好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:国内旅行 > 兵庫県


 甲子園会館は、武庫川女子大が所有している教育施設である。

 2人の案内人の方が我々の為にアテンドしてくれました。

 旧甲子園ホテルとして、昭和5年に完成した。設計者は、ライトの弟子である遠藤新氏が手がけました。
当時は、「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称され、上級軍人・皇族・政財界人等で賑わったという。

 しかしホテルとして使用された期間は短く、大戦時には病院として使用、終戦後はアメリカ進駐軍のものになった。

 その後大蔵省の管理下に入り、昭和40年大学に譲られた。現在は国の有形登録文化財に指定されているが、建築学科の校舎としても使用されている。

 日本に残るライト式建築であり、設計者の意図が随所に盛り込まれていてとても主張のある建物だと感じた。

 それは、水に関けいしたデザインだったり、日本の伝統美があちこちに取り入れられていたり、また使われた石や焼き物等に現れている。

 正面からみる。ライト式建築の特徴である左右が対象の造りになっている。塔は煙突です。敢えて複雑な作りにして光と影を楽しんでいる感じがします。

 
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 玄関の扉には日本語で「おす」と書かれている。

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 正面に廊下を挟んでロビーが右手にフロントが有った。
フロント部分のガラス模様は、後で紹介する建物に壁画にも使われています。左手の小さな窓らしきものはお金のやり取りをする為のものでした。

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 ロビーを挟んで、左側には小部屋が右手を下って行くとホールが有ります。

 まずは左側の階段を上って応接室に行きました。ここは新しく造り直したそうで、映画の撮影などにも使われるそうです。曲線の窓から入る光が美しい影を落としていた。

 
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 続いて階段を使って屋上に行きます。東と西の中央部分です。

 東側の塔と建物。

 
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 屋根がとても近い。瓦のデザインが凝っている。
屋根瓦の上の球体や軒下に描かれている模様は水玉を表しているそうです。このデザインは随所に使われていました。コンクリートなのにレースのカーテンのようだ。

 
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 西宮は戎さんの街という事か、ここには戎さんが置かれていたそうですが、今は主はいません。
形は打ち出の小槌をモチーフにしてある。

 
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 客室に使われていた部屋に入ります。今は視聴覚教室のようになっていました。

 瓦にも打ち出の小づちがあしらわれている。

 
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 ここからは再び一階に下りてゆきます。

 するとこんなものが・・・・泉水です。冬至には、屋根の明かりとりから光が入ってこの部分を照らすそうです。何だか宗教的です。
 ちなみにはっきりしませんが、やはり打ち出の小づちがデザインされている。

 
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 さらにさらにまだまだ小槌は有りました。西側ホールへの入り口の上の部分です。

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 一番豪華なホール。ここではダンスなども開催されたという。正面には、オーケストラボックスも有りました。

 
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 ここのデザインも、水が滴り落ちるイメージがする。

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 ホールの天井は、格子になっていて障子が張ってあるように見えた。他の場所の照明とは全く違う。

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 ロビーや廊下などの照明はすべてこれで統一されていました。白いガラス部分は引っかけて置いてあるだけですので、簡単にとれます。阪神の震災の時にはこの部分が沢山外れたそうです。

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 ホールから庭に通じるドアを使って建物の裏手に出てきました。
建物の感じはやはり違って見えます。

 
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 壁面には幾つかのレリーフが施してある。これは、そのうちの1つです。最初に紹介したフロントのガラス模様と同じデザインになっています。

 アールデコ調のデザインだ。

 
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 遠近法をうまく利用してデザインされているので、とても奥行きを感じて落ち着いて見える。この屋根の感じとても好きです。

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 ライト式建築は横の広がりを強調している。こうしてみると繰り返しの柱が遺跡の神殿のようにも思える。

 
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 使われている石は、日華石と竜山石ですが、どちらも加工がしやすいのが特徴です。

 大満足で帰路に就いたのだが、三重県の桑名辺りから急に雪が降り始めてびっくり!
駅の周辺には、なんと積雪も・・・・。ニュースで、3月としては戦後最も多く積もったといっていました。高速が閉鎖にならなくて良かったなあと思った次第です。


 マルタの旅から寄り道です。
昨日目まぐるしく天気の変わる中、関西の芦屋と西宮に行ってきました。
 目的は、ヨドコウ迎賓館と武庫川女子大学の甲子園会館の建物を見る事と、おいしいランチ。

