好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ: 西アフリカの国々

 ホテルから空港までは至近距離なので7時にチェックアウト。
セキュリティの人にOKだしてもらったホテルの映像はこれでした。文字しか写っていない。
ホテル
 ガイド氏とドライバーさんとは空港の建物の前でお別れです。ドライバーさんは、途中からでしたので戸惑ったと思いますが、ありがとうございました。
 変更があった初日、ドライバーさんとガイド氏の間で、宿泊・食事にかかるお金を、ガイド氏側が負担するのか、ドライバーさんの雇い主が負担するのかで揉めました。急なことだったので、細かなすり合わせが無いまま見切り発車した結果、当然こういう問題が起きます。
 スマホ片手に、我々やドライバーさんそっちのけで、大声でやり合っていたのですが、何とか話がついたということが有りました。その後も、毎日の様にトラブルが起き、スタッフも大変だったろうなあと、我々が建物の中に消えてホッとしたのではないでしょうか。
 空港の中もセキュリテイは厳しかった。ゲート前の待合室で椅子に座るのにも、ボデイと荷物チェック。トイレに行って帰ってくるともう一度チェック。顔はにこやかだが中々のものでした。
 アフリカの地図が尾翼に描かれている。
DSC02958
 飛行機は、ニジェールのニメア経由なのだが、乗り込んできた日本人ツアーの人達が、憤慨している。日本人だけマスクを渡され、ばい菌扱いをされたというのだ。このころはまだ今の様にパンデミックにはなっていなかったのだが・・・。
 ソウルに降り立ってびっくりした。トランジットだけでも、黄色い紙に連絡先、使用した便、席等を書いて提出。防護服の人に熱を測られ緊張感に満ちていた。今から思うとその時、大邱で大量の感染者が発生した時だったのだ。
 反面、帰国し空港での日本の対応がずいぶん緩いなあと感じた。
 
 当分海外には行けないだろう。私も4月のツアーが中止になってしまい、5月もどうなるかわからず、しばらくは様子見です。
 この機会に、しばらく日本をじっくり旅していなかったんでそれもいいかなあと思っています。

