好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:中近東の国々 > イスラエル


 お昼をいただいたイタリアンレストランを後にして向かったのは、ハダッサ病院である。
ここにはシャガールのステンドグラスがあるのだ。
 そこは、シナゴークにもなっていて写真撮影は禁じられていました。

 せっかくだからこちらの待合室の様子も見て行きましょうかということで、ちょっとだけ小児科の病棟にお邪魔しました。病院とは思えないほど光にあふれた室内でびっくり。清潔だし、医療先進国なのだろうなあと思う。

 シャガールはユダヤ系なので自分のルーツということで寄贈したのだろう。画題は、イスラエル12部族の物語で、1962年に収められた。その5年後の6日間戦争で4枚が打撃を受けたが、そのことを聞いたシャガールは、後にさらに美しいステンドグラスを寄贈したという。

 ヘブライ大学附属ハダッサ病院の入り口。

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 エルサレム最後の観光はあの死海写本が収蔵されているイスラエル博物館の見学です。広大なので写本と屋外展示の第2神殿時代の模型だけしか見ることができない。とてもとても残念だが仕方がない。どこで渋滞にはまるかわからないのと出国審査にとても時間がかかるので普通の国より余裕をもって空港に到着しなければならないからだ。


 イスラエル博物館

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 屋外展示の模型は、日本の日光東武ワールドを連想してしまいました。が、神殿はかなりの精密さでびっくり。実際の50分の1で、製作者は考古学者のアビ・ヨナという教授です。模型製作が始まったころは、資料もなく、創作部分も多く、発掘が進むに従い手を加えられたことも多々あったという。
 第2神殿時代の紀元後66年、ローマに滅ぼされる4年前のエルサレムで、実物と同じエルサレム石を使ってリアルに仕上げてある。

 この大きさに圧倒されます。

 
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 続いて死海写本館に向かう。玉ねぎのような形の建物は、写本が発見された時入っていた壺のふたの形をもとに、アメリカの建築家がデザインしたものだ。照明を落とし薄暗くした内部は洞窟をイメージしている。

 
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 ここからは国会議事堂もちらっと見えました。ロスチャイルドの寄付により1966年に完成したものだ。改めてユダヤ人は成功者が多く金持が多いのだなあと感じる。外に出て成功した方々が自分の母国にいろいろな寄付をしている。

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 近代的な新市街を通り抜け丘を下ってテルアビブへと進みます。

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 途中テルアビブ郊外のヤッフォーの町をすこしあるいてみた。
テルアビブから海岸沿いを歩いて1時間もかからないで到着できるし、旧市街もこじんまりと小さい。

 海岸沿いからテルアビブ市街が望めます。

 
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  オスマン時代の時計塔。町のシンボルですが動いていないようだ。

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 この建物の横から階段を下ってゆきます。

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 細い通りには12星座にちなんだ名前が付いている。

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 サソリに、射手にふたご座。

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 通りはとても狭くてこんな感じです。

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 お目当てのシモンの家は、アルメニア人が管理しているが見学は出来ません。入り口部分だけみてひきかえしました。

 ペテロがこの皮なめし職人の家に滞在したと記されている。

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 その聖ペテロ教会もありました。

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 ケドミウム広場の噴水。

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 テルアビブ市内に入りました。パンフレットにホワイトタウンの観光と記されていたが、バスの中からみるだけだったのでがっかり。ガラスが光るし説明されても建物がどれかわからないうちに過ぎてしまうし・・・・。
 1920年から50年代にかけて白や明るい色の建物が多く建てられた。様式はバウハウス様式やインタ-ナショナル様式が用いられている。テルアビブではいまだにたくさんのそうした建物が残っており、20世紀の都市計画を考えるうえで重要だということで世界遺産に登録された。
 
 
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 さて、空港に到着です。まずは航空券を発券しそれをもって係官の前に進む。係官は、いくつかの質問をするのでそれにこたえて行く。イエスかノーで答えればいいのだが、イエスというべきところをノーなどと答えるとめんどくさい。しつこく質問が繰り返される。

