好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:中近東の国々 > サウジアラビア

 最初の食事は、ホテルでの朝食でしたが、バイキングでした。
その日の昼食は、リヤドのレストランでトルコ料理をベースにしたものだった。
 何故か、高いところに置かれたパン。焼き立てでしたので美味しかった。
焼き立てパン
 チキンスープ。
スープ
 サラダにディップなどが出てきて
サラダ
 メインは、お肉のミックスグリルでした。ビーフは固くて、食べづらい。
ラムチキン牛肉など
 2日目のお昼は、リヤド市内でも人気のあるお店のケバブサンドでした。評判通りなかなかいけましたが、量がおおいかなあ。
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 これだけかと思ったら、まだまだ出てきました。こちらがケバブサンドです。
ケバブサンド
 夕食は、すべてホテルでした。
 3日目のレストランは、ハイル郊外で、イタリアンをベースの料理が並んだ。ここでは、なんちゃってシャンパンをいただきました。お部屋の照明のせいか、すべてがピンクっぽく見えてしまう。
 スープ、に続いてサーモンのグリルとリゾットのプレートが出て来た。
リゾットとサーモングリル
 グラタン、中身が2種類くらい入っているのだが、人によって入っているものが違っていた。照明で、お料理ってまずそうになってしまうんですねえ。
グラタン
 夕食は、キャンプで残り物をいただきました。時間が時間ですから仕方がない。暖房の無いのがつらくて大急ぎでいただきました。
 5日目のお昼は、大幅に遅れて3時過ぎ。お店を探していると遅くなるので公園のキッチンカーでハンバーガーをいただきました。久しぶりのバーガーは、かなり美味しくて大きかったにもかかわらず完食してしまった。
これがお昼
 6日目の昼食は、砂漠の中のポツンとレストラン、チキンしかなかったお店でいただきました。男しかこないのか、仕切りが無かった。
ピラフとチキン
 夕食は、ホテルで。遅かったにもかかわらず、ビュッフェではなくてプレートメニューでした。まずは、野菜スープから。
野菜スープ
 続いてサラダやパンをいただく。
パン
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 メインは、ビーフのマッシュルームソース掛け。
ステーキマッシュポテトソース
 ジェッダの町では、昼食は本文にも書いたように市場でいただいた。ここで初めて、ノンアルビールにありつけた。
ノンアル

 魚介のスープ。
海鮮スープ
 小エビのから揚げ、大エビのグリル、イカフライ、ハタのから揚げにご飯です。
いかにエビ
ハタのから揚げ
 総じて、色々な国の料理がまじりあっていて、食べやすかった。
 最後に、お土産で買ってきたノンアルビールです。
ノンアルビール
 芸が細かい。何がクラシックなんでしょうね。でもかなりいける。

 道路を走っていると、やたらと大きなオブジェが目につく。芸術的なものから、そうでないものまでさまざまなのでアートというわけではない気もする。
 例えばこんなものでした。
こういうものがいっぱい
 鉄道駅の前のものは、わかりやすかった。
鉄道駅近くのオブジェ
 香炉
香炉のオブジェ
 アラビックコーヒー
巨大
 バケツと水道の蛇口。
水道とバケツ
 砂漠を走る車
砂漠を走る車
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 何故かミカン?オレンジかも。これから生産するのかすでに特産なのか?
オレンジか?
 香炉とコーヒーポット
香炉とポットとミナレット
 
オブジェ
 
メディーナの空港で
 かもめか?
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 ジェッダの町で、モスクとミナレット。
旧市街の近くで
魚市場の中で。
魚市場で
 地球儀ですよね。
地球儀
 以上、目に留まったものだけを集めてみました。