 7時ホテルを後にして、駅に向かう。植民地時代にネオ・スーダン・サヘル様式で建設され、1934年に開通した。列車は週に3本走っているそうだ。残念ながら駅内には入れず、車も長くは止められないので急ぎの撮影となりました。
DSC02884
 公共のバス
DSC02886
 ブルキナファソのスタンド。コートジボワールのそれは必ずコンビニがあったのだが・・・。
DSC02887
 どうやって積むのでしょうか?
何でも積み増す
 今日のお昼は、ボロモと言う町。
DSC02899
 中々豪華なメニューが並びました。ブルキナ名物のホロホロチョウの煮込み。奥にあるのが毎回食べている定番のピーナッツソース。
DSC02894
今日はさらにトウモロコシの粉で作った主食のトゥ、バオバブソースをつけて食べる。お味は、???な味。
DSC02896
 ずっと飲んでいたビールでしたが、ラベルの後ろには昨日訪れたロロペニ遺跡の写真がありました。
DSC02898
 ボロモを出てすぐにブラックボルタ川を渡る。ここは車を降りて歩いて渡りました。全長1160㎞、西部の高原が源流。ブラックボルタ、ホワイトボルタ、レッドボルタの3つの川は、後にボルタ川となってギニア湾に注ぎます。
DSC02902
DSC02909
 鉄道橋。川で洗濯したり水浴びしていました。
鉄道橋
自転車に薪を積んでいる光景はよく見かけた。
薪を積んで
 むらさき玉ねぎ
DSC02914
 ここまでは、順調に進み夕方少し前に首都ワガドゥクに入りました。
ワガドゥクに入った
 人口、2012年段階で163万人。1919年から首都となった。11世紀モシ人の都市国家として成立、その後分裂と独立を繰り返し1441年にはモシ王国の首都となった。現在交通、通信の要衝であり、教育や観光でも中心ではあるが、経済的にはボボディラウッソに劣ると言われている。近代建築も見られるが、都市全体としては遅れている。
 王宮の塀とモスク。王宮とはいってもだだっ広い空き地が目立つだけで、それらしき建物はよくわからなかった。
王宮の塀とモスク
 サッカースタジアム。
スタジアム
 中央銀行。
DSC02931
 塀に描かれた模様は紙幣にもデザインされていた。
ブルキナ紙幣
 車の中から市内観光。
ワガドゥクの町
 首相官邸、以前は大統領府だったらしい。
首相府
 旧国会議事堂。
旧議事堂
 2014年、反政府運動で放火された。
内線があった
 そしてクラフトマーケットに向かう途中で、まさかまさかの故障。今度は何ですかあ?
大事にはならず、ブレーキオイルの劣化が原因との事で、オイルの交換をすれば大丈夫との事でしたが、なんとガイド氏も添乗員も、現地通貨を持っていないという。ガイドさんの知人を呼んで両替を頼みそれからオイルを買いに走るという、少々時間のかかることになったので、我々は街角に立ったまま、しばらく待たされました。それにしても埃っぽい。現地の人のマスク着用率が高いのはコロナのせいではなくて、埃対策だということが判明したのでした。
 街行く車や人々を見ているのはそれなりに面白い。こういうところでも、高級車に乗ってピンヒールを履いた女性が、さっそうと車を止めて、小汚いスーパーに立ち寄ったりする。その車もぴかぴかなんだよ。私の目の前では、自転車修理のお爺さんが、油だらけの手で必要な部品をストックの中から選んでいます。その自転車もサドルにはひびが入り、日本だったら絶対ゴミと間違われるしろものです。
 クラフトセンターは、パスすることにしてホテルに直行。
ホテルのセキュリティは、ものすごく厳しかった。ホテルそのものがバリケードに囲まれていて、外観の写真はNGでした。おざなりのチェックではなくて本気のチェックだということがひしひしと伝わってくる。
 2016年、近くのスプレンディトホテルがアルカイダ系の組織に襲われ、28人が死亡、その中にはスイスの政治家が含まれていたという。
 全員が宿帳に記入、両親の名前も書かされました。その用紙と引き換えに鍵がもらえる。
でも首都のホテルは、やはり設備が整っている。バスタブもついているし清潔。タオルも白くて鏡も有るし、快適だ。
 今日の夕食は、スープから始まりデザートも出ましたよ。メインは、ステーキと魚のグリルでした。
魚と牛肉
 まるで炭の様ですが、見かけ通りに硬かった。
明日はいよいよ帰国です。

 精霊信仰をするロビ族の村ラカールに到着。ロビ族は、ブルキナファソ西南部、ボルタ川流域を中心に居住している。農耕の民ですが狩猟も行うという。
 学校の様です。
学校
 この家を訪ねました。
この家の中を見せてもらった
 彼らの家は、外敵から家・家族・家畜を守るため玄関が無く、梯子を使い上から出入りしていた。今は、外敵はいないので玄関が作られた。
 この家の主とかつての出入り口の屋根に上るための階段。呪術師だそうで、3人の奥さんがいるという。全員が、この家に暮らし台所を中心にして、それぞれの奥さんと子供が暮らしている。 
昔はこの階段で上から入った

 リビングだそうです。
居間
 台所
台所用品
 明り取りとトイレ兼体を洗うところ。大の方は、外の畑の中でするそうです。足置き石と穴をふさいだ布が見える。
トイレ兼シャワー室
 呪術に使うフェティッシュ。
祈祷の場
 周辺を歩いてみます。できたばかりの青空キッチン。
かまど
 トウモロコシを砕いていました。
トウモロコシを臼で
 儀式などに使う楽器
楽器
 集まって!
集合
 村を後にして、ガワのホテルに戻り、預けておいた荷物を積み込み再び少々窮屈な恰好で出発。ところがいくらも進まないうちに警察署に連れていかれた。そこは塀に囲まれていて、兵士だか警察官だかが、機関銃を手にして立っている。冗談も言えない雰囲気で、言われるままにあちこちの建物に連れていかれる。何の説明も無いので状況わからず。
 結局、全員のリストを提出し、指紋をとられた。その手続きの遅い事。パソコンあるのにフォーマット無いようで、手書きで行われる。しかも罫線を定規を使って一々引いている。1時間以上かかってようやく終了。昨年はこんなことなかったというので、何かがあったのだろう。
 お昼のレストラン
レストラン
 ボボディラウッソには、明るいうちに到着。部屋に入りエアコンを入れシャワーを浴びる。出てきても部屋が全然冷えていない。これはおかしいというので、夕食中に部屋を替えてもらうこととなった。
 見かけは、立派なホテルだが・・・・。
ホテル
 夕食時には、ライブが入りました。プールサイドで我々だけのディナーとなりました。
ライブ
 オーナーからワインが差し入れられご機嫌です。
夕食
 新しい部屋に変わるも、やはりエアコンの効きが悪い。この暑さでは、エアコンだけが癒しなので、再度チェンジしてもらいます。今度は、1階で蚊が心配だがエアコンはよく効き、ようやく荷物を広げることができた。汗だくになったので再度シャワーを浴びた。
 毎日何かが起こるツアーですが、明日は最終日です。スムーズにいきますように・・・。

