好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

2024年06月


 出発が30分ほど遅れたので、滞在時間が短くなったと思ったら、隣のカフェや売店は5時半まで開いているとのことで、5時20分の集合時間になった。

弘前れんが倉庫美術館


 この建物自体は、明治・大正期に、地元の実業家・福島藤助によって、日本酒の醸造所として建設された。
 左側の建物カフェ・ショップ棟の一部は1907年、本館は1923年頃の建設とされている。
その後、シードル工場やウイスキー工場などを経て、1980年頃から建物再生の検討がされ始めた。

 2001年、弘前出身の奈良美智との出会いにより、2002年、2005年、2006年に展覧会が開催され、3度の展覧会には全国から15万人以上が訪れたという。

 それがきっかけとなり、2015年弘前市がここを買い取り、2017年から本格的に開館準備が開始された。そして、2020年「弘前れんが倉庫美術館」として開館した。
  

 建物の改修は、建築家・田根剛が担当。季節や時間によって印象を変える屋根の色は「シードル・ゴールド」と名付けられた。  

屋根の色、シールドゴールドと名付けられた



 エントランス。素敵です。

エントランスのレンガ積み




  入ってすぐのホールには、奈良美智が寄贈したという作品が展示されている。


奈良美智のメモリアルドッグ



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  エデンの結び目という作品。

エデンの結び目
 


 蜷川実花展が開催されていた。

  入り口。

蜷川実花展入り口


  展覧会は、6つのブースに分かれていた。
四季の花々

  不思議なコスモス。水の中から見あげた感じ。
作品四季の花々




 サンクチュアリー・オブ・ブロッサム

サンクチュアリーオブブロッサム



 父である蜷川幸雄さんとの別れまでの写真などもある。




  もう1つの展覧会は、「白神覗見考(しらかみのぞきみこう)」と題されたもの。
私は、このなかの永沢碧衣さんの森と動物が一体化した作品にすごく感動した。

  動物は森であり、森は地球そのものであると強く思った。

面々と続く





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 熊は何を思う。


何を思う



  猿も鹿も熊も人間も森の中。

熊も鹿も猿も人間も



 2階部分の天井。

2階部分の天井



 少し時間があったので、近くの気になっていた建物に行ってみました。



 大鰐線、中央弘前駅。自由通路がある。
 
中央弘前駅舎

  

  待合室。


待合室



  ホーム。大きなこけしが並んでいる。入るには、入場券がいるので、外から撮ります。


中央弘前駅ホーム





  駅の外を歩いていくと、教会があった。閉まっていたがちょうど出ていらした牧師さんに開けてもらいました。感謝です。


 弘前昇天教会。カトリック教会とプロテスタント教会との懸け橋教会、中道教会としての立場を鮮明にしている、聖公会に属していて1921年に建設されました。

イギリス方式で積み上げられているれんが




 レンガはイギリス方式で、聖堂内部は青森ヒバが多く使われている。


ヒバ材が多く使われている (1)



  信者席。

信者席



  聖堂の手前にある談話室みたいな場所。


前室


  昔は畳敷きだったのかもしれません。

 シャンデリア。

シャンデリア




  祭壇には、イコンが飾られている。

イコン



120年以上経ても美しい音が出るリードオルガン。牧師さんが音を出してくれました。

120年以上経っているリードオルガン



 版画。

版が (2)




  聖堂と談話室の間にはなんとふすまがありました。寒い地なので、暖房のためにつけられたという。

なんとふすまがある



 入り口には、学校のような下駄箱がある。


学校のような靴入れ


 ありがとうございました。


  


 ツアーで、「青森県の4つの美術館を訪ねて」というのに参加してきました。


 本来なら、青森県立美術館を含む5館を訪ねる予定だったらしいのだが、出発日は、開館しておらず、急遽4つの美術館とねぶたの家「ワ・ラッセ」を訪ねる旅になった。


  ねぶたは、祭りも見たことがあるし、昔「ねぶたの館」とやらの展示場も見たことがあるのであまり興味はなかったが仕方がない。

  東京発は、5つの美術館で出発催行されていたのだが、キャンセル待ちとなっていたのであきらめる。


  車がないと、複数の美術館を効率よく回るのは難しいのだ。

  18人で出発。機内からの眺め。


  梅雨の最中にしては、見通しが効いた。

  多分、御嶽山。


多分御嶽山 (2)




  多分、乗鞍岳。

多分乗鞍岳




 多分、焼岳


多分焼岳と上高地



  青森市上空、陸奥湾が見えている。


陸奥湾と青森市






  青森空港の天井。3年ぶりくらいなのだが、こんなのあったっけ?