 メッカ門からの通り
メッカに続く道
 11世紀のジェッダの知事公館として建設されたナシーブハウス、入れるかなと思ったけれど、荷物の積出が行われていてNGでした。イブン・サウードの住居や、図書館として使われたことも有る。
11世紀の知事公館
 裏手に回ると、サウジ初の女学校だった建物があった。
サウジ初の女学校
 ここは、中の見学ができましたが、何も残っておらず空の本棚が目立っていた。
 先ほどの仕立て屋さんで仕立てている服はこんな感じです。デザインは大差ないので、生地で差をつけます。
道行く人
 地元でも人気のお菓子屋さん。カラフルなお菓子が並んでいる。試食も気前良くさせてくれるので、飛ぶように売れました。みんな、大荷物を抱えてお店を出てきます。
人気のお菓子屋さん
 この後は魚市場に移動して、お昼をいただきます。バスを降りると生臭いにおいが鼻を衝く。
市場に
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 ここで、ガイドさんがお魚を吟味してレストランに持ち込み、料理してもらって我々がいただくという仕組みになっているらしい。イスラム社会では、通常男性が買い物をするので、目が効くのですって。ハタとイカとエビなどを買いました。
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 処理をしてくれるのは、違うブースなのでそちらに向かう。最初は、写真はだめだといっていたのに、日本人だとわかるとOK!歓迎されました。
裁くのは別の場所で
 働いている人達は、出稼ぎでお話をさせていただいた人たちは、バングラデシュからきていました。
何話しているんかな
 レストランに入ったのですが、お祈りの時間になってしまい、全員がモスクに出かけていて、待たされる。ここでは商売よりもお祈りが優先されるのだ。
 トイレの前にでんと置かれていたペーパー、すごくないですか?
巨大なトイレットペーパー
 食事の後は、フローティングモスクと呼ばれるモスクに向かった。これは地元の富豪が建立したもので1990年にできました。潮の加減で浮いているように見えるそうだが、この日はどうやっても浮いているようには見えませんでした。残念!
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 遠くに建設中の1マイルビルが見えました。1600m、完成すれば一番高いビルになります。
建設中の1マイルタワー
 新市街を抜けて空港に向かう。
ジェッダの新市街
 スタジアムみたいな新しい空港。運用が始まったばっかりらしい。
スタジアムのよう
空港の内部
なので、チェックインも我々だけだった。ビジネスの人は、ラウンジも無いんだよとぼやく。電子掲示板の便数もこんな感じでした。我々の便は、17時発のアブダビ行きです。
ほとんど就航していない
ガイドさんとはここでお別れです。ありがとうございました。
国営のサウジ航空の機体。
サウジ航空
 機内のサービスで、ビールと頼んだら、サウジ発なので積んでいませんとにっこり言われ、ちょっとフライイングしてしまった(*^-^*)
  成田に到着したのは、定刻通り。エディハド優秀です。初めて乗った航空会社でしたが、機内食はしょぼいが、定時運行だし、トイレは常にきれいだし、良かったと思った。

