好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:東ヨーロッパの国々 > ウクライナ・ベラルーシ・モルドバ

 
 窓から外を見るときれいにはれ上がっている。
7時15分ホテル出発。空港のあるまちシンフェロポリへ向かいます。
 
 峠越え、世界で一番長い距離を走るトローリーバスの路線と同じ道を走ります。
 
 空港は、とても小さくチェックインもスムーズに進む。
ガイドさんドライバーさんありがとうございました。
 
 
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 モスクワまでの飛行時間は2時間ほど。軽食が出ました。
 
 モスクワでの待ち時間が長い。6時間もある。おなかはすかないが、時間つぶしのためバーに入ってワインを頼む。この値段の高いこと!
 
 空模様がとても不安定で、雷も鳴っている。そのせいか、離陸時間が1時間ほど遅れた。
 
帰りの機内は、ガラガラで席もゆったり取ることができる。1人で4つも使っている人もいた。
 
 飛行時間は、9時間半ほどだ。定刻よりすこし遅れて無事に成田に到着です。でも私は、ここでもまたなければならない。マイルを利用したので帰りの名古屋便まで6時間もあるのだ。
 
 とりあえずターミナルを移動して、あとはひたすらカードラウンジで過ごした。
 
 今日の写真は、紹介できなかったものを、あらためて振り返ってみました。
 
 キエフの黄金の門を作ったヤロスラフの銅像・・・
手に持っているのは黄金の門です。
 
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 日曜礼拝に来た親子・・・おしゃれしています
 
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   浦上天主堂から贈られた鐘
 
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  教会のモニュメントで遊ぶ子供達
 
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  ブレストの要塞・・・水を求める兵士の像
 
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   リヴィウ野外博物館・・・綿あめ
 
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   テルノピルで
 
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   チェルノフツィ・・・おしゃれして
 
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   オデッサ、ポチョムキンノ階段で・・・クジャクが・・・
 
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   パルチザン博物館で・・・壁に描かれた落書き
 
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  バフチサライのハーン宮殿・・・ハーレムの中庭と見張りの塔
 
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   透き通るような肌を持った女の子
 
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    ヤルタの港で
 
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   チェーホフの家・・・ステンドグラスの部屋
 
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   正教に一段と興味が持てた旅でした。
 
 
 

 
 庭には、今がちょうど見ごろのバラの花がたくさん植わっていて、とてもよい香りが漂っている。
バラの向こうに、青い黒海が広がっている。
 
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  南側の外観は、イスラム形式です。アラベスク模様とコーランの一節で飾られたドームがある。
というのも、ここから黒海の眺めるとまるでインド洋のように見えるので、建築家がそれを考えて設計したという。
 
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 ここから黒海を見るとこんな感じです。
 
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 大理石でできたライオンの像が、階段の上と下に2頭づつ4頭いるのだが、そのうちの2頭は眠ってしまっている。これは、帝政ロシアの安泰を象徴しているのだろうか?
 
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こちらは球をけるライオン
 
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 それにしてもかわいい。
 
 すっかり遅くなってしまったが、これから昼食です。ツバメの巣と言われる有名なお城が一望できるレストランに向かう。
 
 到着したレストランは確かに景色はよいが、外なので寒い・・・。
 
 ボルシチやピカタアイスクリームなどをいただく。
 
 ここからのツバメの巣はこのように見えます。
 
 
 
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 1912年、ドイツ人の富豪が建てたものだ。その後持ち主がかわると、用途もかわりレストランだったこともある。
現在は、ミニ博物館のような使い方がされている。
 
 私有財産で、あいていない時も多いようで、添乗員はそのことをくどいほどわれわれに伝える。
 
 崖の先端にあるわけだから、専用の車にに乗り換えて向かいます。
 
 ところがあれほど天気が良かったのに、風が強くなってきて、空にも黒い雲が出てきました。
 
 下をのぞくと船着き場やビーチがある。夏になるとさぞかしにぎわうのだろう。
 
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 のっかってるだけのように見える!
 