青森空港到着ロビー (1)




 迎えのバスに乗って、青森市内に向かう。青森県の駅の付近の海辺は、整備がされて美しくなっていました。



  ベイブリッジ。

青森ベイブリッジ




 ワ・ラッセの建物。アートしています。

ワ・ラッセ外観


  外側の通路。

ワ・ラッセ外側通路




 隣接する、西の広場。

西の広場




 入ります。2階に向かう。

  ねぶたのタイムトンネルには、金魚ねぶたが展示されていた。


金魚ねぶた



  賞をとった大型ねぶたが展示されている。ここでは、時間が来れば、お祭り体験ができる。囃子や太鼓の生演奏に合わせてはねとになれるよ。

  名人のねぶたの展示。

名人のねぶた



  大型ねぶた

展示ねぶた (2)




展示ねぶた (1)



  触ることができるねぶたもあり、感触を楽しんだり、仕組みが分かるようになっていました。昔は、骨組みが竹でできていたので、カーブが難しかったのですが、現在は金属なので自由に曲げることができる。

  
ねぶたの内側



  手。

手の部分触れる




  ねぶた面、現在活躍しているねぶた製作者の作品。師匠から受け継いだ技術、作風の違いがあるらしいが・・・。

ねぶた面




 集合時間まで間があったので、近くに展示されている、青函連絡船「八甲田丸」を見に行くことにした。

  人口の砂浜ができていた。

人口ビーチとワラッセ



  青函連絡船は、1908年の運用以来、1988年、青函トンネルができるまでの80年間活躍した。船への鉄道車両搭載のため移動させる可動橋が作られ、現在も残っていました。

  八甲田丸
かつての連絡船八甲田丸




 可動橋。

可動連絡橋



  連絡船は、第2次大戦のとき、空襲をうけたという。知りませんでした。

連絡船が攻撃されたことがある


 戦時中に、連絡船は北海道で産出された石炭を本州に運ぶために利用されていたからだ。石炭は、兵器を製造するための戦略物資だったのだ。
 昭和20年の7月14日から15日にかけて攻撃を受けてしまった。終戦の、一か月前の事でした。



 八甲田丸の全容。前面で見るより大きく感じる。長いのだ。

八甲田丸全容

 全長132m、全幅17.9m、貨物車両が48両搭載できました。


 一度乗ってみたかった。


 この後は、弘前のれんが倉庫美術館にむかう。

 
  



 八戸市は、ゆっくりできたので沢山探せました。
市章の周りに市の花キクを配置したもの。


八戸市げすい




 同じデザインで、色がついているもの。

八戸市菊カラー版




 車道と書かれたもの。

八戸市車道




 小型枡もいくつかあります。2羽のウミネコがデザインされたものに、

八戸市ウミネコ




七夕飾りがデザインされたものが色違いで、

八戸市七夕色違い




八戸市小型蓋
 


そして、郷土玩具の八幡馬、赤とピンク。

八戸市八幡馬赤




八戸市八幡馬ピンク



 ノンカラーのものもありました。

八戸市八幡馬



 側溝蓋にも、
八戸市側溝蓋
 



消火栓
八戸市消火栓




 消化ボーイとある、情熱いっぱいが伝わる蓋。

八戸市消化ボーイ



 耐震性100tと書かれているもの。

八戸市




 防火水槽を2つ。赤丸の中に40の数字が書いてある。

八戸防火水槽




こちらのものは、マルだけ。

八戸市防火水槽数字無し
 
 


 防火貯水槽、これだけが、2024年6月27日撮影です。2枚組み合わせで、中央に市章入り。

八戸市、防火貯水槽



 前回と違っていることが1つありました。


 それは、瀞峡の駐在所に猫がいた事です。ある日、ふらっと来たので保護したとのこと。

 「きなこ」という名前も付けてもらっています。


 穏やかな性格らしく、触られても、じっとしていておなかも見せてくれる。


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 しっぽが鍵状になっているのが特徴です。



 ちょっと眠いな。

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 小さなあくび。

瀞峡駐在所のきなこ (4)




 うーん可愛い。

瀞峡駐在所のきなこ (2)




