好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 国内旅行


 兜こそ脱いでいるものの、甲冑を身に着けなおかつ旗指物を掲げて、競馬をするのは慣れていないととてもできないことだと思う。

 プロのジョッキーでもない一般の方々が、大坪流という手綱さばきのもと、疾走していく姿はとてもかっこいい。

  第4コーナーのあたりから、スタートして、正面の審判席のあたりがゴールのようです。

甲冑競馬の始まり


  1走目、2走目と落馬が続きました。騎手が落馬しても馬はそのまま走り続け、無事ゴール。

  2走目はかなり激しくて、馬は一回転したものの、すくっと立ち上がり何事もなかったように歩いている。柔道の受け身みたいな感じなのだろうか?

  出発直後から、大きく膨れていたので危ないなあと思っていたのだが、
落馬がありました


  少し中断されたものの、再開。


レースは続行



 走り終わったのちには、審判席の前に向かい、順序を確認。勝者には、何かが渡されます。(遠くてわからなかった)
  勝ったものは、そのまま観客にアピールをしながら、坂道を登ってゆく。
審判席、順位を確認する



レースが終わるとここを駆け上がっていく


  女性の乗りても出走されたようですが遠くからでは見分けることができません。

  
第4コーナー


 口に何か加えていますよね。

口に何かを加えている



  そして1時から始まったのが神旗争奪戦。
明治4年、廃藩置県により中村藩が消滅、相馬家も藩主ではなくなり、相馬家主催の武家行事として継続してきた野馬追も、消滅の危機を迎えたが、翌5年には、太田神社の神事として再生し、1878年から正式に太田、中村、小高の三社合同祭礼として行われるようになり、江戸時代には見られなかった神輿の行列も始まった。

  また、1872年11月、野馬追原の放牧されていた野馬を農作業などに活用させるという明治政府の方針で、野馬追は実施困難になった。
  はじめのうちは、飼育馬を追うなど様々な競技が行われていたが、明治初期に生まれた新競技「神旗争奪戦」に統一された。

  雲雀ヶ原に広がった騎馬武者達は、打ち上げられた花火がさく裂し、中からゆっくりと舞い降りて来る、青と黄色の2本のご神旗を目指して駆け出す。
神旗争奪戦 (1)



神旗争奪戦 (2)


  うまく神旗を奪い取ったものは、それを掲げながら坂道を駆け上って本陣目指す。
旗を獲ったもの




 同じように、2時半ころまで、何度も花火は上がる。
旗めがけて集まってくる


  以前テレビで見たころと比べると馬の数が少なくなっている気がしたのはコロナの影響もあるのだろうか?

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  母衣を身にまとった上位の武者が本陣を後にして降りて来る。
途中で、大将たちが加わります



 
旗指物


  神輿も降りてきました。
神輿も加わって


  2時近くなると、こちらの体が悲鳴を上げ始めた。暑い。9時半ころから炎天下にいるので、なんだかおかしな気分になって来て、だんだん我慢ができなくなってきたのだ。

  これ以上ここにいるのもつらいので、ゆっくりと退散することにした。

  シャトルバスの方向には、馬の待機所があったので立ち寄ってみました。
出番の終わった馬と少


  扇風機で風を送ってもらう馬。
扇風機を


  触ってもいいというので、お疲れさまでしたとお礼を言う。どのこもとても落ち着いていて、触らせてくれます。

  
ねぎらってもらう馬



 シャトルバスの乗り場は、混んでいましたが、早めに引き上げてきたおかげで、2台ほど見送ったくらいで無事乗車。
  自分たちのバスに戻って来て、後ろの席で着替えた。


  こんなに汗をかいたのは、初めてかも。本当に暑かった。花火大会は、一番熱い時間に会場に向かうけれど、時間が過ぎると日が沈むものね。


  でも長年の願いだった祭りを見ることができて良かったです。


 会場へは、シャトルバスでしか行けないので、途中の駐車場で大型バスを降りる。ここから乗り換えて会場近くまで向かいます。帰りもこのシャトルで帰ってこなければならないので、バスの行き先と降車場をしっかり覚えておかねば・・・。 