 昨夜は、私はシャワーと格闘していた。お湯が出るのはいいのだが、排水ができないのだ。なので足元の甲が隠れるくらいにまで溜まってしまう。頭を泡だらけにして水が引いていくのを待たねばならなかった。それの繰り返しで何だか疲れてしまった。仕切りがあればそんな問題は起きないのに、だが此処はまだましな方だ。広さがあるので便器が濡れるということは何とか避けられたからだ。
20200221043743_p

 今日の朝食。豪華です。
今日の朝食
 昨夜は暗くてホテルの外観はわからなかったが、こんな感じでした。
ガワのホテル
 村の出勤の様子。
村の通勤風景
 まず、ブルキナファソ発の世界遺産となったロロペニ遺跡に向かいます。ガワから40kmほどの距離なのだが、ともかく悪路。1時間半かかって到着しました。
 ヤムイモでしょうか?
イモ
 看板
世界遺産マーク
 詳細不明、石壁が残るのみでした。壁の石は、奴隷に採掘させた鉄鉱石で、その上からシアバターを混ぜ合わせて造ったという化粧土を塗っていた。
化粧土で覆ってあった
 ロロペニ遺跡は、11130㎡の広さ。サハラ黄金交易による富の証と言われ、100カ所にも及ぶ石積みの囲いのうち、ロビ地域にある10の要塞の中でも保存状態の良いものが世界遺産に登録された。コートジボワール、ガーナ、トーゴとの国境付近に位置し少なくとも1000年は経過しているとみられる。この地を占有していたのは、ローランあるいはコーランゴの人々で、彼らは金の採掘と精錬を取り仕切り、14~17世紀に最盛期を迎えた。しかしまだ、発掘されていない部分が多くて、解明には時間がかかる。
 石積みの形は、2等辺三角形のような形。
2等辺三角形のような形に
 内部には、幾つか仕切りの壁があり、唯一の門で行き来をしていたらしい。
内側にある唯一の門
 木に浸食されてしまっている。
根に浸食されている
 そこにあった果実。
DSC02823
 かなり酸っぱくてパッションフルーツの様だ。
酸っぱい
 遺跡を後にして、この辺りに住むロビ族の村に向かいます。
 これがシーアバターの木。この実から得られる植物性の脂肪がシーアバターで、石鹸やクリームに使われて人気があります。我々も今回、ほぼ全員が買いました。
シアバターの木
 まだ小さい実。
DSC02835
  

 

 旧市街と言うから、落ち着いた街並みを想像していた私はいきなり裏切られた。
環境悪し
 ここまでひどいのは久しぶりな気がする。
 路地に入ります。
DSC02717
 トウモロコシの粉を煮ています。燃料は炭。黒く塗った針金をコンロの下に入れて炭の代わりに使うようだ。
針金を炭の様に
 これは地ビールの様なものを作っている所です。
お酒を造っている
 原料となる雑穀のソルガムの発芽したもの。
原料発芽したソルガム
 それを飲んでいた女性。
地元の女性

 旧市街は、アミニズム・イスラム・ミュージシャン・鍛冶屋の4つの地区に別れているという。
DSC02729
 アミニズム地区の聖なる祭壇。
イニシエーションの場
 住居
DSC02736
 こちらはイスラム地区にあったモスク。
モスク
 ミュージシャンの地区に入ると、
音楽の地区
DSC02741
 
