2022年12月31日 沖縄県 久高島と津堅島で出会った猫たち 神の島久高島では、たくさんの猫を見かけた。とても大事にされているようです。 このこは、ちょっと弱っているようですが、ご飯を食べようとはしている。 触ると、気持ちがよさそう。 津堅島では、猫は1匹だけ。 保護色みたいだ。
2022年12月30日 沖縄県奥武島で出会った猫 てんぷら屋さんから出てきたら目が合ってしまった猫2匹。 食べる?と聞いたら、うなずいたので、「こちへおいでと」 サクラ耳になっているので地域ネコかも。 くれよう! チャトラのほうが年上かな。 なんだかかっこいいね。
2022年12月29日 大雨の最終日 瀬底島・古宇利島・屋我地島通通過 予想通り、雨の朝。水納島行きの船も欠航となってしまいました。 で、タクシーで瀬底島にわたり、ドライブ。ヒルトンを見て、ビーチを眺めて戻ってきた。 行く予定だった水納島。 次は、備瀬のフクギ並木を歩く。このころになると雨に交じり、風も強くなってきて、海岸線に出ると、傘を持っていかれるほどだ。 お店屋さんだろうか? 晴れていれば、海の向こうに、昨日行った伊江島が見えるのだが、今日は手前の、モズクの養殖場しか見えない。 雨の中でも鮮やかな木の実。何だろうか? そして、屋我地島から古宇利島に向かう。途中、橋の見えるスポットでとまってくれた。 橋を渡り、お土産屋さんのトイレを借りる。ついでにここでクーポンを使って買い物をと思ったのだが、大型バスの団体さんが到着したので、あえなく退散。 少々早いが、お昼ご飯を頂くために移動する。人気店なので、お昼時は混むだろうと、時間をずらして入店。 店のおかみさんが数々の有名人と並んで撮った写真がたくさん並んでいた。秋篠宮さんとのツーショットもあってびっくり。皇室の方でも、ツーショットOKなんですね。 ここでは、ハリセンボンの汁を頼みました。沖縄人にとても人気のお汁だそうで、汁の中では値段も一番高いです。 時間は予定よりかなり早かったが、那覇で博物館に行こうということで店を出発。ところが途中で小さな渋滞にはまり、解散時間を考えると微妙になってきてしまったので、結局こちらもパス。 なんだか、最終日は、うまくいきません。 空港に到着したのは、予定より1時間以上早くて、夜便の私は、何をして過ごそうかと考えてしまった。 大雨でなければ、再建中の首里城に行きたかったが、この雨ではねえ・・・。 結局、ラウンジに荷物を預け、モノレールでリウボウデパートにむかった。そこの4階に、小さな博物館があるので、そこに行ってみることにした。 雨はどんどんひどくなり、飛行機の運航に影響が出るのではと少々気がもめる。 展示品の一部です。 戻ってきて、クーポンでお土産を買い、ビールを飲みながら夕食をいただき、残りの時間をラウンジで過ごす。 ピーチは、結局満席で、離陸も遅れ、最終便の電車に乗れるか気をもむ。 最終日は、グダグダでしたが、心残りだった小さな島々を回れてなんだかすっきりした気分です。
2022年12月28日 伊江島続き 島の北側に向かった。そこには、昔から大事な水源地として、今もなお飲料水として使われている場所がある。 それは、湧出(ワジ)と呼ばれていて、60mの断崖の下から湧き出している。この水を使って作られる「イエソーダ」が、観光客に人気なんですって。 戦後、米軍らの手により水の輸送管路が設置され便利になり、水不足に悩んだ島がたちまち水あふれる島に変化したという。 どんなことも、いろんな面があるということでしょう。 なんて思っていたら上空をオスプレイが飛行していきました。 この後は、城山に上ります。ふもとでは、マスコットのタッチュン君がお出迎え。 帽子は、城山をかたどっており、村の花のテッポウユリがあしらわれている。特産品の落花生のパンツをはき背中にやはり特産品である島らっきょを背負っている。何となく雀のようにも見えるが・・・。 城山は、標高172m、「伊江島タッチュー」の愛称で呼ばれている。地層に、オフスクレープ現象という、古い岩が新しい岩盤に潜り込む中で、一部がはがれてしまい、新しい岩盤の上に乗ってしまう現象がみられる珍しい山だそうです。古くから、航海の目印としても使われて来た。 近くで見ると、こんな感じ。烏帽子のようにも見える。 頂上からは、360度のパノラマが楽しめる。 帰りの船を待っている間、資料館に立ち寄ったのだが、戦時中のこんな写真がありました。建物は、国民学校だそうです。 最後は、きれいな海を見ることができた。奇跡的に晴れてきたのだ。 今日のホテルは、本部にある。