好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:西アフリカの国々 > コートジボワール・ガーナ・トーゴ・ベナン

 コートジボワールの首都は、現在、内陸部のヤムスクロであるが、1982年まではアビジャンであった。そして、フランス領コートジボワール時代の首都は、グランバッサムに置かれていた。
 空港は、アビジャンとブランバッサムの中間位に位置している。
車が走り出すと4年前の景色が思い出されて来た。ほとんど変わっていないのだ。
 人々が集まっているのは交通事故が起きたからだ。
交通事故
 バイクの数が多いのだが、ノーヘル・サンダルが目立つ。最初に車を止めたのが、1893年年に建設された旧総督府の建物であった服飾博物館だ。ここには、前回も立ち寄っている。クーラー、」入ったかなと期待していたのだが甘かった。流れる汗と戦いつつ見学してゆく。
衣装博物館
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 地方の部族の祭りや祈りの時の衣装、植民地時代の写真パネルなどが展示されている。
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 隣の木彫りやさんの職人さん。
木彫り職人
 建物正面の向こうには海が広がっていて、前回はそのあたりのホテルに泊まった。何やら賑やかそうな雰囲気だ。
町の様子
 ここから少し歩きます。暑いのでガイドさんがココナッツジュースをごちそうしてくれました。ここの名物は、空きペットボトルに入れたピーナッツ。
ガイドさん、ココナッツジュースを
 グランバッサムは、世界遺産に登録されていて、歴史的建造物はその遺産構築の1つになっている。
1885年のベルリン条約でフランスの領有が確定すると本格的に都市開発が始まった。ヨーロッパ人とアフリカ人の居住区を分け、又行政地区と商業地区も分離し、整然とした計画都市を築いたのだ。1899年まで首都であったが、1899年の黄熱病の流行により人口が4分の1にまで減少してしまい、1900年にヴァンジェルヴィルに首都は移転された。そしてアビジャンが建設されると政治経済の中心はそちらに移ってしまった。我々が散策している地域は、コロニアル建築や新古典主義様式の建物が残されているヨーロッパ人の居住区だ。
 旧郵便局
郵便局でした
 前回は、染め物工房を訪れましたが今回は焼き物工房でした。
焼き物工房
 土曜日ということも有ったのか、結婚式が行われていました。
教会
 お化け屋敷のような建物が続く。
植民地時代の建物
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フランス時代にはここが中心だった
 この一角だけは変化していた。4年前には、地面に洗濯物が干されていたが、新しくお店ができていた。
お店やさんができていた
 マンゴーの大木。
マンゴーの大木
 湿度が多いので、太陽がぼやけて見える。移動だけでも20時間以上もかかり、この暑さで皆へとへとになっているのだが、明日の行程を考えるともう少し見学していきたいという。我々の体も太陽の様にぼやけてきたようだ。
湿気で太陽ぼけている
 新市街と呼ばれる地域にやって来ました。世界遺産の1つである灯台があるからだ。ところが、鍵番のおじさんがいない。連絡を取るも30分ほどかかるという。仕方がないね。
新市街の方
子供は写真が好き
 子供達は、写真が好きだ。ポーズをとってシャッターを押せとせがんでくる。そうこうしているうちにおじさん登場。中に入ります。1914年に建設された高さ17mの石造りの灯台は、港に出入りする船の目印となっていたが、アビジャンの港湾が整備されるとグランバッサムの港は使われなくなり、1950年代には、使用されなくなってしまったという。

灯台に登ります
 登れるというので行ってみましょう。俄然元気が出て来た。高いところ大好き。しかし中はボロボロ、手すりは錆びていて浮いている状態なので、触ると危ない。登り切るも柵がぼろぼろでうっかりもたれようものならもろとも落下してしまうという代物で、日本なら絶対許可が下りないだろう。
 