DSC02745
 坂道を下って行くと川があった。
川
 この川で洗濯をしている。
洗濯
 お店屋さんだとわかるように絵が描いてある。
お店屋さん
 鍛冶屋地区では、お土産用に蝋燭台などがつくられていた。
 お祈りの時間も終わっただろうと、グランドモスクに戻って来ました。ここのモスクの形はかなり変わっている。精霊信仰の建物が建っていた場所に、1880年から1893年の間に建立されたものでスーダン・サヘル様式と言うのだそうだ。なぜスーダン様式かと言うと、植民地時代のマリの国名がフランス領スーダンだったからだ。現在名で行ったらマリ様式というところか。ブルキナファソでの同様式としては最大級のもので、当時のイスラムの聖職者がマリ出身だったのでこの様式になったそうです。
DSC02706
壁に刺さったような木は、清掃や修理の際の梯子とデコレーションを兼ねている。建設の理由は、当時この地を首都とした地方王国スヤに隣のケネドグ王国(現在のマリ)から大群が押し寄せてきた。スヤの王は、イスラムの指導者アルマミ・シディキ・サヌ師に助けを求め、師は援軍を出す見返りにモスクの建設を求めたという。ケネドグ軍は撃退され、王も捕虜としてモスク建設に従事したという。
装飾と足場を兼ねている
 中に入ります。モスクの中は靴を脱がなければなりません。いつもの感じで中に入ってびっくり。一面砂でした。一部には、茣蓙が敷かれていますが・・・・。
 入り口手前が女性の部屋、奥のミフラブに近い部分が男性の部屋になっていました。
女性用の部分。
モスクの中は砂
 天井
天井
 ミフラブとミンバル
ミフラブと導師の椅子
 男性用のスペース。天井に
DSC02780
明り取り用の穴が開ている所もある。
 屋上にも行ってみましたが、素足でいるので暑くて歩けませんでした。蓋の様なものが置いてあるところが明り取り。雨が降ると蓋をする。
DSC02772
 この時点で時計の針を見ると、2時。これからレストランに向かいお昼をいただきます。
レストラン、いつものシンプルな食事が提供され急いで食べる。何せこれから先は長いのだ。
ようやくお昼
 予定が詰まっているので、今日中にガワの博物館を見ておきたいという。たまたまガイドの知り合いが博物館にいたそうで、無理を言って開けてもらうようにしてあるとの事。それでも、ガワに到着した頃には真っ暗になっていました。博物館の外観もどうなっているのかよくわからない。
 展示品は撮影禁止ということで、暗闇の中外観だけの撮影です。時刻は、夜の7時でした。1時間ほど掛けて、周辺のロビ族の写真や日常品などやお葬式に使う楽器などを見学したのちに、ようやくホテルにチェックイン。エレベーターが無いので階段を登ってレストランに入り、ようやく落ち着いたのでした。長い一日でした。でも車が修理できて良かったです。

