好きなもの・・・猫と旅と・・・

旅と猫が大好きです。 それに関係して、マンホールの蓋や乗り物、建築、ダムなどにも興味を持っています。

カテゴリ:東北6県 > 牡鹿半島沖の島を巡る


 この民宿は、東日本大震災の時避難所になっていたそうです。今は、新しくなった建物で営業されており、食べ物もおいしく快適に過ごすことができました。
 窓の下そこまで津波がやって来たそうです。 まだまだ復興途中といった感じです。
民宿のすぐ下まで津波がやって来た
 朝食をいただいていたら窓の外に、鹿の親子連れがやってきていました。
朝食を食べていたら
 鮎川は、捕鯨の盛んな地域で南氷洋に行っていたころ持ち帰ったそうです。
ペンギンの剥製が有りました。
昔連れてきたらしい
 宿の車で鮎川港まで送ってもらった。
鮎川港
 予約時間より早かったけれど、海上タクシーで向かいます。
タクシー
 高いところに乗せてもらった。
高いところから
 銀サケの養殖を行っている。
銀サケの養殖
 船は、半島を回りこむようにして向かうので20分ほどかかった。
 この鳥居をくぐって神社に向かいます。
金華山上陸
 神社の辺りに生えている芝は、固有種で金華芝という。島にいる鹿と芝は共生の関係で、鹿をそれを食べてあちこちに移動し、糞をして増やしていくのだそうです。
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 島で暮らしているのは、神社関係者だけですが、宿泊施設も有ります。例年多くの人達が訪れるそうですが、今年はコロナの影響でどうだったのでしょうか?
 面積は、今まで訪れた田代島と網地島を合わせたよりも大きく周囲は、25kmあります。
恐山、出羽3山と合わせて「奥州3大霊場」とされています。
 749年、聖武天皇の時代に陸奥の国の黄金を献上したところ天皇は大いに喜んだ。この史実により最初の日本での産金と言われており、金をつかさどる金山毘古神・金山毘売神を祀り神社を創建した。
 神仏習合の時代は、女人禁制を敷き、伊達家も熱心に信仰した。
 神仏習合が解かれると、神社に復古し女人禁制も解かれた。御祭神は、金銀財宝を司る神で、3年続けてお参りすると、金に不自由しないそうですが・・・。
 
黄金神社
 鹿のお出迎え
秋分の日でした
 この大きな木は、マツとカエデがくっついている。
くっついた松と楓
 登山の前に、旅行社が御祈祷を手配してくれていたので、祈祷殿に向かった。人生初の祈祷で興味津々です。残念ながらカメラはNGでした。
 祈祷殿の御祈祷の跡、長い階段を登って拝殿に向かった。拝殿の裏手には本殿が有ります。唯一撮影できたのは、拝殿から外に向かってでした。
 お鈴の紐が無いのは、コロナ対策です。
コロナで紐が無い
今は綺麗になっていますが、震災後はとても大変だったそうです。ボランティアの方々によって、建物も灯籠も飲み水のダムも皆、整備で来たそうです。その様子は、神社のHPで紹介されています。
https://kinkasan.jp/document01/
 
 10時過ぎ、登山開始です。
鳥居の奥に髄神門
 祈祷殿。奥の方に見える階段を登って、本殿に行きました。
祈祷殿
 もう1つ石段を登ります。
拝殿への階段
 拝殿
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 この横から山に入る。復旧に大変だったダムを見ながら進んでいく。道中で一番感動した大ケヤキ。
圧倒されます
 水神社
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 尾根まで出ると太平洋が一望できる。男鹿半島も。
男鹿半島
 はるかかなた、100km以上向こうに東日本大震災の震源地があるのだ。日本でここが一番震源地に近いんだよと言われた。
太平洋
 ようやく頂上に到着。地震のあと頂上の高さが変わったそうで、現在の標高は、443.5m。
大海底神社
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 三角点が有りました。
三角点
 これは何?ガイド氏の話では、以前の三角点ではないだろうかとの事。
昔の三角点では?
 記念写真を撮って下山開始。降りきったところで御神木にお参りです。
御神木
 赤い門が見えて来た。
赤い鳥居
 港の砂浜にはウミネコ達が、休んでいた。砂浜にいるウミネコってあまり見かけない。
ウミネコ
 定期船に乗り遅れてしまったという観光客と一緒に迎えのタクシーで鮎川港に戻り、ホエールタウンでお昼をいただき、再び宿の車で仙台まで送ってもらいました。
 仙台では、楽天の試合が行われていてラジオでその様子を聞きながら向かう。