 それが終わると、チェックインカウンターで荷物を預けます。預ける荷物は鍵をかけることは出来ません。バックヤードでオープンチェックするからだ。「どうせ開けるならさっきの質問などいらないのにな」
 我々のグループは、1組だけが長めの質問を受けただけでスムーズに進めました。

 関空に着いたら到着ロビーには旅行社の人が待っていて自分で荷物を送らずに済みました。ここまで親切な旅行社は初めてだ。こんな旅行を続けていたらナマケモノになってしまうし旅の感が鈍るだろうなあ。最近は本当に楽ちん街道まっしぐらという感じになってきていてやばいのだ(#^^#)

 


 予定では、最後の晩餐の部屋を見てから鶏鳴教会に向かうはずだったのだが、混雑を避けるため順番が入れ替えられた。イスラエルではこの時期、どこに行っても子供や学生達の課外授業が行われていて、何となくわさわさとしていた。

 イエスは、ペテロに「あなたは私を知らないと3度いうだろう」と告げる。彼はそれを強く否定するが、周りの人にイエスと一緒にいたといわれたペテロは、その都度イエスを知らないと答えてしまう。3度目に強く否定したところ鶏の声が強く響き渡った…という有名なお話にちなんだ教会だ。この話は、すべての福音書に共通して書かれている。

 鶏鳴教会

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 傾斜地に建っているので反対側からの外観はかなり違います。

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 鶏が泣いたというエピソードにちなんで。

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 入り口の扉には、イエスとペテロの姿が描かれています。

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 ここは、ゲッセマネで捕らえられたイエスが石段を通って連れて来られ、地下の牢獄に留置され最後の一晩を過ごした場所である。この後彼は、総督ピトラの所に連れていかれ裁きを受けた。
 またペテロが、「イエスのことを知らない」と3度答えたのも此処の庭である。

 その様子が像であらわされている。

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 中に入ります。

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 美しいステンドグラスが印象に残る。

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 床をのぞくと穴が開いていて牢が見えるようになっていました。

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 ぐるっと回って牢に向かいます。壁から出ている縄は、腕などを固定したものだろうか?

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 この部屋にイエスはいたらしい。

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 庭に出てみると、オリーブ山が一望できました。

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 神殿の丘に建つ金銀のドームも美しく見えている。

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 ゲッセマネから連れて来られたとき、この階段をイエスは登ってきたかもしれないという。近年の研究でこの階段は2000年前のものだと確認されたからだ。
 長い年月で角もなくなってしまっているが、そういうものが形を変えずに残っているという事に驚いてしまう。石段をじっと見つめていたら、下から登ってくるイエスが見えた気がした。
 山上の垂訓教会の丘の下でガイドさんの読むヘブライ語の説法を聞き、ゴラン高原に上ってガリラヤ湖から渡ってくる風を感じ、そして今捕らわれたイエスが歩いたかもしれない石段をみている。
 これらのことは今回の旅で深く心に残りました。

 
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 ヒンノムの谷辺り

 
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 この後さらにバスは登ってシオンの丘に到着した。今朝の散歩でこの門の反対側までやって来ていたのだから、まっすぐにこればホテルからはかなり近かったのだ。
 第2神殿時代には、上町で祭司などの住居も多かった。

 シオン門。ダビデの墓があるのでアラブ人たちは「預言者ダビデの門」という呼んでいるようです。

 
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 最後の晩餐が行われたといわれる部屋。もっと広いのかと思っていましたが案外狭い。アーチの柱はダヴィンチの絵画とはかなり違います。
 現在の建物は、十字軍時代のものだ。オスマン時代には、イスラム寺院として使われていた。ムスリムにとってもイエスは聖人で。預言者でもあるのだ。

 
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 ダビデ王の墓と言われる場所には、布に覆われた石棺が置かれていて、男女分かれて入ります。それぞれ半分づつ見ることになる。

 
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 建物の外では、ダビデ王の像の前でカップルが記念写真撮影に一生懸命です。

 
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 おまけの観光で英国系のプロテスタントの方々がイエスのお墓だと信じている「園の墓」に案内してくれました。
「お墓はそもそも町の中に建てられるものではないし、ゴルゴダがしゃれこうべという意味から、聖墳墓教会の場所はゴルゴダではない」という説がありました。現在では、科学的に否定されていますが、それでも信じている人はこちらにお参りに来るそうです。