びっしり
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交差点
 はしゃぐ子供達。
子供達
 結局ホテルに入ったのは、18時頃かな。今日はちゃんとお湯が出ますので、しっかりシャワーをしておいてくださいとの事。新しいホテルだったので、一見きれいそうに見えるが欠陥だらけで、6部屋もチェンジがあったそうだ。私の部屋は、洗面所の扉が閉まらないのと、壁が工事中でコンセントが使えないのと、鏡が無いという問題はあったものの、他はなんとか合格点でした。
 あーーーーーーー、やっと涼しい部屋にありつけました。し・あ・わ・せ。


 イスタンブールには、朝の8時40分到着。バスにて建物に向かう。
いつもならそのまま建物内に入れるのだが、少し前にトルコ国内でテロがあったので警戒が厳しくなっていた。

 バスから降りる前にパスポートを提示。そして建物に入ってすぐに再びパスポートチェック。
我々や、欧米人はそにまま進めたが、アフリカンはその場で、手荷物オープンチェックをさせられた。

 日本への帰国便は、今日の夜中の1時過ぎなのでものすごく待ち時間がある。一旦入国してトルコ航空のトランジットサービスを受ける。
 往路でも利用したのだが、その時は空港近くのホテルだった。今回は長いので、街に出たいねと皆で話し合っていた。でもこんな時勢なので1人で出かけるのは控えてくださと添乗員さんからいわれていて、街中までどういう方法で行こうかなどと話し合っていたのだ。

 ところがこの日、航空会社から提示されたホテルは旧市街のスルタンアフメット地区の4つ星ホテルでした。
そこまではシャトルバスで送ってくれるので、それだけでも得をした気分なのに、昼食も夕食もサービスでつくというのだ。どちらもとてもおいしかった!(*^^*)こんなにサービスしていいのー。

 ホテルのレストランからの眺め

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 昼食を食べた後市内観光ツアーが10ユーロ割引であるという。誰もがイスタンブールは初めてではないので、これに乗っかることにした。

 1時半ホテル出発港まで向かった。船なら一番安全だろう。

 久々のイスタンブール。懐かしさで胸がいっぱいになる。1人でトルコをバックパッカーで回ったのはもう16年以上前になる。お金がなかったので日本人の奥さんがやっている民宿に泊まったのだった。
 このへんあるきまわったよなあ・・・。
 

 
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 高層ビルが増えているのとトラムが綺麗になっているのが何だかうれしい。女性達のファッションもとても自由に感じられる。

 この街はやはり素敵だ。エキゾチックで食べ物がおいしくて猫がたくさんいて人々は親切だし。

 
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 アジア側

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 ルメリ・ヒサル。あの時は、ここに来たかったのに来られなかったんだよななんて思出でも。1453年のコンスタンチノープル戦に備えてわずか4か月で作り上げたといわれる。

 
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 以前はなかったロープウェイができていました。そこからの眺め。

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 ロープウェイの下にはものすごくたくさんのお墓がありました。お墓を上から見るのは初めてです。

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 夜中定刻通りに離陸。観光客が減っていると聞いたが機内はガラガラでした。トランジットサービスも申し分なかったし、こんなにすいていて1人で4席使えて、トルコ航空バンザーイという感じだ。

 成田に到着しても家に帰る交通手段がなかったので、成田に泊まり翌朝セントレアに帰ったのだが、成田セントレア間も追加料金なかったな。

 ほとんど知らなかった奴隷の歴史を少しでも知ることができて良かったと思えた旅でした。


 私達がお昼ごはんを食べているころ学校の午前の部が終わって子供達が帰って来ました。
宗教上の問題からか、ここの人達もこの後訪ねたガンヴィエの人達も、写真に撮られることを嫌がる人が結構いました。それは子供でも同じで、気をつけねばいけません。

 
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 玉ねぎの産地らしく沢山のむらさき玉ねぎが売られていました。お昼ごんにもいただきましたが、生ではなくて普通の玉ねぎのように炒めたり煮込んで食べるようでした。

 
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 船着場のあるところまでやって来ました。コトヌーの近郊ノコウエ湖の上に住むアイゾ人の水上集落があり、ガンヴィエで、「アフリカのベネチア」などど呼ばれている。約45000人ほどが暮らしています。