  シャトルバスを降りて10分ほど緩やかな坂道を登っていくと雲雀ヶ原祭場地に到着。自分達の指定席を確認して、大きな荷物はそこに置き、行列がやってくる県道まで向かった。

  この時点での会場はこんな感じ。
開催前の様子



  馬は地元だけでなく、よそからも借りて来るらしく、馬の搬送車が何台も並んでいた。馬も人も大変である。


  集結した騎馬隊は、午前9時半の法螺貝や太鼓が鳴りひびき、号砲が鳴る9時半、約3㎞先の雲雀ヶ原を目指して出発する。我々は、その会場の近くでやってくる騎馬隊を迎えるのだ。

  暑い中、じっと我慢のこで待ちます。どうしてこんな暑い時期にお祭りをするのだろうと、ぼやきたくなってしまう。

  行列には順番があり、まず、中ノ郷(原町地区)を先頭に小高郷(小高区)、標葉郷(浪江町、双葉町、大熊町)が続き、最後は北郷(鹿島区)、宇田郷(相馬市)と続く。

 先祖伝来の甲冑を身に着けた騎馬武者が、進んでいく様子はともかくかっこよかった。昔は、今より馬の数も多かったそうだが、だんだん減ってきているそうです。

  先頭の騎馬武者。口上を述べているところ。

口上を述べる


 甲冑を着て馬を操る人なんて初めて見るので、それだけでうれしい。それにしても馬って本当に賢い動物だなと思う。人馬一体なんて言葉があるくらいだから、騎乗の人の意思をちゃんと受け止めて行動できるのだろうなあ。
次々とやってきます


  旗指物も様々なものがあり、それを見比べるのも楽しい。
様々な旗指物


 中にはとっても余裕のある馬もいて、止まっている間に道端の草を食べていました。
その辺の草を食べる馬




甲冑に旗指物は初めて見た


  南相馬市は、海に近いので福島市ほどには気温は上がらないものの、この日の最高気温予想は36度。傘をさすこともできず、帽子だけで炎天下にいるのは、見てる方も忍耐を強いられる。

  馬に乗らない人々もいます。
地区ごとに分かれています



  あれだけかっこよく馬に乗るためには、小さなころから馬に親しみ、練習するのだろうたぶん。

 馬の衣装を見ていて一段と豪華なものを身に着けている馬に乗っている武者は、たぶん偉いんだろうね。馬子もついているし。
偉い人の馬は馬子さんがついている


  
たぶん偉い人


  白い衣装を着て、御幣を背負った馬を引いている人も。神社関係の方だろうか?
御幣をしょった馬



  旗指物にも意味があるのだろうが・・・色づいたモミジ。
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 母衣をかぶった騎馬武者。なんだかかっこよく見える。
母衣を背負った武士


 動物の姿が描かれている旗指物。何かしら?
面白い絵の旗指物



 傘をさしてもらって騎乗している方。烏帽子もかぶっておられるので、神主さんだろうか?
傘をさしてもらっている


  大勢の人にかつがれて、神輿もやってきた。
神輿



  後ろの武者のがかぶっているものは、動物の毛だろうか?手前の人物は甲冑ではなくて、陣笠に羽織姿だ。
動物の毛の被り物



甲冑ではなくて陣羽織の人も



 少年が乗っていて、拍手を送られていた。
少年も



  馬たちは、パドックに向かい休んだり水を飲んだりする。
パドックへ戻る


  先に進んできたのだろう。場内で、のんびりと過ごしている馬も。
草の上でのんびりと



  祭場内の真ん中に道があり、お行列はそこを進んでいく。
続々と入ってくる


  道を抜けると、急な坂道があり、そこを登っていくも騎馬武者もいた。
行列を終えた馬は高台に登っていく



結構な坂でした


  神輿も
神輿も登る


  途中で、この後、甲冑競馬に出る馬とすれ違い。
登る人降りる人


  もうひと踏ん張りです。
陣笠



 この後、12時過ぎには、甲冑競馬が始まるので、今のうちにお昼をいただきました。


 新幹線で福島駅に到着したのは、正午前。そのままバスにて、相馬市の東日本大震災の記録を残す伝承館へ向かった。

 夏の福島は、かなり暑くてびっくり。福島市は、最高気温38度だという。相馬の方は海沿いなので少しは気温が低いそうだが、これでは明日のお祭りは、どうなるのだろうと不安がよぎる。 