 きれいな花の公園になっています。そこを通って崖の縁に行くと・・・。この辺りがしゃれこうべに似ているそうですが・・・・。

 
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 イエスの墓とされた墳墓はイエスの時代よりもっと古い可能性がある。

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 この後はお昼をいただきます。
 


 風があるも素晴らしい天気。
さっそくホテルを飛び出し、旧市街を散策に出かける。

 人のいない道を歩くのは手足が伸び伸びと感じる。

 アルメニア人地区を少し歩いて、シオン門のところで戻って来ました。
続いて聖墳墓教会の方向へ向かいます。

 途中で見つけたこれは何?

 
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 朝の聖墳墓教会は昼間の喧騒は全くなく静まり返っていた。

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 先にイエスのお墓の教会に行ってみます。熱心な信者さんたちがミサをされていました。昨日は、いけなかった後ろに回ってみます。背後にも祈りの場所があり女性が1人熱心に祈られていました。

 
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 この後は、やはり昨日見ることができなかったイエスが息を引き取ったといわれる岩のあるところへ向かう。

 
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 私も・・・。

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 第11留も全体を見ることができました。

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 この教会はホテルの近くにありました。あまりなじみのない感じがする。

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 改めて、全員でオリーブ山に向かいます。展望台からは旧市街が一望できます。標高825mで、ユダヤ教徒にとっては巡礼の最終目的地になっているそうです。
 眼下のケデロンの谷に向かってユダヤ教徒の墓がびっしりと並んでいます。

 
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 旧市街向かって左側の谷の辺りがダビデの町を言われ、町はここから始まったとされる。

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 ユダヤ教徒のお墓。

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 ユダヤ教徒のお墓に対抗して、向かい側にイスラム教徒のお墓が造られたそうです。
黄金門とお墓。東側にある門で唯一閉じられている。もっとも重要な宗教的意味を持つ門で3宗教とも救世主がここから入ってくるとしている。

 
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 変わった形の教会は、マグダラのマリア教会。

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 オリーブ山を下りて、麓にあるゲッセマネの園とそこにある万国民の教会に向かいます。
 
 万国民教会とマグダラのマリア教会。


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 ゲッセマネの園に残る古いオリーブの木は、ひょっとしたらイエスたちを知っているかもしれないほど古いものだ。
 最後の晩餐を終えたイエスは弟子達とここにやって来て、この後起こることを予測しつつも神に祈り続けた。

 
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万国民教会外観。

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 イエスが最後の祈りを捧げた教会は、1919年さまざまな国の献金により再建された。この後イエスは捕まってしまう。

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 美しい天井。各国の寄付でできています。
 
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 この後は、鶏鳴教会へ向かいます。


 標高726mの丘の上にあるのが聖地ベツレヘムである。ヘブライ語で「パンの家」アラビア語で「肉の家」といういみ。どちらも食べ物に由来している。

 町には生誕教会をはじめ、キリスト教各派の教会が並び立ち、巡礼に訪れる人々が集まってくる。ここに入る前にバスの中でこういわれていた。
 「観光の最後にお土産屋さんに寄ります。これは、ここを観光客が訪れる時の約束みたいなものなので興味のない方も我慢をしてください。もちろん何も買わなくても文句は言われませんし、お茶だけ飲んでトイレを使うだけでも構いませんが、時間だけ申し訳ないですが使わせてください」と。
 
 前にも書いたが、観光に携わっているアラブ人達は、こうしてドルを獲得できるのでどんどん格差が広がってしまうのだろう。

 生誕教会までは緩やかな坂を上ってゆきます。今はあちこちで修理が行われていて、美しい姿を見られなかったのは少し残念でした。

 生誕教会外観。人口調査のためにベツレヘムに戻っていたヨセフは、宿を取ることができなかったのでここで生むことになったという。

 
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 パレスチナ人ガイドと一緒に中に入ってゆきます。ギリシア正教が管理しているという教会ですが、内部も工事の足場が組まれていて全体像がつかめません。