 5時前に仙台駅到着。これで解散となりました。それぞれの地に、新幹線で帰ります。




 海を見ていたら定期船が入って来ました。こんなに早くと思ったのですが、この島には学校が無いので子供達は、船で半島の鮎川までの通学につかうそうだ。この日は、休日なので着岸することなく出てゆきました。 
朝一の定期船
 今朝の朝食もおいしくいただきました。
朝ご飯
 みちのく潮風トレイルは、藪の中からスタートでした。
みちのくトレイル
 北の地方でも温暖なこの辺りは、常緑広葉樹の林が続きます。
林の中を歩きます
 昔は普通の生活路だったのでしょう。
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 祠も有りました。
祠が
 途中、ちょっと寄り道して、今日の宿泊地対岸の鮎川港が見えるところまで行ってみました。このトレイルは、島の真ん中を歩くので海が全然見えないのだ。
 大きな建物は、新しくできた「ホエールタウンおしか」です。
向の鮎川港
 網地島には、以前は小中学校もあったのですが、現在は有りません。平成14年に、廃校となった中学校を島の楽校として、研修などに使えるようにしたという。
廃港になった学校
 小学校の方は、平成11年に診療所として改装整備され開所されました。隣の田代島からも通所されている人もおり、レントゲン・CTスキャン・手術室も備えているそうです。
 ベーリング探検隊投錨の記念碑がたっていた。
ベーリング探検隊がやって来た
 お昼ごはんは、島の先端にあるドワメキ崎でいただきます。ここからは、太平洋と金華山が一望できるのだ。
 緩やかな坂道を登って行くと、灯台がありました。ちなみに島で一番高いところは、101mだそうです。
ドワメキ崎の灯台
 ここの沖合は、遭難者が出るところだそうで慰霊碑があった。
この沖で舟が遭難するという
 金華山が見えます。
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 長渡港を目指して再び歩きます。
この碑は、出羽・湯殿・月山と彫られていたので、3山参りを此処で一度に行えるのかもしれません。
島内の祠
 島のあちこちに、アート作品があり、この家も作品の様です。
アートらしい
 うーん、わからん!
 長渡港の壁画、マスコットのおとちゃん、ことちゃんが描かれています。日本の領土で世界地図が描かれていてへえという感じです。
長渡港おとちゃんことちゃん
 ちなみに、長渡とかいてふたわたしと読みます。島の人口は、住民基本台帳によると322人、田代島の方はかなり少なくて、61人となっていました。
 20分ほどで、牡鹿半島の鮎川港に接岸です。大きな船が出迎えてくれた。かつてのくじらキャッチャボートだそうです。
かつてのキャッチ船
 堂々たる船ですが、大震災の時には、浮いたそうだ。
津波にも流されなかった
 鮎川港のシンボルマークは、クジラです。
鮎川は鯨
 民宿に向かう前に、付近を少し歩きました。
女川などと比べると復興が全然進んでいないという。堤防もまだできていません。
堤防はまだできていません
 この辺りでは、天然のスレート石がとれるので、以前はたくさんの屋根に使われていたそうです。
地元の石スレートの屋根
 迎えに来てくれた民宿の車で、御番所公園に向かった。御番所とは、昔此処で潮の流れや船の往来などをチェックしたりしていたところだ。
御番所
御番所公園
 すぐ向かいに金華山が見える。島の横にある瀬戸は、震災の時に海割れの様になって底が見えたという。
震災の時この瀬戸が割れて海の底が見えたという
 展望台からは、お昼ごはんを食べた網地島のドワメキ崎がかすんで見えた。
ドワメキ崎が見える
 なんと民宿のお風呂と部屋からは、綺麗な夕陽が見えました。湯船の中からも部屋の中からも結構長い時間楽しめました。
綺麗だ
海が染まる
 そして、お楽しみの夕食はこれ。金華鯖や骨まで食べられる金目の唐揚げのつゆびたしは絶品でした。
今日の夕食
 明日は、金華山に登ります。