 ブルキナファソについて、少し紹介してみます。
人口は、2017年の統計で1919万人、国土面積は日本の70%程。首都は、ワガドゥクである。宗教は、伝統的宗教57%、イスラム教31%、キリスト教12%。1960年にフランスから独立宣言。
 主要産業は、農業で、粟、トウモロコシ、タロイモ、綿、牧畜など。
 国旗。以前国名が、オートボルタ共和国と呼ばれていた時には、別の国旗があった。
赤は、社会主義、緑は農業の象徴、星は革命を導くとされている。
国旗
 ナンバープレート。
ナンバー
プレート
 朝食をいただいた後、ホテルの写真を撮りに外に出た。
DSC02656
 登校時間だったのか、沢山の生徒さんが・・。自転車に乗っている人が多い。
DSC02657
 学校があったようだ。
学校
 同型のマイクロがやって来たが、何と荷物を積む荷台が屋根にない。これでは、スーツケースを車内に置くしかない。これでゆったりと座りたいという選択肢は無くなってしまった。
 約束が違うといっても仕方のない事なので、出発です。
まずは、シンドゥピークに向かい岩登りをします。シンドゥピークは、昨日訪れたファベドク同様、先カンブリア時代に形成された奇岩群だ。ただしこちらは砂岩なので、あちこちが風化されています。
 12世紀頃、シンドゥ族が住んでいたのでこう呼ばれるようになったらしい。
DSC02660
 人間の形に見えたり、ブッダに見えたりする。
女性と子供
ブッダ
 石が丸くなっているのは、祈りや儀式の場だったようだ。
祈りの場
 シンドゥの人達が移り住んだ町が山から見えた。
現在の町
 登り始めた頃は気持ちよかったのだが、車に戻って来たころにはすっかり気温が上がっていました。ところがである、我々は本当に呪われているのかも・・・。エアコンが故障してしまったというのだ。今日は、ものすごく移動に時間がかかる日なのに、仕方がないのでバンフォラまで戻ります。町に入ったところで、今度はなんとパンク!!!!!!!
 エアコンの部品を頼んだり、パンクの修理に時間が少々かかるというのでバンフォラの青空市場に出かけることとなった。
パンクしたので市場へ
 アフリカならではの色々なものが並んでいるので興味津々。
タマリンドですって
タマリンド
 こちらは、スンバラと言う調味料。スープなどに使うらしい。
DSC02690
 この液体は、何とピーナッツバター。注文すると練って練って固くして渡します。
ピーナッツバター
 感動さえ覚えるほどのみずみずしいリーフレタス。
レタス
 とりあえず、パンクを直し、ボボディラウッソのスタンドでエアコン部品を受け取ることにして出発。ところがスタンドで見てもらうとさらなる修理が必要なことが発覚。なので、当初の予定を変更して、ボボディラウッソの市内観光を、今日に前倒しすることとなった。
 本当の目的地は、ガワというところで、何時も使える道が今は使えなくなっていて大回りを余儀なくさせられていた。同じ道を帰ってくるので、ボボディラウッソの観光は明日のはずだった。
 ボボディラウッソは、ブルキナの西部に位置し、第2の都市である。11世紀起源のこの地方の原住民ボボ族の中心であった。元の名は、シアであったがフランスの保護領となった際に、ボボ人ディウラ人にちなんで現在の名前になった。落花生、サイザルアサ、ゴマ、牛などの集散地である。
 まずは、グランドモスクに向かったのだが、お祈りの時間だったので後に回す。こちらの男性はお昼寝の時間のようです。
お昼ね
 木工品を売っているお店を覗く。
DSC02707
 旧市街の散策に出かけます。

 

 我々の車は、結局合う部品が無くて修理ができず、エアコンなしで今日は1日移動することになった。日中の40度越えの暑さを乗り切れるだろうか?熱中症になりませんように・・・。
 スタンドで、燃料補給。
ガソリンスタンド
 国境を超える前に、今日のお昼のデザートを買います。一盛り日本円で約300円のマンゴーです。
マンゴー買いました
 国境が近くなると、大型のトラックが目立つようになってきた。こちらはヤギを大量に積んでいます。
ヤギのトラック
 コートジボワール側では、何度もチェックを受け、国境事務所では、かなり待たされたものの、無事出国できた。その後本当の国境であるレラバ川に架かる小さな橋を渡りブルキナファソへ。白い上着を着た医務官みたいな人に熱を測られた。この時点では、コロナはアフリカ大陸ではまだ発見されていなかったのでちょっとびっくりしたのだが、エボラで慣れているのではないかと言われて納得してしまった。入国の手続きは簡単に進み、待っている間に特産のカシューナッツを皆で大人買いしました。
 緩衝地帯
緩衝地帯

DSC02569
 入国してすぐの所で今日のランチ。ビールは置いてなかったが、買いに行ってくれたので冷たいビールにありつけました。
レストラン
ランチ
 今日のメニュー
今日はこれだけ
 ブルキナファソのビール
ブルキナのビール
 バンフォラに向けて走ります。途中、池なのか川なのかわからないところで、魚を獲っていました。
漁をしている