  伝承館のある辺りも、津波で持っていかれたが、現在は、きれいに整備がなされていた。

  
  整備された海水浴場
海水浴場 (1)


  背後に見えているあの橋を津波は越えてきたのだという。
津波は橋を越えた



  
震災後整備された


  堤防には、野馬追の描かれていた。
壁に描かれた野馬追 (2)




壁に描かれた野馬追 (1)



 建物内には当時の新聞や津波の被害があった範囲などが記されたものがあったり、当時のビデオが流されていた。


  亡くなった方々の名前が刻られていました。
海水浴場 (2)


  続いて、南相馬市に移動して、博物館に入場した。中には、野馬追の様子が描かれた絵図展が開催されていた。

  野馬追は、3日間にわたって開催され、我々が見るのは2日目の、行列と甲冑競馬、神旗争奪戦である。

  相馬家の祖と言われている「平小次郎将門」は、1000年以上も前に新しい軍事力として馬の活用を考え、下総の国小金ヶ原に野生の馬を放牧し、野馬を敵兵に見立て追い、とらえる軍事訓練として、またとらえた馬を神前に奉じ祭礼として行ったのが始まりといわれています。

  その後、相馬氏は、1323年に、現在の南相馬市に移り住んでからも、代々の相馬家当主が明治維新までこの行事を続けていった。

  現在の形になったのは、明治以降のことだという。


  
南相馬博物館


  神事に使われる道具など。
野馬追の行事で (1)


  ホテルは、福島市内なので、同じ道を引き返し夕食までは自由時間。少し散歩をしてみる。
古関裕而氏の故郷で、NHKの連ドラの舞台になったそうで、街のあちこちに、古関裕而氏関連のものが見られた。

  
東西自由通路で


  
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古関裕而ストリートみたいな通り。
古関裕而通り


  メロディボックス。彼の作曲したものの中から好きな曲が聴けるようになっている。
古関裕而メロディーボックス


  福島市の、PRキャラクターのももりんとライバルのブラックももりん。
福島市マスコットキャラクター


 それにしても暑くて、添乗員さんから対策としてペットボトルを凍らせておくといいと聞いたので、コンビニで飲み物を買い、部屋の冷蔵庫で冷やす。


 昨日、長野県伊那谷にある箕輪町の赤そばの里というところに行ってきました。 
私達は、車を持っていないので、レンタカーを借りて出発。

  公共交通機関でも行けますが、飯田線は本数も少ないし、高速バスだと降りた後ちょっと大変かもしれない。

  9時少し過ぎに、名古屋を出て、伊那インターでおりて、一般道で少し走る。2時間半ほどかかったかな。東名や中央道では、集中工事が行われていたので、帰りは渋滞にはまってしまった。

  駐車場は無料です。そば畑までは、坂道を少し登っていかなければならないが、電動車いすの貸し出しもあるようです。

  普通そばの花は、白というイメージですが、ここの花は、濃いピンクでした。
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  濃いピンクの花と少し薄いピンクの花のコントラストがきれいです。
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 ぐるっと畑の周りを歩けるようになっています。
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高嶺ルビー


赤そばの里


 晴れていれば、畑の向こうにきれいな南アルプスがみられるのですが、あいにくの曇り。
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 帰りに、出店で赤そばを食べたかったのですが、結構な人出で、売り切れ状態。あきらめる・・。
で、町中に戻り、ふつうのおそばをいただきました。

 このまま帰るのは、ちょっともったいないので、近くのみはらしの湯と、駒ケ根のロープウェイ乗り場のそばにある早太郎温泉のこまくさの湯に入ってきました。

 今の時期だと、リンゴ狩りとブドウ狩りができるようでしたが、今回はパス。



  帰りのフェリーは、8時に片泊港を出港し、大里港・硫黄島・竹島と経由し、6時間ちょっとかかって鹿児島港に接岸します。

  片泊港から乗り込んだのは、我々を含め3組だけでした。

  さよなら黒島!