 虹が見えていたかと思うと吹雪の様な雪になったりと猫の目のように変わる天気の中、予定時間より早めにレストランに到着。

 ちょっと早めのイタリアンでお腹を満足させた後は、心のごちそうです。
お土産に買ったお店のお菓子。デザートが素晴らしくおいしかったので・・・。

 
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 芦屋に来たのは、震災後初めてです。阪神淡路の震災は、この高級住宅地の芦屋でも被害は免れず、ヨドコウ迎賓館も3年程休館せざるをえなかった。

 4階建てのこの建物は、芦屋でも山の手の尾根のような所に建っている。帝国ホテルの設計者として来日していたフランク・ロイド・ライトが1918年に灘の酒造家山邑家の別邸として設計したものだ。
 工事そのものは、ライトが帰国した後、1924年に弟子の遠藤新と南信によって建設された。
この後訪れる甲子園会館は、その遠藤の設計によるものです。

 またこの時期は、山邑家の長女の為に誂えられたひな人形も合わせてみる事が出来る。この雛人形は100年以上も経っているもので迎賓館より歴史が有ります。
 
 ヨドコウが迎賓館としてここを購入するまで色々な変遷をたどっているのだが、重要文化財に指定された事により修理保存されることとなった。

 玄関の車寄せと建物正面のあたり。ライトといえば、大谷石を様々な場所で使っているがここでもやはり多用されています。

 
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 玄関を入り階段を上って行くと応接間に行ける。

 
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 中央の家具は、ライトのデザインではない。大きな窓からはまるで絵画のように街の様子や木々を見る事が出来る。
 またあちこちに通風孔が開けられているのだが、それらも光の入り方を考えて作られているようです。

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 天井は直線的な幾何学模様。

 
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 作りつけの棚もなんだか意味ありげに見える。

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 さらに階段を上って3階に行く。ここには、家族の寝室や和室や浴室などが有った。
ひな人形はこの和室を使って展示されていましたが、写真は禁止でした。
 とても大振りで、精巧なものばかりでした。

 その和室の有る廊下。光の取り入れ方が考えられています。

 
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 再現されたイスと机。

 
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 この和室部分と隣の夫人室の間には階段が有り、こちらの方が一段低い造りになっている。
夫人室を見たところ。

 
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 このガラス戸にも使われているがロイドが好んで使ったデザインが植物の葉をデザイン化したものだ。反対側のバルコニーに出る扉にも使われています。材料は銅だそうです。

 
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 4階は、キッチンとダイニングルームや使用人室が有りました。案内の方は、オール電化の家でとてもたくさんの電気を使っていたようだと説明してくださいました。ひねると蛇口からお湯が出たそうですし、ドイツ製の電気冷蔵庫をもう使っていたそうです。
 他にも電気炊飯器、電気コンロもあったと言うから驚きです。
一体どれほど電気代を払っていたのだろうか?

 
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 ダイニングルームも天上の模様が幾何学模様になっている。天井の中心からから壁へと線がつながっていてとても美しい。暖炉はやはり大谷石を使っています。アルファベットのMにも見える。

 
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 ダイニングルームからルーフバルコニーに出る事が出来ます。ここからは、大阪湾まで見通せるとても開放的な景色が広がっています。

 4階バルコニーから見たところ。

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 3階部分の屋上部分にも行けます。3階屋上から建物を見るとこんなかんじ・・・。

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 段差が沢山あるので、何だか探検している様な気分になります。現代のバリアフリーとは対極の建物だ。

 屋上からの眺め。

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 すぐ下を芦屋川が流れている。

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 ここから西宮に移動します。

 
 西宮神社の門。道路側から見たところ。あまりの狭さにあの人達はどこにいるのかと・・・多分道路が通行止めになっているのでしょうね。
 ここで門があくのを待つのでしょう。
 
 
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 豊臣秀よりの寄進といわれている赤門。
1月10日午前6時、一番札を求めていっせいに本殿めがけて走りだします。
境内の広さは、甲子園球場が入る大きさがあるそうです。
 
 
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 ここで大きく90度回り込みます。
 
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 そして突き当ったらもう一度90度回ると本殿に到達。細かに回っていくので大変そう。
3神を祀る本殿。
 
 
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 えべっさんとこちらの人は呼ぶそうです。
 
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 神橋越しに見たところ。
 
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 お参りが住んだところで、酒蔵に行きたいのだが、さっぱり方向がわからない。
観光案内所を当てにしてきたのだがそんなものは無くて、駅前で見た看板を思い出しながら適当に歩きだす。
 