 今日は、最終日だ。ホテルの周りを歩いてみるも、本当にないも無い。痩せた猫達が腰を低くして動き回っているだけだ。
ジェッダのホテル

 ジェッダは、メッカ巡礼の玄関口の都市だが、紅海に開けた国際港湾都市でもあり、人々の間に漂う空気は、何処の都市よりも自由な感じがするそうだ。人口も約340万人でリヤドに続く大都市で、中東でも有数の世界都市である。
 ハッジ(大巡礼)の時期には、毎年200万人ものイスラム教徒がここからメッカに向かうため港や空港には、巡礼の人々であふれかえり、専用のターミナルが使用される。さぞかし混雑するのだろうと思ったのだが、毎年の事で皆慣れているのでそれほど混乱することも無く、粛々と進んでいくのだそうだ。とはいっても、関係ない時期でも、その時期用の広大な空き地や、その時だけのターミナル、ものすごい数のバスやテントなどを常備しておかねばならず、土地が余っている国でないととてもやっていけない気がした。
 我々もそのメッカに一番近いところまで行ってみます。
 快適な道路を走っているとこんな看板が見えてきました。
幾つかの文字で書かれたムスリム以外立ち入り禁止の看板
 これ以上は行けません。引き返します。検問所もこの道路の下にあるようです。
この下あたりに検問所があります
 ジェッダの町に向かっていると、昨日砂漠の中で見かけた白い動物発見。ヤギは羊にしては大きい。ラクダにしてはコブが無い。
白い羊かヤギか
 デコトラっぽいトラック発見。
飾ったトラック
 ジェッダの観光は、旧市街からだ。この地には、2500年前から漁村があった。647年、この漁港を第3代の正統カリフが、メッカへのハッジに向かう巡礼の為に整備したことから発展してゆく。以降、何世紀にも渡りハッジのための巡礼者達を迎えるだけでなく、エジプトから紅海を経てインド洋に至る交易路の港湾として栄えた。1517年にエジプトを征服したオスマン帝国は、ポルトガルの脅威から城壁や塔の補強を行っている。
 1802年には、第一次サウード王国により、メッカやジェッダも支配されたが、オスマン・サウジ戦争が起こり、1813年のジェッダの戦いでオスマン帝国は、奪還に成功し1818年サウード王国を滅ぼした。
 1925年になると、イブン・サウードがヒジャーズに攻め込みメッカなどを制服した。当時のヒジャーズ王国のフサイン・イブン・アリーは、キプロスに逃れた後、アンマンに移り現在までその子孫が国王となっている。
 こうして、ジェッダもサウード家の支配下に置かれ、ヒジャーズは小さな州に分割され、ジェッダはメッカ州の中の1都市となり、アラビア半島における政治的役割を失ったのだった。
 旧市街の歴史地区は、世界遺産に登録されており、特徴的な建物が並んでいる。メディナ門から入ります。北門のメディナ門の他に、東のメッカ門、西の海門、南のイエメン門がある。
メディナ門
旧市街へ
 この辺りでは、ほとんど人影がない。
世界遺産です
 ここに、町の人達が集まって話し合いをしたそうだ。
町の集会場
 木製の装飾窓は、イスラム建築でよくみられる窓格子マシュラビーヤである。遮光カーテンの様にそとからの日差しをやわらげながら、明かりを取り入れるという、暑い国ならではの工夫がされている。外から中をのぞこうとしても見えないが、中からだとちゃんと見えるようになっていて、住んでいる女性を考慮した優れものだ。
特徴的な建物
 中には色がぬられているものもありました。とても目立つ。
蒼も
素敵
 この扉のお宅は、当時の女性の駆け込み寺になっていたそうだ。
女性の駆け込みの家だった
 傾いているよねえ。
傾いた家
 ヤモリの家
ヤモリの家
 傾いた家を見ていると、こちらの平衡感覚も何だか変になってくる。
水平がとれない
 おしゃれなお土産屋さんが1軒開いていました。これはミニチュアですがよくできている。
お土産の人形
 こちらは、売り物ではなくて広場の隅にあったものです。よくできていて、小人が住んでいそうだ。
小人の為
 この建物は、綺麗で手入れがなされている。荒れ放題になっているものも多くて、空き家も増えているそうだ。以前、難民などの家の無い人に空き部屋を提供していた時期もあるそうだが・・。
綺麗にしている
 スークの辺りには、仕立て屋さんが並んでいた。
仕立てや
 この立派な扉は、現在は、ミュージアムになっているのだが、入れませんでした。
細かな細工
 11世紀のモスクで、装飾が残るミナレットが美しいアルシャーフィーモスク。
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 こんな角の土地を利用した建物も。
角地の建物
 イスラム世界の常識、誰でも飲んでいいお水。
誰でも飲める
 旧市街散策はもう少し続きます。

