好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:西ヨーロッパの国々 > スイス・アルザス美術紀行


 再びチューリッヒにやって来ました。
まずは、聖母聖堂へ向かいます。
聖母聖堂外観
 ここは、入り口と出口が違うので傘を忘れないように。853年、尼僧院として寄進された。11世紀には、貨幣鋳造・通行料の徴収・市場を開く権利を持っており、13世紀には、修道院長がチューリッヒの公的執政者となり「帝国女侯爵」の称号を戴いているほどだった。
 しかし、その時代も宗教改革によって終焉がもたらされた。1524年、最後の院長は、市に資産をすべて譲渡した。
 12世紀から15世紀の間に現在のゴシック様式の建物になったようだ。有名なシャガールの祭壇のステンドグラスは、1970年に完成した。その時、本人は83歳だったが聖別式に参加している。パンフレットには、「フラウミュンスター」と紹介されています。
  他にも、ジャコメッティが手掛けた窓も有りますが、内部は撮影禁止になっていました。で、パンフレットの写真から引用しましたので、少々ぼけているかも…。
 シャガールの祭壇絵。真ん中に緑の窓がキリスト、右の黄色に描かれているのはシオン、キリストの左は濃い青のヤコブ、ヤコブの隣の赤い窓は預言者エリヤの昇天が、反対側の同じ位置の青の律法の窓には、十戒が彫られた石版を持つモーゼが描かれています。
シャガール

 1920年代にジャコメッティは、翼廊のステンドグラスの制作に取り掛かるも、設置されたのは戦争が終了した1945年になってからだった。そのため、この作品は、平和の象徴となった。彼は、作品を「天の楽園」と名付けた。天球を手にしているのが、神である。
ジャコメッティ

 フラウミュンスターの前の広場。
聖母聖堂前の広場
 リマト川沿いに歩いて小さなローマ遺跡を見にゆきました。
リマト川沿いに

 対岸の大聖堂が見える。ここには後で向かいます。
大聖堂が見える
 
小路
 
 こういった小さな脇道がたくさんありました。
DSC04886
 ここの先に小さな遺跡が有ります。温泉小路の名が。
ローマ遺跡に
浴場跡だった。
浴場の跡

DSC04890

 チューリッヒ最古の聖ペーター教会。1534年造の時計塔は、欧州でも最大級の直径8.7m有るという。
聖ペーター教会

 中は至ってシンプル。コンサートなどに使われている感じがした。
教会の内部祭壇が無い


パイプオルガン

 橋を渡って、初日に入れなかった大聖堂に向かう。今回は入場でき気になっていた、奇跡をスライスしたステンドグラスを確認できましたが、ここも内部は撮影禁止。絵はがきを買いました。
大聖堂の

 短いスイスの旅は、これで終了です。空港に向かいチェックインを済ませました。ところが理由はわかりませんが、離陸がおくれドーハに到着した時には、時間的に乗り継ぎが無理な時間となっていました。でも、この飛行機全員分を置いていくわけにも行かず、トランジットの機体は、カタール航空便はすべて待っていてくれていました。成田着も少々遅れたものの、最終の新幹線に何とか間に合い、名古屋まで戻ってくることができた。
 
 


 今日は、帰国日ですがその前にヴィンタートゥールにある「オスカー・ラインハルトコレクション」を鑑賞します。
 雨は、やがて雪となった。
DSC04834

本格的に降って来た

 2時間かからないで、ヴィンタートゥールの町に入りました。チューリッヒの北東25kmに位置するこの町は、人口約10万人、19世紀にはチューリッヒと並ぶほど経済の中心として栄えたそうだ。
 この町に生まれた蒐集家オスカー・ラインハルトは、実業家だった父親の遺産で多くの美術品を集めた。そのコレクションは、主に18世紀から20世紀のスイス・ドイツ・オーストリアの画家の作品を中心に展示してある街中の美術館と、これから訪れる後期ゴシックから20世紀までの作品を集めた「アム・レマー・ホルツ」とに別れている。
 閑静な郊外に1915年から18年にかけて建設された建物を、1924年に購入した。翌年には、ギャラリー用の部屋を追加し、彼の死後も何度か増改築されている。1970年に一般公開されるようになった。 
DSC04845
 