 ハウスも作ってもらいました。


きなこ



 また会いたいね。


 今日は、観光筏に乗ります。


 歴史書によると、1596年豊臣秀吉が「北山郷御材木所」の朱印状を交付したことや、徳川家康が江戸城本丸を建設した時に北山材を使ったことが記されているという。

 これらの木材を新宮まで運んだのが筏師である。当時は、木材を輸送する手段が他にはなく、厳しい条件の水路をさばく高度な技術を彼らは身に着けていた。


 明治時代には、500名もの筏師が暮らしており、遠くは朝鮮の鴨緑江迄出稼ぎに行っている。筏は、水量の安定する冬場が好まれ、3日ほどかけて新宮まで運ばれた。途中、日が暮れると近くの宿に泊まった。
 新宮では、豪快に遊びお金を使ったので資産は増えなかったというが、、食料持参でやってくる筏師は、歓迎されたという。 

  昭和30年代に入るとダムができ筏流しは衰退してしまい、38年にはすべてトラック輸送になってしまう。

  しかし、この技術をなくしてしまうのは惜しいと、始まったのが観光筏下りだという。


  乗船する前に、筏をくみ上げるところを見に行った。


  クレーンで吊り下げられた筏は、川の上で、30mの長さに仕上げられます。

  
降ろします





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まだ短い




 改めて、観光センターから出るバスに乗って、筏下りの出発地点まで向かう。めちゃくちゃ濡れるので、足元と下半身は濡れてもいい格好をしてゆきます。


  前回は、前から2番目という場所だったので、かなり迫力があったのだが、今回は7番目くらいだったので、のんびりと乗れた。

  一番前の筏師が、ルートを決めます。
出発です





1つの筏の上には、3人位の筏師さんが乗っていて、いろいろな話をしてくれる。

 急流では、立ち上がる。

急流は立ちます



  岩を押しているとこと。
岩を押している




曲がる



 難しい場面では、彼らは忙しく筏の上を行ったり来たりする。


3人程が乗っている (2)




 岩の上に前もってつながっているロープをひっかっけて操ったりもする。

筏の上を行ったり来たりする




 なんとカモシカが顔を見せてくれました。


かもしか




 この日の午前の便は、全部で3便の筏が出ました。


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  流れの穏やかなところでは、川の中に足を浸してみたりもできる。


  ここからの3枚の筏の写真は、前回乗船した時のものです。こちらの方が迫力があるのでもう一度使わせてもらいました。

  
回る





最後の難関




私達も濡れます



 下船地点の小松に到着。


ゴール



 筏は、ここでもう一度クレーンを使ってトラックに積まれ、筏を組んだ場所まで戻されます。筏に使われる丸太は、40年から60年生のものを使い、新しく組んだら3年は、使えるそうです。
 


使った筏はこうして釣り上げられます。


  我々は、再びバスに乗って観光センターに戻ってくる。冷えた体を、温泉で温める。これにて今回の旅は終わりです。

  村営バスで、熊野市まで戻り解散。それぞれの地に帰ってゆきます。


  証明書をもらいました。


証明書



  


 今回の旅で楽しみにしていたことが、蛍と筏とラフティング。

 ラフティングはやったことがなかったし、泳げないので水遊びは避けてきた。
でも、これはやってみたい。ウェットスーツを着るし、ライフジャケットも着けるので浮くだろう。 

  で、やってみた。

  カメラも、スマホも、完全防水仕様ではないので、ボートに乗っている最中は写真を撮ることができないので、どちらも持っていくことはしなかった。


  で、写真がない。


  迎えに来てくれた、ラフティングの会社の車に乗り事務所まで向かう。そこで、保険などのサインを行った後、自分の体に合ったウェットスーツとヘルメットを借りる。

  ウェットスーツは、足は七分丈くらいで、ノースリーブです。その上からライフジャケットを着るのですが、スーツの方は、必ずしもジッパーを上まで閉めなくてもよい。

  サイズもいろいろあり、私はかなり小さいが大丈夫でした。


  ヘルメットの方は、手ぬぐいやキャップをかぶった上からでもつけれるのだが、頭が小さい私は、かなり緩くてどんどん下がってくるのでちょっと困った。

  子供用になると小さいし、頭の小さい人は、手ぬぐいで対処するといいかも・・・。


  身支度が整ったところで、バンの上にボートをのっけて川まで移動。

 ボートはこんな感じ。

20240614_124040



  川にはまりながら、パドルの使い方や落ちた時のレクチャーなどを聞き、乗り込みます。


  スタート地点は、川筏の終点です。そして昨日ボートで乗った瀞峡を通過して、やはり昨日のツアーの最終地点であった嶋津のあたりまで下っていく。

  直線距離ならすぐだが、大きく蛇行している北山川なので、6時間ほどかかりそうだ。途中、瀞峡の河原でご飯を食べ、トイレも済ませる。

 昼食場所

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  泳ぎたい人は飛び込んでもいいし、岩の上からのダイビングもOKとのこと。