 1717年頃から奴隷になるのを恐れて水上に逃げ込み暮らし始めたという。漁業で生計を立ており、
学校、警察、銀行、モスクなどすべてが水上にある。観光客のためのホテルの以前は有ったらしいが・・・。

 船をチャーターしてぐるっと回ってきます。

 
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 沢山の船がこちらに向かってきます。漁船・乗合船・貨物船など。小さなころから船を操っているので、歩くように船を動かすことができる。

 
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 丸木舟に大きな帽子は独特な雰囲気がします

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 このヤシで囲まれた部分は養殖場です。見張り小屋もあります。

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 船のタクシーとすれ違いました。

 
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 船に乗ったままおしゃべりしている女性達。道での立ち話でなくて、水の上の座り話でしょうか(*^^*)

 
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 船の中で昼寝でしょうか。

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 網を投げた瞬間。漁の仕方はいろいろあるようです。網や釣り仕掛けに籠等々。

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 集落が見えてきました。

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 建築用材も船で運ぶ。砂の重さで沈んでしまいそうだ。

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 水路を進んでいきます。

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 子供達が網を使っていた。遊びながら本格的に使えるようになっていくのだろう。

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 モスクが見えます。

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 飲み水は、井戸があるので、そこまで水を求めて船で向かいます。もちろん購入することも。
 (わずかですが土の部分のあります)
 水を運んでいる子供。

 
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煮炊きはプロパンか薪を使う。

 大量の薪

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 これは密輸船。ナイジェリアからガソリンを運んで来たところ。

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 帆を布でなくて廃物利用で、袋を切ったものを使っている。考えたねえ。

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 何かを真剣にしている子供。我々の船が近づいても顔をあげることなく作業に没頭していました。

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 これで観光は終わりだ。ベナン第一の経済都市コトヌーに向かう。コトヌーは、過酷な刑務所があることで知られていて、刑務所で裁判を待っている間になくなってしまう人が続出という程、たくさんの人が収監されている。ちなみにコトヌーとは、フォン語で「死の川の河口」という意味です。
 コトヌーには、各国の大使館もあり国際線もでている。往路と同じように三角航路なので、一旦飛び立った機体はコートジボワールのアビジャンに降り立ち、あらためてイスタンブールに向かうのだ。

 体中汗だくだ。着替えたいので、ホテルの部屋を借りることにした。以前は空港で着替えたりしたのだが、禁止令が出てしまったので、1人10ユーロを出してホテルを借りることにしたのだ。
 ついでにこのホテルで夕食もいただきます。

 空調も全然効いていない暑い部屋に通された。とりあえずエアコンを入れたいところだが、リモコンがないのだ。ホテルの人間に言うと持ってきてくれた。そのままスイッチを入れて置いてくのかなと思ったら、何と持ち帰ってしまった。置いておいてほしいと頼んだのが聞き入れてくれんかった。多分盗難を恐れているのだろう。
 そんなことしないのに・・・・。

 スーツケースを開けて、さあシャワーをというところで今度は停電になってしまったのだ。何ということだ!!!
 真っ暗闇ではシャワーも使えない。
 ホテルなら自家発電があるのではと思っていたら、まもなく電気復活。
ところがまたすぐに切れてしまった。今度はうんともすんとも言わない。体中から汗が噴き出すし、裸になっているので外に行くこともできず、バスタオルを巻いたままの格好で待つことしばし。

 けれど結局この後電気が完全に復活することはなかった。自家発電の発電機はメンテしていないので爆発してしまい、街中の停電なのでどうにもならないというのだ。

 結局扉を半開きにして、懐中電灯を頼りにシャワーを浴び着替えたのでした。
髪も洗うも乾かせず、汗も引かずほこりまみれの洋服を着替えることができたのみだった。最後の最後で停電の洗礼を受けるとは思わなかったわ・・・。

 この後屋上で夕食を食べたのだが、風が吹き抜けてとても涼しかった。こんな事ならもっと早く屋上で涼めばよかったなあ。

 そんなこんなでしたが、飛行機は無事飛び立ち、アビジャン経由でイスタンブールに向かったのでした。

 明日はおまけのイスタンブール観光です。


 流れ星ホテル。一見良さげでしょ?