DSC04865

DSC04847

 この部屋は食堂だった。
小食堂

 珍しいゴヤの静物画。
珍しいゴヤの静物画

 マネ
マネ

 雪の庭。
雪の庭

 ルネサンスルームには、ホルバインやブリューゲルも。
ルネッサンスルーム

ホルバイン
 東ギャラリー。セザンヌ。
セザンヌ

 ドーミエ。
ドーミエ (2)

 メインギャラリーには、ゴッホ・ルーベンス・ドラクロア・ロートレック等々。
ドラクロワライオンの死闘

 アルルの病院を描いたゴッホの2枚の絵。
アルルの施療院の室内

アルルの病院

 西ギャラリーは、モネ・グレコ・ピカソ・マネなど。
セーヌ川の流氷を見たときの驚きを絵にしたモネの
セーヌ川ン流氷

 青の時代のピカソ。
ピカソ

 エルグレコの枢機卿。
エルグレゴ。枢機卿

 そして、一番気に入ったのがこれ、マネの「カフェ」です。これは1枚の絵を半分に切ったそうで、片割れはロンドンのナショナルギャラリーに有ります。
マネ、カフェ

 図録で並べると
20190404115751_p

 この後は、チューリッヒまで向かいます。車中でサンドウィッチなどいただきお昼ごはんとしました。


  時計塔の下までやって来ました。
時計塔 (2)
 時計塔にくっついて、古い薬局が有ります。
古い薬局

 塔の通路の壁には絵が描いてありました。何かを建設している所の様です。
DSC04775

 塔を抜けると射撃手の噴水が有る。
射撃手の噴水

 牢獄塔が見えて来た。
牢獄塔とアンナザイラーの噴水

 手前の噴水は、アンナザイラーの噴水だ。
アンナザイラーの噴水

 お腹もすいてきたので、お昼にしましょう。ビールも頼んでカンパーイ!
お腹も満たされたところで、散策再開です。
 連邦議会議事堂
連邦議会議事堂

 議事堂の裏手に回り、大聖堂を目指す。塔に登って街を上から見てみたかったからだ。小康状態だった空もとうとう崩れだした。何だか通りの様子が変。お巡りさんの姿やパトカーが目立つ。「なんだろうね」と言いつつ、大聖堂の手前までやって来たところで、お巡りさんに停められてしまった。ここから先は進入禁止だという。「え?目の前まで来たのに、違う道から行こうか」と方向転換をする。ところが、やはり入れなかった。軍隊まで出ているではないか。そこに居合わせた人に聞くと、リヒテンシュタインの王子さま夫妻がいらしているとの事。それでは絶対だめだ。ならその姿を見てみようとしばらく待つも、あの辺にいるんだろうなあという感じはするが、見ることはできませんでした。ご夫妻の写真は、彼女が家のテレビのニュースでやっていたものを写して送ってくれたものです。
大聖堂前

DSCN8002

 大聖堂
大聖堂
 このころになると、雨は本降りになって来た。ベルン美術館に逃げ込みたいところなのだが、これがなかなか手ごわくて見つからない。近くまでは来ているはずなのだが…・
 人に聞いたりしてようやく見つけることができた時には、2人ともかなり濡れてしまっていた。
 ベルン美術館。1879年開館。近代美術を中心に約8万点を所蔵する。今回はここも特別展開催中でした。濡れた上着を脱ぐとほっとした。
ベルン美術館

 地下から見てゆきます。マティス、ピカソ、ダリ、シャガール、セザンヌ、クレー、モディリアーニ等々。
クレー (2)

マチス

自画像セザンヌ

 続いて1階へ。ここと2階は、企画展でバーゼル出身のミリアム・カーンの作品が並ぶ。年齢制限が有るのも納得のかなり露骨な表現の作品が並んでいる。「これは苦手だなあ」と思っていたのだが、2階の作品はかなり様相が違っていた。
 メッセージ性が強いのだ。戦争・核・社会問題、自身がユダヤ人だということなどに向き合った作品を描き続けている作家なのだ。私かなり動揺しました。
DSC04811

