好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:国内旅行 > 桐生市と富岡市


 東武の駅を出ると、直結してスカイタウンがある。

 4階のチケット売り場に向かう。途中、デッキから見上げると

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 インフォの女性によると、地上からだと、建物が邪魔をして全体がうまく写らないのだそうで、全体をとるには4階のデッキが一番ですよとのこと。

 もちろん、少し離れれば綺麗に撮れるんだろうが、今回は、時間がない。

 幸いチケット売り場は、並ぶ人もおらずすぐにゲットできた。そのままエレベーターで、フロア350へ、

 そこから入場券を買って、もう1つ上の展望回廊へ行けるのだが、こちらも時間がないので今回はパス。

 デッキも、この時間になるとさすがにすいている。でも夜景って、地理に詳しくないとどれも同じように見えてしまう・・・。

 
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 夜だとガラスに、色々なものが映り込んでしまい。中々綺麗に撮れないのが残念。
ハローウィンの飾りつけがあちこちにありました。

 
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 床の一部が、ガラス張りになっているが、これはちょっと期待外れだった。私はもっと広くて歩き回れると思っていたのだ。のぞき込むという感じで、

 
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 東京駅までは、半蔵門線、丸ノ内線を乗り継いで・・・。バス乗り場は、八重洲の南口なので東京駅では、ちょっと移動しなくてはならない。乗り場を確認して、ようやく夕食を食べる。時間は、10時なのでもうラストオーダーという感じだ。ラーメンは行列、名古屋飯は珍しくないし・・・・。

 バスに乗り込む頃には、ポツポツトきていたのだが、途中の足柄サービスエリアでは本降りになっていたらしい。運転手さんの「外は雨です」という声を夢心地に聞く。

 早朝6時、名古屋駅に到着。働きに出る人達の群れと反対側に歩くのはちょっと不思議な感覚です。

 奇跡的に雨が止んでくれた、群馬の旅でした。


 梨木温泉から、35分ほどで新桐生の駅に着いた。新桐生は、東武の駅で帰りは、新幹線ではなくてここから東京に向かう予定だ。

 桐生は、地方都市ではあるが、JR、東武、わたらせ渓谷鉄道、上毛電鉄と4つの路線が乗り入れている。
しかしそれぞれの駅は、JRとわたらせ以外はかなり離れているので、使い勝手が良くない。

 レンタカーを返して、彦部家住宅に向かおうとしたのだが、頼みにしていたレンタサイクルがだめになってしまった。というのは、新桐生の貸し出しは、その日はやっておらず駅前郵便局に行ったのだが、自転車が1台しかなかったのだ。でもこちらは2人・・・・。無料なので文句も言えず、公共交通機関のバスは、何と1時間に1本しかない。

 彦部家は、休館日だったのだが、メールでお願いして許可を貰っていたので、時間を守りたい。結局タクシーを使うより仕方がない。歩くには、少々遠いし道順もわからない。


 タクシーを使ったおかげで、約束の時間にセーフ!

 彦部家とは、7世紀後半までさかのぼれる旧家で、桐生へ移住してからも17代になる。鎌倉時代に領主を務めた土地の名である、「彦部姓」をなのるようになった。
 室町時代に、足利将軍に仕え、その後関東の動静を幕府に報告するために、ここ広沢郷にとどまり、1561年、時の城主から土地を賜り、現在地に屋敷を構えたという。

 住宅は、東西約130m、南北約160あり、中世の城館の構えとなっている。土塁や濠を巡らし、中央に主屋、南面に長屋門、東脇には隠居所、北側には文庫蔵と穀藏が建っている。

 これらは、重要文化財に指定されている。また、敷地内には、土塁や櫓跡、屈折した石垣の搦手、屋敷神があり、普通の屋敷とは趣が違う。

 長屋門。今の家の一軒分くらいありそうだ。

 
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 隠居所である冬住みと言われる建物の軒下部分。野地板に竹が使われている。彦部家は、竹屋敷と言われるくらい、敷地内に丈が多く、真竹、孟宗などがたくさんありました。でも丸い竹を、このように平たくするには面倒で、当主のこだわりが感じられる。