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 向かって右側、イコンが飾ってあるあたりから地下に続く階段があります。

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 生まれたイエスは飼い葉おけの中ですやすやと眠っていた。新しいユダヤの王を一目見ようとやって来た東方の3博士は星に導かれてベツレヘムのイエスと出会うのだ。

 イエスの生まれたとされる場所には星印がつけられているが、これは3博士が星に導かれてやって来たというその星をかたどったものだ。星には、ラテン語で「ここにてイエス・キリストは生まれたまえり」と書いてあるらしい。

 
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 地下洞窟の様子。星印の上の部分。

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 生誕教会の隣にはフランシスコは修道院のカテリーナ教会があります。
イエスの誕生日は、諸説ある。聖書には、誕生日の記述はないのだという。12月24日のクリスマスイブのミサの中継が行われるのはこの教会だそうです。

 
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 この教会の地下には、ヒエロニムスがこもっていた洞窟があります。彼はここで、ヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳した。彼は生涯をこの翻訳に投じた。彼の訳した聖書はカトリックの公認聖書で、彼がいなかったらキリスト教は世界に広まらなかったという。
 彼は、ローマの婦人パウラの協力で翻訳を成し遂げた。彼女の死後も彼は、骨をそばにおいて作業に励んだというから壮絶な感じがする。

 その洞窟に向かいます。

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 いくつかに区切られていた。

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 教会の正面。銅像はヒエロニムス。足元にしゃれこうべが置かれている。

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 お土産屋さんにより買い物。皆さん結構買われていました。ベツレヘムと書かれているのは珍しいものね。
ホテルへ戻る途中東エルサレムを通ったときにガイドさんがこんな話をしてくれました。

 何年か前、取材に同行してベツレヘムに行った帰りの事。東エルサレムを通るとき、ちょうど子供達の下校時間にあたったそうです。彼はもう長い間エルサレムに住んでいるので、こちらの事情はよく知っていたのですが、たまたま渋滞にはまってしまったそうです。前にもちょっと話しましたがナンバープレートを見ればイスラエルの車だということはわかります。すると子供達が、一斉に石を投げてきたのだそうです。その石は大人の両手を合わせた位あり、ガラスが割れてしまった。恐怖に襲われていた彼らに近くにいた大人が「違う、彼は日本人だ!」と叫んでけがをしないで済んだそうです。そのあと警察がやって来たのですが子供達はもちろん逃げていってしまった後ですし、ガイドさんたちもケガをしなかったので穏便に済ませたそうです。

 彼はここを通るたびにそのことを思い出すと言っていました。子供達がそのような態度に出るということはそういう教育がなされているということなのでしょうか?現在でも東と西の対立はあるのだなあと思ったのでした。
 実際こうして観光の立場で歩いていても、ニュースなどで見るのと違って宗教も民族も上手く言っているように見えていたのだが・・・・。

 無事ホテルに戻り行土産などを置いて身軽になって再び嘆きの壁に向かった。またまたチェックを受けます。何度目かなあ?

 
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 この地下トンネルは、かつての地面を嘆きの壁沿いに掘り起こしたもので、ヘロデ王の時代の石組などが見ることができる。

 
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 通路からは、男性側の祈りの壁がガラス越しに見ることができた。

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 この巨大な一枚岩。どうやって運んできたのか、穴がいくつか開いているのでそこに秘密があるのだろうか?

 
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 ヘロデ王の時代の通りや貯水池などが見えます。途中まで同行していたガイド氏、閉所恐怖症「でこれ以上は御一緒できません」と、戻って先に出口で待っているそうです。確かに狭い!