DSC04813

ミリアムカーン

ミリアム・カーン

 いまだ雨は止む様子が無い。夕食は、それぞれ自由に動いていたツアーの人と合流して歴史のある「穀物倉庫」というレストランで集合ということになっていたので、場所だけ確認しておこうと探したのだが、これまた見つからない。
 まだ時間も有るしともかく体を温めようと、スタバに駆け込む。ほぼ満席だったのだがカウンターの隅っこで、時間までおしゃべりです。ネットの不思議さをどこかで感じながら生身の彼女と、ブログの話やお互いの話などをする。雨はみぞれに変わったようです。
 集合時間15分ほど前にお店を出て、あそこだろうと辺りをつけた場所に向かうと、ツアー仲間の人が立っていました。ところが、何と何と、今日はこのお店貸し切りなんですって!なんてこった。
 添乗員さんは、もう1つ当てが有るのでそちらに向かいましょうという。連邦議会議事堂の方向に歩いていく。
 レストランを見つけたところで、彼女とお別れです。最後まで付き合ってくれてありがとうございました。
 このレストランもかなり古くてお店の入り口横に操業開始の年代は書いてありました。
DSC04819

 店内。
DSC04815

老舗のレストラン
 ベルン名物だという、ベルーナプラッテなるものを注文。かなりたくさんあるというので、女性4人で2人前。唯一の男性は、1人前に挑戦しました。
  豚肉を様々な料理法で提供している。髄液がゼラチンみたいになったものは、誰もおいしいとは言いませんでした。
 これで半人前です。
DSC04817

 ワインもいただいて、お腹も膨れたし、バーゼルに戻ります。駅に向かう途中、こんなかわいいウサギに遭遇。背中に筋が有るウサギ何て初めて会いました。
兎

 イースターの飾りに本物を使うとは驚きだ。
 バーゼル駅では、コープによって少し買い物をする。明日は、帰国日ですがもう1つ美術館を回ります。
 
 
 


 川から元の道に戻る時に、通らせてもらったお庭で、 
綺麗 
 寒いところの春は、一斉にやって来て濃厚だ。花々も濃密な気がする。旧市街を歩いている時に見かけた椿も、とてもゴージャスでした。こんなにたくさんの蕾をつけていました。
ゴージャスな椿

  橋の上から見たニデェッグ教会。         
ニディッグ教会
  旧市街の建物は、アーケードになっていて雨が降っても平気です。道路は石畳で道幅も狭いのですが、バスも車も平気で走っていく。
アーケードになっている

DSC04742

 旧市街は、駅の辺りでは7本ほど通りが有るのだが川に向かって進んでいき、橋の手前になると3本ほどになってしまう。その通りには、精緻な造りの噴水がたくさんあり、それらをハントして歩くのも楽しい。
 騎手の噴水
DSC04736
正義の噴水
正義の噴水

 シムソンの噴水
DSC047この通りをトラムが走る48
 時計塔をバックにしたツエリンガーの噴水
ツエリンガーの噴水

 噴水巡りをひとまず置いて・・・。
 アーケードと車道の間には、地面に斜めになったドアが有ります。何だろうと思っていたのですが、謎が解けました。結構な広さが有るようで、昔は倉庫や住まいになっていたのかもしれません。現在では、店舗になっているようです。
DSC04768

 市庁舎
市庁舎

 隣にある教会は、聖ペーターと聖パウル教会
聖ぺたーと聖パウロの教会
 
中に入ってみます。
聖堂内

 噴水だけでなく、建物の飾りになっている彫刻も素晴らしい。
DSC04744

 ゆく手に時計塔が見えています。
時計塔

 先ほどと違う側のアーケードを歩いていたら、アインシュタインハウスを見つけた。これは寄ってみよう。
アインシュタインハウス入り口
 狭いらせん階段を登って行きます。4階まで行ったところで、声をかけられた。チケット売り場は3階に有ったらしく、気がつかないまま4階まで登ってきてしまったようだ。せっかく登ったが、タダで見学するわけにはいかず戻ります。
 アインシュタイン博士は、結婚したかれは、ベルンの特許庁に勤めながら、特殊相対性理論をはじめ、3つの大発見を次々と発表した奇跡の年1905年まで過ごしました。
 部屋はそれほど広くはない。通りに面しているので下をのぞくと
  
