好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:アジアの国々 > タクラマカン砂漠1周の旅

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帰国日です。
一番組は、桑さんで6時くらいの飛行機、次が関西組・成田組と続いて、私は15:20出発です。
時間がたっぷりあるので、ゆっくり眠れた。関西の人達を送ろうかなと、チラッと考えたのだが早起きしても又寝なおすのも面倒だなと、失礼をしてしまった。
成田組の人とは、最後の朝ごはんを一緒にということで、レストランに向かった。久しぶりの、インスタントではないコーヒー、たくさんの種類のパン・ホットケーキ・ワッフル・チーズ・生野菜、見ているだけで幸せだあ!!!お皿2枚にたっぷりとって来たのに、ぺロット全部平らげた。よほどこういうものが食べたかったんだなと、実感した。パン・チーズ・ワインが私の中での好物なのです。うーん満足。
中・久・佐・田さんと、18日間の思い出に浸るのではなく、もっぱらサッカーや日本の話に花が咲いた。9:20頃に、空港へ向かうというので、部屋には戻らず、見送ることにした。北京のガイドさんに案内されて、バスにのりこんだ4人を見ていると、涙が出てきそうになってしまい、あわててしまった。こんなこと初めてだった。いろんな人と旅先で知り合い、一緒に旅をし食事をしたりといったことはたくさんあったのに・・・。18日も一緒にいると、完璧に情が移っている・・・。
とうとう一人になっちゃったよ!なにしようかあ。近所でもぶらつくより仕方ないよね。ほんとは北京の下町でもぶらぶらしたかったのだけれど、ホテルは市内からは往復2時間はかかるのだ。渋滞にあったりしたら、飛行機乗り遅れるからあきらめたのだった。
それでも、街歩きは楽しい。以前には絶対見られなかった銀行の新規顧客の勧誘ビラ配りなんかもあって驚いたし、スーパーのイベントでロックコンサートなんかもやっていた。ロックだよう!!!
この狭い地域に2軒もスーパーがあるというのも驚きだ。競争原理がちゃんと働いているということだもんね。一軒は大いに賑わっていたけれど、もう一軒の方は閑古鳥が鳴いていた。品ぞろえにも差が有るし、マネキンによる試食販売もやっているかいないかの差なんてのも有るのかも。
品物も豊富で、冷凍食品は1個から買えるのがいいなと思った。日本のお菓子のばったものなんかもたくさんあった。こういうところは中国だなあと思う。
ホテルに戻り、12時にチェックアウト、ホテルの無料バスで空港まで送ったもらった。
JALカウンターもスムーズにチェックインでき、はやばやと出国手続きを済ませてしまった。免税店のフロアーを端から端までうろついたが、欲しいものはなし。けれど、フェラガモ・エルメスなんてものも有って、へエーなんて思う。以前の中国には、免税コーナーなんてあるの?なんて感じだったのに・・・。
やっと飛行機に乗り込んだと思ったら、滑走路上が大渋滞だ。着陸が優先されるので、待つこと1時間ちょい、やっとのことで日本に向けて出発したのだった。帰って来てから、関西・成田の人達に聞いたら、やはり遅れたとのこと、朝からずーっと送れていたんだあ。そんなんじゃオリンピックできないぞう!
定刻より、一時間遅れで中部に着いた。やっと帰ってきました。みんなありがとうございました!

