好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:東アフリカの国々② > スーダン・エリトリアの旅

 
今日は、160kmほど走ったところにある、オールドドンゴラを見学する。
 
これは、ガソリンスタンドに寄った時のもの。なんでも再生利用するんだ!
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どこまでもまっすぐな何もない軍用道路を走っていると、なんとなく雰囲気が違う一行にすれ違う。
真っ白な民族衣装を見て明らかに労働者とは違う。
 
トラックの荷台に立って乗っている。
「なんだろうねえ?」とこのときは、のんきな会話・・・。
 
ドンゴラは、ナイル川に近い場所にあるが、川岸まで砂地が迫っている。
 
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4世紀にクシュ王国が滅亡した後に興ったマクリア王国時代の教会や聖堂跡やその後イスラム時代の聖者の廟などがある。
 
とても不思議な雰囲気の場所である。
 
5台の車は列をなして進んで行く。
教会だったというまるで要塞のような建物の前で、ストップした。
 
なんだか様子が変だ。2号車などは、とっくに山のてっぺんまで登ってしまっているのに・・・・。
 
降りようとドアに手をかけたら、添乗員が制止する。
「おりないで!!そのまま。おりないでください」
良く見れば、軍人が何人か鉄砲を持って立っているではないか!
 
どさくさで兵隊撮ってしまいました。
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添乗員の顔も強張っている。
 
「これは大変。何事か」
 
5台の車は、Uターンしてナツメヤシの林の中をひたすら走る。
走るというより逃げるという感じ。
 
その間何が起こったのか一切説明なし。
 
すれ違う車は、警察官の乗ったものや、民族衣装の老人。
 
でもそのうち、なんとなくこれは非常事態ではないなという気がしてきた。
添乗員は、ちょっと暗い。そしてしゃべる時も弾んだようにしゃべらないので、ことが深刻に伝わってしまうのだ。
 
走ること1時間ほどで、奇麗な民家のそばで停まった。
 
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ここでやっと説明がありました。
 
「実は今日、ナイル川に架かる橋の竣工記念ということで、大統領が急にやって来ることになった。大統領自体は、ヘリでやってきてすぐに帰るらしいのですが、近隣からも大勢の人が集められて、式典が行われます。それが終わるまでは、誰も近づけないのです。それで先にここで昼食をいただきます。彼らが帰ったら見学に向かいます」
「ここは、典型的なこの地方の民家です。この家の居間を借りて食事をします」
 
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みななんだか気が抜けてしまいました。そんなことか、だったら逃げる前に行ってくれればこんな不安な気持ちにならずに済んだのに・・・。
 
「添乗員さんの顔見たら、何事かと思うわよネエ」「そうそう、強張っていたもん」などと、言いあったのでした!
 
真っ白な壁はまぶしい。砂地で色の無い世界からやって来ると一層際立つ。
 
ここに住んでいるのは、3世代のようだ。
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グランマ
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出発まで時間があるので、家の周りを一周してみた。近所の子供達があっという間に集まってくる。
彼らにとっては、われわれはいい余興なのだろう。
 
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やっと、大統領一行が、帰ったようだ。
あらためて仕切り直しだ。
 
このあたりは、ナツメヤシの影を利用して、根元に豆を育てているという。「どんな?」「豆」
種類を聞きたがるのは、日本人特有?豆は豆ですって(笑)
 
ナイルのかなり彼方に橋が見える、あれが問題の橋かな・・・。
 
砂に埋もれている教会の柱。立った2世紀ほどしかさかえなかったマクリア王国。
 
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教会を示す十字架が見て取れる
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この建物は、もともとは教会だったものを、モスクに作り替えた。
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モスクの裏手に回ると壮大な光景が広がっています。
 

 
 今日は、まだまだ終わりません。
 
休憩の後、夕日に染まるピラミッドを見に出かけます。
 
途中ナイルにかかる橋の上から、ジュべルバルカルの雄姿を眺める。
 
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 夕日が沈むまで少々時間があるので、思い思いにそれぞれの時間を過ごします。
私は、高いところが大好きなので、ジュべルバルカルに登ることにしました。
 