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 風が強くて寒いので、中に入ります。中は狭くて、こんなところでよくレストランの営業ができたなあと思うくらいだ。
 
 中に親子連れがいる。母親らしい女性が、日本語で話しかけてきた。「え?この方日本語がしゃべれるんだ」
 
 旦那様は日本人で、お子さんも日本の名前がついていました。バイオリンの発表会のためこちらに来ているそうです。
 
 日本語で書かれた名刺を頂戴しました。
 
 すこし小止みになったようなので、もう一段高い場所からこのお城を見てみることにしよう。
 
 足元は濡れて滑りやすくなっているので要注意です。
 
おとぎ話に出てくるような城だ。ドイツ人てほんと城がすきだよね。(*^_^*)
 
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 さあ、いよいよ観光もあと一か所を見学するのみとなりました。クリミアワインで有名なマサンドラワイナリーを訪ねます。
 ここのワインは、超甘口です。ポートワイン・アイスワインも以前試しましたが、それより甘い!
 
 ここまで甘くするのには時間がかかるので、よいものはさぞかし高価なんだろうなあと・・・。
 
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最初は、ワイナリーを見学していきます。なぜか撮影禁止????
 
 最後に、試飲します。10種類のワインがトレイの上にのっていて、それぞれに番号がふられている。
その番号順に説明がされ、飲んで行きます。
 
 最初のシェリー酒から、6番目くらいまではおいしくいただけた。個人的に気に入ったものは、ニコライ2世の愛飲したというもの。
 
 7番目以降になると、甘さが砂糖をなめているようでいくらお酒が好きな私でも、全部を飲み干すことはできなかった。
 
 甘めのお酒の好きな人向きかも・・・・。
 
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 余ったお金は、売店で使います。ワインを買えるほどあまっていないので皆、チョコレートをお買い上げです。
私も、お土産に買いました。
 
 これですべての観光は終わってしまった。
明日は、帰国の日です。長いようだやはりあっという間でした。
 
 

 
 第2次大戦の末期1945年、ナチスの敗色が濃くなってきた2月4日から11日にかけて、この宮殿に連合国の3人の巨頭ソ連のスターリン・アメリカのルーズベルト・イギリスのチャーチルが集まった。
 
 そこで、戦後の国際連合の話、ドイツの戦後処理、ソ連の対日戦への参加などが話し合われた。
 
 その見返りとして、千島列島のソ連への帰属も決定されたのだ。
 
 この会談からわずか半年後に、長崎・広島に原爆が落とされ、終戦を迎える事になる。
 
 
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 円卓の上には、3国の国旗が置かれている。首脳の椅子は大きく、その両側に随行員や通訳が控えて座った。
 
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 ここは、アメリカ側の宿泊所ともなったので、ルーズベルトの寝室や食堂なども公開されています。
ちなみにチャーチルは、後で訪問するアル―ブカ宮殿に滞在し、スターリンはその中間の屋敷に滞在したそうだ。
 
 スターリンとルーズベルトが座って話した部屋。写真が添えられている。
 
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 教科書で習った事を、実感するのってドキドキします。
 
 こちらは食堂。3巨頭が座った場所には国旗が置いてあります。
 
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 この中庭で、あの有名な写真が撮影された。
 
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 次は、チャーチル一行が滞在したアル―ブカ宮殿に向かいます。宮殿に通じる道は狭いので、バスが入れず駐車場から結構歩かなければならない。
 
 森の中を歩いていくので、こんな仲間に出会いました。
 
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 アル―プカ宮殿は、帝政時代の市政官ミハイル・ヴォロンツォフ伯爵の屋敷だった。
1846年、イギリスの建築家によって建てられた。だからここがチャーチルの宿舎に選ばれたのかもしれない。彼は、ここをずいぶん気にいったという。
 