DSC02581
 ブルキナファソは、コートジボワールに比べるとまだまだ国力の差があるそうです。道路にもそういった感じがあります。
道路が良くない
 町に入りましたが、ホテルにチェックインする前に郊外へ観光に向かった。植民地時代から続くサトウキビのプランテーションが広がっている中を走っていきました。 
サトウキビ畑
 何故か焼かれたサトウキビが、こちらではこうして収穫するのだという。
サトウキビの収穫
 やって来たのは、ファベドゥグドーム。先カンブリア時代の18億年前に海底に形成された堆積岩の固い層が浸食した結果、平原に丘として残ったものだという。暑い中登りました。
奇岩
DSC02601
浸食
 この後、少し移動してカルフィエグラの滝に向かいます。乾季なので滝の規模は小さく、上の方にちょっと見られるだけでしたが、そこまでのアプローチが素敵でした。植民地時代に植えられたマンゴーやカポックの大木が並木道の様になっていて素敵!
大樹の並木
カラフィグエラの滝
 この滝は、ブルキナファソのシカッソ高原を源とする全長759kmのコモエ川に有り、やがてコートジボワールに入り大西洋に流れ込みます。
 ホテルに向かう途中、バオバブの木の所でストップ、写真を撮っていたら、地元の男性達に抗議を受けてしまった。何が気に入らなかったのか早々に退散。
バオバブ
 洗濯をしているようです、その隣では牛たちが草を食んでいました。
洗濯
牛たち
 バンフォラの町に入ると、踏切があった。これは、アビジャン・ニジェール鉄道で、コートジボワールのアビジャンからニジェールのニアメまでを計画されたのだが、現在ブルキナファソの首都ワガドゥクーを過ぎて、カヤまで伸びている。1904年、フランスが着工し1934年にボボディラウッソまで完成した。1954年にワガドゥクーまで延伸し総延長1155㎞となった。その後延伸計画はとん挫するが、マンガン鉱が発見されたことによりブルキナファソ内で延伸工事が再開し、1991年に、カヤまで開通した。
アビジャン・ニジェール鉄道
 ホテルに到着すると、添乗員さんから明日から車が代わると伝えられた。それに伴いドライバーさんも代わるという。トラブル続きで何だか気の毒になってしまった。会社に要望して車を新しくしてもらえるといいですね。
 これで、明日からはクーラーの効いた車で移動できそうです。
 ホテルは、コテージ風ですが、屋根の上をネズミやコウモリが行き交っているというワイルドさ!おまけに隙間から蚊が侵入してきそうなので、目いっぱい蚊取を焚きしめた。
DSC02645
プール
 今日も一日お疲れさまでした。

 セヌフォ族のンゴロダンスは、先祖の精霊と交信するお祭りで、毎年決まった日に行われるダンスで、成人の通過儀礼です。
 カンパリアと呼ばれるリーダーの降り降ろす鞭の音でダンスが始まった。先頭の鞭を持った男性がカンパリア。
 
ンゴロダンス
 音楽隊
楽器
 ダンスは、男性と女性で行われた。
踊り
 衣服を身につけていない女性は未婚、既婚女性は衣服を着ています。
DSC02541
 膝をついて回ったりする。
色々な恰好で
 子供達も
子供達も
 変わった帽子。
特徴ある帽子
 激しいダンスの後の休憩
休憩
 最後はカンパリアのダンスで、
リーダー
 炎の儀式も見せてくれました。昨夜見たジナンゴロと同じで専門のイニシエーションを行わないと火傷をするという。
火の上でパーフォーマンス
DSC02553
 https://youtu.be/1e6nVMLDDFc

 そもそもスタートが1時間半も遅れているので、終わりも必然的に遅くなってしまった。もう1つダンスを見学する予定が入っていたのだが、村の会場に到着した時にはすっかり暗くなってしまっていた。待たせてしまったことを申し訳なく思う。
 フォンドンカ村のボロイエというヒョウの踊りを見させてもらった。瓢箪楽器ボロイエとパーカツションのグードの楽隊に合わせて、ヒョウ柄の衣装にすっぽり包まれた人たちがかわるがわるアクロバット的な動きを見せてくれるもので、リズムと調和が刺激的ですっかり魅了されてしまった。明るいうちに見たかったなあ。
 ずらっと並んだ瓢箪の一弦楽器ボロイエ。打楽器と弦楽器が一緒になっている。瓢箪には、小さな女性の偶像がついている。割礼、成人式、葬儀などで行われるそうです。
 
演奏の人達
グード楽器
ヒョウ柄の衣装で体を包んでいる。
ヒョウの衣装
 
 https://youtu.be/Me3Wg006GI8

 https://youtu.be/r7_5Zy23lJ8

 ホテルに戻ったのは遅かったのだが、最後のダンスの余韻を感じつつビールをいただきました。

このページのトップヘ