようです。

 素朴な土人形
素朴な土人形

  興味をひかれたメンドンなどの八朔踊り。
  メンドンと黒島のオニメン。メンドンは、旧暦八月一日と二日に行われるが、オニメンは、九月一日に行われる八朔踊りで、手にスリコギとメシゲを持っている。それらに挟まれると厄が落ちると言われている。
メンドンと黒島のオニメン



ユネスコの無形文化財です

 竹島のタカメンとメンドン
メンドンと竹島のタカメン

  こちらも旧暦八月一日と二日に行われ、目と口が恐ろしく描かれている、踊りに加わった見物人を追いかけたりするそうだ。

  硫黄島を10時10分に出るフェリーで、潮風留学生たちが島を離れるというので、その様子を見に行きます。

  先生たちも、総出のお見送り。
夏休みなので、家に帰る留学生たち
しばしの別れ

  車に乗って、港からもよく見えていた恋人岬に向かった。反対側から見た港。背後に稲村岳と硫黄岳が見える。
港が見下ろせる場所

 先端には、展望台が有ります。
恋人岬へ

  下を見ると、
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 鹿児島港から、3島へのフェリーは、週4往復である。という事は、今日の硫黄島への便は、昨日我々が乗って来た便ということになるので、午前中が丸まる空いてしまう。見るべきところは、昨日、見てしまったので、さてどうしよう・・・。

 で、とりあえず、ウミガメを見に港へ行ってみた。

 アゲハチョウが、優雅に舞っていたのでしばし観察。
モンキアゲハかな

 それにしても複雑な地層だなあとジオパークのおさらい。
ややこしい地層

 港の岸壁から、のぞき込むと魚に混じってウミガメが泳いでいた。魚も青いものやら赤いものとカラフルで、南の島だということを実感する。
ウミガメがいる

 まだ時間はたっぷりあるので、島に西側にある東風泊まで歩いて行ってみることになった。港からだと、片道1キロちょっとくらいなのだが、登りが続く。

 途中で、カニの巣穴を発見!ざっと数えてだけでも、50匹以上のカニが出たり入ったりしていた。面白くて、ずっと見ていられる。
カニの巣穴

 島には、それぞれ1基づつの発電所が有り、これは、竹島の発電所です。
3島とも自前の発電所が有る


 東風泊から硫黄島を見たところ。
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 宿に戻って来て、お昼をいただき再び港に向かう。3島とも、1泊3食付きが標準。というのもお店もレストランもないからだ。

 そして、12時45分、硫黄島に向けて出港です。硫黄島までは、近い。乗船時間40分で到着した。
  硫黄岳の山肌がくっきりと見えるようになってきた。
接近

  洞窟も有るようで、そのあたりは海の色が違っている。
洞窟と海の色

 入港すると、ジャンべの音が聞こえてきた。子供達が叩いているようだ。
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  硫黄島には、ジャンべスクールが有り、アジア圏内唯一の本格的なものだそうです。

  15分ほどで、船は次の島黒島に向かって出航していく。それにしてもこの港の色は、不思議な色をしている。
港の色が違う
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  火山活動により湧き出た温泉と硫黄が、海水をこのような色に染めているのだ。硫黄島は、その名の通り、かつて硫黄の採掘で栄えた島だ。
  島の主な産業は、ツバキを使った石鹸やシャンプー・油等、畜産、温泉や平家ゆかりの地などで観光にも力を入れている。


  周囲19㎞あまり、面積11.74㎢、人口は130人ほどである。

硫黄島地図2

 海底火山の1つである硫黄島は、東側に、活火山で今も噴気が出ている硫黄岳をはじめ、島の水がめとなっている稲村岳、そして西北部には矢筈岳が有るのだが、その間を縦断する断崖が、7300年前の噴火で形成されたものだ。

 郵便局は、各島にあるが、駐在所は、ここ硫黄島にしかない。ちなみにパトカーは有りません。
郵便局
駐在所

 宿で少し休み、ガイドの方と秘湯東温泉に向かった。硫黄岳を背景に、白波が打ち寄せる岩場に噴出した温泉は、絶対訪れてみたかったところだ。

 噴火の際の岩もごろごろいています。
竹島でも見た白い岩

 ゴリラ岩、私にはモアイに見えるのだが・・・・。
ゴリラ岩


 岩で作られたちょっとした囲いが有るので、そこに荷物を置いておけます。3つに別れていて、熱い、中くらい、ぬるいとなっているが、熱いお湯には、とてもでないが、10秒と入っていられなかった。
秘湯東温泉

 波の加減によっては、さらわれることもあるそうです。
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 で、もちろん混浴。水着での入浴でした。いつまででも入っていられるほど、気持ちが良く。とても開放的なきもちになった。泉質は、硫黄ミョウバン泉だとの事。強い酸性なので、水着などもいきなり洗濯機に放り込まないで、水洗いをしてから洗うようにと注意を受ける。洗濯機が壊れてしまうそうだ。

 
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 この日も、何度か波の洗礼を受けました!