 こちら側からの外観は、チューダー様式になっているが、海側は全く違う外観になっている。これは後の楽しみに・・・。
 
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 入ってすぐのところは、両側がクローゼットになった廊下である。壁一面に衣装が収納されているそうです。
 
 豪華な調度品や装飾が施された部屋が保存されている。
 
 
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 チャイナの間。彫り物の顔がそれっぽい。
 
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 家族の肖像画や、ペルシャから贈られたという豪華な絨毯などが飾られている。
中でも目を引いたのは、奴隷が20年もかかって作り上げたという豪華な部屋だ。
 
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 何故そんなにかかるの?と思って壁を見て納得です。白い模様はすべて手書きでした。絞り出すように描かれている。
 
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 屋敷には、温室までありました。
 
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 ここを抜けると、大きなテーブルがあり、食堂として使われていたようだ。
 
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 この部屋には、泉があります。
 
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 部屋の見学を終えてバルコニーから庭に出ます。
 
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 ここからは、バラを愛でながら庭を散歩していきます。
 
 
 
 
 

 
 アレクサンドル・ネフスキー教会には、一般的な入り口とは違う入口がいくつかあり、それぞれ美しいフレスコ画が描かれている。
 
 こちらは幾何学模様だ
 
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 こちらは、全く違います。描かれている人物の肌の色に注目。
 
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 中は、かなり薄暗い。外の豪華さと比べるとなんだか質素に思える。
 
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  明かりとりの窓のさんがおしゃれ
 
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 天気が本当によく変わる。続いてチェーホフが、晩年を過ごしたという家に向かいます。博物館となって、公開されているのだ。
 
 1899年、結核を患った彼は、医者の勧めもあって、ヤルタに移り住んだ。亡くなるまでの5年間をこの地で家族と過ごしたのだ。
 
 訪れてくるゴーリキー・トルストイなどの文化人との交遊を楽しみながら、「3人姉妹」「桜の園」などを書き上げた。
 
 道路から一段低くなった斜面に建てられています。ダーチャと呼ばれた白い別荘風の建物や、彼自身が造ったという桜や竹などこちらではなじみのない植物が植えられた庭園がある。
 
 家具や調度品の類も好きなものだけ集めたという感じで、暖かな居心地の良い空間になっていました。
 
 庭園
 
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 ダーチャ
 
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 一階部分から入って2階部分に抜けていきます。斜面にあるのでそういうことになります。
1階部分は、お客などを迎えたりする部屋になっていて、プライベートな部屋は2階にあります。
 
 客間 
 
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 ゲストルーム
 
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 キッチンは別棟になっています。
 
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 母親の部屋
 
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 彼の書斎
 
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 ラフマニノフやシャリャーピンも弾いたというピアノのある食堂。ここに居ると、なんだか自分までが彼らと交わった気がしてくる。
 
 
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 すてきだったなあ!次はいよいよ、リヴァディア宮殿です。
宮殿は、かのヤルタ会談が行われた場所だ。日本の行く末が決まったといってもよい戦後の処理が英・米・露の3国の巨頭の会談によって決められたところだ。
 
 海に面したとてもよい場所にあります。もともとは、1911年にニコライ2世の夏の別荘として建てられたものだ。
 真っ白な建物と緑の芝、青い空と青い海。
 
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 入口はこちら、入ってすぐのところがホールになっていて、当時の写真などが展示されている。
 
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 会談を報じた新聞記事。
 
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 円卓の会議の写真
 
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 このホールの奥に広間があります。
 

 
 朝方近くまで雨が降っていた。部屋の窓の下はトタン屋根があるので、雨の音がうるさかった。
おまけに部屋の改装をしたばかりなので化学薬品の臭いが消えていなくて頭痛がしそうだ(>_<)
 
 日本だったら絶対許可がおりないだろうなあと思いつつ、我慢の一夜でした。
 
  散歩に出かける頃の部屋からの景色・・・曇っている。
 
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 昨日、頭の中に地図をたたき込んでおいた市場へ、ルームメイトと散歩に出かける。
時間が早すぎるのか、あいているのは果物やと花やくらいでした。
 