 
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 主屋。
建築年代は、1580年創建、1650年前後に改築がなされた。材は、ケヤキ・クルミ・クリなどの雑木を使用。いずれも屋敷内に大木が残っていました。

 
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 中には、馬屋や土間、奥座敷、表座敷、など5部屋が有る。
またこの寒い地には珍しいのではないかと思われる棕櫚の古木が目を引いた。

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 竹すのこの床の広間。

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 屋敷内に有る竹ヶ丘八幡宮の前の神橋。

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 八幡宮。他にも2つほど社が有った。

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 どんぐりが雨のように落ちてきて、まるで雨が降っているようだ。屋根にあたるとかなり大きな音をたてるので、慣れるまでは、びっくりする

 北側にある櫓に登ると、搦手門や屈折した石垣が見える。門の外には木橋が有り、いざという時には橋を落としたらしい。

 
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 石垣に使われた石は、江戸時代のものらしい。何度か修理が行われたのだろう。

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 彦部家は、大正時代には、織物業を行っていたので、女工の寄宿舎や医務室も残っている。
また、風呂と煙突が復元されている。格子部分に織機が置かれていた。

 
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 市内には、バスで戻ろうと時間を調べてもらう。少し間があるので、近所を歩いてみた。
自動車博物館がありました。特徴的な鋸屋根は、昔、工場として使われていたからだ。

 
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 バスは、新桐生までしか行かないので、そこから目指す伝統的建造物保存地区までは、歩いていかねばならない。そこまで行けば、自転車の貸し出しをしてもらえそうなのだ。

 3㎞程歩いて、ようやく有鄰館に到着。やっとレンタサイクルにありつけました・・・。

 それにしても桐生市は静かだ。水曜日なので、商店が休みだからかもしれないが、閉店したお店も目立つ。タクシーの運転手さんによると、産業がないからと言っていた。

 かつては、西の西陣、東の桐生と言われたほど栄えたのになあ・・・。

 通りには、かつてこの町が賑わっていた頃をしのばせる蔵がいくつか残っていた。

 
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 お腹が空いたので、レンガ造りの倉庫をそのまま利用したベーカリーでお茶します。

 群馬大学工学部同窓会記念館までやって来て、守衛さんに見学したいうと、何と修復中で中に入れないという。「ええー。ホームページには、そんなこと書いてなかったよう・・・。」

 今回は、どうもこういう場所が多くて、富岡製糸場、妙義神社、富岡社会教育館、そしてここ。群馬県は今修理強化年なのか・・・。

 で外からだけの見学となりました。大正5年の建築で染色高等学校の本館だった。

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 気を取り直して、織物参考館「紫」に向かいます。織機が展示されているのだ。
たった2人の為に、係りの人が案内実演してくれました。

 原始的な織器。

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 座織機。今でも結城などはこれで織っています。

 
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 桐生の織物は、はり感があるのが特徴なのだが、それは強撚糸を使っているからだ。手回し式の強撚糸機。

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 ジャガード織機ができる前は、人間が機械の上に乗って必要な色の経糸を引き上げていた。奥は、ジャガード織機。

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 日本で一番大きな高機。

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 最後は,藍染と現代の工場を見学。ここでは織物カレンダーを作っているそうです。ものすごい速さで織りあげて行く。

 体験もさせてもらった。紐を引っ張ると杼がシュツと経糸の下を移動していくものだったのですが、これがなかなか難しい。紐の挽き方のタイミングが悪いと、杼が止まってしまうのだ。

 
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 織物関係をもう一か所。桐生織物記念館を訪ねた。ここでは、杼を手動で移動させるものを体験させてもらったが、こちらは案外うまくいきましたよ。