 10分ほど歩くと酒蔵通りという看板が・・・・。
 
 白鷹の入口にはこんな石碑が立っていました。
 
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 6時を回っているので空いている資料館が少なくなってきている。やっと見つけた一軒に入る。
酒玉がぶら下がっています。
 当主が住んでいた家を改造してあるとのこと。
 
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 中庭に面した蔵には、酒造りに必要な道具や、酒器などが展示してありました。
 
 
 重しと甑。
 
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 母屋に移動して、展示品を見て行きます。
私が初めて耳にした言葉やものを紹介します。
 
 鯉箱。鯉だけでなく魚全般をこれに入れて、人に差し上げた。風流だなあと感心・
 
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 これは、供養箱といい、法事などを家で行ったときに手伝いの者煮だしたお弁当箱。こういう名前が付いているとはしりませんでした。
 
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 もうひとつ、定家筥を。
 
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 この名前も初めてききました。女性の持ち物に何故、男名前がついたのだろうか・・・。
それにしても雅だこと。
 
 薄暗くなってきました。最後に日本盛りのレンガ館というところに行き、そこで大吟醸と純米酒を試飲させていただきました。
 さすがにおいしい。
 
 今回はここでジ・エンドとなりました。大阪に戻り新しい駅ビルで画廊を堪能。いいものがたくさんありました。
 
 新大阪からは、こだまで帰ります。これも節約のためだ。ぷらっとこだまという商品は2000円くらい安くなるのです。しかも飲み物付き!私は、ビールに交換して電車の中でいただきました。
 何だか親父になってしまいましたが(*^^)v
 

 
 ダイニング。建具内装の仕上げ剤は当初のものが使われているとある。キッチンはなく、別の場所から運んできたいた。
 
 
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 武藤邸から見た明石大橋。
 
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 応接室。女性らしいファブリックだ。ランプなども当時のもの。これくらいの明るさだったのだと再認識。
 
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こちらが本来の玄関か。家具の鏡に2階に通じる階段にあるステンドグラスが写っている。
 
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 次は、ここから歩いて10分ほどの旧木下家住宅に向かいます。
昭和16年完成した数奇屋造り近代和風住宅だ。阪神・淡路の大震災以降、どんどん姿を消していってしまう中で、創建時の構えをほぼ残す貴重な建物だという。
 前庭、中庭、後庭に土蔵・納屋・使用人室なども残っている。
 
 ちょっと高いところにあるので高架の電車が庭先を走っていく感じがする。
 
 
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 前庭から見た母屋と書院。
 
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 書院。
 
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 屋敷周りの小石の色を変えているのが景色になっている。
 
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 エレベーターで上がっていくと瓦屋根の並びと土蔵が見えるようになっている。
 
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 家の中も見学でき、どこでもゆっくり座ってくつろいで下さいねと声かけられました。
ストーブが暖かくて・・・・
 
 茶室から中庭を見たところ。
 
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 サンルーム。昔風に言う縁側ですか。船底天井と仕切りの形がいいな。
 
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 格子がきれいな書院。数奇屋造りになっている。
 
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 欄間部分。当時としてはずいぶん斬新な模様のような気がする。
 
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 時計を見ると2時を回っている。動物園に行こうか迷う。というのも天気が良くなく寒いのだ。
 
 迷った挙句、ポートライナーに乗って神戸空港に行ってみることにした。乗り物好き、飛行機好きの私向きかなと・・・。
 快速と新快速を乗り継いで三宮に向かう。
 
 今はIC乗車券を持っていれば切符を買わなくても済むので本当に楽ちんです。ポートライナーもICで乗れました。
 
 15分ほどで空港に到着した。日本中が荒れているのか到着便の遅延の知らせが何度もアナウンスされている。スカイマークが多いようだ。
 たこ焼きでおなかを満たした後展望デッキに出てみた。
 
 
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 すれ違ったポートライナー。乗っていると写真が撮れない(+_+)
 
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 大きなマンションや病院・ホテル店舗もあるので大勢の人が乗ってくる。始発駅では人がほとんどいなくても三宮に着くころには満員になっていました。
 
 今度は阪神に乗り換えて西宮まで行く。いつも話題になるえびす神社を見てみたかったのと、酒蔵巡りが目的だが、酒蔵の方は時間は時間だからだめかも・・・・。外観だけでも見て雰囲気を味わいたい。
 