地元の人も集まってきます。
 
中にはこんな恰好で登る勇ましい女性も・・・。
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ジュべルバルカルに登ると願い事がかなうのですって・・・。
私も、こっそり願い事をしました
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沈む直前の光景です。
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まぶしくて、まぶしくて・・・。
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小さな子供も、登ります。がんばってね!
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ピラミッドの向こうに太陽は沈んで行きます。
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 光を受けて、こんな色に染まっていく
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朝のピラミッドとは全く違う様相になります
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ジュべルバルカルとピラミッド
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こういう日は、ワインなどの見たい気分なのだが、ノンアルコールビールで乾杯です。
いい一日でした。
 
埃ぽくなってしまった頭と体。
なんとしても洗いたい。蛇口の下に頭を突っ込み、水で洗う。便器に足を滑らせないようにするのが、少々苦労する。
ビーチサンダルが滑ったら、あの穴の中に足がはまってしまうかもしれない。
スリル満点のシャワータイムでした。
 
カゼ引きそうだよー。やっぱ水はちょっとつらいかな。
毛布にくるまりたいところですが、この毛布、いつ洗ったかわからないほどにおいがきつい・・・。
 
自分の持ってきた洋服を着こんでやっと人心地ついた。
 
 
 
 

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私達が通ってきた町や村には、こうした水飲み場が必ず設置したありました。
誰でも利用できますが、埃が浮いているし、きれいとは言えません。
地元の人々は、平気ですが、軟弱なわれわれは・・・・
 
クシュ王国の墓は、メロエ・ヌり・ジュべルバルカルそしてこれから向かうクッルの4か所あるが、玄室が保存公開されているのは、クッルだけである。
玄室の入り口は、こうした多いで保護されていました。
 
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ここで見学したのは、25王朝最後の王タヌトアンとその母親のもの。
彼らがいかにエジプトに憧れていたか・・・・。
描かれているのは、エジプトと同じ神々・船・最後の審判の様子などである。
最後の審判の様子
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神官と王
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さまざまな神
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玄室の天井には天空を表す星が描かれている。鮮やかな青が残っていました
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整備されていない玄室の入り口
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崩れたままに放置されている墓
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遺体が安置されている
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生命の鍵を口から吹きこまれる
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ホルス神、ラー神と王妃
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これらの壁画を見ていると、ここがスーダンだということを忘れてしまいそうになる。
憧れるが、精力的には及ばなかったクシュの王様たち。
たとえ規模は小さくても、すこしでも近づきたかったのだろうか・・・?
 
帰りは、砂漠の中に入っていきます。
ほどなくついた場所には、なんと大木の化石がごろごろしていました。
これは、かなりの驚きです。どうしたらこんな大木がそのまま化石になるのだろう!!!
はるか大昔、このあたりまで川が流れていた証拠です。
流れの跡も見てとれます。
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帰りには、スークにも立ち寄りました。
お母さんは、顔を隠してしまったけれど。
幸せそうな一家でした。
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こちらは、床屋さん。足元を見ると砂がたくさんはいりこんでいます。
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こういう伝統的な格好をした人の姿が目立ちます。
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ホテルの前をナイルが流れています。
向こうに見えるのは、中国が作ったという橋です。
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それまでは、対岸に行くのにはこの渡し船がつかわれていた。
今ではすっかりさびて、放置されていました。
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いったん休憩した後、再びジュべルバルカルに行き、夕日に染まるピラミッドを見る予定です。
 
 

 
今日は、待ちに待った遺跡観光が始まる。
 
日の出前の様子を見るため屋上に上る。
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朝食の前に近所を散歩。
宿泊したところ・・・画面左側の椅子のあるところが食堂です。
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歩いていくと、楽しそうな声が聞こえる。お茶を飲んでいるようだ。
ずうずうしくも近寄っていき声をかけてみた。
 