 
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 午前中は、ブードゥー発祥の地ウィダに向かいます。

 途中で見かけました。ベナンは、タレントで大使のゾマホンさんのお国で、彼は母国にいくつもの学校を建てています。ビートたけしさんたちの寄付で建てられたたけし学校もあり継続的に活動をしておられます。
 この建物が何なのかはわかりませんが、日本とは関わり合いのあるお国だと思います。

 
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 聖なる森の入り口。

 
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 日本の神社にもいる狛犬の様です。阿吽ではなくて、座っているものと立っているものでした。

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 進んでいくと奇妙な形をした神様がたくさん出てきます。

  一本足。

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 2つの顔を持っています。
 
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 蛇はありがたい動物の様です。永遠を表す。

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 本当の聖域は、この門の後ろからで信者以外は入れません。
左手の輪っかになっているのは、「永遠を象徴する神ダン」です。

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 この木は、聖なる木です。フォン族のパッセ王は、亡くなる時に木に姿を変えたのだそうです。
コインをあげてお祈りすると願いが叶います。外国のお金はだめだということでした。(+_+)

 
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 ここで日本人の女性に出会いました。お隣のナイジェリアでフランス人の夫と暮らしているとの事。彼女は、こんな所に観光に来る日本人がいることに驚き、我々はこんなところに住んでいる日本人がいることに驚いた。

 移動して奴隷貿易が行われた海に行きます。
それは奴隷街道と呼ばれ、2度とここに戻ってくることができない一方通行の道でした。

 忘却の木と呼ばれた木のあった場所。今は記念碑がたっているだけです。
女性は7回、男性は9回、木の周りを回ると過去の記憶をすべて忘れる事ができるといわれた。
 そうやって集められていった。

 
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 現在の街道はこんな感じになっている。

 何かの看板でしょうか?

 
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  聖なる森にもいた1本足の網様。

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 これは何の絵なのでしょうか?何のためにかかれているのかもよくわからない・・・。

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 広場に出ました。大木の下で女性が涼んでいました。神様もいます。
この木は、帰郷の木といいます。
 木の周りを3階回れば、アメリカ大陸に行く船に乗っても魂はベナンの地にたどり着くといわれたそうです。

 
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  ゾマイという窓のない部屋に人々は閉じ込められて3~7日待たされます。その間になくなったり弱ったりしたものが埋められた場所。今は記念碑がたっていました。

 ズンボチ記念碑

 
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 記念碑の塀の横には男女の奴隷の像が、当時の格好をして置かれている。これでは生きている方が不思議な気がします。

 
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 奴隷街道の終点は「不帰の門」。1995年に建てられたものです。道は無くなり、砂浜が続いている。
かつてはこの海岸からたくさんの人たちが小舟に乗せられ、沖に停泊している大型船に乗り換えさせられて、アメリカ大陸やカリブ諸国に連れていかれた。

 
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 門には、当時の連行の様子が描かれています。

 
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 門の後ろには昨日見てきたブードゥ-の神官の姿がありました。

 
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 この後はお昼をいただき、水上集落ガンヴィエに向かいます。


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 動画も紹介します。ブレていますが悪しからず。



 アボメーに入りました。

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 アボメーは、17世紀から19世紀までベナン南部を支配したフォン族の王国ダホメーの都があったところだ。
奴隷狩りによる奴隷貿易の利益で軍事力を強化、海岸近くのアラーダとウィダを滅ぼし絶対的君主として専制国家を築き上げた。
 住民も財産もすべてが王のものあり、生殺与奪の権利を持っていた。
しかし19世紀に入り、奴隷貿易が廃れると、セネガルから南下してきたフランス軍に敗北し属国となった。

 強権国家だったのだが、王宮の壁にはかわいらしいレリーフが描かれているし、国旗も下の様な漫画チックなものでした。
 

 現在は王宮は博物館になっていて、世界遺産にも登録されているのらしいのだが、勝手に改修など行ったので危機遺産になってしまっているという。写真は、内部は一切禁止になっているので紹介できません。
 我々が到着したときに偶然、現プリンスとプリンセスが車に乗って帰るところでした。
オープンカーにのり、おつきのものを従え、大きな日傘をさすなど今でも健在の様です。