キッチンがついているところから、週単位でリゾートを楽しむ家族向けのホテルかもしれないね。 近くにはおしゃれな、ショップがいくつかあります。 今日の夕食は、ここの一角にある人気の海鮮屋さんで。今まで全然新鮮な海鮮を食べることができていなかったので、お刺身をたくさん頼みました。イカおいしいよう! ホテルのベランダからのぞくと 明日は、水納島にわたる予定をしていますが、天気が大崩れしそうなので、行けないと思います。水納島は、ビーチしかないので、晴れていないと楽しくないからだ。 で、もし上陸できたとしたも15分で、帰りの船に乗って戻ってくるという。そして、瀬底島や古宇利島などをめぐるのが今のところの予定だそうです。
2022年12月27日 伊江島に行くことになりました 起きて、窓の外を見ると、やはり天気は良くなく、風もあるようだ。朝食の後、出航までの時間に港の周りを歩いてみた。 伊是名ターミナル全景 過去に卒業した島の中学生たちが、製作したようです。 どんよりとした空からうっすらと天使の梯子が下りていた。 予定通りの行程で本部港まで向かいました。 伊江島行きのフェリー。タクシーも一緒に乗り込みます。 瀬底大橋が見えている。あの下をくぐります。 こちらの小さな橋は、たぶん本部大橋。 瀬底島には、ヒルトンリゾートが建設されていた。 伊江島までは、約30分。前方に特徴のある島が見えてきました。 突突出している山は、城山です。時間節約のために、島に到着する前に、タクシーに乗り込みます。 そして、まずは腹ごしらえにと、人気の食堂に向かう。それぞれ好きなものを注文。 これはドライバーさんが頼んだ味噌汁定食。量が多い! 満腹のおなかを抱えて観光がスタート。歩かないから、消化しないだろうなあ。島の形はこんな感じ。伊江島は、太平洋戦争の時には、激戦区となり、多くの犠牲者ができた島で、今も米軍の海兵隊の基地があります。左上の、何も描かれていない部分が基地です。 その見返り予算のおかげで、島の会計は潤っていて、裕福なのだという。 まずやってきたのが、ニャティヤ洞。中には、力石があり、子宝に恵まれない女性が持ち上げると願いが叶うそうです。 戦争中は、防空壕として利用され多くの人を収容したことから、「千人ガマ」とも呼ばれている。 海に通じています。 基地の中にある伊江島灯台。 伊江島には、滑走路が4本あります。そのうち2本は、基地の中にあり、米軍の補助飛行場だった1本は現在使われておらず、残りの1本は、チャーター機などが使うこともあるそうです。 使われていない滑走路は、立ち入ることができるので、行ってみました。 滑走路の上を歩くのは、セントレアの開港の時以来だ。 城山が見えている。 山にはあとで登る予定だ。
2022年12月26日 伊是名島 古い集落へ お墓も本島同様大きいです。 この辺りには、伊平屋村だったころの役所があった。現在は、交流館などが建っている。 集落のお金持ちの家の塀は、クスコの有名な剃刀の刃も入らない壁と同じくらい、きっちりとしている。 ひときわ大きい家が、重要文化財に認定されている銘苅家住宅である。 母屋 シーサー 台所部分 納屋や家畜小屋など 備瀬ほどではないけれど、ここにもフクギが植えられていて、良い景観となっていました。 節の部分が縄文時代の土器の模様のようだ。 サンゴが使われていることがよくわかる。 山の上から見えていた伊是名城跡までやってきました。 麓には、たまうどぅんもあります。 階段が、斜めになっており崩れそうなので、登ることはできませんでした。 この後宿に戻り、明日の予定は夕食の時までに決めるということ。 で、やはり明日の朝の漁船で伊平屋島へ行くことは無理だとのこと。今日の様子を見ていてそうなるだろうなあと思っていた。 明日の朝、運天港に戻り、タクシーで本部港に移動して、11時のフェリーで伊江島にわたるという。そのままタクシーで島内観光をして、16時ころのフェリーで戻り、本部のホテルに向かうことになった。 明日の午後わたる予定だった古宇利島などは、明日また考えることになった。 伊江島も行ってみたかった島なので、文句なしです。