「お茶を飲むかい?チャイナか?」
と多分言っているのだろう。
 
「はい、飲みます。私は日本人です」と、片言の英語で・・・。
 
あまーいお茶は日本だったら絶対にのまないのに、ここではなぜかおいしい。
 
朝も早いのに、ラジカセからは陽気な音楽が流れている。
楽しんでいるということを伝えたくて、ちょっとだけ踊ってみた。これが大うけ・・・。
 
地方の女性ということで、恐る恐るカメラを向けてみたら、OKでした。でも顔が怖いんですけど・・・。
 
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ナイルにかかる橋を渡って対岸に向かう。
 
大きな岩山が見えてきました。
ふもとには、鋭角なピラミッド群が立ち並んでいる!
 
「ピラミッドだ!」思わず声が出てしまいました。
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本で読んだ通り、エジプトのものと比べると小さく鋭角にできている。
 
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こちらのピラミッドの使い道は、お墓そのものです。
ほとんどが盗掘されあらされてしまっています。
 
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ジュべルバルカルは、聖なる山とされてきました。ここには、ピラミッドのほかに2つの神殿があります。
 
振り返れば古いピラミッドとナイルがはぐくんだヤシが森のように見えていました。
 
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新旧のピラミッド
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紀元前15世紀ころからエジプトは盛んにヌビアのちにも遠征をおこなっています。
 
エジプトの植民地のようだったこの地も、紀元前9世紀ころになると、力を蓄えてきました。
そして、紀元前の8世紀ころ、カシュタ王がテーベを陥落させます。息子ビアンキは、父の事業を受け継ぎエジプト全土を掌握してエジプト25王朝が始まった。
 
それは、ウガンダ国境・エチオピア国境まで及ぶ、実にアフリカ大陸の4分の1にも及んだという。
 
その後、2度にわたりアッシリアの攻撃を受け、ナパタに退き本来の領土をまもったという。
 
ジュべルバルカルは、宗教の中心地として栄えたが、紀元前6世紀の中ごろ、鉄を求めてか、水を求めてか、王国の首都はメロエへと移ってしまう。
 
ここにはそれまでの、お墓や神殿が残されているのだ。
 
ヌート神殿
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内部には、壁画もありますが保存状態はあまり良くない
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鍵番のおじさんは、われわれが見学をしている間、ずっと携帯を・・・誰にメールしてるのかな
 
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アモン神殿
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アモン神殿の祭事の想像図、先頭が王様ビアンキ
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アモン神
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近くに小さな博物館があるというのでそちらに向かいます。
中には、王の演説石やアモン神などが収められていた。
 
これは、珍しい横を向いたアモン神・・・かわいい!
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この前で演説したという。石は他の土地から運ばれてきたものです。
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ここでいったん、ホテルに戻ってお昼をいただきます。
 

 
今日は、食事の話を少々。
 
スーダンでは、ハルツーム以外は3食とも、同行のコックさんが作ってくれました。
 
スークに、買い出しに行き仕入れたものをその都度作ってくれるのですが・・・。
味は、悪くないですが、やはり衛生状態が気になるところです。
 
使い捨ての食器ではないので、(リビアでは使い捨てでした)・・・
しかも洗っているところを見るとかなりい加減です。
慣れてしまえば多分大丈夫なのですが、旅行中はティッシュで拭いたりしてから、使うようにしていました。
 
こちらでは、昼ごはんを一番大事にしているようで、豪華(?)でした。
果物は来る日も来る日も、バナナかオレンジ。
スークにはブドウやスイカ・イチゴ・青リンゴ・リンゴなどもあるのですが。
 
飲み物は。水以外は時前です。私は、夜はノンアルコールビールを飲んでいました。
 
 最初は、イエメンのサナアでの夕食です。
ここはかなりいけましたよ。
 
エビの煮込み
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魚のグリル,食べかけですみません。
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ハルツームに入ってからの昼食。レストランです。
チキンスープとこのメインディッシュでした。
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ハルツーム2日目の昼食、イタリアレストランで、デザートがアイスクリームでした。
ケバブサンドイッチとピザです。
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この日を最後に、2度と豪華な陶器のお皿での食事にはありつけませんでした。
食器も、メラミンに変わります(*^_^*)
 