 
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 楽器を持ったおつきの人たち。

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 博物館の前でけだるそうに座っていた女性達。プリンス達には反応しませんでした。

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 ここから入ります。

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 中庭。ここまでは撮影OK。お土産屋さんなどもあります。

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 王宮の壁に描かれていたレリーフのアップリケ。

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 館内ガイドもやって来て、さあ行きましょうとなったのだが、我々のガイドと先にそこに座っていたフランス人グループの1人がもめ始めた。フランス語でしゃべっているのでさっぱりわからないのだが、双方かなり興奮してきている。「アフリカーナ、ジャポネーゼ」という言葉だけが聞き取れたのだが、フランス人男性の雰囲気からして我々のことをバカにしている感じがする。
 今にもつかみ掛からんとする我々のガイド。止めに入る添乗員と館内ガイド。
そこへもう1人の館内ガイドがやって来て収まったのだが、事の真相はこうだ。

 要は先にどちらが見学するかということだ。フランス人たちは入り口の所で結構長く待たされているようでした。(多分プリンス達のせいです)我々のガイドは前日から予約を入れていたのでその時間にやって来た。
 で館内ガイドと時間になったので入ろうとしたところ、「自分たちはさっきから待っていたのだから、先に入る権利がある」と言ってきた。で我々のガイドは、「私達は、昨日から予約を入れているので、先に入る権利はこちらにある」と主張した。
 どちらも自分の権利を主張してゆく中で、フランス人男性が日本人とアフリカ人を侮蔑する言葉をはいた。我々のガイドは、ここでつかみ掛かろうとしたのだった。

 結局もう1人館内ガイドがやって来てどちらも同じ時間にスタートできたのだが、「フランス人は、いつもこうだ。フランスなどぜったいに行きたくない。でも騒がせてごめんなさい」とガイド氏。

 アフリカを旅していると、ヨーロッパ人のこういう態度にたびたび出くわす。レストランの席などでも、ともすると差別を受けたりすることが有る。特にフランス人の選民意識は、フランス本土を旅している時よりも強く感じることが有る。
 
 何年たっても差別の意識は消えない。そして我々日本人も差別をされる側にあるのだと・・・。普段は理性で押し殺していても、怒りと共に出てしまうのだろう。

 ここの王宮は、王国の絶頂期に、ゲゾ王とその息子ギレレ王が住んでいた。広大な敷地内にはいくつかの建物があり、王達の使った品や衣服などが展示されている。窓はなく風通しも悪くとても暑い。
 王妃の墓は、王が亡くなったときに41名もの妃が共に生き埋めにされたものだ。

 王の霊廟の方は、土・生き血・海水・真珠などが練りこまれたものだ。何だか趣味がよろしくないな・・・。

 見学の後は、近くの民家の庭先でブードゥーダンスを見せてくれるという。

 その民家のあるあたりの壁にも王宮と同じようなレリーフが描かれていた。
王族の関係者だろうか?

 
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 家の軒先を通って

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 すると結構広い中庭があり、ブードゥーの神様がおられました。
ここでダンスを行うそうで、椅子を用意してくれました。

 神様。原型がよくわからない。

 
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 やがて、豪華な重たそうな衣装を着た神官たちが次々と出て来たダンスをします。特別な時に行うダンスだそうで近所の人も集まってきた。雨乞いや厄除け等々。時々ちょっかいを出す子供達を追っかけて行ったりするような場面もあり、ものすごい埃にまみれながらも楽しい時間を過ごした。

 
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 衣装に何故か雪だるまが・・・。

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 被り物の上には人の頭がありこれが気になる。

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 ここの辺りの子供は来ているものが普通の子供とは全然違っていました。多分裕福なのでしょう。