黒島を後に

 大里港で少し乗客を乗せ再び出航。硫黄島までは、1時間ちょっとかかる。島が近づいてくると今までで一番かっこいい硫黄島の姿が見えてきた。
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 硫黄岳、稲村岳、矢筈岳もきれいに見える。
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 海の色も違ってきた。
海の色が違う

 ここでは島の小学生たちが乗り込んできた。本土へ帰る潮風留学生たちだろうか。
 我々の時とは違い、結構沢山の人達が見送りに来ていて、ジャンべの音も賑やかだ。案内してくれたガイドさんを見つけて手を振る。
今日は小学生の見送り


  印象的だった長浜湾の不思議な色も見納めです。
見納め

 硫黄岳は見る角度によってずいぶん雰囲気が違う。
かっこいい


火山だね

  さよなら硫黄岳です。
さよなら硫黄岳

 船はしばらく、硫黄岳を回りこむようにして進んでいきます。

  今日は、一段とラインが綺麗に見える。
今日も一段とキレイなラインが

  
幻想的

  いかにも噴火し冷えて固まったという感じの岩。
噴火でできた?


 竹島港には、11時頃に接岸。ここに降り立ったのが、はるか昔のように感じてしまう。案内をしてくれたガイドのお2人や、民宿の御主人も見える。手を振ると答えてくれたのだが、そのうちに見えなくなってしまった。どうしたのかなあと思っていたら、3人とも乗客として船に乗り込んできた。

  ラウンジで、少し話をする。市内では、祭りが行われているのでそれを見に行くのかなと思っていたらそうではないらしい。定期的に、鹿児島へ渡る日がたまたまこの日だったようだ。島には、ATMも理美容室もないから大変だ。

 佐多岬や指宿が見えて、錦江湾内に入ると船はスピードを落として進んでいく。そして、桜島が見えてきた。
帰って来たよ桜島

  ただいま桜島!この時には、まさか、あと6時間ちょっとで噴火するとは夢にも思っていなかった。

 竹島の方達と最後のお別れをし、迎えを頼んでおいたタクシーで空港に向かう。親切な運転手さんで、今日は日曜で道路も空いているので、下道を走った方が得ですよとの事。その通りで、高速に乗ったより早い時間に空港に到着しました。

 飛行機の出発時間までは、ラウンジですごす。焼酎の試飲があるので、それをいただきました。

 夕方には、セントレアに到着。長島スパーランドが眼下にみえた。
長島スパーランド


 そして家に帰り、テレビを見ていたら、速報が入り桜島が噴火したというではないか!しかもレベル5!噴火は、飛行機の運航に影響を与えるので、早い時間に戻ってこれてよかったなあと思った次第です。
  


 お昼ごはんをいただき、迎えに来てくれたガイド氏と共に大里地区に向かう。
我々が乗っている車は、村のもので、外からのお客さんを乗せたりするのに使うそうで、自分らの車はほとんどが軽トラか軽四だという。
 

 県道片泊・大里港線を通って30分ほどで大里港の近くに到着した。途中、三島焼酎の工場に立ち寄ったのだが、あいにくお休みでした。ここは、全国でも珍しい公設公営の焼酎蔵で、島で収穫したベニオトメというサツマイモを使った焼酎「みしま村」を作り、
 隣の硫黄島のベニオトメを使った焼酎で「メンドン」を作っています。黒島には、お店屋さんがないので、フェリーの売店で、買うことができます。

焼酎工場


 小説家有吉佐和子氏の文学記念碑。
有吉佐和子の碑

  彼女は、昭和33年、黒島片泊地区に姥捨て山伝説があると聞き、黒島を訪れている。島に滞在するうちに人々と密接になり、道路もできていなかった島で、牛に乗って移動するなどの体験をしている。
  この体験をもとに、翌年の34年、朝日新聞に連載されたのが「私は忘れない」である。
  小説は、映画化され、ロケも行われたので、大勢のスタッフが黒島を訪れたという。
  
  つづいて、黒尾大明神を参拝。1598年の棟札が有ります。

鳥居

  参道を登ってくと、
参道

  
黒尾大明神

  本殿の扉の両側には、阿吽の面がある。
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 狛犬もあるが、あまり原型をとどめていない。
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狛犬