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今日の予定 トルファンからウルムチへ 博物館のみ見学 北京へ
今日で観光は終わりだ。明日はそれぞれのフライトで、日本へ帰る。
朝、8:30ホテルを後にした。天山ともお別れだ。
快適な高速道路を走っていると、左手に真っ白な大きな湖が現われた。塩湖である。しかもかなりの規模だ。ガイドによると、中国でも大きなほうだという。隣には、精製工場も併設されていた。
ここを過ぎると今度は、行く手にたくさんの風車が現われた。これも半端な数ではない!アジア一の規模を誇るという。皆コンぴゅターによって、出力を管理されているのだそうで、この日も動いているものや停まっているものさまざまであった。中国も、いろんなエネルギー開発をしているのだなあとおもう。それでも人口13億を養うには足りなくて、三峡ダムなんて物を作ったのだろうか?あれだけ自然破壊をすると、もうもとには絶対もどれないのに・・・。なんか複雑な気持ちだ。自分たちだけが文明を享受してて、よその国に我慢をしいるのもなんか変な話であるものねえ。
しばしここで写真タイムとなった。私も撮ったのだけれど、うっかり消してしまったので残念ながら、写真はないのですー!写真といえば、桑さんが写真を撮っているうちに、座席の手すりが折れてしまうというハプニングが有った。本来ならば、弁償の対象にはならないのだろうけれど、前例では弁償してもらったといって、お金を要求された。幸い保険に入っていたので、たぶんそちらから支払われるとおもうのだが、中国ではまだこういう面がはっきりしていないのかなあ?
ウルムチについて最初におもったのは、「でかい!大都会だあ。それに垢抜けているわ・・」博物館も出来たばかりということで、きれいだった。日本語ガイドの説明を聞きながら2時間ほどで館内を回った。2時間というのは無理があります。駆け足で、興味のあるところに、じっくり立ち止まるなんてことは出来ない。ほんとにささーっと見るのが精一杯だった。民族関係のもので興味をそそられるのがたくさんあったに残念である。
目玉は、楼蘭の美女といわれるミイラも含めての、数々のミイラだとおもう。刺青をしたもの・マニキュアをしたもの・子供のミイラ・夫婦のミイラ・髪の毛もカツラもそのまま残っているので、興味をそそられた。ほんとにエジプトのものと比べると、時代も新しいが、リアルである。
この後は、近くのレストランで食事をとった。前半でお世話になった、4駆のリーダーさんが迎えにきてくれていて、久しぶりのごたいめーんとなった。
今日のメニューは、中華だった。点心を中心にたくさんの料理が並べられた。おいしくいただく。
さて、ウルムチの空港へいかなければならない。ゆっくり運転手さんとお別れできずに、来てしまったのが心残りだ。ウルムチの空港は新しくてきれいだった。国内線なので、液体のチェックは厳しく、又も水をあけられてしまう。見りゃわかるだろうに・・・なんて言いたくなる。
待つこと、2時間くらいで無事北京に向けて飛行機は離陸したのだった。北京の飛行場に着いたのは、8時半くらいだったのだが、荷物が出てこず、ホテルに着いたのは結局9時半くらいだった。
大急ぎで、夕食をとる、最後の晩餐だというのになんともあわただしい。料理はおいしく、次々に平らげていく。添さんの明日の説明を聞きながら、箸を勧めていく。
明日は、4班に分かれての出発なので、説明もちょっと複雑になってしまう。私は、今日でツアー離脱という格好になってしまう。明日は、見送りできるかなあ?
部屋に入って、何もしないでベットに入った。明日は時間がたっぷりなのだもん!