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 今日のホテルは、流れ星ですって、うまいこと言うよねー。確かに水は出ないし、汚くて狭くて臭い。でもうるさいけれどエアコンはある。とりあえず電気も点いている。バケツに汲んでくれた水は大切にしないといけないので、小の時は流さないことにしました。
 バケツ水を洗面器で汲んでとりあえず汗も流せました。明日の夜には出国なので荷造りもしなくては・・・。
でも、蚊取り線香は仕舞えないよなあ・・・蚊がぶんぶんいっているもの(+_+)

 


 今日は今回の旅での最大の移動距離となる420kmを走る。
7時半ホテル出発。

 空は、相変わらずこんな感じで太陽がかすんでしまっている。

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 通りも同じである。

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 教会も・・・。カトリックだというがいたってシンプルで、風通しがいいように壁に使われている飾りタイルには穴が開いています。

 
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 車が止まった。青空トイレのついでにシアバターの木をおしえてくれた。初めて見るシアバターの木はこれです。

 
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 古くから、やけどや筋肉痛、紫外線・乾燥からの肌の防御など生活に深く根付いてきた。近年注目されるようになり、高級クリームや石鹸に使われるようになり、重要な輸出品となっているそうです。
 こちらでも簡単に手に入らないそうで、次の日ガイドさんが薬局に行って買ってきてくれました。

 実はこんな感じ。栗?にそっくりです

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 これまでにも紹介したがこの道路はとても大型のトラックが多く、そのほとんどが積載オーバーで走っている。なのでちょっとしたことでもひっくり返る。
 この日もバランスを崩して横倒しになってしまったトラックがいた。こういうときには、仲間の運転手たちはほおっておきません。明日は我が身だからです。

 積み荷の綿花が風に乗って散らばっていっていた。 

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 ずらっと並んだ仲間のトラック。

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 この道はかつての国境に続く道。今は、誰もいない。

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 ベナンは、ブードゥー発祥の地なので祈りの場所も他の国より多い。ついでだから寄っていきましょうということで代表者に許可を貰った。

 
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 ところがである。そこを管理している者は許可をくれたのに、たまたまここにお祈りに来ていた酔っぱらいのおじさんが強硬に反対する。
 ガイドも代表者も懸命に説得してくれたのだが聞く耳もたず。酔っぱらっているのでまともな話ができない。暴力沙汰になりそうな雰囲気になってきたので引き上げることになりました。
 実際の祈りを見てみたかったのに、残念だ。

 道具。儀式に使うらしい。

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 言い争いなど全然気にしないで深い眠りについている女性。

 
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 生贄台と生贄。多分これから儀式をしようとしていたのだろうな。お邪魔をしてごめんなさい。

 
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 お昼は道路に面した小さなレストラン。この屋根の下で頂きます。

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 この辺りは国内でも一番キャッサバイモが安いそうで、保存がきかないので粉にして売られていた。水で溶いて鉄板の上で焼くだけでふわっとしてくるそうだ。日本へのお土産に買われた人もいました。

 
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 テーブルに座り、料理の出てくるのを待っていると次々と移動スーパーがやってきます。芸術的な並べ方に思わずカメラを。

 
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 仲間の人が、インスタントカメラで写した写真を渡すととてもうれしそうでした。携帯の写真は珍しくないけれどプリントしたものは高いだろうから、いいプレゼントになったのではないでしょうか。

 
 帽子屋さん。私は移動スーパーからナツメヤシを買いました。この辺りでも獲れるんですね。

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 道路端にはたくさんの人々が集まっていて、見ていて楽しい。
乗り合いバスに乗る人々。

 
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 おしゃべりに花が咲く女性達。

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 何のタンクなのだろうか?こんなのがひっくり返ったら怖い。

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 だって道端には、密輸のガソリンが売られているのだもの・・・。安いので正規のガソリンを売っているスタンドが商売が成り立たなくなってしまい、廃業に追い込まれてしまう例が続出。我々の車も、スタンドを探したのですが見つからず、こういう人に入れてもらいました。

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 西アフリカ全体の約半数の人々が、一日約一ドルで暮らしているそうです。4人家族なら一日4ドルということになる。そういう状態では、ガソリンもこうなるのだろう・・・。
 でもほかの3か国では見かけなかった。ベナンは、4ヶ国の中では一番貧しい上に、隣国が石油産出国のナイジェリアということも有るのだろう。