  


 三島村には、竹島・硫黄島のそれぞれ1年生から9年生までの一貫教育の学園が有り、黒島には、大里と片泊に同じく一貫教育の学園が2校あります。 

  どの学園も、山村留学制度を取り入れていて、しおかぜ留学と呼んで、全国から4年生から9年生までの児童や生徒を受け入れている。
小学生が案内してくれた


 タブレットを手に、説明をしてくれます。

 聖大明神社の鳥居
聖大明神社鳥居

 本殿
聖大明神社本殿

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 カルデラ噴火によってできた凝灰岩は、300年ほど前の江戸時代より「竹島石」として石材に使われるようになった。

 狛犬ではなくて唐猫、竹島石でできています。
向獅子

 この小さな祠に、丸石を奉納して、願い事をしたという。
丸石を奉納して祈願


 竹島石の灯籠。
竹島石の灯籠

 学校に案内されました。左には、小学校と彫られた石が有る。
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  校舎の屋上から晴れていると開聞岳が見えるという。
運動場


 廊下
廊下

  9年生とある。ジャンべマークがある。
9年生とある

 ちょっとレトロな教室。
教室

 講堂で、西アフリカの伝統打楽器であるジャンべの演奏を聞かせてくれた。三島村は、平成6年から、世界とのつながりを強めるため、ジャンべの普及・演奏者の育成に力を入れているという。
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  ジャンべ
ジャンべ

  叩かせてもらいました。ちょっと褒められてうれしい。大人になると褒められることがめったにないので・・・・。

  次は、ガジュマルの門と言われる村のシンボル的存在のガジュマルを見に行く。
ガジュマルの門

 最後は、島の最西端で硫黄島や晴れた日には屋久島までが見えるオンボ崎に向かった。あいにく屋久島は見えず。
オンボ崎から見た硫黄島

  子供達と別れ、民宿に向かう途中、あまりの暑さに唯一のお店によって、アイスを食べる。
村で一軒のお店

  このお店、ガイド氏が経営しているもので、島にはATMもないからということで、カードもペイペイも使えるようになっています。

  そして、宿に戻り、シャワーを浴びた後は、お待ちかねの夕食。持ち込んだ大名竹も料理してもらい、美味しい刺身に舌鼓。ワインとビールが進む。

  カメの手の味噌汁は食べたことが有るが、刺身は初めてでした。軟らかくておいしい!
カメの手の刺身

  お刺身、こちらも美味。
今晩の夕食


  


 朝起きてすぐ、窓から桜島を見る。天気はなんとか持っていてくれるが、鹿児島県の北部辺りに線状降水帯の発生の恐れありの予報。

 フェリーも、出るには出るが、最終寄港地の片泊港には条件付きの運航だとの事。湾を出ると波も荒いらしい。 

ホテルから見た桜島

 ホテルの隣のコンビニで、お昼ごはんのおにぎりなどを買い、タクシーで南埠頭まで向かった。
村営のフェリーに乗るには、PCR検査の陰性を示すものと、ワクチン接種済みの書類を提示しなければならない。そして、宿泊する日にちと民宿名を書類に書き込み、窓口で示して乗船券を購入する。

  役場の職員が、それらの手続きを行う。三島村の役場は、鹿児島市の南埠頭近くに有り、3つの島には、出張所が置かれている。

  ちなみの隣の乗り場からは、トカラ列島の十島村に向かうフェリーが出ています。こちらも島にも、いつかは行きたい。
トカラ行きのフェリー

  三島待合所
鹿児島南埠頭待合所


  フェリーは、出航した後、竹島、硫黄島、黒島の順番に入港していく。竹島までは、3時間ほどかかる。
  9時半、鹿児島港を出港です。
鹿児島港出航

  桜島
桜島

  お弁当を食べたり、話をしていたら3時間は結構短かった。
  竹島入出港の際には、島民の男性達は総出で手伝います。

  コンテナの中の荷物を皆で手分けしている所。自分の頼んだものは自分で持って行く。アマゾンの箱の多い事。欲しいものは、アマゾンで買うことが多いそうです。
届けられた荷物

  乗客と荷物を降ろしてみしまは去って行く。
村営です

  今日の案内役の方は、船の入出港を手伝った後に、我々を案内してくれた。島は、人手がないので1人何役もこなさなければならないそうだ。

 港の前の岸壁では、不思議な地層を見ることができる。7300年前のカルデラ噴火により火砕流が噴出して堆積し、その一部は固まって凝灰岩になった。これらの地層は、その時のものだ。
落ち込んでいる
白い層
真っ黒な層