 それでもサクランボを試食させてもらい、ざくろジュースを試飲させてもらい、大満足で帰ってきました。同室の女性は、典型的なおおさかのおばちゃんでこういう交渉ごとはほんとに上手です。
 
 日本以外で干し柿を見かけたのは初めてでした。
 
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 ホテルを出たのは8時45分です。歩いた方が早いような気がするのだが、一方通行の道路を悪戦苦闘しながら進んで行く。市庁舎の近くの広場で停車。ここからは歩いて観光です。
 
 庁舎前のマルクス通りを横切って海に向かいます。ヤルタ市内は、通りの名前が都市の名前と人の名前がついている。こういう都市は多いのだが、正直日本人にはなじみがなかったりする。
  でも、ここのはよく知っている名前ばかりです。
 
 たとえば市場のあったあたりは、キエフ通り、海岸にそったメイン通りは、レーニン海岸通り、
キエフ通りの反対側は、モスクワ通り、他にもプーシキン・チェーホフどおりなんてものもあります。
 
 レーニン広場には、レーニン像が、海の方を向いてちゃんと建っています。
レーニンにあうのは久しぶりです(^O^)
 
 
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クリミアの真珠と言われるヤルタはとても人気がある。革命までは、皇帝や貴族の別荘地になっていた、当時は、チェーホフの小説の中の貴婦人や紳士たちが、通りを行き交っていた。
 確かにここにあるのは、あくまでも穏やかで明るい空気だ。
 
 人びとは、寒い地から逃れてホッとしたことだろう。
   ヤルタは、背後に山が迫って来ているので、平地が少ない。私は、熱海を連想してしまいました。(*^_^*)
 
 
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 小さな女の子がハトと遊んでいます。
 
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 観光船やヨットがずらっと並んでいる。
 
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 途中から通りに入ります。通りには、豪華なホテルやブティック、アイスクリームやさんやレストランといった観光客相手のお店が並んでいる。
 
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 早朝から泳いでいる人も・・・さすが(?)太っています
 
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 こんな形のレストランも
 
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 この一角、チェーホフの「犬を連れた奥さん」の銅像があります。私は、読んでいないのですが有名なのですってね。ここが舞台となっている。
 
 
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 ここからは、少し引き返して左に曲がり坂を登ってゆく。
 
 見えてきたのは、金色のねぎ坊主頭のアレクサンドル・ネフスキー教会だ。
とても堂々とした威厳のある教会です。
 
 
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 そばには、小さなお堂もあり、こちらも金ぴか玉ねぎです。
 
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 その横では、ロマンスグレーとお呼びするにはちょっとお年を召しているのですが、お二人の紳士が熱心に本を片手に話をしていらっしゃる。あまりにも絵になるので、ガイドの説明よりそちらが気になってしまう。
 
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 この教会は、ともかく外観が素敵です。
 
 金色モザイクがきれい。壁に描かれています。
 
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 堂々としている。ここは正面では無く、横から見たところです。
 
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 岸壁では、釣りを楽しんでいる人の姿が目立つ。
対岸の景色も美しい。
 
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軍艦
 
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ポチョムキンの階段ほどではないですが
 
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釣りをしていた少年に、「釣れるの?何をつったの?」と尋ねると、自慢げにふくろの中を見せてくれました。
見ると小さなアジが2匹います。「すごいねえ!」というと、ちょっと誇らしげな何とも魅力的な笑顔を見せてくれた。
か・わ・い・い・!
 