 アボメーまではあと80㎞ちょっとくらいだろうか。お尻が痛くなってきました。(+_+)

 


  旅の話を書く前にちょっと・・・・。
今朝の朝日新聞を読んでいたら、コートジボワールのグランバッサムで、武装集団が3つのホテルやビーチを相次いで襲撃したとあった。
 欧米人にも人気のリゾートで治安は比較的安定していた。民間人を含め15人が死亡したとも。
ホテル名は明らかになっていないが、ホテルがたくさんあるわけではないので我々の宿泊したビーチ沿いのあのホテルも多分標的になったと思う。

 トルコといいコートジボワールといい、近頃は本当にテロとものすごく近くなってきている気がします。こうして無事に帰国できてブログの記事を書いていることの奇跡を本当に身をもって感じる。

 亡くなられた方々のご冥福と、ケガをされた方々の回復を日本からお祈り申し上げます。
 

 
 この村の方の中には、顔に線を入れている方もいました。昔は皆こうしていたようですが、最近は少なくなってきているみたいです。

 
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 彼女はまだ10代ですが子供がいます。子供ができて学校をやめたといっていました。女性は、初潮を見ると恥ずかしがって行かなくなったり、手当の仕方が判らなくてパニックになったりと男子より学校に行くのが難しようだ。女子割礼も西アフリカでは重要な問題である。 

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 集落の周りには、カシューナッツやパパイヤの木が有り実がたくさんなっていました。これらは自然のものだと思う。

 
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 素敵な髪形の女性。こういう髪をするとシャンプーはしないそうだ。普段は、地肌のみを洗い2、3か月ほどで髪を解いて洗うのだという。

 
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 私がすごく気になった子供です。他の子が声を出して走り回ったり、物をねだったりするのに、この子はつかず離れずの一番外側にいて黙ってみているだけでした。遠くを見る目が悲し気に見えてしまう。

 
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 女性総がかりで夕食の支度をしていました。鍋の中身のものを食べるかというので一掴み試食させていただきました。味がしなくて、里芋をつぶして団子にしたような感じかなあ。個人的にはこういうもそもそしたものが好きなので、クルミだれとかゴマだれにつけて食べたらいいなあと思った。
 
 
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 犬は多分夜の用心のためだと思いますが、ちゃんと首輪をしています。吠えることもなく、役に立つのか怪しいところですが・・・。

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 収穫した後のトウモロコシ畑。

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 彼らにさよならをして、ナティティンゴの街を目指す。夕方近くなって到着です。すぐに警察に出向くのかと思ったのですが、先に博物館を見学するのだという。
 少し待っているとバイクに乗った女性がやって来てカギを開けてくれた。どうやらこの博物館は、常に開いているのではなくて連絡し、開けてもらうシステムになっているようです。

 植民地時代の総督の邸宅でした。

 
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 展示してあるのは写真や宗教に使う道具、人形等々。
これは葬式の時遺体を運んでいる様子ですが、布に包まれた遺体の手が伸びている。

 
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 村々で見た生贄のやり方の1つ。

 
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 建物の周りではハンドメイドの品を売るお土産屋さんがあって、製品も作っていました。これは絞りの一種でしょうか?

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 電話をしないとみられないような博物館に観光客がやってくるのだろうかと疑問が残りましたが・・・。

 ベナンのナンバープレート

 
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 この後ホテルに入る前にようやく警察に出向き、入国審査となりました。ガイドさんがまとめてやってくれるというので我々はバスの中で待機でした。

 ホテルに着き、地元の人がバオバブのハチミツを作っていてそれを買えるというので注文。しばらくたって持ってきてくれたのは、使ったペットボトルを再利用したものだった。

 幸い、サランラップもガムテープも持っていたので厳重に梱包。ふたと本体が微妙に違うので、しっかり閉まっていないのだ。蜂蜜がスーツケースの中で洪水になったら大事だもの。500ml2本をしっかりしっかりミイラのように巻いたのでした。

 明日は、400kmも南下します。

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