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今日の予定 終日トルファンでの観光 
朝起きて部屋の窓から外を覗いて驚いた!何と屋根の上で人が寝ているではないか・・。よく見ると、あちこちで同じような光景が。いくら暑いと言っても、外で眠るとは・・まあ盗まれるものがなければ、怖くはないのかもしれないが。なおも見ていると、着替えも顔を拭くのも屋根の上で行い、布団をたたんで降りていった。
最初は、高昌古城の観光だ。ロバ車に乗って向かったのだが、下からの照り返しがきつく、傘を差していても顔が暑い。ここは、外城・内城・宮城と3つの部分から出来ている。ここでも玄奘さんは滞在して説法をしたという。当時の音響効果が試せる建物が残っている。(写真の丸いやつ)ガイドの話を聞いていても、あたまがふらふらしてくる。
今来た道を少し戻ると、アスターナ古墳だ。たくさんの墓が発見されているらしいのだが、公開されているのは3箇所だけである。地下にもぐっていくと直射日光からは逃れられるので、多少増しになる。
墓の中には、ミイラ・壁に書かれた人物・自然の光景の絵が残されていた。南の街の様子を描いたものは、この墓の寄進者がこの土地で成功したものの、年をとりすぎてもう故郷には帰れない。そこで自分の生まれた土地を墓の壁に書かせたのだそうだ。
私は、火焔山という山があるのだとおもっていたのだが、ここら辺の山全部を火焔山と言うのだと今日初めてしったのだった。もっと赤い山を想像していたのだけれど、それほどでもなく少々期待はずれの感があった。ベゼクリク千仏洞に向かう途中バスの窓からいくつもの火焔山が見えた。
ベゼクリクは、仏様の顔が(羅漢)外国人のような顔をしているのが特徴的だ。いかめしい顔をしている。ここも、略奪や破壊でほとんどきちんとした形では残されていない。
もどって、ホテルで昼食を食べた後夕方から再び観光だ。途中気分が悪くなり、薬を飲んだせいか、大文楽になってきた。暑いと気持ちが悪くなるものだとは・・・・。
空き時間にホテルからすぐの、トルファン博物館に行った。結構いいものが収蔵されていたので、お得感があった。ミイラや・布(織り・染色)・見たことのない道具類など、特に布は手の込んだ物が多く今見ても、「どうやって作ったの?」と思ってしまった。
夕方になり、再びバスに乗って向かったのは、蘇公塔といわれる塔だ。ここは、ウルムチ地区で一番高いミナレットなのだ。複雑な15種類もの幾何学模様がレンガで造られている。隣には、モスクが併設されていて、中に入ってみたら、信者が一人おおいびきで眠っていました!
最後に、楽しみにしていた交河古城にむかう。ここは世界遺産に指定されているだけあって、保存が良い。仏殿もしっかり残っているし、東門・官公庁のあと・迷路みたいな道などが見られる。東と西を河が流れているので、天然の堀のような役目も果たすのだろう。ここを、空から見るとちょうど船の形をしているのだそうだ。二本の河が交わったところが先端部分になるのだろう。それにしても、ここではたくさん歩かされた。往復3kmくらいあったとおもう。見たい一心で登ったので、午前ほどのくたびれがなかったのは幸いだった。
夜の。楼蘭ワインのおいしかったことは言うまでもない。飲み会も今日が最後だ。明日は、もう北京に向けて発たなければならない。

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今日の予定 コルラからトルファンへ移動 約400km弱
中国のホテルは本当にチェックアウトに時間がかかる。部屋のチェックが細かいのだ。
9:00やっとホテルをでられた。一路トルファンに向かって移動だ。
お昼は、途中の小さな村でとった。いつもの定番の麺のほかに、皆が飽きていたようでと、特別に添さんが日本から持ってきたチラシ寿司のもとでつくったお寿司が出た。デザートは、クチャのバザールで中さんが買った桃をおすそ分けしてもらった。小ぶりでは有るが、味は濃くとてもおいしかった。
トルファン盆地は、年間降雨量11ミリから16ミリと日本の1時間の降雨量くらいしか降らない。年間の平均気温35度、平均海抜30m、世界で2番目に標高の低い湖がある。暑い時期には、地表の温度は80度以上になり、砂の中に卵を入れておくと、ゆで卵になるとか・・・?一年中強い風が吹きわたるという。この日も、夕方から熱風といっても言い強い風に見舞われた。
バスは、登ってたり下ったりを繰り返しながら、トルファン盆地へと入っていった。盆地といっても規模が違うので、見渡す限り平原といった感じだ。はるかかなたに、小さく山並みが見えるくらいだ。道も、まっすぐだ。トルファンの街に入って、カレーズの見学に行く。その道柄、干しブドウを作る小屋が点在している。(写真の1番目)ここは、良いブドウが取れるので、干しブドウの品質もとてもよく、又ワインも上質のものが飲めた。