  丸石を祀ってある祠。
こちらは様々な神様

 続いて、港の近くまで降りてゆきます。黒島には、砂浜が無く、またカキ殻などでけがをすることが有るので、泳ぐには向いていません。唯一、小さな砂利浜が港にの近くに有るのだが、今は流れ着いたゴミであふれていた。

  海の神様ですかね、浜戸神社。
浜戸神社

  珍しく灯籠が有りました。
灯籠

  サンゴ礁でできているお祈りの場。
サンゴ

  本殿、同じかたちでした。御神体は、丸石です。
神様


 道路際に、忘れ去られたように立っていた、仁王像と思われる石仏3体。
仁王かな


 そしてここは、三途の川の渡しというか、渡れるか渡れないかを判断するところらしい。
三途の川関所

 最後は、坂道を登り大里地区が一望できる黒島平和公園に案内された。
公園内には、第2次世界大戦中に黒島に不時着し、戦友と共に終戦までをこの地で過ごした元特攻隊員が、戦友の慰霊と平和への祈りを込めて建立したという平和観音や、平和の鐘、三角点などが有る。
黒島平和公園

三角点

 大里地区が良く見えます。港の左上に見える白と朱い建物は、宗教関係の建物だそうです。
大里港

 と、フェリーが入って来ました。ガイド氏は、片泊港のフェリーが接岸するまでに戻らなければならないと、今までのんびりと回っていたのに、急に先を急がせる。
フェリーが入って来た

 フェリーは、大里港に接岸してから45分後に片泊港に到着する。30分もあれば戻れるので間に合うと思うのだが・・・。

 黒島の由来は、島が黒く見えたからだという。ここの植物の葉っぱは、確かに黒っぽい。
黒島の由来黒い葉っぱ

 大急ぎで帰ったガイド氏、我々は、シャワーを浴びる前に、皆で集まってビールでまったり。こういうすきま時間も島ならではのものだ。

 黒島は夕日のきれいな島でもあるという。今の日没の時間は、少々遅く7時15分くらいなので、先に食事を始める。宿の奥さんが、良い頃合いになったら知らせてくれるという。

 きょうは、ご主人が釣ったというオヤビッチャの唐揚げが出ました。この辺では、誰でも釣れる魚だそうですが、美味しくいただきました。
夕食

 そして、メインディッシュの夕日。下に雲が有ったので海に沈むとはいきませんでしたが・・・。
夕日

 明日は、島を出ます。




 黒島は、他の2島と比べると、島全体に森林が多く、動植物も豊かである。湧き出る清水は海岸の断崖で滝となって海に落ちる。
天然記念物

 大きさも一回りほど大きくて、周囲20.1km、面積15.5㎢、人口は両地区合わせて192人である。島の中央には、標高622mの櫓岳をはじめ、500m以上の山が幾つかあり、登山道も有るのだが、コロナ禍の現在は、訪れる人もいない為、荒れ果てているとの事。
黒島の登山道など

 また、他の2島と違う面は、県道が島を1周していて、周回道路が有るという事だ。いくつもの道路が、島内を通っており、地図が無くても走っていれば必ず元に戻ってこられるそうだ。現在、県道は工事をしており、関係者の方々も同じ宿に泊まっておられました。長期滞在の工事関係者の方達は、島にとってはありがたい存在なのだろうなあと思う。

 産業は、椎の木を使ったシイタケ栽培、大名竹などが特産品として出荷されているほか、広大な土地を生かした足腰の強い「みしま牛」の育成にも力がそそがれている。

 釣りの絶好のポイントも多く、イシダイのメッカと言われているそうです。

 黒島は、2つの地区の距離が案外あるので、午前中は、片泊地区を案内してもらった。

 港にも近い菅生大明神社。
菅生神社一番鳥居
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 島の神社は、どの神社も鳥居の数が多い。ロシアのマトリョーシカの様に、次々と出てきます。

