好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:九州 > 壱岐・対馬へ


 旅の話ではありませんが、今朝の新聞にこんな記事が出ていました。
偶然壱岐に旅をしてきたので気になり紹介してみました。

 地理的表示の産地に認定されているお酒には、スコッチ、シャンパン、テキーラなどがありますが「壱岐焼酎」もそうなんですね。
 他には、熊本県の「球磨焼酎」や沖縄の「琉球泡盛」、鹿児島の「薩摩焼酎」もそうなんですって。

 ここの麦焼酎は、麦麹を使わずに米麹を使っています。アルコール度の高いものは、ウィスキーを飲んでいるような感じがしますし、樽や甕など貯蔵熟成した容器によってもかなり味が違いました。
 
 
イメージ 1


 3世紀に記された中国の歴史書である「魏志倭人伝」に、壱岐は、「一支国」の名で登場している。

 博物館の名前も「一支国博物館」と名付けられていました。
かの黒川紀章氏の最後の作品なのだという。

 展望台は物見の塔をイメージしたのでしょうか。うねる屋根は、山々かなあ。

 
イメージ 1


 背後に回ってじっくり見ます。

イメージ 2


 館内は残念ながら撮影禁止ですが、展示にテーマ性があり、見やすくわかりやすい展示で、面白かった。

 九州ではよく見かけるハタも、地方によって少し違うようです。

 
イメージ 3


 展示品を見た後は、展望台に行ってみて高いところから周りを見てみます。
田植えの時期でしたので、水田が綺麗です。

 
イメージ 4


 原の辻遺跡が見えています。原の辻は、一支国の王都であったと考えられています。
丘陵の周囲を幾重にも環濠で取り囲んだ環濠集落で、その中でも一番高い場所は、政や外国人との交流のあった人々が活躍した場所らしい。

 この後、見学します。

イメージ 5


 原の辻遺跡は、長崎県で2番目に広い平野である「深江田原」に広がる弥生時代の遺跡です。島の平野が、2番目の広さなんてちょっと驚きでした。
 ここからはたくさんの遺物が発見されています。当時の最先端の交易拠点として重要な役割を果たしていたので、大陸や半島で使われていた銅銭や制作された土器など、交流を物語るものも数多く発見されている。

 駐車場も何もない、道端でバスを止めました。「なーんも心配いらんとよ」とはガイドさん。

 私達が見学するのは、建物が建っている部分だけです。いくつかのエリアに別れていて、エリア内には建物が固まって建っています。

 先ほど訪問してきた博物館が見えます。

 
イメージ 6


 交易に使用する道具なども収められていたと想像される交易の倉。

イメージ 7


 長老の家と集会所(手前)

イメージ 8


 物見やぐらのある地域は、身分の高い人や外交使節団の人々が滞在する建物があったと考えられている。

 手前は、番小屋です。常時10人くらいの兵士が詰めていたと想定される

イメージ 9


 
 使節団の宿舎と譯(通訳)の家。奥の大きな家が使節団の滞在していた建物で、10~20人くらいが寝泊まりしていた。

 
イメージ 10


 これは穀倉です。ネズミ返しが付いている。
コメは、稲穂か籾の状態で蓄えられていたと思われる。

 
イメージ 11


 祭議場には、祭器、儀器の倉や主祭殿、脇殿などがありました集落の中でも一番高い位置にあり、生垣で囲んであります。

 
イメージ 12


 この隣にあるのが、王の館です。王といっても全然豪華な建物ではない。

 
イメージ 13


 近くにある原の辻ガイダンスに向かいここの復元の様子をビデオで見ました。
 
 弥生時代の港の様子が模型で復元されていた。古代の港の具体的な形を見たのは初めてです。

イメージ 14


 対馬は忙しかったですが、壱岐の方は比較的じっくりと見学できてよかったかな。

 ジェットフォイルに乗り博多港まで戻り、バスで空港へ向かいます。
夕食はついていなかったので空港であごだしラーメンとやらを食べてみた。あごは、トビウオのことでとてもいい出汁が出るのだ。

