好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2023年09月



 志々島では、一時すごく猫が増えてしまい、住人が面倒をみきれなくなる恐れが出てきたので、去勢や避妊を行ったそうだ。

 現在では、かなり数を減らしてきて、その子達を地域猫として面倒をみておられる。 


志々島の猫 (3)




志々島の猫 (1)



志々島の猫 (4)



 小屋のようなところに、何匹かが集まっていた。

志々島の猫 (7)

  

 黒くて暗くて顔が見えないな。


志々島の猫 (5)







 真鍋島では、猫餌が売られていたので本来ならもっとたくさんの猫がいるのだろうけれど、この日は2匹見ただけでした。


  
真鍋島の猫 (2)





真鍋島の猫 (3)




 右目の下の点々が目印。

真鍋島の猫 (1)


 城からも駅からでもタクシーを利用するか、車なら中津万象園は、近いのだが交通機関を利用するには、JRの駅まで行って、讃岐塩屋駅で下車。そこから15分ほど歩くしか手段はない。 

  ものすごく暑いので、誘惑にかられそうになったが、そこは我慢して駅に向かう。

  途中通った商店街は、ちょっと寂しそうでしたが、こんな立派な家が残ってしました。


古民家




  工業地域の中を歩くこと15分ほど、目指す万象園はありましたが、楽しみにしていた絵画館は、展示替えの最中で閉鎖していてがっかり。

  陶器館だけを見て回りました。

陶器館


  現在のイラン・イラク地域を中心とした紀元前2500年くらいから13世紀頃までの彩文土器や陶器・ガラス器などが展示されている。

 
オリエンタルの陶器など (4)



オリエンタルの陶器など (1)


  

  中津万象園は、元禄元年(1688)京極2代目藩主高豊侯により、丸亀藩中津別館として築庭された。
  約15000坪の園内には、たくさんの松が植えられ、庭の中心には、京極家先祖の地である近江の琵琶湖をかたどった八景地を置いてある。
  近江八景になぞらえて、帆・雁・雪・雨・鐘・晴嵐・月・夕映えと名した8つの島を配し。その島々を橋で結んだ秋有識の大名庭園である。敷地内には、陶器館・絵画館の他にうちわミュージアムもあり、うちわの制作過程や展示などを行っている。


  
園内図


 回遊式なので池の周りをぐるっと回れます。

池泉回遊式大名庭園



  雨から雪へ


万象園



  晴嵐を臨む

近江八景をイメージ




 池の向こうに観潮楼の母屋の屋根が見えている。


池



 晴嵐の筆海亭。高くなっているので、腰を掛けて眺めを楽しめるようになっている。


筆海亭




  赤い橋の観月橋。


観月橋




  観潮楼は、江戸時代後期に建てられた茶室で、現存最古の煎茶席といわれているんですって。入母屋作り中2階の高床式で、名前の通り、ここからは潮の満ち引きが見えたという。


観潮楼、江戸時代




  この立派な松は、大傘松(千代の傘松)で、樹齢630年余と言われ、1本の松の枝が直径15mに渡って大きくひろがっている。


直径15m




樹齢600年



  伏見稲荷の鳥居を連想する百本鳥居。
百本鳥居




  水蓮の形をした飛び石が配置されていて水蓮橋と説明書きが・・・おしゃれだね。


水連橋





 再び列車にて、丸亀まで戻り、駅に隣接して建っている「猪熊弦一郎現代美術館」に向かう。設計したのは、谷口吉生氏である。彼の手がけた美術館は、どれもすっきりしていて、コンクリートが背景に溶け込んでいる感じが好きです。

猪熊源一郎現代美術館




 美術館側から見ると、


美術館から丸亀駅を見たところ


  常設展、猪熊弦一郎の作品だけを鑑賞しました。

  
展示室 (2)



  
常設展




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  この日は、金曜日だったせいか、新幹線は案外混んでいて、3人席の端っこしか取ることができませんでした。それも新大阪で埋まってしまった。

  ここのところ、なんだか四国へ渡る機会が多かったのですが、たぶんこれが最後の旅になる気がします。島はまだ訪れるかもしれませんが・・・・。


  