   外をのぞくと

リヴィング

DSC04753

若かりしアインシュタイン

 パスポートでしょうか。
パスポート

   通りに戻り歩いていると、鉄瓶が目に入った。日本のものに見える。気になる。声をかけると何と日本語が帰って来た。福井だと言われた気がするのですが暮らしていたことが有るそうです。
 ウーロン茶をごちそうになりました。
お茶を飲ませてもらいました

 一服した後はもう少し散策しましょう。


 今日は、ベルンに行きます。
ブログ上で知り合った彼女と何と会えることになったのです。 
 言葉は大丈夫?ですか、大丈夫です。だって彼女は、日本人だから・・・。

 8:03分に、バーゼルを出発するので、少し余裕を持ってホテルを出ました。天気予報では、今日は雨か雪で気温も低いとの事。今でずっと天気が良かったのにと少々恨めしい気分。
 目指す列車は、未だホームには入っていなかった。この列車行き先の違う列車が連結してホームに入って来るので気をつけなくてはいけない。乗り込むときに、周りの人に行き先を確かめる。待ち合わせは、先頭の2等車だったので、進行方向もついでに聞く。
 途中までは混んでいたが途中から空いてきてホッとする。この分なら、苦労せずに彼女を探せそうだ。ともかく顔も知らず、長い間ブログ上の付き合いが有るものの、メールと電話で少しやり取りをしただけなのだから。
 ところがである、彼女の最寄りの駅の手前で、列車の方向が変わってしまったのだ。どうやらスイッチバックが行われたようだ。「え?こっちが後ろになった?」慌てて荷物を抱えて、一番後方から先頭車両まで移動です。スイスの列車って、特急には全部食堂車が有るの?コンパートメントも有るの?なんて車両を通過しながら思う。

 さてようやく、待ち合わせの駅に到着。ホームに顔を出すと、日本人らしき女性は1人だけ。慌てて座席に戻り合図を送る。あー、会えました!初めましてkyon21chです。
 椅子に座ったとたん、おしゃべりが始まってしまい、この後の景色は覚えていません。

 途中列車を乗り換えて、今度は2階建ての列車でベルンに向かいました。10時前にベルンに到着、モダンな駅でびっくり。最初にパウルクレーセンターに向かうのでバスに乗り場に向かいます。
雨のベルン駅

 何と、雨が止んだ。しかも青空まで見えて来た。うれしい!
 レンゾ・ピアノ氏設計、2005年開館、ベルンで育ったクレーの全作品の約40%にあたる4000点ほどの作品を所蔵しているという。クレーの子孫が、クレーの作品をベルンに寄付したいと1990年に申し出があり、さらに1998年、ベルンの医師が①医師の家に近くて②クレーの眠る墓地に近いという条件で約26億スイスフランと約6億円の相当の土地を提供するという申し出があったことで、現在の地に建設された。訪問時は、「カンディンスキー、アルプ、ピカソ・・・クレーと友達」という企画展を行っていました。
パウルクレーセンター

 私は、クレーの作品よりもこの建物が見たかった。地下には、サブの展示場とクローク、トイレなどが有り、手前の山にはカフェ、真ん中が主展示場、奥の山は、図書や子供のためのワーク・コーナー、音楽堂のようになっているようです。
 開館時間すぐだったせいか、人があまりいなくてゆっくり自分のペースで見られます。
ここから入ります。
展示場への入り口

 本来ベルン美術館にある作品がこちらに展示されているようです。
 フランツ・マルク。彼とは、前衛芸術運動に参加したことで知り合った。
フランツ・マルク

 マリアンヌ・レフキン。
マリアンヌ・レフキン

 ルイ・モリエット、少年時代の友人らしい。
ルイ・モイリエット
 カンディンスキー。クレーが、結婚を機にミュンヘンに移住したときに知り合った。 
カンディンスキー

 もう少し、建物をじっくり見てみよう。
DSC04695

横から見たところ

鎧戸みたい

シンボル?