 梅雨の時期なのに雨にも降られ無かったのが何よりでした。
この2,3日後に、九州は記録的大雨になってしまったのだから、ラッキーだったのだと思います。


 朝ぶろに入って、ゆっくり朝ご飯を食べる。
同じ旅に出ていても海外だとこうは行かない。浴衣のまんま食卓につき、スリッパで廊下を歩けるのは日本の温泉ならではだ。上げ膳、据え膳の醍醐味です。

 9時、バスが迎えに来てくれた。

 壱岐は、対馬と比べると人口も面積もかなり小さい。そして韓国人の人達はここには全然やって来ないのだそうです。不思議だなあ・・・。

 行政上は、両島は長崎県に属しているのですが 、大学も就職もレジャーも福岡県に行く人が多いそうです。距離的に近いのでそうなるのでしょう。
 映画なども博多まで行くそうですが、交通費やもろもろ含めると1日がかりで一万円かかるそうです。レジャーがないので、若者の出会いが無く、中々結婚できない人が多いそうです。

 軽快なバスガイドさんの案内を聞きながら最初にやって来たのが、対馬と同じように展望台です。
岳の辻展望台と言い壱岐で一番高い山で213mほどである。都会の高層ビルより低い。
 倭国は、白村江の戦いで大敗した翌年、防衛体制を強化して、防人や烽台を配置した。ここ岳の辻にも烽台が設置されていた。

 
イメージ 1


 高い山がないので平地が広がり農業には向いているそうで、農家さんが多いという。壱岐というと魚業かなあと思っていたのだが、アスパラの温室も沢山ありました。

 ここからは海が眼下に臨めました。

 
イメージ 2


 港。橋の右手奥の海に近い建物が宿泊したホテルです。

イメージ 3

 
 続いてやって来たのが黒崎砲台跡です。第2次大戦の時に造られたが戦いの主流は海から空へ移っていたので使われることが無かったそうです。解体するときにはたくさんの火薬が使われたという。

 
イメージ 4

 
 砲台の土台部分が残っている。筋が付いているがあそこに火薬を詰めたという。


 
イメージ 5


 建物の内部にも入れます。真っ暗なので慌ててスマホを取り出す。目が慣れてくると案外広い。通路の先まで行くと上の写真の下の部分の近くまで行ける。

 
イメージ 6


 かなり広い空間。

 
イメージ 7


 近くに有る猿岩。ゴリラの方に近い気がするが、本当によくできているわ!名古屋の動物園ではイケメンゴリラが話題になっているが、こちらもかなりのイケメンです。

 
イメージ 8


 この辺りからの風景。

イメージ 9


 壱岐は、古墳もとても多い島である。280基の古墳が確認されていて、長崎県全体の6割を占めているという。様々な形の古墳があるが、首長クラスの古墳の石室からは、大陸や半島から認められていたことを物語る品物が多数発見されている。主なものに、笹塚古墳、双六古墳などがある。
 私達が見学したのはその中の1つである鬼の窟古墳でした。

 ところが石室に向かおうとしたところで蛇に遭遇。普段、蛇など見たことないのでちょっとしたパニックになってしまった。運転手さんが木切れで追い払ってくれるも、中々進めない・・・。

 
イメージ 10


 石室内部。

イメージ 11


 この後はお楽しみの焼酎の工場見学と試飲です。主に麦焼酎を生産しているという。他にも島内には幾つかの焼酎工場がありますが、その中の1つ、壱岐の蔵酒造さんにお邪魔しました。

 
イメージ 12


 案内してくださった方は、島外からやって来た女性でした。焼酎工場は、数少ない若者の働き場所になっているのかもしれません。

 駐車場近くの畑ではコスモスの花がもう咲いていました。

 
イメージ 13


 ほろ酔い気分でやって来たのが左京鼻。切り立った崖が続いている。海風が強いので木々がみな陸側に倒れこんでいる。
 日照りの時にここで雨乞いが行われたそうだが、その時犠牲になった人の名が付いたともいわれている。