 見本帳や、映画「利休」で使われた衣装などが展示されていた。大会旗や優勝旗なども作っているようです。

 時計を見ると、5時少し前になっている。戻らねば、この後自転車を返して、バスに乗り新桐生に向かう予定。

 バスの時間が迫っているので、必死でこいでゆく。そして時間ぎりぎりに、バス停にたどり着けたのにそのわきをバスは通り過ぎて行ってしまった。普通、人がいたら停まるでしょう!手を挙げて停めろとはあったが、振り向いたらそこにバス、状態では挙げる余裕がないもの・・・・。

 なんてこった!いつも遅れる癖に・・・。!!!!

 結局、帰りも新桐生までの3.5㎞程を歩きとおしました。歩数計をみると18500ほどになっていた。

 18時9分の特急で、スカイツリー駅まで向かい初スカイツリーします。

 


 2014年、ユネスコの世界遺産に登録された「富岡製糸工場」。一度行ってみたいと思っていて、もうそろそろ混雑も緩和されたのではないかと、行ってみることにしました。
 群馬における織物の中心地でもあり、心惹かれていた桐生市へも足を延ばしてみました。

 最初は、朝新幹線で高崎まで行こうと思っていたのだが、2人で行くと結構高くなってしまうし、到着する時間も遅くなり、他の見学する場所も限られてしまうので、夜行バスを利用することにした。
 23時47分、JRのドリーム号で東京駅へ出発、雨は止みません。もうずーっと天気が悪くて傘を手放せない毎日が続いているのだ。
 桐生では、レンタサイクルを借りようの思っているのに・・・・。

 東京駅へ着いたのは、早朝6時前だった。予定より15分ほど早い。歯磨きや洗面をすませ、北陸新幹線で高崎まで向かう。東京を出たときには、ガラガラだった車内も大宮から大勢の人が乗り込みあっという間に満席になった。皆黒いスーツを着た男性なので車内が暗くなった気がする。

 彼らは、ほぼ全員が高崎で降りました。高崎ってそんなに働く場所があるんだなあと思う。わたしは、群馬や埼玉、栃木の人は皆東京方面へ、通勤すると勝手に思っていたのでちょっと意外な感じを受けた。

 雨は小雨になって来て、天気予報通りに止む様だ。予報では、今日と明日は奇跡的に止み間があると伝えていた。
 まだ朝ご飯を食べていないので、駅に近いガストで朝定食をいただきました。レンタカーの予約時間の9時までここで時間をつぶす。

 レンタカー屋に行って、またまたびっくり。列ができていた。名古屋では、レンタカー屋さんに列ができるなんてことがなかったからだ。そういえば、とてもレンタカー屋さんが多いし、車の数もたくさんだ。これはこの辺りは車がないと身動きが取れないということの裏返しでもあるのだろう。

 さて、我々も富岡へ向かって出発します。

 思ったより近くて、35分ほどで到着です。駐車場がないので、うろうろしていたら、おばさんが手招きしている。こういう民間のものしかなさそうなのでそこに停める。1日、500円でした。

 あるいて、2分ほど富岡製糸場へ到着です。入場料1000円。ガイドツアーもあるのだが、折角個人できているのでゆっくり回ることにした。

 学生や子供達の見学が多い。授業で来ているのだろう。

 入り口から見たところ

 
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 群馬県は、古くから養蚕、製糸、織物産業が盛んで、多くの絹産業の関する文化遺産が残っている。富岡製糸場もそうした遺産の1つで、フランスからの技術導入に始まり日本独自の自動繰糸機の実用化までが、絶え間なく行われてきており、世界との技術交流・技術革新を示した絹産業に関する遺産の1つである。
 他にも、「荒船風穴」「田島弥平旧宅」「高山社跡」なども世界遺産の構成をなしている。