 西宮の駅からは、燈籠に沿って歩けば神社はすぐでした。
でも想像していたより狭くてこんな狭いところにあれほどの人が集まってきているのだと感心してしまった。
 
 築地塀。地震の際全部倒れたそうだが、綺麗に修復された。こういう土塀はほとんど残っていないのだそうです。なので重要文化財とありました。燈籠も青銅製で素敵だ。
 
 
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 赤門をくぐって私も本殿に向かってみます。

 
 以前から頭の片隅に気になっている場所がある。
「孫文記念館」だ。
 
 とはいってもそこだけを目当てに訪れるほどの事も無い。
 
 でなかなか行けずに何年も過ぎてしまっていた。神戸には、地震の前も後も何度か訪れているのに・・・・。
 記念館のある場所は、神戸より明石市に近いのだ。
 
 ところが14日予定していたバスツアーが、人数が集まらずキャンセルになってしまい、ぽっかりと時間が空いてしまったのだ。
 で、ここと他の場所も訪れてみようといくつか候補をあげてみる。逸翁美術館、王子動物園、明石市、西宮市、芦屋、尼崎などの沿線の街など・・・・。
 
 芦屋は何度か行っているのでパス。明石、池田はちょっと遠い。
結局西宮、動物園、神戸空港、スカイビルの宮中庭園のうちから時間と相談して行けそうなところをい訪れることにして、高速バスで梅田まで向かった。
 
 新神戸まで新幹線で行けば早いのだが料金が高い。一番安い高速バスが梅田行きだったのだ。
 
 バスターミナルは、スカイビルにあるので宮中庭園に夜景を見る場合土地勘もできるし・・・。
 
 スカイビルから、新しくなった大阪駅までは10分くらいかなあ。関西空港に行くときは通り過ぎるだけなので、新しくなってからは初めて訪れた。
 
 まずは、快速で目指す舞子まで向かう。舞子までは45分ほどかかり、到着した時には既にお昼になっていた。
 
 兵庫県立都市公園として整備が進み見違えるようになっている。
明石大橋は、阪神淡路大震災後の1998年に完成している。着工は1988年とあるから震災に遭遇しているのだが、工事のやり直しをすることも無く手直しは必要だったものの、無事完成のこぎつけた。
 
 ずいぶん前に、この駅から高速バスに乗って淡路島に渡った事は有るのだが、その時はまだ公園の整備は進んでいなかった。
 
 駅を降りると目の前に橋が見える。こうして下から橋をみるとすごい迫力で、人間て本当に何でも作ってしまうんだなあと感心してしまう。
 
 
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 瀬戸内海は、船の往来の多いところなので大きさがいろいろの船がひっきりなしに通過している。
 
 舞子海上プロムナードからは、橋の下を実際に歩くことができるという。高いところ大好きなので早速入場してみます。
 
 エレベーターで一気に8階まで上る。透明なガラスからは海がのぞける。
 
 
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 橋を渡るのは車だけでなく、水道やいくつかのケーブルも渡っているのだ。
点検道が見える。
 
 
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 橋の下を猛スピードで通過する船。
 
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 これから訪れる孫文記念館を上から見たところ。6角形の建物は移情閣といい重要文化財に指定されている。
 記念館の左後方にある建物は、旧武藤山治邸でこちらも1907年に建てられたものをこちらに復元移築したものだ。こちらは、登録有形文化財である。
 
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  せっかくだから橋の科学館の見学もしてみよう。お客は私1人だけでした。
これがつり橋のロープを引っ張っているアンカーの模型。
 
 
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 橋の長さ3911m、中央支間長は1991mで世界一です。無人のカメらを自分で動かして今の様子を見ることができる。
 
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 孫文記念館までやってきました。建物は、神戸の中国人実業家呉錦堂の別荘が前身で、1915年別荘の東側に「移情閣」が建てられた。
 革命か孫文とこの別荘「松海別荘」のかかわりは、孫文が神戸に来た時の歓迎会の会場になった時に始まる。
 その後、1983年兵庫県に譲渡され、孫文生誕の日に「孫文中山記念館」として公開に至った。
橋の建設に伴い解体移転してここに至った。
 
 
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 中には、写真や書などの展示と呉錦堂に関するものなどがある。
 
 天井。龍の彫り物がある。周りを額に入ったいくつもの書が取り囲んでいるが1つも読めない(+_+)
 
 
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 2階に通じる階段。大正時代の雰囲気満載です。
 
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 型押の壁紙。当時のものを復元しました。
 
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 2階の天井。同じようにみえるがこちらはボタンの花と鳳凰の彫刻になっている。
 