 皆揃ったところで、「石巻元気市場」 などで、お昼ごはんを買う。結構活気が有り、人手が戻って来たなあと感じる。
 12時半、田代島に向けて出発。席もソーシャルディスタンシングで1つ置きに着席です。河口から海に出る。
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 今回訪れるのは、田代島、網地島、牡鹿半島、金華山です。
こんな感じで
 船の中でお昼をいただき、ウミネコがかっぱえびせんをうまくキャッチするのを見ていたら、あっという間に田代島に到着した。 
 猫の島で有名なので、沢山の猫がいるのかなと思って下船したのですが、居たのはこの猫だけ。あれあれ??????
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 大泊港の方は、玄関口ではないのでこんなものかなと思いつつ歩き始める。これから歩いて島を縦断し、仁斗田港から網地島に渡る予定です。
 途中、猫神社や島の駅「にゃんこ共和国」などを楽しむ。
のって来た船を見送ります。金華山が奥の方に見えている。
大泊港
 坂道を登って行くと、猫神社がある。
猫神社
 にわか作りの神社ではなくて、ちゃんとした歴史が有ります。昔、猫の行動で漁の良しあしを判断していた島の人達。猫を縁起の良いものとして大切にしていた。ところが、ある日漁の支度をしていた時に、重りとして削っていた岩の破片が猫にあたり瀕死の重傷を負わせてしまった。そこで、島人は、猫の安全と大漁を祈願し猫神社を建て、猫を祀ったという。
歴史が有ります
 待ってましたと近寄ってくる蚊と格闘しながら猫と遊ぶ。リュックも、遊び道具に・・・。
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 さらに歩いていくと、にゃんこ共和国に到着。しばらく思い思いに猫と遊ぶ。
建物前
 おねだり。
おねだり
 トイレも、
といれ
 はめ絵
はめ絵
 建物内には、猫カフェもあるのですがこの日はお休みでした。私は、こちらで生ビールを1杯いただきました。うーん美味しい!
 この後も仁斗田港目指し歩きます。道端でもよく見かける。
道で
道路端で
 これも猫。
これも猫
 仁斗田港が近づいてくると、ようやく人家が見えて来た。
やっと民家が
 仁斗田港と金華山。
金華山と仁斗田港
 こちらにも、少し猫はいる。運転席に座って・・・。
僕は運転手
 猫とカラス。どっちも真っ黒だ。
猫とカラス
 持ってきた猫のおやつを此処に入れておくもの。島では、勝手に猫に餌を与えてはいけないのだ。
ご飯ボックス
 船に乗って気がついた。シンボルマークでしょうか?
ようこそ田代島
 網地島までは、あっという間に到着です。こちらのシンボルは、マーメイド?
マーメイドの網地島
 待合室は、魚。
魚の形
 民宿は、すぐそこなので歩いて向かう。網地島は、温暖な島で例年海水浴客で賑わうそうだが、今年はコロナの影響で、海開きが行われなかった。
 その白浜に立ち寄ってみた。白浜を見下ろす位置にいるこの人物は、ベーリングさんです。
DSC05797
 むかし、この島には、ロシアの探検隊がやって来て、水深や緯度の測定を目的に滞在していたことが有り、村人と交流が有ったそうだ。それを記念して造られた。
 なんて説明を聞きながら海を見ていたら、アザラシの様なものが浮いている。もしかして打ち上げられた?なんて言いながら皆で近寄ってみると、何のことはない漂流木でした。
 でも似ていませんか?
アザラシかと思ったよ
 民宿からは、海に落ちる夕日も何とか見えた。
太平洋に沈む
 そして今日の夕食。ホヤやウニ、などの海のものが並びました。
夕食
ツブ貝、蒸しホヤなど
 いただきまーす。