 突然、小さな水たまりや池が幾つかあらわれた。オアシスでもないので、地下水か雨水がたまったものかはわからないが・・・。
突然池が
 周りの風景も少しづつ変化して来て、山塊や木が現れてきた。
高い山々
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 突然目の端に白いものが通り過ぎた。羊かヤギ?こんなところに。
羊か?
 こんなところで、人は?餌は足りるのかと思ったら、自分のお腹も相当空いているのに気がつく。けれどもレストランなんてどこにもない。人工物をモスク以外ほとんど見ていないのだから。最悪、メディナに入ってから食事ということになるかもしれませんと添乗員。
 でも神は、私達を見捨てなかった。そう聞いてから間もなくスタンドが現れたのだ。そしてそこには、レストランもあったのだ。
初めてのレストランでした
 チキンしかないので、選択の余地はないのだが、チキンの有名店だそうで、みなさん美味しい美味しいと食べる。私は、足つきチキンは苦手なので、もっぱらご飯をいただきました。
チキン専門レストラン
 男しかいませんでしたよ。駐車場には売られていくラクダが荷台に積まれていた。
売られてゆくラクダ
 ここは、メディナから150km地点なのでもう一息だ。メディナの町は、異教徒は何処でも行っていいというわけではなくて、立ち入り禁止のエリアが存在する。イスラム教徒にとっては、マホメットの終焉の地でありとても大事な町で、ガイドさんも運転手さんも、「ここには何度来てもいい。町に近づくにつれて、心がどんどん洗われる気がする」と言っていた。
 山の上の宮殿。
山の上の宮殿
 この門から向こうは、異教徒は入ることができません。
異教徒立ち入り禁止のエリア
 空港近くのスタンド。
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 何を作っているのだろう。
働く人
 公営住宅だろう。空港近くで。
住宅がずらっと
 空港には隣接して必ずモスクがある。ミナレットはものすごくモダンだ。
空港には必ずモスクがある
 空港の外観。新しいです。
ヤシがイメージなのかな
空港内
 少し時間があったので、ラウンジに行ってみました。ゲート前には巡礼の人達でいっぱいでしたが、ラウンジも白い巡礼服の人達が休んでいた。
巡礼の人もいる
 アラビックコーヒーとデーツ。ここのは格別美味しかった。
ラウンジの
 ゲートにはテレビがあり、メディナのモスクの外観や中の様子が生中継されていた。
美しいミナレット
メディナのモスクの様子
 18時半離陸。。1時間ほどでジェッダに到着だ。ホテルへの途中で、世界一の高さだという噴水を眺めました。
世界一の噴水
 暗くならないと噴水は上がらないので、この時間になっても人々で賑わっていました。
この後はホテルにチェックイン。遅くなりましたが、夕食をいただきました。