 
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 滞在中一度もみることが無かったポリスカーをやっと見ることができた。救急車も赤十字のクロス印ではなくて星だそうです。

 
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 今日の夕食が、イスラエルでの最後の夕食となります。旅行社も奮発して、なんと各国の要人が宿泊する超豪華なホテルでのディナーを用意してくれていました。
 サイン帖には、シャガールの名もありましたよ。明日シャガールのステンドグラスを見にゆきます。

 


 聖墳墓教会には隣接するエチオピア教会を通ってゆきます。

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 聖墳墓教会。イエスが磔にされたというゴルゴダの丘に建つ教会である。ゴルゴダとは、しゃれこうべという意味を持ち、埋葬された丘の形が丸い頭蓋骨に似ているところからこう呼ばれるようになったとも、アダムの頭蓋骨が埋葬されたからともいわれている。
 
 裁判を受けたイエスがたどり着いた最後の場所である。内部はいくつかの教会に別れておりそれぞれの宗派が管理している。よって各派が門の所有権を主張しているために毎朝入り口の門を開けるのはアラブ人の少年の仕事になっているとか・・・。

 
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 中に入ると大勢の人がいっぱう集まっている。
まずは、第10留。この場所でイエスは、衣を脱がされたという。

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 続いて11留。ローマカトリック教会の祭壇がある。イエスはここで十字架に釘づけされた。
へし合い押し合い状態なのでよくわからないままシャッターを押す。明日の朝改めてもう一度来ようと思う。

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 第12留と13留ですが、巡礼の人を邪魔してはいけないので列から離れてしまいどこがどこやらよくわかりません。ここも翌朝再訪してゆっくり過ごすことにします。

 
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 人々がのぞいているところの下印のあるところがイエスが息を引き取った場所であるらしいです。その岩は、ガラスケースの下でした。信者さんたちは、その印の辺りで口づけをします。

 
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 岩の一部。
 
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 階段を降りて少しゆくとやはり人々が集まっている場所がある。イエスが息を引き取った後、香油を塗られた場所だ。信者さん達はやはりここでも頭を下げてキスをします。

 
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 そして最後14留が、イエスの墓です。現在は聖堂になっていて各派が共同管理しています。ここにもたくさんの人が中に入ろうと待っています。

 14留の聖堂。

 
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 正面入り口の上の飾り。

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 最後はヘレナ聖堂を見ました。ヘレナは、この地に最初に教会を建てた人で、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母です。336年に完成したとされるが、現在のものは1808年以降のものだ。
 

 
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 階段にはここを訪れた人々が彫って行った十字架が残っている。

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 再びバスに乗って今度は生誕教会を目指す。生誕教会は、パレスチナ自治区にあるのでパスポートを忘れないようにと念を押されていたが、審査も何もなく通ってしまった。

 ベツレヘムは壁に囲まれていました。その壁には様々な絵が描かれていた。

 
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 バスはターミナルに到着です。


 雨が止むと一時的に虹が姿を現しました。

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 15世紀に建設された給水塔のある方向から神殿の丘を後にしました。

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 出るとすぐにトンネルの様な通りがありお店が並んでいる。その中の1つでお茶タイムにしました。アラビックコーヒーかミントティをチョイスです。私はミントティを選びました。こちらのティは、生の葉っぱを入れます。

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 コーヒーを入れているところ。

 
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 この後は再びセキリュティチェックを受けて嘆きの壁に向かいます。このころになると雨脚もひどくなり先ほどの虹は何だったの?とぼやきたいくらいの雨になって来ました。

 そんな中帽子が濡れないようにとキャップをかぶせて歩いているユダヤ教徒の人。この帽子は高価なので自分が濡れるより帽子が濡れる方が大事なのだそうです。

 
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 壁の前にやって来ましたが、誰もいない。それでもせっかくだからというので壁の前に立ってみる。
石の間にこのように紙が挟んであります。これは願いを記した紙切れだそうです。
 
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 一旦バスに避難して違うもんから再び城壁の中に入り、イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道を追体験します。

 城壁の外のムスリム地区

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 ダマスカス門。文字通りダマスカスに向かっています。何と雨は止んでくれた。

 
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 なんだかちょっと雰囲気が違う気がする。

 
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 イエスの歩いた悲しみの道ヴィア・ドロローサは、それそれの注目するべき地点がありそれらは第一留から始まり第14留のイエスの墓のある聖墳墓教会まで続く。
 イエスの説く教義が律法をないがしろにすると考えられ、また自らを神の子と称したことで一神教に対する冒とくとされ、律法学者たちは死罪を願った。そして、彼らの声に押されるようにローマ帝国の総督ピトラは死刑を言い渡したのだ。
 こうしてイエスは、ゴルゴダの丘までの道を十字架を背負って歩いてゆくことになった。全長は約1km。この辺りは当時も繁華街で会ったようで、罪人の汚名を着せられて人々の目にさらされながら歩いていった。それら民衆の中には、マリアの姿もあったのだった。