 竹島は、三島村の玄関口であり、その名の通り竹に覆われた島である。周囲9.7㎞、面積4.2㎢、一番高い山でも220mという平坦な島である。3島の中では一番小さい島で、人口も59人と3島の中で一番少ない。

 主な産業は、畜産で、春には大名竹の収穫が行われ工場で缶詰に加工され、出荷される。
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  まず案内されたのが、タケノコ工場でした。今は、時期ではないので、閑散としている。
 タケノコかんづめ。想像より大きかった。あくも無く刺身で食べられ、どんな料理法でもおいしくいただけます。
大名竹の缶詰

  そのタケノコ林。孟宗竹や破竹よりは、細くて、根曲竹よりは太い。出て来たところをぽきんと追って収穫する。
大名竹の林

  我々も、道路にはみ出してきたタケノコを、折って民宿で料理してもらいいただきましたが、とてもおいしかったです。煮物でも天婦羅でも、お吸い物、みそ汁何でもおいしくいただけました。

  島の人口より多い数の牛さん達が、のびのびと放牧されています。
放牧牛

  続いて、島の南側に有り、しけの時の漁船の避難港として利用されている籠港に向かった。断崖絶壁の下に有るので、降りて行くのは良いが帰りはちょっとしんどい。
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 噴火の後、カルデラが陥没し、島の南側に断崖が現れた。
ここにも層が


 この後のガイドは、小学生が行ってくれるというので、待ち合わせの場所に向かいます。


 昨年から、ずっと来島を拒まれていて、中々訪問できなかった、鹿児島県三島村の3島、竹島・硫黄島・黒島にようやく行くことができた。

 島に渡るフェリーの時間が、9時半ということで前日に鹿児島入りして、ちょっとだけ観光してみました。

 コロナがまん延して、海外に行けなくなってしまい、日本の島々を回ることが多くなり、鹿児島に行くことが増えたのだが、それでもまだまだ訪ねていないところが市内にも残っています。

 今回は、市立美術館を中心に、新しくできた鶴丸城御門の辺りを歩いてみました。 


  戻り梅雨みたいな感じで、鹿児島上空もようやく雨が止んだという感じで、山々からは水蒸気が盛んに昇っていました。
雨上がり

  ホテルは天文館通りなので、空港バスで向かい、荷物を預かってもらいます。23日と24日がお祭りということで、祭り提灯が飾りつけてあった。
天文館通り

 飲み屋街の入り口に有ったレトロなお店。オープンの看板は掛かっていましたが、初めてではちょっと入りにくい。

レトロなお店

 照国神社前には、県立博物館が有り、その裏手の照国公園の一角に大きなソテツがある。

  そしてこんな看板が立っていました。
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ソテツ

  隣には、旧県立興業館のレトロな建物も有りますが、老朽化の為入ることはできない。
旧県立興業館

  鹿児島市には、古い建物がたくさん残っているので、それらを見て歩くのも楽しい。

  博物館は無料なので、入ってみた。

  2階には、オオヤマネコと白クマの剥製が有り、何と触ることができるのだ。ヤマネコはふかふかと軟らかく、シロクマは毛が深くて剛毛でした。島の体系などを見ながら三島村・鬼界カルデラジオパークの予習をする。
  人口400人足らずの三島村・鬼界カルデラパークは、日本でもっとも小さなジオパークだという。日本では、直径10km以上も有る大きな穴を作る巨大噴火が、何度も起こってきたが、それらの中で最も新しいのがこの「鬼界カルデラ」である。

 縄文時代の7300年前の噴火で、これが起きなかったら縄文文化はもっと発展したといわれている。
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  ちなみに位置は、こんな所に有ります。赤丸は、無視してください。

3島の位置

 博物館を出て、そのまま左の方に進んでいくと、綺麗な建物の市立美術館が有る。前庭には、ロダンやブルーデルの彫刻などが有りました。
市立美術館


  鑑賞する前に、併設のカフェでお昼ごはんをいただく。

  お腹も膨れたところで、せっかくなので企画展も鑑賞しました。フランスの近代画家、シダネルとマルタン展です。
企画展、シダネルとマルタン

  この絵は、マルタン作で「コリウール」という名がついています。
アンリ・マルタン

  2階の所蔵店は、印象派や藤田・ピカソなどの絵を楽しめる。

  建物を出てさらに左に歩いて行くと、真新しい鶴丸城の御門が見えてきた。うれしい事に蓮の花がまだ開いている。
鶴丸城の堀の蓮
蓮

 鶴丸城には、天守閣がない。築城の時には、すでに九州が平定されていたので、必要がなかったのだろうか?