カレーズは地下水路で、地上に水路を出すと蒸発してしまうので、それを防ぐ意味もあるのだそうだ。総数1100くらい、つなぐと5000kmにもなるらしい。天山山脈の雪解け水を利用しているのだ。
TVで見てから、ぜひ本物を見るのを楽しみにしていたのに、すっかり観光地化されてしまっていてがっかりしてしまった。観光客に解放されているのはここしかないので、皆が集まってきてうるさいこと1土産物屋の呼び込みも、いっそうけたたましい。早々に引き上げたくなってしまった。
干しブドウを、近くの農家から直接買ったのだが、とてもおいしかった。粒が大きくとてもやわらかいのだ。干しブドウの概念がちょっと変ったくらいだ。(4番目の写真がそのお宅の人)
ホテルにチェックインしたのが早かったので、風呂に入ってからレストランに向かった。
くわえタバコでバイキングをとる人がいて、マナーの悪さに口あんぐり・・・。
今日の飲み会は、楼蘭ワインを飲んだ。赤と白どちらもいけたよ。

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今日の予定 クチャ観光の後コルラヘ移動
朝目が覚めて外を覗くと、今日もホテルの人がせっせと砂を掃いていた。掃いても掃いても砂は侵入してくるし、あの掃き方では、掃いているというより舞い上げている感じだなと思いながらぼんやりと眺めていた。
午前中にクムトラ千仏洞にいき、そこで石窟郡をけんがくしたのち、クチャの街に戻りバザールに立ち寄り、食事をしてからしてからコルラヘ移動する。
クムトラは、ダム湖のほとりにあるのだが、歩くと少々遠い。よって、今日もロバ車に乗っての移動となった。前回のロバ車がいまいちだったので、あまり期待していなかったのだが、今回は足場が良いせいか、結構スピードも出て何だか楽しかった。
現地に着くと、鍵番のご夫婦がおいしい杏と一緒に出迎えてくれた。さっそく、ご馳走になったのだが、これが私にはとてもおいしくて、ひょっとしたらツアーの仲間の中で一番たくさん食べたかもしれない。残ったものも持って行けと言うので、バッグのポケットにたくさん入れてもらった。人生の中で一番おいしいあんずだったなあ!
ここには、5連窟がある。ダムに向かって開けているので、景色が中々良い。キジルでは地震によって壊れてしまい見ることが出来なかった、前室もちゃんと残っていた。
窟の脇に家庭菜園が作ってあったのが何故か印象に残っている。ここにも玄奘さんは滞在して、説法をしたのだそうで、その窟もしっかり残されていた。
人の良い鍵番さん達とわかれ、街へと戻ってきた。案内されたバザールは、大きくはないがクチャでは一番古いのだそうだ。ぶどう棚がしつらえてあってその下にお店が連なっていた。変わった石鹸や、きれいに三角形に積み上げた卵などを、みて歩いた。昼食は歩いてすぐのレストランでとる。メニューはいつもの麺だ。この街では、あちこちで鳥を飼っていいる人の姿がみられたが、鳴き合わせなんてものもやるのかもしれない。
コルラハ、ここから280kmほど離れたところにある、石油河発見されたことによって、急速に大きくなった街だ。到着して大きな街なのでびっくりしてしまった。いきなり現われた大都会という感じを受けた。泊まったホテルも、かなり立派なものでインターネットの端末が部屋まできていた。ビジネスマンのお客が多いのだろう。
夕食をホテルのレストランでとった後、タクシーで街に出てみた。賑わいを見せる屋台では、ビールを飲んだり、焼肉を食べたりする人々でいっぱいだ。羊の頭など変った食べ物に、驚きながらもぐるっと1周してみる。近くのショップなども覗いてみたのだが、ここではブランドショップもあり、値段も日本で買うのと大差がなく、この辺の人は豊かなのだろう。
ホテルへもどり、また仲間と飲んで今日も無事終りました。毎晩飲んだくれていて、申し訳ない。

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今日の予定 午前中カシュガル市内観光 昼食後列車にてクチャへ移動
今日もすっきり目が覚めた。朝の混まないモスク前広場を、見たくてエイティガルモスクまで散歩。
コ-ヒーのある朝食を食べて、9:30ホテルを後にした。
最初に向かったのは、職人街だ。刃物・楽器・金物・帽子屋などを覗いて回った。そのまま歩いて、エイティガル寺院へと行く。この寺院は、新疆地区最大のもので、多い時には2・3万人の信者が訪れるという。つくりは、純粋のイスラム国の寺院と比べると、何となくどこかに仏教的な感じがしてしまう。木材を使っているせいか、天井の梁のせいか何となく親しみが沸いてしまう。
このままバザールへ直行かと思ったのだが、銀行に用事があるというので、ガイドさん達が銀行に行っている間、毛沢東の銅像のある広場などをふらついた。日曜日なのに銀行が開いているなんて、ムスリム時間で動いているのか?