 全体図。

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 明治維新を迎えたばかりの日本は、世界に追いつくために輸出を盛んにする必要があり、その要であった生糸の品質改良と大量生産を行える工場の導入を進めた。
 1870年、設立指導者にフランス人ブリュナと正式に雇用契約を結び、富岡に建設することを決定した。なぜ富岡が選ばれたかというと、①養蚕が盛んで原料の入手が容易であった。②広い土地が用意できた③外国人指導の工場に住民が同意した④既存の用水を利用した水の確保ができる⑤燃料の石炭(亜炭)が近くで採れた。
等の理由らしい。

 まずは、東繭置所からみてゆく。対面に西繭置所、その間に繰糸場が有り逆コの字になっている。
全長は約104m、幅約12m、高さ12mの木骨レンガ造りである。
 
 当時は、年に一度しか繭が採れなかったので大量に保存しておく場所が必要だったのだ。現在は、6回ほども採ることができるそうです。西繭置所は、現在修理中で工事現場を見学できます。
 西の方は、生産システムが変化してゆくと内部に改造が加えられ、1階部分は石炭の置き場所や繭をより分けたりする場所として使われるようになった。

 東繭置所

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 レンガは、当時の瓦職人が近くに窯を造り焼いた。漆喰、礎石も近くのものが使われた。

 2階部分。繭は乾燥させた後、袋に入れて積み上げられた。

 
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 中庭を通って、社宅に向かう。工場長や、課長などが住んでいた。

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 1872年に、官営工場として操業を開始したが、1893年、三井家に払い下げられ、三井富岡製糸場として操業。その後、原や片倉工業の手に渡り昭和62年まで、115年間操業されて来た。
 停止された後も、維持管理が良くなされてきたので、保存状態が良く創業当時の状態が良く残っている。
 
 修理中の西繭置所の2階から見た東繭置所

 
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 石炭を燃やした煙突
 
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 その沸かす水をためておいた鉄水溜。

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 繰糸所外観。長さ約140m、幅約12m、高さ約12m。渡り廊下で、女工館など他の建物とつながっていたようです。

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 正面部分。

 
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 中に置いてある繰糸機は、昭和41年に設置された自動繰糸機が置かれていた。

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 この建物は、指導者として雇われたブリュナが家族と暮らしていた建物で、ブリュナ館と呼ばれる。後に、読み書きや裁縫を工女に教える学校として使われ、企業内教育の先駆けといえる。

 
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 高床で、回廊式のベランダを持つ風通しの良い造りで、床下には当時造られた地下室が今も残っているという。

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 工女達の寄宿舎。

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 日本人に技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居。ベランダの天井には、日本建築にない格子状に組まれている。

 
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 この後は街に出て、お昼をいただく。名物の、ひもかわうどんとおきりこみに舌鼓。ほうとうみたいな感じです。

 せっかくなので、他の観光もする。

 まずは、一宮貫前神社から。

 創建は531年と伝えられいて境内は、千年の古木に囲まれている。

 総門

 
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 総門をくぐると、石段が有りそれを下った先に社殿という変わった造りになっている。

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 12年ごとに式年遷宮が行われる。

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 つづいて、宮前公園にある旧茂木家住宅へ。
戦国時代1527年の建築で、現存する民家の中では最古のものだ。特徴は、板葺き屋根であること、古い建て方である小屋組みで、棟持ち柱が屋根まで通じていること、梁などは、ちょうな仕上げで有ることなどがあげられる。

 
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 群馬といえば妙義山だが、その名が付いた妙義神社。山にはここから登って行ける。
あまりの壮大さにかなりびっくり。特に石垣は見事なものでした。

 山門

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 まるでお城のようだ。

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ここ登ります。古木の根っこが石段を持ち上げ波打っている。

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 体の平衡感覚がちょっとおかしくなる。

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 上毛の日光と呼ばれているらしい。見事な彫刻です。

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 今夜のお泊りは、東の方に向かい梨木温泉という一軒宿。高速に乗り1時間半ほどかかった。
季節外れなのか、本館には人影無し。
 
 温泉も貸し切りだ。

 


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