  しかし川の水はまだ冷たく、かなり寒いようでした。


  終わったあとは、そのままの格好で車に乗り込み、ホテルに戻って来て、そこで身に着けていたものをすべて返し、温泉に直行です。

  水量が少ないので、それほど激流ということもなく、時には漕がないと戻ってしまうような向かい風にも会い、のんびりとした時間を過ごせました。

  大人になって、こんな風に川をのんびりと流れていく体験ができて幸せでした。

  会社の方で撮ってくれた写真が送られてきたら、見てください。


  夜は、最後のホテル狩り。この日も、たくさんの灯りを見ることができた。


  


 温泉付きなので、6時ちょっとすぎに朝風呂をいただき8時半に出発。 


  車で七色ダムのところで川を渡り対岸の三重県育生町粉所(コドコロ)から歩き始めた。


  が、その前にガイドさんお気に入りの瀧神社にちょっと立ち寄りました。


歩き始め






北山川の支流



 きれいな苔と巨木のある瀧神社。

ひっそりと存在する神社



 弘化4年とある常夜灯。弘化は江戸の末期にあたる。

江戸時代の常夜灯



 昔の道のようです。

昔の道



 我々は、現代の道を歩きます。田植えの終わった田んぼには、オタマジャクシがいっぱい泳いでいる。オタマジャクシを見たのはいつ以来だろうか?


 何かの石塔。

田んぼの中に



 坂道を登っていく途中、ささゆりがきれいに咲いていた。色違いなのかしら?種類が違うのか?

色の違うユリ (1)



色の違うユリ (2)





 分かれ道にあったこの木は、ニッケイの木です。推定100年以上は経っていると思われる。ニッケイの木は、インドシナ原産で享保年間に中国経由で輸入され、香料・薬用として活用された。

ニッケイの木



 かつては人が住んでいた場所。この辺りは、こうした石垣だけが残っているところが多い。

かつて人家があった




  峠には、小さな神社があり、丸い石が信仰の対象になっていた。河原で見つけてきた丸い石をお祀りするもの。この辺りでは、あちこちにお祀りしてあります。


丸石信仰



  下ってきたところには、新選組の土方歳三の写真を撮った田本研造氏の生家跡がありました。この土方の写真は、誰もが一度は目にしたことがあると思う。


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田本研造の生家跡 (1)



  そして、七色ダムが少し見える公園でお昼をいただき、七色ダムへ移動。


  
県境にいます



  近くで見る七色ダム。


国道から見た七色ダム



  堰堤上は普通の道路になっています。


堰堤の上が道路になっている



 下流部分。

  ここは、筏流しの難所として知られていて、人もなくなっている。ごつごつした岩が行く手を阻むのだ。


かつては筏流しの難所だった





 せっかくだから、川からのダムの姿も見てみたいと、河原に向かう。


川から見たダム



  再び車で移動。途中、観音堂に立ち寄った。


観音堂 (1)



 続いて神社にも。これなんて読むと思いますか?
  「骨置神社。」


本殿



 読めないですよね。

縁起




 前回も訪れた沈下橋。

沈下橋


 ちょっと上流の中州橋には、北山川の増水の記録が橋げたに記されています。

水位




 中州橋には鮎の彫刻。

橋に鮎の彫刻



  車も通れる吊り橋、1トンまで通行可。


吊り橋、上瀞橋



  ホテルに戻り、お風呂と食事をすませた後再び蛍を見に行った。昨日と違った場所で、川に映るひかりがとてもきれいでした。



 今日は、隣接する熊野市を中心に回りました。

 車で、かつては観光客で大にぎわいだったという瀞峡に向かう。前回のツアーは、ここからスタートした。
 嶋津のガイドさんと合流し、筏師の話を聞き、エンジン付きの船に乗り込み上瀞、下瀞を遊覧する。船頭さんの飼っていた、カモの姿は今回は見えなかった。残念。

 ここにはかつてのにぎわいが想像されるように、駐在所と郵便局もありますが、現在は人家もなく誰が利用するのだろうという感じ。

 今いる場所は3県の境です。

3回目に訪れました




 船を待っている間、三重県側に渡れる吊り橋まで行ってみる。
「山彦橋」

三重県に渡る吊り橋



 途中浮いている板があったので、ちょっとだけ怖かった。

  この船に乗ります。奥にみえている建物は、瀞峡ホテル。かつては新婚さんなどで大にぎわいだったというが今は、予約のランチだけを提供しています。

  ホテルの左にみえている別館のある場所は、和歌山県になる。

川下りに船




 出発。まずは上流に向かいます。


 山彦橋を下から見上げる。



下から見上げると


  