 田代島の猫は、別枠で紹介します。


 東日本大震災から10年が経とうとしているのだが、中々現地を訪れる機会が無かった。
コロナで、国内旅行しか行けなくなった今、いい機会なので自分の目で見てみようと思った。 

 ツアーの前日、セントレアから仙台までのエアーの特典航空券がとれなかったので、伊丹経由で向かうことにした。
新大阪まではぷらっとこだまを利用し、伊丹・仙台間の特典航空券を予約した。かなり安く行けるので大回りをしてもこちらの方が得なのだ。普段せっせとマイルを貯めているので、なるべく特典航空券で向かいたいのだ。
 
 仙台空港から、仙台駅に戻り列車を仙石線に乗り換えて石巻に向かう。1時間ほどで石巻に到着だ。仙石線を利用するのは、塩釜、松島等を旅したとき以来だ。車窓から見る限りでは、地震の跡は感じられなかった。

 駅
駅に集合
 何も調べないで行ったので、駅前に降りてなぜサイボーグ009がいるのかわからなかったのだが、石ノ森章太郎氏は、宮城県の出身なので石巻市は、漫画によって町興しをはかっているようです。
 
石巻駅前
 いったんホテルに向かい、リュックを置いて身軽になって石巻市復興まちづくり情報交流館「中央館」を目指す。
 通りも、こんな感じです。
マンガ通り
石巻マンガロード
 
マンガ家の絵が
 情報交流館では、映像や模型を使い、津波被害の様子や復旧、復興の進捗状況などがわかりやすく展示してありました。市内を歩いているだけだと、ほとんど普通に見えてしまうのだ。
 
 日和山に登ると、色々見えるというので行ってみることにした。この山のおかげで、市街地は大きな津波に襲われることはなく、その代わりに津波は北上川を上って行ったという。
 日和山は、芭蕉も訪れている。
芭蕉も訪れた日和山
 旧北上川河口が見える。
旧北上川河口
 この辺はまだまだ復興は終わっていないようだ。沢山の人家や門脇小学校などもあった地域。
門脇小学校の近く
この辺りは津波で何もかも亡くなった
 石ノ森萬画館の有った島は、教会と萬画館だけを残して皆流されてしまった。
津波前
津波前
 今の様子。木が伸びていて分かりにくいですが・・・。手前は更地のになっている。
津波後
 急な坂道を降りてくる。当時この坂道を人々は登ったのだろうか?

 石ノ森萬画館が見えて来た。
石ノ森萬画館

 交流センターに入ってみる。仮面ライダーがお出迎え。
仮面ライダーのフィギュア
 駅前だけでなく、歩いていると街中にいろんなキャラクターが置かれている。
駅の近くで
 ロボコン
ロボコン
 萬画神社もある。
萬画神社
 石巻市は、旧北上川河口に位置し、沖合には、金華山、網地島、田代島など風光明美な景観を有し、宮城県北東部地域を代表する中核的な都市とある。
 伊達藩の統治時代には、水運交通の拠点に位置する「奥州最大の集積港」として名を知られていたという。
 明治時代からは、金華山沖の漁場を背景に漁業の町として栄えてきた。
石巻という地名は、市内にある住吉公園前の川の中に頭角をだす「巻石」が由来だという。
 で住吉公園にも行ってみたのですが、整備の途中で、「巻石」の姿を見ることはできませんでした。
弁天島に巻き石が有った
 震災の時にもこの小さな丘の上に人々は避難したという。丘の上から見た北上川。
住江神社の丘の上から
 足元の神社や石碑などは皆流れてしまったようで、今は一か所に集められていた。
流されたモノたち
 復元された神社も、材はすべて新品ではなくて、所々にもとのものを利用しているようでした。
新しく建て替えられた
 ホテルに戻る途中、コンビニにより、明日の朝食と今日の夕食を仕入れる。部屋で一人宴会です。
 明日の11時過ぎには、ツアーのスタートです。 



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