コックさんが作ってくれた最初の日の食事です。
おいしかったですが、ハエを食べそうになる。
これに例のパンとバナナがつきました。
チキン・エビのリングあげ・煮込み
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夕食、スープ・鳥のひき肉とじゃyがいもの煮込み・この日は白いご飯でした
珍しくこの日のデザートはスイカ(覚えていなかった)でした
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こちらのパンは長いものです。
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ある日の夕食、鶏のから揚げとパン,
スープ・果物
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ある日の昼食
大好きなダル豆のカレー、おかわりしてしまいました。おいしかったあ!
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15日の夜は、みんなで食べる最後の夕食ということで添乗員さんが、日本から持ってきたお米で
ちらしずしを作ってくれました。
永谷園か桃屋の寿司の元だと思うのですが・・・
 
写真が少ないのは、あまり中身が変わらないからです。
旅先では、何でもおいしい!(^^)!
 
 

 
やっと、ハルツームを脱出できます。
 
ここから約400kmほど離れた、ヌビア砂漠の西側に位置したカリマまで向かいます。
早朝の出発かなと思ったのですが、この国では観光のための移動する時間まで決められているようで、9時半になりました。
 
食事の後、1人で昨日とは別の方向へ散策に出かけた。同宿者は、怖いということで留守番です。
 
なんということのない埃っぽい道路を30分ほど歩いていたら、競技場のようなところに出た。人も集まっているようなので行ってみると、そこは小さな市場のようになっていた。
 
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ミニバスの発着場にもなっているようで、朝ごはんを食べる食堂もあった。
 
ひるみそうになる気持ちを奮い立たせてはいっていくと、いっせいに人々の目がこちらに向く。
「チャイナー?チャイナ?」という声がここでもかかる。
「ノン、ヤパーニ」
 
売り場の写真を撮っていたら次から次へと人々が集まってきて、写真を撮ってくれという。
 
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子供でもないのに・・・自分の姿を確かめて笑い転げる。つられてこっちも笑ってしまう。
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朝からサッカー!
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今日からは、マイクロバスでは無くて4輪駆動車での移動となる。
食事もすべて、コックが同行して作ってくれるという。
食べるレストランもなくホテルには調理人もいないというわけである。
もっともホテルというのは名ばかりで、後で紹介しますが、安宿なのだから望むべくもないが・・・。
 
ドライバーは5人で、コックが1人。
車は新しくはないがちゃんとエアコンは効きます。!(^^)!
1台に2人ないし3人が乗り込む。
荷物は荷台です。というのも車がトラックタイプのハイラックスだから。
雨の降らない地だからできる技だ。
 
市街に向か途中でお巡りさん
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市内を出る前に大量の食糧の買い出しをする。
私もノンアルコールビールを8本ほど買った。
冷蔵庫はないかもしれないですが・・・と言われた。
 
ハルツーム市内を抜けて土漠地帯に入った。
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中国が建設したという軍用道路を北上していく。
こんな砂漠の中でも、モスクはありミナレットが立っています。
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ここに隣接した場所で昼食です。コックさんが用意している間おしゃべりして待っています。
トイレがあるというので行ってみたら、ドアがなくて用を足していた男性の姿をばっちり見てしまった!
あわてて戻ってきて報告する。
私はイスラム式のトイレでも男性は立って用を足すのだと思っていたが、そうではないそうだ。
男性も座ってやるのですって!!!!!
イスラム圏には何度も言っているのに初めて知りました。
青空トイレの時ペットボトルを持っていったらそれは大なのだそうです。
知っていましたか?
 