 第一留はピラトの官邸から始まります。隣にあるのが第2留の鞭打ちの教会。

 
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 中のステンドグラスには、ローマの兵士たちに鞭で打たれているイエスの様子が描かれている。


 
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 第3留に向かう途中にあるのがエッケ・ホモ教会だ。ここの地下にはイエスの時代の石畳がそのまま残されていた。

 
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 第3留は、イエスが最初につまずいたところだ。

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 隣の教会が第4留のマリアの教会。ここでマリアは、十字架を背負ったイエスを見たとされる。

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 第5留。シモンという人がイエスの代わりに十字架を背負わされた場所。

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 第6留。この場では、ベロニカという女性がイエスの顔を絹のハンカチで拭ったという。するとハンカチにキリストの顔が浮き上がったというが、真偽のほどは確かではない。

 
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 第7留。スークと交差する場所でここでイエスは2度目に倒れたという。当時は審きの門と呼ばれる場外に抜ける門がありその敷居に躓いたらしい。

 
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 第8留。ギリシア正教会の修道院の壁になっている。

 
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 第9留。聖墳墓コプト教会の入り口にあたる場所。ここで3度目に倒れてしまった。

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 ここから先は聖墳墓教会へと続いて来ます。すなわち第10留から14留まではすべて聖墳墓教会の内部にあるのだ。


 なかなか明るくならない。それに雨と風が強い。
持ってきた洋服を何枚か重ね着をしてみたがそれでも何となく寒い。
 最後の手段として、これもいつも持っているサランラップをお腹周りと二の腕辺りに巻いてみるとこれがばっちりです。風が通らないので暖かい。まるでコートを着ているようで、食事をしていると汗まで出て来た。

 体も温まったし、外も明るくなって来たし、雨も止んだようなのでちょっとだけ、散歩に出かけてみることにした。

 城壁の外に出てじっくり眺めてみる。昨日は夜の到着だったのでどんな具合なのか全然わからなかったのだ。

 ヤッフォ門を真ん中にして右手にあるのが写真のダビデの塔です。紀元前20年頃にヘロデ王が要塞を建てたときに造られた3つの塔の1つ。その後70年にローマ軍に占領されたときにも壊されなかった。現在の姿になったのは、オスマン時代になってからだ。ビザンチン時代に誤って呼ばれたのがそのままに呼ばれている。

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 黄金色に輝くヤッフォ門。朝日が微妙に差し込むとこのような感じになるようです。私は偶然来たのですが、これを狙ってカメラを構えている人もいました。

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 くぐってみましょう。

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 我々のホテル。古いですが水回りは快適でした。

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 今日は盛りだくさんなので混まないうちに出発です。出勤する人々や登校する子供達と一緒に旧市街を歩いていく。子供達には、大人が付き添っている。これは安全なユダヤ人居住区に入るまでは大人が保護のために付き添うのだという。確かにあるところまで来たら大人は踵を返して去ってゆきました。
 こういう場面にも複雑なお国柄の一端を見た気がします。観光地に住むムスリムは、他の地域に対して豊かで、ムスリムの中でも格差が出て来たこれが新たな火種になって来ているという。
 ムスリムがムスリムを襲うという事件が多くなっているのだ。

 ゴルゴダの丘という言葉の通り、エルサレムは丘の上にあります。ヤッフォ門の辺りは西の外れにあたるので、東に向かって下ってゆき、途中で向きを南に変えて神殿の丘や嘆きの壁のゲートを目指しました。
 ゲートはもう1つあり、嘆きの壁のある前に広場を通り抜けられるようになっている。
 
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 途中、ちょっとした展望台みたいな空き地がありそこからは嘆きの壁と金色に輝く岩のドームを並んでみることができる。私は、もっと大きな広場を想像していたのでちょっと驚いた。壁を見下ろす様にたくさんのビルが建っているからだ。そのビルは、花火見物の特等席のように私には見えた。事実結構な人々が乗りだして見下ろしていました。