 この近くの海では海女さんたちが素潜り漁を行う。その安全祈願のための小さな祠が岩の上に建っていました。

 
イメージ 14


イメージ 15


 満潮になると体の半分くらいが沈んでしまうという「はらほげ地蔵」までやって来ました。はらほげとは、お腹に穴が開いているといった意味です。どうして穴が開けられるようになったのかは定かではないが、お供えものをそこにおいて行くためとか流されないようにするためとか諸説あります。

 頭の部分は無くなってしまったのでコンクリートの塊を乗せ帽子がかぶせられていました。

イメージ 16


 前掛けをめくって穴を見せてもらう。
 

イメージ 17


 お昼ご飯にうに飯を食べ、少し休んで午後の観光再開です。

 


 島を訪れるのは簡単そうでなかなか難しい。

 海があれると交通機関が無くなってしまったりするから、スケジュールが立て込んでいる時は無理。
梅雨や台風、冬も避けた方が賢明となるとますます行きにくくなってしまう。

 私などは屋久島に2度もふられてしまい、再々再挑戦の機会を狙っているのだが・・・。

 壱岐・対馬は玄界灘なので、晴れていても波が高いことが有るそうです。幸い今回は梅雨の合間の晴れ間にあたり波も穏やかで、汗をかきながらの観光となりました。

 本当は個人で行きたかったのだが、効率が悪い事、レンタカーを運転するには自信がない事、旅費が高くなることを理由にツアーを探していたら、何と50000円という超格安でしかも飛行機利用で名古屋からのものがあった。
 1人部屋を申し込むと、部屋食がOKというではないか。宿をランクアップして1人部屋料金を払っても63000円です。

 料金につられて申し込み、行って来ました。参加人数も18名とそれほど多くもなくまあまあです。

 初日の午後4時過ぎに福岡空港に向かい、その日は博多で泊り翌朝対馬に向けてジェットフォイルで出発です。

 海がこんな風に輝いていました。

イメージ 1


 博多のホテルは、ハングル文字がいっぱいでなんだか外国のホテルにいる気がします。以前に博多に来た時から5年くらいたっていると思うがずいぶん雰囲気が違っていて戸惑ってしまう。
 名古屋も中国人の方がずいぶん増えたが、ここと比べるとそれほどでもない。
大型客船でやって来る方達が多いのだそうだ。

 我々も博多港に向かい、ジェットフォイルに乗り込みます。自由席なので2階部分の窓際に座る。ジェットフォイルは快適で、1時間ほどでいきに到着です。ここでお弁当を積み込み船の中で食べる。鯛飯でまあまあかなあ・・・。

 ジェットフォイル。

 
イメージ 3


 壱岐と対馬の間もほぼ1時間です。
国境の島対馬は、韓国との距離が50kmほどで日本よりも近いので古来から行き来が盛んであっても何の不思議もないのだ。
 
 船を降りた途端ハングル文字の攻撃なのには驚いた。日本語の全くない看板も目立つ。聞けば、ここからジェットフォイルが毎日釜山に向けて出発しているのだという。

 ハングル文字の名前が日本語の後にちゃんと表記されている。

イメージ 4

 
イメージ 2


 日程表には細かい時間が書いてなかったので、全員が対馬での観光時の短さにがっかりしてしまう程の滞在時間でしたが、ともかく観光の始まりです。

 雨は降っていないものの、曇りで眺望は望めそうもないが展望台へと向かう。
晴れていればリアス式海岸の美しい海が臨めるそうです。

 
イメージ 5


 ここは砲台のあった場所でもある。蒙古襲来、日清戦争や大戦の時にここで命を亡くされた方がおられたと思います。平和祈願や鎮魂の碑がありました。

 
イメージ 6


 対馬は、特有の動植物が多い。有名なのはツシマヤマネコだが、手づかずの自然がたくさん残っている。

 有名な、韓国展望所はここではなくて島の北東の岬に行かなければならない。対馬は大きな島で、日本で4番目くらいの大きさがあるそうで、3時間ほどでは往復するのは無理だという。
 「えー!」そうです、ここも参加者全員が誤解をしていました。
ネット申し込みで添乗員は無く、会社からの説明もなかったので、参加者の思い込みでそれぞれが想像していたのだ。