 日本最大級の門であり、屋根には鯱が載っています。
鶴丸城の御楼門復元

  忠実に復元されたとの事で、柱にはちょうなの跡が、美しい模様の様に残っている。
ちような

  石垣に残された丸い穴は、西南戦争の時の弾痕の跡ですって。
西南戦争の弾痕の跡

  島津家の丸に十字紋の旗。
嶋津家の家紋

  本丸跡や庭園を見ながら歩く。茶室の辺りは、暗くて蚊に襲われそうになる。

  田の神様ですって。
田の神様

  そして、道路の反対側に有るのが、憲政記念館、旧鹿児島県庁本館です。中に入ってみたのですが、クーラーが無く、あっという間の退散でした。
憲政記念館

  同じ敷地内に有る、立派な建物が県民交流センター。ここで少し涼んでいく事にする。
県民交流センター


  天文館通りからすぐの所に有るザビエル公園に行ってみた。フランシスコザビエルは、1549年鹿児島に上陸した。日本における布教はここ鹿児島から始まったというわけである。その後、平戸・山口・境・京都と伝道の道を開き、大分県沖の浜からマラッカに向かって旅立って行った。
  この建造物は、明治に建てられて戦災で焼失してしまった記念堂の一部だそうです。
ザビエル公園で

 また来ることが有ったら、水族館か動物園に行ってみたい。
  


 18日から、鹿児島県の離島、三島村の竹島・硫黄島・黒島の3島に行って来ました。 

  その時に見つけたものです。

  鹿児島市は、追加という感じです。
  https://livedoor.blogcms.jp/blog/kyon21ch/article/edit?id=25212754

  https://livedoor.blogcms.jp/blog/kyon21ch/article/edit?id=25695882

  鹿児島市内の天文館通りで、みかんの絵柄。
鹿児島市みかん


 火山の妖精マグニョン
鹿児島市マグニョン


 同じデザインの桜島ですが、こちらは白黒。
鹿児島市マグマシティの色違い


  薩摩切子をイメージした汚水蓋。
鹿児島市薩摩切子模様

  船に乗って、三島村では、汚水蓋などはなく仕切弁と減圧弁です。

  硫黄島と黒島で仕切弁。
鹿児島県三島村仕切弁

  黒島で減圧弁。
鹿児島県黒島減圧弁


 城の近くにバスを止める、100分ほどの自由散策です。この時間になると、かなり暑い。


 犬山には、何度も来ているので、今回は犬山祭りの山車を展示しているどんでん館を目指す。

  平日の昼間でも結構にぎわってます。
城下町

  食べ歩きがここの人気なのですが、こう暑いと食べ歩きよりも、店内で涼む方がよさそうだ。

  古い建物を利用したお店と、きれいな新しい店舗が混在している。
古い家屋を利用して

  
  本町通の旧磯部住宅。江戸期の町屋で、このような膨らんだ屋根は珍しいそうです。市内では、1軒だけで、「起り屋根」という。
磯部家住宅

  店先から奥までは、50mもあるという。
江戸期の町屋



  ここが目的のどんでん館。どんでんとは、犬山祭りの時、町の辻で豪快に方向転換する様。

どんでん館

 入場料、100円でした。中には、畳敷きの無料休憩所も有りますが、飲食は禁止です。犬山祭りに使う13輌の山車のうち、3輌が展示されていました。

  犬山祭りは、1635年頃から始まる針綱神社の祭礼で、毎年4月の第一土日に行われます。13の山車が豪華絢爛な水引刺繍の幕をゆらして市中を練り歩く。山車には、それぞれからくり人形があり、笛や太鼓に合わせて演舞を披露する。ユネスコの無形文化遺産になっている。

  夜になると、山車は一変して365個もの提灯がともされる。
犬山祭りに使う車山

 
  この豪華な衣装は、金襦袢と言われるものだ。山車の一番下で小太鼓を演奏する子供の衣装で、昔は普通の柄の襦袢を着ていたが、昭和初期には、現在のような緋縮緬に金銀の刺繍や差し込みなどが施された金襦袢が主流となってきた。
  子供がこの襦袢を着る時の費用は、嫁型の家が負担する習わしになっていたそうだが、現在は?

  どの家にとっても、家宝の1つといわれているとか・・・・。
豪華な金襦袢
下山子供連の衣装

  どんでん館の前に、昭和横丁なるものが出来ていたので、入ってみました。
昭和横丁

  一番奥の休憩所には、ものすごく大きな織物が展示されていた。絨毯や幕のような感じがするが、これほど大きいと重さも相当だろうなあ。
 ライン下りの様子でしょうか?
ライン下りの様子

 何度訪ねても、何かしらの発見がって楽しい犬山。次回は、あの「若い太陽の塔」を見に行きたい。

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