 今日も早い出発となりました。アル・ウラから長距離移動をしてメディナに向かい、そこから飛行機に乗り換えて、メッカ巡礼の玄関口ジェッダに向かうのだ。
 まずは、アル・ウラに戻り、シャトルバスで急きょ見学できることになったライオンの岩窟墓に向かう。初日にリヤドの博物館でレプリカを見た2頭のライオンのレリーフのある墓だ。
 キャンプ前には、バギーが置いてありました。こういう遊びもアテンドしてくれるんだね。
バギーで遊べるようだ
 昨日は、4駆だったのでアルウラまでは早く行けたが、今日は大型バスなので倍以上かかりました。
身体チェックを受け公園に入り、スマホで入場チェックを受け、シャトルバスに乗り込む。お客は我々だけだ。今日のバスは、2階建てだったので全員が上に上がりました。
今日はこのバスで
 さすが2階からの眺めは気持ちがいい。アル・ウラの旧市街です。
廃墟の旧市街をバスから見る
旧市街で
 岩窟墓に着くと、今日もデーツとアラビックコーヒーのおもてなしを受けました。あまりゆっくりもできないのだが、せっかくのおもてなしもむげにはできません。
今日もおもてなし
 ここからは、昨日同様車を乗り換えて奥の方に向かう。ライオンの岩窟墓は、すぐ目の前なのだが先に違うところを見学するようだ。
昨日に続き今日もこの車
 2台に別れます。それにしても居心地の良い車である。降りたのは、蛇の神殿ある場所だ。これは紀元前9~6世紀頃に栄えたダダン王国時代の神殿だという。真ん中あたりの石に蛇のような模様のレリーフがあるのがわかる。
蛇の神殿
 この辺りには、穴を掘っただけの簡単な墓がたくさんある。この穴に死体をはめるように納めたという。ぱらぱらとすぐに崩れるので、簡単に穴が掘れたのだろう。
顔料になります
 この真っ赤な砂は、赤の顔料のもとだ。
岩窟
 遠くに岩山があり、手前にデーツ、そして崩れた王国の遺跡、なんだかいいな。
デーツと岩山と遺跡
 さて、入り口まで戻って、ライオンの岩窟墓を見ましょう。
この3つの岩は、姉妹か兄弟の様だ。
3兄弟
 ゆくての岩山に沢山の穴が見えて来た。この中のどれかにレリーフが彫られているのだ。
僅かに穴が見えている
 階段が付けられていた。以前は近くまで行けたのだろう。
ライオンの岩窟全景
幾つか並んでいるが
 裸眼だと、遠くてよくわからない。双眼鏡を貸してくれたのだが、余計に見失ってしまう。結局自分のカメラのズームが一番わかりやすい。
 ありました。博物館で見たものと一緒だ。バンザイしているように見える。
博物館で見たものだ
 隣にも、はっきりしていないが、作りかけのライオン像みたいなものがありました。
こちらにもライオンが
 皆で、騒ぎながら再びお茶など飲んでいたら、シャトルバスが出てしまった。これを逃すと30分後しか来ない。ガイドが慌てて後を追いかけて行った。ミラーでわかったのか、大声が聞こえたのか、ともかく途中で止まってくれたので無事乗ることができてほっとした。
 公園まで戻って来て、スマホで戻って来たことをチェックする。このシステムよくできてはいるが、混雑時にはどうなのかなあ?
 アル・ウラの岩山に別れを告げます。
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 そして、メディーナに向けて砂漠の中をひたすら走ります。
メディナに向かう
 行けども行けども建物を見ない世界です。突然現れるモスクは、時間が来たらお祈りをしなくてはならないサウジアラビアならではでしょうか。我々のトイレもこのモスクのものをお借りしました。
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 マダイン・サーレハは、ネブド砂漠の中に忽然と現れる巨大な岩の遺跡群である。隣国のペトラ遺跡が北の都と言われていた時代に、南には、アル・ヒジュルという町があった。伝説によると、預言者サーレハの言いつけをこの地の人達は守らず、神の怒りにふれすべてを滅ぼされてしまったという。このことから、今でも現地の人々には恐れられていて、近年まで近づくことが無かったという。
 現在残っている遺跡は、アッシリヤ・エジプト・フェニキア・ヘレニズムなど様々な文化などから、様々な影響を受けている。さらに残された碑文にも、多様な言語があり、ギリシャ語・ラテン語・ナバティア語なども見られる。2008年、「アル・ヒジュルの考古遺跡」として、サウジアラビア初の世界遺産に登録された。
 まずは、ナバティア以前のリャーン人の神殿跡にやってきました。
リヤーン人神殿
 以前は岩の隙間を通って向こうに行けたのですが、不届きものが多かったようで今は行けません。
内部
 近くにあったバーガーみたいな岩。
ブリオッシュかバーガーか
 ここの見どころは、
マダインサーレの地図
 次は、3番のQassr Albintにやって来ました。女性の墓が多くある場所です。
2つ並んでいる
女性の墓らしい
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少しづつ形が違い、丈夫の彫刻も複雑になっていきます。
ライオン
珍しい顔
ずらっと並んで
 つぎは、5番のJabel Alahmar(赤い山という意味)。
Jabel Alahmer
幾つか並んでいる
 このころは、死者はこのようにミイラの様に包まれた。
皮で包んで
 そしてこうして運ばれた。
バーチャル、このようにして運んだ
 
ジャバル・アル・アフマル
 最後は、一番有名なカスル・アルファリド。これは単独で建っていてリヤーン人が神殿として建設したものをナバティア人が墓にしたものだ。意味は、孤独の城。
カスル・アル・ファリド
マダイン・サーレハ
 庇が深いので、真横から見るとこんな感じ。
真横
 時計は、3時を回っているのだが、まだお昼にありつけません。バスに乗って、公園まで戻って来たところで、ハンバーガーのお昼をいただきました。お腹が減っていればなんでもおいしい。
 再びバスに乗って、復元された旧市街に向かった。
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果物やさん
とおりゃんせ
 岩の上には、
高台に
 モハメッドが、立ち寄ったという骨のモスク。
旧市街のモスク
 もう日も暮れてしまいそうなのだが、未だ観光は終わらない。最後は、エレファントロック。昼間ならもう少しそれらしき鵜方に見えたのかもしれないが、
エレファントロック
 これでようやくすべての観光はおわり、キャンプにもどりました。お昼があまりに遅かったので、お腹は空いていないが、少しだけいただきました。
 昨日は、シャワーを浴びなかったので今日は多少ぬるくても我慢して使い、さっぱり!部屋をガンガンに暖めて眠りについたのだった。