昼食場所,ハエをかき分けかき分け食べます。気にしていたら何も口にすることはできません。
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コックさんの料理はおいしいのだが、種類が少なく夜は一汁一菜。昼は、一汁二菜、朝はインスタントの飲み物に、パン・果物1つ・△チーズというもの。でも痩せないのです・・みなさん・・・。
 
粗食ではやせないということですかねえ・・・。
こちらでいただいたものは後日まとめて紹介しますが・・・
 
主食のパンはこんな感じです。
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他には、ほそながいものもあるが、これが安くて一般的。
 
問題のホテルですが・・・
軍人たちが使う場所ということで名前もミリタリーホテルとなっている。
バストイレ付ということですが・・・・・
 
いつ掃除したのかわからないほど埃がたまっている。クーラーはあるが怖くて動かせない。埃の塊が出てくるのは必至だからだ。
 
荷物を置く場所がない。仕方がないので映らないテレビを外に運び出す。冷蔵庫は何とか使えそうなので、これは部屋の隅に移動だ。
 
ともかく2人で使うには狭くて、置く場所がないのだ。1人だったらベットの上を使えるので、これほど苦労はしないのだが・・・・
 
トイレを開けるとにおいがきつい。これは我慢するしか仕方がない。
パーパーもない。日本から持ってきたロールが活躍です。いつも持って歩いているのだが、対外ついているのであまり使うことはなかったが、今回は大活躍でした。
 
カーテンも動かすと埃が舞いそうで怖くて使えない。こちらは夜しかいないので、このままにしておこう。
 
問題はシャワーだ。水なのは承知の上なので問題無いが、今までこのタイプは使ったことがなく、しかも思いきり狭い。シャワーを使うと全部がビショビショになってしまいう。
 
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勢いよく用を足すと、飛び出してしまいそう。ポリ袋はゴミ箱変わりです。
 
体をふくスペースもない。ないないづくしでここからが知恵の出しどころである。
 
私はホテルからいただいてきたスリッパをバスマットの代わりにした。シャワーは使わない。洗面台の蛇口から洗面器(いつも持っていく)に水を汲みそれで体を洗う。
髪はすいどうのじゃぐちのしたに頭を突っ込んで洗う。
 
ここで3泊したのですが、慣れてくるとそれほど苦痛にも感じなくなってきます。隣は軍人の訓練所で朝には大きな掛け声が聞こえていた。
 
屋上からから見た夕日がきれいでした。
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スーダンが、独立を成し遂げたのは1956年ことだ。その戦争のとき、マハディとともにたたかったカリファの家を見学。
 
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この家からは、マハディ廟がすぐ目の前に見えます。
 
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独立を果たしたスーダンだが、その後の道は順調ではない。南部と北部の対立や軍部のクーデター相次ぐ。1969年から85年までは民主共和国となる。
その後も、南部黒人による「北部の支配からの脱却」を目指す武装闘争が続き、1972年いったん終息するも、80年代に再燃する。
 
その上、干ばつによる飢饉に直面し、南部の不信は収まらなかった。統一を目指していたが、今回の投票の結果南部の独立は、認められたが、中部の獲得競争や西部のダルフール問題など、片づけなければならない問題は山積している。
 
鍵番の人
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ここにも小学生が遠足に来ていました。ガイドによると遠足シーズンなのですって・・。
 
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蒸し風呂も完備されています。カリファの愛用したものや、武器、車などが展示されている。
 
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昼食は、ピザとケバブサンド。かなりおいしかったです。アルコールがほしいなあ!ノンアルコールもないんだよ。
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レストランです。屋根が特徴的です。
 
 その後、楽しみにしていたクルーズです。青ナイルと白ナイルの合流地点をみるのも今回の目的の一つです。アマゾンのマナウスのように合流地点がはっきりわかるかなあ(^^♪
 
ナイルは乾季には、水深がなくクルーズできるのは、ほんの一部分だけだそうです。
 
これにのります。
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往復で1時間ほどのクルーズでした。船の上ではコーヒーを飲んだりしながら・・・・。
見える景色はこんな感じです。
 