 再び、厳原に戻り、歩いて万松院に向かいます。ここ対馬は、鎌倉時代から幕末まで宗氏が統治してきた。その20代目義成が、父義知の冥福を祈って1615年に建立し菩提寺として特別の権限を与えてきたのだ。

 駐車場の所には看板が掲げられてありましたが、知らないことばっかり。

 
イメージ 7


 櫓門。歩いてくる人達は、韓国からの観光客の方達です。

イメージ 8

 
 金石城の庭園の跡。

 
イメージ 9


 墓所への入り口

 
イメージ 10

 
 山門。桃山式。島最古の建造物である。

イメージ 11

 
 本堂の手前にあったのは、諫鼓(かんこ)。これは君主に対し諫言をしようとする時に打ち鳴らす鼓だそうです。

 
イメージ 12


 本堂。今のものは明治時代に寄進されたものだ。

 
イメージ 13


 中に入ります。目につくのがこれ。三具足とある。

 
イメージ 14


イメージ 15


 島には石垣がとても多い。またその石垣の積み方も独特のもので朝鮮積みとか鏡積みと言われているそうです。積まれている石が四角い。万松院の石垣もこの積み方です。

 
イメージ 16


 この後は石段を登って御霊屋と呼ばれる墓所へ向かいます。

 
イメージ 17


 途中には、側室や童子を祀ってある中御霊屋と呼ばれる墓所がある。

イメージ 18


 
イメージ 19


 
 一番高い場所にあるのが藩主と正夫人の墓だ。ここには現代の宗氏の方も入ることになる。

イメージ 20


  
イメージ 21


 圧倒される規模だ。石垣積みが綺麗です。
これが20代のものだ。

 
イメージ 22

 
 そして最も栄えた時代の藩主が21代。

イメージ 23


 麓に降りてきて売店でアイスを買う。「トンビに気を付けて」と言われる。私ともう1人の男性も購入し、食べ始めた途端どこからともなくトンビが表れ男性の手元をめがけてきた。私は、日傘をさしていたので無事でしたが、気をつけてとはこういう事だったのだ。

 トンビは、男性の人の上空を何度も旋回しては隙あらばという感じだ。怖くてゆっくり食べてはいられなかった。

 最後は、歴史資料民族館に向かうも乗船時間が迫っていて、ゆっくり見られない。30分ほどでざっと見て回る。朝鮮通信使に関する絵巻などが展示されていました。我々は朝鮮からいろいろな事を学んだのだなあと思う。
 彼らは、対馬を後にしたのち九州から瀬戸内海を抜けて江戸の方まで行くのだが、海が荒れるとなかなか島を出て行くことができず、藩の財政を圧迫したそうです。

 
イメージ 24

 
 あわただしくフェリーに乗り込み壱岐に戻る。午前中ジェットフォイルの停泊した場所とは違う港の郷ノ浦港に到着です。ここからは、民宿組とホテル組に別れて宿に向かう。
 
 ホテルの郷ノ浦港の目の前でした。部屋から見た郷ノ浦港。最終のフェリーは10時過ぎで結構たくさんの方が降りてきていました。

 
イメージ 25


 広い部屋での部屋食です。贅沢、ワインも注文していざいただきまーす。
いろいろ出たけれど、やはりお刺身が一番おいしかったです。

 
イメージ 26


 明日は、壱岐を観光して夜の飛行機で名古屋に戻る。忙しいよねえ!でも値段が値段だから・・・。

 トイレにあったペーパー。ご当地ペーパーだ。(^^♪

 
イメージ 27

このページのトップヘ