 朝八時半少し前にホテルに荷物を預けて、市役所に向かいマンホールカードをもらい、そのまま、丸亀城に向かった。 

  天守の開城が9時からなので、坂道を登って行けばちょうどいい時間になるだろう。

  大手二の門と天守。一の門と同時に寛文10年(1670)頃の京極氏の時に完成した。高麗門とも呼ぶ。


大手二の門と天守閣



  お濠


内堀




  二の門をくぐると桝形がある。


桝形




 入って目にとまるのが大きな石を使った石垣。切り込みハギといい、城の大事なところに築き、見せる石垣として用いられた。

城の大事なところに築く見せる石垣


 
  大手一の門、太鼓門とも呼ばれ楼上に太鼓を置き、藩士が太鼓を打ち、城下に刻を知らせていた。

大手一ノ門



 門をくぐったところにある石垣などは、打ち込みハギと呼ばれ、丸亀城の大部分がこの積み方である。布積みとも呼ばれる。石を割った跡がみられる。


打ち込みハギ、もしくは布積み


 ここから一気に標高66mの亀山を登っていきます。本丸、二の丸、三の丸、帯曲輪、山下曲輪があり、内堀内が史跡範囲になっている。

 ちょっとした坂で、暑い日だったので、汗が一気に噴き出してくる。


 そそり立つような三の丸の石垣。
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三の丸石垣北側



 扇の勾配と呼ばれている美しい曲線。

たかさ20m以上




  石垣の上、三の丸跡を歩いてみる。本丸、二の丸をめぐる平場になっていました。

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  二の丸長崎櫓跡。
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二の丸長崎櫓跡



 三の丸から見た天守と二の丸の石垣。

三の丸石垣の上から見た天守




 この先に三の丸井戸があるのですが、崩れていけなくなっていました。その石垣の崩れを修理しているところ。


石垣復旧工事



  元の坂道に戻ってさらに登ってゆきます。


二の丸へ




  二の丸には、現在も水が出ているという井戸が残っていた。本丸同様、隅櫓や渡櫓があった。

  そして、本丸。ようやく天守に会えた。


違う角度で




 3層3階の現存木造天守。高さ15m、唐破風や千鳥破風の意匠を凝らしている。四国では、最も古く万治3年(1660)に完成した、日本一小さな現存木造天守だそうです。

高さ約15m、3層3階建て





しゃちほこ



 私もこれで、やっと現存木造天守12城、すべて登城できました!!!!それを目的に回るという旅ではなかったので、結構長い時間がかかってしまいました。


  本丸からの眺め。讃岐富士です。

本丸から見た讃岐富士


  どこかの造船所なのでしょうけれど、船が浮いているように見えました。


宙に浮かんだ船のよう




 入場料は200円でした。
狭いので、柱が目立つ。
  
内部は太い柱だらけ




 3階部分。
3階



  下をのぞく。二の丸の、三の丸、大手一の門、お濠まで見えます。


二の丸、三の丸の石垣を望む




 帰りには、無料の資料館を見学してから、駅に向かう。

  
  丸亀藩の中津別館として築庭された中津万象園に行ってみようと思っています。



 四国と本州が、瀬戸大橋によって結ばれたのは、1988年のことで、岡山県倉敷市と香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称である。 

  鉄道道路併用橋としては、世界一の長さがあり、ギネスにも認定されている。


  橋梁部9368m、高架部を含めると13.1kmの長さがある。


  橋梁は、吊り橋、斜張橋、トラスト橋の3種類を併設しているそうだ。列車に乗っていると、違いはよく分からないが・・・。


  何度も、列車では通っているが、実は、下から見たことも、じっくり見たこともなかった。今回訪れた島々は、橋に割と近い島だったので、毎日じっくりと見ることができた。



 志々島から見た瀬戸大橋。

志々島から見た瀬戸大橋

  

 朝の散歩で、ホテル近くから見えた瀬戸大橋。

ホテルの近くから見た瀬戸大橋



 この日の午後、青空です。真鍋島からの帰り。

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 橋の向こうに黙々と煙のようなものが上っている。あれは何か?