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天気があやしくなってきました。海の色もさえません。
海岸線をかなりのスピードで走ってゆく。
途中、ゴルバチョフの別荘があるそうだ。ソ連崩壊の前、ここに軟禁されていたそうです。
できたら写真も撮りたいが、ここは車を止めてはいけない地域とかで、スピードも緩めてくれない。
結果、こんな写真になってしまった。m(__)m
 
パゴダと呼ばれている。
 
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この旅行記の最初に紹介した断崖の上に建つキリスト復活教会に向かいます。
曲がりくねった道をどんどん登ってゆく。
 
教会の背後から下を見下ろすと、フォロスのまちがみえる。
別荘が立ち並んでいる。海の色は灰色になってしまった。
 
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雨がひどくなってきたので、中に入ります。
 
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最後の晩餐
 
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女性が1人。燃えカスのろうそくをきれいにしています。
 
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床はモザイクです。
 
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ここからは一気にヤルタの街を目指して走ります。
ホテルに着いたのは、かなり遅かった。
すぐに夕食になりました。
 
明日はいよいよヤルタ会談の舞台となったリヴァディア宮殿に向かいます。

 
 王様の座る場所はいつも決まっていたようだ。宮殿にはたくさんの噴水があるがここにもありました。湿気の多い日本から来ると部屋の真ん中に噴水なんてと、ちょっと違和感を感じてしまう。
 
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 天井部分。オレンジが素敵だ。
 
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 命の泉。金色で描かれた模様が美しい。
 
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 王様専用のドア。今では使われていません。
 
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涙の泉。クリミアの最後のハーンが、愛人を偲んで作らせたもの。彼は、「石にも涙を流させよ」と命じたという。バラが添えられた場所から絶え間なくしずくが落ちていて、涙を流しているようだ。
 プーシキンがここを訪れて詩に詠んだことで有名になった。
 
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 いったん外に出てハーレムに向かいます。
ハーレムの外観
 
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 ハーレムの方向から今見学してきた建物を見たところ
 
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 ハーレムには、大勢の女性が暮らしていました。彼女たちが外を見るときに使用した窓枠。外から中がうかがえないように工夫されている。
 
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 88もの部屋があったといい、お呼びがかかるのを待つための部屋なんてものもあります。どの部屋も趣向が凝らされていて美しいですが・・・。
 
 建物のそばには見張りの塔もありました。
 
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 バスは、海岸線をを目指して走ります。周りには、ブドウ畑や果物の木が目立つ。クリミアは、ウクライナのフルーツバスケットと称されるくらい果物がたくさん獲れます。
 
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 駅と操車場がみえた。軍港もあり、かつて政治・商業の中心地として栄えたセヴァストポーリの街に到着したようだ。
 
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 街の名は、ギリシア語で「高い都市」という意味。紀元前5世紀には、古代ギリシアの植民都市が建設された。
1783年には、ロシアが占領、今の年を築いた。
 1804年、ロシアの黒海艦隊の基地となり重要な軍港となり、クリミア戦争では、349日間の包囲攻撃に耐えた。この様子は、トルストイの「セヴァストポーリ物語」に詳しいそうです。
 
 第2次大戦には、ドイツ軍に250日間包囲されたのち、街は破壊されたしまった。
 
 今も軍港としての役目を担っており、ロシアとウクライナの艦隊が駐留しており、ロシア側がウクライナに使用料を支払う形になっているそうです。
 
 1996年頃まで外国人の立ち入りは禁じられていたそうだ。
 
 バスは、英雄ナヒモフの像がある広場に止まります。
 
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 この門を下って行くと海です。遊覧船にのったり、渡し船で対岸に行ったりして遊べる。
門から反対方向を海側に進んで行くと、沈没船の記念碑が海の中に建っている。
これは、ロシア海軍のナヒモフ提督がクリミア戦争の時に、連合軍側の上陸を阻止するために7隻の船をここに沈めた事を記念したものだ。
 
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 クリミア戦争という言葉を聞くと、私が思い浮かべるのはナイチンゲールくらいなのだが。
ここにこうして建っていると、なんだか急に身近な問題に感じられてきた。
 
 先ほどの門をくぐって、岸壁のほうに行ってみよう。
 
 
 