 
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 ここで出会ったイスラエル人親子。「ボケル・トーブ!」覚えたてのヘブライ語で朝の挨拶です。

 
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 神殿の丘に行くのにもセキュリティチェックがあります。それは空港のものと変わりなく厳しい。これで行列が長くなると聞いていたのだが。この日は誰もいなくて、我々だけだったのでとてもスムーズに進みました。

 セキュリティを抜けると、屋根の着いた木道が神殿の丘まで続いている。ポピーが綺麗です。

 
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 途中、左手下に嘆きの壁がよく見えます。少し立ち止まってお祈りなどを見させてもらいました。
壁の高さは、21m。下から7段目までは、第2神殿時代のもの。その上の4段が、ローマ時代に足された部分。さらにその上の小さな石はマムルーク朝時代のものだ。地下には、まだ第2神殿時代の石垣が17段埋まっているという。アーチの中にも壁は続いていて、雨の日はそこで祈りを捧げる。壁は男女別に分かれているので、女性はこちら側には入れない。

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 嘆きの壁には後でもう一度来たのですがあいにくの大雨になってしまい、誰もいなかった。
現在岩のドームが有る神殿の丘には、かつてユダヤ教の神殿が建っていた。バビロンの捕囚より帰還した人々により建てられ、ヘロデ王が改修した神殿だ。しかしその神殿は、70年にローマによって破壊されてしまう。その時に残ったのが西側の外壁で、この部分が現在の嘆きの壁である。
 神殿崩壊後、再建を祈り多くのユダヤ人が集まってくるようになった。石の間に夜のうちにたまった夜露が壁に生えているヒソプという草を伝って落ちてくる。それが涙を流すユダヤ人のようであると、何時からか嘆きの壁と呼ばれるようになった。

 
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 しかし1948年からはヨルダンの管理下になりユダヤ人はこの壁に近づくこともできなかったが、1967年の6日戦争の勝利により自由に祈ることができるようになった。ユダヤ人にとっては、約1900年にも及ぶ悲願が達成されたことになる。

 これは、男の子のバル・ミツバを行っているところだろう。男子は13歳になるとユダヤ教の成人式を行うそうです。女子は12歳、この日をもって1人前になったとされる。

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 ようやく神殿の丘までやって来ました。岩のドームと水場とアル・アクサ寺院が一直線に並んでいる。ここには、沢山の警備の人が目を光らせていて、様々なものにNGが入ります。地図の類や宗教書なども持ち込み禁止です。

 神殿の丘は、ムスリム地区に位置し、旧市街の南東、嘆きの壁を超えた東側の高台にある。古くはソロモンの神殿があり、ダビデが神の契約の箱を置いた場ともいわれている。
 2000年前には、イエスもよく訪れていたという。
この場所の管理は、時代により様々な宗教にゆだねられてきたが、691年、ウマイヤ朝のカリフによってイスラム寺院が建てられてからは、イスラムの第3の聖地になった。

 水場。 今は使われていないようです。

 
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 アクサ寺院。記念写真を撮る人々がいつもいるので、関係ない人が・・・。
元来715年に建立したものだが、地震などで崩壊修復を繰り返してきて現在のものは、1066年頃だと思われる。
 現代においても歴史の舞台となっており、1951年にはヨルダン王が、入り口付近で過激派アラブ人によって暗殺された。さらに、1969年、狂信的キリスト教のオーストラリア人によって放火され。貴重な歴史のある品物が消失してしまった。

 
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 岩のドームに向かいましょう。

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 ムハンマドがここで昇天したという伝説がある。
内部には、岩がありそれを囲むように建てられているのでこの名がついた。岩の上部には、ムハンマドの足跡や大天使ガブリエルの手の跡が残っている。前年ながらムスリム以外は入れません。
 幾度か、改築を繰り返し、1522年にはオスマン朝により、ブルーのタイルが加えられ、1964年には屋根が金メッキのアルミ板になった。
 岩のドームのある場所は、ユダヤ教徒にとっても聖地で、内部の岩は世界創造の基礎石で、エルサレムの中心すなわち世界の中心であり、ダビデが神の契約の箱を祀った場所でもある。