 2番目の鳥居
菅生神社2番鳥居

 3番目
3番鳥居

 本殿の手前の祠にも・・・。
祠は2つある、

 元々は2つあった面だが、現在は片一方だけになっていた。
面

 本殿、手前の建物で、奉納踊りなどをやっていたそうです。
本殿

 般若の面が取り付けてあった。
般若の面

 本殿両サイドには、生活に関連した神様が祀られていて、玉石が信仰の対象の様です。くどや井戸の神様といった感じ。
くどの神様など生活に関係した神様、

 大きな石は、歯の神様だとか・・・。
奥歯の石

 片泊学園、この日は生徒が行事で島を出ているため、学校にはどなたもおられませんでした。
片泊学園


 大里地区にも学園が有り、それぞれ1年生から9年生までの児童生徒が在学しています。
 
 黒島も、山村留学生を受け入れていて、両校合わせて10名ほどが通っているようでした。

 診療所、郵便局、役場の出張所、ふれあいセンターも、両地区にそれぞれあるのですが、お店は1軒もなかった。

 島には、神様がとてもたくさんおられるようで、次に案内されたのは、火の神様でした。
火の神様

 ここも、丸石が祀られていました。

 続いて、海の神様。お祭りの時にしか開かないそうです。
海の神様


 川の神様は、本当に小さな川が流れている近くに祀って有った。我々が近づくと一斉に蚊が攻撃してきます。久しぶりの御馳走かも・・・。
川の神様

 とても景色の良いユキノ瀬。
ユキノ瀬

 近くには、白衣観音が建立されていた。
白衣観音

 明治28年に台風の為避難していた枕崎のカツオ漁船が、突風にあおられて岸壁に激突し、411名が亡くなられた。
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 火山島としてうまれ、波の力で浸食され、当時の内部が見えるようになった塩手鼻に行ってみました。
 ここも以前は、もっと下まで行けたのですが、台風で壊されてしまい、修理がなされていないので途中までで引き換えした。
塩手鼻

 海を見下ろしていたら、ウミガメがどんどん近寄って来た。ここは、漁場としても最高なのだが、帰りは、ひたすら登らなければならないので大変だそうだ。
ウミガメが寄って来た

 もう1つ、我々を驚かせてくれたのが野生化したヤギ!

 雄なので、でかい!そのでかい体で、岩の上をピョンピョンと渡って行くのは、見応えがある。
山羊
崖を難なくとんでいく


 最後は、牧場の中に有るイバドンの墓。案内板では、エバドンの墓になっていますが・・・。
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 ここに入れるのは、女性だけで男性禁止ですが、草が大きくなりすぎて、女性も近づくことが出来ませんでした。

 竹藪の向こうに有るらしい。
この辺りにある


 写真で見るとこんな感じです。背後に竹藪が見える。
イバドンの墓

 いったん宿に戻り、お昼ごはんをいただいた後、13時に大里地区に出発します。


 
 
 


 



 黒島へ向かうフェリーは、午後 13時40分なので、今日も午前中は丸々空いている。で、硫黄島で心残りなのは、白孔雀を見つけられていないことだということで、今日は徒歩で、飛行場の有る地域の奥の牧場まで行ってみることにした。

  というのは、昨日の夕食の時に、同じ宿に泊まっていた男性2人組の方達が、奥の牧場で夕方白孔雀を見たと聞いたからだ。

  我々が、行ったのは、昼間だったので藪の中に入ってしまい見つけることができなかったのだが、確実にいることがわかった以上行ってみようと意見が一致した。

  ずーっと登りの道をひたすら歩く。

  途中、また違った角度の港が見えた。カルデラの縁がよくわかる。
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 牧場の近くまでくると、確かに孔雀の鳴き声がする。でもそれが白なのか普通なのかがわからない。ともかく声のする方に静かに近づいていく。

  と、飛行場の柵と牧場の間の松の木に白孔雀らしきもの発見。「あれそうじゃない?」などと言いながら、さらに接近。間違いない、白孔雀だ。おまけに違う枝には、普通の孔雀のオスも止まっているではないか。どうやら、オス孔雀は、白孔雀の気を引こうとしているようだ。

白孔雀

普通の孔雀のオス

 「わあー、見られたねえ、やったあ!」それぞれが少々興奮気味。

  しばらくすると、白孔雀がきの上から地面に降り、向こうの方に飛び去ってしまい、オスだけが取り残されてしまった。
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  さて残った孔雀。恋の季節はとっくに終わってしまった今になっても、これほど立派な羽が残っているとは全く持てない奴だったのだろうか?
  