カシュガルの日曜バザールは、大規模なものでツアー客は、よく迷子になるそうなのだが、今回はそんなことはなかった。エリアごとに整然と分かれて売っているという感じはしなく、何となく雑多な雰囲気がする。ここで私は、布とバラ茶を買った。ブルカが欲しかったのだが、探してもらったが見つからず断念!家族へのお土産やスカーフを買った人もいた。
このあと大急ぎで、レストランに向かいあわただしく昼食を済ませ、クチャの駅へと急いだ。駅は思ったよりずーっとこじんまりしていて、ひとつしかない入り口では、中へ入ろうとするお客たちでごった返していた。「遠慮していたらいつまでたっても入れませんよ」という、ガイドの声にあわてて、押し入っていく。荷物のX腺検査をすませ、やっとのことで待合室へ入れた。全員揃うのを確認してから改札口を通ってホームへでた。係員は何故か女性ばかりだ。乗務員も女性だったので、こういった乗り物関係の仕事につくのは女性が多いのかもしれない。そういえば、ロシアも女性ばかりだったなあと思った。
我々のコンパートメントは硬臥である。いちおう寝台車の呈はなしているが、入り口にはカーテンもドアもない。4人で1室を使用するようになっていて、真ん中に小さなテーブルが付いている。まあ普通の指定席だある。これよりランクが上がると、軟臥となって、ちゃんとドアが付いている。まあグリーン車といった所かな。冷房の効きも格段良かったし、トイレや洗面所も設備の良いものが、車両にくっついている。まあわれわれは、途中下車で列車の中で眠るのではないのでこれで十分なのだが・・・。
荷物置き場がないので、むりやり座席の下に押し込んだり、上段のベッドの上に置いたりと、落ち着くまで結構あたふたした。
やっと落ち着いたところに、お湯のサービスが来たので、備え付けのポットにお湯をもらって、元さんのコーヒーと羊羹でティータイムとなった。女性4人が1室、4人の男性が1室、最後の1人とガイド・添乗員・赤の他人が1室という組み合わせになった。
列車の中を探検したり、ちょうど隣の客室にいた美学生と話しに弾んだりと、さくさくと時間は過ぎていった。8時頃夕食のため、食堂車へと向かった。鍵がかからないので、荷物番としてガイドが残った。後で添さんと交代して食事を取る予定だ。
食堂車の中は、我々が席に着くと満席となってしまった。イスがパイプなのが何となく不釣合いな気がしてしまった。出される料理は、街のレストランと同じようなもので、一皿づつでてくる。野菜炒めや肉の炒めたものが中心だ。ここは持ち込みもOKらしく、他のテーブルを見るといろんなものが並んでいた。例によって、大声で喋り捲るし、タバコも周りの迷惑などかまわず吸い放題だ!
