発電場前桟橋。明治時代に造られた固定桟橋。1929年の毒ガス工場開所の祝典の時には 、知事をはじめ招待された軍関係者などが、この桟橋から上陸した。毒ガス工場時代には、秘密厳守の為、向かいの町に面しているので、使用されることが少なかった。
発電場前桟橋、明治時代のもの
 トンネルをくぐるとコンクリートの大きな建物が目に飛び込んでくる。これが、発電場だった建物だ。工場の電力を此処で賄っていた。ディーゼル発電機を重油で動かし発電した。当初は3台、1933年に3台、1934年に2台を増設し、さらに1941年には向かいの忠海から海底ケーブル2本が引かれへ発電機と併用していた。
発電場へ
発電場、建物内で風船爆弾の気球部分のテスト
さらに北に進んでいくと、北部砲台跡があった。
北部砲台跡
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 崖のうえから、砂浜が見えた。ここで、毒ガスの点火試験が行われていた。戦後は、発煙筒の焼却処分などが行われた。
砂浜、点火試験場跡
 野ざらしの貯蔵タンクがあったところ。
タンク置台が並ぶ
北部砲台観測所跡。敵艦の位置をとらえ砲撃に必要な計算を行った。伝達手段は、伝声管(今でも使えます)や徒歩だった。
北部観測所跡
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 この辺りからカーブして南下してゆきます。この大きな廃墟は、島内で一番大きな貯蔵庫の長浦毒ガス貯蔵庫跡だ。約100t入るタンクが6基置かれていた。戦後処理の時、毒性を取り除くため火炎放射器で焼き払ったので、黒くただれた壁面がその凄惨さを物語っている。戦後、残っていた毒ガスは、何と土佐沖の海に海中投棄された!
島内で一番大きい貯蔵庫
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 海は、そういう歴史の中でも今もそこにある。
現在は平和?

 これは何だかわかりますかねえ。毒ガス工場時代のトイレだそうです。
毒ガス時代のトイレ

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ここも貯蔵庫
 せめて、美しいものをと思ったのかわかりませんが、山に近い所には日本庭園もあったそうです。今は石垣だけが残っていました。
更生施設日本庭園
 グランドゴルフ場やテニスコートなどが、何面も作ってあるのだが、荒れ放題でめくれてしまっているものもある。中高生やサークルの合宿などに使われていたそうだ。
 ここに来て、初めて綺麗なサクラに会えた。ソメイヨシノではなくて、オオシマサクラだが、満開で素晴らしく美しい。
きれい!
大島桜満開でした
 休暇村のすぐ横にも、毒ガス貯蔵庫があった。
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 すぐ前の工場から管を使って送り込まれた。10トンタンクの内部には、なまりが貼り付けられていた。
三軒屋毒ガス貯蔵庫
 これで、出発点の休暇村まで戻って来ました。フェリーを遅らせてまでして説明をしてくれたガイドさん、ありがとうございました。

 お風呂は、温泉ですよ。