  緩やかな流れの中、両岸には、岩が続く。

瀞峡 (1)




瀞峡 (2)




 下船して再び車に乗り、かつては鉱山で賑わっていた紀和町に向かった。地元のホテルに、帰りに入る温泉用の余分な荷物を置かせてもらい、お弁当を受け取り再び出発。

  川の中の島のように見える、木津呂の集落を上から眺める。

嶋津の森を上から




 そして木津呂の集落に向かって歩いて行った。この集落には、かつては小学校もあり、にぎわっていて、新宮から戻ってきた筏師達が利用したという店も残っている。

  ものすごく鮮やかな色のアジサイ。

アジサイ (2)





  トンボを久しぶりに見ました。


トンボ




 ここからバスは、丸山千枚田を目指す。初めての訪問ではないけれど、今のようにオーナー制になっておらず、荒れ果てていた時の棚田しか見ていないので、どんなふうに変わっているのか楽しみです。

  条例ができていました。

DSC05265
 


  そして田んぼは、こんな具合。


丸山千枚田 (2)



  かつては2000枚以上はあったというが、現在は、1340枚ほどだという。でもとてもきれいに手入れがされていて感動します。この日も、男性の方たちが田んぼに入り、植えた苗の手入れをされていました。稲は本当に手のかかる作物です。


 奥の方に見ている大きな岩は、転がってきたのだとか・・・。

丸山千枚田 (1)




 一番小さな田んぼと札に描かれていた。3苗が植わっています。


一番小さな田んぼ




  バスはここからさらに北上して、藤堂高虎が作ったという赤城城に向かった。城好き石垣好きの私、初めてなのでわくわく。

  1589年頃造られたようで、中世と近世の築城法を併用した平山城で、築城当時の原型を残した貴重な城跡で、国の史跡に認定されています。

  近くには、北山一揆によって処刑が行われた田平子峠刑場跡もあり、そちらも国の史跡になっています。

  十津川街道と北山街道の走るこの辺りは、古来より銅などの鉱山資源に恵まれ、中世には、盛んに刀鍛冶が行われ、豊かな森林は、戦国期にはたびたび切り出されたと記録に残っている。

  中世には、入鹿氏などの武士が台頭、天正13年に、豊臣秀吉の紀州攻めにより、その支配下にはいった。が、厳しい支配に対し大規模な一揆が再三起こったことからこの城が築かれたと考えられている。



 主郭、南郭、北郭、東郭、西郭、虎口などの石垣が残っています。

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 東郭の石垣。

野面積み



 進んでいくと、虎口に当たる。城攻めの時にはここが要所になるので、敵を防ぐための工夫がされている。赤城城は、2重の虎口があり、下段の者には階段が見られないという。


虎口



 門の跡、ここから主郭に入ります。


主郭へ



  主郭。

DSC05295



  主郭からは、建物に関係するものが出土されておらず、建物がなかったのではという説もあるという。
 焼き物などは見つかっています。


 西の郭。天目茶碗、砥石、釘などが出土されている。

東の郭

  

  城から南側の集落を見たところ。


城から見る眺め



  ここから、嶋津の森に向かう。嶋津は、和歌山県新宮市に属しているが、和歌山県には隣接しておらず、やはり飛び地となっています。

  朝、渡った山彦橋をずんずん進んでいくと、ここに行けます。


  かつては、集落があったという嶋津の森を歩く。前回ここに来た時には、あまりの美しさに感動してしまった。今回も同じように感動できるだろうか?

  緑深かった苔は、心なし剥げていて色も薄くなってしまったようだ。が森の持つ深さは変わらない。

 
DSC05312



嶋ずの森を歩く (1)



 ガイドさんが建てたという新しい石碑が立っていました。

DSC05320



 そして最後は、瀞流荘に戻り預けておいた荷物を受け取り、湯ノ口温泉にむかった。前回は、ここからトロッコで、温泉に行けたのだが、トロッコが廃止になってしまい、徒歩か車でしか行けなくなってしまったという。なんてこった!

  でもお風呂そのものは、変わらず良かったな。湯治客にも人気があるそうです。

  ホテルに戻り、今日も蛍狩りに行くのだが、新しい場所の辺りは熊が出ているというので、初日に行った場所に変更となりました。




  

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