食事が終って、席に戻る途中夕日が沈みそうだったので、デッキにたってずーっと外を見ていた。何だかここにこうしているのが、実感がわいてこない・・。思えば遠くへ来たもんだ・・・誰かの歌にあったよね。停車駅のホームへ降りてみたり、隣の部屋に遊びに行ったりと、9時間は長いと思ったのに、それほどでもなくクチャの駅に列車は到着した。
荷物を分担して持ったりしながら、出口まで進んでいくと其処には懐かしい顔が待っていてくれた。バスの運転手の崔さんだ。お互いの無事を確かめあう。
夜遅いので街の様子はほとんどわからないのだが、ネオンが怪しげであまりいい印象をもてなかった。
この辺りまで来ると、ホテルはホテルらしくなってきていて、チェックインの時に大騒動すると言った事もなくすんなりと、部屋に収まった。

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今日の予定 中パ公路に入りスバシ峠・カラクリ湖までの往復
早くに目が覚めたので、ホテルの近くを散策した。朝の忙しそうな街の様子を見るのは、とても楽しい。かごに山と入れた杏や卵などが売られている。学校へ急ぐ学生の姿を尻目にぶらぶらと歩く。
9:00ホテル出発、今日は今までの大きなバスではなくて、マイクロバスでの移動だ。今までのバスは、一足先にクチャに向かって出発し、列車で移動する我々をクチャの駅で、迎えてくれるのだ。
車は、315号線から314号線へと入る。314号は、クンジュラフ峠を抜けてパキスタンへと続いている。
パキスタンに入ると、カラコルムハイウェイと呼ばれる。春にパキへ行った時は、まだ峠が開いていなくて、国境の街であるスストも閑散としていたが、今はもう開いている。大好きなパキのデコトラに会えないかと期待したのだが、残念ながら国境超えてくるパキスタンの車は見ることが出来なかった。
カシュガルは、この314号と315号が交差する大事な街で、イスラム色がとても強い。
314号を走り出してまず思ったのは、「なんてよく整備されているのだろう」同じ道なのに、パキ側は、道こそ平らであるが、舗装はされていないしがけ崩れもたびたびである。そのたびに道路を直すのではなくて、応急的に落ちてきた石をダイナマイトなので小さくして渓谷に落とし道を開けるという、まことに場当たり的なやり方だ。それに比べるとこちら側では、道路の清掃や修理をする人々がたくさん見られ、この日も洪水で流されたという道路の修繕がちゃんと行われていた。ほとんどが、2車線の快適な道が続き、快適なドライブとなった。
そんな思いにとらわれながら、次々に現われる奇怪な山肌や雪をかぶった山などを眺めていた。興味を持ったのが、石炭層が表面に現われた山と表面が真っ赤な紅山といわれる山だった。どちらも、はじめてみるものだったので、「へえええ!」
マルコポーロも通った古い道の跡も残されている。パキスタン側にも所々残っていた。ちょっと見、道があるようには見えず、単に線が引いてあるようにしか思えない。言われて「そうなんだあ」といったところか・・。
途中でパスポートチェックを受け、いよいよ奥深くまで入り込んでいく。ブルン湖というところで小休止をする。手織りの敷物の色鮮やかさに目がいってしまう。布や織物が好きなので、どうしても目がそちらに・・・石好きな人を笑えないなあ!反省。
ここ1週間の中で今日が一番天気が良いと、現地ガイドさんが言っていた。ほんとに抜けるような空の青さで、雪山がよけいにきれいに見える。コンゴール・ムスターグアタといった山が我々の行く先々に、顔を出して迎えてくれる。なのに添さんは今日は、ダウンである。熱があるらしくひたすら寝ている。今までの疲れがいっぺんに出たのかもしれない。
最初は、一番標高の高いスバシ峠に向かった。バスの外に出るとさすがに肌寒い。ヤッケを着込んだ。眼前にムスターグアタが広がっている。標高4200だというが、一向はまことに元気で誰一人気分の悪さを、訴える人はいない。元気がないのは、ガイドと添さんくらいだ。ここで初めて集合写真を撮った。この先進んでいけば、大好きなフンザにいけるのだなと思うと、何だかこのまま行ってみたくなる。
ここには、パオ風の建物がある所を見ると、もともとはここの人々は定住せず、遊牧で生計を立てていたのかなあと思う。今は定住政策が進んでいるから、何で生計を立てているのだろうか?キルギス人かもしれない。ここからは、Uたーんしてカラクリ湖へむかった。