 子供達の為のスペースのようです。
ワークコーナー
 
 模型。
模型

 再びバスに乗り、市内に戻ります。途中で、世界遺産のベルンの旧市街が綺麗に見える所が有ったのでそこで降りるつもりです。
 ベルンは、スイス連邦の首都。人口約14万人、標高542mというからバーゼルよりは少し寒いのだろう。旧市街は、1983年に世界遺産に登録されている。
 1191年、ツェーリンゲン家のベルヒルト公により造られた時に町の名を決めるにあたり、狩りで最初に射止めた動物の名にすると決めたという。その時の最初の獲物がクマだったのでベルン(Bern)となった。当時は木造の家並みだったが、1405年の大火で焼失し、その後石造りの家になった。その当時の街並が現在まで残っているのだ。

 きれいで、何枚もシャッターを押してしまった。
大きく蛇行するアーレ川の向こうに、街並が広がっている。
ベルン旧市街

 左手奥には、鉄橋が見えている。
鉄橋

DSC04706

 土手には春の花がいっぱい咲いています。
何の花かな
 ロシアから贈られたというクマ。何てかわいいのだろう。
クマはベルン市のマスコット

 川まで降りて行ってみましょう。彼女によると、昔、子熊が川沿いのプールで泳いでいたそうだ。今は、クマの姿はなくてプールだけが残っていました、大きくなりすぎたんだねきっと。
橋を見上げて

 この橋を渡って旧市街に入ります。


 


 メッセのある交差点でバスを降りてトラムに乗り換えた。 
この建物どうなっているのだろうか?
メッセ

 お昼のレストランにもウサギが何匹(何羽)もいました。
レストランのウサギ

 レストラン前の停留所から、6番のトラムで郊外にあるバイエラー財団美術館に向かいます。この美術館は、街の出身である画商バイエラー夫妻が収集した作品を公開している。 
 レンゾ・ピアノの設計で1992年に着工され、1997年に竣工した。バイエラー氏は、ピカソの招待で直接26点の作品を自由に選んで購入したという。他にも、100点のパウルクレー、セザン、モネ、マティスなどの作品もあるが、この時期は、企画展にあたってしまい、「ピカソ青とバラ色の時代」一色になっていて、他の作品を見ることができなかった。 
 暖かな日差しでしたので、敷地内でのんびりと過ごす人々の姿も多かった。
のんびりと

 モネの池をもしたそうですが、睡蓮には早すぎる。
バイエラーコレクション財団美術館

 館内に入る前に、庭を歩いてみました。
実業家バイエラー氏

DSC04631
 サクランボの花などが咲いていた。
DSC04634

 背後に回ってみます。
DSC04639

 このぼんやり加減が、春そのものといった感じがする。
周りはこんな感じでした

 背面はこんな感じ。
反対側

 こちらにもやはり池が有り、こんな作品が・・・。ウサギ?
これも作品

 さあ中に入ります。平屋建て地下も有りました。
モネの池を中からみると、
DSC04640

 沢山の人々が鑑賞されていて、何処でもピカソは人気が有るのだなあと確認。
DSC04654

DSC04653

DSC04651

DSC04649

 カフェのある地下。
カフェがある

DSC04647

DSC04646

DSC04644

 この後は、流れ解散だったので、明日のベルン行きのチケットを購入するため駅に向かった。窓口は空いていて、ベルンへの往復のチケット(Aさんと一緒に行くので、単純往復ではなく一方方向になります)、パウルクレーとベルン美術館のチケット、ベルンのトラム、これらがすべて窓口で買えるのです。前もって紙に書いておいたものを差し出し、クレジットカードでの支払をしたいと申し出てしばし待ちます。いやあ、さすが観光国の面目躍如、日本の鉄道もかなり優れていると思ったが便利さという面ではスイスの方が優れている気がする。
 明日の列車のチケットをやはり購入したツアーの人と駅をうろつくことにした。彼女は明日は、反対方向の何とかという歌手に関連した町に行くのだという。
バーゼル駅