2022年12月25日 伊是名島に宿泊 今日は本来なら、伊平屋島と伊是名島を訪ねる予定だったのだが、波が荒くて、伊平屋島でチャーターして伊是名島にわたる予定だった漁船が、出航できないとのこと。 で、代替え案として、先に伊是名島にわたり、明日の朝、波が落ち着いていたら伊平屋島にわたるという。自然が相手の話で、これはもう仕方のないことである。 沖縄市から今帰仁村の運天港までタクシーで向かい、我々だけがフェリーで伊是名島に渡ります。その間、タクシーは、このあたりで待機となった。 運天港は、以前奄美諸島の旅で沖縄に渡った時に利用したことがある港だ。 伊是名島の仲田港までは、約1時間ほどかかる。 乗るはずだった伊平屋島行きのフェリー。 そしてこちらが、伊是名島行きのフェリー。 進行方向右手には、後日わたる予定の古宇利大橋が見えている。 この日の海は、やはり波が荒くてかなり揺れ、珍しく酔ってしまった。幸いひどくならないうちに入港できたので本当に助かった。 上陸して、港の目の前にある民宿にチェックインして、そのまま隣の食堂でお昼ご飯を頂きました。 そして、結構大きなバスで、島内観光に出発。島の形はこんな感じ。 漁港は、南にあるが、我々が到着した仲田港は東側にあります。農業が盛んで、サトウキビや水田が広がっている。周囲は、約17㎞で山もあり、最高地点は119m。リュウキュウマツやウバメガシなどが自生しています。 黒砂糖ではなくて、しょ糖に加工するサトウキビ畑。 これからが収穫のシーズンです。最近は機械化が進み、人手がいらなくなった。刈り取ったサトウキビ。 伊是名村と伊平屋村は、もともとは1つの村であったが、昭和14年に、分村しそれぞれが単独行政となった。 最初に降りたところは、「尚円王御庭公園」。琉球国第二尚氏王統は、1470年から廃藩置県に至る409年間に渡り国をまとめてきたが、その始祖尚円は、この伊是名村の出身だという。その生誕580年を記念して開園した公園だそうです。 若き日の尚円の銅像が建っている。指さす方向には、沖縄本島があります。 バスは、サトウキビ畑の中を走り、逆田という場所で停車。 逆田とは、 この田んぼは、当時からずっと変わらず続いている田んぼだという。 島で、収穫した米にも、尚円の名がつけられていた。 バスはこの後標高を上げて走り、伊是名山森林公園の展望台まで登ってゆく。 島の、南側の様子がよく見えました。 正面のこんもりした山は、昔の伊是名城のあった場所です。 山から下りてくる途中見える大きな岩山が、陸ギタラ。ギタラとは、切り立つ岩といった意味。 そして、海の中にあるのが海ギタラ。 マッテラの浜のあるこの辺りを二見が浦海岸と呼ぶ。 この後は、集落の中を散策します。
2022年12月24日 海中道路で、浜比嘉島・平安座島・宮城島・伊計島へ お昼ご飯は、勝連半島と平安座島を結ぶ海中道路の海の駅でいただきます。以前ここには来たことがあるけれど、レストランは利用しなかったのでちょっと楽しみです。 私が頼んだのは、「ゆしどーふそば」 。沖縄の食べ物で好きなものは、ゆしどーふとモズクのてんぷらと、ソデイカの刺身、なのでこれに決める。麺はモズク麺をチョイス。 平安座島に入ったところで、ちょっと寄り道。浜比嘉島に立ち寄る。 浜比嘉大橋。 今日は、橋の真ん中あたりから、歩いて渡ります。サイクリング用のマークですかね。 浜比嘉島は、周囲7㎞の島で、沖縄の創生神アマミキヨにまつわる史跡などがある静かな集落がある。1周することはできないので、集落のあたりだけを歩いてみた。 昔は水に苦労したので、湧き水をためていた場所だという。 赤瓦を真っ白に塗ってしまっている家もある。まぶしいほど真っ白で、それはそれで何となく沖縄らしい。 集落でも一番古い通りのようです。 海辺に出て、アマミチューの墓に向かった。この島にお墓があります。 アマミチューの墓。 島の周りには、このようなキノコ岩がいくつかある。 ここからは、一番端の伊計島までのドライブを楽しみます。 平安座島には、石油の備蓄基地があり、ものすごい数のタンクが並んでいる。1973年、当時の三菱石油と丸善石油により設立されたもので、タンクの数は、45基あるという。 続いて、宮城島を通過。宮城島は、周囲12㎞あり、4島の中では一番大きい。前回来た時には、果報バンタや製塩工場を見学したが今回はスルー。 そして赤い伊計大橋を渡って伊計島までやってきました。 橋の入り口には、狛犬ならぬシーサーがにらみを利かせている。 橋の、向こうに見えているこれは、先ほど見てきた石油タンクに入れる石油を積んだ船が横付けする場所ですって。仕組みはわからないが・・・。 今回も伊計ビーチには立ち寄らず。でも灯台にはいきました。 ホテルに戻る途中うるま市の「うるマルシェ」という商業施設に立ち寄ったのですが、ここの名物たこ焼きはちょっと変わっていた。 イイダコが丸ごと入っているのだ。浜比嘉島のあたりは、イイダコの産地だそうで、特産品を生かした1品です。 あー、ビール飲みたくなってきた。