ここの景色はすばらしかった。対岸に聳え立つムスターグアタが湖面に映りこんで、逆さ富士ならぬ逆さムスターグなのだ。妙に人懐っこいナンを食べるラクダ・みやげ物を広げてるのだけれど声をかけるなどしない人々・湖で遊ぶのに夢中な子供たちと、いつまでも遊んでいたいところだった。
さあいよいよお預けになっていた昼ごはんだ。時計の針は、3:30をさしている。高山病を恐れていた胡さんの考えで、遅い昼食となったのだ。食堂の中へ入ると、なんとストーブが燃えていた。朝晩は相当冷えるのかもしれない。一段高いところに靴を脱いであがる。その前に敷物を引けば、立派なテーブルの出来上がりだ。こういったもてなしの仕方も、遊牧民族独特のものだ。彼らにとって敷物は、色々な役目を持っている。メニューは、マルのままのきゅうり・トマト・インスタント味噌汁・ナン・羊肉のスープといったものが並んだ。ここのオリジナルは、羊のスープだけなのだが、これはちょっと無理だった。脂がどうしても口に入っていかない。悪いと思いながらも残してしまった。
おなかもふくれたところで、後はカシュガルに戻るだけである。帰りは下りなので、思ったより早い時間に街まで戻ってきた。ところが、この頃からガイドの様子がおかしくなってきた。おなかを押さえて、脂汗までたらしている。お湯を飲んだり現地ガイドに買いに行かせた薬も飲んでみたが、一向に良くならず
ホテルの駐車場に車が停まると同時に、外へ駆け出し戻してしまった。
今日がスタッフの厄日だ。
夕食の時、今日が誕生日の佐さんから何と高級ワインの差し入れがあった。祝ってもらう人からの奢りなんて、恐縮してしまいながらも、おいしいワインに幸せいっぱいだった。佐さんごちになりました。

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今日の予定  ホータンからさらに西のカシュガルまで移動。とちゅうヤルカンドやインジーシャに立ち寄る。
朝9:00ホテル出発。ホータンの街を出る辺りの風景は、私が長い間イメージしていた、シルクロードそのものだった。コヨウの並木の間を荷物や人を乗せたロバ車が行き交っている。あらためて、「ほんとうに、シルクロードを旅しているんだあ!」と・・・。
ヤルカンドの手前でお昼ご飯を取った。今日も麺である。いささか飽きてきてしまった。いくらおいしくても、毎日食べていれば飽きてくるというものだ。
別室に通されたのだが、ちょうど其処に居合わせていた老夫婦と少し交流した。息子さんたちは独立して、2人暮らしなので食事を作りたくないときには、こうして外食に出かけてくるのだそうだ。イギリスに息子さんは留学しているそうで、きっと恵まれた部類に属する人なのだろう。
ここで添さんからちょっとしたサプライズがあった。今日は、田さんの誕生日ということで、何と大きなバースデーケーキが用意されていたのだ!紙で出来た王冠を頭に載せた田さんを中心に、誕生日の歌を歌う。少し照れくさそうな彼女は、少女のような表情をのぞかせた。おめでとうございまーす!
おすそ分けのケーキをいただき、満腹で食堂を後にした。
ヤルカンドでは、金曜礼拝の日ということでモスクの中までは、入れなかったのでロープの外から見学。門のところで、一人の女性が熱心にお祈りをささげていた。他に、貴族のお墓やアマニサハーンの墓なども見学する。次に立ち寄った、インジーシャは刃物で有名なのだそうだ。ここで、旦那のお土産に小さなナイフを買った。刃は、結構しっかりしているので気に入ってくれると思うのだが・・・。
途中でラクダの放牧されている群れに遭遇した。最初は野ラクダ?なんて思ってしまった。一定距離以上は、中々近づけないので遠くからカメラに収めた。
カシュガルに近づくに連れて、緑がどんどん増えているような気がしてきた。雪解け水を貯えたダム湖まであって、驚いてしまった。今までの砂漠や土漠の風景が、よみがえってきて一瞬不思議な気持ちになった。カシュガルのホテルに着いたのは、10:00くらいで、かなり遅い到着となってしまった。夕食を済ませ部屋に向かったのだが、電気が点かない!!!
ここでもトラブルだ。今回の旅は、ホテルの部屋からは嫌われているようだ(泣)
写真の最後の道具は、お棺を入れて運ぶものです。

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