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川岸で休む人々の姿も
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二レーンモスク。合流地点を望む場所に建っています。
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ここが2つの川が合わさっている場所です。昔はもっと青と白がはっきりしていたらしいのですが。今は・・・流れの速さの違いで合流点がわかるくらいでした。
 
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部位の世海見えるものは、ペットボトルです。流れが重なっている境目をいつまでも浮いています。
手前が白ナイルで、向こうが青ナイルです。
 
白ナイルは、赤道直下のビクトリア湖から、青ナイルはエチオピアのタナ湖を源としています。
2つのナイルはここで合流し地中海へとむかいます。
古代からナイルは人々に、交通・農業・飲料水と多大な恵みをはぐくんできた。
 
昔はナイルの水をくみ上げて耕作地まで持っていくのはとても大変だったというが、今はこういうポンプで簡単に組み上げていた。
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下船場近くの様子。
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なぜか戦車している人も、乾いた大地の割には洗車する人をよく見かけました。
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ホテルは、下船上からすぐだ。
夕陽を見るために、上階のカフェに集まりましょうということでいったん別れた。
 
でもこの日の夕日は、霞の中で見ることができませんでした。残念!
 
明日は、無事カリマへ向かえますように・・・。
 
 

今日は、本来ならカリマへ向かう日ですが、宿泊所が使えなくなったと、軍からの要請で引き続き市内観光となった。

朝日の中のナイルを見ていたらどうしても川の近くまで行ってみたくなった。

朝食の前にちょっとだけ・・・。ホテルに面した青ナイル沿いの通りは、よく茂った並木が日陰を作ってくれる、唯一の散歩道である。夕方近くなるとカップルや家族連れでにぎわっていた。

この先には、大統領府もあり、落ち着いたたたずまいの通りとなっている。

警備のための警官もホテルの入り口に24時間配置されているし、宿泊人も中に入るには、荷物チェっク・金属検査を受けなければならない。

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朝食の後、あらためて河を渡って対岸まで行ってみた。警備の男性が2人ほどいるが、声をかけてくる様子もない。調子に乗って写真を撮っていた。橋の下から対岸を移そうとしたときだけ、小さく「ノウ」といったものの、それ以上の事は何もなかった。

そういえば橋って軍事上の観点から、撮影禁止の所が多いよね。しかも後のクルーズの時に知ったのだが対岸には軍の施設もあるので撮影はやめてくださいといわれた。道理で柵があるはずだわ・・・。

でももう撮っちゃったもの(*^_^*)
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橋の向こうに見えるのが、我々の宿泊しているホテル
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国旗の建っている建物は、もともとホテルでした。中国の企業が買収して今は従業員の宿泊所になっているそうです。スーダン国旗が青空に映えている。
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9時半ホテル出発。最初に向かったのは郵便局。ここで切手を購入した。私も1枚書いてみましたが、日本に到着するまでに16日ほどかかりました。思ったよりずっと早い。

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郵便局の中は閑散としていて、何だか不気味。
切手も数が無いので、我々が買い占めた状態になってしまいました。

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郵便局の前にはなぜか切手売りの男性もいます?
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その後、すぐそばの国立博物館に向かった。
ここには、クシュ王国時代の王の墓の埋葬品や、エジプトのハトシェプト女王時代の神殿・キリスト教時代の絵画などが展示されている。

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ちょうど遠足に来ていた小学生遭遇。彼女達は、明らかに自分達とは違う外国人に興味シンシンです。
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制服がかわいい。

展示物も少し紹介します。
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どれも素晴らしく、各地を回ってきた後に見学していたらもっと理解できただろうにと、残念です。
気に入ったのは、一連のキリスト教絵画でした。

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神殿の復元展示。
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綺麗に壁画の色も残っている。
エジプトの勢力が及んでいた事がよくわかる。後にクシュ王国が、初の黒人王国として、エジプトをも支配するのはもう少し後の事である。
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此処からは昨日も行ったオムドルマンに移動して、カリファの家を見学します。









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