先日市バスに乗っていたら、ポスターが目にとまった。
ヒラメキさんぽというもので、交通局や守山区などが企画した、「小牧・長久手の戦いと家康が見た情景に思いを馳せるコース」とある。
守山城跡とか小幡城跡とかあるので、城好きとしては行ってみたいなあと思ってしまった。そもそも、そういう城があることさえ知らなかった。
で、土曜日に歩いて来ました。
パンフレットによると、1584年の「小牧・長久手の戦い」のなか、秀吉軍の「三河中入り作戦」が行われ、池田恒興、森長可、堀秀政、三好秀次が守山区を経て長久手に進出した。
この動きを察知した家康軍は、9日夕方、小幡城から直線距離で僅か、2.5㎞の龍泉寺に本陣を移し、一触即発の事態となるも、家康軍は小牧城に撤退し直接対決は避けられたとある。
10時過ぎ、スタート点となる、ナゴヤドーム前矢田駅で地図を手に入れて出発。
北へ向かい、矢田川を越えてすぐのところを左折。
すると結構大きな神社があった。守山区は、古墳の多いところなのでちょっと寄り道。
古墳の上に建つ白山神社。

神社の横手から少し進むと守山城跡があった。
登ってみます。
県道に戻って、旧市役所だった守山図書館前に到着。このウオーキングは、クイズをしながら進むようになっているので、ここでも問題を確認する。
守山区は、元々は守山市だったのだが、昭和38年名古屋市と合併し13番目の区となったとある。
さらに県道を東北へ進み途中左折。守山中と西城小学校を超えた辺りに、小幡城があった。段丘の端っこみたいな地形の端っこにあり、見晴らしがとてもきくのだが、現在は駐車場になっていました。
ここからは、東に向きを変え、生玉稲荷神社を目指したのだが、私はこの神社の名前も聞いたことがなかった。ところが、名古屋市でも最大規模のお稲荷さんと説明があった通り、結構大きな神社で驚いてしまった。時期的に七五三祝いと重なっていたので、境内には親子連れの姿も見られました。
1584年、家康が小幡城主織田源三郎方に一泊したおり、家臣が、この稲荷の霊験著しい事を伝え、稲荷山より竹を切り旗竿を献上して喜ばせたそうです。
再び北に向かって歩いていきます。長命寺に立ち寄り、クイズにあった和歌を探す。
ここまでくるとゴールも見えて来る。城土公園と呼ばれる白沢渓谷に立ち寄り、農業用水に利用されていたことを確認。
そして、小牧・長久手の戦いの折、羽柴秀吉が布陣した龍泉寺にやってきました。ここがゴールです。
その後、龍泉寺観音は尾張4観音の1つとなりました。
ゴールの後は、市バスのゆとりーとラインに乗って戻ってきました。
登ってみます。
県道に戻って、旧市役所だった守山図書館前に到着。このウオーキングは、クイズをしながら進むようになっているので、ここでも問題を確認する。
守山区は、元々は守山市だったのだが、昭和38年名古屋市と合併し13番目の区となったとある。
さらに県道を東北へ進み途中左折。守山中と西城小学校を超えた辺りに、小幡城があった。段丘の端っこみたいな地形の端っこにあり、見晴らしがとてもきくのだが、現在は駐車場になっていました。
ここからは、東に向きを変え、生玉稲荷神社を目指したのだが、私はこの神社の名前も聞いたことがなかった。ところが、名古屋市でも最大規模のお稲荷さんと説明があった通り、結構大きな神社で驚いてしまった。時期的に七五三祝いと重なっていたので、境内には親子連れの姿も見られました。
1584年、家康が小幡城主織田源三郎方に一泊したおり、家臣が、この稲荷の霊験著しい事を伝え、稲荷山より竹を切り旗竿を献上して喜ばせたそうです。
再び北に向かって歩いていきます。長命寺に立ち寄り、クイズにあった和歌を探す。
ここまでくるとゴールも見えて来る。城土公園と呼ばれる白沢渓谷に立ち寄り、農業用水に利用されていたことを確認。
そして、小牧・長久手の戦いの折、羽柴秀吉が布陣した龍泉寺にやってきました。ここがゴールです。
その後、龍泉寺観音は尾張4観音の1つとなりました。
ゴールの後は、市バスのゆとりーとラインに乗って戻ってきました。
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