 岩山の間を縫うようにして車は進む。幻想的な光景ではあるが、砂漠だらけになりそうでちょっと怖い。
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 途中でラクダに遭遇。車が止まっても気にする風もない。
ヒトコブラクダ
 結構な坂をどんどん上って行く。
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登り切ったところは、平らになっていて、進んでいくとビューポイントがあった。1千万本ともいわれるデーツの林。サウジのデーツは、質の良いことで知られていて、旅の間にいくつもいただいたが、本当に美味しかった。ただしカロリーが高いので食べ過ぎには注意がいるが・・・。
デーツ畑

谷に囲まれている
足元に広がっているのは、アル・ウラの新旧の市街地である。
アルウラの町
 トルコ軍の侵略によって廃墟となってしまい、当時の繁栄ぶりを見ることはできない。旧市街。
アルウラ旧市街
 ピクニックなどに来られるように、整備されていた。
デートしたらいいな
 町の反対側に目を向けると、全く違う風景が広がっている。
奇岩が続く
 同じ道を戻る。勾配がきついのでちょっと楽しい。
公園のようなところで車は止まった。マダイン・サーレハの見学は午後からになっているのだが、ちょっと確認してくるという。この公園のようなところは、入場するのに手荷物検査や身体検査があった。ここが、マダイン・サーレハのチケット売り場のようだ。待っている間に、大きな車が目に留まった。モバイルクリニックと書いてある。これも2030年ビジョンの1つらしい。
モバイルクリニック
パトカー、道をふさいでいました。
パトカー
 公園の中、未だ午前中なので空いている。こちらの人たちは、遅くならないと集まって来ません。
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 ガイド氏、戻って来て「見学が早まりました。これからチケットを購入するので、パスポートを集めます」という。確認に行って正解だったね。そのまましばらく待ちました。 
 この建物で手続きが行われました。パスポートを返してくれ、同時にこれを首からぶら下げます。チケット代わりになる。この公園から出発する時と、帰って来た時にスマホに読み取らせます。
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チケット代り
 そして、サーレハや旧市街に向かうのには、このシャトルバスでしか行けないというが、30分に1本しかないので効率よく回らないと、時間にロスが生じてしまう。
シャトルバス
 バスで、20分ほど走ったところに、昔のヒジャーズ鉄道の駅が復元されていた。これも最近になって、綺麗に整備されたようだ。
 変わった車は、キャンペーンカーでした。
キャンペーンかー
 見学の前にまずはおもてなしを受けました。アラビックコーヒーとデーツです。
おもてなし
 こちらが、ここでの案内をしてくれる女性。日本が大好きであこがれているそうだ。アニメを見て日本語を覚えたとかで、片言だがしゃべることができる。
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 ヒジャーズ鉄道は、オスマン帝国によって建設され、1908年に完成した、ダマスカスからメディーナまでの約1300kmを縦断する鉄道である。建設の目的は聖地への巡礼ということだったが、オスマン帝国の交易や宗教的支配も大きな要素だったと考えられている。完成から数年後の第一次大戦中に、ロレンス率いるアラブ人によって破壊されてしまった。その後、再開されることなく現在に至る。
 ここでは当時のものを忠実に再現してありました。
1908年完成
当時の建物を忠実に復元
 路線図でしょうか
路線図
 機関車
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 見学に来ていた2人の女性も、快く撮影に応じてくれました。
断られることは無かった
 この後は、車を乗り換えて遺跡群を見てゆきます。

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