 隣接してフランスの国鉄の駅が有るというので行ってみた。こちらは閑散としていました。改装工事中だったので、もう少し経つときれいで便利になるのかも。
フランス国鉄のバーゼル駅
 ドイツの長距離列車も入っています。近距離は違う駅が有りました。
ドイツの列車

 駅には、スーパーやコープも入っていて遅くまで空いているので便利だ。明日の帰りに寄ってみよう。
 今日の夕食もマルクト広場から少し入ったレストランだという。再びトラムに乗ってマルクト広場にむかう。ショーウィンドウには、様々な復活祭の飾りつけが有ります。ひよこが可愛いな。
これも飾りつけ

 坂道を登って行く。
マルクト広場からレストランへ

 明日は天気が崩れるとの事。しかも寒くなるそうだ。傘を忘れないようにもって、厚着をしていこう。楽しみ!
 


 バーゼル美術館の付近は、工事が行われていて、大回りして美術館に向かいました。
最近、新館もできたのですが、私達が入場するのは旧館の方です。
 16世紀バーゼルの法律家で印刷業で財を成したアマーバッハ家は、ホルバインの作品群を含めた絵画約50点、素描約2000点、版画約4000点を収集していた。それを、1661年、バーゼル市と大学が購入し、1671年にバーゼル大学付属美術館が一般公開した。当時は、王侯貴族の道楽だった美術館賞を、市民たちの手によって公立美術館を誕生させてしまったのだから、画期的な事であった。
 大英博物館は1759年に、ルーブルは1793年にそれぞれ一般公開されています。

バーゼル美術館

 ここから入ります。ロダンのカレーの市民などが置かれています。
DSC04621

 内側から見ると、
玄関のステンドグラス

 コンラッド、聖クリストファー。
コンラッド・ヴィッ聖クリストファー

 ハンス・ホルバインは、アマーバッハ家と親しかったそうだ。
ロッテルダムの執筆

ぼにふぁきうす・アルメバッハ

ハンス・ホルバイン

 ガイド氏一押しの彼の作品がこれ。他のものは、貸出もされるのですが、これは館外に出たことが無いそうです。「棺の中のキリスト」めちゃくちゃリアルです。
棺の中のキリスト

DSC04574

DSC04575

 ボトラーも有ります。

ホドラーの風景が

 おなじみのセザンヌ、ゴッホ、ピカソ、ルソー等々。

セザンヌ 5つの水浴


DSC04588

 「座るハーレクイーン」
座るハーレクイン

 クールベの「セーヌ川の少女」をオマージュ
ピカソアフタークールベ

 ピカソの彫刻。
DSC04616

アンリルソー

 好きな画家の1人であるエゴン・シーレも
エゴン・シーレ

 ナチスから退廃的とされた絵も展示してありました。動物の絵なのにと思ったのですが、動物は青のはずが無いというのが理由だとか…。
 フランツ・マルク、買い戻したものです。
ヒットラーにより退廃が