 
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 ここでは無料で何やらイスラムの冊子を配っている人がいた。それは各国の言葉で書かれていて日本語や韓国語もある。これはISISの勧誘の入り口になるらしいです。日本語あるよ等と言われるとつい手に取ってしまう。

 黄金門の方向を見たところ。この方向にゲッセマネの園があります。

 
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 鎖のドーム。先にこれを建ててみていけるかどうか確かめてから岩のドームを造ったそうです。

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 他にも小さなドームがいくつかあり太陽の周りを回る衛星のようだ。

 
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 我々もぐるっと回りましょうか。


 砂漠を自由に行き来していた人々がいる。ネバティア人である。
彼らは、砂漠を往来する技術をもっていた。

 ここネゲブにも彼らの遺構が残されている。

 アヴダッド国立公園にある遺跡がそれだ。紀元前3世紀頃に住み始めたらしい。他にもマムシト、シヴタの遺跡も彼らの築いた町である。

 アラビア半島からペトラを経由して地中海へと抜ける「香料の道」上にあるこれらの町は、世界遺産にも登録されている。2世紀に、ナバティアの王国がローマに併合された後も、7世紀にアラブ人によって占領されるまで繁栄し続けた。

 遺跡は丘の上にあるので、周りが一望できます。

 所々にこのようなオブジェが置いてある。当時の人の乗り物は、ロバとラクダだったようだ。
 
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 とはいっても、現在残っている遺跡の多くはローマ・ビザンチン時代のものがほとんどです。
 倉庫だった建物を上から見たところ。

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 教会の方に続く道。

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  彼らはワインも作っていた。これらはワイン作りの遺跡である。ここに積んだブドウを入れて未婚の女性が踏んだ。

 
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 踏んだブドウの果汁は溝を通ってここにたまる。その後に発酵させていく。

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 神殿の跡。

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 ローマ式浴場やカタコンベなども残っている。
彫刻は、ナバティア人の手によるものが残っている
 
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 このような砂漠地帯でどのように農業を行っていたのだろうか。見えている畑は当時のやり方で耕作をしているそうです。雨が降ったら、土手のように囲った中に水をためておく。地面の下の土は粘土質なので、なかなか引いていかないそうです。十分に水を含んだなという頃に土手を崩して、一段低い畑に同じように水を貯める。十分水を含んだ上の畑には種をまく。すると芽が出てきて根を張り、水持ちがいいので根っこは残っている水を吸って育っていくそうです。こレを繰り返していく。

 
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  ここで見つけた花?綺麗でしょ。日本にも同じようなものがあるが葉っぱが違う気がする。

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 この後予定になかった初代大統領のベングリオンの墓に案内してくれました。他の大統領は、エルサレムに埋葬されていますが、彼は遺言で大好きなこの地に埋められたそうです。

 石が置かれているのはイスラエル式。お参りした証に置いてくそうです。
 
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 この方がベングリオン。先ほどのナバティア人の遺跡を見学した時のものです。お茶の水博士の様な頭だなと・・・。

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 ここで見た光景に私はびっくりでした。小銃をぶら下げてデートしていたからだ。以前はそんなことはなかったそうだが、兵士がパレスチナ人に殺されるという不幸な事件があってから、規則が変わったそうです。
 又は銃の保管場所がない場合にもうして持ち歩くことが有るそうだ。彼女はもちろん軍人です。

 
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 美人なので小銃とのギャップが・・・。彼女の背後に広がる風景を大統領は、愛したのだ。

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 この後は、一路エルサレムを目指して走る。市街に近づくにつれて渋滞が激しくなっていく。
市街に入る手前に装甲車が置かれていました。ヨルダンとの戦いに使ったそうです。
 
 
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 バスを待つ人々。

 
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 夕食はイタリアンだそうで、レストランに向かいます。ものすごく寒い。地元の人は、分厚いコートを着ています。マフラーまで・・・。
 えー、明日はいったい何度になるのだろうか?

 
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 ホテルは旧市街、ヤッフォ門を入ってすぐなのでとても立地はいいです。

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