 
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 これは、孫文と宋慶齢の結婚式の時に夫人が着用した衣装だ。
 
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 明石大橋と記念館。このころになると空があやしくなってきた。寒い。
 
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 雨宿りを兼ねて旧武藤邸に駆け込んだ。あわてていたので外観をカメラにおさめそこなってしまい、これはパンフレットの写真です。
 
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 1907年建設の木造2階建ての洋館だ。円形バルコニー、スレートぶきの屋根が特徴。
別荘のあとは、鐘紡に寄贈され会社の福利厚生施設として利用されてきた。
 ここもやはり明石大橋建設の関係で移設されたが、兵庫県への寄贈をきっかけにここへ移転復元された。
 
 入ってみましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 お堂から外に出た瞬間まぶしくてくらっとする。
本堂に向かって紅葉を眺めるのが表もみじで、本堂側から紅葉を眺めるのが裏もみじと教えてくださいました。
 
 うらもみじ
 
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 本数がたくさんあるというわけではないのですが、1本が枝を伸ばしているのでとても豪華に見える。
 
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 この寺は、神仏習合の祈願時なので境内には、弁財天・稲荷・大黒などの神様も祀られている。
 
 
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 三山の最後は、宝橋山高蔵寺です。ほうきょうざんと濁って呼ぶ。
この寺も、明智光秀の丹波攻めで焼失してしまったが、1592年に再建されたという。
 
 この日は地元の人達の行事が催されており、屋台や野菜などのお店が出ていた。
地元でとれた落花生や黒豆などを試食させてもらう。
 
 豆がとても大きくておいしい。
 
 私は、きのこ(シイタケとシメジ)を買いました。田楽までごちそうになりなんだかとても恐縮してしまう。
 
 他にもサプライズがありました。これから「餅まき」を行うのでぜひ参加して下さいとのこと。
「餅まき」なんて、久しぶりです。
 これは案外燃えるのだ・・・(^^♪
 
 正面の一段高くなったところにおぼんさんとお坊さんが登場です。何やら相談しています。
 
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 相談がおわったようです。
 
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 餅まきが始まりました。皆必死です。私も踏ん張って四個ほどゲット。汚れないように一つづつ袋に入っています。
 
 あっという間に終わってしまった。よく見えないおぼんさんは、おぼうさんに教えてもらって投げていました。
 
 終わってほっとしたところ、「よくやったね」というように手を差し出した。ご住職もニコニコされています。
 
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 ホッとして、すわろうととしているところにカメラを向けたらポーズをとってくれました。ごめんねえ・・・。
 
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こういうかぶり 物大好きです。本当は自分がなかに入りたい。(*^_^*)
クマモンもひこにゃんもフナッシーもいなりんもだいすきだあ!
 
 
 参道を奥の方にすこし歩いて行くと本堂と鐘楼と文殊堂があります。
山には手入れの行き届いた杉の木が整然と立っている。
 
 こちらの紅葉は、文保寺と同様すこし早いようです。
 
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 本堂への階段。本尊は、11面観音で秘仏になっており、33年に1度御開帳されるそうです。
 
 
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 本堂。1714年の建立。
 
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 こちらの鐘楼は、大山八景の一つに「高蔵寺の晩鐘」として数えられているのだとか。
傾いてゆく光を背にして・・・・。
 
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 杉林の中の紅葉もなんとなくいいな。
 
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 三山を回ると最後に「もみじ三山朱印」を頂けます。
 
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 こうして帰路についたのですが、帰りも渋滞にはまり家の遠いこと!
高速を降りて、旧国道一号を通ったり、湾岸線におお周りしたりと大変でした。
 
 バスが、お寺を離れる時には、地元の方々が手を振って見送ってくださりとてもうれしかった。
この日は久しぶりに暖かな日よりだったのだが、心の方もほっこりさせていただきありがとうございました。
 

 
 今年は、紅葉を訪ねてきました。
近年は桜は夢中になって必ずお花見に行くのに、紅葉の方はご無沙汰だったのだ。
 
 で、ちょっと遠いかなと思ったがまだ行ったことのない土地でもあるし、イタリアンレストランでの「地のものを使ったランチ」という言葉にもひかれてでかけてみた。
 
 朝7時40分に、出発して途中四日市を過ぎたあたりで早くも渋滞にはまってしまった。
丹波に行くのには、名神を使うとおもっていたのだが、いまは新名神を使うんだ。
 
 三重県方面は、今は鬼門である。慢性的に渋滞するのにお伊勢さんのお参りが重なって渋滞がひどくなっているからだ。
兵庫に行くのに、三重県で渋滞にはまるとは・・・・(>_<)
 