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  こうなったら、飛ぶところを見たい。もう少し近づいて、飛ぶように声など出してみたりした。すると、何と飛び立ったのだ。すぐに、飛行場の茂みに隠れてしまったが、孔雀の飛ぶところを見たのは初めてでした。その瞬間を、添乗員さんが、一眼レフの望遠カメラでばっちりおさえてくれていました。
  白孔雀の飛ぶところも含め、飛翔のシーンはすべて添乗員さんの写真をいただきました。
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  まるで鳳凰のように見えませんか!もう大興奮でした。

  このころになると、ずっと雲のなかだった硫黄岳の山頂も顔を出してきて、こちらも見たかった頂上を見ることができました。
山頂まで見えた

  角度によって全然違う山に見える。

  登山道が見えている。崩れていて、途中までしか行けないそうです。
冒険ランド硫黄島


  昼食の時に、白孔雀の事を宿のおかみさんに話すと、彼らは家族で、子供もいるとの事でした。これから硫黄島に渡る方は、家族の白孔雀を探してみてはどうでしょう。

  そうそう、昨日ガイドさんから島カードなるものをいただきました。このカードの存在をもっと早く知っていたら集めていたのにいまさらという感じでちょっと残念。ダムカードとマンホールカードは、集めていたのだが・・・・。こちらもこれから離島めぐりをなさる方は集めたら楽しいかも・・・。
島カード

  フェリー乗り場には、誰もいない。我々と、同じ宿に泊まっていた3人だけの気がする。
誰もいない

  届いた荷物を、みなでチェックして持ち帰る。
荷物の種分け


  ところが、誰も採りに来ない荷物がぽつんと残ってしまった。どうするのだろうと思っていたら、取り敢えず車に乗って島の人が回収して、港のそばの建物の中にしまいました。
ポツンと


  ブリッジも、フォークリフトでこうやって運んでしまいます。
橋をしまう

  見ていると、それぞれの役割がきちんと決まっているようですが、何役もこなさなければならないので忙しい。

  で、出航の時間になっても、いっこうに離岸する気配がない。どうしたのだろうか?飛行機などだと、機体の整備不良のため、変更になったり、欠航になることも有るんだが、フェリーの場合も有りうるのかなあと思っていたら、放送が入った。
「機関不良の為、整備を行うのでしゅっこうがおくれる」との事。これを聞いて、見送りに来ていてくれた宿の御夫婦は、一旦引き上げることになりました。

  「お世話になりました!」

  すると、船の前の方で、ジャンべの演奏が始まった。この炎天下、我々を退屈させないようにとの心遣いだろうか。踊りまで加わって、本当にありがとうございます。島の方々の優しさを感じた出来事でした。
出港が遅れたので

  幸い、船は、25分遅れで黒島に向かって出航できて一安心。黒島には、大里と片泊の2つの港が有り、それぞれに泊まって行く。

 硫黄島はどんどん遠くになって行きます。
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 硫黄岳と稲村岳が綺麗に見える。
硫黄岳と稲村岳さよなら

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 黒島の大里港までは、1時間10分ほどで到着。沢山の医療関係者が乗り込んできた。島で、一仕事をすませ、鹿児島市に帰るのだろうか。
 
 大里港から片泊港までは、30分ほど。島の反対側に位置しているので、どちらかに接岸できなくても、大丈夫なようになっている。

 降りたってびっくりしたのは、港の背にそびえ立つ岸壁である。
黒島の石

 しかも、どれも危うい感じで、いつ崩れてきてもおかしくないような絶妙な、収まり方をしている。

 黒島は、竹島や硫黄島より古い火山島として生まれた。大きさも一番大きくて、天然記念物に指定された植物群落も有り、「ミニ屋久島」と呼ばれる森と水の豊かな島である。

 波の力で浸食を受け当時の島の内部がみられるようになっている。
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  サンゴ礁の化石がみられる。
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  今晩の宿は、坂道をずーっと登って行ったところにある宿なのだが、ご主人に歩けますか?結構遠いですよ。と言われたのに、大丈夫ですと言って歩き始めたものの、何時まで経っても到着できないので、結局迎えにきてもらった。

  この日の、夕ご飯は、ご主人の獲って来たお魚の刺身。美味しかったです。明日の観光は、ご主人のお兄さんが案内してくれるとの事。

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