何の煙だろうか


 この日は、わりに、朝からすっきりとした青空でした。でも暑い!

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  朝は、水蒸気のせいか、ぼんやりしていることが多い気がする。

朝の瀬戸大橋



  

  本島の港から見た瀬戸大橋。かなり近い。

本島から見た瀬戸大橋


 予定より、少し早く帰りの船に乗り込んだので、船頭さんが、瀬戸大橋の下をくぐってくれるというではないか。うれしいよう。

 
本島からの帰りの瀬戸大橋 (3)


本島からの帰りの瀬戸大橋 (2)


 だんだん近づいていきます。

瀬戸大橋



 橋の上の車が見える。荷台に乗用車を乗せているようだ。

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 列車通らないかなあ。

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 でかい。

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 ループ橋が見える。

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 くぐります。
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  真下に来た。

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  船首を返して戻ります。


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 実は、列車が1回だけ通ったのですが、うまく撮れなかった。残念!


 
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  これにて、丸亀港まで戻ります。船長さん、ありがとうございました。楽しかったです。


 ホテルの展望風呂は、朝の6時から開いています。で、行ってみました。
早いせいか、だれもいません。


 
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 今日は、チャーター船ではなくて、定期船を使って島に渡る。
定期船は、須田港という港から出ているので、バスにて向かいました。


 バスを使ったので、島内の案内はガイドさんがやってくれました。


 須田港も古くからの港のようです。
須田港周辺



須田港の灯篭



  船に揺られること15分くらいで、粟島港に到着。
粟島は、3つの島が潮流により、スクリューのようにくっついて1つの島になったという。人口は、156人程。小中学校はありません。

和えあ島地図






島から見た港



 港からでもとっても目立っている建物が、日本で最初にできた海員養成学校だった建物です。現在は、海洋記念館になっていますが、耐震の問題で中には入れなくなっているとのこと。
海洋記念館遠望 (1)




  島で唯一のお店、竹内商店。
唯一の商店 (1)



  そして名前がなんとも素敵な漂流郵便局。
約50年前の郵便局を使ったアートプロジェクトで、第2回瀬戸内芸術祭を機に誕生しました。誰かに届けたい思いを書いて、ここに送ることができます。


漂流郵便局




 あまり見ることのない茗荷の花が咲いていました。


茗荷の花




  若手芸術家たちが、滞在して制作をする場所、芸術村。もともとは中学校でした。

芸術村





 そして港から見えていた、海洋記念館に到着。


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 明治30年に誕生し、ここから多くの外洋船員が旅立ちました。昭和62年に廃校となった。建物は、大正9年の建築です。


国立粟島海員学校跡




  この真ん中の建物の左右に、教室があったそうですが、現在は左側部分だけが残っています。


この建物の両側に教室があったのだが (1)



 教室。

教室



 艦鍾


鐘



  粟島が今回の訪れる最後の島なので、本土に戻り、お昼をいただきました。そして観音寺市に向かい、当初の予定では、天空の鳥居まで行くことになっていたのだが、先日の大雨で道路が崩れ復旧のめどが立たないとのことで、時間の関係もあり、急遽砂絵の寛永通宝を見に行くことになった。

  観音寺から坂道を上ること10分くらいで、展望台に着いた。木々が伸びていて全体を見ることはできず。

 この銭形を見たものは、お金に不自由しないとか・・。だと嬉しいのですが・・・。
寛永10年、藩主生駒高俊を歓迎するために、一夜にして作られたそうです。

 東西122m、南北90m、周囲345m。


砂絵の寛永通宝



 四国88か所巡りの69番札所である観音寺にちょっと立ち寄りました。


 室町時代の建築物である本堂は、国の重要文化財に指定されています。

観音寺本堂

  