 結局4時間近くかかって目的のレストランに到着した。道路わきの畑では。名産の黒豆の収穫が行われていました。おせちに使う黒豆は、これからが需要の最盛期を迎えるんだろうな・・・。
 
 
 レストランは古民家を利用したもので、雰囲気もあるしお料理も丁寧に作られていました。
 
 
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 おなかも満足したところで、バスで10分ほどのところにある松尾山「文法時」に向かいます。まつおさんでは無くてしょうびさんとよむ。
 
 田舎の農道の細道をバスは進んで行く。こういうところさすがプロだなあと感心してしまう。
 
 文保寺楼門・・・鎌倉5山の建中寺の楼門を模して造られたものだが、明智光秀に攻められたときに焼失してしまい、現在のものは天正末期に建てなおされたものだという。
 
 
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 現在は、3つの塔頭寺院が残されている。645年、法道仙人によって開かれた。仙人は、インドより中国を経て日本に仏教をつたえたと言われ、瀬戸内海を経て加古川流域の播磨・丹波に200ヵ寺以上の多くの山岳寺院を開いており、特に天台真言系の寺が多いそうだ。
 
 今回訪ねた3つの寺院も天台宗のお寺だった。
 
「松尾山文保寺」と称されるようになったのは、文保年間に勅額を下賜されてからの事である。
 
 鐘楼・・・自由につけるのでならしてみました。
 
 
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 肝心の紅葉の方は、まだちょっと早かったようです。
 
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 隣の敷地には、神社もありました。大みそかや元旦には賑わうのでしょう。警護の人の詰め所がありました。
 
 二村神社
 
 
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 次に向かった安泰山大國寺の方は、モミジが見ごろになっていました。(^O^)
 
境内に入ると大きなモミジの木が迎えてくれます。
 
 
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 紅葉もいいけれど、住職さんの説明をまず聞いてくださいということで、本堂の中に招き入れられました。そりゃそうですよね・・・・。
 
 本堂は、禅宗様式と和様式を折衷した建物ということで鎌倉末期から室町初期に建立されたと推定される。国の重要文化財に指定されている。
 内陣・中陣が、唐様(禅宗様式)で外陣が和様式で中に入ると違いがはっきりわかる。
 
 本堂内部から紅葉を見る。
 
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 内陣の中には、5体の仏像が安置されており、本尊は薬師如来だ。「一仏三身」を表し、薬師・大日・阿弥陀の三仏を表している。
 
 藤原時代のものでこの金色の光は当時のものだという。埃を払うとやばいので、掃除はしないと言っておられた。
 
 左右に後年据えられた大日・阿弥陀の二仏の脇仏がある。
もともとは仁王門もあったそうで、持国天と増長天がおさめられていたのだが、門がなくなった後は、本堂におさめられている。
 
 
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 仏様をじっくり拝んだ後は、今度は紅葉をゆっくり鑑賞しましょう。
 

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 3月のシリア・ヨルダンの旅で知り合った方が、誘ってくださったので神戸へ押しかけてしまいました。


 10時ちょっと前の新幹線で、新大阪まで行き、在来線に乗り換えて三宮に着いたのが、11時半頃でした。新神戸まで行くと、ちょっとだけ高くつくし、時間もそんなに変わらないのでケチってしまいました。(*^_^*)

 お昼は、カウンターでのてんぷらを御馳走していただき、昼間からワインも・・・・。

 その後お宅に伺いました。震災で、家が全壊状態になってい待ったので、新しく建て直しをされたとのことでした。

 今回伺ったのは、その方の持っていらっしゃる絵画コレクションを見せていただくためです。

 想像していたより、立派なものでしたので本当に楽しい時間を過ごさせていただくことができました。

 青木繁のデッサンや、小磯良平のパステル画、小出楢重のガラス絵といったものや、村山カイタ・長谷川利行・須田国太郎・坂本繁二郎・熊谷守一・藤島といった人々の油絵・・・

 ちょっとした個人美術館みたいでした。

 それを手にとってみられるわけですから、うれしかったです。


 帰りには、ルミナリエに連れて行ってくださいました。開催から2日目とあってそんなに混雑もしていなくて、ラッキーでした。

 本当にお世話になりましたm(__)m

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