 

 
 シンフェロポリは、黒海沿岸の各地へ向かう玄関口となっている。鉄道駅・空港がある。
 
 列車から降りてくる人々も大きな荷物を運んでいる人が目立つ。
 
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 シンフェロポリの駅
変わった形の時計台。
 
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 一足先に着いていたドライバーさんと合流です。駅前は、トローリーバスがいっぱい。
 
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 クリミア半島は、温暖な気候なので19世紀から、革命がおこるまでロシア貴族達の別荘地となっていた。
革命以後、かつての別荘はサナトリウムに変わったりした。
 ソ連崩壊後、ウクライナが独立してからは一時客足が遠のいたが、往時をなつかしむ人々で、ふたたびリゾート地としてにぎわいを取り戻しているという。
 
 半島全体にわたって、ギリシア文明の痕跡やタタール時代の繁栄の跡が残っている。
私達も、ヤルタまでの途中でところどころ見学していきます。
 
 シンフェロポーリから峠(最高点2752m)を越えてヤルタまで向かっているトロリーバスは、世界一の長さがある。山の上まで、電線がどこまでも伸びているのはちょっとびっくりです。所要時間は2時間半ほどです。
 
 この峠越えの道は、復路に通るそうで今日は海岸線の道を通ってヤルタまで向かいます。
 
 1時間ほど走ると、かつてタタール人のハーンが住んでいた宮殿が残っているバフチサライに到着です。町の周りには巨岩がたくさんあり、それをくりぬいて教会などが造られている。
 
 イスラムの町なので雰囲気が全く違う。
 
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 今日の昼食はここでいただきます。
 
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 中に入ると、こんな形の小部屋のようなものがいくつもあり、地元の人はここで食事をしていました。
 
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 イスラムの教えにのっとって、アルコールは置いてありません(>_<)
でもお料理のほうは、かなりいけました。
 
 この後は、ハーンの宮殿に向かいます。
バフチサライは、1783年にロシア帝国に併合されるまで、クリミア・ハーン国の首都だった。
 
  革命に揺れていた1917年、タタール人達は、ここに集まりクリルタイと呼ばれる意志機関を開いて、クリミア共和国の独立を宣言したが、国家再興の夢はかなわなかった。
 
 東西の十字路に位置しているクリミア半島は、古来からさまざまな民族が行き来してきた。東からはスキタイなどの遊牧民族がやってきたし、ギリシアやイタリア人達も沿岸に植民都市を築いた。
 そしてかの草原の覇者ジンギスカンの血筋を引くタタール人達も、この地に国家をなした。
 それが、クリミア・ハーン国である。
 
 現在は、クリミアは自治共和国となっているが、これはソ連崩壊のときこのあたりはロシア語を話す人々が多く、ウクライナからの独立を恐れた政府が解決として自治権を認め、首都をシンフェロポリに置いたのだという。
 
 宮殿の門、ここから中に入ります。
 
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 16世紀前半に建てられたオスマントルコ風の宮殿だ。
門をはいると広場があり、左手にはモスクがある。現在は、博物館らしい。
 
 右側には、宮殿となるいくつかの建物群があり、敷地内には中庭や噴水などもあり、趣のあるものになっている。
 
 モスク
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 右手の建物群のひとつ
 
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 入場料を払って中に入ります。
 
それぞれの建物の壁の模様はすべて異なる。ひさしの形も興味深いです。
 
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 鉄でできているわけではないのに、鉄の門と呼ばれています。彫刻が素晴らしい。
上部の半円形の飾りの中心にある丸いものは、ハーンの紋章であるタンガが刻まれている。
 
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 客間兼会議室兼謁見の間
 
天井の幾何学模様がとても美しい。
 
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壁面には、ステンドグラスも使われている。2階部分はバルコニーのようになっています。
 
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 さあそろそろ、次の王の居間に行きましょう。
 
 
 
 

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