  大師堂
大師堂




  境内には大楠もありました。

大クス




 金剛力士像が鎮座している山門。


山門



 バスは、ここから高松空港に向かうのだが、私は離団して丸亀に戻りもう一泊します。
取り敢えず、観音寺駅前から歩いて、マンホールを探す。



 橋の欄干も、寛永通宝がデザインされている。

観音寺市の橋げた



 その後、列車に乗り、多度津町で下車。ここでもマンホールを探し、役場に行って、マンホールカードをもらった。


 ここ多度津町は、四国鉄道発祥の街です。明治22年5月23日、讃岐鉄道株式会社が多度津を起点に、丸亀・琴平間の営業を始めたのが始まりです。

 駅前には、蒸気機関車の動輪がモニュメントとして展示されていた。

四国鉄道発祥の地



 線路わきには、かなり状態は悪いが、蒸気機関車も展示されていた。

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 さらに、不可欠な水を貯めておく貯水塔までが残っていましたよ。

給水塔



 そして、丸亀まで戻り、駅に近い場所のホテルの宿泊。明日は、1日かけて、丸亀市内を観光してみようと思っている。




 本島は、今回訪ねた島の中では大きく、保育園や小中学校もあるようでした。人口は、254人。 丸亀から、フェリーで35分ほどかかる。


 泊港に入港して、歩いて国の重要伝統的建築群のある笠島に向かいました。

本島



 木烏(こがらす)神社の鳥居。端っこが上に反り返っています。

木烏神社鳥居

  

  本殿。金毘羅金丸座に携わった塩飽大工が建てたそうです。
本殿


  破風
立派な彫刻の破風


  境内には、芝居小屋もあります。


  
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芝居小屋千歳座



  こんな具合に見物します。
こんな感じで



  中にも入れていただきました。回り舞台のある大きなものです。歌舞伎の興行も行われたことがある。
舞台



 向かいにあった変わった建物は、咸臨丸の乗組員だった水夫の生家で、芸術祭の時にアートになりました。そう、この島と咸臨丸は、とっても縁があるのだ。


芸術祭の作品



 これも作品の1つです。
作品


 瀬戸内海の潮流が複雑に渦巻いて流れるこの海域に、信長・秀吉の時代を経て徳川時代まで、海上輸送の功労として大小28の島々が散らばる1250石を、船方と呼ばれる650人が統治することとなった。
 この船方650人は、「人名」と呼ばれた。「大名」「小名」「人名」である。

 その中から選ばれた3人の「年寄り」が、島の政治をつかさどっていた。その年寄りは、入江四郎左衛門、吉田彦右衛門、宮本家の3人であった。


 そのうちの宮本家のお墓10基が、道路際からも見ることができる。

都市より宮本家の墓


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 その年寄りが交代で勤務した勤番所が、全国で唯一復元されました。


 長屋門

長屋門



 
塩飽勤番所跡


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 中にはご朱印状のレプリカや、咸臨丸に関する資料などが展示されていました。航海術にたけていた水夫と造船技術に優れた船大工からなる、塩飽水軍・塩飽衆は、時の権力者に活用された。
  
  幕末になると、政府は軍艦を操縦する水夫の募集を塩飽に対して求めている。1250石の所領に対する軍役として、塩飽衆は、毎年数十人を乗組員として送り続けた。

  1858年、アメリカに使節団を派遣することとなり、その随行艦に選ばれた咸臨丸に乗り込んだ水夫50人中35人が塩飽衆だったという。


  朱印状を入れた朱印箱をこの石の柩に入れた。
朱印状のレプリカ




朱印箱を収める石箱





  この柩を、収めた建物が朱印庫である。


朱印庫





 勤番所を過ぎて、少し坂道を登っていく。切通しを過ぎると、笠島地区だ。誰も住まなくなった家に、きれいな鏝絵が残されている。

鏝絵

 
  
