与論島は、鹿児島県最南端の島で、沖縄本島の最北端・辺戸岬から23㎞に位置する、周囲23.3kmの隆起サンゴ礁の島だ。産業、食文化など琉球と奄美が混ざった独特の文化を持っている。ちなみにホテルのNHKを見ていたら、鹿児島の天気予報には、与論島は出て来ず、沖縄のNHKでやっていました。
人口は、5000人ほどだが、年間6,7万人の観光客が訪れる。
島の形は、こんな感じです。ぐるりとサンゴ礁が取り囲んでいます。
少し休み、島のほぼ中央に位置する舵引き丘に向かう。ここは、与論島誕生の地と言われており、昔、2人の神様が漁に出かけたところ、船の舵が浅瀬に引っかかったので降りてみるとサンゴ礁がむくむくと盛り上がり島となったという神話が残されている。
大金久海岸は、約2㎞に渡り白い砂浜が続く島最大のビーチです。遠浅の海が沖合約2㎞まで続いていて、夏には大いににぎわう場所だ。百合ヶ浜の現れる時期には、此処から浜を眺めることができるそうです。
この木は、モンパノキ。よく見ると小さな花が咲いています。 続いて民俗資料館にむかう。ここでは、芭蕉布織の体験もできるそうです。 沢山の壺が残されている。米やお酒を入れたものらしい。 沖縄と文化が似ていることを実感した民家。 庇の下は竹が使われている。 風鈴ハイビスカス 色があまり見かけない気がしたハイビスカス グランディフローラと思う。 ニンニクカズラ。 与論にもお城が有ったんですね。与論城跡とあります。 島の南端の標高94mの丘にある15世紀頃に築かれた琉球王朝時代のもので、石垣のみが残っている。600年前頃の与論島は、今帰仁に城を持つ北山王国に属していた。1405年、与論城の建設が始まったが、10年後、今帰仁を治めていた北山王の長男は中山王に攻め滅ぼされてしまった。今帰仁城が陥落すると与論島を治めていた三男オーシャンも自害に追い込まれてしまい、建築中だった城も未完成のままとなった。 亡くなった三男オーシャンの墓。敷地内には、地主神社・金毘羅神社・土俵などもあります。 絶好のビューポイントでもある。
暗くなりかけてきたので急いでヨロン駅に向かう。「与論には、鉄道はなかったはずだが、計画でもあったのだろうか?」なんて想像していたが違っていました。
1979年、国鉄の周遊券指定地に与論島が含まれるようになって10周年を記念し、鉄道の無い島のPRという意味も込めて、町が駅名標とモニュメントを作成した。 駅名標は、行き先が鹿児島と沖縄になっている。
駅舎 砂浜も有り、夕日や星の観察に人気があるそうです。 私達も、少し粘ってみました。 この後はいったんホテルに戻り、夕食後、星を見るためにもう一度ここにやって来たのですが、月が明るすぎて残念でした。
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