藤井康二は、1888年生まれの建築家で、建築環境工学の先駆者と言われている。

 竹中工務店時代には、朝日新聞社や村山龍平邸などの設計を手掛けている。

 1919年、同社を退職し欧米諸国を巡った後、京都帝国大学の建築学科の招かれ、建築環境工学の先駆者としてて、教育・研究・実践をしていく。

 1920年、京都大山崎に1万坪の土地を手に入れ、ほぼ2年毎、計4回、自邸を建てては、人に譲るということを繰り返し、建築実験を通じて日本の気候風土に合った住宅を追求した。


 以前、訪ねて紹介した「聴竹居」は、第5回目の実験住宅として知られていて、自然の力を取り入れた、エコ住宅であるとともに数寄屋とモダニズムが融合した、近代建築史上重要な建物となっている。

 1930年、研究成果を実践した注文住宅がこの八木邸だ。ただし、提唱していた平屋ではなく、2階建てになっているのは、お客の多い家の事を考え、2階をプライベートな場所にしたからである。

  昭和のはじめ、電鉄会社が初めて住宅開発に乗り出した寝屋川市香里園に、大阪の商売人であった八木市造が施主となり、藤井が設計し、大工の酒徳金之助によって建てられた。


  冷房設備が整っていなかった時代に家の中を風が通り抜け、熱くなった空気を外部に送り出すなどの工夫がなされている。呼吸する住宅と呼ばれるゆえんだ。

  駅から歩いて5分もかからなかった。
八木邸
八木邸門


  玄関
玄関引き戸


  客用の玄関の他に、家内用の小さな玄関も有りました。
玄関客用


  間取りは、こんな感じ。
DSC01478


  入って、右側にある小さな部屋が応接室。当主が好きだった、乗馬に関連したものが置いて有る。
1階応接室

  家具も照明も室内装飾、絨毯、電気スタンドなどの調度品までが藤井によってデザインされたという。

  隣は書斎。障子が柔らかい光を取り入れてくれる。
1階書斎

  天井は網代。
1階書斎の天井


 応接間兼居間。ピアノがやソファが置かれている。
応接間兼居間


  このテーブルは、マージャン卓になっています。
マージャン卓です


  応接間の隣の
、小上がりは、食事室の椅子座と視線の高さが合うようになっていました。
1階夫人室兼居間


 食事室
1階食堂

  調理室とつながったハッチから、料理が出せるようになっている。


  台所。こんなキッチンで料理したいと思った。動線が良く動きやすそうである。
使いやすそうな台所

  流し下には、ダストシュートが有る。流しの水きりは、ガラス棒になっていて見た目の美しさも考えられている。
洗面所や流しにはガラス棒の水きり

  
おしゃれだ

  食器棚。
台所食器棚

  2階へ行ってみます。
2階へ

  明るい階段
階段ホール

  階段室。当時はここから淀川が見えていたという。
2階の広間


  階段室の向かいにあるのが、2人のお嬢さんの部屋。
2階子供部屋

  奥に布団、手前にベッドが置かれ2人で眠れるようになっています、右側の押し入れの中には、空気を流す仕掛けが有る。右奥の木の筒が空気を下から上に屋根へと逃がしている。

子供室の空気の通り道


 子供部屋の隣が、ご夫婦の寝室。障子下には、窓があり、ここを開け廊下の窓を開けると風が通り抜けて行って、涼しかったという。
2階主寝室


 その奥は、婦人室。女性が着替えなどをしたり、趣味の部屋として使った。
2階婦人室


  この家には、2階にもトイレと洗面台が有ります。90年以上も前に、こうした利便性が一般家庭に取り入れられているのは、すごいことではないだろうか。
2階洗面所


  どの部屋も照明器具のデザインは統一されてました。
照明もデザインし統一してある

  シンプルでモダン。

  お宅拝見といった感じで楽しかったです。「聴竹居」は写真撮影が禁止でしたが、ここは申し出ればOKというのもうれしかった。