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  南北に通じている通りが、東小路。

東小路。



  丈夫さを求めて壁が焼き板になっています。
焼杉の壁



  このお宅の前の通りが、マッチョ通り。え?マッチョ?町通りが、変化してマッチョになったそうです。


若冲の掛け軸のある家



  なまこ壁がきれい。

なまこ壁




 奥の方に、丸いポストが見えている。

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 昼下がりの猫といった感じですかね。
 
昼下がりの猫




 我々以外、誰も歩いていない。笠島地区でお会いしたのは、食事をしたお店の2人と、街並み保存センターの係の人だけでした。

誰もいない



 この後、少し早いですが丸亀に戻ります。



  とまっているホテルは、埋め立て地にあるので、ゴールドタワーがよく見えます。瀬戸大橋ができたころには、とてもにぎわったそうだ。夕日が当たると建物が金色に輝くというが、朝は単に暗くて長い建物にしか見えない。


うだつのゴールドタワー




 八時半、タクシーで丸亀港に向かい、今日もチャーター船で高見島に向かった。
高見島へ (1)




  高見島は、多度津町に属していて、人口は27人程。周囲6.7㎞ほどの島だ。今日のガイドさんは、本土の多度津から定期船で来られました。

  
高見島 (1)



  前回開催された瀬戸芸術祭の名残がこの島にもあります。
瀬戸芸術祭の名残



  島の集落は、坂道を上ったところにあるので、結構な坂を上ってゆく。





  戦争で、金属が供出されたので、陶器製の二宮金次郎。

陶器製の二宮金次郎




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 江戸時代から続く自然石の石垣。

石垣の道 六社通り



 文化6年9月建立とある、六社宮献灯。文化6年て西暦1809ですって。
六社宮献灯



  さらに進んでいくと、ものすごく立派な石垣の上に建っているお宅があった。現在は、誰も住んでいないとのこと。なんだかもったいないね。これだけのものを建てるのには、時間も労力もお金もかかっただろうに・・・。石垣の間には、隙間もない。



石垣のある家
 

  鬼瓦が天女でした。


天女の鬼瓦



  この家のある通りが、島で最もにぎわっていた通りだ。
かつては一番賑やかな通りだった



  でもほとんどの家が空き家になってしまっている。

かつては立派な家だったが


  使われていた食器もそのまま。
食器もそのまま



  この坂の辺りで、「男はつらいよ」の撮影が行われたという。瀬戸内海の島々は、いろんな映画のロケ地になっているようでした。

  
分かれ道




  大聖寺の山門。


大聖寺山門




 なぜか力士像が奉納されています。


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 この鐘は、ついてもいいというので願い事をしながら思い切り鳴らしました。



 大きな柿の木のある家。

柿の木のある家




 港に戻り、待っていてくれた船で、本島に向かいます。



 島に到着して、漁火というお店で、漁師料理をいただくことになっていたのですが、ご主人が急遽入院してしまわれたとのことで、お弁当になってしまい、島の集会場のようなところでいただきました。

 瀬戸内のお魚を楽しみにしていたので残念!!!!! 


  真鍋港
真鍋港



  真鍋島は、令和5年時点では、154人とある。ガイドさんは、島の外からきて定住している方でした。なんとこちらで、移住者同士で結婚したとか・・・。

 島の形はこんな感じです。

真鍋島



  集会場の前にあった鳥居。


真鍋島の鳥居


  1時間ちょっと位かけて島内の街並みを散策します。




  真鍋家、平安時代末期から島の有力者として栄えてきましたが、現在は住んでおられません。建物は、国の登録文化財で、明治初期の建造。


真鍋家住宅





真鍋家住宅の門



 鬼瓦が面白い。
真鍋家住宅の屋根瓦



  圓福寺、795年の弘法大師の開創以来、続いているとのこと。


鬼瓦が並べてあった



  昭和24年建造の木造の中学校。最近まで使われていましたが、現在は、耐震問題で使用されていないとのこと。


  
現在は使われていない



  廊下
廊下



  校舎の裏手が、ちょっとした展望台になっていました。


中学校の裏から見たところ


  昔の映画、「瀬戸内少年野球団」のロケ地に使われたようです。


  坂道を下って来て、島にはあちこちに井戸があり、そのうちの1つ。現役です。
共同の井戸



  島の通り。

島の通り



 
 集落の真ん中に墓地があった。

真鍋島のお墓



 帰りもチャーター船で、丸亀港に戻る。今日は帰りが早かったので、ゆっくりと展望風呂につかる。

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