 シャガール、幻想的でもないし暗い。背景にユダヤ十字がある。
 ラビン
シャガール ラビン

 赤のユダヤ人と緑のユダヤ人。
赤のユダヤ人

シャガール緑のユダヤ人

 デューラーは、うまい。うますぎる。

デューラー

 ジャコメッティイの猫。
DSC04614

 ガイドさんとはここで別れて、バスとトラムを乗り継いでお昼のレストランい向かいます。

 
 バーゼル市の人口は、20万人を少し欠けるくらいです。標高277m、ライン川が街を流れている。ドイツ語圏だがフランス語を話す人も多い。中心地よりライン川を北に1kmほど行ったところに、スイス・フランス・ドイツの3国国境地点があるそうです。4世紀頃には古代ローマの軍事基地であり、ライン川による交通の要所として多くの文化が入りこんできました。1499年のバーゼルの和約により、神聖ローマ帝国より独立、1528年には宗教改革が起こるなど、歴史のある町だ。1460年に、スイス最古のバーゼル大学が創立された。かのユングは、ここの医学部を創業し、ニーチェは此処で教師をしていた。学術都市として16世紀には黄金時代を築いた。今でも、美術館や博物館が数多くあり、それらを全部回るには相当の時間とエネルギーがいりそうである。最近は、建築の都市としても知られるようになってきており、多くの有名設計家の作品が有ります。もし再びこの地を訪れたら、その時は建築物を見て回りたい。
 また、1989年3月にここで締結された条約に、バーゼル条約「有害廃棄物の国境を超える移動およびその処分の規制に関する」ものが有る。この条約は、日本も1993年に加入しています。
 
 今日も天気が良くて、暖かな日です。
今日は、一日かけて歩きやトラムで市内を観光します。

 とその前に、1人でトラムに乗ってシュパレン門を見に行って来ました。もう少し早く出かければゆっくりできるのだが、太陽がなかなか出て来ない・・・。
 途中、乗り換え場所を探すのに少し悩んだが無事到着。これくらいなら帰りは歩いて帰ろう。

 14世紀建造の要塞門だ。
DSC04483

シュパレン門

DSC04491

 噴水と
噴水と門

 スイスには、このような立派な噴水があちこちに有ります。ガイド氏によれば、この水は飲めるという。
 歩いて帰る途中、気になった場所が有ったので寄り道してみた。この建物横を入ります。
DSC04498

 大きな建物。後で知ったのだが、元々刑務所として使われていた場所で、現在は古楽器博物館になっているそうです。
バーゼル古楽器博物館

 ここは、丘の上に有るので市内が見渡せます。朝の光が街に届こうとしていました。
バーゼル市の夜明け

 戻って、食事をしてホテル前の停留所から観光スタートです。

 バーゼル歴史博物館。14世紀のフランシスコ派のバルフュッサ教会を改装して博物館にした。ただいま改装中。それにしても改装中が多いなあ…。
バーゼル歴史博物館

 前の通り。歩いて大聖堂へ向かいます。
歴史博物館の近くで

スイスの噴水は飲めるらしい

 これは昔のポストですって。今は黄色いですが。
昔のポスト

 大聖堂。12世紀創建、1356年の地震で倒壊、スイスって地震が有るんですね。現在のゴシック様式になった。正面の壁には、聖ゲオルギと聖マルティンの彫刻が施されている。
バーゼル大聖堂。ゴシック様式

 背後には、ライン川を一望できる場所が有り、世界的な企業であるロッシュ社、ノバルティス社の建物が見える。
ライン川

 この川の両岸を行き来する船。エコの為エンジンが無い。
エコなフェリー

 続いてバーゼル市庁舎に向かいます。昨日夕食をいただいたマルクト広場に面しています。
いつもは正面からしか入れないのだが、今日は何故か背面が空いていたのでこちらから入ります。おかげで普段は見られないところまで見られてラッキーでした。
 
 太陽の光を受けてキラキラと輝ききれいだわあ。
市庁舎の屋根

市庁舎の塔

 回廊になっている、下をのぞくと・・・。
回廊からのぞいたところ

 古いエレベーターと階段で、下に降りてゆきます。

 水飲み場?
水飲み場

 建物の壁には美しい壁画が描かれている。
中庭から見たところ

 1501年、バーゼルの和約の後、バーゼル市がスイス連邦に加盟したことを契機に、1504年から10年かかって建設された。その後、震災などで破壊はしたものの増改築して現在の姿になった。

 
DSC04543

 正面バルコニー。
バルコニー

 騎士が持っている旗のマークがバーゼル市の紋章です。
時計

 この後はマルクト広場からトラムに乗って、バーゼル美術館へ移動します。
 
 
 
 

 
 

このページのトップヘ