しまなみ、かきしま、とびしま街道の旅を終えた後、足を延ばして呉に行って来ました。以前から訪れてみたくて仕方がなかったのだが、中々機会が無かったのだが、今回はまたとないチャンスでした。
ホテルの車で広島駅まで送ってもらい、快速電車に乗ること38分で呉の町に到着だ。
駅を出て、ロータリーと反対側の道をまっすぐ歩いていくと5分ほどでヤマトミュージアムの建物が見えてくる。 入館する前に、熱を測り、手指の消毒をして入館します。
大きな、10分の1の大和が迎えてくれる。が、まずは呉の歴史から見てゆく。呉は、造船の町であり海軍の町でもあったので、軍艦の建造をたくさん担ってきている。
金剛に使われていたものと同じボイラーがまずは我々を出迎えてくれる。 こちらは、電気カバーですって。町を暗くして戦闘機から見えないようにしたのだ。この大きなガラスの塊は、探照灯ですって。 このように大和に使われた技術は、色々な所に応用されて日本の産業の発展に貢献しているという。
設計図。ちんぷんかんぷんです。 当時は、秘密は厳重に守られ、大和建造に携わった人でさえ、隣が何を作っているのかわからず、線路も運ぶ資材が見えないようにと壁で仕切りを作ったという。
10分の1の大きさ、26.3mある。 色々な角度から楽しめます。スクリューは4つ。
上から、46㎝砲をみると。 砲弾 左にゼロ戦が載っています。
艦橋部分。最大の照準装置が搭載されている。 人間魚雷と言われた回天。 こちらは魚雷 そして海龍。 3階から見た大和。乗員3332名のうち生還できたのは、276名でした。昨年の薩南諸島の旅で徳之島に建立された慰霊碑を見てきました。 この潜水艦は、展示潜水艦であきしおです。これからこのてつのくじら館に向かいます。
館外展示の41㎝砲。びっくりするほど大きい。
日本の掃海技術は世界一で、色々な方法で、海の機雷を爆発させて処理をしてきた。 時には、直接攻撃して爆発させたことも有ったというが、最近は使われなくなったそうだ。 機雷も様々な種類があり、海に沈んでいるもの浮いているもの、ひものついているもの、振動で爆発するもの、金属を感じて爆発するもの等がある。
この後は、入船山に向かい旧呉鎮守府長官の官舎を見にゆきます。
コメント